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みんなどこか変わってるから大丈夫

2018-07-11

予行演習…

本日はブログ再開の予行演習として、ひとさまのtweetと新聞記事の転載だけですだ…


まずは、みんなでこのポスターを思いだそう…↓

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(↑これは、今となってはギャグとしか思えない自民党のポスターね…)


で、こういうポスターで繰り返し安倍ちん自民党は「この国を守り抜く」と言ってきたのだけれど

改めて考えてみると、安倍ちんたちは

「国民を守り抜く」とか「市民の暮らしを守り抜く」と言ってたんじゃなくて

「この国を守り抜く」と言ってたわけで、今回の

「気象庁が異例の緊急記者会見」
     ↓
でも、そんなの関係ないのよ「赤坂自民亭」
     ↓
だから「週末は官邸じゃなく私邸でくつろぎタイム」
     ↓
…で予定通り外遊しよ…とたかをくくってたら、

当初新聞が無視してた「赤坂自民亭」がネットで批判を浴び

ようやくTVも取り上げるようになったので

これはマズい…と、外遊取りやめ、急遽、被災地視察…

という流れを見ていても、安倍ちんたちは市民を守ることなんかこれぽっちも考えてない…

(だから、高プロ(=定額働かせ放題制度)なんか強引につくっちゃうのよ…)


なので、ネトウヨであろうと、安倍ちんの支持者であろうと

何かあったときに守ってもらえないのはいっしょ…↓

素朴にネトウヨに聞きたいんだけどさ。
ほんとに、日本の半分ぐらいの地域におよぶ大災害の時に、
私邸でぼーっとしてる総理大臣が、日本人の生命を守ってくれるって思ってるん?
ほんまのほんま??


(ひとさまのtweetより)

(ゆうとくけど、支持者だから守ってもらえる…なんてのは美しい誤解よ…)


だから、「一丸となって」災害対応…してくれるんじゃなくて

彼ら与党は「一丸となって」党利行動を優先するのである…↓

野党「与野党一緒になって災害救助に当たりましょう」
与党「は?災害???いつの話?」
野党「カジノIR法案よりも災害対策でしょう」
与党「いや、カジノ命だから」
野党「まだ行方不明者多数。明日の委員会はやめて」
与党「じゃ、強引だけど委員長権限(職権)で勝手にセットするねー」←今ココ


(ひとさまのtweetより)


ちなみに上のtweetは7/9のもので、それから今日までの間に与党は何をしたのかを付け加えると…↓

参院6増法案、参院通過 自民は採決強行 野党反発(7/11(水) 朝日新聞デジタル)

 参院の議員定数を6増やし、比例区に特定枠を設ける自民党の公職選挙法改正案は11日、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決された。野党が反対する中、自民は採決を強行した。自公両党は週内に衆院での審議を始める方針。〜

(それにしても、「比例区に特定枠」というだけで、
 この案がムチャクチャ(=理屈では説明できない不合理なもの)だということがわかるよな…)


そういえば、西日本大水害の前には、与党は「水道民営化法案」も通してもうたし

自民党(と公明党)はもう、ぼくたち市民のことは眼中にない…とゆうてもええでしょう





※大雨など、大災害が予想されるとき、ぼくたちは

「命を守る行動をとってください」と呼びかけられるんだけども

このまま自民党を支持してたら、真剣にぼくたちの命が危険にさらされると予想されるので

ぼくが「政治特別警報」を発令し、呼びかけておきましょう

「命を守る(政治)行動をとってください」

2018-06-30

長らく休んでまた休む…というお知らせ

父の突然の入院を契機として落ち着かない日々が続き

ブログの更新を怠っておりましたが、

ようやく父が退院し、ぼちぼちブログを再開しよか…と考えてたら

なんと、今度は父と入れ替わりに明日からぼくが入院手術…ということに相成りまして

明日からまたブログ更新が止まります


手術といっても比較的ありふれたもので、入院期間も短いので

今度はそんなに長くは休まないつもりでおります

(事後報告になってすんません…)

想像力が働かない…というのは、深刻な問題である

つい最近ね、自民党の大物政治家(=派閥の領袖)がまたまたやらかしましたよね?

えっ? 麻生がまたなんかゆうたんかって?

いやいや、今回は「言っちゃいけないことから先に言う」麻生くん…ではなくて

いっつも「さっきまで昼寝してて、今起きたばっかり」のような感じのあの人…、

そう…、自民党幹事長であり、安倍内閣を支える「諸悪の根源」二階くんですわ


二階くん、自民党支持者が集まる内輪の講演会で気が緩んだのか、

あるいは、思わず本音が出たのか

「子供を産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考える人がいる」…

なんてたわけたことを抜かしやがったんだけども、

気が緩むとたわけたことを言ってしまう…というのは

麻生くんはじめ、自民党のオッサン(あるいはおじいさん)政治家のお約束…なので

あぁ、またか…と呆れる…なんてコトではダメで

ここはちゃんと、オッサン、何ぬかしとんねん!…と返しておきましょう


ここで、二階くんのたわけた発言を批判する…なんてのは大人げない…のではなくて

そんなの、ボクがここで改めて書く必要もないくらいな「たわけ話」なので

紹介した二階くんの発言への批判は他の人のコメントで、あるいは、ご自身でしていただくとして

(…って、なんちゅう手抜きやねん、それ…)

このエントリーでは、二階くんのもうひとつの「たわけ話」を取り上げてみたいと思います

それは…

「食べるのに困るような家はもう今はない。今晩お米が用意できないという家はない」…

(って、それはアンタがその「現実」を知らんだけやんけ…)


そう…、このオッサン…やなかった、二階くんは

日本に「食べるのに困るような貧困」がないと思ってる…のは確実なようなんだけど

人間、「自分が見聞しないこと」を「ないこと」にできるものではなく

(そんなん、当たり前…)

「自分が知らないからない」と決めつける…というのは

まぁ、なんというか、何とも言えんやんけ、このオッサン…(じゃなくて、二階くん…)


ってか、仮に、人間が自分の見聞の範囲で存在を規定するとしたならば

その世界たるや、極めて狭く、かつ、偏ったものになるわけでありまして

そんなコトになってしまったら人としてちゃんと生きられるわけがない…から

人には「想像力」という能力が備わってるもんです


想像力って、自分が直接見聞してないことを見る、あるいは知る力で

人にはそれがあるから、知らないコトを補って世の中を見通せるはず…なんだけども

想像力を働かせることを怠ってしまうと、この二階くんのように

「オレが知らんことはこの世に存在しない」…となって

(…と言っても、これは、「オレはこの世の全部を知ってる」という意味ではなくて
「オレが知らんことは、現実にあったとしてもそれはないコトにするんだ」という態度のことです)

現在の日本には「食べるのに困るような貧困はもうない」…という、

あり得ない世界(…というか日本社会)を前提に話をする…というコトになるわけですわ


で、それはきっと二階くんだけ…ではなくて、自民党の政治家に顕著な傾向であると思うところ

自民党の政治家というのは基本的に「経済的に困ってない人」が多い…というよりも

「経済的に恵まれてるから自民党の政治家になれた」という人がほとんどだろうから

そんな「経済的に恵まれた人たち」が「自分の知らない貧困」に対する想像力を働かせてくれなければ

この二階くんのように、「現在の日本に食べるのに困るような貧困はない」という、

あり得ない前提で彼らの政策?が出てくるわけでして

「高プロ」でもそうなんだけど、「あり得ない前提」や「現実を無視した前提」で出してくる、

自民党の政策?が現実社会に適応したものであるわけはなく

自民党政権が繰り出す政策?が実現すればするほど、ぼくたちの暮らしは厳しくなる…

という話なのであります


お金持ちには貧乏人の気持ちなんかわからない…

なんてことは昔からよく言われることで、それはまぁ、一面の真実であろうとは思いますが

ここで、お金持ちがわからないのはあくまでも貧乏人の「気持ち」であって

貧乏人の「存在」ではないはず…です


にも関わらず、(食べるのに困る)貧乏人の「存在」さえわからない

(=日本の社会には自分とは違って食べるのに困ってる人がいる…という想像力が働かない)

…というのは、極めて深刻な問題でありまして

こんな人たちに政治を委ねてたら、そのうち殺されるで…

(というのは、決して大げさな話ではないのだ)

「良心の呵責」は良心がないと感じないのである

「良心の呵責を感じませんか」…と、この前の参議院党首討論で、

とある野党の代表が安倍首相に問いかけたことがありました

ぼくはこの党首討論を見てなかったので、この発言を後から聞いたとき

これはきっと安倍首相が「モリカケ知らぬ存ぜぬオレも妻も関係ない」を

押し通していることに対するものだろうと思ってたら

そうじゃなくて、安倍首相が(…というか、党首討論だから自民党の安倍総裁が)

長々と答弁することで持ち時間の少ない野党代表の再度の質問を

封じたことに対する言葉だったんですね…

というのはボクの早合点で、映像を確認してみたら、

やっぱりこの野党代表は安倍首相のウソを取り繕うために官僚が公文書改ざんまでした…ということに

「良心の呵責を感じませんか」と言ったんでした…

(どうも最近、早合点が多くてアカンわ…)


ところで、安倍首相が「長々答弁」…というか、関係ない話で野党の質問時間を浪費するのは

これまでも国会でずーーーーーーーーーーーーーーーーーっとやってきたことで

それに関しては「あぁ、またやっとるな、このオッサン…」としか思えない…なんてことではダメで

ここは怒らなアカンとこではありますが、

ぼくはこの「良心の呵責を感じませんか」という「甘い問いかけ」を聞いて

最初に思ったのは、「良心の呵責」は良心がなければ感じることができないよな…

ということでありまして、安倍晋三くんに対しては

「良心の呵責を感じませんか」という問いかけ以前に、まずは

「良心がありますか」と問わなければいけないように思います


いや、安倍晋三くんにだって(いくばくかの)良心はあるだろう…

素朴で素直で優しい人なら、ここでそう考えると思いますが

ひねくれ者のぼくはそうは考えないのであります

…と言いつつ、ぼくだって、晋三くんにもきっと「良心」はあるだろうとは思ってます

けど、晋三くんの「良心」(=晋三くんが「良心」だと思っていること)と

ぼくたちが「良心」だと思っていることの内容はきっと違うだろう、

それは晋三くんにとっては「良心」だけれど、

ぼくたちからすると、それは「良心」にはならないもんじゃないか…と強く疑うわけでありまして

それは何も「良心」というものに限った話ではなく

晋三くんの使う日本語の意味とぼくたちの感じる日本語の意味が乖離して交わるところがない…と

ぼくは以前から感じているので、「良心」だってそうだろう…と思うのです


だから、晋三くんには主観的な意味の「良心」はあるでしょう

(晋三くんだって「オレには良心なんてない」とまでは思ってないでしょう
 ちなみに、直接の関係はないけど、晋三くん夫人だって主観的には
 「自分はいい人」で「イイコトしてる」と思ってるんでしょう)

けれど、晋三くんの考える「良心」とぼくたちの考える「良心」の中身は

大きく乖離して互いに交わるところがない…から、

晋三くんに「良心の呵責を感じませんか」と問うても、それは無意味であるようにも思えます


で、同じ言葉の意味を共有できない人とはおよそ会話が成り立たない…のでありますから

(だって、同じ言葉を違う意味で使う人と、いったいどんな意思疎通が可能なんですか)

会話が成り立たない人とは会話さえ無意味になり、

そんな人に政治を任せる…というのは、もう、

「どうにでもなれ精神」でしか不可能であると思うところ

そんな自暴自棄な精神で他の人たちの幸福を潰されたらかなわんのでありまして

自分のことを諦めるのはいいけど、他人の人生まで諦めさせないでよね…と

ぼくは晋三くん支持者に強くいいたいところです





※付録

晋三くんの「良心」とぼくたちの「良心」の中身が大きく乖離して交わるところがない…

というコトを再認識させてくれるひとさまのtweetがあるのでいくつか紹介しておきます

背筋が凍るほど残忍な人間がこの世にいる。かけがえなき我が子を過労死で亡くした母親達が過日、雨の中で総理との面会求めて立ち続けた。昨日は国会前で悲痛な叫び声を上げた。なのに雨中で面会求めて立ち続ける遺族を無視して料理屋へ直行し、昨日は国会で野党を嘲って笑い転げる。戦慄の残忍さだ。

晋三くんたちの振る舞いを見てると、彼らの「良心」とぼくたちの「良心」は

言葉はおんなじでも中身は別物なんだろうな…と思うところです


オマケで、「職業的良心」(≒職業倫理)を忘れた人のことも…↓

虚偽公文書作成罪の趣旨を歪め、佐川宣寿元理財局長ほか38名を不起訴処分にした山本真千子特捜部長が、函館地検のトップである検事正に昇進。こういった腐敗臭のする論功行賞的人事は恐らく、腐敗の源泉たる「膿の親」が倒れるまで続くだろう。暗澹たる気持ちにさせられる。

(職業的)「良心」を売って昇進する…って、どんな気持ちですかね?

…と、ぼくはこの検察官に聞いてみたいですわ


さらにオマケで、この人の「良心」の中身もぼくたちの「良心」とは違うんじゃないか…と

強く疑われる人を↓

NHKの皆さん、与党議員のデマの掲載を中止して下さい。 野党が延期を提案したのに決算委員会を強行したのは与党です。国民舐めんな。

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「国会改革」の必要性を訴えている自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長は、大阪府北部で震度6弱の揺れを観測した地震が起きた日の国会審議のあり方に強い疑問を投げかけました。

地震が起きた18日午後、参議院決算委員会では、小此木防災担当大臣を除き、安倍総理大臣とほかの18人の閣僚に出席を求め、およそ4時間にわたって質疑が行われました。

「驚いたのは、こういう日でも、質問がない閣僚まで出席させるんだ、と。インフラの関係は国土交通大臣だし、自衛隊の派遣だったら防衛大臣もそうだし、そういったことで、各省庁でやるべきことがあるはずなのに、質問もない閣僚まで、あの大阪の地震でさえも、そこに出席していることに、なんで疑問がないんだろうかと。最近、『国会改革が必要だ』という機運を高めてくれるためのネタを、どんだけ提供してくれるんだというようなことが、国会、すごく多い」(NHK:6.20)

野党が延期を申し入れたのを「自民党が断って地震当日に委員会を開いた」ことをすっとばして

まるで野党が「地震当日も委員会を開催して大臣の出席を求めた」という話に作り替えて広報する、

この世襲四代目議員もまた、「息を吐くようにウソをつく」晋三くんにソックリ…なので

やはり、その「良心」たるや、ぼくたちの考える「良心」とはまったく別物なんでしょう

(さらに、そういう事情を伝えないで小泉4世のデタラメコメントを
 わざわざ広報するNHKの「良心」もまたしかり…)


さらにさらに晋三くんとええ勝負するこの人も紹介しとこ…↓

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http://blogos.com/outline/306610/

もう、ここまでくると、さすがに「どない考えても良心ないよな、このオッサン…」としか言えません…

この恐るべき「他人事感覚」…

ちょっと前にネットを見てたら、たまたまNHKの番組広告が目に入りまして

それはこんなのでした…↓

『映像の世紀プレミアム 第9集「独裁者 3人の"狂気"」』


ぼく、このタイトルをみて、それに続いて以下の番組説明も合わせて読んで…↓

世界を恐怖に陥れた3人の独裁者の素顔。ファシズムを生み出し「ローマ帝国」の復活を掲げたイタリアのムッソリーニ。民主主義に希望を失った大衆の支持を集め、偉大な指導者とたたえられた。ムッソリーニにあこがれたのが、ドイツのヒトラーである。ムッソリーニと初めて会った時、ヒトラーは涙を浮かべたと言う。…

ムッソリーニ、ヒトラー…ときたから、

3人目の独裁者は当然、第二次世界大戦の枢軸国「日独伊」セットで

大日本帝国の東条英機登場…やと思ってたら、なんと3人目の独裁者は

ソビエトのスターリンでしたわ…(って、なんでそないな人選になんのん!?)


いや、これは第二次世界大戦時の「連合国対枢軸国」という枠組みで捉えたんじゃなくて

あくまで独裁者(≒全体主義)という枠組みなんだから、スターリンが入ってもおかしくない…

という意見もあるんだろうけど、それでも(全体主義)大日本帝国の独裁者を省くのは

不自然極まりないやんけ…


…と、日本では「良心的に」あの戦争を振り返ろうとする姿勢を見せつつも

「ヒトラー悪い」に焦点を当てるか、あるいは、「全体主義悪い」と抽象化するか…の

どちらかに「逃げる」ことが多くて、この番組も前者と後者の合体スタイルになってますねんけど

これほど不自然に「自国の不都合な歴史をすっ飛ばす」というのは

何らかの(明確な)意図がないかぎりはできない芸当だと思うところ

そういう芸当は甚だ無責任な態度なのでやめてもらいたいと強く思います

(人のコトより自分のコトから振り返って反省する…ってのが基本やと思うで)

日本(を代表するもの)への批判ができないなんておかしいのよ

ぼくはスポーツにあんまり関心がなく、

ゆえに、フットボールにもあんまり関心がなく、

ゆえに、ワールドカップにもあんまり関心はない…ので

眠気を我慢して生中継を見ることはまったくありません


でも、ワールドカップは世界最高のサッカーのお祭り…なので

そこでの試合は世界の強豪国の真剣勝負の連続…で

世界トップレベルのフットボールが見られる機会でもあるから

試合のダイジェストくらいは見て、そのすばらしいプレーに感心したりはするのであります


そう…、ぼくがそんなに関心のないフットボールの試合を見るのは

フットボール音痴のぼくが見ても「すごいな、これ…」と驚き、感心するようなプレーがあるから…

なのに、なんちゅう試合するのよ、日本代表…

(「イエローカードが少ない」という「フェアプレイ評価」で決勝トーナメント進出を決めたのが
 フェアプレイの精神に反する試合運びのおかげだった…というのは
 いったい、どない受け止めたらええのか、わからんがな…)


スポーツは結果がすべて…

スポーツは勝ってなんぼ…

そやから、ルールに違反しない範囲で、どんな手をつかっても勝ちゃええのよ…

(というか、今回の日本代表は「このまま負けりゃええのよ…」だったけどね…)

それは、今回のフットボールに限らず、日本のスポーツ界に…ではなくて

正確に書くと、日本のスポーツの指導者に根強く残る勘違い思考であり

それを再認識させてくれたのが、今回の「このまま負けろ大作戦?」でありました

(ってか、こんなん「作戦」の名に値せえへんけどな…)


もちろん、今回の日本代表の試合運びはルール違反ではない…

(…というか、「フェアプレイ評価」というルールを熟知した上での作戦だった…)

けど、過去、ワールドカップで何度か見られた「引き分け狙い」でもない「このまま負け狙い」というのは

きっと、前代未聞の迷作戦?…でありまして

こんな迷作戦をちゃんと批判もせずに評価なんかしてるうちは、

日本にフェアプレイの精神もフットボールの文化(スポーツの文化)も根付かないでありましょう

(ゆうときますけど、めっちゃ恥ずかしい「迷作戦」を「戦略」と言い換えたところで
 その中身は誤魔化せませんで…
 加えて、「ギリギリの判断」という言葉を使って、
 だからやむを得なかった…という暗示をかけるのも勝手な言葉の誤魔化しでっせ…)


試合後、この「世紀の迷作戦」を指示した日本代表監督は

「こういう形も(チームが)成長していく中の一つだと思う」…とコメントしたんだけど

こんな無様な試合運びでいったい、何の成長が見込めるのか、

ぼくにはその「成長」とやらの内容がまったくわかりません

(それは、「求める結果をつかむためなら
 どんな(卑怯で無様な)ことでもするんだ」という意味での「成長」なんでしょうか?
 …って、そんなのが「成長」なら、成長せえへん方がマシやんけ!)


少し前に、たしか、バトミントンの国際試合で

次の対戦相手を考慮して双方が「負け狙い」をして処分された出来事がありましたけど

「勝つこと」を目的としているはずのスポーツで「このまま負けること」を積極的に選択し

勝つことを放棄すること(…というか、同点に追いつくことを放棄する)のは

(加えて、他の試合結果に自らの運命を委ねることは)

どこから見てもスポーツマンシップに反するわけでありまして

このようなチームが「フェアプレイ評価」で決勝トーナメントに進出する…というのは

ワールドカップを、そしてフットボールをナメてる…としか思えません

(このルールは今後変更されるような気がするし、
 日本の迷作戦を真似する国が出てきてもダメなので、変更するのがいいと思います…)





※今回の日本の「迷作戦」に対しては、主に海外から真っ当な批判が上がってる一方で

日本のメディアはほとんどスルーするか、それを取り越して

今回の「迷作戦」を評価する側に回ってますけど

こんな卑怯で無様なプレイをキチンと批判できないようじゃ、

フットボールファンとは言えませんよ


ちなみに、日本代表の「大口叩き選手」の予選での活躍に対して

「手のひら返し」という言葉を用いて、「以前にこの選手に加えられた批判」を

事後的に批判する人も散見されますが

フットボールの選手というのは、ダメなときには思いっきり叩かれ

よいときには思いっきり賞賛されるもん…ですから

それは日本語における「手のひら返し」ではなく、フットボール(ファン)の常識です

(ましてや、それが代表選手ならなおさらです)


だから、代表なんだから(どんなプレイをしても)応援して当然…なんてゆうのは

真のフットボールファンとは言えないし、真のフットボール代表ファンとも言えないのです

さらに、TVに出ている人から今回の前代未聞の「他力本願このまま負けろ大作戦」に対する、

批判の声がほぼ皆無なのは、「そんなことしたら明日からTV出られへんやん…」という怖れが

あるように思えて仕方ないんですけど、

こういう「同調圧力」というか、「日本を代表するもの」に対する批判封じは

「日本(を代表するもの)への批判は許さない」という、

ウヨくんたちの偏狭なナショナリズムとも繋がってるような気がして

端から見ててめっちゃ異様かつ怖いことでもあり、

それは今回の「求める結果を得るためならどんな手を使ってでもいいんだ」という、

歪んだ価値観(≒結果至上主義)とともに

現代日本を覆う悪しき慣習の一端を示してるような気がしないでもありません

『正義は暴走する』のか!?

正義は暴走する…

なんてこと、したり顔で言う人、たま〜にいてるんやけどね、

正義は暴走なんてしないんですよ

(というか、暴走した時点で正義とは言えないと思うしね…)


…と、ここまでは一般論で、日本のことを考えてみると

日本でもやっぱり、正義は暴走しまへん

(そやかて、暴走するも何も、日本の社会のどこに正義がありますねん…)

だから、「正義は暴走なんてしない」という結論はいっしょなんだけど

そこに至る過程…というか、理由が違うのが日本…と、まぁ、そんなことをぼくは考えるんですわ


…と言いつつ、もちろん、日本にも正義はあります(って、どっちやねん!)

そやかて、日本においても正義を実践してる人はあちこちにいる…

けど、それが社会の表になかなか出てこない…というか、

それをメディアがなかなか取り上げてくれないから、

日本のなかの正義(の人々)がなかなか見えてこないわけで、

結果、なかなか見えないから、(い)ないことに等しくなる…


…なんて解説をいちいち挾まなあかんのか…と自分でも思うけど

なんかこう、一刀両断で物事を論じるのもダメな気がして

最近、どうも歯切れが悪い…


で、もとの話に戻って、

正義は暴走するのか…といえば、

正義は暴走なんてしない…


けど、世の中にはよく暴走するもんだってある…

それは暴走族…というのは冗談で(…というか、もう、暴走族なんかいてへんしね…)

正義は暴走しないけど、例えば、民主主義なんかはときどき暴走します


民主主義って聞けば、そら、ええコトにきまってるやん…となるのが一般的だし

ぼくだって一応は「民主主義は民主主義でないことよりはマシ」というくらいには

民主主義なるものを捉えてるんだけども

それくらいのもんだから、民主主義だからそれでOK…という話にはなってくれず

民主主義もときどき暴走するんです

(今はなんか、「ときどき」というより、全世界的に暴走し始めてる感じがするけどね…)


で、民主主義が暴走する…ってときは、

それは要するに、政治が暴走する…という形で現れるもんです

(これを別の言葉で言うたら、権力が暴走する…ということですわ)


民主主義社会では、政治権力というもんは相対多数の市民の支持があって成り立つもんなので

政治権力が暴走するときには、その前に、暴走するような政治勢力を市民が選択してしまう…

という間違いが先にあって、その後に、政治権力の暴走が始まるもんです

ということは、政治権力の暴走は民主主義における市民の選択が

その原因をつくる…とゆうてもええわけであるところ

自らの失敗で暴走するような政治勢力を選んでしまったとしても

それを事後的に是正できるのもまた民主主義…だから

民主主義とは、ときに失敗をしつつ、

その失敗を自覚し、反省して出直すことができる制度…ということができるはずですわ

(言うときますけど、民主主義という制度そのものが
 ときには市民の選択が失敗することを予定した制度でっせ…)


だから、民主主義が民主主義でないことよりマシ…なのは

この「失敗を反省し取り戻せる」という点にある…とぼくは思ってまして

権力が暴走してるな…と思ったら

これはアカン、あんな人らを選んで失敗やったやん…ということで

選挙やデモ、あるいは表現活動や世論その他諸々の手段を使って

それを是正する…ということまで含めて民主主義…なので

政治権力を選んだらそれでお終い、あとは知らん、勝手にして…というのは

民主主義社会の市民の態度としては「ブー」なのであります

(↑「ブー」ってゆうのは、間違いのブザーの音です)


そして、市民がそういう「ブー」の態度を取り続ける限り、政治が暴走し続けるわけでして

結果、まとめると…

日本では正義は暴走しない (∵暴走するほどの正義はないから)

けど、正義の代わりに政治が暴走してて

その暴走を止める術がない

いや、もちろん、制度的な術はあるんだけど

(そやかて、日本には一応、民主主義の体裁があるので…)

憲法があっても無視され、

検察は忖度して動かず、

政治に並ぶ権力であるはずの司法は沈黙を続け(…というより、政治に従属し)

メディアは報道(=権力の監視批判)の役割を放棄し、

それを受けて、少なからぬ市民は「飽きた」「うんざりだ」とか、

(自分たちもだらしないことを都合よく忘れて)「野党がだらしない」と言って、

暴走を止める義務(≒やり直す義務)をサボってる…ので、正義は暴走せず、政治が暴走し続ける…

というのが、現在の「暴走列車ニッポン」の姿でした。。。






※暴走列車は怖いから、降りる…ということができればいいんだけど

それは日本から脱出することでしかできない仕組みになってるので

暴走列車に乗ってるのは怖い…と思うならば、

面倒でも暴走を止める側に回ってなんとかせなあきません

(傍観してるだけ…では、なんともならなず、列車はますます暴走するばっかりなので…)