museionの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-09-06 やはりエジプトか このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

つい最近オシリス神話関連の本を読んでいて思ったことですが、ギリシア神話よりエジプト神話の方がより自分を惹きつける魅力があるのかなと感じました。ギリシア神話の場合はゼウスというあらゆる権力を手中にした最高神が自身の欲望を満たすために(男としての性欲・征服欲を満たすため?)理不尽な行為(現代の法社会では犯罪以外の何ものでもない)をしすぎていて、目に余るという事実がその理由の一つにあります。

もちろんエジプト神話にもこういったギリシャ神話と似たような傾向があるのかもしれませんが、オシリス神話に限ってはあの世(死の世界、夜の世界)を支配する神ゆえに現実に生きているものに対して手出しをしない、あくまで息を引き取ったあとの人間を楽園へと導くか否かの判断をする存在なので生きているものに害がないし、あちら側にいる存在ということで観念的な神という存在としての神秘性があっていいかなと思います。

その他気に入った理由として、オシリス神話が日本神話と相通ずる要素があるということもその一因として挙げられます。

日本の神話の場合、火の神カグツチ出産して火傷で死んだイザナミ黄泉の国へ送られます。

一方オシリス神話の場合、弟神セトに謀殺されたオシリスは妹であり妻でもあるイシス神の助力によって何度も生き返るが

その度に弟神セトに殺され、最終的にオシリスの息子ホルスが弟神セトを抹殺して全エジプトを支配する王となり、

オシリス神自身は地上世界から遠ざかって冥界の王の座に付いたといいます。

両者とも現世を離れあの世に隠居することで、この世とあの世(生と死)の境界線を具現化する存在としての価値もさることながら、あの世へ行く引き換えに、日本神話の場合はアマテラススサノオなどの誕生をもたらすなどこの世に新たな秩序をもたらす存在でもあります。

こういった生と死と復活にまつわる神話が宗教の土台になっていったことを考えると奥深さを感じてしまいます。

その一方で、日本の場合、神道と神話が半ば一心同体になっていることからも分かる通り、神話イコール宗教でもある不思議な国というか西洋とは全く違う価値観でなりたっている国だという気がします。

また、西洋では神話を超えて宗教が根付いていった理由として考えられるのは、度重なる民族同士の戦争による支配・統合によって異なった言語、文化の民族を取り込むうえで、神話を超えた普遍的なものが必要で、その神話を超えた普遍的な価値観がユダヤ教であり仏教キリスト教イスラム教だったのでしょうね。

2007-02-03 痩せた背中 鷺沢 萠 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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痩せた背中 鷺沢 萠

主人公はオイサンと呼んでいた父親の葬式に出席するため、久方振りに故郷高崎に帰る。家に戻ると、オイサンの女がいた。オイサンは主人公の母親と死別した後何人もの女を垂らしこんでいたが、主人公と三人で暮らした女は一人だけだった。その女は、隣町の床屋で働く20歳くらいの女で、オイサンと親子位年の離れた若かった。主人公はその女が美しかったこともあり親しくするようになる。その女はそれまで身寄りが誰一人なく、初めて自分に優しく接してくれたのがオイサンだと言う。女は学がなく文字も読めなかったが、オイサンに気に入られようと家事にいそしむのだった。ところが、オイサンの悪い癖がまた出てしまい別の女を作ってしまう。その頃から、主人公は女の精神が壊れていく姿を目にしていく。ある日、オイサンはいつものように帰ってこなく待っているうちに寝てしまった主人公。目覚めると既に明け方になっていて、立ち上がって玄関に行ってもオイサンの靴はない。玄関前の襖をあけると布団の上で花柄の浴衣羽織った痩せた背中が剥き出しになっている。手元は血で染まりその脇にはかみそりが。

女が廃人寸前になり、オイサンは自分の非を認め改心し常に女につき切りになって面倒をみるのだったが、やがてそのオイサンも心臓病の発作に冒されるようになる。

タイトル通り、父親の若い彼女の精神がおかしくなっていき自殺未遂をした時に主人公が見た女の痩せた背中もさることながら、女が精神を病んでいく過程で仕事にも出なくなってずっと家にいつづけるようになり、主人公が学校から帰ってくると机の前で前かがみになっているので近づいてみると、指の先ほどの小さな千羽鶴を折っていたり、温和でのんびりやさんの性格の女が野良犬に父親用のご飯を投げつける姿は鬼気迫るものを感じさせる。それは、芥川龍之介の作品に通ずるところがあり、人間の心の奥底に潜む巨大な想像力を感じさせると同時に巨大な底知れない闇をも感じさせる。

これまで、鷺沢 萠という作家の作品を読んだこともなかったし、意識したこともなかったので初めて調べてみた。するとウィキペデイアにこう書かれていた。十代の時、高校三年生で文学界新人賞を受賞した後、数々の作品を残す。自らの家庭を取材するなか父親の祖母が韓国人だと知り韓国留学した経験もある。そして、2004年4月11日、自宅トイレで首を吊りその生涯を閉じた。享年35歳だという。

才能が精神の器を越えて零れだしてしまったのだろうか。しかし、才能ある数少ない人間にしか書くことのできない孤独というものを見事に書ききったこの作品は素晴らしいの一言につきる。


最近柳美里フルハウスを読んだ。在日文学の旗手として柳 美里が騒がれていた頃、フルハウスを流し読みしたことがあったがほとんど印象に残っていなかった。当時は世間の在日文学という評価が邪魔していたのかもしれないが、ある意味色眼鏡をかけて見ていたのだろう。改めて読んでみると堅苦しい事関係なく素直に面白いと感じた。

昔、伊集院静の作品を読んで同じ事を思ったことがあるのだが、韓国の理想の(?)男性像は日本光源氏に代表される優男とは正反対で、無骨で男臭い印象がある。上述した三作家が描いた父親像にはそんな共通点があるように思える。



第78回 文学界新人賞  ファーストブルース 松尾光治

親の都合でロスアンゼルス郊外の中流家庭の家が立ち並ぶ街で学生生活を送った主人公の日本黒人女の子と知り合い、そして初体験をして性病をうつされるという出来事を思い出話のように振り返っている話。白人たちが多い街に育った彼は黒人の女の子と付き合うことで、親や白人から白い眼で見られると同時に、黒人の彼女からも肌の色が違うということを何を意味するのかということを教えられるのだが。ただ、主人公が好きになる女の子の肌が黒いことを常に気にしていて、最終的には肌が黒いことを理由に彼女の人間性まで疑うというほどの差別意識アメリカ青春を送った若者のひと夏の思い出というさわやかな話の中で人種差別を軽く扱うことで、人種差別の根深さというより作者の人種差別に対する浅はかさみたいなものが感じられた。アメリカにおける黒人に対する白人の意識だけではなく、日本人の主人公が無意識のうちに人種差別に加担しているせいで、読み終わるとさわやかな青春小説というより人種差別小説という印象が徐々に強くなってきた。十年前とはいえ、この作品に新人賞を与えるのはいかがなものかと。人種差別といったシビアな問題を取り上げる場合、被害者加害者立場を掘り下げて問題意識を明確にした上でないと、人種差別を否定するだけでなく書き手自らが己を否定することに繋がると感じた。人にされて嫌なことは、やはり人にすべきではないという正論だがごく当たり前の意識は持ってしかるべきだと思った。セリーヌのように退廃的な意識と反ユダヤ主義を結びつけて独自の作風を作り上げた人もいるが、その交換として手に入れたものは母国フランスから追放される運命だったわけだが・・とはいえ、セリーヌの小説の主人公にはセリーヌの愛が感じられるが、この小説の主人公には作者の愛が感じられない。単純に心理や性格、感情描写が足りないだけなのかもしれない。もしかすると、これが苦々しい気分にさせられた理由なのかもしれない。


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第76回 文学界新人賞 無人車  高林杳子  

運転手のいない車という幻覚とも現実ともつかない白昼夢を見る女の主人公の話。

あやあや 2016/10/24 03:13 この作品での千羽鶴の役割は何だと思いますか?
また、町子がオイサンの葬式で鶴を持ってきておいさんになにを伝えようとしたのだとおもいますか?

あやあや 2016/10/24 03:13 この作品での千羽鶴の役割は何だと思いますか?
また、町子がオイサンの葬式で鶴を持ってきておいさんになにを伝えようとしたのだとおもいますか?

あやあや 2016/10/24 03:13 この作品での千羽鶴の役割は何だと思いますか?
また、町子がオイサンの葬式で鶴を持ってきておいさんになにを伝えようとしたのだとおもいますか?

2007-02-02 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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第75回 文学界新人賞 ちょっとムカつくけれど、居心地のいい場所 伏本和代

主人公女子高生には年の離れた叔母がいる。叔母はある日、一緒に探偵事務所について来てくれないかと頼む。

叔母の夫がどうやら浮気をしているらしく、その調査依頼に付き合ってくれというものだった。主人公の女の子母親の様子が変なのが気になっていた。母親の様子が変なのは婦人科から帰ってきてからだった。叔母のこともあり、母親が父とは違う男と浮気して妊娠したのではないかと思い心配になり母親に対して疑いの目を向けるのだった。

やがて探偵事務所から報告があったと叔母から連絡がはいる。叔母には分かっていたことだが実際事実として前に突きつけられるとどうして良いのか分からなくなってしまう。最初は強がっていた叔母だったが実は自分の意思で何一つ動くことのできない弱い人物だったのだ。そんな叔母の姿を見た主人公の女の子は両親の仲睦まじい姿と叔母夫婦の対極的な様子を見ながら子供から脱皮していく。

第77回 文学界新人賞 中村邦生 冗談関係のメモリアル

学生時代の友人同士の男が飲み屋に集まって身も蓋もない話を言い合うという話。日本という国が貧しさや戦争から縁遠い国になり、個人的な問題が一番の国家的問題なのか?だろうかと錯覚してしまう。それはそれで有難いし、平和が何よりだ。しかし、ノーベル文学賞は激動の時代を送る国の作家に送ってほしいと思う。本題に戻ると、この小説ユーモア小説ということになるのだろうが、ユーモアというのはバランス重要だなと感じた。語りすぎてもダメ、とはいえ淡白すぎてもダメ、同時代人、同国人でなくても面白さが分からなければダメなのだから。


第77回 文学界新人賞 篠原 一 壊音

漫画アキラウィリアム・ギムスンのSFのような未来青年少女登場人物で、ゲリラとか反政府分子みたいなそれ系の用語がキーワードとなる物語


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2007-02-01 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第79回 文学界新人賞 マイナス因子  木村

若い女の子二人が、日常への苛立ちやら未来への不安を募らせながら、その果てに心中するというお話。サガン悲しみよこんにちは以来続く女の子小説の典型的なスタイルで書かれている。若い女の子の日記、今で言うとブログを読む感覚に近い。精神的に不安定な若い女の子というテーマはまだ今後も続いていくのでしょうか。ただ登場人物若さゆえに方法を知らないから力がなく悲劇に巻き込まれるといった、いわゆる若者の暗い話は客観的になって冷静に読むと笑える。

第74回 文学界新人賞 樹木内侵入臨床士 安斎あざみ

樹木内侵入臨床士という不思議な能力を持つ人間、それが主人公だ。主人公の女子大生はある日、保健室に呼ばれて樹木を描いた画を見せられる。それは樹木画というもので、書いた人間の心が反映されたものだった。心理療法の芸術療法のようなもので、病んだ心の人間が描く樹木を樹木内侵入臨床士が見ると、その構成要素を具体的に判別することができるというものだ。この話は、樹木内侵入臨床士という架空の能力を心理療法と重ね合わせながらも異世界に通じる新たな扉として細かく描写したところに説得力がある。



第73回 文学界新人賞 名前のない表札  市村薫

うだつのあがらない生活を送る若者が風俗の女に入れあげる。その女の源氏名和泉式部。太った女だ。主人公はサラ金に何百万も借金してまで毎日通いつたことが功を奏し、とうとう和泉式部と同棲することになる。


第72回 文学界新人賞 海を渡る植物群 みどりゆうこ


外国で暮らす女主人公は理屈自我が強い。彼女にはフィアンセがいて、その彼は同じ日本母親と二人で生活をしている。いわゆるマザコンっぽい男だ。植物好きの主人公は、ある日植物の栽培に詳しい教授と呼ばれている老人の下に訪れる。老人の植物に対する知識は豊富で主人公も老人の牧歌的な生活に憧れを持つ。老人の家に通ううちにフィアンセの感覚のずれを感じていた時、老人から告白をされる。その伏線になるような言葉を老人は告げていたが、親子以上に年齢が離れているが一緒に暮らしたいとはっきりと告白する。主人公の女性にとっては、フィアンセの彼より老人の方が居心地の良さを感じていることはうなずけるのだが、老人がいきなり告白する場面は唐突感が否めない。映画で言うと、ヌーベルバーグの旗手、エリック・ロメールのようだ。中年の男が若い美しい女を手玉にとっていく作品が多いのだが、何故もてもてなのかさっぱり分からない。かといって、分かったらもてもてになれるともどうも思えない。ただ、この登場人物が最初からもてもてのプレイボーイの役割を与えられたから、もてもてなのだとしか思えないのだ。そのもてもてぶりを際立たせるためだけに、出来るだけ美人で若い無垢な女性をその男にあてがうとしか思えない。女性の書いた小説にこういう理解のできない展開になる作品があるが、逆に男の書いた作品にも女性が理解に苦しむものもあるだろう。その男女間の隔たりみたいなものを理解することで、異性の違いによる面白みが発見できるかもしれないと思った。

2007-01-26 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第88回文学界新人賞  羽根田康美 LA心中

タイトルで分かるとおりLAが舞台。主人公はルックスの良い日本とのハーフ。ハリウッド女優のような美貌な彼女がいて、法律事務所のようなところで働いている。そんな彼が、ある日本人の中年になりかけの女性と出会い関係を結ぶのだが、その彼女がある日交通事故でなくなる。そして、主人公の彼は記憶を辿りながら彼女の死因を究明しようとする。亡くなったその日本人の女には謎が多く、アメリカにやってきた理由、長年彼女をつけてきているストーカーの男、そして、彼女が恋をしている本命の男。謎が謎を読んでまるでミステリーのようなのだが、謎は謎のままで終わり全体的には若い男と、奔放な中年女性のひと夏の恋物語といった印象が強い。


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第88回文学界新人賞 松崎美保 DAY LABOUR

夫を亡くした中年女性の主人公には、姉と夫の前妻の娘がいる。主人公は姑預けている養老院に介護に行っているのだが、そこで世話をしている老人に欲望の対象とされていて爪切りをしながらその老人に身を預けている。そんな主人公はお金欲しさか孤独を埋め合わせるためか、怪しいバイトの面接を受ける。お金持ちの老人とセックスをする女性の補助をするというものだった。その会社からの連絡の電話にそわそわする主人公だが、ある日姉がやってきて姉が自分が若い男の子を買ってずっと付き合っていると言う。それと同時に、前妻の娘、主人公と同居している法律上では娘となる子が売春しているんではないかと言う。そんな情報にふりまわされながら主人公は初の仕事に出かける。主人公がついた女性はいつも電話でやりとりしていた女性だった。その女性とある老人の邸宅に訪れる。老人の体の動きを補助するといっても裸にならなけらればならない主人公は控えの間で服を脱ぎながらそわそわしていると、手伝うようにと寝室から声がかかる。老人の男の体を押しながら、老人と細身の女性が絡み合う姿を見る主人公。ふと、女の股間に眼を向けるとそこは少女のようにつるつる。

最後に、前妻の娘と一緒に風呂へ入る主人公。仲直りといわんばかりにコミュニケーションを図るがふと娘の股間に眼を当てると、あの細身と女性と同じように陰毛がすっかりそられていた。姉が言っていたように売春をしているんだと知った主人公は怒り飛ばすのだが。


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第85回文学界新人賞 くらい、こうえんの 橘川彌二

ひたすら前へ前進んでいく、なぐり書きのような、丸点がきわめて少なく、長〜い文章がひたすら続くスタイル。話はゲイカップルと男女のカップルのグループの退屈極まりない生活を描いたもの。書き方はまあ普段日常生活では使わないし、使えないよなという文章。芸術は斬新であるべきと言ったらそれまでだが、とにかく何が言いたいのか伝わってこない。ぼんやりと伝わってくるものはあるのだが、よくよく単語を一つ一つ読んでみると、学園ものの漫画に登場するちょっと頭のゆるい中・高校生のような捻りのない発想がほとんど。昭和の文学に登場する哲学的すぎる人物もどうかと思うこともあるが、感情に赴くままに行動するような登場人物であれば良いというものでもないだろう。

まあ一発屋ならではの作品だが、作者の文章にかける意気込みや努力は並々ならぬものがあるように思うが買ってまで読みたくはないと思いました。

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2007-01-18 介護入門 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第98回文学界新人賞 モブ・ノリオ 介護入門

三十手前の主人公の男はニューヨークを旅行中、親から呼び出しの電話をくらう夢を見て電話をすると、実家で祖母が玄関で転倒して危篤状態だという知らせを聞き慌てて帰国するのだった。主人公の祖母は頭蓋骨陥没骨折をしながらも生命を取り留めるが介護が必要な生活を余儀なくされる。そこで、主人公は麻薬中毒でハシシを吸って粋がりながらも祖母のオシメを変えたり全身隈なく綺麗にしてあげたりと祖母に対する世話に関しては余念がない。そういった、主人公の攻撃的な外面と内面の繊細さのギャップが相まって個性として成り立っているというところだろうか。文体は大江健三郎を意識している。冗長とした、色んな単語を組み合わせただけで何も意味していない、深読みすると意味していることは意味が無いということ、結局は何も意味していないから使い方に縛られてないような文章が羅列されている。しかし、おそらく本当に伝えたい部分は短く分かりやすく描写されすぎていて、却って疑問を持ってしまうところがあった。

最後の回想で、重症の祖母を見舞うためにニューヨークから帰国する飛行機の中で見た邦画に対して、主人公は国辱的だとか民度が低いという言葉を使って揶揄するところがある。当時ニュースで使用されてから世間に広まった言葉を使用しているのだが、どういうつもりで作者はこの文章を使ったのか気になるところではあります。この部分だけトーンが違い、読後ここしか印象に残らない。とはいえ、この作品の面白い部分は、主人公が少年時代を振り返っている場面。日本の田舎でしか成立し得ない親密なご近所付き合いや家庭環境が描かれていて、大都市での生活に慣れ親しんだ人間にとっては古き良き時代のようなノスタルジックな味わいがある。

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2007-01-11 谷崎潤一郎 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

昨年からお世話になっている水天宮前にある会社へ納品に行った後、日本橋図書館へ向う途中、偶然に人形町の甘酒横丁沿いにある谷崎潤一郎生誕記念碑を発見。半年近く会社へ納品へ行ったついでに立ち寄ろうとずっと思っていたのだが、場所を把握しておらずどこにあるのか分からなかった.

本当に人形町の中心というか、水天宮からもとても近い場所に生まれたのですね。

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日本橋図書館は、谷崎潤一郎生誕記念碑がある場所とは目と鼻の先。建物は正門には大きな時計が飾られ和洋折衷の昭和初期の建物のようなつくりをしている。ちなみに、この図書館は公立の日本橋小学校と建物を兼用している。というわけで、5階と6階にある図書館に授業中の生徒が集団となって現れるという不思議な光景が見られる。

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ちなみに、館内では谷崎潤一郎生誕120周年記念展と称して写真や著作物が展示してありました。

その中に家系図の大きな写しが展示してあったのですが、谷崎の最初の奥さん(後の佐藤春夫の妻)との間に娘がいて、その娘さんの子孫の方々は今もご健在だということを知りました。

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2006年に30回すばる文学賞を受賞した瀬戸良枝の「新しい歌」という作品。官能小説を前衛的に書いた作品。

画家を挫折して東京から地元に戻ってきた、若い主人公の女。女は地元にいた頃通っていた画塾にいた、才能もあって見かけも良い憧れの男に出会い肉体関係を結ぶ。

見かけの悪い主人公はあこがれの男とのセックスに明け暮れる。男はセックスをゲームとしてしか見ていなく、アブノーマルなプレイを主人公に要求していく。精神的に完全なSM的な関係になり主人公の女は抜け出せなくなるのだ。ちなみに、男は留学先のイギリスから帰ってきた後は地元の新興宗教団体に入り怪しい行動で注目をあつめていた。

ある日、実家の薬局に電話がかかってきて、店の経営を実質取り仕切っている兄に取り次いでもらう。兄は謹厳実直な男で妹に対して、いい加減に働いて親孝行をしろという人物。主人公が電話を出ると、相手は同じ画塾に通っていた女で、軽蔑していた奴だった。その女が言うには、自分も同じ男と関係を持っていて、あんたも私と同じようにあの男の体が忘れられないのでしょと言われて儚い気分になる。肉体的に劣等感が強い主人公は、自分の肉体を磨くことで男への気持ちや肉欲を断ち切ろうとする。

見所は、主人公の若い女性の体をもてあそぶ男の言い寄り方や、主人公が快楽に身を委ねるところ。それらを、気持ちよいとか、痛いなど身体表現を通じて描写しているところが秀逸。この作者は泉鏡花の作品におけるこの世と別世界との関係を肉体と精神の関係と捉えたということだ。


第49回群像新人文学賞受賞作品、木下古栗「無限のしもべ」は大江健三郎のような言葉の洪水のような次々と新しい文章が繰り出されるようなタッチで書かれた作品。


似非サラリーマン風の主人公の男が、向いにいる男女のグループの輪に入っていき言葉巧みに言いなりにさせたり、電車で出会った年齢不詳の女の後をつけていき声を掛けるのだが、向こうは八年間入院していたという女性で主人公の想像を超えた人物で面を食らってしまう。


言葉イコール騙す、女イコール性の対象、男は女にエロを求めるという単純明快で普遍的なテーマを扱ったことで、回りくどい多少冗長すぎる文体も最後まで読めてしまう。退廃とエロスを前面に押し出しながらも、八年間入院していた女と主人公との出会いには、作者の優しさやユーモアが見え隠れして微笑ましいものがある。


by文芸誌ムセイオン

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2006-11-26 「胡同〈フートン〉のひまわり」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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昼過ぎに、パイプオルガンの演奏を聴きに埼玉・川口市へ行く。

初心者のパイプオルガンの演奏ほど面白いものはないことを発見する。

きっと練習では一通り弾けていたのだろうが、本番では全員が無残に散っていた。

パイプオルガンといえばということで、演奏するのはバロックの作品のみ。

バロックの音楽は童謡のように一曲が決して短くはないので、弾けば弾くほど重圧を感じて演奏の破綻ぶりが際立っていく。

何か思い立ったように急に演奏を一時停止にしたり、緊張すればすればするほど鍵盤を押さえる指は硬くなっていくのだろう、

演奏のテンポは次第に遅くなっていき、時間を長く感じれば感じるほど指が硬直していくという悪循環で再びミスして一時停止という繰り返しだった。

ここまで演奏者の動揺するさまが反映される演奏は珍しいのではないかと思うほど、まさにボロボロの一言につきる。

観客は演奏者の知り合いばかりなので、最初のうちは笑いを必死に堪えようとしているのだが、次第に笑いを堪えきれなくなって四方八方で噴き出す声が止まなくなるのだった。

それでも、礼儀を弁えてか最後の最後で大きな笑い声にならないように口を押さえるなり口をふさぐなりしているところが日本は悲しい。

あそこまで言ったら大声で笑ってあげたほうが却って演奏者も気が楽になるように思える。

それに、大きなクスクス笑いほど更なる笑いを助長するものはない。

 とはいえ、なかでも不協和音と、ミスタッチ、一時停止などの超絶演奏で展開されたバッハのトゥッカータとフーガには絶句するばかりだった。演奏する勇気を褒めたたえたくもなるが、あそこまでいくと、あまり人に知られていない曲を演奏する謙虚さも必要かなと思ってしまう。

笑いを提供してくれたことに感謝をこめて演奏者の弁護をすると、たしかに大音量でしかも背中に観客の視線を浴びながら演奏する本番と練習時との差に面を食らい本領が発揮できなくなるのも分からないでもない。

ピアノのように、グランドピアノとアプライトピアノの違いであれば、想像力で補えなくはないのだろうが、パイプオルガンともなると想像を超えた世界が展開されるのもうなずける。

兎にも角にも大いに楽しませてもらい、笑いの余韻をかみしめながら会場を後にする。


都内に戻ってくると池袋で途中下車し、東口のシアターグリーンの裏手にある小料理屋が並ぶ路地へ。外はすっかり暗くなり、休日のせいか人通りも少ない。フランス料理屋で、遅い昼ごはん兼早い夕ご飯をする。まだ六時前なので他に客はいない。カキのパイ包みと魚のムニエルを食べる。

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食後、池袋の新文芸座にて中国映画「胡同〈フートン〉のひまわり」 を観る。

舞台は北京の旧市街、胡同地区。親子二世代、およそ30年間に渡る家族の話。

話が展開し現在に近づくにつれ、高層ビルの造成が進み、主人公が育った胡同地区の民家は取り壊され古い町並みが次々と消えていく。

北京オリンピックを目前に国をあげての都市の近代化が行われていく姿がスクリーンに映し出される。胡同地区の記録映画としてもさることながら、中国の変貌ぶりに驚かされる。

2004-12-04 山中貞雄  「丹下左膳餘話 百萬両の壷」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

museion2004-12-04

山中貞雄  「丹下左膳餘話 百萬両の壷」 (1935/日)

小津安二郎、黒澤明など日本を代表する映画監督がその卓越した脚本・演出に憧れた山中貞雄の最高傑作。

芝居の魅力が全て盛り込まれいる完璧すぎる作品。

第二次大戦で海外出兵で28歳で命をおとさなければどれだけの歴史に残る名作を作ったことかとつくづく思わされる。大戦で彼はなくなり、とりわけ大衆芸能面ではアメリカナイズの一途をたどるわけだが、山中貞雄の残していった影響力が形をかえ、小津や黒澤らによって世界が認める普遍的なものへと再生されたかと思うと感慨深いものがある。

2004-10-30 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「コラテラル」 マイケル・マン監督

ロスアンジェルスを舞台に、「ヒート」、「インサイダー」からずっとテーマにしているマイケル・マンならではの男の頭でっかちで不毛の美学がこの映画でも同様に描かれている。

「キル・ビル2」 クウェンティン タランティーノ監督

一作目は日本が舞台だっただけに、どうも外国人がみた日本という印象が強くちょっと違和感があったが、今回はアメリカが舞台。見所はカンフーの達人である老人。はんぱじゃなく強い。