Googleは何かを知ろうとしている…
google:マシュー・スイート
上位10のページの中に書いてないことが、関連検索で出てきて、それがちょうど自分の頭の中にあることだとびっくりする。
(マシュー・スウィートは腕にラムちゃんの彫り物をしてることで有名。有名というかロッキンオンで昔読んだ)
実名と匿名(ID)
匿名というと人の日記に「おや?」「馬鹿だな」とかいった、明らかに不定の名でコメントしてくる(そのわりに前後の不定名投稿を自分のものだと主張する)オレオレコメンターの人も含んでしまうので表記のしかたが難しい。IDということにしておく。
- 実名論:「議論のためには実名による責任づけが必要」
- 実名反対論:「ネットでは実名(戸籍名・活動名)とそのネット上でのつながりなんて意味がない。IDで必要十分」
- よくわからない人:「名前なんて記号に過ぎんのですよ」
一番下はよくわかんないので無視する。上の二者は対立してるのだろうか。
上に書いたままだと、実名論・実名反対論、どちらも多少無理な主張を含んでいると思う。「実名による責任づけが必要」かどうかはわからないし、「意味がないからIDで必要十分」かどうかもわからない。
プラスに考える。実名に結びつかないIDでも議論というのは可能だろう。かたや、実名はIDのようにリセットができないぶん、慎重な書き方が要求されるので、実名による議論というのも有用だと思う。
この話題をどこかで見て「おれはバイオハザードが嫌いである」という話を思い出した。
(この話をこの日記に書くのは3回目くらいだが)
嫌いな理由は、セーブの回数に制限があるから。他にもそういうゲームはあるが、「バイオ」の場合、それがすごく取って付けに感じた。自由にセーブができない、ということをゲームに対する縛りとして設定して、それがあたかも緊張感のように見せているのはペテンである。そういうのは緊張感ではなくストレスというのだ。
…が、これは好き嫌いの問題であって、「すべてのゲームは好きな場所で自由にセーブできるべし!」という話にはならない。「バイオ」にしたって、セーブ回数の制限を、ゲーム外からの縛りではなく、ゲームのいち要素として見ることができる人は、セーブ回数をなるだけ少なくすることを、ゲームの目標として設定することができる。
で、実名かIDか、という話に戻るんだけど、抽象化して
- 実名は1度しか使えない
- IDは何度でも別のものを使える
というだけの違いにしてみると、話がつながるような気がする。
実名反対の人は、おれがバイオハザードが嫌いなのと同様ののりで、「実名制にして議論に緊張感を持たせるなんつのはダサい」と思っているんじゃないだろうか(よい悪いではなく、「ダサい」)。実名推進の人は、逆に「何度も取り直せるIDでしか発言しないなんて不真面目」だと思っている。
好き嫌いの次元でダサい不真面目、という感想はあるかも。しかし、そこから「べき論」になるのは嫌だなと思う。実名がまじめになる唯一の解決案でもないだろうし。
セーブ回数を制限しなくても緊張感を持たせるのに成功してるゲームはあるでしょう(よく知らないけど…)。