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みんなどこか変わってるから大丈夫

2016-01-18

「司法取引」ってどうなのよ?

「司法取引」って、アメリカの映画とかTVドラマを見てたらよく出てくるけどイマイチよくわからん、

そやかて、日本ではまだやってないし…と言いつつ、

どうも、遠からず日本でも司法取引制度が採用される雲行きになってきたので

今のうちに司法取引について勉強しトコ…と思って、参考になる論考を紹介しときます…↓

(私の視点)司法取引の導入 アメリカのてつを踏むな デビッド・ジョンソン(朝日:2015年7月23日)

 日本は今、刑事訴訟法を変え、他人の犯罪の情報を提供した被疑者に検察官が減刑や免責を与える「司法取引」を導入しようとしている。真相の究明を掲げてきた日本の法文化の土壌を根底から覆す変更であり、反面教師として、米国の現実に目を向け、慎重に議論すべきだ。
 米国では、しばしば司法取引が被疑者にうそをつかせる。被疑者が取引で認める犯罪行為は、実際に本人がした行為とは違うからだ。
 私は1992年8月から95年2月まで日本の検察庁などで研修した時、検察官235人に17項目の職務指針の中で大切なものは何かとアンケートした。234人が「実体的真実の発見」と答えた。

 司法取引を導入しようとする日本は、もはや「真実」は刑事司法の中心的な課題ではないという国に変わるのだろうか。
 「取引」といえば被疑者が自由意思で合意するように見えるが、米国の実態は事実上の強制だ。
 米国は、憲法で被告に陪審員による裁判を保障している。ところが実際に陪審裁判が開かれるのは刑事事件の5〜10%に過ぎず、残りは司法取引で済まされる。
 それは、取引を断った被疑者が公判で有罪になれば、検察官は取引の数倍の求刑をし、その重い判決を受けることがよくあるからだ。
 この刑の違いは「公判税」として知られ、公判税の大きさから、被疑者が検察官の提案を拒むことは難しい。


 こうした司法取引の常態化によって、犯してもいない罪を認める被疑者も出てくる。統計によると、誤って有罪とされた後に冤罪(えんざい)が判明した人のうち約8%は、本当は犯罪を行っていないのに司法取引で罪を認めた結果だった。「公判税」への恐怖がもたらした冤罪である。
 他方、司法取引は、無関係な人の冤罪を作る原因になる。米国では73年以降、死刑判決を受けた154人が無実とわかって釈放された。うち4割以上は、司法取引で刑を免除してもらうために他人の犯罪について語ったうその証言のせいだった
 米国で検察官が10人の被疑者に、他人の刑事事件について密告すれば数年の拘禁刑から自分自身を救うことができると言えば、6〜8人は検察官の望み通りに話すだろう。日本でも同じことが起こるはずだ

 司法取引は事件を起訴する権限しかないはずの検察官に、有罪の判断と刑を決めるという裁判官の権限を大幅に移すことだ。
 司法取引は、真実、公正そして司法そのものを傷つける。日本は米国と同じ道を歩んではならない。司法取引にノーを。(David Johnson 米ハワイ大学教授〈社会学〉)


ぼくね、司法取引ってゆうたら「有罪に持ち込めるかどうか微妙な事案」について、

少し軽めの罪で起訴する代わりに被疑者に罪を認めさせる…とか、

なかなか主犯格に捜査が迫れない状況下で、主犯格の関与の証拠(=証言)を他の被疑者から得る手段として

「アンタが主犯格の犯罪を自白してくれたら、アンタの罪を軽くしてもええよ」…なんていう、

「次善の策」として考えてたトコがあったんですけどね、

考えてみれば、これはどこまでいっても「捜査側」(=検察)にとっての「次善の策」であって

被疑者の側からみたら、これは「次善の策」とは言えないんじゃないか…と、

ぼくはこの論考を読んで気がついたんです


というのも、この論考が端的に指摘してるように、「司法取引」は「取引」ということになってるけど

現実的には「検察からの被疑者への恫喝(脅し)」に化けてて

それ自体が被疑者に不利に働く場合が少なくない…という実態があるんですね


また、被疑者に対して「罪の軽減」を取引材料にして、

第三者の犯罪に関する証拠(=供述)を得る…という形の司法取引では

えん罪の危険性が今以上に高まる…ということは、ぼくでもわかる理屈でありまして、

こういう「無視できない危険性」をはらむ司法取引というもんを

ぼくはそない簡単に日本に導入すべきではない…と思うに至りました



※この「司法取引」の導入の話は、司法改革の一環として出てきたもんなんですけど

ほな、そもそも司法改革の話が出てきたきっかけは何か…とゆうたら

それは、数々のえん罪事件…と言いたいとこですが、そのなかでも

「厚生労働省の村木厚子さんを冤罪に巻き込んだ郵便不正事件」が直接のきっかけになってますねん

(なんで、官僚がえん罪事件に巻き込まれると、急に司法改革の話が持ちあがるのか
 そこはホンマに不思議ではあります…)


でまぁ、この事件の「反省」から持ちあがったはずの「司法改革」とは

すなわち、「えん罪を生むような司法…特に、捜査手法に対する改革」であったはず…で

その柱は「捜査の可視化」すなわち、「取調べの可視化(=録画録音)」だったはず…なのに

それがいつのまにか「捜査側の武器を増やす話」にすり替わってもうて、

司法取引の話もその一環として出てきたんですわ

(それだけではなくて、「通信傍受の対象事件の拡大と、傍受の際の要件緩和」もちゃっかり入ってます)


ほな、この話の最初の柱…であったはずの「取調べの可視化」の話はどないなってん?…と言いますと

「警察の取調べについては裁判員裁判の対象事件、検察の取調べについてはそれに加えて独自に捜査する事件」

…で義務づけるが、それだと「可視化の対象はすべての刑事裁判の2〜3%程度」ということで

なんでそんなことになっちゃうの!?…という展開を辿ってるんです


この国では、警察や検察に限らず、官僚組織って、自分たちがしでかした不祥事をきっかけにして

自分たちの利益を拡大する…という、離れ業を使うことが多々ありますけど

今回のえん罪事件もまた、そのような展開を辿ってる…というのは、

彼らがえん罪事件を真に反省してない証拠…と言うてええかと思います

(これは、可視化せんでもわかること…ですね)



※この点に関する参考記事を挙げときます…

可視化限定、疑問の声 司法改革案、国会審議入り (朝日:2015年5月20日)

 警察や検察に取り調べの録音・録画(可視化)を義務づけることや、司法取引などを導入することを柱とした刑事司法改革の関連法案が19日、衆院本会議で審議入りした。成立すれば捜査や公判のあり方が大きく変わる。ただ、与野党からは、可視化が一部事件に限定されたことや、司法取引が新たな冤罪を生む危険性を懸念する声が相次いだ。

 法案は、法制審議会(法相の諮問機関)が3年間の議論のすえに答申した改革案を踏まえ、政府が今年3月に閣議決定した。上川陽子法相はこの日の本会議で「国民から信頼される適正で機能的な刑事司法を構築していくために大きな一歩が踏み出せる」と述べ、早期成立に意欲を見せた。

 改正するのは刑事訴訟法や刑法など。まず可視化について、警察は裁判員裁判の対象事件、検察はそれに加えて独自に捜査する事件で義務づけるが、対象はすべての刑事裁判の2〜3%程度にとどまる。

 遠山清彦氏(公明)は「なぜ限定したのか。将来的に拡大する意向があるか」と質問。上川法相は、対象事件以外でも検察が自主的に実施していることに触れ、「制度と運用で相当程度行われる」と述べた。

 司法取引は、他人の犯罪を捜査機関に明らかにした容疑者や被告について、求刑を軽くしたり、起訴を見送ったりする制度。黒岩宇洋氏(民主)は「自己の利益のためには虚偽の供述を行う危険性があるのではないか」、井出庸生氏(維新)は「導入するならば、その場面の可視化は絶対必要だ」とただした。

 通信傍受(盗聴)の対象犯罪も拡大する。現在は薬物や銃器犯罪など4類型に限られているが、組織的な詐欺や窃盗など9類型を加え、第三者の立ち会いも不要とする。清水忠史氏(共産)は「盗聴が通信の秘密や私生活の平穏を侵すという認識があるか。対象が広範囲に拡大し、大規模な盗聴に道を開くのではないか」と懸念を示した。

 今回の改革は大阪地検の証拠改ざんによる冤罪事件がきっかけだが、「冤罪防止」よりも「捜査の武器」の拡大が目立つ内容だ。門野博・元東京高裁裁判長は「国会では可視化のさらなる拡充について議論が必要だ。司法取引などについては、日本の文化と合致するのかなどを十分に検討してほしい」と話す。 

 ■法案についての各党の主な質問や指摘

<取り調べの可視化>

・供述に争いのある否認事件では、できるだけ録音を実施するべきだ(維新)

・すべての事件を対象とするのが当然ではないか(共産)

<司法取引の導入>

・無関係の人を引っ張り込む危険に対処できる仕組みなのか(公明)

・新たな冤罪を生む可能性が高まるとしたら、大きな問題だ(民主)

<通信傍受(盗聴)の拡大>

・国民のプライバシー権侵害を増大する危険についてはどう考えるのか(民主)

・盗聴を日常的な捜査手法とし、大規模な盗聴に道を開くものではないか(共産)


刑事司法改革―国会論議で前進はかれ(朝日:2015年5月20日)

 捜査や刑事裁判のあり方を変える刑事訴訟法などの改正案がきのう衆議院で審議入りした。戦後の刑事司法の歩みで、裁判員制度と並ぶ大改革となる。法案の柱である取り調べの録画・録音(可視化)は、捜査の透明性を高め、冤罪(えんざい)をなくすうえで意義が大きい。
 ただし、対象となる事件は、警察の強い意向を受けて殺人・放火など裁判員裁判対象の重大事件と、検察独自捜査事件だけに絞られた。全刑事裁判の2%程度にすぎない。重大事件で先行するにしても、段階的に対象犯罪を広げていくことが、制度の理念に沿うことになるはずである。

 密室の取り調べが供述の強要、誘導を招き、冤罪に結びつくことは長年指摘されてきた。これは、過去の問題ではない。先週、鹿児島地裁が捜査の違法性を認め、国と鹿児島県に賠償を命じた鹿児島・志布志事件、12年のパソコン遠隔操作事件など、やってもいない犯罪を「自白」することは近年も起きている。取り調べの可視化は、こうした捜査の不正を防ぐとともに、裁判で供述が被告の意思によるものかどうかが争われた際の証拠にもなる点で、有用だ。他の先進国が導入してきたが、日本では「容疑者の供述が得られにくくなる」と捜査当局の抵抗が強かった。今回の改革は大きな転換点となるだろう。

 改革のきっかけは、厚生労働省の村木厚子さんを冤罪に巻き込んだ郵便不正事件だったが、法案通りなら、この事件も志布志事件も対象外になる。死刑や長期の刑など深刻な結果に至る冤罪が許されないのは当然だ。ただ、現実には、痴漢など身近にある事件にこそ、冤罪がそのままになるリスクがひそんでいるのではないか。

 例外規定が広すぎる問題もある。例えば、容疑者のふるまいから録画・録音下では十分供述できないと捜査当局が判断すれば、可視化の義務は免れる。 暴力団絡みの組織犯罪で報復を恐れるなど、ビデオカメラの前ではおよそ供述できない人への一定の配慮は必要だ。しかし録音・録画の原則は貫いたうえで、その記録の裁判での取り扱いを厳格にすることで、対処すべきではないか。
 改正案には、通信傍受の拡大や司法取引の導入など、人権やプライバシーとの関係で懸念がある内容も含まれている。いずれも本来、個別に入念に精査されるべき捜査手法である。国会は懸念の払拭に必要な修正を加えるべきだ。




※それと司法改革に関連したことをもう一つ、付け加えときますとね

その出発点であった「えん罪」が生み出される背景には、

「捜査機関による強引な…というか、端的に違法な捜査」があって、それを抑止するためには

「取調べの全過程の可視化」が不可欠なのは、多分、捜査側の人間以外はみなわかってることかと思いますが

捜査側が強引な(あるいは違法な)捜査をして、それどころか、時には「証拠のねつ造」までしたのを

そのまんま認めてあげる「捜査側にとことん優しい裁判所」の協力がないと、実は、えん罪はそうそう生まれない…

わけでありますが、「司法権の独立」の名の元に、国会での司法改革の論議からすっかり抜け落ちている裁判所が

従来通りの「捜査側にとことん優しい裁判所」を続けていく限り

(=司法権自身が過去のえん罪の分析と反省をして、その防止に向けた策を自ら講じない限り)

司法改革の名のもとで「司法取引の導入+乏しい可視化」が実現されたら、

間違いなく、今以上にえん罪は増えることでありましょう



※過去のえん罪事件における「裁判所のムチャぶり」と「捜査機関のムチャぶり」については

以下のページでわかりやすく紹介されてますので、興味のある方は是非ご一読を…

“冤罪”袴田事件はどのようにつくられ、どんな真相が隠蔽されたのか!?」(リテラ)

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