仕事をやめた

彼女が突然仕事をやめた。
なんの前触れもなく、何の相談もなく、ただ「仕事をやめた」と彼女は言った。
ここのところの喫煙量の多さや、あれほどよく寝る彼女が僕よりも遅く寝て早く起きているから、何かおかしいとは感じていた。
彼女が辞めたといえば、もう辞めたのだ。
僕がとやかく言えることではない。
僕は本来この立場であれば、彼女の失業を悲しむべきであるはずなのだが、内心嬉しかったというのが正直なところ。
彼女にもそのことは当然ばれていて「何嬉しそうにしてるのよ」としっかり言われてしまった。
その日僕たちはセックスをした。珍しく彼女の方からそれを求め、僕を抱きしめたのだ。
いつもより親密な前戯のあと、彼女はいつものように顔をシーツで隠してセックスをした。
それは突然にやってきた。
突然声のトーンが変わり、彼女から今までに聞いたことのない静かで、低い嗚咽が漏れる。
最初それがなんなのか僕にはわからなかったが、僕が無理やりに彼女からシーツを奪うと、はっきりわかった。
彼女は泣いていたのだ。
シーツを失った彼女は、セックスの最中絶対に開くことのなかった目をしっかり開いて僕の顔に向け、僕の顔をパーツ一つ一つを確認するかのようにゆっくりなでたあと、僕から離れ、浮き上がらせた頭をベットに戻し腕で顔を隠した。
僕はこの先どういう風にこのセックスを着地したらいいものか、迷ったが、彼女が何も言わなかったのでそのまま続けることにした。
静かで低い嗚咽は、いったん止まったあとまた短く起こり。また止まる。
それを2、3度繰り返したあと、彼女の口から小さく「もういや」と漏れた。
僕はそこでセックスを中断し、静かに彼女から引き抜いた。
「違うの、いいの」とあわてて繰り返す彼女を、彼女の横に添い寝をするように体を横に倒し、やわらかく腕の中に収めると、今度は彼女は激しく泣いた。
僕の胸に顔を押し付けて、僕からは顔が見えないようにして泣いた。
低い嗚咽は半オクターブくらい高くなり、彼女の肩は小さな振動を繰り返す。
それは5分だったか10分だったか、思っていたよりもずっと早く終わり、彼女はすっと体を起こして僕から離れた。
「息ができない」もう普通の声に戻った彼女がそう言って、セックスの後片付けに使用されるはずだったティッシュで勢いよく鼻をかんだ。
その仕草には、さっきまでのような線の細い弱さは微塵もなく、いつもの彼女の強気な態度に戻っている。
ベットから放り投げたティッシュが、落下したフローリングの床に水分の重さを知らせる音を出す。
「射精しなかったの? もったいない」
彼女はクールにそういうと、僕から離れて背を向けて横になり、布団をかぶってそのまま寝た。
僕は彼女の他人に付け入るすきを与えない強固な姿勢がかわいいと思う。
線の細い、弱いままでいれば女としてのかわいさを僕に見せることができるのに、それをさっさと捨てて強気に振舞う彼女の彼女らしさが好きだと思う。