孤独を受け入れる:「すべてはモテるためである」 二村ヒトシ

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

男が「モテる」とはどういうことか?それは、たんに他人との交渉をつうじて性欲を満足させることだけでなく、他人から「あなたはキモチワルくないよ」と認められることだ、と本書は言う。それは、男が自分の自尊心を他人に認めてもらうということだろう。解説の上野千鶴子氏が指摘するように、男であることの重要な本質は、自分の自尊心を保つことだ。だから、女性がエライ男からカネとチカラをかすめとろうと思うのならば、思いきり男の自尊心をくすぐり、その「お守り」をしてあげることだ。これが、男を相手にする水商売の一面の真理である。

ともあれ、自分の肥大した自尊心(つまり本書で言うところの自意識過剰)など、他人にとってはキモチワルいものでしかないだろう。本書は、モテない男は、自意識過剰=「キモチワルい」のだから、モテたいのならば、まずなるべく他人からキモチワルがられないようにしようと説く。そのための方法は、あくまで具体的かつ実践的である。例えば、キモチワルがられないように女性と話す練習としてキャバクラに行ってみろ、となる。最低限、自尊心を保っていられる水商売の場で、まずは緩く練習してみるという実践法である。

しかし、本書で最も印象的な指摘は、モテようとするための他人とのやりとりで臆病になりすぎないために、「一人っきりでいても淋しくない」自分の居場所をもて、というものだ。自尊心をどうにかあやす手段は、もちろんモテることだけではない。筆者も、自意識過剰の世界から逃れることはできず、なんらかの意味で本書がいうところの「バカで臆病」だが、本書を読むことでモテようとすることをあきらめ、孤独を受け入れる準備ができたように思う。

本書は読者の根強い支持があり、1998年の初版以来、加筆を重ねてなんども再版されている。今回の最新版(2012年版)では、著者がモテてみた結果、大事なことは「大人になること」、すなわち「もう、そんなに長い時間は残っていないんだから、なるべく他人を幸せにしようと考えることだ」という結論に至る。しかしこの境地は、本書を最初から熟読して、一回モテてみないとその真意はわからないのではないかと感じる。かくして、やはり「すべてはモテるためである」のだ。どうしようか。。。