ヴァッティモ『透明なる社会』 違和感の美学

『透明なる社会』を読む。

透明なる社会 (イタリア現代思想)
ジャンニ・ヴァッティモ
平凡社
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本書の中心はメディア論、コミュニケーション論、芸術論である。ヴァッティモはまず、ポストモダン社会が近代から決定的に断絶している価値転換に触れている。「ともかく、私が提示する仮説によれば、近代が終焉するのは、歴史を――さまざまな理由から――もはや一元的なものとして語りえないことが明らかになるときである。」(9頁)
本書が1989年に初版、2000年に増補されたものであることに留意したい。まだまだポストモダン論がもてはやされていた時代なのであって、今日からすればさすがに安直にすぎるのではないかという議論がここで展開されるのも、そのアクチュアリティから大目に見るという寛容さが必要である(そんな義理もないんだけど)。
この近代の終焉・歴史観の崩壊という事態の形成に決定的な要素としてヴァッティモが挙げるのは、植民地主義帝国主義の終焉、そしてコミュニケーション社会の到来である。

こうして、私は「透明なる社会」にかかわる第二のポイントに触れることになる。いずれわかるように、「透明なる社会」という表現は、ここでは疑問符付きで導入されている。主張しようとする論旨は、以下のとおりである。(a)ポストモダン社会が誕生するにあたって、マス・メディアが決定的な役割を果たしている。(b)マス・メディアは、このポストモダン社会を、「透明」で、自覚的で、「啓蒙された」社会としてではなく、カオスといっていいほどいっそう複雑化した社会として特徴づけている。そして最後に、(c)まさしくこの相対的な「カオス」にこそ、われわれの解放への希望が宿っている。(12頁)

ヴァッティモはあまり凝った表現をしない。ここでも個々の論旨は明確で、(a)については今更どうこう言うことでもあるまい。フランクフルト学派のメディア批判論から距離をとりつつ、マス・メディアというものは、社会を全体主義的に同調させるものではなく、「実際にはむしろ、ラジオ、テレビ、新聞は、さまざまな世界観[Weltanschauungen]の広汎な拡散と多様化には不可欠なものとなったのである」(13頁)と彼は言う。要するに、メディアというものは何もたった一つ機関が担うわけではなく、様々なマイノリティの声をその媒体ごとに拾い上げるものであるから、世界解釈の多元性をいや増しにするものである。それゆえ、「マス・メディアをつうじて多様な文化や世界観が解放されるようになることで、かえって透明なる社会という理念そのものが否定されてしまうことになる。」(15頁)
本書の(隠された疑問符つきの)タイトルにもなっている「透明なる社会」とは何か? それは社会の成員のあいだでコミュニケーションが何の摩擦もなく成立する理想社会を指しており、ある種の立場(メディア楽観論)からは、それを促進するのはマス・メディアの役割である。「論理的社会主義に基づく共同体が実現する際限のないコミュニケーション社会こそ、透明なる社会である。」(34頁)
こちらではヴァッティモは、ハーバーマスやアーペルといったコミュニケーション論者に対して距離をとる。彼らが前提にしているのは、論理的な言語使用によって、話者および社会に存在するコミュニケーション上の障碍を取り払えば、「認識の完全な透明性」(33頁)が可能であり、相互理解が果たされるという理念である(「サルトル弁証法的理性をめぐる浩瀚な研究を支える概念構造」(35頁)にさえこの自己透明性という理念は存在するという)。
「論理的社会主義を実現する上で決定的な契機は、まさしく人文科学や社会科学である」(33頁)という指摘は尤もなもので、なんということはなしに人文社会科学ではその種のロマン主義が横行する。そうした相互理解的発想においてモデルにされているのは、「研究者や科学者の共同体」(39頁)であるが、「しかし、解放された人間主体、ひいては社会そのものを実験室の科学者という理念をモデルに組み立てることは、はたして正当なのだろうか」(同)という批判は正しいもののように思う。大衆社会批判をする学者はしばしば理想像を事態を熟考することのできる冷静沈着な人物に求めるが、それはそのひとのナルシシックなイメージではないか。
ヴァッティモが強調するのは、社会はメディアの浸透によってかえって多元化しており、透明なる社会の相互理解が不可能になっている状態である。そこでは個々の言語は論理的に中性なものではなく、ローカルな差異や要素として「方言」化するのであるが、「むしろさまざまな差異や「方言」を自由に解放する意味は、一体化によってもたらされた最初の効果に対する違和感が生じて、解放と綜合された効果を発揮する点にある。」(19頁)

さまざまな方言が交わされるようになった世界のなかで、私が自分の方言で語るならば、私は、自分の方言が唯一の「言語」ではなく、まさしく多数のなかの一つの方言であることも自覚するだろう。この文化多元社会で、私が自分の――社会的、美的、政治的、民族的な――価値観を公言すれば、私の価値観をはじめとするこれらすべての価値観の歴史性、偶然性、有限性をも敏感に意識することになるだろう。(19頁)

ここでヴァッティモは、彼としばしば同列に置かれるリチャード・ローティと同じ立場に立っている。リベラルなアイロニストは、自らの立場を自らのものとして愛玩しながら、それが決して単独のものではないこと、他の価値観もまたありうることを承認する。自らの価値それ自体が歴史的であり偶然的であり有限的であることを認めながら、つまりはその違和感に身を置きながら、生きること。これが「弱い思考*1」であり、彼の考える「解放」であり、それがポストモダン社会を生きる「処世訓」たる所以である。
ニーチェの言う「世界の寓話化」の現状において、「夢を見ていると知りながら夢を見続けること」(29頁、59頁)、これが彼の理想であり、それを違和感の経験とも言えば、やはりニーチェに倣って「超人」(42頁)のイメージによっても語り、世俗化の宿命とも神話の脱神話化とも言う。芸術について語らせれば、それがかつてはマルクーゼ的な美的ユートピアが志向されていたのに対して、美的共同体は揺らぎとしてヘテロトピア的に生起する(「われわれは、世界をかたちづくり、共同体をかたちづくるモデルの認識として、美の経験を捉えている。ただしそれは、これらの世界や共同体がはっきりと多元的なものとして生起する場合にかぎられる。」97頁)と述べ、ハイデガーベンヤミンの美学芸術論を参照して、別の論考では違和感と呼んでいたところのものをショック(=シュートス)と呼ぶ。現代芸術において、「美的経験は、生に違和感を感じつづけるためのものである。」(74頁)
ポストモダン-マスメディア-コミュニケーション社会における実存の違和感を美的=感性的に追求するのが本書における主眼である。この種の議論は我々にも既視感があって、島宇宙やタコ壺がどうこうと言っていたとき、なんとかその多島性を尊重しようと考えていた人々は、この違和感を維持し続けることを説いたものである。とはいえヴァッティモの主張には、実存に対する理解が決定的に欠けている。何も実存主義者になれと言うわけではないが、メディアが人間の感性を変えたのだからそれに相応しい生き方をしようと言うばかりでは、それがもたらす疎外感から目を覆うのに等しい。「弱い思想」とはじっさい、自分の生き方を多様な生存の前で見失いつつも生きよ、というタフな主張なのではないか。
増補に際してくわえられた第六章「脱現実化の限界」は、その意味で、「弱い思想」の限界を示すものでもある。ニーチェの「事実などというものはなく、あるのはただ解釈にすぎない」(112頁)という主張を解釈学がコミュニケーション社会の哲学たらんとするためのテーゼとして掲げつつ、ここでもやはりヴァッティモは、「脱現実化」ということばを、世界の多元性の生起の体験として記述する。彼によれば、この傾向が「喪失」(117頁)と感じられるのは、それが十分に徹底されていないからである。そしてそれを不徹底にさせしめているものこそ、彼によれば、「マーケットの要請」(119頁)なのであって、それは「市場原理が働くため、どこまでも現実主義的な審級である」(同)。美的な実存=脱現実化と市場原理=現実原則とを対置させることで、ヴァッティモの議論は急速に訴求的であることをやめる。

いまなすべきことは、脱現実化を唯一残った手がかりとみなすことである。そして、脱現実化の真に開放的な意味での機能を妨げている要因が、現実主義的な「限界」への固執にあることを認識するべきである。たとえば、マス・メディアでは美学よりも経済が優先される。もし経済が、(誤った)現実主義的な審級として美学よりもなお優先されるならば、そのわけは、つい先頃、世界で勃発したばかりのありとあらゆるタイプの原理主義の波が押し寄せてきた事態と同じような現象がここでも起きているからである。(122-123頁)

彼の立場は美的なヘテロトピアを志向するものではあれ、経済的にはユートピアを前提としている、とするべきではないか。なるほど誰もが安楽な生を営み、古代ギリシアのような自由人であることができるなら、他の生存様式を認めることにもやぶさかでない。しかし、明らかに現状はそうではなく、かつ今後もそうなる見込みはない、という状況にあって、他の生活圏や文化様式、一言で言って「世界観」と呼ばれるものに対する反応は、排外主義的なものとなってしまう。ヴァッティモの観測では、今日の経済は利便性より娯楽に向かい、美的充足のための利用が進んでいる。また、後期産業社会では、量的ではなく美的な商品生産によって生活水準が高められる、とも言う。さらに金融経済がどんどん具体性を失っていくことも、経済が美的なものとなりつつある傾向に他ならない、と見做している。本章は2000年に書かれたものであるから、21世紀はじめの十年間の宗教的ファナティズムから経済破綻に至る動向を十分に察知できなかったのは彼の非とされるべきではないが、それにしても、えらく楽観的なものだな、と思わざるをえない。
いっぽう、ヴァッティモは古典的な芸術観(自己陶冶的で調和的)に対立するかたちで、今日の美的体験は「衝突」として、あるいは「闘争性」において理解されるべきだと言っている。これは違和感にかんする議論の延長で、つまり「歴史性、偶然性、有限性」の認識が我々に衝撃を感じさせる、という論旨だと思われる。そこでは芸術は、我々の視点の固有性を砕く暴力として機能する。しかし、他者の視点に対する暴力というものも考えられないだろうか? 世界観ごとに共同体が分枝するような多元世界において、憎むべき他者への憎悪が表象において噴出するという事態はたやすく見受けられるたぐいのものである。もちろん「弱い思考」はそのような暴力に訴えないところに特徴があるのではあるが、たとえば彼が依拠するニーチェにとって、そのような弱さは到底肯んじえないものではないか? あるいはハイデガーにとってそのような多元世界は承服しうるものだろうか?

私には彼の言う「解釈学」の射程が今一つわからない。もしニーチェ以後の解釈学が「どこまでも漂いつづけるしかない」(112頁)のであれば、それは学を名乗るにも足らないほどに弱々しい観測者にすぎないのではないだろうか。「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。大切なのはそれを変えることなのである」というマルクスの言は、解釈学にどう響くのだろうか。

*1:ポストモダンに対応する思考としての「弱い思考」とは、近代を弁証法的に凌駕したり捨象したりすることで、それに取って代わるような、より「真正な」世界モデルを提示することではなく、むしろ、近代をいったん引き受けた上で、それに批判的なねじれを加えようとする態度に踏みとどまることなのである。」(「訳者あとがき」147頁)

「我々は後ずさりしながら未来に入っていくのです……」ヴァレリー『精神の危機』など。

課題、ポール・ヴァレリーの『精神の危機 他十五篇』を読み、感想を書くこと。

危機の時代

危機というのは近代に本質的な現象だが(もちろん他の時代に見出されないというわけではない)、それは危機における時間意識に関係するのではないか、と思う。仮説を立てることが許されるなら、危機とは過去-現在-未来に対する意識の型である。まず、危機感を抱くときに我々の意識が現在に向かうことは疑いをいれまい。それは分裂、無秩序、頽廃としての現在であって、「このままではいけないのではないか?」という思いが危機を駆り立てる。しかし、そこからより根源的なものとして現れてくるのは過去である。分裂、無秩序、頽廃は、綜合、秩序、調和を想起させ(記憶のように想い起させる)、クロノロジカルな意味での過去を越えて「こうであったはず」の理想的過去が作り上げられる。現在の危機を免れるためには過去を「取り戻す」しかないと思われたとき、ひとは容易く伝統主義者になる。いっぽう、もっとも遠く、かつ扱いにくいのは未来である。未来とその予測不可能性は、これこそ根源中の根源と言いたいほどなのだが、それについて語ることはこれまで成功していない。伝統主義は未来を過去の延長によって解決しようとするが、それによって問題を回避している。革新主義はと言えば、その未来についてのヴィジョンは定義上楽観的であるから、現在の危機感を慰めるものは何もない。未来とその予測不可能性こそ、危機意識を不可避にしているところのものである。現実主義者は「危機なんてない、それを憂う連中が頭のなかで拵えたものにすぎない」と言うが、確かに危機はひとの意識のなかにしか現れないから、それは正しい。しかし彼らは現在を肯定するだけで、やはり未来を回避している。
危機が近代に本質的な現象であるのは、近代がとりわけ未来とその新しさに関わるものだからである。あとでもう少し詳しく取り上げるが、ジャック・デリダは、ヨーロッパが自らを危機の相において見つめ直し、自己同一性を取り戻そうとするたぐいの「自伝」的言説について、「その伝統的言説はすでに、近代西洋の言説でもあること」、「この言説の日付は、ヨーロッパがおのれを地平線上に、言いかえると、おのれの終末=目的(地平[horizon]はギリシャ語で限界を意味する)の方から、おのれの終末=目的の切迫の方から見るようになったときに始まる」(『他の岬』みすず書房、22-23頁)と言う。近代が直線的時間意識を特徴とするとはよく言われたことだが、直線が続くかぎり、その終りが近いのではないかという恐怖は絶えず付き纏う。目指していたはずの目的が、何故同時に終末の恐れを与えるのか? これは「働けば楽になる」という命題が「楽になったらどうすればいいのか」という疑問に答えないのと同じ構造をしている。こうして危機は近代に本質的で普遍的な現象であり、伝統への回帰と革新への猪突猛進と現状維持の惰弱さは、それに対する各々ユニークな態度表明である。

危機の定義

本題に入るが、ヴァレリーは危機についてどう考えているか? 彼はそれを問われた場合を想定している。

――危機だって、と彼はまず自分に言う、――危機とはそもそも何か? まずこの言葉の意味をはっきりさせよう! 危機とはある機能体制からもう一つ別の体制へ移行することだ。その移行はさまざまなサインや徴候によって感じられる。危機の間は、時間が性質を変えたように思われ、持続がもはや平常時のようには感じられない。恒常性ではなく変化を測るものとなる。あらゆる危機は、過去の動的ないし静的均衡を破る、新しい≪原因≫の介入を意味する。(「知性について」81-82頁)

危機を時間の性質に関するものと捉えたうえで、それは「過去」の「持続」が「新しい」ものによって破られることによって生ずるとするヴァレリーの分析は、上で検討した仮説に近い。そして現在は、「ある機能体制からもう一つ別の体制」への移行期間として、つまり一続きではない過去と未来に引き裂かれた過渡期として、定義されている。彼はこの危機が近代的な現象であることにも同意する。「それなら、我らがヨーロッパのこの精神的無秩序は何によって作られていたのか? ――それはすべての教養人におけるこの上なく多様な観念の共存、この上なく相対立する生と知に関わる原理の共存である。それこそ近代という一時代を画する特徴なのだ」(「精神の危機」14頁 )*1。なるほど危機がどの時代にも見出されるとしても、この危機ははるかに特異なものである。昔友人に「どんな時代も過渡期なのさ」と言われたことを回想しながら、彼はその返事としてコーヒーに角砂糖を入れ、次のように答えたことを記述している。「かなり前から砂糖つぼの中に入って、まあ鎮座していたと言えるこの砂糖は、現在、まったく新しい感覚を経験しているところだと思いませんか? 砂糖はまさに≪過渡期≫と呼べる時期にあるのではないかしら? 妊娠した女性は以前の自分とはかなり違った状態にいて、彼女の人生のその時期はまさに過渡期と呼べる時期ではないかしら? 彼女と赤ん坊のためにもそうあって欲しいね」。さらに付け加えて、今ならこう言うでしょう、と。「例えば一八七二年から一八九〇年までの年月を生き、ついで、一八九〇年から一九三五年までの年月を生きた人は、それらの人生の二つの時期の間に、何か歩調の変化のようなものが生じたと感じなかっただろうか」(「精神の決算書」179-180頁)。

ヨーロッパ精神の危機

さて、ヴァレリーが「危機」を論じたもののなかで最も高名なのが1919年発表の「精神の危機」である。もっとも正直に言うと、私の「知性」ではヴァレリーの考えていることをいまひとつ掴めない。危機の原因は何なのか? それについてのヴァレリーの説明は、異なる見解を併存させているようにも思える。また彼が危機を憂いてはいるが、そこから「だからこうすべき」という結論を導き出さない(安易な結論こそヴァレリーの嫌うところである)ことも、彼の危機感を複雑なものにしている。なによりヴァレリーは精神の危機を云々するが、その危機を招いたのは精神それ自体なのではないか、だとすればそれは自業自得とも言うべきものであって、危機でも何でもないのではないか、という疑問が湧いてくる。森本淳生も、精神と危機とは不可分のアポリアであるにもかかわらず(そしてヴァレリーはそのことに気付いているはずなのだが)、しばしば彼が「真の」精神を悪しき精神と対置させてしまっていることについて、その言説を辿りながら論じている*2。結果として彼の言説には、ヨーロッパの最良の伝統のみを温存して、そこに必然的に伴う掠奪や破壊のもう一つの伝統については素知らぬ振りを決め込もうとする節がうかがわれる。これもデリダが言っていることだが、ヴァレリーの精神観は、それ自体が主体による客体の操作・計算を生業としており、「環境との調和を打ち破ろうとする衝動」(「精神の危機」31頁)を有しているかぎりにおいて、西洋の病める形而上学を擁護する典型的な身振りなのであって、「ハイデッガーなら多分、『精神の危機』(一九一九年)の内にある[フッサールと]同じデカルトの遺産を告発したことであろう」(『精神について』平凡社ライブラリー、101-102頁)。こうしてヴァレリーはヨーロッパ中心主義者というレッテルを貼り付けられてしまう。
よく分らないながら私も「精神の危機」のヴァレリーを鼻持ちならないヤツとして読んでいた(ですます調の平凡社ライブラリー版で)わけだが、なんということもなく岩波文庫版の『精神の危機 他十五篇』を読んでいると、これは中々良いセレクションなので、ヴァレリーが非常に長い年月にわたって考えていることがオボロゲながらも伝わってくる。おそらく伝統というものを真に受けようとすればするほど、ヴァレリーのことばは重くなってくるのではないか。ヨーロッパ中心主義者と言い国粋主義者と言い、それを小馬鹿にするのは容易いものの、彼らもおなじ精神的兄弟である。それにヴァレリーの文章は、ヨーロッパの伝統に根差したものとはいえ、既述したような意味での伝統主義者とは歴然と異なる。二十年後はどうなるか、という問いかけに対して「我々は後ずさりしながら未来に入っていくのです……」(「「精神」の政策」156頁)と答えるヴァレリーによる危機の身振りは、時間に対する一つの特別な態度として検討されてもよい。デリダにしても、ヴァレリーを批判しているのではなく、その身振りを反復することから、彼なりにヨーロッパという伝統を引き継ごうとしているようだ。以下ではそれらを備忘録としてまとめる。
ちなみに同編に所収の十六篇は、「精神の危機」1919年、「方法的制覇」1897年、「知性について」1925年、「我らが至高善「精神」の政策」1932年、「精神連盟についての手紙」1933年、「知性の決算書」1935年、「精神の自由」1939年、「「精神」の戦時経済」1939年(?)、「地中海の感興」1933年、「オリエンテム・ウェルスス」1938年、「東洋と西洋」1928年、「フランス学士院におけるペタン元帥の謝辞に対する答辞」1931年、「ペタン元帥頌」1942年、「独裁という観念」1934年、「独裁について」1934年、「ヴォルテール」1944年と、先述のように非常に長い年月にわたって書かれているから、そこから一貫したものを取り出すのは、不正確なばかりか不可能な試みである。しかしまあ、ここでそういうことを気にしても仕方がない。

精神の変形力

まず、ヴァレリーが精神をどのように規定しているかをはっきりさせよう。
「この精神という名前によって、私は何らかの形而上学的な実体を意味するつもりはまったくない。私が意味するところは、ごく単純に、ひとつの変換する力のことである」(「「精神」の政策」125頁)。精神を「変形力puissance de transformation」とする規定は「精神連盟についての手紙」(159頁)や「精神の自由」(221-222頁)といったテクストにも見出される。「精神の危機」にはまだこの語自体は見出されず、「夢」と呼ばれているに過ぎないが、同じものを指していると考えられる。それはどういうものか。「私が言いたいのは、人間は不断に、かつ、必然的に、存在しないものを念頭に浮かべて、存在するものと対立する存在だということである。人間は自分の夢に、営々とした日々の努力によって、あるいは天才の発動によって、現実界が持つ力と精度を与えようとする。その一方で、現実界に徐々に大きな変更を加え、現実界を自分の夢に近づけようとするのだ」(「精神の危機」31頁)。「(いまだ)存在しないもの」による「存在するもの」の乗り越えという図式はサルトルの対自存在と即自存在という区別を思わせる。この変形力は人間にも動物にも備わっているように思われる(「「精神」の政策」135頁、「精神の自由」221-222頁)が、「我々は自発的に自らの生存領域を変えようとする動物種なのだ」というところに人間の精神=変形力の弁別特徴がある。より拡大しよう、発展させようとする、最大限を追求する欲望は、人間の精神に固有のものであり、とりわけヨーロッパにおいて顕著に見出される。「ヨーロッパこそその特権的な場であり、ヨーロッパ人、ヨーロッパ精神こそそうした驚異的な夢の実現の立役者なのである」(「精神の危機」36頁)。人間ということばで念頭にあったものはあっさりとヨーロッパ人に置き換わる*3。そのヨーロッパ人とはローマ、ギリシャキリスト教の影響を「歴史的に」受けたすべての人々を指すものである*4。「勝っているのはヨーロッパではない、ヨーロッパ「精神」である」(同、53頁)……。
大戦の直後に書かれた「精神の危機」においてはとりわけヨーロッパの拡大衝動が反省的に捉えられている。既に引いたが、「ヨーロッパのこの精神的無秩序」は「この上なく多様な観念の共存、この上なく相対立する生と知に関わる原理の共存」に由来するものであった。「思想家は、各人、諸々の思想の万国博覧会の様相を呈していた」(同、15頁)。ヨーロッパの地位が危機的状態にあるのは「ヨーロッパ自らが招いた結果として」(同25頁)であるが、それは本来芸術衝動として製作された生産物が商品に変貌して、交換の具に供されるようになったからである。市場は世界に行き渡り、工場において規格化された労働がすすむ。ヨーロッパは拡がりすぎた。伝播とその先での模倣は堕落をもたらす。ここでヴァレリーは排外主義の殆ど一歩手前にいる。「このような伝播がどのような結果をもたらすことになるかを予測し、それが果たして必然的にある種の堕落を引き起こすことになるか否かを探求することは、知的物理学の興味深くも、怖ろしく複雑な問題に首をつっこむことになろう」(同、27頁)。こうしてヴァレリーは「拡散」と「天才」を対置させ、枝ぶりを整えるかのようにして精神の放縦を刈り込もうとするのである。

科学技術と人間

しかし、このようにヴァレリーが撤退戦を行わねばならないのは、彼自身がヨーロッパ的知識人であるということから生ずる責任感と無関係ではない。それまで辿られていた道が大量破壊や虐殺のような事態を不可避なものとして呼び招くものだったとして、それをすべて廃棄して新しい道筋を辿り直すことは可能なのか? その新しい道筋が、また同じ隘路にはまらないということを、誰が保証してくれるのか? ヴァレリーが描き出してみせる知的ハムレットのように、「彼は幾多の発見、知識の重みに圧しつぶされて、新たな取り組みにとりかかれないでいる。過去を繰り返すことの退屈とつねに革新をのぞむことの狂気について考えている。彼はその二つの深淵の間でよろめいている」(同、17頁)。
このような過去と未来の深淵について、既に引いたように、彼はそれを「何か歩調の変化」と言い表していた。もちろん、これは平凡な議論である。急激に進む機械化とそれにともなう人間の物象化。「知性について」のヴァレリーは、「機械が支配する。人間の生活は機械に厳しく隷属させられ、さまざまなメカニスムの恐ろしく厳密な意志に従わされている」(「知性について」90頁)と言い、それが旧来の思考のリズムを乱してしまったと考える。「ということは時間が問題にならなかった時代が過ぎ去ってしまったのである。今日の人間はまったく短縮できないことは育てようとしない。じっくり待つことと、変わらないこと、この二つは我々の時代には負担なのだ」(同、89頁)。したがってそこから感覚の鈍麻が生ずる。「知性の決算書」では、大まかにわけて、人間社会の速度変化と予測不可能性の昂進によって、「感受性の退化」と「教育の無秩序化」が今日危機的状況として見出される、という。「現在の危機の起源は観念・知識の資本主義と精神の社会主義です」(「知性の決算書」183頁)。
したがってヴァレリーの全体的なヴィジョンとしては、自然科学技術・機械化による厳密で方法論的な人間観及び知識の集積と、人文社会科学におけるあいまいながらも十分に検討を重ねながら蓄積されてきた人間観及び知識の集積。ヴァレリーにはこの二つを区別することは本来できないはずである。何故なら「精神は秩序と無秩序を作り出す元締め」(「「精神」の政策」134頁)だから。注意しておきたいが、ヴァレリーはこういう区分をしばしば採用するからといって、典型的に反科学的な主張をするタイプの人間ではまったくない、ということである。むしろ彼は厳密を好み偶然を排そうとする好みさえある。

私は観念の亡霊、思想の大風呂敷、意味が精神の眼から逃げ隠れするような言葉は好きではない。漠然とした事物には我慢ならない。これは一種の病気、特殊な苛立ちであって、生とは対立する。なぜなら、生とはあいまいさなくしては存立不可能なものだからだ。生をとりまく状況はあくまで多様で偶発的だから、どんな厳密さも受け付けない。出来事は予測不能であり、予測不能こそ世界の最も確実かつ不変の法則であって、それは我々自身が作られている組織のなせるわざである。(「オリエンテム・ウェルスス」289頁)

[こうした記述は、私には、ヴァレリーの最も「あいまいな」部分を露わにしているように思う。彼は厳密さを好み漠然には我慢ならないというが、それを「一種の病気、特殊な苛立ち」と認めている。反対に生は「あいまい」で「偶発的」であり、世界が「予測不能」であることは「世界の最も確実かつ不変の法則」でさえある。にもかかわらず、別のところでヴァレリーは、予測不可能なものの出現こそ今日の脅威だと言う。

私が≪渾沌的≫と呼んだこの状態は人々の作品と営々たる労働の複合的産物です。それは多分ある種の未来を喚起するものですが、それがどういう未来なのか我々が創造することはまったく不可能なのです。そしてそれこそ新事態の中でも最大の新事です。我々はもはや既知の事象から、いくらかでも、信憑性のある未来の形象を導き出すことができないのです。(「精神の決算書」174頁)

しかしヴァレリーの定義において、精神はそもそも反復を拒み新しいものを作り出してゆくかぎりにおいて、時代を問わず予測不能である。そうしたものをできうるかぎり捉えようとするところにヴァレリーの特異さがあるのではないかと思う。明晰性と曖昧性とはヴァレリーを理解するための試金石でさえあるだろう。しかし当座の議論に戻るなら、]ヴァレリーが科学の厳密さを人間の生を疎外するものと捉えていることには不可思議な部分が残る。
とりあえずヴァレリーが古典(伝統的な科学も含まれる)とアクチュアルな知とを区別していることを受け容れよう。だからといって、彼は別に古典を一面的に擁護しているわけではない。そのことは彼が古典教育について述べているところから窺われる。「量的に増大する一方の知識と、是非はともかく、我々が絶対的に優れていると思うばかりでなく、我が国特有なものと考える或る種の質を保存しようとする気持は、なかなか両立しないものです。」(「精神の決算書」200頁)「どうも教えようとしている内容が、いわゆる古典といわれる伝統と、子供たちの目を現代の途方もなく発達した知識や活動に開いてやりたいという気持との間で分裂してしまっているように見えます」(同、202頁)。
ここにもやはり「二つの深淵の間でよろめいて」いるヴァレリーがいるわけだが、彼はしかし、この分裂に途方に暮れるだけでは一つの重大な問いが提起されない、と言う。これは重要な個所だと思う。

――何をしようとしているのか、何をしなければならないのか?
ということはある決意、決定をしなければならないということです。問題は我々の時代の人間とはどういう人間であるかをきちんとイメージすることです。子供がこれから生きていくことになるはずの社会における人間の観念がまず確立されていなければなりません。(同、202頁)

別の箇所では「伝統と進歩が人類の二大敵であることは明らかである」(「東洋と西洋」311頁)とまで言っているヴァレリーにおいて、守株的態度が了とせられないのは明らかである。古典を引き継ぐにせよ、新しい知識を受け容れてゆくにせよ、それを身につけるのは人間であり、その人間が何者かということについての社会の共通了解=信頼が確立されなければ、如何なる知識も役に立たない。

政治という神話

科学的知識が危機の相において見られるのは、まさにその点において、つまり、科学知に随伴する人間の観念を無批判に受け取られてはならないからである。同時に、古典的な人間観に立脚したままの政治も、厳しい批判に晒される。

どんな政治にも何らかの人間の観念がある。[…]政治にはすべて人間や精神についての何らかの観念があり、世界観があることに変わりはない。ところで、既に示唆してきたことだが、現代世界において、科学や哲学が提起する人間の観念と法律や政治・道徳・社会が適用される人間の観念との間には距離があり、その溝は深まりつつある。両者の間にはすでに深淵が口を開いている……。(「「精神」の政策」138頁)

ここでもやはり深淵である。科学(や哲学)はそれ自体において批判の的になるわけではない。むしろ、その厳密さこそヴァレリーの態度の根幹にあるように思われることは、既に述べたとおり。しかしそれが提起する人間の観念は、果たして生と存立可能なものであろうか?

一例をあげよう。政治の世界に現代の科学思想が我々に教える人間の概念を適用したら、人生は、我々大部分にとって、恐らく、耐え難いものになるだろう。徹底的に合理的な所与を厳密に適用したら、一般感情のレベルで、反乱が起こるだろう。その場合、実際に、各個人にレッテルが貼られ、個人のプライバシーにも踏み込んでくるような事態が起こるだろう。劣等形質を持った人間あるいは欠損者は排除されたり、抹殺されたりするかもしれない。(同、139頁)

「かもしれない」ではなく、「排除されたり、抹殺されたり」しているのではあるが、やはりここで興味深いのは、既に述べた「漠然とした事物には我慢ならない」というヴァレリーの態度自体が、そのまま「我々大部分にとって、恐らく、耐え難いもの」と言われていることではないか。ヴァレリーはあいまいさに我慢できないが、あいまいさこそ生の原則である。そして別のときには彼自身が、厳密さを批判する。「曖昧さの時代、緩慢な時間の時代」(「精神連盟についての手紙」167頁)に対する彼の憧憬は、これもまったく明らかである。予測不可能な未来を「危機」と捉えるヴァレリーの思想は、このアポリアを措いては語り得ないようにも思われる。
政治の問題に戻ろう。「この科学的真実と政治的現実との対立は、近年注目されるようになった新事態である」(同、139頁)。ヴァレリーが「絶対的に優れていると」思う古典と「はっきり申し上げましょう。政治の世界で行われていることを見るとムカムカします。恐らく、私はもともとそういうものを見るようにできていないのでしょう」(精神連盟についての手紙、168頁)という政治とを同一視することはできないが、両者がともに古い精神・人間観に依拠しているという点では近いのではないかと思われる。違いは、我々は古典からは現代を学び、精神を新たにすることができるのに対して、政治はそれ自体惰性化した精神と化している点にあるのではないか。

社会的・法的・政治的世界は本質的に神話的世界である。神話的世界とは、すなわち、その世界を構成する法律・基盤・関係性が、事物の観察、事実認定や直接的知覚、によって与えられたり、提起されたりするのではなく、逆に、我々の存在そのものから、自身の存在や力、行動力や抑止力を得ているような世界である。そしてその存在や影響力はそれが我々から、我々の精神から来ていることを我々が知らなければならないほど強固である。(「「精神」の政策」144頁)

政治は惰性的で、古い精神に拠っている。古典は古い精神であるが、依然として動いている。そのように分けられようか。このように政治的世界を「神話的」と呼ぶことについては、(これもいずれ触れるつもりだが、ジャンニ・ヴァッティモが『透明なる社会』の第三章「再発見された神話」で述べているように)それが「未開なものとみなされ、いずれにしても、科学的な知にくらべて、客観性に欠け、すくなくともテクノロジーの裏打ちがないといった特徴を帯びている」(『透明なる社会』、46頁)かぎり、単一な歴史形而上学にもとづくありふれた議論の一種である。要するに進歩や発展、明晰化によって神話からは脱却されねばならない、ということを前提にしている。
しかしこれらの記述はヴァレリーの思索をある程度は理解させてくれる。ヴァレリーは単に政治に批判的であるというよりかは、それが無批判に前提としている精神の惰性的な様態を批判しているのであって、その惰性化がアクチュアルな人間の在り方とのあいだに齟齬を来していることを批判的に検討している。それはひととひととの間の信頼関係を惰性化してしまう。「要するに、信用性の危機、基本的概念の危機、ということは、あらゆる人間関係の危機であり、人間精神によって授受される諸価値の危機である」(「「精神」の政策」150頁)。
したがって、ヴァレリーが「良き精神」と「悪しき精神」とを分けて、前者のみを掬いあげようとしている、という判断はもう少し留保が必要かもしれない。合理的精神は、それがそれ自体悪いものではない。しかしそれを判断すべき政治や法といった人間諸学は、古い精神をそのまま引き延ばして用いており、まったく統一がとれない。結果として、政治には不信が生じて、技術の利用によってひとは無意識的にそれに適合した精神的態度を採用することになるけれども、そのことによって信頼が取り戻されるわけではない。それは政治的な問題なのではないか?

感受性・文化・理想の多様性はヨーロッパを定義するものですが、多様なものが衝突すればヨーロッパは分裂してしまいます。その意味でもそれらの和合が可能でなければなりません。その和合を支える原則は精神に対する信念と信頼感です。(「精神連盟について」159頁)

独裁の誕生

とはいえ、ここでいう政治の待望論は、同時にきわめて危険な可能性を孕んでいるようにも思われる。独裁についてのエッセイからそれは窺われる。「反省的思考と公的秩序の混乱とが出会ったとき、唯一形成されるのがそれ[独裁]なのだ。意識的か否かは問わず、みんなが独裁を想うのである。各人が心の中で独裁者が生まれつつあるのを感じる」(「独裁という観念」338-390頁)。
「要するに、精神が自分を見失い、[…]政治システムの変動や機能不全の中にもはや見出すことができなくなったとき、精神は必然的に一つの頭脳の権威が可及的速やかに介入することを、本能的に、希求するのである。なぜなら、様々な知覚、観念、反応、決断の間に明確な照応関係が把握され、組織され、諸事象に納得できる条件や処置を施すことができるのは、頭脳が一つのときだけに限られるからだ」(同、390-391頁)。
もちろんこうした政治が対立者を「排除ないしは疎外」(同、396頁)することは明らかであり、自由は容易く放棄されてしまう。「新しい形」(「独裁について」404頁)を模索するなかで、その種の独裁者への安易な希求が出現してしまうことについて、ヴァレリーは「感心できない」と言う。しかし、物のように人間を扱う独裁者を批判しつつ、彼がペタン元帥を讃えるのは、彼が自らの率いる軍人たちを「人間的に」取り扱ったからであるが、果たして独裁者が独裁的であるのは人柄に由来するだけなのだろうか? ペタン元帥を讃える彼の態度は、「精神」の再興を望む彼の所論と一貫したもののように思われるが、「精神」という「指導者」を期待する点において、ヴァレリーが多様なものの美学から離れつつあることが見て取れるのではないか。
ヴァレリーの考えは、個々の精神活動の独自性を尊重しつつも、それらを統率する大文字の精神の一体性については保持しようとするものに思われる。「一個の精神は比類がないと同時に任意の一点である」(「「精神」の政策」137頁)のであり、個々の精神は他人と異なるものであることを望む。「他人と同じように考えずにいられない人間は、恐らく、そうした合意を嫌う人間に比べて、精神度が低い」(同、138頁)。しかし、精神のそれら特異なものの空間全体を保つにたる「精神とは何か」ということについての合意(社会契約)は必要だ、というのがヴァレリーの考えに含まれているように思われる。リベラルが個の自由を主張しながら、自由を尊重するという価値観に反するものは認めないように?

人間とは何か?

「我々の時代の人間」の観念が作られねばならない、というとき、ヴァレリーは伝統に縋るでも進歩にすべてを賭けるでもなく、今日、人間とは何か、ということを、政治的惰性に拠らず、科学的合理性に唯々諾々と従うのでもなく、考えようとしているように思われる。しかし、そうして見出された人間の観念が、彼の期待するものとは異なり、それまでの伝統からすれば、まったくの断絶を遂げたもののように思われるとき、果たしてひとはそれを受け容れることができるだろうか? それが人間ではなく、非人間でさえあったときには? 
「我々は後ずさりしながら未来に入っていくのです」ということばの意味と重みが、少しだけ理解できたように思われる。

*1:「すべての教養人における」という記述が何とも言えない。結局のところヴァレリーにとっては精神もその危機も知識人の問題としてしか提起されないように思われる。凡庸さと天才(ジェニー)とを対比させるときにも。「水の中に垂らした一滴の葡萄酒は、一瞬、水をほのかに色づけると、バラ色のけむりのようになって、消えていく。それが物理現象である。しかし、バラ色が消え、もとの静かな水に戻った数分後に、純粋な水に戻ったように見えた水槽の中の、ここかしこに、ほの暗く純粋な葡萄酒の幾滴かが姿を現したとしたら、――驚きはいかばかりか……。/カナの祝宴とでもいうべきこの現象は知的・社会的物理学においてはあり得ないことではない。ひとはそれを天才(ジェニー)と称し、拡散に対置する。」(「精神の危機」27頁)

*2:現代社会のもたらしたこうした刺激過多、利便性、記号の反乱[ママ]、個人の均等化、軽信、無意味な玩具、義務の多さ、成熟する時間の欠如などが「精神」そのものを危機に陥れるとヴァレリーは警告する。しかしこのような事態をまねいたのがまさに「精神」自身であり、しかもそれが何らかの偶然的な事故によってそうなったのではなく、「精神」自身の本性によってそうなったのだとすれば、そしてさらにすでに述べたように、「精神」自身が愚劣な戦争行為までをも引きおこしたのだとしたら、ヴァレリーがしばしば行うように、ただ単に昔の職人の亡霊を引き出したり、自由な芸術活動や学問探究を賞賛したりするだけでは、問題は解決されるどころか逆に隠蔽されてしまうだろう。その場合は、「真の」精神を物質文明に抗して「防衛」することのみが問題になるだろうからである。ヴァレリーはしばしば「曖昧」なかたちでこのような「隠蔽」に加担しているように見えるとはいえ、最良の場合、このような偽の問題をかろうじて逃れ得ているように思われる。」(森本淳生「「危機」のディスクールヴァレリーと「ヨーロッパ精神」の隘路」『仏文研究』1999、181頁) ちなみにこれ以外の文献には目を通していない。

*3:それもおそらくは、フランス人へと変わってしまう。ルソーが人間の弁別特徴としていた自己改善能力(ペルフェクティビリテ)が、ミシュレにあってはフランス人に固有の特徴となってしまうように。ツヴェタン・トドロフ『われわれと他者』法政大学出版局、2001年、330頁

*4:だとしたら我々だってヨーロッパ人になれるのではないか。

知られざる石川淳──渡辺喜一郎『石川淳傳説』を読んで

石川淳という作家を考えようとすると、私はとたんに戸惑ってしまう。いったい彼の何を論じればいいというのか。その困難さの一つには作家の明晰さがある。たとえば、評論『森鴎外』は一見した所、江戸っ子の歯切れの良さで、ほとんど独断的に、そして破れかぶれに論がすすめられているようにもみえるが、仔細に辿ればそこには緻密な構成がうかびあがってくる。そもそも石川の文学の出発点にアナトール・フランス芥川龍之介といった形式美を追求した作家の存在がひかえているということは周知の事実であろう。初期小説「佳人」の主人公は、つい句を詠んでしまうといった、詠嘆癖をもつ「わたし」だ。そこには一つの風景や感情を、すぐさま伝統的な形式美に移行させようとしてしまう自分の生来の癖が現われている。この惰性的な明晰さから逃れるべく、アランの「ペンと共に考える」ということを石川は自身の創作法とするわけだが、その結果にできあがった文章に、禁じられた詠嘆、あるいは石川自身の言葉を用いれば「一字一字に鑿の閃きを宿し」(「『狭き門』跋」)つつも、常に自らのシステムの外部へと運動しようとするエネルギーを私たちは認めることができる。各々の文章がそれぞれ自律的な運動を宿しつつ、作品全体に向かって力が発散していくさま、そしてそれを自在にコントロールする石川の圧倒的明晰さを前に私は立ちすくんでしまうのである。
もう一つの困難さは、作家の韜晦癖にもとめられる。「佳人」の次の有名な一節は石川の創作態度を要約するものといってよい。

もしへたな自然主義の小説まがひに人生の醜悪の上に薄い紙を敷いて、それを絵筆でなぞつて、あとは涼しい顔の昼寝でもしてゐようといふだけならば、わたしはいつそペンなど叩き折つて市井の無頼に伍してどぶろくでも飲むはうがましであらう。わたしの努力はこの醜悪を奇異にまで高めることだ。(『石川淳全集 第一巻』p. 186)

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石川の作品における自伝的要素は、同時代の諸作家に比べてみても、極端にすくないが、その理由の一端をここに求めることができるだろう。短編小説「いすかのはし」やエッセー「ジイドむかしばなし」といった、自らの生を直接的に語った数少ない例も存在するかもしれないが、それは「サーヴィス」(「ジイドむかしばなし」)にすぎない。宇野浩二とおなじく、あるいはそれ以上に、石川は「文学の鬼」であり、「文学」を「生活」と切り離して思考していた。それはまた、別の角度から言えば、「文人」であった(あるいはそれを「気取って」いた)石川の自負でもあったろう。だが、そこには妙な屈折がある。たとえば、石川は、政治を論じることを「俗」とし、美学的に極端に嫌っていた。しかし、彼が若い頃、クロポトキンバクーニンをおおく読み、大杉栄関東大震災の騒動において虐殺された時には、ほとんど仲間が殺されたような衝撃を受けてもいたし、もっと言えば、彼は若い頃(大正十三年・石川二十五歳頃)、マルクス主義に傾倒し、「九州帝大の経済学部に入学」(本多顕彰「一昔前の石川氏」『作品』昭和十二・四)しようとしたこともある。石川の「政治嫌い」は、生理的にして直線的な選択ではなく、むしろ屈折してかなり意識的、あるいは美学的なものであった。「現実的生活」をほとんど書かないという石川の選択もまた、その政治へのスタンスと同じく、非常に意識的なものであったと言えるだろう。すくなくとも、彼の作品だけを読む限りには、私たちはその実生活についてほとんどうかがい知ることができない。実生活の公開拒否については作品外においても徹底されており、「日本文学全集」の類に付される作家年表に両親の名前も載っていないという事実を指摘することができる。しかしながら、文学がつねにどこかで生まれた一個の人間によって作成されるものであるかぎりは、文学そのものに価値があるのだからその美に耽溺すればよいという簡単な話に収斂することは出来ず、その作家の実人生を勘案する必要性は(少なくとも私たちの時代から隔たった人の書物を読む際には)小さなものではない。石川の場合、その生活のほとんどが闇に包まれていた。そのうちでも、二十代に小説を発表してから驚くべき完成度を誇る小説の発表をはじめる三十五歳にいたるまでの十五年の空白期間はヴァレリーの沈黙とも比される神秘をたもっていたといってもよい。それだけではない。彼の幼少期の出来事や、戦中生活に関しても、そのほとんどが謎なのである。そこにおいて、私たちは驚くべき書物をもっている。
石川淳傳説
石川淳傳説
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渡辺 喜一郎
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渡辺喜一郎石川淳傳説』(右文書院、2013年)である。渡辺さんは高校教師をお勤めになる傍ら、『石川淳研究』(明治書院、1987年)や『石川淳伝』(明治書院、1992年)において、石川の中学以来の友人へのインタビュー調査や、ほとんど知られることのなかった石川二十代の創作作品の発掘など、すでに他を圧倒する石川の伝記研究の腕をふるっていた。『石川淳傳説』は、まさにそうした仕事の集大成と呼びうる出来栄えになっている。……とはいえ、私は渡辺さんの素晴らしい研究作業を大変な興奮をもって読んだことは事実だが、同時に奇妙な不快感をも覚えたことを告白しておかねばならない。その理由に、石川の「虚像=巨像」(渡辺喜一郎「虚像はいつしか巨像に─読者の網膜に実像を結ばせない独自なスタイル─」『石川淳伝』)に心酔していた自分への戸惑いを挙げることも出来るが、もっとも大きい理由は、石川が隠したかっただろう諸々の事実をこうもあけすけに公表することは道徳的によいことなのだろうか、という疑問を持ったからである。おもうに、作家の伝記的研究と「ストーカー」のちがいは、一概に判断できるものではない。これは非常に繊細な問題に属するはなしであろうから、ここではその倫理的判断をとりあえずは留保しておこう。ともかく、読んでしまった以上は私もまた共犯者である。
渡辺さんが石川淳を読み始めたのは1970年代のことであるというから、渡辺さんと石川淳のおつきあいは、40年以上にわたるものである。単著を出されてから数えても、25年以上数えられる。この執念のお仕事についての驚くべき告白をもって、『石川淳傳説』は始められる。

戦後の流行作家・石川淳の出発は、海老名宅での下宿生活から始まった。わたしは上京のたびに海老名を訪ねた。取材した内容を少しずつ文章にして発表した。その都度石川に送った。どうもその「伝記的研究」がいけなかったようだ。昭和六十一年二月に来た石川からの最後のハガキには「貴下の書くものが不快で気に入りません」などと来訪などを断る文面であった。前年までの七通の〝電文〟のようなハガキはすべて好意的であったのに。(p.7)

この重要なエピソードは、それ以前に発表された論文がほとんどを占める『石川淳研究』はともかくとしても、その後に書かれたはずの『石川淳伝』においても見られないものである。作家が生きている時分に、自身があえて明らかにすることのなかったプライベートを暴き立てるのは無思慮であり、石川のその怒りは至極真っ当であると思うが、それにしても、石川との「悲しき別れ」から論をはじめる渡辺さんの姿勢には並々ならぬ誠実さを感じずにはいられない。じつにこの書は、「石川淳文学がもっと読まれて良いのではないかという素朴且つ切なる願い」(p. 255-6)によって衝き動かされているのであって、いわゆる暴露本とは意を異にしていることは強調しなくてはならない。逆に言えば、それほど暴露本として受容される可能性をもったものでもある、ということだが。
私は、「虚像=巨像」としての石川淳が壊された、と言った。博学にして無頼、通人にして俗世をあそぶ文学の巨人といった、世間に流通しているだろう石川とはまったく異なった人物がそこでは描かれているのである。非常に繊細なくせに生意気な腕白小僧、そして文学の理想に燃えつつも現実においてたえず挫折を味わっていた、一人の小柄な男である。本書の扉には、避暑地の河原で撮られた、中学期の石川淳と兄武綱の写真が飾られている。久保田万太郎とも親交があった文学青年武綱は、理知的で深刻そうな面持ちで正面をじいと凝視しているが、淳のほうは、純朴だけれどどこかしらいたずらそうな笑みを浮かべて、遠くを眺めている。この写真は渡辺さんの書物をまさに象徴しているように思われる。描き出されるのは、まさに後の石川によって秘匿とされた、知られざるこの繊細な腕白少年の姿なのである。
渡辺さんは、この腕白少年を描き出すにあたって、その祖父母から話をはじめている。おそらくここまで詳細に明らかになったのもはじめてのことであり、それを公にすることのできた功績は非常に大きいものであろうが、私がここでとくに強調したい記述は父斯波厚についてである。斯波厚は、いわば超エリート・サラリーマンであった。銀行員を勤める傍ら、明治28年(1895年)には東京市議会議員選挙に立候補し当選する。明治44年には銀行の取締役にもなっていたという。しかし、大正5年(1916年)には斯波厚が取締役をつとめた銀行は破綻し、その五か月後には文書偽造、詐欺横領罪において斯波厚は逮捕される。ついで、大正9年1920年)、石川が外語大を卒業し、日本銀行に就職したその年に、「東京市政施行以来の大疑獄」事件が世を賑わし、斯波厚は偽証罪に問われ、収監された。新聞では「妾狂い」と中傷されることもあり、大正14年(1925年)に結審が下るまで、斯波厚は日陰者として生活することを余儀なくされる。これらの事件による凋落は、石川が17歳から26歳にいたるまでの出来事であり、これら一連の騒動が石川にとって無関係であったはずがなかろう。もちろん、そうした実生活が石川文学に「反映」しているなどというつもりは毛頭ないという当たり前のことをことわった上で私が言いたいのは、石川淳という存在を全体的に把握しようとつとめるのであれば、これは看過することのできない出来事であるということだ。たとえば石川がアナキスムやマルキシスムへと傾倒する背景にはこれらの出来事が影を落としているとも言えるだろうし、この「士族の凋落」は、文人の「気取り」を理解する一助になるかもしれないと私は考えている。
ここに挙げたのは渡辺さんの書物で描かれた石川淳の出来事の一例にすぎない。他にも、カフェの給仕と結婚するもののすぐに病気で亡くしていたり、自分の子供を兄武綱に預けていたり……等と、今までほとんど知られることのなかった石川の姿が克明に描写されている。それらの出来事について興味を持たれる方は、渡辺さんの『石川淳傳説』をぜひお読みいただきたい。渡辺さんはそれらの出来事に過剰に意味付けを行うことなく、「傍観者」の立場を保持している。しかし、「傳説」を草すのであれば、事実を淡々と述べていくのではなく、後の文学作品をもふんだんに活用して、そこに石川淳という生き生きとした人間を描くべきではなかったか、という不満も残る(これはいずれ書いてみたいと思っている)。石川淳の偉大さとは、そうした現実世界の生活から遠く飛翔し、「醜悪を奇異にまで高める」文学を作りえた偉大さに他ならないからである。とはいえ、渡辺さんの力作が昭和の大作家石川淳を理解するために大きな前進をなすことはもはや疑う余地のないが、射程をより遠くに設定すれば、私見ではいまだ不遇の評価を受けている石川の像を正確に浮かび上がらせることを通じて昭和文学史をも塗り替える潜在力をも秘めているのではないだろうか。

デリダの『精神について』ちょこっと。

誰かが「精神」ということばはespritの適切な訳語ではない(というか、適切な訳語なんてないのでしょうけど)と仰って、どう訳すのがより心地よいか、と問うていた。精神には神がいる。神という字は、しめすへんと、申=カミナリの合成。しかし精という字も忘れてはなるまい。こめへんに、青というのは澄んだという意味らしいが、これを併せて、米を選り分け綺麗にするということ。このあたり、農耕民族の伝統を見出す誘惑に駆られる。ことばは棲みかである。

デリダの『精神について』を読み終える。pneuma, spiritus, esprit, Geistの連なり。翻訳と翻訳不可能性を意識しながら連ねられる言説。たとえばハイデガーがドイツ語Geistを、ギリシア語pneumaとラテン語spiritusのとりわけ主意主義的でない伝統に位置付けようとするとき、そして同時にその語を脱キリスト教化しようとするとき、一つの異議申し立てが現れる。

権利上の問い――何がこの三角形[引用者註:pneuma, spiritus, Geist]の閉鎖を「歴史的に」正当化するのか? この三角形は起源からして、かつその構造自体において<聖書>のギリシア語次いでラテン語がpneumaとspiritusで翻訳しなければならなかったもの、すなわちヘブライ語のruah[気息]へと開いたままなのではないか?」(168頁)

ハイデガーの思惟のなかで、とりわけ我々を戸惑わせるのは、彼がドイツ人/語とギリシア人/語に与える特権性である。『シュピーゲル』のインタビュアーに技術的世界の方向転換に「ドイツ人が或る特別な適格性をもっているとお考えですか?」と尋ねられたときの有名な返答は次のようなものだった。

「私はドイツ語がギリシア人たちの言葉と彼らの思惟とに特別に内的な類縁性をもっているということを考えるのです。このことを今日繰り返し確証してくれるのはフランス人たちです。フランス人たちが思惟し始めると、彼らはドイツ語を話します。彼らは、フランス語では切り抜けられないといことを確証します。」(「シュピーゲル対談」『形而上学入門』(平凡社ライブラリー、1994年)所収、402-403頁)

フランス人/語への明白な侮蔑に対して、怒るか恥ずかしがるかは、フランス人が自らの言語にもっている自負に由来するだろう。デリダはどうか?

「このような特権を正当化する「論理」は[…]気分によっては、あるいは最も深刻な、あるいはこの上なく楽しみな諸々の考察を呼び求める(そこがハイデッガーにおいて私の好きな所だ。私が彼のことを考える時、彼のものを読む時、私は同時にこの二つの揺らめきを感じる。それは恐ろしく危険でばかにおかしい。間違いなく重大であり、かつ少しばかりコミカルだ。)」(113頁)

楽しみ、笑う――怒りもせず恥じもせず。疑いなき重大さを受け止めつつ、それとまったく同時に、そのコミカルさを笑う。そして次のように言う。「もっと機知を、やれやれ![de l’esprit, que diable !]」(115頁)
このようにデリダハイデガーに異議申し立てするとき、彼が拠るのは語のフランス的な意味におけるエスプリ(機知)である。ハイデガーはそれをしばしば批判していたのだったが。

「まさしく、<精神>とは空疎なる俊敏さでも、たわいもない機智の遊びでも、悟性的分析の際限なき行使でも、ましてや世界理性ですらないのである。精神とは存在の本質へむけての根源的に規定された決意である。」(「ドイツ的大学の自己主張」『30年代の危機と哲学』(平凡社ライブラリー、1999年)所収、111頁)

「機知に富んでいる(ガイストライヒ)-だけのものとよく言われるが、これはじつは精神(ガイスト)に富んでいるように装うものであり、精神がないことを隠しているのである。」(84頁)

しかし精神を機知から切り離すことは可能であろうか? それを「たわいもない」ものと済ませてしまうことはできるか? デリダはこの講演を通して、ハイデガーにそんな風に問いかけているようにも思われる。

このコミカルさに敏感であり続けること、さらにはしかじかの術策を前にして笑う術を知っていること、それは(倫理的ないし政治的な、と言ってもよい)義務とチャンスになりうるであろう。それも、カントからハイデッガーに至るまでドイツ哲学者がWitz[機知]やwit[ウィット]や(「フランス的」)「エスプリ」に、エスプリから来る[=精神の(de l’esprit)]チャンスに対してあからさまに嫌疑の圧力をかける、その嫌疑にもかかわらず。(211頁、原注13)

この引用でデリダハイデガーを笑うことの義務とチャンス(幸運)について、倫理的ないし政治的なニュアンスを加味していることは見逃されるべきではない。Geistという語は、「ハイデッガーの道程、数々の言説、そして歴史がもっている最も不安な諸々の場所へと赴く」(13頁)ものである。だからデリダは「これらの語は避けうるものだろうか?」(9頁)という問いから講演を始め、「避けようもなく」(190頁)ということばで講演を結んでいる。「精神」という語をハイデガーが肯定的に(鍵括弧なしで)用いはじめるのは「総長就任講演」(前掲書)や『形而上学入門』(前掲書)といった、ナチズムとのかかわりが今日においてさえも問い質されているテクストにおいてであり、精神への思惟は「そのものとしての政治的なるものの意味自体を決定するのだ。」それゆえにこそ、ここで精神を機知へとずらしてゆく動きは倫理的であり政治的である。
私はハイデガーデリダというのは非常に食い合わせがよいというか、ハイデガーに対する胃薬(別に「ファルマコン」と呼ばれてもよいが)になると思うのだが、それはたぶん、ここに現れているようなGeistとespritの相互-抗-争(polemos !)が、とても心地よいからだと思う。その意味で、De l’espritと題された本書は『機知について』とも訳せるのだが、それが宛てられているハイデガーのために『ハイデガー入門』と題されてもよい。もっとも後から読まれたほうがよいという意味では『ハイデガー後門』と題されてもよく、またmot d’esprit(だじゃれ)をもっと低俗にするなら、胃を通り抜けて『ハイデガー肛門』と題してもよい。

読書会。『ランボー 自画像の詩学』

実はちょっと消沈している。

こういう真面目な宣伝ツイートをしたのだけれど、今回は新しく参加してくださる方がいない気がする。
何故なのか……慢心、環境の違い
ツイート自体はけっこうRTしていただいたのだが、元を辿ると「興味あるけど『イリュミナシオン』は無理!」という類のコメントがあったりする。
これは一因かもしれない。ランボーの詩のなかでも、特に『イリュミナシオン』は難解であるとされている。
じっさい、前回の読書会の終わりに「次は『イリュミナシオン』にしましょうか」と提案したとき、「いや、それは難しい……」というH君の間髪を入れない突っ込みがあった。
そしてその難しさはいま身に染みて感じている。
今回、詩の感想を皆さまにお願いしているわけですが、それを課した当人が一番難儀しているかもしれない。

じゃあ何故『イリュミナシオン』を選んだのかという話ですが、特に理由があるわけではない。
最近似たようなタイトルの同人誌が出たし、TL上にちらほらランボー読んでいるらしい男女がいたものだから、少なくともアテをつけたひとの誰かは来てくれるだろう、という。要するに受け狙い。
ところが完全にアテが外れている。とても悲しい。
先日飲み会でランボーの話になったときに、「ランボー大好きなんです! シャルルヴィル(ランボーの生家)に墓参りに行きました! 『イリュミナシオン』が最高ですよね!」という女性がいたほどなのです。素晴らしいのですよ?
誰か来ないものかしら。

時よ来い 時よ来い
みんなが熱狂するかの時よ

とかなんとか。

ランボー 自画像の詩学

消沈ムードなのでちょっとおざなりな紹介になってしまう。

詩に何を求めるか、これはひとによって大いに異なるだろう。
わかりやすい例を挙げれば、ロマン派的なメランコリーに浸り、歌い手の倦怠に同一化する、というのが思い浮かぶ。
そのうえ哀しげなルフランがあって、その余韻を反芻することができれば、実に素晴らしい詩的体験が得られるだろう。
ところが、ランボーほど、とりわけ後期の彼になるほど、そういった「余韻」が似つかわしくない詩人もいない。と私は思う。
たとえば『地獄の一季節』を読み終えたひとは、わけがわからないと思いながら、弱冠にすら至らない青年の地獄の格闘を目の当たりにして、とにかく強い衝撃を受ける。
そして殆ど理解も及ばないままに、「訣別Adieu」という別れの(というより出立の)詩を読むことになる。
そこには確かな実感と、余韻と呼んでよいものが存在する。
ところが『地獄の一季節』のあとに『イリュミナシオン』という詩が存在する。
これには少し裏切られる感じがする。ホームズが最後の挨拶のあとでひょっこり顔を出すような。プレイヤッド版の編者によれば、

長いあいだ慣例的に、ランボーの編者たちは、『地獄の一季節』の前に『イリュミナシオン』を載せていた。彼らはパテルヌ・ベリションの言葉を素朴に認め、『地獄の一季節』はランボーによる文学への訣別だと信じ込んできた。であるからには、『イリュミナシオン』は必然的にブリュッセル事件[注:ヴェルレーヌランボーを撃った事件。これが契機となって『地獄の一季節』は書かれた。]の前でなければならなかった。(アントワーヌ・アダン版プレイヤッド972頁)

ということなので、その裏切りの感覚は一般的に共有されたものだったろう。
が、今日の見解では『イリュミナシオン』が『地獄の一季節』の後に位置付けられるというのが大勢を占めている。
考え方を変えるべきなのだ。「訣別」は『地獄の一季節』に固有のテーマではない。
むしろ、彼の詩のすべてが訣別であって、新たな出発である。訣別に継ぐ訣別。そこに「余韻」のための時間などありはしない。

では読者としては、その輝き、その閃光をどう視認すればよいのだろうか。
私たちがかろうじて捉えることができるのは、動体そのものではなくて、あくまでその軌跡、轍にしか過ぎないのだろうか。
イリュミナシオン』には、「」を扱った詩が二つ存在する。
一つは、「轍Ornière」というそのままのタイトル。夢幻の世界、サーカスの山車が奇抜な色彩でもって展開したのちに、突如として「黒い天蓋に覆われた棺」、「漆黒の羽根飾り」、「青や黒の大きな牝馬」が登場して、ファンタスマゴリアの世界が死に中断されるという謎めいた構造をしている。
もう一つは「海の光景Marine」という詩で、地を走る車と海を走る船とが意図的に混同されていて面白い。

荒地の潮流と、
引き潮の巨大な轍
Les courants de la lande,
Et les ornières immenses du reflux

という節がとても良いと思う。ふつう荒地に潮流はない。引き潮は轍を残さない。
だがそれらが敢えて逆転させられたとき、無理やりねじ伏せられるように、そこには荒地の潮流と引き潮の巨大な轍が現出する。
ところがこれら潮流と轍が向かう先もまた、光の渦巻きに衝突して、その痕を残さず溶けいってしまう。
いつだってこんな感じだ。「夜明けAube」の語り手が夏の夜明けを抱きしめた途端に目を醒ましてしまうように。

二つくらい疑問が浮かぶ。
一つ。何に駆りたてられて、彼はこれほどにも訣別を繰り返しつづけたのだろうか?
そのヒントとして(そういえばこれは本の紹介のコーナーだったので)ここで一冊の書籍を紹介させていただく。
ランボー 自画像の詩学』は前期韻文詩から『イリュミナシオン』に至るまで、つまりランボーの詩的キャリアの全体を自画像というテーマから読み解いている。

詩人ランボーの基本には、自分を他に見立てる想像力があります。彼の詩はしばしば、別様に見た自分を起点に動きはじめます。これを、架空の自画像を描く運動として捉える発想が、本セミナーの動機をなしています。この自画像はたんなる詩的イメージの次元にはとどまりません。それは詩人の実存と交差してそれを牽引する力をはらみます。ランボーが詩に賭けていたものは、言葉によるアクションでありパフォーマンスです。(17頁)

それはただ「かつてこうであった自分」を描くだけでなく、「こうでありえた自分」の虚構的創出でもある。静物動物を問わず、人称の違いを問わず、多くの詩にランボーの自己投影を認めることができる。

自己表象には違いありませんが、自分との同一性または類似性を求める表象ではないのです。それどころか、現実の自分ではない存在または事物への自己投影です。現実の自分との相違や隔たりにこそ意味があるのです。そして過去の復元よりも、現在時の定着よりも、未来の彫塑が賭けられています。いきおい、動詞の時制も過去形が優位とは限りません。(18頁)

この本には実に教えられることが多かった、というか、想像力欠乏症の自分にはこの本がなければランボーの世界のトバグチにさえ立つことができなかっただろう。

岩波セミナーを元にしているので一般向けに語り下ろされており、ですます調で読みやすい。
とりわけ私たちの関心である『イリュミナシオン』を扱った第五章「火を盗む者の変容」について言えば、一見してわかりにくい語句の散りばめられた「子供のころEnfance」が迷い子や孤児の「情動に染められた」(218頁)世界であることを教えられたことで、かなり近づきやすく親しみを感じられるようになった*1
出版を意図して整序されたものではない『イリュミナシオン』において、慣例的に一番最後の詩として位置付けられている「精霊Génie」についても、その詩におけるキリスト教の転倒戦略が明確に解説されていることに喜びを覚えるが、さらに中地氏は

「精霊」は、断言の力強さと格調からすれば、約五十篇からなるこの未完詩集のなかでも頂点を画する詩ですが、このような[詩的次元と自己のポエジーを相対化する批評的次元の]二元性の観点からすると、ランボーの究極のメッセージ(そのようなものがあるとして)とは言えません。内容からしても、またおそらくは執筆時期からしても、そうなのです。(270頁)

と述べている。つまり、「精霊」はポエティックで未来を一心に指し示しているという意味では詩集の掉尾を飾るに相応しいものの、その詩的栄光が瞬時のものにすぎないということへの諦念に満ちた距離化は存在していない、というわけだ。そして彼は「歴史的な夕暮れSoir Historique」と「野蛮人Barbare」を挙げ、必ずしも目につくわけではない詩における(反)-詩的な側面を強調する。
このセミナーを通じてもやはり、「余韻」を許さぬ自己批評の動きが活性化されている。
それゆえ、なにゆえランボーはかく追い立てられるように訣別を告げていたのかという問いに、ここでヒントを与えることができるはずだ。
それは、絶えざる自己との向き合いであり、自画像を見つめることで「自己自身を認識すること、それも完全に認識すること」を果そうとしたから、ではないだろうか。
この認識は決して到達点ではない。あくまで到達すべきなのは、その自己認識を通じて自己のなかにある未知に到達すること、自己のうちにあるいくつもの生を生き抜くこと、そして、「わたしとは他者である」というランボーのあまりに有名な定式を世に広めること、これである。

しかし実を言えば、彼のあの訣別、あの焦燥を、自画像(自己の認識)というモデルだけで理解することはできない。と思う。
読書会では、その辺について考えを深めることができればよいと思う。
まあいずれにせよ、『自画像の詩学』はたいへん素晴らしい本なので、ぜひ。

それから忘れかけてたけど、疑問の二つ目。どうしてランボーはこんなに孤独なのかなあ。

*1:カルメン・マキの歌う「時には母のない子のように」を思い出すところがある。

お金とはどんなものかしら(2)―『貨幣とは何だろうか』

貨幣とは何だろうか (ちくま新書)
今村 仁司
筑摩書房
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まず、かなり長い引用をしたい(別に読む必要はない)。

貨幣と言語の関係はしばしば論じられてきた。この種の議論は、貨幣の本質に照明をあてるかのようにいわれてきたが、本当にそうなのだろうか。本論への糸口として、簡単に、この種の語り口を批判的に検討しておきたい。
二つの現象の比較が可能になるのは、言語の価値と交換の価値が類似しているといわれ、言語価値の尺度としての意味(指示対象)と交換価値の尺度としての貨幣が、関係の総体のなかで機能的に類似していると考えられたからである。
言語と貨幣の関係づけが可能なのは、二つの領域の一定の局面を切りとり、そのなかでの価値尺度を論じるかぎりにおいてである。そして、比較はそれ以上にはすすまない。言語価値論と交換価値論を比較することで、貨幣の本質への理解が深まるとはとうてい思われない。
事実、貨幣と言語の比較を主題的に論じたのは、言語学系の論者であり、その場合には、貨幣あるいは価値尺度は単なる比喩としてもちだされたにすぎない。貨幣は言語論にとっていわば刺身のつまにすぎなかった。もっとあからさまにいえば、ソシュールが『一般言語学講義』のなかで貨幣と言語を比較したから、彼の権威とともに、このいわば不毛な比較論が全世界的に流行したというにすぎない。
私は、貨幣と言語の比較はみのりのない議論だと思う。両者を比較しても、せいぜいのところ、「価値」とか「尺度」という用語のみが共通するだけで、どちらにとっても、それらの本質の理解には役立たない。この比較論のなかには、貨幣についての通俗的な理解が自明のごとく前提にされているのであり、そうした思いこみは、認識の深まりをむしろ阻害する要因である。
したがって、言語との関係を見捨てて、文字との関係を貨幣論の視野のなかに引きこまなくてはならない。言語論と絡みながら消極的に顔をだす文字の問題こそ、貨幣を考えるときに導きの糸にするべきであろう。文字は、言語世界における貨幣的存在である。(166-167頁)

この一節をもって、今村の資料調査不足を指摘することはできる。本書『貨幣とは何だろうか』は1994年に出版されたちくま新書の第一号であるが、以前のエントリ「お金とはどんなものかしらー『言語の金使い』」で紹介したグーの著作は翻訳こそ1998年だが原書は1984年である。氏と同じくジッドの『贋金づかい』を論じているのみならず主題の面からも必読文献であり、もし読んでいれば貨幣と言語の比較を上記引用のように「単なる比喩」とは切り捨てられなかったはずだ。というのも、今村がそれを「みのりのない議論」と見なすとき、彼はその比較を単なる機能的なものであって使用者の主体との影響関係にまで踏み込めていないと断じているのだが、グーの分析はその機能的比較をさらに敷衍して「一般等価性」の専制的支配にまで論をすすめているからだ。それゆえ「価値尺度の類似」だけに留まるものではない。その射程は彼の議論とも通じ合うところがあり、十分「みのりのある議論」である。

貨幣の社会哲学

しかしながら、グーの議論を参照しない代わりに氏の議論は異なる趣向をみせてくれる。そしてそれは(後に触れるように)グーの著作に感じる不満を補完してくれるものだ。
今村が提案するのは、素材としての貨幣を扱う経済学的方法論ではなく、形式としての貨幣を扱う貨幣の社会哲学である。

貨幣の社会哲学は、貨幣の経済的機能を論じるのではなくて、人間にとっての貨幣の意味を考える。それは、貨幣を人間存在の根本条件から考察する。人間の根本条件とは死の観念である。こうして貨幣と死の関係が問題になる。(15頁)

この議論の素早さにはちょっとついていきがたいところがある。このはじめの数行で語られているのは、「1.貨幣の社会哲学は人間存在の根本条件から貨幣を考察する。2.人間の根本条件とは死の観念である。3.よって貨幣と死がかかわりをもつ」このような三段論法だが、いささか恣意的との印象を受けるかもしれない*1

いったい何故貨幣は「死の観念」とかかわりをもつのか? マルセル・モースの贈与論などを引きながら彼は、貨幣とは「物やその機能である前に、関係の結晶化」(33頁)であり、何故とりわけ人間関係には貨幣という媒介が必要なのかを問おうとする。
それは、原初的な死を遠ざけ、かつ留めておくためなのではないか? 人間関係は、貨幣という媒介によらず無媒介になされようとすれば、死を露わにするのではないか?
これが今村の仮説である。この着想源となったゲオルグジンメルの『貨幣の哲学』は興味深いものであるから、次にチェックしてみよう。

ジンメル『貨幣の哲学』

ジンメルと言えば「つながりの哲学」という副題のついた紹介書が出版されるくらいには関係性を重視した哲学者・社会学者なのだが、貨幣を論じるときに最重視されるのも、やはりこの「つながり」である。
今村はそれを「距離化」の概念として抽出している。

ここでいう距離化(Distanzierung)とは、「遠ざけ」と「離れを防ぐ」という相反する作用を同時に意味している。人間の関係づけは、距離をつくりだし、同時にその距離を特定の幅の中に収集することなのである。(48頁)

つまり、ひととひと(物)とがゼロ距離でくっついていることが不可能であるとき、適度にその関係を遠ざけつつ、決して離れていかないようにするもの、それが媒介としての貨幣である。媒介物があるかぎり、ひとは決して他人と合一化することはできないが、他方でその関係性から逃れることができなくなる。
では、媒介なき関係については、どのような状態を想定できるだろうか?

仮説的ではあるが、人と物との未分離の状態を設定してみると、それは生死の境のない状態である。距離化は、この状態に楔を入れることで、その結果として死の表象を生むだろう。原初状態を想定してみると、人と物との分離は、生と死の分離でもある。人間は距離化によって、死の観念を内部に抱え込まざるをえないだけでなく、この観念を制度として客観化する。それが、一方では、共同体の墓であり、他方では葬送儀礼である。

やや観念的な議論ではある*2が、ここで言われんとしているのは、媒介なき原初的状態には生と死の不可分な状態が存在しており、その根源性への畏怖から、ひとは媒介による距離化を選んだのである、ということだ。
それは貨幣にかぎったものではなく、芸術や法といったもの、人間が作り出す文化のおよそすべてが、かかる媒介による距離化を実現している。「それは、こういってよければ、媒介形式決定論であり、その形式の最大のものが貨幣形式だというにつきる。」(60頁)
それゆえ、マルクスの提唱するような「貨幣なき社会=共同体」(72頁)は、いわば原初的なカオスを再現出させようとする危険な試みである。
人間にとって貨幣とは不可避なものであり、そのかぎりでひとは、「貨幣的存在」(68頁)である。
これが、ジンメルの貨幣哲学から今村の受け取ったものだ。

西洋形而上学批判

以上が二章までの議論である。あまり長く書きたくないので、残りについては瞥見するに留めよう。
三章、四章では「貨幣小説」という珍奇な概念を提出している。これはわかりにくい造語である。

貨幣小説とは、厳密にいえば、貨幣形式の小説である。貨幣形式が媒介者であるのだとすれば、貨幣小説とは、人間関係を媒介し、関係の安定と秩序あるいは道徳と掟の世界をつくりだす媒介形式を主題とする。(80頁)

それで彼はゲーテの『親和力』とジッドの『贋金づくり』を取り上げているのだが、これははっきり言って造語の響きほど面白い議論ではない。
人間関係に媒介形式が不可欠であって、それが消滅したときには悲劇が起こる……これを論証するための章であるから、もはや貨幣すらも十分な意義を失ってしまう(貨幣にまつわる話は出てこない『親和力』でさえ貨幣小説なのだから)。
また五章では「貨幣と文字」の類縁性を論じているが、主な作業はルソーの透明概念批判である。スタロヴァンスキーやデリダが指摘したように、ルソーには言葉を介さない=媒介を要しない透明な関係への志向が存在する。西洋思想はかかる形而上学媒介による疎外のない本来性*3)への志向に支えられており、それがしばしば提唱される貨幣廃棄論として噴出しているのだと今村は言う。

だからこそ、経済学批判は同時に形而上学批判でもあるのだ。したがって、貨幣形式の社会哲学は、伝統的な存在論への批判であり、貨幣を論じることは、まさに人間の世界関係あるいは人間の社会存在の根源への思索なのである。(198頁)

ここはかなり面白いところだ。伝統的な存在論が貨幣的存在性を批判したとしても、私たちにとって貨幣は経済を動かしていくだけではなく、人間関係を構築するうえでも、生死不可分のカオスを避けるうえでも不可欠なものなのだから、貨幣的な人間関係を単純に否定して済ませられるものではない。
そしてこの点こそジャン=ジョゼフ・グーの議論を相対化するうえで有効な個所だと私は思う。グーはハイデガー的な伝統的存在論を引きずっているので、詩的経験による原初的な存在様式への憧れのようなものが存在する。しかしこれは私たちにとって満足のゆく議論ではない。
むしろ、貨幣が自明のリアルであることを踏まえたうえで、そこからどこへ行けるのか。これについての議論を深める必要があるはずだ。

課題

しかし、新書という枠組みのせいか、今村の議論は「貨幣は不可避である」という議論から先に進まない。貨幣の問題性を認識してはいるものの、「やはり貨幣は不可避だから……」というに留まってしまう。
このような決死の擁護には理由がある。今村はマルクス主義系の論客だが、ここでは共産主義ユートピア的な貨幣なき共同体のモデルを批判してもいる。それは、ソビエトの破滅やカンボジアの悲惨が、貨幣を廃棄した社会を作ろうと試みたことに由来するのではないか、という反省が存在するからだ。
人間は天使ではない。だから透明な存在ではありえない。予め汚れた存在として、貨幣を用いた関係を営まずにはいられない。
これはマルクス主義系の論客としては、まさしく「決死」と評すべき見解ではないか。ユートピア的社会を建設するために、そこには多くの血が流れたのだから。

しかし、何故貨幣廃止論者にとって貨幣は危険な存在なのか。この点について今村は十分考慮を払わず、「彼らは貨幣を素材としてしか認識せず、不可避な形式という側面を見過ごしたのだ」と断じてしまっている。「素材貨幣はなくしたり代替できるが、形式としての貨幣は廃棄不可能である。」(233頁)
そうではない。彼が批判する論者の多くにとっても、貨幣の媒介的側面は十分に認識されていたはずだ。
むしろ、だからこそ批判されたのではないか。以下に理由を記す。

今村は文字と貨幣を相同的なものとして理解している。西洋形而上学において文字言語は音声言語に劣るもの、パロールの死だと理解されていたのだが、同様に貨幣は人間の原初的関係からの頽落として理解されているからだ。ところが、人間には文字言語が不可避であるように、貨幣も不可避なものである。なるほどそれは議論のフォーマットには則っている。
しかし文字と貨幣には根本的な相違がある。それは、文字が一度習得されてしまえば失われることがないのに対して、貨幣は労働によって獲得されなければならないからだ。
貨幣は流通する。そしてそれを自分の手元に寄せるためには、自己を資本化しなければならない。
この観点はグーにも不在だったように思われるが、今村において特に顕著だ。
媒介としての貨幣は、常に私たちの手元にあって自由に使えるものではない。そのために不可欠な労苦が必要になる。
これを人間関係という点から考えてみれば、私たちが他人と繋がるということは今村が考えるほど容易なものではない
むしろ、貨幣がなければ他人と交わり得ないからこそ、貨幣の多寡によってコミュニケーションに格差が生じてしまうという事態、これこそが貨幣のもたらす危険である。
ごく卑近な考え方をしても、情報にアクセスして、多くの繋がりを得るためには、十分なお金が必要である。金がなければ人付き合いさえもできない。
確かに今村の述べるように、貨幣には死の観念が封印されていて、それを廃棄すれば悲惨が生ずるのかもしれない。しかし、その貨幣があたかも私たちの自由に用い得る媒介であると考えている点で、今村もやはり形而上学である。
貨幣は媒介の用具であるとして、何故それが私たちの媒介を阻害するようなことになってしまうのか。
関係性の貨幣なき透明性を批判することは妥当だとしても、そこから、如何にして関係性の平等を実現していくか、少なくとも貨幣の多寡に左右されない関係を実現していくか。

これをこそ今村は考えるべきであったし、今村仁司が死んでしまったいまとなっては、私たちが考えるべき課題なのだろう。

*1:じっさい今村も論証性に自信がなかったのか、「そこでとりあえずは、論証ぬきで「貨幣は人間存在の根本条件である死の観念から発声する」という命題を前提にしてすすめる。」(35頁)と言い放って第一章を終えている。

*2:アポロン的個体化の原理が破れたときに露わになるデュオニソス的状態(ニーチェ)や、主客を超越した原初の自然に対する驚きの叫び(アドルノ/ホルクハイマー)を想起してもよいかもしれない。「その場合、未開人が超自然的なものとして経験するのは、物質的実体に対立する精神的実体ではなく、個々の分枝に分れることなく渾然と一体をなしている自然的なものの状態である。」(アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波文庫、41-42頁)

*3:とはいえ、このあいだ國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を読んでいたらルソーは「本来性なき疎外」だと書いてあったから、あまりナイーヴにこういうことを書きたくはないのだが。

読書会。ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で』のワークショップの前で

昼寝から突如驚いて目覚めたパーンのように、
人間は、普遍者(Allheit)としての自然の姿に気づいて愕然とする。
かつてのパーンの驚きに対応しているのは、
今日いついかなる瞬間に突発するかもしれないパニックなのだ。
人間は、彼ら自身でありつつも彼らの意のままにならない普遍者の手によって、
出口なき世界に火が放たれることを期待している。     『啓蒙の弁証法

哲学とは何か、哲学者とは誰か

これから*1震災及び原発事故(この二つの差異と連関についてはひとまず措くとして)という出来事について、現代における最高の哲学者とされる人物とともに/を介して「思考すること 」を試みるとき、やはりなによりもまず、「何故哲学なのか? 哲学は何故それを思考するのか?」について考える必要がある。それは哲学の責任respobsibilitéにまつわる問いであるが、しかしこの語それ自体にその答えを見出すこともできよう。つまり、哲学がそれを思考するのは、勝手に口を突っ込み、高みから論評するためではなく、余儀なくされているため、つまり、返答するrépondreことが必要であるため、である。
「実存に責任を負う 」というタイトルで行われた1996年11月2日の来日講演のなかで、ナンシーはまさしくこの「責任」について思考している

すなわちわれわれは活動や風俗、自然や歴史において名指しうるすべてに対して責任がある。われわれは存在、神、法、死、誕生、実存、われわれの、そして全存在者の実存に対して責任がある、われわれは自らそう言う。いずれにせよ、思想家と作家はそう言う。そして、このことはすでにわれわれを拘束(engager)している。

また彼は、この「際限のない責任」あるいは「境界のない責任」とも呼ばれるものについて考える哲学は、近代において自らを「一種の原-責任 」の行使者であると自任してきたことを指摘する。ニーチェが『善悪の彼岸』において「哲学者」について「自由な精神を持つわれわれが理解するところの哲学者とは最大限の責任を負う人間、人類の発展全体に責任を感じる人間である」と書いている箇所を引いて、彼がその解釈として示唆しているのは、「ここで「哲学者」と命名、いやむしろ言及されているものは、幻想を振りかざす人物像ではなく、この際限のない責任によってしか定義されない 」ということである。後の浅田彰との討議において「私には、われわれが責任ということを非常に真摯に考えることができるのだということを示すことが重要に思われた次第なのです 」と語っているように、彼はそこで明確な態度表明として「哲学者」たらんとしている。そして、してみれば、彼とともに思考することを表明する私たちもまた、いささかなりとも「哲学者」にならねばならない、ということでもある。

破局の等価性と等価性の破局

ナンシーははじめに、この誤解を招きかねない講演タイトルについて説明している。破局とはまさしく、比べようもない、空前絶後の、言語化しえない、「出来事」なのであって、決して等価なものではありえない。比較しえないはずのものを比較することは私たちにとって少なからずショックである。そこまで壮大な事態を想定せずとも、たとえばアラン・レネの『二十四時間の情事』において、ゆきずりに出会う恋人たちがお互いを見事なまでに理解しえないのは二人の抱える苦しみが比べえないものだから――同じ戦争を契機としたものであっても、同じ苦しみではありえないから――である 。しかしにもかかわらず、この映画が戦争体験というマクロな出来事と恋人の喪失というミクロな出来事を巧みに重ね合わせてみせているように、それらの出来事はモンタージュとして比較されている、というより、されてしまっている。ナンシーもまた、異なる理由によってではあるが、この等価性について説明している。

結局のところ、ここで破局の「等価性」ということが言わんとしているのは、今やどのような災厄も、拡散し増殖すると、その顛末が、核の危険が範例的にさらけ出しているものの刻印を帯びているということである。今や、諸々の技術、交換、循環は相互に連関しあい、絡み合い、さらには共生している。

ここでは現代の「複雑性」あるいは「全般的な相互連関」が災厄=破局に等価性をもたらすものとされているのであるが、このマルクス由来の等価性概念(一般的等価性)について、十分な理解が必要となる。
簡単に言って、一般的等価物équivalent généralとは貨幣の別名である。貨幣とは、M-A-M(ドイツ語ならW-G-W)の交換過程において、質的に異なる商品同士(たとえば砂糖と塩)を媒介して、等価交換を可能ならしめるものである。その媒介力は(ネグリ=ハートが『<帝国>』で述べていたように)国境を越えて全世界を繋ぎ、相互依存的で水平な関係を構築してゆくようにもみえる。今日世界がこれほどまでに往来しやすいものになったのは疑いなく貨幣のおかげである。そしてそれは、経済的な領域を超えて私たちの全存在を吸収している、とナンシーは指摘する 。

マルクスは貨幣を「一般的等価物」と名づけた。われわれがここで語りたいのもこの等価性についてである。ただし、これをそれ自体として考察するためではなく、一般的等価性という体制が、いまや潜在的に、貨幣や金融の領域をはるかに超えて、しかしこの領域のおかげで、またその領域をめざして、人間たちの存在領域、さらには存在するものすべての領域の全体を吸収しているということを考察するためである。

破局もまた、同じ等価性のなかに巻き込まれており、さらに彼は「結局、この等価性が破局的なのだ 」と続ける。ここで講演タイトルの転倒(破局の等価性→等価性の破局性)が起きていることに気を付けよう。何故等価性が破局的であるのかについてはこれから語られるわけだが、とりあえず注意しておきたいが、ここでナンシーが資本主義的な貨幣経済のモデルを批判的に検討しているからといって、ただちにその破棄を提案しているなどと考えてはならない。「問題は、対置することや提示することではない。 」対案を示してそこに飛びつくのではなく、むしろその本質を、左へ右への茶番劇では決して理解されることのないパニック、我々を昼寝から目覚めさせる「全般的な破局」がどのようにして可能になったのか、これを思考することこそが求められている。

補助線――アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法

経済的審級の絶対化を人間の存在様態それ自体に影響を及ぼすものとして分析するナンシーの姿勢は、マルクスは無論のこと多くの哲学者の検討の系譜に乗りかかるものであるが、ここではその例としてアドルノ/ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』を取り上げよう。じっさい、同書も起きてしまった破局についての思考をまとめているのであって、必然的な破局の原点を「進歩の」文明の計算可能性・有用性に求めている、という点で一致している。神話的なものが啓蒙によって非合理的なものとして排除されていくとき、「数が啓蒙の基準となった 」ことを指摘しながら、彼らは次のように記す。

市民社会は等価交換原理によって支配されている。市民社会は、同分母に通分できないものを、抽象的量に還元することによって、比較可能なものにする。啓蒙にとっては、数へ、結局は一へと帰着しないものは仮象と見なされる。そういうものを、現代の実証主義は詩の領域に追放した。

理性的なものは自然や神秘その他非合理的なものをすべて排除して、合目的性に基づいて社会を形成しようとする。自己同一性を解体しかねないものへの不安に駆られて、啓蒙は内なる自然たる内面も外なる自然たる外界も支配しようと試みる。内的生に関して言えば、それは、人間の自然な欲求、快楽追求の断念である。

文明化をおし進めるあらゆる合理性の核心たる、この自然の否定こそ、増殖する神話的非合理性の細胞をなしているのであって、つまり、人間の内なる自然を否定することによって、外なる自然を支配するという目的(テロス)ばかりか、自らの生の目的すら混乱し見通せなくなってしまう。

何を契機にしてか知らないが、はじめは安寧の保障と幸福の追求の必要条件としてあくまで一時的に要請されたに違いない合理化のプロセスが、いつしかそれ自体目的となってしまい、人間さえもそれに傅くことになる。発展のための発展、進歩のための進歩、そういう自動化する現象に如何にして歯止めをかけることが可能であるのか、これが現代社会(消費社会)の課題の一つであり、私たちが革命を必要としているとすれば、それはベンヤミンの言うように、「多分革命とは、この列車に乗って旅している人類が引く非常ブレーキ」だからである。

特異なものの関係と一般的等価関係

さてナンシーの著作に戻ろう。比較を通じてかなり見えやすくなったものと思うが、等価性が破局的である所以とは、まさしくこの「自己生成的、自己合成的――あるいは自己錯綜的、自己不明瞭化的な――樹形化 」にある。それはあらゆるものを巻き込み、外部を消滅させ、内部を滑らかにしてしまうようにもみえる。「みえる」という言い方をするのはネグリ=ハートが『<帝国>』で論じてみせたように、その外見は紛れもなく虚妄であり抑圧と権力により成り立つものだからである。ナンシーの分析においてもそのような欺瞞性への指弾を窺うことができる。等価性がもたらすのは、ひとの特異性、そしてその特異性が織りなすはずの関係性の消滅だからである。

さまざまな形態、関係性、世代間関係、表象を有した「生」そのものが、つまり、思考し、創造し、楽しみ、耐え忍ぶといった能力を有した人間的生そのものが、不幸そのものよりもひどい状況へと突き落とされる。寄るべなき朦朧、錯乱、恐怖、昏迷である。

それゆえ、本書は「関係の詩学」に捧げられていると言えよう。確かに貨幣はM-A-Mの図式が示すように、関係を成立させるために必要不可欠な媒介である。しかしこの媒介の危険性は、かたやその関係項(人にせよ物にせよ)をも飲み込んでしまうところにある。「これこそがわれわれの文明の法則である。そこでは計算不可能なものが、一般的等価物として計算されることになるのだ。 」それに対してナンシーは、ごく初期の哲学的歩みから、「特異性」をこそ人間存在の根本に置いている。それを物象化的な世界に対する詩的カウンターパートとして捉えることもできるだろう。

これ[一般的等価性の関係]は、――「関係」と呼ばれるものがつねに通約不可能な何かとの関わりであり、関係の一項と他項とを絶対的に等価でないものにするものとの関わりであるとすれば――関係ではないのである。

現代のカタストロフ

ほぼ道具は出揃ったと考えてよいように思われる。ナンシーはこの講演のなかで、一般的等価性の関係と特異なものの関係性とを対比させながら、前者を私たちの文明全体の構え、存在の在り方として剔出している。このような存在様態を、ハイデガーの議論を借りながら、彼は「技術」と呼ぶ。「技術とは諸々の操作的な手段の総体のことではなく、われわれの存在様態なのだ 」と書いているように、ハイデガーの技術論は「技術」というものを個々の技術の使い方云々ではなくて、「存在」との関係において把握する 。私たちが事物を、人間を、世界をどのように捉え、どのように扱うか、これが私たちの存在様態を決定しており、かつ、その存在様態に基づいて、私たちはそれらを扱うのだから、ここには明白な循環がある。この存在論的-技術論的思考それ自体を思考することがハイデガー-ナンシーの課題である。核の「民生的な」利用と軍事利用の別は、それゆえ本質的なものではない。それらはいずれも技術であり、その次元で解決を図ろうとしても「全般的な破局」にブレーキをかけることにはならない。

というのも、そのような解決は、われわれが生を送り、文明が繰り広げられる場である技術的布置ないし技術的機制全体の軌道のなかに捉われたままだからである。

しかしながら私たちはあまりにも広大なパースペクティヴに立ってしまっているのではないだろうか。核それ自体の特異性、あるいはフクシマで起きたことの性格についてどのように考えるべきなのか、この点を欠いてはあまりに抽象的な議論に聞こえてしまいかねない。ナンシーによれば、フクシマは、現代における破局の在り方(つまり一般的等価物による相互依存的複雑性)を示している。

この点でこそ、フクシマは範例的である。地震とそれによって生み出された津波は技術的な破局となり、こうした破局自体が、社会的、経済的、政治的、そして哲学的な震動となり、同時に、これらの一連の震動が、金融的な破局、そのとりわけヨーロッパへの影響、さらには世界的ネットワーク全体に対するその余波といったものと絡みあい、交錯するのである。

「もはや自然的な破局はない。」これはきわめて示唆的な発言だと思う。震災と原発事故を連関において捉えるとき――偶発的な(地理的には「偶発」と言えないほど頻発するわけだが)自然災害によって人間たちの生活空間が脅かされ、そのエネルギー的拠点となる原発が被害に見舞われた、それゆえリスク管理と最悪の事態の想定、新しい安全基準に慎重になるべきである――自然災害と原発事故のそれを別物のように思考ことは果たして正しいことなのか。むしろフクシマで起こったことは、原発という発電機能の事故ではなく、私たちの技術的思考様式それ自体の機能不全である、と、このように理解するべきではないのか。

で?

貨幣の一般的等価性に基づく技術的思考、これが今日私たちを巻き込み、吸い尽くすところのものであり、震災がもたらした諸帰結、諸余波はその相互依存的な状況それ自体の破局性を示すところのものである。その意味で破局は全般的なかたちで遥か以前から始まっていたのだから、社会が震災と原発事故に対して採る自己延命的な手立ては破れ鍋に綴蓋という他ないところがある。これらの提言をすべて受け入れ、そのうえで、「で?」と問うことは許されるだろう。それでどうするのか……どうすればよいのか? このような問いかけが他人任せで、自分で思考するということを放棄して久しい人間の虚ろな眼差しから発されるものは承知のうえで、これから先のことを考えねばならない。ナンシーが最後に検討するのがこの点であるが、まずその前に、彼は、これまで何度も繰り返されてきた破局から、人々がどのように立ち直ろうとしたのかを指摘する。それは次のようなものである。

われわれの思考はもはや、危機についての思考や、投企についての思考であるべきではない。ところが、われわれは「最善のもの」についての思考のモデルとしてはほかに何も知らないのである。われわれは、なんらかの「最善のもの」を欲して以来、世界や人間を変革し改善しようと欲して以来、ふたたび生まれ変わる、新たに生まれ変わるといった観点でしか思考してこなかった。すなわち、世界や人間をよりよいものにする、よりよく作り直すという観点でしか思考してこなかった。

より良い社会を願うこと、改善を図ること、再生を目論み、企てること、これらは、それ自体決して悪いことではない。むしろ、ユートピア的なものを願うことは人間を突き動かす原動力であるとさえ言える。しかし何故私たちにはそれしかないのか? 対置や提示の企てをかわし、等価性の社会をその社会のままに改善していく見込みについては「一般的等価物を有徳に操作するという可能性への素朴な信仰 」と切って捨て、つまり、対案は出さずかといって現状肯定もできないという隘路らしきものにあって、ナンシーが「思考」という唯一の支えによって模索するのは、「別の道を開くこと 」である。
合目的性、一般的等価性から特異なものへの道、これを切り拓くためにはまず、合目的性を支える目的-手段の連関を解体する必要がある。

逆に決定的なのは、現在において思考すること、そして現在を思考することではないだろうか。

「観念論的解決はそれでもやはり解決にとどまる 」という開き直りにも近い言明によって、現在という「近接性の場」それ自体への視線を移すことを彼は論じる。目的-企てはひとをより良い世界へ導こうとするが、それがなければどうなってしまうのか。まさしくいま私たちが答えを得られず戸惑っているように、そこに見えるのは「積み重ねられ、彷徨する七○億の存在 」である。先日刊行された『ジャン=リュック・ナンシー 分有のためのエチュード』の最終章「意味=方向(サンス)をめぐって」において、ナンシーの思考における意味=方向の重要性、多義性を論じながら、澤田直は次のように書いている。

だが、神が存在せず、人間の本質もないのだとすれば、どうなるのだろう。神の退隠、本質なき特異存在としての人間というのがナンシーの立ち位置であることは、ここまで見てきたとおりである。この場合、神の不在や本質の不在という真理を発見することは、積極的な形で世界の意味を与えてはくれない。与えてくれるのは意味の不在だけである。とはいえ、意味なしに私たちは生きることはできない。意味の不在という生の現実に耐えることはできない。そのために、しばしば虚妄の意味へと身を委ねようとしてしまうのだ。だが、なすべきことは自己欺瞞に陥ることなく、意味の不在の意味を問うことなのだ。

ここでもやはりナンシーが「意味」について、「到達すべきいかなる目標ともならないが、とはいえつねにその近くにあることが可能なもの 」としていることは注目に値する。その近接性の空間に「到来」するもの、「プレゼントprésent」としての特異なものへの「崇敬adoration」、これらはごくあっさりと素描されるに過ぎない。「民主主義」の理念、「明日のための平等性」、そしてコミュニズムについての言及も同じである。ここではそれらにまで立ち入ることはしない。「たいへんためになる良いお話でしたね」ときれいにまとめるのも不要だろう。以上でレジュメは終える。

*1:本稿は読書会のために用意したレジュメである。