風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

片山洋次郎さんの「体癖」のこと

片山洋次郎さんの体癖について読んでいると、私は開閉型9種にぴったり当てはまる。

 とくに9種は(内側と外側を強く区別するわけだから)、周りの空間との緊張感が強く、周りにいる人もその空間の緊張をダイレクトに感じる。
(中略)
 内側に過剰に集まったエネルギーと外部の緊張が、周りの空間全体に緊張感の強い磁場を生むといえる。9種の人が何かに集中していると、目の前のことだけでなく背中側や周り全体に意識がはりめぐらされていて、背後の人のヒソヒソ話も聞こえていたりする。
(中略)
 車に乗って走っている場合、車高が低い=目の位置が低い車体ほど生のスピードを感じる。…。狭い道と広い道では狭いほうがスピードを感じ、見通しが広々としているほどスピード感は少ない。体癖的にいえば、骨盤型9種が一番スピードが好きで(狭い道も好き)、エネルギーも身体下部に集まっている。(片山洋次郎=著『整体。共鳴から始まる』(ちくま文庫)より抜粋)

礼拝で私は、目を瞑って説教に集中しようとするのだが、目を瞑ることで目の前の余計な情報は遮断することが出来るのに、後ろ側の雑音が耳に入ってきて困るという場合がある。それでだいたい一番後ろの席に座る。私の隣の席に座りに来る人はほとんどいない。娘くらいのものだ。

車の運転ではスピードが出やすい。ゆっくり走ろうとすると眠ってしまいそうになる。それで、過去にスピード違反で罰金を払ったことが何度かある。何度目かの時、あまりに高額だったから、以後絶対にスピードは出さないと決意して法定速度で走ろうとすると眠くなって逆に事故を起こしそうで参った。札幌でのことだ。こちらは道が狭いので、私には合っているのかも知れない。夫は道の狭さに辟易しているが。

外に拡がって行こうとする5種の人間を私のような9種の人間があまり厳しく指導すると、その人の良さを壊すことになるかも知れない。基本的なものをしっかり身につけさせたら、速やかに手を放さなくては。

執事の務め(テモテへの第一の手紙3:8~13から)

それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったなら、それから執事の職につかすべきである。女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。(テモテへの第一の手紙3:8~12)


若い頃に、牧師不在の祈り会でお聞きした長老の奨励が今も印象深く記憶に残っている。
安息日にイエスと弟子達が麦の穂を摘む福音書からの奨励だった。この記事はマタイ、マルコ、ルカに載っているが、どの福音書も、「人の子は安息日の主である」というイエスの言葉で締められている。この時の長老がどの福音書から語られたかは覚えていないのだが、このイエスの言葉に注目して説き明かして下さったということは鮮明に覚えている。


以下(↓)は、肯かされたツイートから