雨音につつまれてーミルトスの雑記帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


ふくしまの海

by いらくさ
  • カリウムに戻る、そしてセシウム
  • 愛とは、決して「被曝し合うこと」なんかじゃない!
  • 放射線の影響と亜鉛とアラキドン酸、そして植物の奇形
  • 過酸化脂質と銅、亜鉛、そして放射能汚染
  • 活性酸素と放射能とニキビ、そしておできの出来た鳥
  • 『メダカが田んぼに帰った日』と、太陽光パネルのせいで生き物が生きていけな〜い!
  • 磁気を帯びた火山灰は原発を機能停止させる?!川内原発再稼働反対!
  • ブログ「風の谷」再エネは原発体制を補完する新利権構造
  • 放射線問題と細胞環境維持への提言
  • 以下(↓)に書いていることは私の思考過程のものです。 古い記事は吟味しつつお読みください。

    2018-05-22

    シスチン(システイン)と美白、シスチンとニキビ

    グルタチオン 別名γーグルタミンシスティニルグリシン
     細胞の老化、がん化をひきおこすと考えられている過酸化脂質の生成を抑えるだけでなく、グルタチオンはすでに生成された過酸化脂質に対しても防御するはたらきをもっていることが特徴です。(中村丁次=監修『栄養成分バイブル』より)

    昨日リンクしたメチレーションとは」で、ホモシステインビタミンB6とシスタチオニン-b-シンターゼ(CBS)によってシステインに変換される図が載っていた。このシステインがグルタチオンに変換されるようで、この経路がトランススルフレーション経路といわれ、「解毒・抗酸化物質を作る歯車解説されている。

    メチオニンからホモシステインを経てシステイン、グルタチオンへと変換されるためには3段階の変換過程を経なければならず、ビタミンB6などの栄養素も必要になるということである。それなら元々システインシスチン:成分表ではこちらで記載されている )の多いものを摂れば良いのではないだろうか?グルタチオンへの変換が一段階で済むと思われる。

    実際、メチオニンよりシスチンの多い物を摂ると、娘のニキビは治まってくるように思われる。ところが、亜鉛の多い物と一緒にこのシスチンの多い物を摂ると、メタロチオネインが作動して、銅等の栄養素へと影響を及ぼし、(組織液が吹き出す等の)別の問題が生じるように思われる。


    また、過去記事「メラニン色素合成」でも引用したのだが、チロシンからメラニンを合成する過程システイン存在すると、フェオメラニン黄色メラニン)という悪性黒色腫が合成される」ということなので、日に焼ける前にシスチンの多い物を摂り過ぎるのは良くない、と考えられる。しかし、その後に皮膚の色を白く戻すためにはシスチンの多い物は有効なのではないかと思う。

    もう一つ、皮膚の色を白くするものにメラトニンがあげられるが、これについてはまた後日纏める。


    こういったことも、食品一つ一つにどういった栄養素が含有されているか、また、食品食品の組み合わせによってどうなるかといったことを考えていかなくては分からないことだと思う。
    今後、一つ一つの食品について纏めていきたいと考えている。

    2018-05-21

    メチレーションとシスチン

    以下の内容は私の思考過程のものであり、間違いが含まれているかも知れません。

    分子栄養学によって治療するクリニックのサイト「なぜ、低メチレーション状態の人に、葉酸を投与すると悪化することがあるのか?」という記事に、「ウォルシュ博士は、…精神疾患においてはメチル化を促進するのはメチオニン、メチル化を抑制するのは葉酸だと結論した論文を発表」したと記され、ナイアシンエピジェネティック的に、メチレーション抑制することが報告されています」と書かれていた。
    メチレーションとは「メチル基(CH3)がある物質から別の物質へ移る生化学的反応」のことだと記されているが、ここで取り上げられているメチレーションは、アミノ酸一種であるメチオニンホモシステインなどを経て元のメチオニンに戻るということのようである。その時に葉酸が必要とされるのだが、葉酸を投与すると逆に具合が悪くなる場合があることから、ウォルシュ博士葉酸はメチル化を抑制している」と結論づけたと書いている。そしてナイアシンメチレーション抑制する」ということである。

    ここで新たに、メチレーションについて説明したサイトを見つけた。メチレーションとは」。ここでは、葉酸にはサプリメント粉ミルクに含まれる人工のものと、非加熱の葉物野菜に含まれる葉酸塩とがあるように書かれている。どちらも、「「メチルテトラヒドロ葉酸」まで代謝されて初めて生体で使える形に代わる」と記されているのだが、人工のものは代謝されにくく、蓄積されやすいようである。

    葉酸ナイアシンサプリメントで摂る場合と食物から摂った場合とでこういった違いがあるかも知れない。もう一つは、サプリメントで摂ったとしても食物で摂ったとしても、それだけで働くわけではないだろうということである。これまで何度も書いてきたのだが、摂取した栄養素の組み合わせによって、どこで使われるかが変わるのではないかと思われる。また、一部の栄養素を多量に摂ることで、他の栄養素不足に陥るということが考えられると思う。

    最初のサイトでウォルシュ博士は、「メチル化を促進するのはメチオニンと結論付けたと記されていたのだが、食物のメチオニンの含有量についてはシスチンの含有量との割合を考えなくてはいけないのではないか、と私は思っている。

    過去記事でも書いたのだが、メチオニンよりシスチン含有の高いものと銅などを摂った場合、タイプ1銅タンパク質となって働きやすくなるのではないか、その結果、メチオニンメチオニン独自の働きに使えなくなるのではないかと思ったのだった。

    メチオニンホモシステインからメチオニンへと戻すためには葉酸ビタミンB12が必要だということなのだが、たとえば、生で食べられて葉酸が多めのイチゴなどは、メチオニンよりシスチンの方を多く含有している。葉酸を摂るためにイチゴを食べたとしても、メチオニンよりシスチンを多く摂る羽目になる、というようなことが起こって来るように思うのである。
    イチゴならばここにビタミンCも関わってくるのではないだろうか?
    このように、食物で摂る場合は一つの栄養素だけが含まれているわけではないという問題がある。そして、サプリメントなどで摂る場合には、上で書いたように一つの栄養素を摂り過ぎるということ、代謝されずに体内に蓄積するという問題がある。

    それだけでなく、メチレーション問題には、このシスチン摂取と働きが大きな鍵となっているように思われる。

    ところで、娘は昨日、久しぶりに礼拝に出席したのだが、聖餐のパンを娘の分だけ粉乳の入っていないものにして頂いた。
    脱脂粉乳や粉乳というのはアレルギーに大きく関わっていると考えられる。また、シスチンも肌の色や皮膚の酸化などに関わって、皮膚疾患には影響している栄養素だと考えている。少しずつ纏めていきたいと思う。

    2018-05-18

    自意識についての二つの文章から考えた


    ● 最近の対話象徴秩序への位置づけと自意識統計学的超自我写真説明とか 「スメルズグッド・ホニュールイズ」
     しかし自意識象徴秩序への位置づけはイコールではないし、前者は後者の後の問題ではないかとも思う。後者はほとんど「わたし」の存立の問題であり、言葉とモノの関係の次元位置している。前者はそうしたイマジネールな「わたし」が一応同定されて、その上で「内面」がドライブするだけのこと。問題系としては矮小である。(抜粋引用

    ● 八月の蟻がどんなに強そうに見えるとしてもそれは光だ 兵庫ユカ
    わたしが過剰な自意識と折り合えるのは、歌を詠んでいるときだけなのかもしれません〉と作者自身が歌集『七月の心臓』のあとがき告白する自意識のつよさは、兵庫ユカの歌を読んでいるかぎりまったく否定できない。…。自分凝視する視線を頻繁に感じる。しかし、それがありふりれたナルシシズムと手を結ばないのは、眼球をぐるりと内側に向けて自分内面を掘っていくような表現ではなく、眼球は外側に向けたまま、つねに自分の反射を見つめているようだからだと思う。
                        平岡直子=文『一首鑑賞 日々のクオリア』より抜粋引用


    「スメルズグッド・ホニュールイズ」さんの上の文章を拝見して面白いな、と思った。特に、象徴秩序への位置づけ」「「わたし」の存立の問題であり」という点。これは、「全くその通りだ!」と思った。

    私は、いくつかの書物から、統合失調症の場合は、この「わたし」の存立に関わった問題を抱えているのだと思っている。つまり、「自分とは何か?」という問いの時点で蹲っているということ。その意味で、「前者(自意識)はそうしたイマジネールな「わたし」が一応同定されて」という点にも肯ける。「一応同定されて」「一応」という言葉が重要だろうと思う。

    だが、象徴秩序に向けて自己が同定されたなら自意識が過剰になるのかというと、そうではない、と思える。
    象徴秩序なるものに自己が同定されたなら、自分よりも象徴秩序の方に目が向くのではないだろうか?「自意識」、特に「自意識過剰」と言われる時の「自意識」は、「象徴秩序」よりも自分へと意識が向かっている状態だと思うから、自分以外のものは目に入っていないといえるように思う。

    ここで「一応」の「同定」であるということが意味を持ってくるように思われる。
    「一応の」というのは、「仮に」ということに等しい。「仮に」とは、本物ではない、紛い物である可能性もあるということだ。
    統合失調の場合は、おそらく「紛い物」では済まないのである。
    紛い物の象徴秩序で済む人は、一応同定されて、同定された象徴秩序の方は見ないで、自分自身に拘泥する。そのために自意識過剰となるのだろう。


    そんなことを考えているところへ、平岡直子さん「一首鑑賞」の文章を拝見した。
    ここに記された自意識は、「眼球を外側に向けたまま、自分の反射を見つめているような」自意識だと言う。面白いなぁ、と思った。そしてこれこそが、象徴秩序へ向けてしっかりと位置づけされた者の「自意識」ではないだろうか、と思った。


    私はここで、「象徴秩序」を「神」と置き換えて考えてみようと思う。

    神の前に一応身を置いているというキリスト教徒は思いのほか多いのではないだろうか。そういう人は、神の方ではなく、自分の内側を見ていることの方が多いのではないかと思う。これは、平岡が言う自分凝視する視線とは違っている。
    平岡が言う「眼球は外側に向けたまま、つねに自分の反射を見つめているよう」自分凝視する視線というのは、キリスト教徒で言うなら、眼球を外側に向けて人を見ながら人の中に自分の罪の姿を凝視しているということだと言える。これは、神の前に、一応でなく、罪を抱えた自己を同定した者の姿だろう。

    しかし私たちは、罪を抱えた自己を神の前に位置づけたとしても絶望することはない。
    なぜなら、この神は、私たちを神に似せて愛する者としてお造りになった神であり、その回復のために、御子イエス・キリストを私たちにお与え下さる神だからである。


    生きているものは、少なくとも知っている 自分はやがて死ぬ、ということを。(コヘレト言葉9:5)

    憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。(ダニエル書9:9)
    お前たちの罪によってお前たちは売り渡され・・(イザヤ書50:1)
    あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。(イザヤ書43:1)

    今や、キリストイエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリストイエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。(ローマ信徒への手紙8:1,2)

    2018-05-16

    『聴く』5月号

        2018年受難第一主日礼拝説教 豊島北教会ホームページ〈 読む礼拝 〉より
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      私を教会へと引き戻した讃美歌
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    私を教会へと引き戻したのは、この讃美歌205番だと思う。

    「わが主よ、今ここにて 親しくまみえまつり、限りなき幸いを受くるこそ嬉しけれ」
    私自身は、その頃まだ洗礼も受けておらず、聖餐にも与ってはいなかったのだが・・。

    「ここにはあがないあり、ここにはなぐさめあり、わがけがれ清められ、み力は満ちあふる」
    「贖い」という言葉もよくは分かっていなかった。けれど確かに、ここには他にない何かがある、と思ったのだった。

    この讃美歌は、教会という場を象徴したような讃美歌だと、今になって思う。

    中学生だったということもあって語られた説教記憶はないが、聖餐の後の讃美歌にこの205番を選ばれたH先生信仰が、私を教会へと引き戻した、と思う。

    2018-05-14

    花と聖句

    主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。(マタイによる福音書13:29,30)

    f:id:myrtus77:20180514102535j:image:medium:rightハイビスカストリオヌム。一昨年だったか夏の終わりに売れ残っていたのを買って、去年、母の家の庭に植えたら枯れてしまったので、掘り起こして鉢に入れて置いておいた。すっかり枯れてしまって茎も引き抜いた鉢の中に葉が出てきた。雑草かと思ったが、もしやと思ってそのままにしておいたら、花を咲かせた。
    ハイビスカストリオヌム。
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    だけど、トリオヌム、午後にはもう萎んでしまった。


    朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい
    夕べにはしおれ、枯れて行きます。
               (詩編90:6)

    草は枯れ、花はしぼむが
    わたしたち神の言葉はとこしえに立つ。
              (イザヤ書40:8)



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    これは、薔薇のカティ
    鉢に入れたまま放っていて、弱りかけていたのを地面に降ろした。葉も病気になったり虫に囓られたりしていたのだが、草木灰を根元に入れたら、元気を取り戻した。
    この薔薇、一つだけ残念なのは、香りが全くしないこと。薔薇なのに。
    大きさとか色とか形を追求して交配を重ねると元々持っている香りが失われるんじゃないかと思う。シクラメン商業用に作られた大きな物は香りがない。蘭の仲間も、寒蘭などの野生のものは色や姿は地味だが素晴らしい香りを放つ。けれど、胡蝶蘭などは香りはないのではないだろうか?
    それにしても、根元はこの写真の右下なので、どれだけ朝の光の射す方へと伸びて行っているかが分かると思う。

    そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。(ヨハネによる福音書12:35,36)