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ムイカリエンテ への道

2014/09/19 (Fri) 谷口宗彦最終講義

[]使命に生きる人 使命に生きる人を含むブックマーク

声が印象的だった。

大きく澄んだ声だった。


その人と初めてお会いしたのは、大学で行われた会議の席だった。

自分名前を言うと、間髪を入れず息子の顔を思い出していただき

「息子さんのデッサンは素晴らしい」

と褒めてくださった。


ある行事をきっかけに、息子が3年生の時に後援会代議員に誘われ

参加するようになって間もない頃であった。

数多くいる建築学科の学生の中で、先生研究室ではない

息子のことを覚えてくださっていることが嬉しくもあり

また誇らしくもあった。

それからも、

頻繁に開催される会議行事で顔を合わせるごとに声をかけてくださった。

息子の就職に際しても、ご心配いただきアドバイスもいただいた。


一方、学内では先生のことを面白く思わない人も多くいるようだった。

心無い噂話も聞こえてきた。

その根がどこにあるのか、自分などにはわかる由もなかったが

真っ直ぐな視線と澱みない言葉には、噂で聴こえてくるような陰はかけらも感じられなかった。


今年3月退職されてから、どうしていらっしゃるのかわからなかったが

先日、突然お電話いただき、その後書籍が自宅に届いた。

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建築講義...しかもこの厚さ...すぐに読みだす気分になれず、ぱらぱらと写真だけ見たが

署名までしていただいてお送りいただいた誠意を無にしてはならないと思い、読み始めた。

想像していたものとはまったく違っていた。

工学院大学入学してから、そのまま教員になり、大学一筋に49年間在籍した男の

熱い思いと闘いが、燃えるような筆致でつづられていた。


工学院大学前進である工手学校は、明治20年(1887年) 東京府知事であり東京帝国大学初代総長でもある

渡辺洪基らによって設立された、日本初の工業技術者養成学校である

つまり、日本初の工科系専門の大学ということになる。

(『工手学校』茅原健著)


昭和48年から始まった新宿校舎の建て替え計画は、新宿副都心構想の中で

日本初の超高層大学建築へと進展していく。

そこには、膨大な資金を含めて、筆舌に尽くせぬ巨大な難関がいくつも立ちはだかっていた。

若き谷口先生は、当初からこの建築に関する問題点を次々に指摘し続けてきた。

様々な問題が絡み合い、プロジェクト暗礁に乗り上げたかに見えた昭和63年

新開発本部の設立と共に、

再開発事業の着手時から文句を付けている谷口が、最も内容を把握している」

という判断から、41歳の若さ事務局専門主幹として抜擢され

あらゆる角度から膨大な改善案を一気に提案し実現していく。

そして、すべての仕事をやりきったその日...42歳の誕生日に倒れて病院に担ぎ込まれる。


なんという勇気... なんという情熱... なんという行動力...

こんな凄まじい闘いがあったことなど知らなかった。

凄い使命だな

敵も多いはずである


そして、建築家として様々な建築物を作り上げ

教員として多くの人材を世に送り出してきた。

ひとつ大学で49年... すごいことだ。


一級建築士大学ランキングで常に5位以内に入り

日本初の建築学部の創設など

常に中心になって闘って来られたことは言うまでもない。


68歳とは到底思えない若々しい容姿  はりのある大きな声は

お会いした当初と少しも変わらない。


益々のご活躍をお祈りしつつ、感謝と敬意を込めてブログに紹介させていただきました。


谷口先生 ありがとうございます


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