緩衝の誕生

承前


ここ1〜2年で話題になった駅舎は、やはり東京駅と大阪駅という「東西両横綱」という事になるのだろう。2011年の5月4日に5代目駅舎となって「グランドオープン」した大阪駅(大阪ステーションシティ)は、プラットフォームを覆うドーム型屋根が話題だったりするらしい。一方の東京駅は、2012年10月1日に「グランドオープン」した、辰野金吾(と葛西萬司)設計による中央停車場の「赤レンガ(鉄筋レンガ造り)」駅舎の復原事業が話題だったりするらしい。そのいずれもが「19世紀」的な建築物であると言えるだろう。その意味で双方共に「昔懐かし」の「レトロ建築」である。


1914年12月18日開業(直前の12月5日に「中央停車場」から「東京駅」に改名)と言うから、すっかり20世紀に入って建てられた東京駅の丸の内駅舎ではある。それが1889年開業のオランダ・アムステルダム中央駅(Station Amsterdam Centraal)に直接「インスパイア」されたかどうかなどという「専門」的な話はどうでも良いとしても、しかしその設計の視線の向こうにアムステルダム中央駅にも見られる「19世紀ヨーロッパ」的なものが横たわっているというのは否定し難い。


ロバート・スティーブンソン(Robert Stephenson)のロンドン・アンド・バーミンガム鉄道(London and Birmingham Railway)の終着駅として、1837年7月20日に開業したのが、ユーストン駅(Euston Station)である。現在のユーストン駅舎は「インターナショナル・モダン・スタイル」だが、初代の駅舎は、フィリップ・ハードウィック(Philip Hardwick)設計による「古典主義」的なものである。その最も有名な建築物に、「ユーストンアーチ」として知られる、ドーリア式プロピュライアがあり、それは、身も蓋も無く言えば、なんちゃってギリシャ建築である。そして後年フィリップ・ハードウィックの息子、フィリップ・チャールズ・ハードウィック(Philip Charles Hardwick)によって、これもまた「古典主義」に基づいた「グレート・ホール」が作られる。19世紀は、こうした擬古典(リヴァイヴァル=なんちゃって古典)様式が流行した時期でもある。





モネやマネの絵で知られるサン=ラザール駅もまた、その駅舎はなんちゃって古典様式であり、そして東京駅と関連付けられる事が多いアムステルダム中央駅もそうだったりする。




その意味で、赤レンガに白い花崗岩を巡らせた、なんちゃってクィーン・アン様式、なんちゃってヴィクトリアン・ゴシック様式を加味した、なんちゃってルネサンス様式の東京駅は、20世紀極東に於ける「遅れてきた19世紀」建築の立派過ぎる物件である。事実、東京駅を「ドイツ工作連盟」と同時期の「20世紀建築」などとは誰も思ってはいないだろう。その意味で、東京駅は二重の意味で大時代的な「レトロ」であり、また2012年に再び、重畳的な「レトロ」の「レトロ」として復原されたのである。いずれにしても、銅板装飾部分の造形に象徴される表層的意匠も含め、東京駅は「レトロ」として理解し易いものだ。


一方で大阪ステーションシティの大屋根が「19世紀」的であるというのは、それが隠し様も無くあの1851年のロンドンでの第1回万国博覧会のパビリオン建築である「水晶宮(Crystal Palace)」の末裔であるからだ。




そもそも鉄とガラスの工業的構造物は、鉄道との親和性が高い。鉄道とガラス建築は、共に産業革命の飛躍的な工業生産力増大のシンボル的存在である。1889年にパリでの第4回万国博覧会で建設されたエッフェル塔もまた、「1889年の万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、金属産業の独創的傑作として出現しなければならない」アイコンとして、産業革命の「19世紀」を表象する。産業革命の代表者の一つである鉄道には、こうしたガラス建築が極めて似合う。建築材料的な制約の大きい石造建築に比して、凡そ屋根のある空間の収容能力を飛躍的に倍加させる合理的施工と、それがもたらす空間自体の飛躍的拡大の欲望という意味で、丹下健三氏の1970年の大阪万博の大屋根や、1967年のバックミンスター・フラー氏のモントリオール万博のフラードーム同様、広大な空に代わる巨大な構造物の大阪ステーションシティの大屋根もまた、「合理性」を最優先する「19世紀」的なものに繋がる「レトロ」なのである。そして人々は「大空」の「広大」よりも、人工物である「大屋根」の「巨大」、「工業の勝利」に感嘆するのだ。


市街に向いている駅舎は宮殿風な東京駅だが、しかし一旦プラットフォームに出ると、そこは鉄骨で構成された世界に一変する。そこは「宮殿」とは程遠い世界になる。




それは何も東京駅だけに限った話ではなく、大時代的な宮殿風の駅舎と、近代的な鉄骨で構成された駅構内の分裂的な建築様式の同居は、ユーストン駅やサン=ラザール駅やアムステルダム中央駅を含むヨーロッパのどの駅にも見られるものだ。





仮にフランツ・バルツァー(Franz Baltzer)の案が通って、東京駅の駅舎が和風建築風(「赤毛の島田髷辰野金吾評)になっていたとしても、それでもプラットフォームは、やはり木や紙ではなく剥き出しの鉄骨が支配する場だっだろう。



では何故に、19世紀のヨーロッパから、20世紀の極東の島国に至るまで、鉄道の駅舎はホームと同じ、19世紀から20世紀の支配的美学でもある、剥き出しの構造が支配する建築ではなく、「なんちゃって宮殿」のスキンを被っているのだろうか。



大阪ステーションシティのガラスと鉄骨の「大屋根」は、何故に「インターナショナル・モダン・スタイル」の退屈極まりない駅舎建築にサンドイッチされ、梅田の街から見えない様に遮断されているのだろうか。



東京駅の「なんちゃって宮殿」も、大阪駅の「なんちゃって国際様式」も、それらは何から何を守る「緩衝材」なのだろうか。

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"20th century iconic chair" で画像検索すると、こういう画像に行き着いた。



http://tobeateder.files.wordpress.com/2012/06/chair.jpg


極めて粗略に言えば、20世紀のチェアデザインは、装飾の排除であると同時に、「詰め物」=「緩衝材」の排除でもある。20世紀チェアデザインに於いて、「詰め物」を施した例が皆無な訳では無いが、しかしそれは幾らか「修正主義」の様に見られている事は確かだろう。20世紀のチェアデザインは、それが工業の産物である事を、使用者に思い出させるデザインであると言える。そこでは工業以外の要素はノイズでしか無いのだ。


しかしこれら "20th century iconic chair" のどれでも構わないが、それを鉄道車輌にそのまま搭載したらどうだろうか。例えば新幹線N700系や通勤列車の座席(待合室のそれではない)が、「リートフェルト」や「イームズ」や「アールニオ」であったとしたら。鉄道車輌の外観が、「工業デザイン」的に「洗練」の「先端」を行くのであれば、当然その「椅子」も「工業デザイン」の「洗練」の「先端」でなければならない筈なのであるが、しかし実際には鉄道車輌の座席には、これ以上無い程に「修正主義」的に「コンフォータブル」な「詰め物」がされていなければならない。住宅内では魅力的に見えるデザインでも、鉄道車輌(及び自動車や航空機といった移動体)という環境に於いては全くその限りでは無い。即ち住宅的な文脈で「無駄を排した」椅子のデザインこそが、鉄道車輌では最も「無駄」な椅子のデザインなのである。


輸送産業が販売しているのは、場所の移動それ自体である。生産される有用な効果は、輸送過程、即ち輸送産業の生産過程と、不可分に結び付けられている。人間も商品も、輸送手段と共に旅をする。そして、この輸送手段の旅、輸送手段の場所の移動が、まさしく輸送手段によって生じる生産過程なのである。その有用な効果は、生産過程の中でのみ消費され得る。つまり、その有用な効果は、この過程と異なる形の実用品ーー即ち、その生産後に初めて取引物品として機能し、商品として流通する実用品ーーとしては存在しないのだ。


カール・マルクス資本論


鉄道車輌は乗客を工業化させる。その動揺と振動は、乗客が鉄道車輌に閉じ込められている最中は、相当数の筋肉が絶えず緊張状態に置かれている事を示している。19世紀の機関士は、常に爪先立ちを強いられていた。彼等の筋肉のみが、ショック・アブゾーバーであった。時は移っても、21世紀の鉄道の乗客にあってすら、車輌中に立っている(立たされている)時には、彼等は裏も表も無く「荷物」扱いである。合理的な輸送の立場からすれば、通勤時間には座席を折り畳んで、「一人でも多くのお客様」とされる「一つでも多くの荷物」を車輌内に立たせ、詰め込めるだけ詰め込むのが「正義」であるし、「荷物」としての通勤時間帯の乗客もまた、それを自ら望んでいたりもする。しかし通勤時間が過ぎ、それを降ろす事を許された「詰め物」がされた座席に座れば、乗客は「荷物」とは多少なりとも区別され、そこに「人間」としての「扱い」が生じたりもする。しかし本来鉄道が売るものは、「詰め物」によって得られる幾許かの「実用品」的な「快適」では無く、単純に「場所の移動」そのもの、即ち工業的なものなのである。そしてそこでは、住宅的な「工業に思いを馳せる」デザインは、単純に「悪」でしか無いのである。


潤沢に「詰め物」がされた座席が奢られたグリーン車は、乗客自らが、工業的なラインに乗る「荷物」である事を忘れさせてくれる。グリーン料金は「荷物扱いを忘れさせてくれる料金」の別名である。そこまで行かなくても、通勤列車にあってさえ "20th century iconic chair" 的な世界からは、侮蔑的にも扱われる「モケット地」の椅子は、「剥き出し」の工業世界からの「緩衝材」になり得る。そして、鉄道車輌のシートの「詰め物」同様、東京駅の「なんちゃって宮殿」、或いは大阪駅の「なんちゃって国際様式」は、共に工業的な「ショック(この語は「敵との戦力の遭遇、同様に二人の馬上の戦士の衝突」という「軍事用語」に由来する)」からの「緩衝材」であると言えるだろう。大阪駅は退屈なデザインの駅舎で工業の「ショック」から梅田の街を守り、東京駅は鉄骨の上に被せたペラペラのスキンで、丸の内及びその背後に存在している「空虚な中心」を工業の「ショック」から守るのである。

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「オカンアート」という語は、勿論侮蔑語である。その語を使用するのは、常に「オカンアート」の外部に位置している者である。「オカンアート」の当事者は、自らの「創作」活動を「手芸」としか呼ばない。だからこそ、「ユザワヤ」には「オカンアート・コーナー」なるものが存在していないのだし、これから先も存在する事は無いだろう。


「手芸」関係のサイトに行くと、例外無く「心をこめる」が決まり文句であったりする。その一方で、「心がこもっていない」ものとして認識されているのは、例えばそのままのドアノブであったり、そのままのトイレットペーパーのフォルダであったり、そのままのティッシュの箱だったりする。当然これらの「そのまま」は、全てが工業製品であり、それらは「20世紀工業デザイン」の「正義」の延長上にある。つまり「オカンアート」もとい「手芸」は、そうした「工業」の「正義」に対する「アンチ」の立場に位置しているのであるとも言えるだろう。であればこそ、産業革命以前に「手芸」、即ち「オカンアート」というのはあり得なかったのである。


「手芸」のドアノブ・カバーにしても、トイレットペーパーフォルダ・カバーにしても、ティッシュボックスカバーや、ポケットティッシュカバーにしても、それらは「20世紀工業デザイン」の観点からすれば、必要以上に「モコモコ」である。しかし何故に、「オカンアート」もとい「手芸」は「モコモコ」なのだろうか。「心をこめる」の方向性は、何故に「モコモコ」になってしまうのだろうか。


いずれにしても、それら「手芸」の「モコモコ」は、東京駅の「なんちゃって宮殿」や、大阪駅の「なんちゃって国際様式」や、鉄道車輌内の座席の「詰め物」にも相当する「緩衝材」の一つなのであろう。であるならば、東京駅の「なんちゃって宮殿」や、大阪駅の「なんちゃって国際様式」や、鉄道車輌内の座席の「詰め物」は、既に「オカンアート」的な「モコモコ」なのだろうか。そうかもしれない。


リートフェルト」や「イームズ」や「アールニオ」といった「工業」の「正義」を包む「オカンアート」。何だかゾワッとしてくるではないか。


【了】

風が吹けば桶屋が儲かる(再)

あちらこちらから時間と交通費数万円を掻き集めて、ようやく東京都現代美術館を再訪する機会を得た。前回実質45分の駆け足で見た「MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展(以下「風」展とする)の「リベンジ」が主な目的になる。この展覧会だけで4時間半を費やした。日本の美術館の場合、一旦入ったが最後、再入場を認めないシステムである為に、11時から入った自分は昼食を抜いた。会場から「出られた」のは15時半。だからと言って「食事を一回抜いてでも見るべき展覧会」などと言う気は毛頭無い。展覧会>食事というのは一つの価値観ではあるが、食事>展覧会もまた否定するべきも無い堂々たる価値観である。そういう訳で、展覧会の後半は、血糖値が低くなった状態で見た。血糖値が低いので、脳の働きも弱かったかもしれない。最後の最後の「雰囲気」のある展示の前で、関所の門番の様な人から「これをして下さい」と指示された頃には、回るべきところに回る血の巡りが悪かったと今なら思えたりもする。


「風」展(及び「アートと音楽−新たな共感覚をもとめて」展)の直前の当館の企画展は、「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」だった。10月初旬に同館を訪れた際には、課外授業の大勢の小学生に紛れての観覧になった。しかし「風」展の二度の観覧では、そうした場面には遭遇しなかった。「風」展を小学校の課外授業で訪れるという事実が存在するのかどうかは兎も角、少なくともこれは、相対的に子供向きの展示で無いとは言えるだろう。従って会場に子供の姿は殆ど見えなかったし、美術館も子供向けの刷り物を用意している訳では無い。


改めて言うまでもなく、この展覧会は「美術」という「ゲーム」が「存在」する事を「知っている」大人の為の展覧会である。「美術」という「ゲーム」が「存在」する事を「知らない」大人も含め、「美術」の「存在」に、そもそも興味が無い子供の為の展覧会では無い。仮に自分が「子供の頃から今の最前線の美術を体験させなくてはならない」といった類の使命感に燃えている小学校の教師か何かで、数十人の小学生を引率して同展を「鑑賞」するカリキュラムを組んでしまったとしても、最初から最後まで一通り見るのに数時間を要する同展を、数十人の小学生に「自発」的な形で、しかも飲食を一切抜きで「鑑賞」させる自信は全く無いし、その為の言葉を持ち合わせている訳でも無い。例えば「風」展の「展覧会概要」を、「子供語(子供が「理解」出来る言葉)」にトランスレートする事は、至難の業になるだろう。


恐らくそれをトランスレートする以前に、「美術」というものを「知っている」大人の間で、同展を巡る「争点(大人は「美術」という「ゲーム」で「争ったり」もするのである)」にならざるを得ない、「美術とは何か(作者とは何か、作品とは何か)」といった、恐らく永久に「解決」が遅延され続ける「アポリア」に関するレクチャーを挟まねばならず、しかしこの「美術とは何か」を子供に説明するのは、それ自体が大人相手以上にゴニョゴニョ、グダグダになるに違い無い。同展に出品された「作品」にも見られる様に、トランスレートという作業は、トランスレーターその人を表してしまう事もある。しかもこの場合は、「大人語」→「子供語」になるのだ。果たして「大人語」の「美術」を、どう「子供語」に訳したら良いものだろうか。一番簡単なのは、そのまま「びじゅつ」とひらがなで表して、それで一件落着とする事だろう。しかしそれは、同時にトランスレートの全面的な「敗北」を意味する事になる。その一方で、或る意味で、これ迄の「美術」に於けるトランスレートの最大の「勝利」は、 "art" を「美術」としてしまった事かもしれない。


子供の内の何人かは、同展の特定の「ディテール」に興味を持ち、それを面白いと思う事もあるだろう。しかし彼等は、その「ディテール」への興味津々と「びじゅつ」とを、決して結び付けたりはしない。それ以前に、その「ディテール」のほぼ全ては、触れたり、手に取ったり、壊したりする事が禁じられている。彼等が触れる、手に取る、壊したりするその度に、「びじゅつとはなにか」のインストラクションが行われねばならなくなる。噛んでいるガムを捨てようとして、会場内のゴミ箱に足を運んでも、そこには「ここにゴミを捨ててはいけません」的な内容が書かれたスチレンボードが貼り付けてあったりするのである。その際、そのゴミ箱の前で、ゴミ箱であるのに何故そこにゴミを捨ててはならないのかの、「びじゅつとはなにか」を絡めての「理由」の説明がどうしても必要になる。場合によっては、「このゴミ箱は作者のもの」とか「作品以外のものを入れたらみんなが困るでしょ」などと言わねばならないかもしれない。そしてそこでまた、「作者」とは何か、「作品」とは何か、「みんな」とは何か、「困る」とは何か等々を、「子供語」にトランスレートしなければならないという面倒な羽目に陥るのである。


いずれにしても、次の瞬間には「美術」という「善と悪の知恵の樹(the tree of knowledge of good and evil)」の「禁断の実(fruit of the forbidden tree)」を食べていないが故に、「美術」という「善」の「内」も「外」も「知らない」子供は、同展の文字通りの「外」に、しかも「美術」とは全く関わりの無い形で興味が移ってしまうだろう。「内」を「知らない」が故に、彼等はいとも簡単に「外」に「出られて」しまう。最良の方法にも思えるミュージアムショップ内の「おともだちのえ」で興味を繋がせようとしても、彼等は「禁断の実」を食べた大人の様には「おともだち(他人)のえ」に対して興味を持続させる事が無いかもしれない。


この会場の中で、彼等が一番楽しみを見出だせそうなのは、「何もない部屋」のエリアであるとも思える。そこでは、はしゃぎ回っても良さそうな気になれるからだ。会場内で、唯一「監視員」がいない(ここに「監視員」がいたらどうだろうか)という事もあるだろう。しかし「何もない部屋」でも、それでも引率教員によって、「美術」がインストラクションされるかもしれない。「何もない部屋でもはしゃぎ回ってはいけない。それよりも美術館の部屋に何もないという事を考えてみよう」。引率教員は「狡猾な蛇」になるしか無いのだろうか。

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二度目の観覧に至る迄の高速鉄道の車中、「風」展の出品作家の一人によって纏められている togetterMOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展@東京都現代美術館(編集可能)」と、「美術手帖」1月号「会田誠」特集誌に掲載された、沢山遼氏による「主体の編集」を読み返していた。そして、連ツイでもギリギリ許されるだろう文章量の沢山氏の「レビュー」を、140文字ずつチョップして、この togetter に挿入してみたらどうだろうかと、戯れに想像してみたりもした。


この「纏め(及び沢山氏「レビュー」)」は、美術館外の「作品」として極めて興味深いものである。そこでは「風」展を巡って、「禁断の実」を食べた大人が、その「善」と「悪」について語っている。「禁断の実」は「善と悪の知恵の樹」の実であり、従ってそれは「善」や「悪」を知る実でもある。そしてここでも「美術」に関する「善」と「悪」を「知らない」子供は不在である。


但し気を付けておかなければならないのは、「美術」は「ゲーム」の一つである為に、その「善」と「悪」は、 "good" と "evil" なのではなく、寧ろ例えば Excel の「IF」関数に於ける "TRUE" と "FALSE" の様に、条件分岐的なものかもしれないという事だ。即ち「美術」に於ける「善と悪の知恵の樹」は、実際には "the tree of knowledge of true and false" という意味なのかもしれず、そうであれば、その「善」と「悪」は "=IF(A2<=100,"予算内","予算超過")" の如くに使用するものであろう。展覧会の各部屋(セル)は、相互に関数で関連付けられ、或いは外部参照されているのかもしれないとする事もまた可能だろうか。


この togetter 「纏め」に、語られている対象である、同展に出品した「作者」が「不在」であれば、それは美術館内で上映されている映像作品にも似たものになるかもしれない。「不在」の「中心」で思い出されるのは、ロラン・バルトの「表徴の帝国」の「中心 - 都市 空虚の中心」節の中にある、以下の有名過ぎる一節である。その一節の周辺を含め、長文だが引く事にする。文中のそれぞれの語句に、それぞれが今日の「美術」に関して「知っている」何かを代入すれば、それは「風」展への「言及」たり得るかもしれない。


……じつに数多くの(歴史的、経済的、宗教的、軍事的な)理由によって、西欧は十二分にすぎるくらいにこの法則、つまりはいっさいの西欧の都市が同心円的であるという法則を、心得ぬいていた。だがまた、いっさいの中心は真理の場であるとする西欧の形而上学そのものに適応して、わたしたちの都市の中心はつねに《充実》している。……(略)……中心へゆくこと、それは社会の《真理》に出会うことである。それは、《現実》のみごとな充実に参加することである。
 わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防御されていて、文字どおり誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市全体がめぐっている。……(略)……この円の低い頂点、不可視性の可視的な形、これは聖なる《無》をかくしている。現代の最も強大な二大都市の一つであるこの首都は、城壁と壕水と屋根と樹木との不透明な環のまわりに造られているのだが、しかしその中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。このようにして、空虚な主体にそって、〔非現実的で〕想像的な世界が迂回してはまた方向を変えながら、循環しつつ広がっているのである。


通常、その「緑に蔽われ、お濠によって防御されていて、文字どおり誰からも見られることのない」中心におられる止事無き御方は「発言」をされない。年初にバルコニーから発せられる「御言葉」、或いは年末の誕生日に発せられる「御言葉」位しか、一般的には知り得ないところがある。それらの「御言葉」は、バルトの言う「わたしたち」=西欧的な《充実》ではないかもしれない。その御方が、仮にツイッターアカウントを取得され、その結果対話可能な可視的なものとして、@に続けての「返信」すら可能になってしまう事を想像してみる。果たしてその可視的なものになった「御つぶやき」の扱いは、如何なるものになるであろうか。


いずれにしても、この@「風」展 togetter に於ける「作者」の「つぶやき」は、想像され得る止事無き御方の「御つぶやき」の様には「不可侵」なものとはされていない様だ。それらは「作者」以外の「つぶやき」と併存的である様にすら見える。恐らく、そこに「作者が参加していない」という可視的/不可視的な「作者の不在」以上の、「作者が参加しているにも拘わらず『作者』として扱われてはいない」といった「作者の不在」なのだろう。対話可能な可視的なものとしての、@に続けての「返信」すら可能になってしまう「作者」という存在。「マンセー」から「ディス」までを含む諸発言の中に挟まれた「作者」の発言。だからこそ、この togetter は興味深いのである。そして、少なくともここに「監視員」はいない。

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念為だが、これは「風」展に対する "disrespect" ではない。また同時に "respect" でもない。例えば「個々の作家や展覧会はどうするべきだっただろうか」などという問題が発生するにしても、それに対しては「カリフォルニア人になって、油絵でも描けば良い」位の事しか言えないのである。そうした「無責任」なアプローチこそが、「責任」の最高の形なのだとも愚考する。それは「作者」という「他人」に対して、「無責任」な事をしか言える筈も無い自分自身に対する「責任」なのである。


「残念ながら…」で結ばれる沢山氏の「レビュー」が、「ディスリスペクト」なのか、「サジェスチョン」なのか、「エデュケーション」なのか、「インストラクション」なのか、或いは他の何かなのかは判らないにしても(判らなくても一向に構わないのだが)、いずれにしても「個々の作家や展覧会はどうするべきだっただろうか」の圏内に存在しているとは言える。そして、時に「職業倫理」や「商業倫理」すらインクルードされてしまうその「個々の作家や展覧会はどうするべきだっただろうか」に対する「正解」は、「作者」という「観客」にとっての「他人」の側にではなく、それぞれの「観客」の「私」の中にこそあるのだろう。成程、確かに「私」は強力である。「作者」が「私」を「乗り越える」のは困難だ。しかし「観客」がそれぞれの「私」を「乗り越える」のは、「作者」以上に極めて困難なのである。「美術」の「アポリア」などとされている代物は、こうした「観客」が持ち続ける「私」の存在こそが遅延させているとも言えるだろう。


風に対して "disrespect" したり "respect" したりする事は、極めて無意味な事であるかもしれない。子供に「個々の作家や展覧会はどうするべきだっただろうか」と聞けば、「しらな〜い」という答えが返ってくるかもしれない。現実的な気象の風は、老若男女、国籍や民族等を問わず、誰にでも同じ様に吹くだろうが、メタフォリカルな「風」は、誰にでも同じ様に吹く訳では無い。石原良純の様な人が「今日は大風が吹きます」と言っているのを聞けば、風が吹く前から目を瞑ってしまう人もいるだろう。そして「石原良純」が言った様に大風が吹かなければ、「石原良純」に対する「責任論」が噴出したりもするのである。