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2007-02-03 痩せた背中 鷺沢 萠 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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痩せた背中 鷺沢 萠

主人公はオイサンと呼んでいた父親の葬式に出席するため、久方振りに故郷高崎に帰る。家に戻ると、オイサンの女がいた。オイサンは主人公の母親と死別した後何人もの女を垂らしこんでいたが、主人公と三人で暮らした女は一人だけだった。その女は、隣町の床屋で働く20歳くらいの女で、オイサンと親子位年の離れた若かった。主人公はその女が美しかったこともあり親しくするようになる。その女はそれまで身寄りが誰一人なく、初めて自分に優しく接してくれたのがオイサンだと言う。女は学がなく文字も読めなかったが、オイサンに気に入られようと家事にいそしむのだった。ところが、オイサンの悪い癖がまた出てしまい別の女を作ってしまう。その頃から、主人公は女の精神が壊れていく姿を目にしていく。ある日、オイサンはいつものように帰ってこなく待っているうちに寝てしまった主人公。目覚めると既に明け方になっていて、立ち上がって玄関に行ってもオイサンの靴はない。玄関前の襖をあけると布団の上で花柄の浴衣羽織った痩せた背中が剥き出しになっている。手元は血で染まりその脇にはかみそりが。

女が廃人寸前になり、オイサンは自分の非を認め改心し常に女につき切りになって面倒をみるのだったが、やがてそのオイサンも心臓病の発作に冒されるようになる。

タイトル通り、父親の若い彼女の精神がおかしくなっていき自殺未遂をした時に主人公が見た女の痩せた背中もさることながら、女が精神を病んでいく過程で仕事にも出なくなってずっと家にいつづけるようになり、主人公が学校から帰ってくると机の前で前かがみになっているので近づいてみると、指の先ほどの小さな千羽鶴を折っていたり、温和でのんびりやさんの性格の女が野良犬に父親用のご飯を投げつける姿は鬼気迫るものを感じさせる。それは、芥川龍之介の作品に通ずるところがあり、人間の心の奥底に潜む巨大な想像力を感じさせると同時に巨大な底知れない闇をも感じさせる。

これまで、鷺沢 萠という作家の作品を読んだこともなかったし、意識したこともなかったので初めて調べてみた。するとウィキペデイアにこう書かれていた。十代の時、高校三年生で文学界新人賞を受賞した後、数々の作品を残す。自らの家庭を取材するなか父親の祖母が韓国人だと知り韓国留学した経験もある。そして、2004年4月11日、自宅トイレで首を吊りその生涯を閉じた。享年35歳だという。

才能が精神の器を越えて零れだしてしまったのだろうか。しかし、才能ある数少ない人間にしか書くことのできない孤独というものを見事に書ききったこの作品は素晴らしいの一言につきる。


最近柳美里フルハウスを読んだ。在日文学の旗手として柳 美里が騒がれていた頃、フルハウスを流し読みしたことがあったがほとんど印象に残っていなかった。当時は世間の在日文学という評価が邪魔していたのかもしれないが、ある意味色眼鏡をかけて見ていたのだろう。改めて読んでみると堅苦しい事関係なく素直に面白いと感じた。

昔、伊集院静の作品を読んで同じ事を思ったことがあるのだが、韓国の理想の(?)男性像は日本光源氏に代表される優男とは正反対で、無骨で男臭い印象がある。上述した三作家が描いた父親像にはそんな共通点があるように思える。



第78回 文学界新人賞  ファーストブルース 松尾光治

親の都合でロスアンゼルス郊外の中流家庭の家が立ち並ぶ街で学生生活を送った主人公の日本人黒人女の子と知り合い、そして初体験をして性病をうつされるという出来事を思い出話のように振り返っている話。白人たちが多い街に育った彼は黒人の女の子と付き合うことで、親や白人から白い眼で見られると同時に、黒人の彼女からも肌の色が違うということを何を意味するのかということを教えられるのだが。ただ、主人公が好きになる女の子の肌が黒いことを常に気にしていて、最終的には肌が黒いことを理由に彼女の人間性まで疑うというほどの差別意識アメリカ青春を送った若者のひと夏の思い出というさわやかな話の中で人種差別を軽く扱うことで、人種差別の根深さというより作者の人種差別に対する浅はかさみたいなものが感じられた。アメリカにおける黒人に対する白人の意識だけではなく、日本人の主人公が無意識のうちに人種差別に加担しているせいで、読み終わるとさわやかな青春小説というより人種差別小説という印象が徐々に強くなってきた。十年前とはいえ、この作品に新人賞を与えるのはいかがなものかと。人種差別といったシビアな問題を取り上げる場合、被害者加害者立場を掘り下げて問題意識を明確にした上でないと、人種差別を否定するだけでなく書き手自らが己を否定することに繋がると感じた。人にされて嫌なことは、やはり人にすべきではないという正論だがごく当たり前の意識は持ってしかるべきだと思った。セリーヌのように退廃的な意識と反ユダヤ主義を結びつけて独自の作風を作り上げた人もいるが、その交換として手に入れたものは母国フランスから追放される運命だったわけだが・・とはいえ、セリーヌの小説の主人公にはセリーヌの愛が感じられるが、この小説の主人公には作者の愛が感じられない。単純に心理や性格、感情描写が足りないだけなのかもしれない。もしかすると、これが苦々しい気分にさせられた理由なのかもしれない。


by文芸誌ムセイオン

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第76回 文学界新人賞 無人車  高林杳子  

運転手のいない車という幻覚とも現実ともつかない白昼夢を見る女の主人公の話。

あやあや 2016/10/24 03:13 この作品での千羽鶴の役割は何だと思いますか?
また、町子がオイサンの葬式で鶴を持ってきておいさんになにを伝えようとしたのだとおもいますか?

あやあや 2016/10/24 03:13 この作品での千羽鶴の役割は何だと思いますか?
また、町子がオイサンの葬式で鶴を持ってきておいさんになにを伝えようとしたのだとおもいますか?

あやあや 2016/10/24 03:13 この作品での千羽鶴の役割は何だと思いますか?
また、町子がオイサンの葬式で鶴を持ってきておいさんになにを伝えようとしたのだとおもいますか?

2007-02-01 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第79回 文学界新人賞 マイナス因子  木村

若い女の子二人が、日常への苛立ちやら未来への不安を募らせながら、その果てに心中するというお話。サガン悲しみよこんにちは以来続く女の子小説の典型的なスタイルで書かれている。若い女の子の日記、今で言うとブログを読む感覚に近い。精神的に不安定な若い女の子というテーマはまだ今後も続いていくのでしょうか。ただ登場人物若さゆえに方法を知らないから力がなく悲劇に巻き込まれるといった、いわゆる若者の暗い話は客観的になって冷静に読むと笑える。

第74回 文学界新人賞 樹木内侵入臨床士 安斎あざみ

樹木内侵入臨床士という不思議な能力を持つ人間、それが主人公だ。主人公の女子大生はある日、保健室に呼ばれて樹木を描いた画を見せられる。それは樹木画というもので、書いた人間の心が反映されたものだった。心理療法の芸術療法のようなもので、病んだ心の人間が描く樹木を樹木内侵入臨床士が見ると、その構成要素を具体的に判別することができるというものだ。この話は、樹木内侵入臨床士という架空の能力を心理療法と重ね合わせながらも異世界に通じる新たな扉として細かく描写したところに説得力がある。



第73回 文学界新人賞 名前のない表札  市村薫

うだつのあがらない生活を送る若者風俗の女に入れあげる。その女の源氏名和泉式部。太った女だ。主人公はサラ金に何百万も借金してまで毎日通いつたことが功を奏し、とうとう和泉式部と同棲することになる。


第72回 文学界新人賞 海を渡る植物群 みどりゆうこ


外国で暮らす女主人公は理屈自我が強い。彼女にはフィアンセがいて、その彼は同じ日本人母親と二人で生活をしている。いわゆるマザコンっぽい男だ。植物好きの主人公は、ある日植物の栽培に詳しい教授と呼ばれている老人の下に訪れる。老人の植物に対する知識は豊富で主人公も老人の牧歌的な生活に憧れを持つ。老人の家に通ううちにフィアンセの感覚のずれを感じていた時、老人から告白をされる。その伏線になるような言葉を老人は告げていたが、親子以上に年齢が離れているが一緒に暮らしたいとはっきりと告白する。主人公の女性にとっては、フィアンセの彼より老人の方が居心地の良さを感じていることはうなずけるのだが、老人がいきなり告白する場面は唐突感が否めない。映画で言うと、ヌーベルバーグの旗手、エリック・ロメールのようだ。中年の男が若い美しい女を手玉にとっていく作品が多いのだが、何故もてもてなのかさっぱり分からない。かといって、分かったらもてもてになれるともどうも思えない。ただ、この登場人物が最初からもてもてのプレイボーイの役割を与えられたから、もてもてなのだとしか思えないのだ。そのもてもてぶりを際立たせるためだけに、出来るだけ美人で若い無垢な女性をその男にあてがうとしか思えない。女性の書いた小説にこういう理解のできない展開になる作品があるが、逆に男の書いた作品にも女性が理解に苦しむものもあるだろう。その男女間の隔たりみたいなものを理解することで、異性の違いによる面白みが発見できるかもしれないと思った。

2007-01-29 デッドエンドスカイ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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第81回文学界新人賞 塩崎豪士 目印はコンビニエンス

作風は安部公房の「人間そっくり」に近く、ナンセンス小説といっていいだろうか。主人公はある日テレクラでとった電話の相手が指示した住所に向う途中、ひどい迷子に陥り地下鉄の出口を行ったりきたりすることになる。そして、目的地に到着するとそこは病院で間違えたかと思いきや、医者が電話したのは自分だと告白したうえにあなたは特殊な病気にかかっていて混乱しているからこれから言う処方を取りなさいと命令される。その処方とはモーツアルト音楽を聴いたりなどで本当にこれで効き目があるのかと疑わしくなるようなもの。帰宅すると知らない名前の女性が訪問し借りていたお金を返しにきたと言って、三十円というはした金が入った封筒を主人公に渡す。しかも、その三十円は今のお金ではなく生まれる以前の古い紙幣だった。など、のらりくらりと振り回される主人公であった。


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第81回文学界新人賞 清野栄一   デッドエンドスカイ

主人公の若者の家に無職になってなだれ込んできた友人。友人は主人公がいない間にダイヤルQ2を使って電話をかけていたことを、主人公は電話の支払い明細書を見て知る。主人公は友人が電話している相手に電話をすると知らない女が出る。主人公は、友人と偽ってディスコで女と会うのだった。女と肉欲だけを求める付き合いをしていき破滅に向っていく主人公。ドラッグ・セックス・クラブ・無職・アウトロー・新興宗教というキーワードを辿りながら若者たちの無軌道な生活を描いた作品と言えるのだろうか。

by文芸誌ムセイオン

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2007-01-28 脳病院へまゐります。  若合春侑 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第86回文学界新人賞 若合春侑  脳病院へまゐります。

精神を冒された主人公手紙にしたためられた独白を、旧字旧仮名遣いで書いた耽美的な作品。作者の女性谷崎潤一郎敬愛し、春琴抄のスタイルを模倣したという。しかし、内容は痴人の愛、卍、刺青など谷崎全作品に通ずるものがあるという入れ込み様。時代は昭和初期。主人公の女性は、夫の留守中にカフェーで出会った谷崎文学を愛する若者と知り合い恋におちる。最初は主人公の方から積極的に迫っていくのだが、相手の若者が良家の娘と結婚すると、男は別れを惜しむ主人公に対して性倒錯を強いるようになる。段々エスカレートしていき、全身男の排泄物まみれになったり乳首を焼かれたりと気絶にまで追いやられることもしばしば。やがて命の危険を感じた主人公は精神病院に身を預けるようになる。同じ病院には高村智恵子入院していて、夫の無償の愛を受ける智恵子を羨ましく思うのだった。主人公の性倒錯とマゾヒズムを肉体の痛みや醜悪さや卑猥さを通じて描いているが、最終的には女性の怨念へ収斂されていて、旧字旧仮名遣いが相まって精神的にも美的世界へと昇華させた渾身の力作といえる。しかし、倒錯しすぎ(笑)普通ひく。谷崎作品はああ見えて、当時の文学や道徳事情もあったのだろうが露骨な性に対する倒錯的な描写はなく、精神的な主従関係というかSMが描かれているのがほとんど。なので、倒錯的でない人にもつきつめると納得できるというか共感できる内容だが、この作品の場合は理解を超えた迫力があり納得させられてしまう。

by文芸誌ムセイオン

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2007-01-25 最後の息子  吉田修一 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第84回文学界新人賞 吉田修一 最後の息子

新宿舞台ゲイのカップルの生活が描かれた作品。所謂ゲイの店が軒を連ねる新宿の界隈で店を開き、人気を集める閻魔というゲイのヒモとなって生活を送る主人公だが、以前は女性彼女がいた。しかし、今では閻魔との感情をむき出しにしてある時には暴力を振るうような蛮行に出ながらも癒される日々を送っている。この作品の目新しいところはゲイが云々というより、主人公がビデオカメラを回していて、記録した映像を見ながら振り返るという設定だろう。映像という記録媒体を文字で置き換えるという手法は文章に三次元的な深みを与えている。確かに、これが映画シナリオだったらウォン・カーウァイの「恋する惑星」まんまで、何も目新しさはないのだが小説だというのがミソだろう。村上春樹、ウォン・カーウァイといった20世紀のアメリカ文化にもろに影響を受け、大資本主義という枠の中で与えられた自由に翻弄される若者若者らしさに焦点をあてた作家に影響を受けた次世代の作家といったところだろうか。次世代ということもあって、貧乏臭さが抜けたところが新しいが主人公はやはり優男で無力な人間。無力というのは誰にも影響を与えないという意味においてのことである。それは、大企業と一消費者との関係にも似ているのかもしれない。


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2007-01-24 看板屋の恋 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第91回文学界新人賞 都築隆広 看板屋の恋

三鷹駅までいつも葬儀屋の案内看板を持って立つハーフ若者ジェイと大学受験を失敗し小説家を目指す主人公はある日立場を入れ替えて生活をするようになる。主人公の提案だった。そして主人公の男は下宿先の大家の娘と恋をする。一方、仕事から解き放たれたジェイは高校生活を送りながら今まで縁のなかった小説の世界に触れガルシアマルケス百年の孤独をとりつかれたように読みふける。しかし、大家の娘を奪われて絶望しながらも、まだ見ぬ父親の姿を思い浮かべるのだった。ジェイの父親は葬儀屋の社長だが、その妻が不貞を犯して生まれたのがジェイで、その母親が亡くなりジェイの父親が誰なのか分からず仕舞いだった。国木田独歩の文を引用しながら、吉祥寺に代表されるように学生を中心に保守的な若者が集う武蔵野舞台に繰り広げられる汗臭さを微塵も感じさせない少女マンガ的世界。嫌味のない詩的な文章によってファンタジー昇華させ、武蔵野という場所を物語の舞台として叙情的に築き上げた作者の腕は素晴らしい。


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2007-01-17 パークライフ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第127回芥川賞受賞作 パークライフ 吉田修一

日比谷公園で昼休みを過ごすことを日課としている主人公の三十前後のビジネスマンの日常生活を描いた作品。社会的にもある程度の地位を確保するようになり金銭的にはもちろん何不自由のないあらゆる意味で恵まれた境遇で生活する主人公。今の東京で生活する独身中堅サラリーマンの平均的な暮らしといってよいのだろうか。街には余暇を満たしてくれるサービスや情報が満ち溢れ、退屈一つすることのない魅力的な生活というイメージを抱かせたいつもりだったのか、表面的なだけの生活を描きたかったのか?その辺りは作者本人のみぞ知るというところだが、登場人物に対して人間的な味は全く感じられないし、さらに生きていくうえでの面白みが全く描かれていない。

最終的には主人公は公園内で知り合った同じ年頃の女性と出会い惹かれていくただそれだけの話。雑誌でも読んでた方がまだマシ。現代の若者の生活としての記録を残したいのであれば、映像なり別の媒体で表現すべきもの。

弟94回文学界新人賞 北岡耕二 わたしの好きなハンバーガー

ハンバーガーチェーン店に屯する老人たち。その老人の男三人には憧れの女性ノンさんというこれまたいい年をしたお婆さんがいる。大邸宅に暮らすノンさんはまるで少女のような心を持っていて、男たちはノンさんの家に招待されると、まるで孫娘をあやすようにノンさんの体や髪の毛を撫でるのだった。それぞれの男たちに撫でられながら眠りについていくノンさん。しかし、男たちの中で誰もノンさんが何者なのか知らない。しかし、ただひたすらノンさんの魅力に取り付かれた老人の男たちは、嫉妬心や競争心に掻き立てられ自分が一歩でも他の男より気に入られようとする。



その中で、主人公の老人男性のみがノンさんの衣服の下を触る許可を得る。相手が閉経して久しい御婆さんで、自分も既に男性としての機能が終わっているのにも関わらずまるで思春期に戻ったかのように熱くなる。しかし、ノンさんの気持ちや体調を気遣って手を休めた男はノンさんのお腹に刺青があることを発見する。

設定もさることながら、老人同士の愛撫するシーンは見もの。表現は多少抑え気味にオブラートに包んだところも好感が持てる作品。


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2007-01-14 さりぎわの歩き方  このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第101回文学界新人賞作品 中山智幸の「さりぎわの歩き方」

二十代の最後、結婚を目前にする主人公の男は、ニュースサイトの担当記者。度重なる幼年者に対する痴漢行為で捕まる友人、会社をクビになった後セキュリティ時代を勝ち抜くと諮問認証装置の開発にいそしむ理屈の多い友人に囲まれた生活を送る。電車の中吊りで紹介されている話題の青春小説に関心を持った主人公は、自分の青春も終わりを告げようとしているのではないかと意識するようになる。

主人公は結婚相手の女性には秘密で、友人たちと合コンツアーに出かけて同じ年の女と肉体関係を結び忘れかけていた青春を再び謳歌するのだが、翌朝その旅行に参加した全員の乗っていた車が事故に遭う。死者も出るほどの大惨事だったが、主人公は薬指を切り落とす怪我程度で終わる。結婚相手も事故以外のこと、旅行や一緒にいた女達のことは触れず事なきを得る。

島田雅彦が論評で言っているように、村上春樹チルドレンの田舎くさい青年が書いた青臭さと理屈めいたところは目新しさにかけるが、青春とか若者らしさにスポットをあてる事自体が後ろ向きな行為なのでいたし方がないことではある。自分のことを普通だと思っている主人公が登場する小説というのは、教育的指導の強い昭和のテレビドラマ、教育映画アメリカのテレビドラマに通ずるところがあり、どうしても古さを感じてしまう。

by文芸誌ムセイオン

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2006-12-10 「麦の穂をゆらす風」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 吉祥寺のアーケード街サンロードにある単館上映の映画館バウスシアターでケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」を観る。

 1920年前後のアイルランド独立革命を背景に、英国軍の弾圧を受けながら貧しい田舎で暮らす兄弟がIRA(アイルランド共和軍)に属し革命に身を投じていく。決して国粋主義や革命に身を投じる若者を美化しているわけではなく、権力と自由の矛盾から引き起こされる悲劇が描かれている。既存の権力に逆らった者はやがて権力を勝ち取り、新たに抵抗する者との確執が生み続けられる。


結末はギリシア悲劇のようで、人間は生まれついて悲劇性を帯びているといわんばかりに静かに幕を閉じるのだった。


徹底したリアリズムの視線を持った監督が戦争映画を作ると戦争本来の姿ー戦争にはヒーローもヒロインもましてや感動も存在しない、あるのは悲惨さだけだということを教えてくれる。



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