イヌイット語の誤解?

 

世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)

世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)

ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』(WAYS OF WORLD MAKING,1978→1987→2008)を読み始める。
 第一章「言葉,作品,世界(Words, Works, Worlds)」でエスキモー語についての話が出てくるのだが……。

逆に、たとえば雪はエスキモー語の名辞を使えばいくつもの物質に分けられる。
(p.28)
雪という包括的概念を捉えていないエスキモーの世界は、雪の降らないサモア島人の世界からだけでなく、降雪はあるが、エスキモーのおこなう区別を捉えていないニューイングランド地方の人々の世界からも異なっている。
(p.28)

 これはよく言われるエスキモー(いまはイヌイットと言うようだ)の言語には雪を表す表現が他の言語に比べてたくさんある、という話のことを言っていると思うのだが、以前読んだ、黒田龍之介『はじめての言語学』(2004)ではこんな風に書いてある。

 で、有名な説とは次のようなものである。イヌイットは雪と密接な生活を送っている。だから雪を表わす語も数多く、細かく分類している。これはイヌイットの文化にとって雪が重要なことを示している証拠だというのである。
 (中略)
 ところが、そうではないという意見も出てきた。よく調べてみると、イヌイット語で雪を表す語の数は、英語とたいして変わらないというのだ。どうやらもともとはイヌイット語では雪に四種類あるという話が、よく知らない言語学者やメディアが伝える間に、どんどん大きくなっていったらしいというのである。
(p78‐79)

はじめての言語学 (講談社現代新書)

はじめての言語学 (講談社現代新書)

 
 ちなみに、黒田氏はイヌイット語については「知識がない」そうで、「もしそうなら恐ろしい」という話をしている。
 だが、イヌイット語についてのその説が誤りなら、グッドマンが述べている、エスキモー語について雪を表わす語がたくさんある―と直接的には言っていないが―ということについての記述は説明のための例示として不適切なのでは?
 また、「雪という包括的概念を捉えていない」というのはどうやって出てくるのかちょっと分からない。雪をたくさんの表現に分けているからといって「包括的概念を捉えていない」ということになるのか。それともイヌイットの人々は本当にある状態の雪と別の状態の雪とを包括的に「雪」として捉えることをしないのか。でも、イヌイットの雪の語彙についての話が間違いなら、グッドマンはやっぱりこのエスキモー語についてついてはちょっと適当なことを言ってしまっているのではないだろうか。
 ただし、グッドマンは「実際の生活で必要なものには細かく分類された語彙がある!」というような言語学上の主張をしようとしているわけではないようだ。

また別の意味で、世界は実際上の必要よりもむしろ理論上の必要に応じてたがいに異なるのだ。
(p.29)

「理論上の必要」というのがまだよく分からないけれども……。