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児島宮歴研会考古学講義

2019-01-11 神と称えられた『う帝』は児島宮と日本の天皇だった

児島宮は天神七代無予の後裔だった、初めてあかされた、児島宮の子孫は承久の乱北条義時に、隠岐島へ流された、後鳥羽上皇の子、頼任親王の末裔に今の児島宮はあたります。それだけではない、夏王朝の子孫無予越王は世界の神のルーツにあたります。

日本の天皇は、全てが、天皇ではありません。夏王朝の子孫無予、越国の祖と言われた無予王は、天皇の元祖になっていす。

今は、この越王の漢の武帝から、逃れた越王、これはビン越とも、呼ばれています。

最後の越王は、丑王とか八尾王、とか、いわれています、この八尾王といった方が、日本にはわかりやすい、でしょう。

この八尾王丑王は、筑紫で松延に宮殿、平山城と、書かれているのが、地域の有識者から、聞いていたのを、二十年ほど前に、覚えていたのが、近年三年ばかり前に、豊葦原国譲りから邪馬台国夜須へ、を出版した頃です。これをインターネッに取り上げた所、これを読んだと思われる、中国研究者か? 反響はすごく、遂に調査が行われ、河姆渡遺跡が、神話、日本の古事記のように、中国では、歴史は、何もないと、していたのが、発掘されたのが、今の中国の神と称えられた『う帝』の、祭の現天となって、います。神と称えられた『う帝』

後鳥羽上皇の末裔、頼任親王の子は、北条時政の長女、は佐々木盛綱の男と、結ばれ、生まれたのが、東寺長者道乗です。この方は、門跡の元祖に、なられた方で、全ての祭祀を取り持ったお方です。

大覚寺仁和寺高野山も、比叡山も、門跡として、当たられたお方でございます。明治二年まで門跡は続ていました。

今は宮内庁にあたりますが、全然関係ありません。

明治 革命により、明治二年、国と神は、明治政府により、奪われ、天皇まで、政府の用人が、天皇に据えられて、幕府終焉となりました。

今の皇室宮内庁は、神と国とは何の関係も、ありません。

神社も、全て、政府の、扱いとなり、かみまつりは、行われていないのが゜、現状です。

日本は、すべてが、取り変えられて、いるのです。

何も変わっていないように、見えますが、全てが、変わっているのです。

今の、司法の乱用は、警察は暴徒となり、神に反逆しています。全てが、国家変わっているのです。日常の生活が、偽の天皇宮内庁に、はざまれ、日本の安泰は、出来ないよう、になっているのは、国会選挙の横暴、警察の癒着で、検察は、他国の、人まで、干渉としているのは、国家にとっては、あまり良く、もないし、好ましくも、ありません。