Hatena::ブログ(Diary)

焚書官の日常 RSSフィード

130318(Mon)

3/17 の日記

カッラーラ(ボードゲーム

http://boardgamegeek.com/boardgame/129948/the-palaces-of-carrara

「このコマの形に意味あるんですか」「ないですね」「この資材の色は」「値段が違うだけですね」フレーバーほとんど意味ない……。なのに面白い。なんだろこれ。おいしい素うどん。この材料でできることとして、ほぼ完璧なクオリティなんじゃないか。

やることは「手持ちの資材で建物を建てる」「お金で資材を買って来る」「建物の決算をしてお金と得点をとる」の三択。お金が手に入るのは決算の時だけなので、決算によるお金確保は重要だが、お金だけ取っていても点にならない。

建物には、必要資材の数によるランクがある。これを建てる場所にもランクがあり、「建物の資材数」×「場所による倍率」の掛け算で、貰えるお金と得点が決まる。建てる場所は、使う資材の種類によって決まる。高額資材だけを使った建物は、いい倍率の場所に置けて、安い資材が混ざると倍率の低い場所にしか建てられない。

で、この「資材」はランダムに出現して、誰かが「買って来る」アクションを行うたび、既出の資材の値段が下がっていく。待てば値段が下がるが、ほしいものをとるには、金を積まなければならない。

だいたい、それだけ。これに、決算に関するルールがひとひねり入るくらいか。

初見だと、金回りをまず安定させようとして高額建物・高倍率の場所を狙いがちだが、タイミングとキャッシュフローを重視して、建物の価値が低くてもどんどん建てて決算していくほうが強い。結果、経験者が高確率で勝つのだけれど、「そういうふうにやるのか! よし次はうまくやろう!」という気分が先に立つので、惨敗してもあまり不愉快にはならないのだった。

キーフラワー(ボードゲーム)

http://boardgamegeek.com/boardgame/122515/keyflower

これは上とは逆。要素山盛りで面白いんだけど、プレイしてるときの見通しがよくないので、やっていて、将来が判らないことに対するぼんやりとしたストレスがたまる。そういうものだ、と言ってしまえばそれまでなんだけど、みんなそんなに「この選択で将来大丈夫かなぁ」とか思いたいですか。人生以外で。

「アクションのために自分や人のタイルにワーカーを置いてもいいし、公共のタイルにワーカーでビッドしてもよい」「その場所の競り・アクションに使うワーカーは先着の色に合わせる」というアイデア。それでなんでもかんでもやってしまえ、という勢いはよい。

しかし言っても「競り」なので、人が何をどれだけ出してくる、という不確定情報に戦々恐々としないといけない。で、その競りの結果によって、方針やら最後取れるボーナスがガラリと変わったりする。

情報を手広く掌握できれば、初見からそうとう面白いとは思う。でも、「なんで面白いんだろう、不思議」というマジックは、あんまり感じないですねー。

130316(Sat)

3/15 の日記

GoogleRSSリーダーやめ(安全装置作動によりその後のもじりを削除)

今やtwitterで事足りるしなぁ、かどうかは知らないけど、「RSSの時代じゃない」「ブログの時代じゃない」みたいなことを言う人への一番の違和感は「世界はあんたと同程度のネット歴・あんたと同程度のリテラシーの人だけで回ってるわけじゃないから」だなぁ。

「もはやコロコロコミックの時代じゃない」えー、自分が卒業したことをそういう風に大げさに言う性分なんですね、みたいな印象を持つ。

あと「ニュースはtwitterでわかるしぃ」、という見解には、「仮にそれが成り立つとして、あなたがあなたのコミュニティによって情報収集(って何)できているのと同じだけの便益をあなたがコミュニティにもたらしているという自信はどこからくるの。その自信なしでコミュニティベースで情報収集(って何)が回ってる実感がなんで得られるの」という返しがございます。

PoIC(4)

大箱はまだ使っていない。これまで買った小箱があるのでそれでやってる。必要に応じてピックアップするまでは一切カテゴリ分けしない、と決めると確かに楽だ。今までカテゴリ分けをしては自爆していた。カテゴリを作ると、カードを作った後の仕分けに処理を必要とするので、だんだん書くのが億劫になる。

それに、カテゴリ分けでいちど失敗すると、カテゴリ分けに使った「インデックスカード」が失敗の残骸として残るのが痛い。絶対に分類に迷いのないインデックスは「今月」「ここ3ヶ月」のような、時刻に関するものしかない。

私はあいかわらずです

上の難癖も「もし日本が鎖国してボードゲームが一切海外から輸入されない、ってことになったら、自分の趣味をどういうふうに考えますか?」みたいな話と同じ根っこだなー。そのときは、「そうなったとき手元に残るものを本質的な要素と見なして自分を育てたほうがいんじゃないの? 」……みたいなことを言いたかった。

あいかわらずではあるけど

web日記を自分の生活フローに組み込む目算は立ってません。

130315(Fri)

3/14 の日記

花粉

今年はまだ、目が痒くてたまらない、というほどの花粉にはなってないなぁ。日本の西の端だから安定してるのか……。

はてなスペース(3)

運営のスペースやその他の場所で、なんかそこにコミュニティがある、みたいな前提で「人が来ればコミュニティが盛り上がるのに残念」「入ったけどそのコミュニティで何を話していいかわからない」みたいな話になってるみたいだ。

たとえばmixiのコミュニティって「わたし**好きですぅ〜^^」なんつって自分のプロフィールページに属性アイコンを付けるためだけのものだし、入ったコミュで発言した記憶なんてほとんどないことを思い出せば、「インターネットに人が集まれば、テーマごとにコミュニティが形成されて、そこで情報交換して盛り上がるはず」なんて、ほとんど寝言みたいなものだと、判りそうなものだけど。

私は部屋で楽器を弾いている。壁越しに何やら隣の部屋でやっている音も聞こえる。それはそれとして私は私のひびきを大事にしたいと思っている……思っているが、人もそうであるという実感はほしい。インターネットになにか書いてみるっていうのは、せいぜい、そんなもんじゃないのかね。いきなりドアのチャイムがなって「こんにちは、ジャズギターされるんですね^^ こんど**をやろうと思うんですけど、よかったらいっしょにあわせませんか?」ワーオ、出会い、コミュニティ、インターネット万歳。しかしそうなることが本意ですか? チャイムが鳴らないと「このマンション過疎ってるわ〜つまらんわ〜」ですか?

もっと他人に(表面的には)無関心になるべきじゃないのかねー。

断片部独我論

ライブ演奏どうでもいい、宅録のほうが一人でできるし面白いだろ、っていう自分のメンタリティはあちこちで発揮されてる気がする。

130311(Mon)

3/11 の日記

愛、アムール」(映画)

介護、ときどきサスペンスフル。ときどきコント。

絵が3枚(4枚?) 大写しになるところで、何かが夫の中に起きたのではないかな。それでいきなりの娘の訪問に泡を食って寝室に鍵をかけるなんてことをしてしまったんじゃないか。不可解なシーケンスだけど、強いて解釈するなら「頭の中で妻を殺していたところに娘がやってきた」とでも考えるしかないんじゃないか。

つまり、夫の心の動きを丹念に追って楽しむ映画なんじゃないか、と思いました。

最後、冒頭から予想された通りに夫は妻を殺す。しかし、実際にその行為に至る、あの長回しのシーケンスは、妻が最後、コント的に「あうあうあー」と呻いて夫の話を台無しにするのかと思った。その前の、水を飲まなかったりものを食べなかったりするコント(そう思います)からの天丼もあったし。

しかし、そうはならなかった。意外なほど唐突な殺しだった。逆に言えば、それはほんとうに「どっちでもよかった」ことなんじゃないか。夫はあそこでとっさに妻を殺すこともできたし、殺さないこともできた。それまでも、その二つは常に重なり合っていた。

ぞっとするシーンはいろいろあるけど、印象深いのは「おかあさんはちゃんと病院に見せたほうがいいんじゃないとね、もう少しいいお医者さんがおらすとじゃなかと?」(熊本弁に変換された)にマジレスするシーン。怖いねぇ…。

テレビ

語り継ぐものが「死なない知恵」になってしまって、急に「千年後の子供達に」と話がでかくなる。千年後! 「未来の考古学者がインターネットを見たときにブログは資料になる」なんて思ってブログを書ける奇特な神経の方が、よのなかには、いるのだろう。

4月に「ライク・サムワン・イン・ラブ」のDVDが出る予定で、これはファンドでお金を先払いした私のところに届くことになっているのだけど、語り継ぐものがあるとしたら、この映画を見ているとき、2時間ずっと下腹に感じるものに近いものなんだろうと思っている。

130305(Tue)

3/4 の日記

こんどは胃腸が

前の風邪とは関係ないのだろうけど、ウィルス性胃腸炎みたいなので一回休み。早めに抗生物質飲んだので、そんなにひどくなってない。

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