発した言葉

私は教師をやっている。

私は原子力発電に関して、その安全性を強調したことは一度もない。ずっと危険だと言ってきたし、また、原子力発電所は廃止すべきだとも言い続けてきた。
子供に教えるにあたっては、個人的な意見だがと前置きをつけた上で(基本、一般的な意見と個人的な意見は分けて語るようにしている)日本の発電において原子力発電はなくすべきであると語ってきた。

その根拠の3点をかいつまんで言うと、

1、今回のような地震の可能性とその危険性。

2,核廃棄物問題

3,たとえどれほど日本の原発が安全だとしても(いやそれが殊更に強調されればするほど)世界中の原発が同程度に安全というわけではない。いつか、人類(そこまで言わなくてもその国家全て及びその周辺国家)にとって致命的な災厄をもたらす可能性がある。日本は、唯一の被爆国であり核を持たない国として、その危険性を強調し来るべき災厄を防ぐ上で先鋒に立てる国である。故に、原子力発電を廃止すべきである。

だから、言う。

原子力発電の安全性を殊更に強調してきた学者や政治家、そして安全性をPRする漫画を描いてきた漫画家などは、ぜひ現在危機的状況にある福島第一原発に行き、直接作業を手伝ってほしい。
たとえば先ほど第4原発で火災が起きたとき放射能のため消火したくても近寄れないということであったが、そこにホースを持って消火に行けばいいのである。あれだけ安全性を言うからには、放射能に関しての耐性があるのかもしれない。防護服もいらないだろう。

もちろん、そんなことはできない。素人が行っても意味がない。しかし、現実、今、そこで必死で作業しているたくさんの人がいる。

発した言葉は消せない。

同調圧力

久々・・・というかものすごく久々にブログである。ほぼ1年ぶり。
ブログを更新しなくなったのはよくある話でツイッターを始めたからである。
では、なぜツイッターにこれから書く内容を書かずにブログに書こうと思ったかというと、「これはツイッターに書けない」と思ったからである。
ツイッターは恐ろしい。
これまでも時々感じることはあったのだが、今回、かなりそれを思った。
ツイッターの場合、自分をフォローしている人のTLに自分がつぶやいたことが流れる。
気に入らなかったらリムれば(フォローからはずす)いいだけの話なのだが、そうはされずリプライが返ってくる。いや、リプライは別にいいのだ。
問題は、これまで自分をフォローしていなかった方が検索してリプライを返してきたり自分のツイートで晒してきたりする。
ツイッターは故に空気を読めなければならない。
まあ、あんまり空気を読んだツイートをしていないのだが、それはさておき、ツイッターは非常に同調圧力が高いのだ。

昨夜ツイートしようとしたのは、以下のような文面。

【電車の本数を減らすのはわかるが路線の運休はどうなのだろう。それは「死ね」ということなのではないのか。これだけの広範囲に散らばって人が生活しているところで。運休路線上に住んでいる人はかすみを食えと?】

リプライが返ってくるかどうかはわからない。単にスルーされるだけかも。まあ、フォローされている数も少ないのだが。
しかし、怖かったのは、同様なツイートがTL上には全く見られなかったことだ。
おそらく同様な意見を持たれた方も少なからずいるのではないかと思う。しかし、同調圧力が高くて発言できないのだ。個人のツイートなのに。
リプライとして想像される内容は、「今、停電している被災地域のことを考えろ」「東京電力だって好きで停電するわけじゃないんだぞ」「このような状況の時に自分たちのことだけ考えるのですね」「数日ぐらいはガマンしろよ」などというものだろうか。

首都圏に住んでいる人で車を持っていない人の割合は多い。自分もそうだが、車がなくても大丈夫なように鉄道インフラが整備されているのだ。また、現実、車で動くということは不可能な人口と通勤圏がこの地域に存在する。そう、鉄道が動かないということは、被災地域と同じく各駅が陸の孤島と化すということなのだ。会社を休日にすればいいという話が出ている。しかし、休日になるとその分だけ収入が減る人も多数この地域に存在している。休みや通勤自粛を語るのは、それこそ、富裕層の論理である。

しかし、これに関して意見はいろいろあるだろう。私は鉄道路線への電力確保は最優先にして電車は止めないということ前提に計画停電を行うべきだと思うが、これもまあ技術的に無理なことがあるのかもしれない。それはいい。

問題は、このようなツイートが非常にしにくいような気分である。
今回、散見された「非常時に関係ないツイートはするな」「議論するな」「・・・の気持ちを考えろ」「ガマンしろ」は、そのまま、太平洋戦争中に日本臣民を縛り付けた目に見えない鎖と同様なものである。日本人のメンタリティは戦前と全く変わっていない(それが必ずしも悪いものだというわけではない。ただ、変わっていないという認識は持っていた方がいい)。

過保護なメディア

今日、偶然、日曜洋画劇場の「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」を見ていたら、途中、登場人物のキャラクター名など(〜の娘など)が、字幕で表示されて出てきていた。最初の登場シーンではない。途中でである。

先日、「エンタの神様」のアンジャッシュのコントで、「障子の向こうで客が話している電話の内容に、外の店員が自分に言われていると勘違いして」というネタをやっていたのだが、そのコントに「人命救助の方法を話している」などとテロップが付いていた。それは、聞いていてばわかることである。

最近というか、もうずっと前から、テレビ番組でしゃべっている言葉に字幕がついていく割合が多くなっている。それは、聾唖者の人にとって便利であるということで肯定的に語られることが多いのだが、私は、あまり好きではない。
もちろん、字幕が必要な人がいるのは確かだが、今の字幕の氾濫はそのような趣旨に基づいてそれを選択しているとは思われない。

前述の2例は、その典型で、明らかな表現の上での過保護である。
音声で、ある情報が語られているのであれば、視聴者はその情報から聞き取ることが出来る。場所がわざわざテロップで出なくても、以前出たシーンや話の流れから想像できる。
全てが、文字情報として明示され、想像する余地をなくした表現ばかりを行っていたら、その表現は脆弱なものとなる。

いや、そもそも、テレビ自体が、もうずっと前からそのような低劣な表現メディアに成り下がっていると言われれば、その通りなのであるが、生まれた時からのテレビ好きとしては、そんな風になっていく流れは、悲しいものである。

あけましておめでとうございます

と・・・さすがに、12日になると、つらいですね。
帰京して一週間、昨年のあとしまつのような感じでいろいろやっておりました。
部屋のかたづけなどは、相変わらず滞っていますが、まあそれはゆるりと。
今年は、こちらのブログも少しずつ書いていこうと思います。

今年最初にはまった漫画は、「よつばと!あずまきよひこメディアワークス)」です。
今更と言われるかもしれませんが、まとめて読んだのは、初めてでした。
連載のを数編、読んではいましたが。
いやぁ、これはとんでもない傑作なのですね。
よく映画や児童文学、諸々の分野で、「子供の視点で描かれた」その巧みさが評価されるもの、いろいろ名作ありましたが、その多くを軽々と抜き去ってしまっちゃっていますね。

漫画、すごい

結構、ころころ変わるかもしれないけれど、今まで読んだ全漫画のベスト10に入る。
うん。

本で今読んでいるのが(いや、漫画も本だが)、「座談会昭和文学史(井上ひさし小森陽一編)」。
目から鱗落ちまくりです。これを読んでいたら、他の文学史ものは読まなくてもいいなぁ。
こういう本を読んでいると、小説書きたくなりますね。

あと一週間・コミケ・年賀状はあと1日

さて、今年もあと一週間。
速い。
皆さん、言われていることだが、なんと速いことだろう。
あと一週間と言えば、コミケの最終日に行く予定なのだが、こちらもあと一週間。
31日にコミケに行って、そのまま羽田空港に行って帰省の予定。
いわゆる、直帰というものである。
31日はさておき、29日の初日にどうするか、今、迷っているところ。
最終日はおそらく企業ブースには行けないだろう。
そうなると、初日に行っておきたい。
同人でも行ってみたいところがあるので。
さて、そうなると、どうするか・・・
並ぶか?
寒いぞ(笑)。
ちなみに、去年も並んだわけだが、さて、今年、どうするか。
他もいろいろ。
大掃除も終わっていない。
年賀状は、あと1日だ。
去年は、忙しすぎて年賀状書けなかったし。
今年は何とか書きたいな。

洗濯機降臨・冷蔵庫来襲・テレビは?

洗濯機がやって来た。
なんか、前の洗濯機の倍ぐらい内部が大きいので、すごくたくさん洗える。
うれしい。最初は一番安いのを買おうと思ったら、こちらの方が内部がステンレスで云々というかなり詳しい説明に見事に乗せられたわけであるが、まあ、よかったと思う。安かったし。
冷風乾燥というのを使ってみたら、時間はかかったが、干さなくてもいいぐらいに乾いたのには驚いた。本当は、乾燥機付きのをとも思っていたのだが、家の前にドラム式の乾燥機付きのを置くというのもちょっと異様なので今回は断念した。でも、ここまで乾けば、概ね満足。
冷蔵庫もやって来た。
展示品処分の奴で同型機よりも2万円近く安かったので購入したのだが、在庫が配送センターに一台だけあったとのことで、新品がやって来た。展示品処分と同じ値段である。もうかったなと思っていたら、最初に受け付けた年配の店員さんが、「新品があってよかったね」と声をかけてくれた。うれしかったのは確かだが、そのように声をかけられると何やら複雑である。
そもそも、今回は、洗濯機も冷蔵庫も、どちらも使っていたものを引き取ってもらったのだが、一応、システムとして、「程度のよい品なら、お金を払って引き取ります」と掲示がある。しかし、そもそも、引き取ってもらうという話をした時に、誰も、「程度はいかがですか?」と聞かなかった。
そんなに、ぎりぎりまで使うようにみえるのだろうか。
いや、実際、そうなのだが(笑)。
新品はいい。
そうそう。冷蔵庫で今回決め手になったのが、ドアの開く方向を変えれるという機種だったことがあった。これまで、右開きだったため、置く場所の都合で実に取り出しにくく、中で食品を死蔵することが多かったのである。買ってすぐに左開きに付け替え。これは、実に便利だ。技術の進歩はすごい。
それにしても、部屋まで入って、冷蔵庫を設置してもらったのだが、よく短期間でそこまでかたづいたものだ。と言っても、表のドアから入らないので庭の方から入れたのだが。配送業者の人が、そのあと、どのような部屋の感想を話しているだろうと想像すると・・・いや、想像してもしょうがない。
次は、テレビかな。
これで、三種の神器の買い換えとなるわけだが、さて。

復活・三種の神器・お休み

ふと気がつけば、一ヶ月以上更新していなかった。
いや、気づいていないわけではなかったのだが、とにかく、余裕がなかった。
今年はコミケに落ちたのでそちらの準備はなかったのだが、仕事が立て込み、休みがほとんどなかった。昨日も午前中から授業で帰ってきたのが夜11時である。
まあ、そんなこんなで、更新滞っていたのだが、復活。
できれば、毎日なんて思っているのだが、さて。

今日、ヤマダ電機に行ってきた。
洗濯機と冷蔵庫を購入。
洗濯機は脱水がとうとう全く機能しなくなった。冷蔵庫は冷凍庫が冷やせなくなった。
どちらも寿命であろう。
洗濯機も冷蔵庫も2万円台。大体、どれぐらいのものかは想像が付くと思う。
ちなみに、冷蔵庫は、28000円でエコポイント+リサイクルポイントが8000ポイント付く。正味、2万円。これは非常に割りが良い。
それにしても、店員が少ない。
広さはでかいデパートのワンフロアぐらいあるスペースなのに、店員はデパートの3分の1以下というところか。おまけに、その店員の半分は、メーカーから派遣されてきた人を店員として使っているものである。以前も問題になっていたが、あいかわらずである。ただ、そんな状況だが、店員の応対は非常にいい。言葉使いは、年齢問わず無茶苦茶(自分よりも一回り上で、敬語ぐちゃぐちゃだなぁ)であるが、一生懸命やっているって感じはある。

洗濯機はさておき、冷蔵庫がやってくる。
さて、その冷蔵庫がやってくるまでに、この部屋から冷蔵庫を運び出せるようにできるのであろうか。明日のお休みに全てがかかっている。