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椋箚記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2005-08-03

また体罰の話

 以前、常盤台剣友会という剣道の団体で子供に対する体罰が問題となり、私も取り上げたことがあった。(→「剣道にとっては悲惨な日」http://blog.drecom.jp/mukunokiy0725/archive/750、またこの件は『掃除寺夜話』というブログで継続的に書かれている文章があります。是非読んでほしい。「常盤台剣友会の事件のこと」、http://blogs.dion.ne.jp/bantoukoji/archives/472171.html

 今度は、中学校柔道部部員が亡くなる事故が起こった。当初体罰が原因ではないか、という論調の記事だったが、死因を調査した結果は熱中症に起因する心不全で直接の因果関係はない、という報道になっているようだ。(NIKKEI NETの記事、http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050803STXKD067803082005.html

 合気道でも、大学合気道部などで死者が出る事故は起きている。私の知っている例では頭を打っての脳挫傷などの例が多いような印象をもっているが、今後熱中症による同様の事件が起こることも想定して合宿などは行わなければならないだろうとおもう(単に給水の有無だけの問題でないようにもおもうので、短絡的にとらえてもいけないのだろうが)。

 それにしても、「気合が入って居なかったので平手で打ったり、足で蹴ったりした」という体罰はあったそうなのだが、体調不良と気持ちが入っていないのを見分けられない人物が指導に当たっていたというのは恐ろしいし、平手打ちや足蹴で気合が入れられるとおもっている柔道指導者が他にもいるのだろうかとおもうと恐ろしい。気持ちが入っていないままで武道武術稽古などすれば怪我につながるのは必至なので、指導しているものとしては気合を入れようとするのは必要なことである。ただ、平手打ちで気合を入れられるのはよほど信頼関係があるような場合に限られるのではないか。(それかアントニオ猪木さんとか、ね)

 優れた指導者は目線とか、声とか、もしかしたら居るということだけで回りに緊張感を与えられるものだろうとおもう。それができないからといって、小学生中学生に手を上げてよいはずはない。

bantoukojibantoukoji 2005/08/07 00:01 こんばんは。bantoukojiです。過日はコメントを頂きありがとうございました。
さて、体罰の理由として、「気合が入っていなかったから」という意味合いのことをどの事件でも指導者が口にします。
私の経験からいえば、本当に気合が入ってしまう指導方法は、指導者が死ぬほど厳しい稽古をやってみせることではないかと感じています。平手打ちも足蹴もいらない、己の背中が語ることくらい小学生だって感じ取れます。中学生なら意気に感じるくらいの魂があります。相手の子供がどうこうではなく、己がどうであるかではないでしょうか。真剣に己の心と子供に向かい合えば、子供を叩くという発想は生まれますまい。これは常盤台剣友会の事件に対しても感じていることです。
子供の心の弱い部分を鍛えてやろうと思うのなら、強い心とはどういうものなのか、まずは見せてあげることが必要だと思います。それをしないで体罰を行う事こそが、その指導者の心の弱さです。

mukunokiy0725mukunokiy0725 2005/08/07 16:10 bantoukoji様
コメント後も読ませて頂いております。ありがとうございます。
まず自分が示す、というのはその通りだと私も思います。しかもそれは普段からの積み重ねであって、「居るだけで緊張感を与えられるような」ということはそういうことを書きたかったのだろうと思います。
ただ、自分が普段からそういう積み重ねができているかというと足りていない部分がある。でも道場であったり学生の稽古であったりで、場の空気が緩んでしまっている時があって、それをけが人が出る前に何とかしようと大声出したりすごんでみたりいろいろすることはあります。それは反省しながらも、でも手を上げたり蹴ったりとは根本的に違うよなぁ、とおもい、書きました。

bantoukojibantoukoji 2005/08/07 20:51 むくのき様
存在感だけで緊張感をいじさせることができなくても指導しなくてはいけない、場の空気を締めなくてはいけないところに指導の難しさががあるということでしょうか。
私は指導者ではないので経験はありませんが、そのために体罰を与えるというのは、むくのき様同様おかしいと感じます。
実のところ、緩んだ空気で稽古したことはあります。そういう時、私の師匠は全員の稽古をすぐにやめさせ、師匠に合わせて素振りの稽古に変更になりました。もちろん、我々の振った数は師匠にとうてい及びませんでしたが。
私の意見はかなりきつめなのだと思います。それはそういう指導で育ってきたため、いつかそうなりたいという自己の願望があるためで、そこまでできていない自分を日々反省しています。
子供の稽古からも学ぶことがたくさんあると世間では言われますが、そういう自己反省のことを指すのではないかと思います。

mukunokiy0725mukunokiy0725 2005/08/13 17:59 bantoukoji様
> 私の師匠は全員の稽古をすぐにやめさせ、師匠に合わせて素振りの稽古に変更になりました。

よい事例を教えてくださいました。そういうふうに完全に「外して」しまうのも、怪我人を出さないための選択肢ですね。そのように指導されたら、分かる人間には面罵されるよりもこたえるのではないでしょうか。

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