2008-09-28
『東京の宿』
小津安二郎 |
- 出版社/メーカー: 松竹
- 発売日: 2003/11/22
- メディア: DVD
- クリック: 1回
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1935年公開作品。120分。
遂にサウンド版おめでとうパピコ。
ストーリー:子を二人(突貫小僧、末松孝行)もちながら失業中の身である喜八は、何度も職を探すがすげなく断られる。その途に出会ったおたか(岡田嘉子)も、子供を抱えて失業中であるらしい。上の息子は荷物を失くし、仕事は見つからず、いよいよなけなしの金をすべて叩いて最後の晩餐かと思いきや旧来の知人おつね(飯田蝶子)に宿を貸してもらい、就職の世話をしてもらう。子供も学校に行くようになり、暮らし向きも豊かになった頃、おたかに再会する。変わらず就職口の見つからない彼女を喜八は励まし、好意を寄せる。しかし突然彼女は姿を消し、彼女が再び喜八の前に姿を見せたのは飲み屋の女としてであった。娘が患い、そのための金が必要なのだと泣くおたかのために、喜八はどうする……?
サウンド版とは、サイレント版とトーキー版のハザマで生まれた作品群。役者の声は出ないが、BGMは演奏されているもののこと。ここまで来ると次はトーキーだ!! おめでとう!
小津作品の中でもとりわけ暗い時代の世相を扱ったもの。喜八は失業中で、どこを当たっても断られる。金のない男は飢えるしかなく、金のない女は娼婦まがいの仕事につくしかない。前半はちょっと辛い。喜劇めかしてはいるものの、厳然として職のない喜八の姿を繰り返し繰り返し執拗に映す。
ただ、職にありついた後の喜八のセリフにこそ、監督の気持ちがこもっていると思います。特に、このセリフは『出来ごころ』にも出てきたと思います。
「長生きはするもんだねえ」
あとの会話でおたかは「心中も考えたが……」とこぼし、喜八も「おれも考えたんだ」と言う。衣食足りて栄辱を知る、という言葉がありますが、不況の頃の過酷な生活状態を思わせるダイアローグであります。
それでも、「生きてみるもんだよ」と人情に厚い喜八にしみじみ言わせることによって、生の価値を説こうとしているわけです。
金がないから盗みを働く、というのは久しぶりの展開。『その夜の妻』が類例ですね。ここでも飯田蝶子が魅せる活躍をしています。
喜八はすぐ怒ったり打ったりする人ですが、それでも憎めない、義理堅く、自分の信念を曲げることのない好漢です。きっと多くの視聴者に愛されたのだろうなあ、と思います。
彼は決して、貧しさに屈して心まで曲げようとはしない。食べるものがなくてひもじい子供らと一緒に、エア食事と言うべきか、ないものを食べたふりをしている様子、あそこで皆がうれしそうに食卓を囲んでいるようにみえるのは、彼らの心が決して貧しさに浸食されてないからでしょう。
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「仮想的有能感」の主張、それ自体は確かに評価できると思います。
僕のブログで書いてるテーマも「見下されたくないために汲々としている自分の生きづらさ」だったりします。それは「仮想的有能感」に浸り優位な立場にありたい自分や、自分を含めたねらーのような「他人を見下す若者たち」の存在が常日頃気にかかることから発しています。
他人を見下したり、批判したり、否定したところで「仮想的有能感」が増長され、結局は何も行動によって成しえないなーと思う今日この頃です。
我ながら気をつけたいと思います。
仮想的有能感についてもう少し。
『社会的ひきこもり』には、ひきこもりは高学歴が多いと書いてあるそうですが、この仮想的有能感もその一助となっていると思います。
周囲から高い期待を受けつつも自分の内にそれに応えうる資質は見出せない。けれど家族は無批判に称賛するものですから、プライドばかりが増長していく。
それで実社会に出ると、自分がスカスカな人間に思えてしまいますね。プライドという服を着た裸の王様です。
そこで中身を育てればいいのだけれど、なまじっかプライドばかり高いものだから人と同じフィールドに立って一からやり直すことを恐れてしまうのではないかと思います。
そうすると、プライドだけで大衆を軽蔑して生きる自称選良になるか、もう少し自制心があれば引きこもりになるかのどちらかに陥りますね。ホントはプライドを捨てるのがいいんですけど。
以下本書で紹介されていた話。
「四半世紀ほど前に、ある高校生が評判の学者一家に育ちながら、孫を思い、身の回りの世話を細かくやく祖母を「うるさい」と逆恨みして刺し殺し、その直後にビルから飛び降り自殺する事件があった。残された遺書には当時の常識からは想像できない言葉が残されていた。すなわち、その遺書に書かれていた言葉とは「大衆の劣等生のいやらしさ」「エリートをねたむ貧相で無教養で下品な大衆劣等生に知らせるため」「父親に殺された、あの開成高校生に対して低脳な大衆は、エリート憎さのあまり行ったエリート批判に対するエリートからの報復攻撃」「馬鹿な大衆め。エリートをねたんだ罰だ。サァー苦しめ」というようなものであった(「読売新聞」一九七九年一月十六日)。」
まぁここまで極端に走るのも難しいですけどね^^;