ゲームは脳に…

あとでもっかい読む。「いい」「悪い」というのは、それは後付の評価だろう。その選択をすることで、よくなることもあるし悪くなることもある。

だから、「子供に悪い」からゲームやらせない、という判断は全然問題ないわけ。もしあなたが親なら、その「悪い」という判断をした責任を負えばいい。それだけだろ。問題は科学的客観的な指標として「悪い」が存在するかのように錯覚して、専門家、科学者に聞けば、自分が悩まずにすむ正しい答えが判ると思ってる人が多いことなのだった。

「脳に悪い」と書いてたのを「子供に悪い」に修正。「脳に悪い」だと意味が真逆。

再読。あぁやっぱなんか、読む人によっては「ほどほどがいちばん」みたいな結論しか出てこないような文章という感じがします。ほどほど関係ない。「養老先生くらい能力のある人はゲームも楽しめる」は「養老先生ほどの能力がないのであればバランス悪くなるからゲームすんな」ということにもなるし。

なぜ「子供に悪い」と言わず「脳に悪い」と言いたがるのか。茂木健一郎(さん)に「ゲームは脳に悪いですか」と聞くのは「先生バナナはおやつに入りますか*1からまじで一歩も外に出ていない質問じゃないのか。そのへんが問題だと思う。

*1:まぁだから、「先生バナナはおやつに入りますか」、というのは、小学生のころの可笑しい記憶の連想、というよりは、いかに小学生だった自分たちが抑圧され卑屈になっていたか、というヤな感じのほうに、近い