『Xの悲劇』,エラリィ・クイーン,早川文庫

ロジックの組み立ての面白さは『Y』よりこっち。『Y』はあまりにレーン(探偵役)がホームズ的に突っ走った推理を行っていて、最後の謎解きでは、ややもするとついていけない部分があったが、先に『X』を読んで肩慣らしをしておけば、館で起きる連続殺人に悪戦苦闘するレーンの姿を余裕をもって楽しめるだろう。
個人的には突出した推理力をもつ名探偵の出てくるミステリはあまり楽しめなくて、この小説でも「これから考えられる可能性は3つです」と言われたところで、その論理構成に問題はないのか、眉につばを付けてしまうのだった。いかにも「1たす1は2」であるかのように論理的に選択肢が現れるように読まされて、読者は感心させられるのだが、小説内世界で、どこまでが論理的な判断の範囲に含まれるのかあきらかでないかぎり、本当にフェアとは言えない。つまり、足し算にたとえて言えば「足す」とは何か、実は他に使える演算子があるのか、演算される数は整数なのか実数なのか、などといった規則が最初に開示されるべきものだが、それは通常「ミステリ的なお約束」として、語られなくてもいいことになっている。
それに我慢できない作家が、小説の中で突然「密室講義」「アリバイ講義」を始めてしまうのだと思う。あれは単純に歴史やテクニックを総括したり、あるいは蘊蓄を垂れようという目的のものではなく、自分の書くものの論理的構成要素をあらかじめ提供しようという、きわめてフェアな態度なのではないか。

と思いました。