Übungsplatz〔練習場〕 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015-04-29

LENS DRAWINGS - June 28 - August 2, 2013 - Marian Goodman Gallery

Lewis Baltz, Uta Barth, Lothar Baumgarten, Walead Beshty, Lucas Blalock, Mark Borthwick, Josh Brand, Jean-Marc Bustamante, Talia Chetrit, Anne Collier, Sarah Conaway, Luc Delahaye, Thomas Demand, Liz Deschenes, Rineke Dijkstra, Saul Fletcher, Lee Friedlander, Amy Granat, John Houck, Barbara Kasten, Annette Kelm, Josh Kolbo, Luisa Lambri, Elad Lassry, Leigh Ledare, Tim Lee, Jochen Lempert, Hanna Liden, Armin Linke, Sharon Lockhart, Jean-Luc Moulène, Catherine Opie, Eileen Quinlan, Alison Rossiter, Melanie Schiff, Collier Schorr, Bruno Serralongue, Shirana Shahbazi, Erin Shirreff, Stephen Shore, Alec Soth , Thomas Struth, Jeff Wall, James Welling, Chris Wiley

Curated by Jens Hoffmann

http://www.mariangoodman.com/exhibitions/2013-06-28_lens-drawings/

Art Brussels, Contemporary Art Fair in Brussels

http://www.artbrussels.com/

Organised by Lucy R Lippard for the Contemporary Art Council of the Seattle Art Museum. Exhibition exists as one half of 557087 & 955000: Exhibitions organised by Lucy R Lippard (Seattle and Vancouver) - The ARTWORKS section shows the Barry Flanagan BIOGRAPHY and catalogue raisonne. It contains sculpture, drawing, print and other works, solo and group EXHIBITIONS, installation photographs, private view cards, exhibition catalogues, PUBLICATIONS and MEDIA spanning his career.

http://barryflanagan.com/exhibitions/view/11078

2015-04-28 ラインとスタンザ

Reijiro Wada - Freeze on Vimeo

Reijiro Wada, Freeze, 2006/2014,

"Vanitas – Ewig ist eh nichts"

15.06. – 31.08.2014

Georg Kolbe Museum

http://www.georg-kolbe-museum.de/2014/06/vanitas-motive-des-verganglichen-in-der-zeitgenossischen-skulptur

http://www.reijirowada.com/

https://vimeo.com/105959209

和田礼治郎さんの作品。2014年の映像。2006年に制作された作品はベルリンで拝見。

Stan Douglas (1960, Canada) - STRAAT!!! 現代アーティストヨーロッパ中心に覚え書き

ウィキペディアから:

タイトルはWin, Place or Show. 60年代カナダで放映されたThe Clientというドラマの、欠落したエスタブリッシングショット(場面の説明をするシーン)と長いショットという特徴を基に制作されている。都市再開発まっただ中、グリッド上に配置されたブロックアパートの建物が時代の流れを感じさせる。

シーンは二人のブルーカラー(肉体労働者)の男が雨の日の休日を家で過ごしているところ。その二人が競馬の会話から殴り合いにいたる6分間のビデオがリピートしながら、二つのスクリーン上に異なるアングルから撮られた同じ映像が上映されている。作品がとても不思議な感じを出しているところは、この二つのビデオが、コンピューターで会期中常に編集を続けるので、毎回違う編集で同じストーリーが延々と続くというところ。

ダグラスフィルムビデオインスタレーション、写真、テレビの仕事は文学、映画音楽との関わりがあることが多い。近代主義や、使われたなくなったテクノ ロジーの衰退したユートピアの検証を行う。コレクターFriedrich Christian Flickは、ダグラスをこう表現している。"手厳しい現実社会の分析者。サミュエル ベケット、マルセル プルースト、E.T.A ホフマン、グリム兄弟、ブルースフリージャズテレビハリウッドマルクスとフロイドの亡霊がこのカナダアーティストの怪奇なモンタージュにたち現 れる。"

http://straatstraat.blogspot.jp/2010/12/san-douglas-1960-canada.html

菊地成孔×佐々木敦ゴダールシンポジウムレポート - 映画インタビュー : CINRA.NET

また僕は、大谷能生君との著書『アフロディズニー』の中では「視聴覚の齟齬」を切り口に20世紀文化史を語ろうと試みています。「視聴覚の齟齬」とはつまり、見ることと聴くことは元来全く別のものだということです。

映画を例にとれば、キャメラは我々の眼球のメカニズムを模範にし、見えているものを映し取ることができる。しかし、マイクというものは鼓膜のメカニズムと異なり、我々が普段耳から音を聴くようには現実世界の音を選択して録ることができないという、テクノロジーとしての「視聴覚の齟齬」があります。

このことを語るに際し、今からいくつかの映像を見てもらいましょう。

ウォルト・ディズニー長編映画第一作『白雪姫』(1937)上映


菊地:こちらでは、音と映像中のキャラクターの動きがピッタリ合っています。この現象をミッキーマウシングと呼びます。

本来、視覚と聴覚は全く別の世界を知覚しています。それが「視聴覚の齟齬」なのですが、我々は成長するにつれ、見ることと聴くことを同期する修正能力を獲得していく。このミッキーマウシングの状態は、その同期の極致です。ミッキーマウシングが、我々に、まるで幼児期に戻ったような万能感をもたらしてくれるのはそのためです。

http://www.cinra.net/interview/2010/08/17/000000.php

僕が映画評論家だった時代の最後に書いた『ゴダール・レッスン』には、「あるいは最後から2番目の映画」という副題がついています。この「最後から2番目の映画」というのは、ゴダールは映画が終わることの可能性を切り開き、自分をそのひとつ前に位置付けることによって、映画の終末をポジティブに捉えようとしているのではないか、という考えに依拠した言葉です。

けれど、この本を書いてから17年経った今、また新たな考えが浮かびました。もしかしたら、ゴダールは『映画史』によって、本当に映画を終わらせてしまったんじゃないかということです。我々は、それ以後のポストヒストリカルな映画の時代にいるのかもしれない。

これは、何も映画だけに限らず、音楽や文学を語る上でも同じです。ある芸術の誕生以来の「歴史」が、既に一度終わったものだと語ってしまえる風潮が、20世紀の後半から起きていた。しかし、それでも時間の流れという意味での歴史は存在しており、もちろん我々もまた、その歴史の中で生きている。それが現在の状況ではないでしょうか。

http://www.cinra.net/interview/2010/08/17/000000.php?page=2

佐々木:無限とも思えるようなものを有限に整理しなければならないという状況下で、普通なら効率的な方法を探るはずなんだけど、そんなこと無理だと開き直るような振る舞いがゴダールらしさでもありますね。ただ、僕が興味あるのは、そもそもなぜそんな状況になっちゃうの? っていうことなんです。そこにこそ、ゴダールの病理があるように思うんですよ。

菊地:お宝を自分の玩具にしてしまう癖があるゴダールだけど、唯一そこに苦しみが感じられるのが『女は女である』の音楽の扱いなんです。80年代ゴダールは、同じことをしていてもなんだか楽しそうなのに対して、『女は女である』は映画も音楽もハッピー雰囲気なのに、ゴダールにとっては地獄みたいに思えてしまう。終盤の延々と続く痴話喧嘩のシーンでは、もう余ったから適当に並べよう、みたいになってるし(笑)

菊地成孔×佐々木敦ゴダールシンポジウムレポート

佐々木:そのシーンのためにつくってもらったわけじゃなくて、あったから使っちゃったという感じでしょうね。

菊地:そもそも映像と音楽は、嫌でも合ってしまうものなんです。それは我々に備わっている齟齬を修正する能力のためなんですが、『女は女である』の一部には貴重な違和感がある。

佐々木:映画の音楽を担当したことある人はみんな言いますよね。なんでも合ってしまうって。

http://www.cinra.net/interview/2010/08/17/000000.php?page=3

佐々木:菊地さんのプレゼンテーション中にもあった、ズレと同期に関しては、映画と現実についても言えますよね。映画が同期しているように見えるのは、人工的なテクノロジーによって可能になっているだけで、本来の現実はそうではない。菊地さんの場合は、そこから「そもそも現実が非同期なんだ」という論を推し進めている。その非同期を認めてしまったら、我々は狂ってしまうと。

菊地:その通りです。ゴダールの他に、ペドロ・コスタポルトガルを代表する映画作家。主な監督作に『ヴァンダの部屋』など)を例に挙げれば、彼の『コロッサル・ユース』はキャメラマイクが一体化したDVキャメラで撮影していて、それをそのまま使えば現実に近い世界を切り取れるにもかかわらず、画は画で撮って、音はまた別で録っている。さすがにシンクロしているんだけども、作品中でズレていないから無意味というわけじゃなくて、別々に撮(録)ることこそが重要なんだと。

佐々木:そうですね。映像と音が別々にならざるをえない、というのが映画本来の宿命でもあるのに、それらを同時に手に入れてしまえる現状は、映画の在り様としてはいかがなものかと思います。それにペドロ・コスタは疑問を投げかけているんですね。

http://www.cinra.net/interview/2010/08/17/000000.php?page=4

daily spatial drawing

DAILY SPATIAL DRAWING

by KAWAMURA motonori http://kawamuramotonori.com

http://dsdrawing.tumblr.com/

『光画』 | 現代美術用語辞典ver.2.0

『光画』

Koga

1932年5月に野島康三、中山岩太木村伊兵衛らによって創刊された写真雑誌。第2号からは伊奈信男も同人に参加。出版資金の大半を野島が引き受け、東京の聚楽社から月刊で発行された(のちに光画社からの発行に変わる)。発行部数は500部ほどで、一般的な写真雑誌のように行き渡ったわけではないが、写真表現の近代化を象徴する存在として、戦後にその価値が再評価された。誌面では、東西のさまざまな写真家たちによるスナップショットフォトグラム、フォトモンタージュなどを用いた新興写真の作品を多く紹介したほか、伊奈、柳宗悦中井正一、原弘、長谷川如是閑らの論考や、モホイ=ナジ、フランツ・ロー、ベレニス・アボットなどによる論考の日本語訳積極的に掲載。特に第1号に伊奈が寄稿した「写真に帰れ」は、芸術写真からの離脱と、写真家社会的な役割を説いた論考として重要である。しかし、やがて当初の勢いにも衰えが見え始め、33年12月の第18号(第2巻第12号)をもって休刊。休刊となった背景には、経済的、作業的な負担の増加や、売上げの行き詰まりのほか、ドイツから帰国した名取洋之助が立ち上げた「日本工房」に木村伊兵衛が参加し、報道写真よりも芸術性の高さにこだわる野島との仲が疎遠になったという事情があるとされている。

著者: 冨山由紀子


参考文献

『写真に帰れ 「光画」の時代』,飯沢耕太郎,平凡社,1988

『光画』(復刻版),「光画」刊行会,1990

『光画傑作集』,飯沢耕太郎金子隆一監修,国書刊行会,2005

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E5%85%89%E7%94%BB%E3%80%8F

The White Report - ALTERNATIVE SPACE The White

http://the-white-jp.com/report/index.html

小松浩子さんの「百葉箱」の漢字、ひらがなカタカナ、数字、アルファベットのバランスが、コンクリートポエム的な意味で心地よいです。

異色の写真家列伝 第5回 《大辻清司1956 無言歌ものがたり》 - YouTube

https://youtu.be/5LhI08IsTRw

自由主義 - Wikipedia

自由主義(じゆうしゅぎ、英: liberalism、リベラリズム)とは、政治や経済などにおける思想や運動や体制の類型のひとつ

啓蒙思想から生まれた近代思想の一つであり、人間は理性を持ち従来の権威から自由であり自己決定権を持つとの立場から、政治的には「政府からの自由」である自由権個人主義、「政府への自由」である国民主権などの民主主義経済的には私的所有権自由市場による資本主義などの思想や体制の基礎となり、またそれらの総称ともなった[1]。自由主義は政治や経済における多元主義でもある。自由主義の対比語は、政治学的には権威主義全体主義経済的には社会主義計画経済などの集産主義である。保守主義との対立概念はなく、日本では革新主義が「リベラル」と呼称されることが多いが、性質は正反対であり誤用である。結果として格差を許容し社会保障制度に否定的であるなど、アナキズムと共通する点も多い。

自由主義」や「リベラリズム」という思想や用語は、時代や地域や立場などにより変化している。初期の古典的自由主義(Classical Liberalism)はレッセフェール自由放任)を重視して政府の権力を最小化する立場が多かったが、20世紀には社会的公正を重視して社会福祉など政府の介入も必要とするソーシャルリベラリズム(social liberalism、社会自由主義)が普及した。アメリカ合衆国では「リベラリズム」という用語は、このソーシャルリベラリズム社会自由主義)の意味で使われる場合が多く[2]、穏健な革新を目指す立場(中道左派)だとされる[3]。この「リベラリズム」に対して本来の自由主義的な側面を強調する表現がリバタリアニズム (libertarianism) である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9


レッセフェール - Wikipedia

レッセフェール(仏:laissez-faire)とは、フランス語で「なすに任せよ」の意。経済学で頻繁に用いられており、その場合は「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。自由放任主義(じゆうほうにんしゅぎ)と一般には訳される。

レッセフェール自由放任主義)の語を最初に用いたのはフランス重農主義者である[1]。この用語は重商主義に反対する立場からの「スローガン」として用いられた。これを古典派経済学(古典学派)の祖であるイギリススコットランド)のアダム・スミスが主著『諸国民の富』(1776年)で体系化した。アダム・スミスがその著書において「自由競争によって見えざる手が働き、最大の繁栄がもたらされる」と主張したのは有名である。もっとも、アダム・スミスは『諸国民の富』の中で「自由放任」については直接言及してはいない。

その後、1870年代にアルフレッド・マーシャルによって体系化された新古典派経済学(いわゆる新古典学派、厳密にはケンブリッジ学派と言う)にも自由放任主義の考え方は引き継がれた[要出典]。

自由放任主義はジョン・メイナード・ケインズ1926年の著作『自由放任の終焉』によって初めて否定されたといわれることもあるが[2]、これには強い異論もある[3]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB

第一次世界大戦 - Wikipedia

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、英語: World War I)は、1914年(大正3年)から1918年(大正7年)にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。

ヨーロッパが主戦場となったが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア太平洋大西洋インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦した。

第二次世界大戦が勃発する以前は、世界大戦争(World War)と呼ばれていた。あるいは大戦争(Great War)、諸国民の戦争(War of the Nations)、欧州大戦(War in Europe)とも呼ばれていた。当初には諸戦争を終わらせる戦争(War to end wars)という表現もあった[3]。

当時のヨーロッパ列強は複雑な同盟・対立関係の中にあった。列強の参謀本部は敵国の侵略に備え、総動員を含む戦争計画を立案していた。1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機に、各国の軍部は総動員を発令した。各国政府および君主は開戦を避けるため力を尽くしたが、戦争計画の連鎖的発動を止めることができず、瞬く間に世界大戦へと発展したとされる[4]。

各国はドイツオーストリアオスマン帝国ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリスフランスロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ、日本、イタリアアメリカ合衆国も後に連合国側に立ち参戦した。多くの人々は戦争が早期に(「クリスマスまでには」)終結すると楽観していた。しかし、機関銃の組織的運用等により防御側優位の状況が生じ、弾幕を避けるために塹壕を掘りながら戦いを進める「塹壕戦」が主流となったため戦線は膠着し、戦争は長期化した。この結果、大戦参加国は国民経済を総動員する国家総力戦を強いられることとなり、それまでの常識をはるかに超える物的・人的被害がもたらされた。

長期戦により一般市民への統制は強化され、海上封鎖の影響により植民地との連絡が断たれた同盟諸国は経済が疲弊した。1918年に入るとトルコオーストリアで革命が発生して帝国が瓦解。ドイツでも、11月にキール軍港での水兵の反乱をきっかけに、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位に追い込まれ大戦は終結した。足かけ5年にわたった戦争で900万人以上の兵士が戦死し、戦争終結時には史上2番目に犠牲者の多い戦争として記録された[注釈 1]。

また、この戦争はボリシェヴィキロシア革命を起こす契機となり、20世紀社会主義が世界を席巻する契機ともなった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6

板垣退助 - Wikipedia

板垣 退助(いたがき たいすけ、天保8年4月17日(1837年5月21日) - 大正8年(1919年7月16日)は、日本の武士(土佐藩士)、政治家。幼名は猪之助。退助は元は通称。諱は初め正躬(まさみ)、のち正形(まさかた)。号は無形(むけい)。栄典は従一位勲一等伯爵。土佐三伯の一人(他に後藤象二郎佐々木高行)。

自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を受けていた。薨去後も民主政治草分けとして人気が高く、第二次世界大戦後は50銭政府紙幣日本銀行券B100円券に肖像が用いられた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E9%80%80%E5%8A%A9