早6年

mxoxnxixcxa2016-05-12

 例えば自殺という事象に関して、ものすごくハードルが下がってから何年たったのだろうと思いをはせても、はっきりとしない。
 妹が自殺してから何年たったのか、はっきりとしない。妹は24歳だった。私は?私は何歳だったのだろう。あれから何年たったのだろうか。今現在、妹の命日と、死を知った日のその間にいる。
 告げられた時の状況は今でも、頭の中で映像でそのまま再現できる。あの時の電話越しの母の一本調子の声も言葉も、それを聞いた時に私がいた場所も状況も何をしていたかも、電話を受けながら何を眺めていたかも、そのままフィルムみたいに覚えている。だから私にとって、命日よりは死を知った日の方が、妹を失った日として印象深い。
「もにちゃーん、○ちゃん死んだ」「え、なに?」「Mちゃんから電話があって、職場に来ないから家に言って、大家さんに言って鍵を借りて入ったら、○さん、死んでましたって」
 いくつか母の棒読みみたいな状況説明を聞いて、その電話を切ってしばらく、どうしていたのかは思い出せない。私は当時多忙を極めていて、そう経たないうちに、手の震えを抑えつつ作業を続けたことは覚えている。ものすごく冷めていたというか、感情を切り離してとても淡々と、あれこれをこなしたように覚えている。理性で切り分ければ、私が映像と呼ぶものはフラッシュバックと呼ぶことが出来て、あの時の震えというか体感は、トラウマと呼べるものなんだろう。だからなんだというのだ。名前を付けてみたからって、何がどうなるわけでもないから自分の好きなように呼んでおく。
 あの電話を受けたときのあの感覚、体中の血が一気にどこかに行って、かーっと熱くなるような、もしくは一気に血の気が引いて寒気が走るようなあの震えというかあの緊張感のようなものは、後にも先にもあの時しか知らない。私にとって妹の死は、葬儀で見た死体の顔とあの時の映像で、そして、それで、あの映像を取り出して眺めると、どうしようもなく苦しい。どうしてだろう。私は誰のために何のために苦しいんだろう。
 もはや私にとって妹は、そういえばいたなな…。本当に?まあでも色々と思い出もあるし、いたんだけれどもさ。というもの。いなくなって大分経つし、そもそも離れて暮らしてすでに長く経っていたからだ。電話はしていても、実際日常的に顔を見合わせているのとでは、訳が違う。と思っているけれど、そう思いたいだけなのかは知らない。
 あれから時間をかけて、その事実から自分の人生を切り離して私は私の生活を生きてきた。だからあれから何年たったのかは、もなかを辿って知るくらい。2010年。あれから6年経った。
 第一発見者のMちゃん。あの子はどうしているんだろうか。最後にあったのは、あれから数年後で、古都の我が家に妹のリュックを背負って妹のサンダルを履いて泊まりに来て、がりがりに痩せて目だけ大きくなって、妹のあこがれだった山村留学して妹の好きだったトマトを作っていたけれど、体を壊して東京に帰るところですと言っていたのが最後だ。そのさらに数年後、実家に遊びに来たという話を母から聞いたくらい。その時の母の愚痴を聞くのは辛かった。
 MちゃんはLineでなら連絡が取れそうだけれど、私のように全部切り離して生きていたら?今更思い出させる者が、あえてコンタクトを取るべきだろうか?心配しているという、所詮他人事の案件で?当の私は、知っているなら一切それっぽいことには触れてくれるなというスタンスなのに?
 私は他者への想像力が欠けていているのだろうか。たぶんそう。感情を武器みたいに振り回す真似だけはしないように言い聞かせてきた。だって私は強いんだもん。私は強い平気大丈夫。だって強いから。けれどたぶん、とても冷たい。正論は言えても心がない。でも喜怒哀楽で他人を振り回して傷つけるより、ましではないのか?
 だから時々、王様の耳はロバの耳なのってもなかにガス抜きして、深呼吸して頭を整理する。ていうか自分にとっての優先事項を取捨選択して、切り捨てたっていいじゃない。私は生きていかなければいけないし、そのうえで苦痛となるものを遠ざけることを非情だとは思わない。死んでしまった人に囚われて生きていくことはできない。それが大事な身内だった場合なら尚の事だと思ったっていいはずだ。
 かつて親友と呼べる友人二人ほど別々に、居なかったことになんてしないであげて欲しいと言われたことがあった。妹のことについては1度か2度しか話したことはない。普段はまるで触れないでいてくれるからこその友人でさえそう言うのだから、だからたぶん私の考え方は一般的に正しくはないのだろうと知っている。にっこり笑って、まあそうかなーとは答えたけれど、これでいいと思ってる。妹がいた。自殺した。妹がいたけど自殺して死んだ。なんてどうやって日々背負って生きていけばいいのだ。外向きに現在の家族構成を話す、欠けたものは自分の中でたまに時々思い出す。これの何がいけないのだろうか。
 自殺は権利なのかは知らない。もしかしたらたぶんきっとそうなのだろう。けれどそれは、他者の権利も考慮した上で行われたいの。私にとって自殺という事象は大変ハードルの下がったものとなったと思う。いつかの自分の選択肢に入れてもいい。両親を見送る義務を果たして、兄弟に一切の迷惑をかけないように万全の配慮をして、苦痛を与えないように消えることが実際本当に可能であれば、それもいいと思っている。けれどそれだけでは死ぬまで無意味すぎるから、できる限り楽しいことまみれで生きてゆきたいと思う、その先に自死がないなら良いことだ。
 生きることはどうあれ正しいとは言えないけれど、生きていこうとすることは正しい。6年経った今はそう考えている。あれこれ切り捨てて異国に来て、夢描いてみたりしていた職について、優しい人たちに囲まれて、例えば私は家というものに縁がなくっても、すごく幸せ。もにちゃんすごいじゃんって本当は妹が言ってくれたらと思う。居ないんだから仕方がないことだ。
 けれど出来る範囲、思いつく範囲では良い選択をできたと思ってる。思ってるの。私は強いからきっとこれからも平気。にきまってる。