Hatena::ブログ(Diary)

ムイカリエンテ への道

2016/01/09 (Sat) 静かな死

[]不幸のなかに... 不幸のなかに...を含むブックマーク

Mさんを乗せた車椅子を押して、駅前のビルまでゆっくりと歩いていた。

一月とは思えないような明るい陽射しも、

線路脇のじめじめした狭い路地には、ほとんど射しこんでこなかった。


Mさんから電話があったのは、一年ぶりのことだった。

病気が重くなって、一人で立ち上がれなくなった...

24歳になる娘さんが一緒に住んでいるが、

身体の大きい彼女を支えることができない。

駅前まで行きたいのだが、介護タクシー土曜日でつかまらないから

連れて行ってほしいという電話だった。


Mさんとは、小学校の3・4年生のときの同級生から45年前...

もっとも古くからの友だちということになる。

駅前の寿司屋の一人娘で、お父様譲りなのか、女の子なのに べらんめえ調...

子どもの頃から体格がよく、親分的な存在だった。

たった2年の付き合いだったし、こちらはその後転校を繰り返したので、それきり会うことはなかった。


二十代の頃、久しぶりに立ち寄った故郷の街で

その寿司屋の前を通ったら、店が変わっていた。

どこかに引っ越したのかと思って、裏の自宅の方に声をかけたら

小さな娘さんを連れて彼女が出てきた。

お父様は亡くなって、店は閉めたとのことだった。

その頃は、幸せ暮らしているようで、安心した。


しかし、それから数年後…

離婚してから彼女の試練の日々が始まった。

お母様と娘さんとの生活を支えるために、昼は社員食堂で、夜は居酒屋で、働きに働き詰めた。

それでも、家を手放さざるを得なくなり、線路脇の古いアパートに転居した。

過労がたたって静脈血栓症になり、足が不自由になってしまった。


病院の入退院引っ越し...頼みやすいのか、そのたびに電話があって、手伝いに行った。

しかし、この一年くらいは、忙しかったこともあり、

メール入院の連絡があっても、見舞いにも行っていなかったのだった。



電話の声があまりに苦しそうだったので、救急車を呼ぶようにと言ったが

いまの症状では入院はさせてもらえないそうで...

とりあえず、車を飛ばして1時間弱のそのアパートに向かった。

一年ぶりに会った彼女は、顔が大きくむくんで衰弱していて80歳の老人に見えた。

片付けもできず、ごみで埋まった部屋の中から

手を引いて転ばないように玄関の外の車椅子まで連出した。


自分が来なかった一年の間に、心臓病み肺癌を宣告されて、抗癌剤治療を受けていた。

母娘二人きり...あの暗いアパートでの貧乏の底を這うような生活

どんなに淋しく、苦しかったことか...

何故、助けを求めなかったのか...と言いかけて、言葉に詰まった。

忙しさにかまけて1年も来なかった自分を恥ずかしく思ったのだった。


線路沿いの道は50年前とほとんど変わっていないのに

駅前の一角だけは、切り取ったように再開発されて、高層ビルが建っている。

そのビル用事を済ませた後、隣接するスーパーで買い物をしたいという..

娘さんに食べさせるものを買わなければ...と言って、弁当お茶を買った。

自分食事もできないほど衰弱しているのに...


不幸という不幸を舐めつくしてきた10年...

唯一の生きがいは、一人娘のSちゃんのことだった。


アパートに戻り、また部屋まで手を引いて...ベッドに座らせ

またな...と言って別れた。

絞り出すようなかすれた声で言った「ありがとうね」の一言が、最後に聴いた彼女言葉だった。


4日後、会社に向かう電車の中で、彼女の死を知った。

驚きはなかった。

悲しみよりも、ああこれで少しはゆっくり眠れるのかなと思った。


血縁のない縁遠い親戚が数名...火葬だけのささやかな葬儀

幼なじみの友の骨を拾いながら、不思議気持ちになった。

死ぬ前に呼んでくれたんだな... 


父親も数年前に亡くして天涯孤独になってしまった娘さんは、

長年母の病気と向き合ってきたせいか、涙もなく気丈にふるまっていた。


ふと、『レ・ミゼラブル』の最後の場面が思い出された。

ジャン・バルジャンは、死の床にコゼットを呼び

初めてコゼットの亡くなった母親の話をするのだ。

コゼット、今こそお前のお母さんの名前を教えるときがきた。ファンチーヌというのだ。

この名前、ファンチーヌを、よく覚えておきなさい。

それをロに出すたびに、ひざまずくのだよ。あの人はひどく苦労した。

お前をとても愛していた。

お前が幸福の中で持っているものを、不幸の中で持っていたのだ。

   ユゴーレ・ミゼラブル』佐藤朔訳

レ・ミゼラブル (5) (新潮文庫)

レ・ミゼラブル (5) (新潮文庫)

頑張って生きてください。

お母さんは、貴女のことをいのちよりも大事に思っていた。

どんな不幸のなかでも、貴女と共に生きられる幸福を抱いていた。

最期まで、貴女のお母さんとして生き、貴女のお母さんとして死んだのだよ。



火葬場の帰り道...

早咲きの梅が咲いているのを見つけて、空を見上げたら

哀しみが胸の中にひろがっていった。

f:id:mui_caliente:20160213155001j:image

都忘れ都忘れ 2016/02/14 23:52 ムイカリエンテさま

貴方の幼馴染の方の人生を想像すると、どうしても涙が止まりませんでした。

人は幸せになる為に生まれてくるんじゃないのですか?
どうしてこんな過酷な運命の末にお亡くなりにならねばいけないのでしょう。

彼女が苦しみの中でさえ、娘さんを思いやる母の心に触れ、そして助けを求められた貴方が、手を差し伸べてあげたご様子に、沢山、泣きました。
彼女の幸せはきっとこのふたつのような気がしました。
娘さんと貴方のような友人をもてたこと…

最後に手を貸して差し上げられて本当に良かったです。
どんなに感謝されたでしょう。

レ・ミゼラブルの記載がありましたが、この方と重なりました。
それからもうひとつ、宮本輝さんの短編「トマトの話」も浮かんできました。

今まさに逝こうとする刹那の願いは、叶う、叶わないに拘わらず、それを聞いてくれた人間がこの世にいたことによって、不幸から救われ、満足した気持ちになってゆくのだと思います。
安心して幸せな境地においてあげられたのですね。

貴方のブログはこうして毎回、私にも強い生き方や、人のやさしさを
教えてくださいます。
本当にありがとうございます☆彡

ムイカリエンテムイカリエンテ 2016/02/20 10:41 ♪都忘れさま

友人のために、泣いてくださって、ありがとうございます。

人は幸せを求めて生きているのですよね。
人それぞれに、幸せの価値観は違いますが...

最近、若松英輔氏の本で 宮崎かずゑさんという人を知りました。
1938年 10歳でハンセン病と診断され、岡山の長島という島に隔離されます。
ハンセン病というのは、らい菌におかされて、手足の指 目・鼻・耳などを失っていく恐ろしい病気です。
彼女も、19歳で右足を失いその後、手の指も失っていきます。
80歳を過ぎて彼女が書いた『長い道』というエッセー集は、それでも幸せに満ちているといいます。
若松氏は、彼女に島を案内してもらいます。
「幾度となく彼女が語ってくれたのは、どれだけ悲惨な経験をしたかではなく、どれほど幸せかということだった。
宮崎さんには『長い道』というエッセイ集がある。そこでも彼女は、いかに幸福を発見したかを語った。
話しても書いても、彼女の言葉はいつも幸福に満ちている。
幸福な人間とは、世間が「幸福」だという条件を作り出した人間ではなく、
どこにも幸福を見い出すことができる人間であることを宮崎さんは体現している。」

この部分を読んだとき、私は、自分の間違いに気がつきました。
といっても、そんなに簡単なことではないと思いますが...

亡くなったMさんも、裕福で元気だった過去を想えば、辛いことも数えきれなかったでしょう。
でも、自分が愛したお嬢さんと一緒に暮らせることが、どんなに幸せだったか...

幸福の中で持っているものを、不幸の中でもっている...

それこそが本当の幸福なのかもしれません。

そのことを、私に伝えてくれたのだと思います。

いつもいつも、温かいコメント ありがとうございます。

kuri206kuri206 2016/02/25 21:41 お久しぶりになってしまいました。だいぶ元気になって来ましたのでご心配なく。

ご友人のMさんの過酷な人生に、言葉を失ってしまいます。
最後にMさんが貴兄に残した言葉が、感謝の言葉だった。そこに彼女の人生がぐっと凝縮されているように思われてなりません。

昨秋、岩崎航さん(貴兄との縁を繋いでくれた詩人ですね)がエッセー集『日付の大きいカレンダー』を出され、先ごろようやく読むことができました。

「まぎれもなく魂の底から思ったこと、感じたことには光が宿されているのではないでしょうか。それは見えないところで自分や他者の命をも揺り動かして、絶望に射すくめられていた人生をも回転させていく動力になっていくのではないかと思います。祈りとはそういうものではないでしょうか」(「僕にはもう夢も希望もないよ」より)

彼が病を受け入れているように、Mさんも自らの死を受け入れていたのではないかと思われてなりません。そこには、娘さんへの強い「祈り」があったとも。
私はふにゃふにゃな人間ではありますが、自分の魂の奥底にもそんな「祈り」を持ちたいと思います、おろおろとうろたえながらでも。

貴兄の文章にはいつも色々と触発されます。ありがとうございます。

ムイカリエンテムイカリエンテ 2016/02/27 11:13 ♪kuri206さま
お久しぶりです。
ブログもしばらくお休みされていたので、どうされているのか気になってはおりましたが...
快方に向かわれているようで、ほっと胸をなでおろしました。

同世代の近しい友人を亡くしたのは、これが二度目です。
6年前に亡くなった友人も長い闘病生活でしたが、やはり1週間前に彼に呼ばれて病院に行きました。
最後に手を振って「またな」と言ったひとことが最後になりました。
宮本輝氏の「星々の悲しみ」に、同じシーンがあったのを思い出して
ああ、きっとまた会えるのだな...と思えました。
いのちは、あの世などという空想の世界ではなく、宇宙にいったん溶け込んでいくだけなのだと...
そして、またどこかに生まれてきて、きっと会える。お互いに気づかなくとも...
「またね」と手をふったとき、6年前のことをふと思い出しました。

彼女の人生は過酷きわまりないものでしたが、いまは、ほっと一息ついているのだろうなと思います。

岩崎航さんの、この本のこと知りませんでした。
深い絶望に射すくめられる...そんなことが自分にはあったのだろうか...
人生を回転させるほどの祈りを、自分はしたことがあったのだろうか...
彼の闘いから見たら、自分などまだまだ甘いです。

Mさんとは、頻繁に会っていたわけではないし、辛いことをあまり口にしなかったので
後から知ったことも多いのですが...
最後の散歩で、娘さんへの想いがひしひしと伝わってきました。
すごい人生です。

私も、そんな祈りを抱いて生きていきたい。
そう思いました。

もうすぐ春...
貴兄が元気に復帰されることを、お祈りしております。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20160109