葛藤がないね その3

【NWatch ver.X】id:fuku33が何を消し去ろうとしたか

わたしがエントリをあげた時点でもリアルタイムに改竄しつづけられてたけど、この段階のは見てなかった。いや、これはひどい。明らかに学生をバカにすることにウェイトが置かれてる。わたしが見たときは、経営学が理解できない学生をバカにしてる、という感じだったけど、この段階では、学生をバカにする口実に経営学を持ちだしてるように見える。

実名を出してブログを書いてる非常勤講師がみずからの教え子を中傷してる、という点で批判してる方もおられるけど、わたしはむしろ、こういう態度を生みだすことなった、みずからの拠ってたつ立場への疑いのなさを問題にしたい。その問題点は、改竄後の現在の文面でも変わりなく、そこにありつづけてる。それを最初のエントリでは「葛藤のなさ」と書いたけれども、「もしかしたら自分のほうが間違っているのかもしれない」、そういう留保をこれっぽっちも抱かずに学生をバカにしてるんだから、そりゃ学生の側が受けいれるはずもないわけだ。かれは講義の場で学生をバカにしたわけではないと言い訳するかもしれないけど、あからさまな態度は取っていなくても、上記の留保があれば学生側の意見を容易に否定することはできなかったはずだし、その結果こういうエントリも書けない。だから、過激な言葉を削除したからといって、かれの言動の根本にある「葛藤のなさ」はとうてい拭いされなかったというわけだ。

それに改竄後まで染みついていたミソジニーの気炎が、それ以前の文章ではさらに露骨に表明されていることも、げんなりさせてくれる。

2008年05月25日 Midas 炎上して当然。あと根本的な勘違い。(緊急)医療は有限かも。だが経済発展性はゼロサムとは限らず比較にならん。根底には市場規模がもう広がらないのでは?という人々(含・筆者)の恐れがある。この辺はブログで指摘済
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080525/1211664691

しかし「炎上して当然」というのは違うと思う。

わたしが自分のエントリを書きはじめた時点で、かのブログについたはてブネガコメはhokushuさんとRomanceさんのもの2つだけで、あとはすべて福耳先生に賛意を表したものだった。その傾向はかのブログのコメント欄も同様だった。現時点でのテキストよりもそれ以前のほうがポジティブに受けいれられていたのだ。学生を中傷してミソジニーな気分をわめきちらす文章のほうがブクマカには受けがよかった。わたしが最初のエントリを書いたのは文章が改竄されたあとだったが、それはこれまでネガコメが2つしかなかったことに危機感を覚えたからだ。そして、かのエントリを批判したブロガーはその時点でわたし以外にいなかった。

炎上などしてなかったのである。

トリアージそのものは思考停止

すでに指摘してる方もおられるけど、トリアージはその遂行自体が思考停止にほかならず、できるだけ多くの人命を救うという以外には、倫理を含めてあらゆる判断をやめちゃってるわけですよ。それは決して理知的ではないし、ましてや「解法」などではないです。だからトリアージを導入するな、ということではなくて、それが「ほかに手の打ちようがないという絶望」のなかであえて行われる思考停止であることを分かっておく必要がある。福耳さんはそこを見落としてます。しかも、それを唯一絶対の最適解だと決めこんで安座している。二重の誤りを犯しているわけです。実際には、思考停止をすることに対して思考停止しているに過ぎません。

そこにトリアージを「解法」として語る福耳さんと、「絶望」として語るしかないyamakawさんとの決定的な差がある。

葛藤のなさ

わたしが「葛藤のなさ」と書いてるのが「思考停止」の言いかえであることに気づいてる人があまりにも少ないです。最初のエントリで「みずからは葛藤の克服を豪快に回避しつつ他人の葛藤は思考停止だと断ずる」と言ってあるんだけどなぁ。わたしが問題にしているのは、

  • 思考停止してる他人をののしる福耳さんが、思考停止してること
  • マネジメント性に欠如してる他人をののしる福耳さんが、マネジメント性に欠如してること
  • ヒロイズムに陥った他人をののしる福耳さんが、ヒロイズムに陥ってること

ということなんだけど(あと物陰から虚像に吠える他人をののしる福耳さんが物陰から虚像に吠えてたりするよね、って部分もふくめて全体的にブーメランブーメランな傾向)、それに対して、

2008年05月23日 NOV1975 社会 葛藤してればドラえもんが助けてくれるんだな、きっと。
2008年05月23日 REV 大規模災害の際の管理者向けマニュアルからトリアージを省き、マネージメントとか葛藤と書くといいわけですね。わかります。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080523/p1

こういうリアクションが返ってくる状況がまったく謎です。もちろん、思考停止しなければ物事が解決するというわけではないです。しかし思考停止するなと言っているその張本人が思考停止してることを指摘するのが、そんなにおかしなことでしょうか?

だれを説得したいのか

NOV1975さんは、いまだにこれが「かわいそう問題」だと思ってトリアージ関連のエントリを上げつづけてる。「かわいそうだからトリアージ導入に反対!」だなんて、福耳さんの教え子をふくめ、だれ一人として言ってないのに、いったい、だれを説得してるつもりなんでしょう?

なにを詫びてるのか

福耳さんはあちこちへお詫び行脚をしてるけど、いくつかのバリエーションはあるものの基本的には、大体、

  • 言い方がまずかった。お騒がせして申しわけない
  • 震災体験があったので自分の感情を過剰に押し殺していた。その反面、批判には冷静になれなかった

の2通りで、前者に関してはそれをお詫びのうちに含めてよいものかどうか、というくらい、なにも言ってないに等しい。どこの失言政治家かなと。こちらはミソジニーの指摘に対して多用されている。後者に関してはそれなりに真摯なものとして率直に受けとられる。

けど、わたしが指摘している「かれ自身の思考停止」について、かれは詫びていない。というか、それ以前にまったく反論すらされてない。一時期「物陰から攻撃するとは」と批判の存在そのものは匂わせていたのに、それすら削除されている現在(削除されたときは、こちらに乗りこんでくるのかなと期待してたのに)、かれがその点をどう総括しようとしてるのか、まったく分からない。そもそもこれだけお詫び行脚をしなければならなくなったのは、かれが自己の誤謬可能性について思考停止していたのが原因なのに…。なにも「解決」していない、というのが、わたしの現状認識。

客体化への恐れ

わたしはこの一連のエントリで福耳さんが「みずからの拠ってたつ立場への疑い」を持ってないと言っている。言い方を変えると、かれは自分自身の言動を客体化して観察していない、ということだ。しかし、それだけではないと思う。かれは自分自身の言動が客体化されて他人に観察されることを恐れてると思う。そのことは福耳さんの行動のもう一つの特徴として数えられると思う。

かれがブコメでの疑義にいちいち返答していたのを、人によっては礼節や誠実ととらえるかもしれない。けど、わたしにはそう見えなかった。はてブはその性質上、かれのエントリに対してメタな地位を持っている。かれはそのような高みから見下ろされることを嫌ったのではないか。一方的に「見られる」ことに耐えられず、その地位から相手を引きずり下ろそうとしたのではないか。そこで、エントリ中でいちいち応答を返すことにより、一方的に見られる関係から、せめて自分からも見つめかえせる相互対話の関係に、力づくで移行したかったのではないだろうか?

かれが批判的なTrackBack元にわざわざ言い訳をしてまわったのも、同じく、対話の関係に持ちこみたかったからではないか?

わたしがTrackBackを打たずに批判したことにあれだけ激しく反発したのも、自分の言動が批判されたことそれ自体よりも、自分が一方的に見られる立場に置かれたことに対する恐れと防衛機制だったのではないか?

ブクマでの異議申したてにメタクマで反応してたのも、自分への批判者を「竹田さん」という隠語でラベルして片づけてしまったのも、そもそも講義中に思いどおりにならなかった教え子をブログで引きあいに出して陰口しているのも、すべて「見られる」ことに恐怖して自分をメタな地点に置いて他人の視線から逃れたかったからではないか?

かれがmasashiさんやyamakawさんやshinichiroinabaさんの指摘に比較的従順なのは、医学のヒエラルキーとか先輩後輩の立場というよりも、かれらのブログを普段から読んでいたため、その視線をまったくの他人ではなく半分は自分の視線として受容できたからではないか?