スクランブル交差点のサウンドトラック  cero『Poly Life Multi Soul』の感想(メモ消化2)


 cero『Poly Life Multi Soul』の感想を並べたものです。インタビューとかの記事はまったく読んでないので勘違いとかあるかもしれない。。

 前半はあまり回数聴いてないころの感想、後半はそれなりに聴いた後での感想になってます。




・音量を含む、ボーカルの存在感がバンドの他の楽器と近くなった。前作から存在感が小さくなってきていた感じはあったけど、今作では他の楽器とほぼ同等くらいになっているように思う。2枚目まではボーカルがもっといろいろ引き受けてる感じが、代表してる感じが録音やメロディーからも感じられてたんだけど… 熱く歌い上げていたのがだんだん飄々とした鼻歌みたいな感じになってきた。ストリート感?みたいなものも出てきているような。ヒップホップ…

・全体的に情報量が多い。常に平均(?)よりも多い音が鳴っているように感じる。料理で言えばフルコースとか、中華料理の食べ放題みたいな感じがある。それでいてなにかのジャンルに括れるようなサウンドのまとまり方をしているわけではないので、多国籍感というか無国籍感がある。ある意味、東京の路上みたいな感じか。

・どの要素からそれを感じているのか分からないのだけど(それぞれの音の質感がバラバラだからか?)、なんとなくライブ感がある。ラフ。

・音の多さとライブ感が合わさって、なんというかすごく人がいっぱいいるような感じがする(パート・音の種類の多さは演奏者の多さにイメージがつながる)。単純に音数的に忙しないんだけど、それ以上に、気分的にあまり落ち着かない。パーソナルな部分が少なく感じる。



 リズム面(ポリリズム)もそうだけど、ボーカルを含め多くの要素が並列に扱われた結果、全体的に散漫になったように思う。サウンド的にもっと聴かせたいところを、焦点を絞るべきでは……と思うんだけど、同時にこの無国籍な、混沌とした雰囲気は唯一無二なものとも感じていて、それとのトレードオフになるのかなあ……とか。
 音が並列に扱われる(アーティスト側からの誘導がない)ということは、リスナーにどの音を追うかが委ねられているということでもあるんだけど、ポップスとしてはそれはもしかしたら不親切な態度かもしれない。まあこの作品がポップスなのかどうかはさておき……
 この「とても多くの音を同じくらいの存在感で鳴らす」、というスタイルによって楽曲はかなり把握しにくくなっていると思うのだけど、代わりに楽曲中の新たな音を発見する楽しみが増えたと思う。聴くたびにリスナーの注目する音が、焦点が変わっていく。





 そして、これはある程度の回数聴いて楽曲を覚えてきたころに聴いた感想なのだけど、ここまでくると今まで違和感の元にもなっていた楽曲の複雑さから快感を感じられるようになってくる。大まかな展開を覚えて聴き手に少し余裕が出てきたため、入り組んだ個々の楽器のフレーズを楽しめるようになってきた。
 特に、アップテンポな曲に関してだんだんベースとドラム+パーカッションの音が耳に入ってくるようになる。これは少し誇張ではあるんだけど、今作を聴いているときの快感はミニマル・テクノか、D'Angelo『Voodoo』やスライの『暴動』などのグルーヴ重視のファンクを聴いているときのそれに近い感じがする(回数聴いてそういうふうに感じられるようになってきた。)。それらのちょうど中間くらい? ミニマル・ファンクとでも言おうか。ファンクと呼ぶにはねばり気がないし、そもそもすき間がなさすぎるのだけど…。『暴動』からもっとパートを増やし、かつそれぞれを入り組ませるように配置することで、グルーヴ由来の快感をより短いスパンで……というかほぼ間断なく発生させ続ける。



 まだこっちの方が音が整理されているような気がする(単純に音数がPLMSより少ないせいかもしれない)。



 ここまでは粘ってない。ceroの演奏はもっと真面目で、集中している感じがする。そもそも演奏というより楽曲のレベルでもっときっちりしている。幾何学的?




 あえての未整理な……というよりは意志を持って均等に、平等に配置されたサウンドは楽曲を掴みにくくさせると同時に深みを与えている。楽曲をひも解く際の音的な導線がないのがわりと本当に厳しいのだけど、馴染んだ際には相応の快感がある。
 「バラバラなサウンドなんだけどボーカルが入ると不思議とまとまる」みたいな現象・作品があるけど今作はそうなることを拒絶しているような… あくまでバンドサウンドで、総体として聴かせようとしているように感じる。
 聴き始めのころは無理に特定のメロディーを追おうとするより、色んなリズム・フレーズが重なることで浮かんでくるグルーヴに集中した方がよかったかもしれない。そっちの方が同じ「よくわからん」でもより楽しめたのではないか。

 日常的に聴ける作品じゃない(この作品は本当にパーソナルな部分が、一人になれる瞬間が少ない)ことと、どうしようもなくメロディーが好みじゃない(マジで深刻)ことがあって正直あんま好きって感じじゃないのだけど、とても個性的な作品である。包み込んでくれるような感じはまるでなく、ひとたび流れ始めると都会の雑踏のただ中に放り出されたような気分になる(そして人混みに翻弄される、否応なく)。
 小さな、細かなフレーズがリズムのくびきを越えて複雑に組み合わされているさまはたしかにポリでマルチな感じがする(もはや雰囲気で言っている)。でもやっぱり、ひとつの大きなものに巻かれたいという気持ちもありますね(結論はない)。なんにせよ、ある方向に振り切った、貴重な作品だと思います。バンドもこの大きさを維持するのは大変なように思うし、よく形になったと思います。