風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「お酒に弱い体質」からもう一歩踏み込んで亜鉛とナイアシンについて考える

前の記事で、「このことは、体内の亜鉛量に対してナイアシンの体内量が増えすぎた場合にあらゆるところで問題が生じるというところへと繫がっているように私には思えるのである」と書いたのだが、このことをもう少し丁寧に書いてみようと思う。

亜鉛の機能と健康』には、「臨床における亜鉛欠乏が最も早くから注目されていたのは肝疾患で、…」と記されている。以下に抜粋引用する。

 肝性脳症に対して…。アンモニア代謝に関与するオルニチントランスカルバミラーゼは亜鉛酵素で、亜鉛欠乏状態では活性が低下する。肝硬変では分岐鎖アミノ酸消費が増大するが、フィッシャー比(分岐鎖/芳香族アミノ酸比)の低下は血中アンモニアの増加と相まって肝性脳症を助長する。片山らは、肝硬変症において分岐鎖アミノ酸経静脈投与に加えて硫酸亜鉛経口投与を併用し血中アンモニアの低下を報告している。
 亜鉛はまた、肝の線維化を抑制する。(中略)
 肝類洞壁に存在する肝星細胞の活性化は肝線維化を促進するが、特に亜鉛欠乏によってコラーゲン合成能が亢進し肝硬変へと進展する要因になる。(日本栄養食糧学会=監修、駒井三千夫、神戸大朋責任編集『亜鉛の機能と健康』より)

最後に書かれている亜鉛欠乏によってコラーゲン合成能が亢進し」という部分には銅が関係していると思われる。コラーゲンを合成するリシルオキシターゼは銅要求酵素(『しっかり学べる!栄養学』)である。亜鉛と銅は拮抗関係にあり、体内に亜鉛が多く銅が排出されやすい場合はコラーゲン合成能が低下し、亜鉛が欠乏している状態では銅の作用が強く出るということではないだろうか。


「お酒に弱い体質について」で書いたように、アルコールの代謝には亜鉛含有酵素が関わっている。アルコールは先ず、アルコール脱水素酵素によってアセトアルデヒド代謝され、次にアルデヒド脱水素酵素によって酢酸に代謝される。このどちらの酵素にも亜鉛が必要とされているようである。又、このどちらにもナイアシン補酵素として関与する。

飲酒によって吐き気や頭痛などの症状が出るのは、第一段階の代謝によって生じたアセトアルデヒドによるもののようである。亜鉛が体内に十分な場合は、エタノールアセトアルデヒド→酢酸と第二段階の代謝までスムーズに進むために症状も出ないのではないだろうか。
また、亜鉛はあるのだけれど、第二段階の代謝までの十分な量がなくアセトアルデヒド代謝で留まってしまった場合、頭痛や吐き気や二日酔いとなるのではないだろうか。亜鉛がほどほどにあって、ナイアシンの摂取が多いという場合が一番お酒に弱い状態のように思える。

逆に、元々亜鉛が少なくナイアシンが多い場合は、第一段階の代謝によってアセトアルデヒドが生じることもないためにお酒に強い体質のように思いがちになる気がする。お酒に強いと思い込んで飲み過ぎるために肝硬変になるというようなことが、この辺りから起こってくるように思う。

ナイアシンが多く、ナイアシンと共に働くところで亜鉛が働かされて不足してくれば、他の場での働きができなくなり、そこの部分で問題が生じるということではないだろうか。

この様に栄養素間の体内バランスによって体の有り様が違ってくるのだと考えられる。これは、亜鉛ナイアシンだけに限らない。どれか一つの栄養素を摂りすぎることで、それと共に働いて消費され、不足する栄養素が出てくるというところに問題が生じるのだと考えられる。


● 大隅良典先生おめでとうございます
すなわち、…、心臓の収縮力を維持するためにオートファジーを伴う代謝回転が不可欠であることなどがある。
大隅博士の貢献は、生体の重要な素過程の細胞自食作用であるオートファジーに関してその分子メカニズムと生理的意義の解明に道を拓いたものとして高く評価されるものである。(「京都賞の受賞理由」からの抜粋引用)

   私は細胞内のタンパク質の分解の機構に興味を持ち、1988年以来28年間に亘ってオートファジーと呼ばれる細胞内の分解機構の研究を進めて参りました。生命体は絶えまない合成と分解の平衡によって維持されています。合成に比べて分解の研究は興味を持たれず、なかなか進みませんでした。
   …。すなわち、分解は合成に劣らず生命活動には重要であるということが次第に認識されて参りました。(中略)また、近い将来オートファジーのさらなる機構の解明が進み、細胞の一層の理解のもとに、病気の克服や健康の増進などの研究が さらに進むことを心から願っています。
(中略)
最後にこれから生物学を志す若い世代に向けて、
   私達の周りには、まだ沢山の未知の課題が隠されています。素直に自分の眼で現象をみつめ、自分の抱いた疑問を大切にして、流行や様々な外圧に押し流されることなく、自分を信じて生命の論理を明らかにする道を進んで欲しいと申しあげたいと思います。(「 国際生物学会賞での挨拶(2015年)」からの抜粋引用)