『にき鍼灸院』院長ブログ RSSフィード

2009-06-08 ていしんを試作中(その6)邪を払う

ていしん試作品5

 遂に受注生産された「二木式ていしん」(製品名は二木式てい鍼)が届きました。思わずその夜は嬉しくて飲みに出かけてしまいましたし、明くる日にも家族揃って夕食の時にお祝いをしてしまいました。偉そうにブログ執筆なんぞしておりますが、所詮は一人の庶民でございますという証明です。

 おぉっと、内容はいたってまじめですから話をあまり脱線させないように、本論へ戻します。

 学生時代に「小里式ていしん」に出会って、偉い先生になると道具を自分でも作るようになるんだと感心したものであり製品化されていることにも驚いたものですけど、夢にさえ出てこなかったオリジナルの道具を作ってしまったのですけど、手元に届いた瞬間から次のステップが始まっていることもまた実感しています。

 まずは少なくともこれから何人かの先生には追試をしていただけることになっているのですけど、「道具は道具であってその力を発揮させるのが治療家の腕だ」ということを熟知されている方々ばかりですから、楽しみなフィードバックがまた頂けるものと信じておりますし期待も裏切られないでしょう。

 しかし、未だに私もそうなのですが何か新しい道具を手に入れると「あれもやってみようこれもやってみよう」「こんなことはできないものか」「これがあれば今まで苦労していた治療が・・・」と、絶大な臨床効果を期待をしてしまうものです。研究意欲が旺盛になることそれ自体はいいのですが、魔法の杖でも得たかのような錯覚をしてしまいいくつかの壁もうち破れるでしょうが、「道具は道具」なのですから幻想からはそのうちに目覚めることとなり、最悪はブームが過ぎ去れば見向きもされない寂しい結末になりかねません。けれど「道具は道具」であって、安くて使い捨てのおもちゃ箱の中で次第に輝きを失ってしまう可哀想なアイテムではなく磨くものなのですから、その狙い目と使い方について広く伝えていく義務が発生したと思いますし、改良を加え続けていく使命も背負ったと思います。

 どれだけ広く伝わりどれだけ使われるのかは分かりませんけど、とにかく義務と使命については果たしていこうと思いますし、それが私自身の伸びるためだと信じています。


 さて今回の写真ですけど、龍頭と先端を逆方向に握っています。これは特徴的な形状のパフォーマンスではなく、実際にこのような使い方をするということででの掲載です。

 どのように使うかですが、「邪を払う」時に用います。九鍼十二原篇の瀉法にあるような「邪を瀉す「邪を取り除く」「邪を抜き取る」ほど強制排除をするのではなく、外へ出たがっている邪については出口を提供してやれば「邪を払う」ことが出来、結果的には気の循環が改善されて補へと働かせることが出来るというものです。つまり、標治法の段階でこのような使い方をします。

 邪というものはかなりが外邪であり、人体へ入り込んだなら深く奥へと侵入しようとしますが、人体側も防衛機能を働かせて邪を外へ排出しようと働きます。これが邪正抗争ということですね。また打撲した時の腫脹のように邪とは内側へ向かうだけでなく反転して外側へ向かいたがるものもあるので、このような時には排除をするのではなく排出口を作ってやるだけでよく、その方が人体へも優しくより理にかなった治療につながることとなります。

 具体例で説明すると、古い足首の捻挫があった患者さんなのですけど、普段はもう痛みを感じなくなっているのに疲れると痛みが発生するということで足首が若干腫脹しているような感じです。まだ局所にこもっている邪があるということで、ていしんを逆方向にして数カ所当てているだけで腫脹が小さくなり足首の色まで変わってきました。

 左腸骨を陥没骨折している患者さんなのですけど、今まで牽引や電気治療など強い治療ばかりを受けてきたのですけど全く効果がなく、患部を温めたり揉んだりなど素人療法で悪化もさせていたのでていしんを逆方向で当ててみると、腫脹が小さくなるだけでなく陥没骨折の箇所が明瞭に触診できるようになってきました。この場合には物理的な変動が大きく血の変動ですから、これに加えて瀉法鍼をするのですが瀉法鍼の数を減らすことにも邪を払うことは貢献してくれています。

 私は先天性緑内障であり、中年にさしかかった頃には健常者でも視力が衰えてくるのですから全盲一歩手前という状態になっているのですけど、そのわずかな視力で見ようとするものですから眼窩の周囲にはいくつもの細絡が出来てしまいます。昔は天柱や風池から深く刺鍼して眼球へ響くような鍼を試みたり、顔面に毫鍼を置鍼したこともありますし、円皮鍼をこめかみに貼り付けたりていしんで散鍼するなど試みてきました。最近では妻が学生時代のアルバイト経験を生かして眼窩周囲のマッサージをしてくれるのがとても気持ちいいのですけど、邪を払うことが病理的には一番かなっており効果も本治法以外では一番顕著に感じられます。もちろん本治法と組み合わせて自己治療をしています。

 これは助手の二人もビックリしたことなのですが、寝たきりの姉妹を移動させる介護をしていて転倒してしまい左大腿骨と脛骨の亀裂骨折を発生させてしまった患者さんなのですけど、初日は膝蓋骨の半分が埋もれてしまっているほどひどい腫脹となっていました。あまりに腫脹がひどいのでいきなりの瀉法鍼では患者さんへの負担が大きいだろうと助手の練習も兼ねさせてもらってていしんを逆方向で当てていると、素人さんでも分かるほど腫脹がリアルタイムで小さくなっていきました。次の治療では腫脹が半分以下となっており、通常は夜間痛で三日間くらいは眠れないはずなのに治療後からは熟睡できているというのです。瀉法鍼も併用していますが、これほど目に見える形で効果が現れるとは予想もしていませんでした。

 今まで気血津液の変動を中心に治療をしてきて、その中で決して邪気のことについて無視したのではありませんでしたけど説明がしにくければお血に逃げている節がありました。お血処理は劇的効果をもたらすことが多いのですけど、その反面で実体があったりなかったりですから何でもお血に結びつけてしまい治療の幅を狭くしているのではという疑問を抱くこともしばしばでした。

 そんな疑問があったので、ていしんの試作品を発注した時に「何かもう一つ工夫を」と、鍼の色や形状の違いにより補瀉を研究されている柿田塾の柿田先生の講演を録音と機関誌からですが知ることができたので、真円という形状は邪が抜けるとのことでしたからそのまま取り入れさせてもらったのでありました。そして試作品で実験をしてみると、見事に邪が払えることを効果だけでなく触覚でも感じられるようになり、試作品を重ねる中で先端も真円へと決定していったのでありました。

 ですから持ち方としては、当てる箇所を決定するのに癖として押し手をどうしても構えてしまいますけど、ていしんを当てている時には押し手は構えません。ていしんだけを当てている方がていしんを試作中(その4)、鍼とは「気のアンテナ」で書いたように、「気のアンテナ」としての役目を忠実に果たしてくれます。

 実は森本ていしんでも、邪を払えることを知っていました。そして時々は用いてもいました。けれど瀉法鍼と併用させようとすると太さがあまりに違うためか、相乗効果が体感できなかったのでつい瀉法鍼を多用していました。

 ところが「瀉法鍼で血が動かせるというのはすごい勢いで気が抜けているためではないのか?」という指摘があり、血が単独で動くことはないのですからその裏側では当然気が飛散していることを私は触診からも知っていましたし、理論づけていたので後からローラー鍼で気をコーティングし直しているのです。そのために「瀉法鍼の数は慎重に控えめに」と忠告していたのですけど意味の伝わっていない人もいたことを反省して、邪が抜ける構造を意識して試作していたていしんとの相乗効果を調べ直していたなら、単独でも驚くほど効果が発揮されてくることに実は仰天したのであります。

 半分は「自分がそのようなことも意識して作った道具なんだから」とひいき目があったでしょうけど、半分は意識の違いだったと思います。この一年半くらい継続している小児鍼の患者なのですが、とてもとてもひどいアトピー性皮膚炎で服を脱がせたなら常にどこかをかきまくっていて体液も吹き出している状態だったものが艶々した皮膚に回復をしたのは邪を払ったことが結果的に補の効果をもたらしたと考えざるを得なかったからです。それまでの小児鍼は、小児とは陽気が旺盛だからまずこれらを制御してやるという意味で陽経の流注上を刺激していたのですけど、そうではなく邪を受けやすいので邪を払ってやることが補の効果につながっていると仮定し追試すると、さらに成績が上がっていたのです。その意識変化が、今回のていしんにつながってきたと思います。

 今回でシリーズをまとめようと思っていたのですが、臨床スタイルそのものを変えるほどの変化中ですから文章そのものがまとまらず、また結語にまだ達していないということで、もう少しシリーズを続けたいと思います。