業余思考記

2005-08-25

[] (2)戦後“実戦空手”のポストコロニアルな起源

 近代空手の歴史について、一次史料による“研究”とは言い難いが、本業の合間を見て少しずつ調べている。まとまったことが分ってから書こうと思っていたが、発見があった時々にメモを書いておかないと、忘れてしまうので、断片的でも書き残していきたい。

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 従来の型、寸止め中心だった伝統空手に対し、大山倍達が完全な独創によってより“実践(戦)”的な空手を考案したというフィクションは、極真空手のイメージの核心を為しているように思われる。しかし、より“実践(戦)”性を求めるという志向は、実際には幾つかのステップがあったと見るべきだろう。例えば、最近出た今野敏『義珍の拳』では(小説ではあるがかなり文献を渉猟して書かれている)、松涛館流の開祖であり、大山の最初の空手の師であもあった、富名腰(船越)義珍、義豪父子の間の、戦前期における空手の実戦性/実践性をめぐる葛藤が描かれている。“実戦/実践”とは何かという問いは、空手が日本本土に普及しだした1920年代以来度々問いかけられた問いであり、アカデミズムプラクティカル/アクチュアルをめぐる問いに通じるものを感じる。

 『空手バカ一代』では、実戦性を追求する大山が剣道の防具の如きものを採用するよう空手界の重鎮に訴え、拒絶されるシーンがある(1995年版2巻)。確かに1956年の『月刊空手道』創刊号における対談でも、大山は防具着用の試合形式を提唱しており、全くの嘘とも言えない。しかし、空手における防具の着用は、1928年頃から東大唐手研究会で始められており、戦後直後には韓武館という防具空手の団体が登場している。大山は韓武館九段下道場にも出入りしており、大山の発想は全くの独創とは言い難い。

 韓武館での防具着用は、東大唐手研究会とは直接の関係はなく、戦後GHQ占領政策で剣道が禁止されたため、不用になった剣道の防具を払い下げられたものを使用したようで、1946年には東京で韓武館主宰の防具組手大会が開催されている。

 韓武館は、戦後日本における防具空手/実戦空手の源流とも言える団体だが、ここで注目されるのは、韓武館の館長が尹曦炳という朝鮮韓国)人だったことだ。戦後“伝統派”空手の重鎮で、韓武館の師範も務めた金城(きんじょう)によれば、尹は1923年生まれ、「若い事業欲ある才人」であり、「彼が空手界にかかわった年月は短いけれど、残した業績は大きい」と評しているが、続けて、「このように書いても空手界の人はすぐには納得しないと思う」とも述べている(「解説『拳法概説』復刻をめぐって」)。

 大山の剛柔流空手の師である帖柄癲貿柱といい、大山(崔永宣)自身といい、戦後直後の空手界の立役者には、朝鮮系が多いようだ。ここには恐らく、かなり敏感な問題が含まれる。

 前出金城は、物資が欠乏した1946年頃、韓武館が戦後空手雑誌の走りとなるパンフレットを出版できたことについて(『Sports空手』の前身か?)、「尹館長が韓国籍で、当時第三国人として特権階級に属していたからである」と述べている(「「月刊空手道」復刻版によせて」)。この「第三国人」としての地位が、韓武館の全般に関わっていたかは分らないが、1950年頃、尹が韓国に帰国した後、その際に後援者となったのは、内外タイムス社長で、自身も中国拳法家だった台湾出身の蔡長庚という人物であり、その意味では一貫している。

 「第三国人として特権階級」というのが、単なるやっかみ以上に、実際どれほどの影響をもたらしたかは分らない。いずれにせよ、韓武館は尹の帰国後“錬”武館と改称し、1956年時点での回想では、韓武館の館長は“尼山氏”だったと記されている(『月刊空手道』創刊号)。現在の錬武館中野道場のHPにも、その前身の韓武館について書かれた部分には尹曦炳の名はなく、剛柔流の椎柱や大山が「顔を出していた」としか書かれていない。大山も1952年くらいまでは「崔永宣」と呼ばれることがあったようだが、『空手バカ一代』には大山のルーツについては片鱗も出てこない)。戦後の一時期の“実戦空手”界に果たした朝鮮/韓国人の役割は、公式の記憶から徐々に隠蔽され、現在フジテレビの格闘番組で連呼される「ニッポンの空手」、「空手母国ニッポン」などというイメージが整形されていったのだろう。

 一方で、余談になるが、尹曦炳氏は韓国帰国後、尹快炳の名でテコンドーの防具着用での競技化に一役買ったようだ。そこら辺、韓国語のできない筆者には確認しようがないが、テコンドーのルーツをめぐって、空手が起源だ、いや韓国の独自の文化だ、などという論争があるが(大山は前者の見解をことあるごとに吹聴している)、むしろ東アジアの戦後体制が出来上がってくる過程の中で、両者はルーツ(roots/routes)の一部を共有していたとは言えないだろうか。