ソーシャルダーウィニズムの影・2

 さて、給食費滞納の話ですが、誰が書くかなあと思っていたら案の定id:mojimojiさんが書きましたね*1。「給食費とか、公費でやれよ」http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20061002/p1と。
 なかなかこうした当たり前の発言が出てこないのは、やっぱりソーシャルダーウィニズムにみんな毒されているんだなあと思います。「現状の社会的枠組みの中でものを考えよ」とソーシャルダーウィニズムはささやきかけてきます。前回はソーシャルダーウィニズムは社会構造や制度を変えるという発想がないと書きましたが、正確にはもっと抽象的な枠組み、すなわち「適者生存、優勝劣敗」の競争原理がソーシャルダーウィニズムの維持しようとするものです。この原理を実現するために限っては、社会構造や制度の変更が行なわれます。しかしソーシャルダーウィニズムにおける「適者生存、優勝劣敗」というのは決して「ゼロからの競争」ではないというところが大きなポイントです。ソーシャルダーウィニズムという考え方が持つ機能の実体は、特権階層の固定化、その裏返しとしての一般・貧困階層の固定化と切り捨てなのです。そしてそれはすべて「自己責任」ということにされます。「自分は強くお前は弱かった。だからお前は負けたのだ。負け組なのだ。こんなに頑張っていままで勝ってきた*2自分を見習え。給食費も払えない(社会に貢献しない)無能のくせに社会に文句を言うなど生意気だ」あるいは「それはお前の「主体的」選択だろう? まあまあ、「適性検査の結果」を見たまえよ。やっぱり「科学的」に言ってもお前にはその職が、その立場がふさわしかったんだ」*3とまあこんな感じでしょうか。
 そういうわけで、構造や制度を変えてしまえばいいじゃん、という発想をもっとしてもいいんじゃないかと思うわけです。

*1:すいません、はったりです。許してください。

*2:実際は社会構造上の底上げをされていたにすぎないことが多いのですが。実際に努力して這い上がった人の場合、ますます「お前は努力が足りない」という考え方になるかもしれません。

*3:ここにはいくつかの欺瞞が含まれていることに留意されたい。

給食費滞納の話

「二人の女の子」がまだ途中だけども、何か口を出してみようかと思って。
産経ニュース
「メディアリテラシー!」とか声高に叫ぶのは気が引けるんだけど

 家計にゆとりがあるのに給食費を払わない保護者が増えている。あまりの悪質ぶりに、法的措置を取る自治体が相次ぐ。未納分を学校側が立て替えたり、給食の質や量を下げて対応している事実は、教育界では“公然の秘密”。生活保護に上積みされた給食費を別の出費に流用する保護者もいるほどで、きちんと払っている保護者や教職員たちから非難の声が上がっている。(池田証志)

 「高級外車を乗り回し、携帯電話に何万円も払っているのに、給食費は払わない保護者がいる」。文部科学省にはこんな報告が相次いで寄せられている。外車に乗るような世帯だけではない。国や自治体は所得により生活保護給食費分を上乗せして支給しているが、それでも給食費を滞納する保護者も多いという

(略)

 学校給食法は、子供たちに給食を提供するよう自治体に「努めなければならない」と努力義務を規定。そのための設備や調理員の人件費は自治体が負担するが、食材費は保護者が負担するよう定めている。文科省学校健康教育課では「結局は保護者のモラルの問題。学校を通じて給食は自己負担であることへの理解を求めるしかない」と話している。

 まず問題があるなと思うのは「生活保護に上積みされた給食費を別の出費に流用する保護者もいるほど」とか「国や自治体は所得により生活保護給食費分を上乗せして支給しているが、それでも給食費を滞納する保護者も多い」などという部分がさりげなく書き込まれていることだ。後者については「滞納する保護者も多い」と書かれているが、具体的なデータはない。これでは「生活保護受給者」と「払えるのに払わない給食費未納者」というまったく関連のないカテゴリーが、あたかも強く関係しているかのように印象付けてしまう恐れがある。というよりも「保護を受けている人間はだらしない」という印象操作をしようとしているのだとしか思えない。「外車に乗るような世帯だけではない」、と言いつつ、実は「外車に乗るような世帯」とは別の対象が本当の攻撃目標なのだろう。まったくもって嫌らしい、モラルのないやり方である。
 あとはid:terracaoさんが指摘しているような疑問がある。
 また、もしも「モラルのない親」が増加しているのが事実だとしても、それが「結局は保護者のモラルの問題」であるというのは短絡的だ。全国的に問題になるほどそんな親が増えているのなら、そこにはなんらかの社会的背景があると考えるべきだろう。などと言うと、「個人の権利ばかりが重視されてきた」式のモラルのない発想が飛び出てきそうである。