終戦記念日だったという事で、何か最近思ったことを吐き出す。

昨今のしょうもないニュースの類しかり、個人の自己顕示欲が行き過ぎてるとかの類いしかり、

SNSが当たり前になりすぎてるお陰でひどく一人一人が正義感を持ち出して振りかざしまくってる日常がすごく嫌。

あいつはこうしたから向こうが悪くて、自分は悪くないです。これ、皆さんわかってくれますよね?

この政治家がああ言ったのに対してこんなに憤りを感じているぞ、総理を貶めろ。


…どうでもいいです。


いつからこんなに個人の思想を公共にブチまける世の中になって来たのか定かじゃないが、結局の所SNSで流れた情報ってやっぱり人の熱が入り過ぎてて過剰な勧誘と同じで、何も響いて来ないなあと。


過去、そういうバカをしたこともあったけれど、ただ語りたくてカッコつけたい自惚れの行為でしか無くなってきてるのに気付いていない。


見てて不快で、正義を語ってスッキリして、その正義でまた不快にされる循環。
ここ最近、殆どに無関心になり過ぎてて怒りを煽るニュースよりもそれにコメントする輩の方に腹が立つことも笑

人の頭の中が外部に発信できるようになり過ぎてて、人間って陰湿で欲張りで汚いねって改まる思いです。


で、自分で思ってることなんて、大抵の人は同じように位しか考えてないなと。
発想しかり、思想しかり、大きく流れが変わる事なんてその時には大きく変わる気がしてる。
だから、無駄に吠えても多分このまんま大きく変わらず戦争はない気がしてる。
人は自分だけが大事で、臆病だから。


昔のTwitterは良かったなとか言ってる自分も相当ガタが来てるね。

ナナ

6月24日午後10時55分にナナがこの世を去った。と今日実家からメールがあった。16歳の大往生。
土曜にナナの容態が悪くなり、歩くことも立ち上がることも出来ず、食べることも水を飲むこともままならくなったと両親からメールが来た。
去年、いよいよ別れが来てもおかしくないと思い、何度も何度も用事を作って実家に帰り会いに行った。
緩やかに老いを進めながら喜んでくれる感情が薄くなり、尻尾を振らなくなって、おすわりが出来なくなり、耳と目が機能しなくなり、ただウロウロ回り続けるナナを今年のGWに見て、いよいよだなぁと実感を重ねることが多くなった矢先のことだった。

日曜の朝に、「夜鳴きと吠えがずっと続いて、もう本当にダメみたい。このまま苦しんで近所に迷惑を掛けるくらいなら安楽死をさせます。」と連絡が来て、苦しむなら仕方ないけどと了承せざるを得なかった。
結果、最後に苦しみつつ家族に見守られながら旅立っていったと今日連絡を受けた。


変な話だけど、里子としてもらって来た当初から、「あぁ、こいつはきっと俺より早く逝ってしまうんだろうな」
って思いながら育ててた気がする。平均15年位だから・・・とか。だから去年は最期を看取ってあげられないかもしれないって思っての行動だったけど、それでも少し後悔は残る。


高橋よしひろ銀牙を小学生の頃から読んでいて、犬が飼いたいって思って防犯対策に・・・と親が承諾してくれて、
中学から二十歳までの5年間は面倒だとも思いつつ喜んで待ってくれる顔を見たらしっかり生涯を迎えてあげなきゃダメだと思えます。
すぐ怒るところも、生意気で二本足で背伸びするところも、内弁慶で小心者なところも、がっついて言うこと聞かないところも、素直に喜んでるところも全部家族に似てると思える。
実家に帰って一番喜んでくれるあいつが一番好きだった。

犬はわからなくても、自分に言ってくれてると思ってるらしく
「なんかキャバ嬢に似てるな」って思います。過度なお触りは怒るから、話を聞いてくれるお触りパブみたいなもの。
どこの犬よりうちの犬が可愛いのは俺を認識してくれるから、頼るしかなくて頼られてるからであって、一番大事にしてくれると信じてるから犬は可愛いんですよね。

犬を飼える環境さえ自分で整えられたとしたら、実家から引き取って自分で生涯を終えさせてやりたいとすら思っていた。
白内障が始まって、目ヤニで真っ黒にした目を見たときに、甥っ子が、祖父祖母の認知が忙しくてとかでないがしろにしてた時期があってこんな簡単なことを・・・って思って帰ってる間だけでも一人綺麗にしてあげてたんだけど。
きっと最後に看取ってあげた家族も何か感じては居ただろう。
エゴだったけど、終生のナナを見て、そんな気持ちに駆られた。

もちろん最期を俺も見届けてあげたかった。
もしかして、みんなを呼んでいて俺を呼んで鳴いてたのかと思うと後悔は募る。
きっと、暫くはどうやっても写真を見ただけできっと涙する。ずっと先まで先に逝くことを思い出して泣いてしまうかもしれない。
だけど、一生忘れない。犬が好きなことも、じゃじゃ馬な妹が居たってことも、動かなくなってた尻尾を思い出したように振ったことも、涙した時に拭って来たことも。一生ペットロスになっても飼ったことを後悔は絶対にしない。


幽霊も生まれ変わりを信じて居ないけど、もしも後悔として魂として漂ってるならずっと憑き纏ってくれて構わない。
毎日枕元に立っててくれてても構わない。そうであったら良いな位で一緒にいてくれて構わない。
光や風に成って一緒にいてくれて構わない。

いつになるか解らないけど、また会おう。
来月は白山に登る時に会いに行こう。


わかっては居たけど、気持ち悪いほど長ったらしくなってしまった。
でも、きっとこれを読んでる時にはまた涙すると思うな。

ありがとうナナちゃん。家族で居られて幸せだった。

台風の中、呑んで、食べてカラオケ行ってきた。

やっぱり楽しい時は本当楽しそうに出来る自分が居るのがなんか解せないな。

少ない友人とこれからの予定も立ってるし、大事にして行かなきゃいつかまた足元から崩れるだろうか。

もう、そろそろ気持ち切り替えて生活しなきゃダメな気がして来た夜だった。

明日は台風どうなるかな。

また、Twitterを辞めてしまった。
というか、もともとは辞めよう辞めようと思ってたので、ある事柄をきっかけにちょうどタイミングも良く
「あぁ、今が時だな」と思いすっぱり辞めました。
まぁずっと独り言のブログさえ残ってればSNSなんかもなくてもストレスは少ないし安堵感はあるから平気。
理由についてはスマホのメモ帳に長々と書いたけど、ここに書き記す事はとりあえず控えてそのまま残しておく。


最近、自転車で足の親指を怪我してせっかくの登山時期を完全に逃してしまったのが悔やまれる日々す。
酷く化膿してるので、ちょっと障害物に足をぶつけただけで悶絶するくらいやばいす。

話を戻して、Twitterを辞めて少しだけ後悔したのは個人的に欲しかった音楽の新しい情報をシャットアウトすることについて書いていこうかと思う。

今年から思い切って、バンドの音楽を一切新しく知り得たり、聞くことを辞めて、電子音楽のみをインプットする事にし始めた。
なんとなく10月も中旬まで来た結果として、なんら差し支える事はない感じです。
以前から、そういう事は多少考えつつ、聴いて来た音楽がもう、どこか昔にどこどこの何かに似てるなとか
あのバンドっぽいアプローチだね。的なことを感じたりすることを思うと、
「いよいよバンドも出尽くした感があれだな」と思うことも多くなったというか。(本当の意味ではきっと違う)

だけど、昔に自分で必死になってあるシーンについてがむしゃらにディグして聴きまくった音楽は今でもずっとiTunesから戦力外通告されることなくひたすら定期的に聴き続けてる自分が居たりします。
なんら変わることなく、きっとこの培って来た道筋があったから今自分が作ってる曲が延長戦に活きて来ているかなーと思ったり。

試しに、メンバーのトシヤさんに同じ話をしたところ、やはり似たような答えが返って来ていて
もっとエレクトロニックなアプローチはバンドの曲に活かしてみたいと。
感性が、もうバンドの域だけで考えるとありきたり過ぎて前項の通りのつまらなさに留まってしまうような感じでもある。

だからと言って電子音楽路線に行くか?という所まではきっと完全には及ばない。
散々こき下ろして、バンドというスタイルだけではもうクソダサいって言っている自分自身もまだギターを手放す事は考えてないから。

今は、3ヶ月で6曲位ばーっと作ってしまって(自分でもコードや構成を忘れるくらいですが)
次のアルバムに向けての提示したいものはある程度出尽くしたかなと思い、メンバーのやる気に任せて踏ん反り返って待つ事にしましたが、、、笑


今回色濃く出ているものはもっと違うもので、この後のレコーディングでどれくらい進化とアクシデントの変化が出るかなってのが勝負かと思ってます。
一人で黙々と作ってるのはやっぱ性に合わないなと痛感した感じです。
ただ、提示する前に培って来た曲の感じ、メンバーに伝わるかな?俺は半信半疑だけど、どう感じるかなってのは結構大きい異例の曲もあったなってのが、この後良くも悪くも思い出になればいいなとか思います。


ここでしか書かないけど、曲なんて仕事終わりの飯食った後とか寝る前ちょっと何か始めればきっと何か報われるよ。
暇つぶしとか、情報蒐集とか言って毎日SNSやってても、それが毎日になりゃ単なる習慣になって、時間なんかあっという間に潰れるんだから馴れ合いがしたいだけならさっさと辞めたほうが良いんだよね。



話を少し戻して、情報が得られなくなってspotifyは始めたけど、プレミアムじゃないとろくに聴くこともままならないのがめちゃ不便。
もっとかっこいい音楽世の中に転がってるはずなのに、スマホブラウジングで行くと未だsoundcloudyoutubeの方がずっと便利で快適なんすね。もうsoundcloudはほとんど生き絶える寸前かと思たけど、もう少し持ち直してはくれまいか。。。

結果、ディグるより周りにもっと良い人が溢れてるような気がしてる今この頃。
そんな感じです。

久しぶりに更新を。
8月に年休を消化すべく5年ぶりに富士登山をしてきてから
なんと言うべきか、仕事に全く身が入らず、
「とにかく登山をしたい」という衝動に駆られて先週末に焼岳に弾丸日帰りをしてきた。

普段、結構慌ただしい仕事の中、話し声とか電話とか車の運転とかでとにかく喧騒としていて
「久しぶりに登山でもして目標達成感とか、日々の運動不足でも解消するか」
と簡単に考えてたのがなんか大きく変わってしまった感じがしている今。


初めての登山が富士山で、しかもただのツアー客として行った時は、
登りはとにかく登山渋滞やツアー客に合わせる待ち時間が多かったせいか
「早く登頂してご来光拝んでみたいな」「待ちが多いから別に辛くもない」
とか思いつつつ、下山で先の見えないほど長い地獄見たのが良い思い出で
「まぁ、日本人の心富士山登ったし、良い思い出補正かな・・・」
と思ってたんだけども

8月のソロ登山が苦しくも、終始楽しく下山まで過ごしたことを感じたことが
今にもずっと響いてきているんだなと改めて感じている節がある。

富士山の全5ルート中最も登山者が少なく、一番ポピュラーな吉田ルートの10分の1しか
利用者がいない御殿場ルート。
なんとういうか、本当に辛く険しく楽しいルートだったことかと・・・。

一番過酷であったが故のひと気の無さ。
久しぶりにあんなに静寂の中で佇んでいた時の感動はもう他では味わえなかった気がしている。
あの時、標高3000mで未だ山小屋も見えず、セブンのピザパン食った時の感動ったらもう無かった。
7時間かけてやっとついた山小屋で初めて見た影富士を眺めて飲んだビール。
頂上で湯を沸かして、食べたカップヌードル

いろいろ語りつくせない感じはあるけど
日々の喧騒とした生活を逸脱して過ごした時間が5年前の退屈だったツアーとは全然違ったのを感じられた。

普段、パソコン触ってガチャガチャ喧しい生活に身を置いてるってのが、今は苦痛でしかなくなっている。
本来はもっと自然に身を置いて生活してる方が性にあってるのかもしれないなって思い直した瞬間でした。

今のシーズンが人気も少なくて、気軽に登山できる本当にいい時期なのだろうなと思うともう次の目標に向けて予定を立てたくてしょうがない。



多分、今はまだ初期衝動のようなもので、
「もう登山はいいよ」「一回痛い目見たし」
みたいな経験もきっと生まれてくるだろうけど、このブログの備忘録として
1年先、数年先、思い返したその時に、どう思っているのかを改めて確認したいかと思い、ここに書きておきます。
飽きっぽいし、基本的に身体動かしたいとか思ってないだろうけど・・・。
書き記してる今はとりあえずライフワークに加えたいなって思ってます。

去年の忙しさのままずっと放置するしか無かった曲作りが、4月に入って機材触らない日が無いくらいで何か久しぶりに楽しい。

やっとエンジンが掛かって来た感じです。
ライブたぶんやれない気はするけど、目標は色々出来ました。

ずっとこういう余裕のある生活だと本当良いよな。まだやり残してる事が多すぎて時間が全然足りないけど。

床について早一時間過ぎるもまだ寝付かず。
ハッと思い直した様に確認をして一月前の記事を読み直しました。

セロトニンの件はなんとやらですけど、とりあえずこの一月の間はなるべく穏やかな気持ちで継続出来てる…はず。

引っ越しから引継ぎの件とかで何かとムッとすることはあったけど、意外と耐えられるというか普段から少し気張ればまぁ大抵のことは目を瞑っても良いんじゃ無いかと思う様になって来まして。

その代わり、酔った際に酷くセンチを暴発しがちな気もします。
これはまだ耐えれてる証拠でも有る。

言葉にしない。
気にしない。
尾も引かない。


明日は曲作るす。