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2014-06-22 LACUISINEJAPONAISE?

JAPON @ Abbaye St André - Centre d'art contemporain de Meymac (CAC)

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2014-05-03

TWSレジデンス成果展「トーキョー・ストーリー2014 第1期」

2014年5月3日(土・祝)〜2014年6月8日(日)

11:00〜19:00 (最終入場は18:30) 月曜休館(祝日場合は翌火曜)

会場:トーキョーワンダーサイト本郷文京区本郷2-4-16)

   トーキョーワンダーサイト渋谷渋谷区神南 1-19-8)

   http://www.tokyo-ws.org/archive/2014/04/S0503.shtml

   http://www.tokyo-ws.org/

2014-04-23 3*3

中井正一の著作から

◇ 中井正一 絵画の不安 - 青空文庫 Aozora Bunko

 この不安なき世界はハイデッガーにとりては饒舌(Gerede)の存在にしかすぎない。それはすでに語られたることについてのおしゃべりである。そこに何の本質凝視もなく、話されたることへの話である。それは何ものかについての直接なる話ではない。みんなが語るところのもの、ありきたりのもの、「だそうだ」のことについての言葉である。人々と共にともかく同じことをいいたい考えたいこころもちである。言葉の……また絵の……その日暮しである。ここにはじめて好奇のこころが意味をもつ。それは何ものかを見究めんとするのではなくして、ただ見ればよいのである。人だかりの中に何でもよい首をつっこみのぞき込む思想の……芸術の……散歩である。思想のショーウィンドのぞきである。そこには存在への執着もなく、強い把握もない。好奇は常にすべてに対して興味をもつとともに、しかも何ものにも執しない。そこで存在はその根を失って日常性の中に堕し、ただ人と共に在って、自分は見失われてしまう。読まれたるもの、語られたるもの……描かれたるもの……についての剽窃に日は過ぎていく。すべてについて、そして何もののためにでもなく問われかつ答えられる。この世界をハイデッガーは「軌道の上の生活」(auf der Spur sein)と名づける。いわば在来の考えかた、ありきたりの日常性の中に楽々と生きることである。真の自分を掘り下げることをにぶらせることである。この世界を彼は「命なき存在」への没落と名づける。自分に飽満せる安易、だらしなき悦楽と放恣、自分に畏おそるることなくかえって、独自の意見を失って人とあるいは党派と異なることへのみの怖れ、自分でありながら自分の外に住むこと、世間への自己解体、自己溶解、これらの墜落を彼はすべてを吸いこむところの過流(Wirbel)という。

 それは、もはや死ぬることなき死への埋没である。

 いわばギリシャでは、技術の概念は人間の身体構成の上にかぎられた。しかし、現代の技術の概念は社会構成の上に生産さるる科学的機械的技術をも含む。それは、天才をもその一要素として構成因子とするところの巨大な機構の内面である。この技術が、近代の視覚、見る意味に大きな変化をもたらしたことは、多くの美学者の指摘するところである。ベーラ・バラージュ、ヴェルトフ、フランツ・ローなどの考えかたが、それである。

 それはレンズの見かたの発見である。

 それは実に個性なき非人間的存在ではある。しかし、それは見る存在である。いわば見る機能(フンクチオン)の異常なる発展であると共に、実に一つの性格の所有者でもある。

 たしかに、人の眼球構造と相似の過程ではある。しかし、望遠鏡や顕微鏡におけるがごとくその視野の拡大と正確性は、人の見る意味の深き飛躍でなくてはならない。そして、いまだ人の見るあたわざりし新しき美わしさを、人はそのレンズを通して見るのである。またレントゲンの出現は、人の眼の見つくすあたわざる存在の内面にまで見る意味を発展せしめる。また映画に見るごとく、動きの再現と、スローモーション、時間的可逆性重複性などの自由性は、見る世界の構成モンタージュに新しき転回をもたらす。

 ことに構成において示す一様の調子、明暗の鋭い切れかた、あるいはネガティヴの怪奇性、精密なリアリズム、確実なる直線ならびに曲線への把握性は、人の芸術の達するあたわざる数学的感覚をあたえる。またその把握の瞬間性は、あらゆるスポーツ、踊り、自動車、飛行機、飛行船などのものにまで、美的要素の題材を拡げ、しかもその瞬間の一瞥が何びとの永き正視よりも正しきリアリズムに達することは、見る意味とその把握性に、いずれの天才的巨人の試みよりももっと大きなものをもたらせている。また手法の方向の自由性と光線の方向の自由性のもたらす変革性は、絵画史上のいずれの時代における変革性よりも激しい飛躍をなし終った。

 細胞の内面、結晶の構成、星雲の推移、また分子のブラウン運動などのものを把握の対象とすることは、単に物語物絵巻などをのみ対象としている日本絵画壇にとっては、あまりにも激しい題材の加重であろう。

 しかしそれが、われわれの見地のもっている一つの不安であることは、われわれの眼をそむくべからざる課題であることを忘れてはならない。

 見る意味のマンネリズム、見る意味の日常性より脱すること、これがまさにあるべき不安の一つである。そしてかのレンズの瞳の見かた、かの「冷たい瞳」のわれわれの瞳への滲透、これは巨大なる見る意志の足跡であり、人間の瞳のはかり知れざる未来の徴しである。

 しかもそれは、一つの新しき性格の出現を意味している。それは精緻、冷厳、鋭利、正確、一言にしていえば「胸のすくような切れた感じ」である。それはこれまでの天才の創造、個性における個別性などの上に見いだすものというには、あまりに非人間的なるファインさである。すなわち換言すれば、それは一つの新しき「見る性格」の出現である。それは、天才の個性ならびに創造の中に見いだしたものより異なれる見かたである。言い換えれば、レンズの見かたである。その瞳は日常の生活、新聞、実験室、刑事室、天文台、あるいは散策の人々のポケットの中にこの機械の見る眼、そのもつ性格は、すべての人間の上により深いより大きい性格として、すべての人の上に、その視点を落している。コルビュジエの「見ざる眼」、バラージュの「見る人間」、ヴェルトフの「キノの眼」も、またその冷たい瞳について語れるにすぎない。

 そして最も大きなことは、それが社会的集団の構成した「瞳」であり、集団の内面をはかるに最もふさわしい瞳であり、あたかも自己みずからその自画像をみずからの眼を通して見まもるように、レンズの眼は集団の内面を見まもるともいえよう。そこに、天才をもその一つの要素とする巨大なる集団構成が、その精緻なる技術をもって芸術の技術となし、新しき調和の概念を生み出しつつあるのを知るのである。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001166/files/46163_23678.html

中井正一「絵画の不安」(1930)より


◇ 中井正一 壁 - 青空文庫 Aozora Bunko

 かつて原始人が巌を透して視覚の自由を主張したように、近代人は石英と鉛の溶融体を透してその視覚の自由を獲得せんと焦慮している。

 近代人がレモネードをすすりながらガラス窓の平面を透して、往来する街路をながめている時、そこに繰りひろげられる光の画布は近代人のもつ一つの「壁画」でなければならない。動く壁画であり、みずから展開するかぎりなき絵巻であり、時の中に決して再び繰り返すことなき走馬燈でもある。集団が集団みずからを顧み覗き込むために彼らはガラスをもったといえるであろう。われわれはあの雨のハラハラ降って小さな音をたてるガラス戸をのみいっているのではない。街角を強く彎曲している巨大な建築素材としてのガラスに呼びかけているのである。巌壁のように立ちあがっているガラスの壁にものをいいかけているのである。それは見る一つの性格である。

 写真がみずから独立して、活版と親しく腕を組むことで、その独特の領域をもつことはまさに、ガラスの壁よりもぎとられたる一片の視覚を通して、視覚みずからが集団的性格と、組織的機構の中に沈みゆくことを意味する。

 ガラスの壁が現在において特殊の意味において「壁画」の役割りをもつように、レンズはまた他の特殊の意味において現在の壁を飾るところの光画の役割りを演ずる。建築様式にしたがって壁の意味が異なること、それにともなって光画がその意味を転ずることに深い注意を向けねばならない。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001166/files/46273_31192.html

中井正一「壁」(1932年)より


◇ 中井正一 「見ること」の意味 - 青空文庫 Aozora Bunko

「見ること」の機(はず)みをもって、自分自身がいつのまにかほかのものとなっていることを確かめる。「見ること」の機(はずみ)をもって、自分自身を脱けだし、自分自身を対象化すること、「見ること」を機(はず)みとして、自分自身を自分自身に矛盾せしめ、自分自身をスプリングボードとして時の中に跳ねかえり、突きすすむ。これが芸術気分である。「見る存在」の中に人間が身を置く時、時の中に欝勃としてひろがっている自分と民衆に一様に響きくる反響である。

 こんな意味で画の世界にとって画布は、演劇の世界にとって舞台の第四の壁は、文学の世界にとって紙は、一つの機はずみであり、跳躍の板である。画布は決して二次限[#「二次限」はママ]の平面ではなくて、発条のようなはたらきである。

 しかしこんな芸術気分には現今においては人々は実にふれにくいのである。なぜなら、商人が算盤を忘れて「見る世界」に入るどころか、画家が算盤を抱いて絵を描いているのである、いや描かずにいられないのである。

「見る存在」それ自体が商品化されている。そして大衆の見るはたらきは利潤対象として数量化されている。大衆は利潤対象としての大衆として、訓練され、ようやくものになりつつある。デパートと映画と新聞と蓄音機のタイアップと、権力者の参加で、とんでもないものになりつつある。

 大衆の見る作用が、すでに売りものに、売りものどころかもっと大きな機構の犠牲になってひきゆがめられている証拠を私たちはいたるところに見せつけられるのである。誰一人真にその中で楽しんでいるのではなくして、人々と共に、何かに引きずられているのである。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001166/files/46269_31194.html

中井正一「「見ること」の意味」(1937年)より

2014-04-22 EC▲

Photography in the modern era : European documents and critical writings, 1913-1940 / - XC Demo Website

Material Type: Non-Fiction

Document Type: Books, texts

Other contributors:

Phillips, Christopher. (contributor)

Metropolitan Museum of Art (New York, N.Y.) (contributor)

ISBN: 0893814067 ― 0893814075

OCLC: 20098095 (Search WorldCat)

Notes: "Published on the occasion of the exhibition, The New Vision: Photography Between the World Wars, Ford Motor Company Collection at The Metropolitan Museum of Art, held at the Metropolitan Museum of Art, September 23-December 31, 1989"--T.p. verso. ― Includes bibliographical references (p. 331-347).

Description: xvii, 350 p. : 24 cm.

Contents: An open letter to M. Man Ray, American photographer / Jean Cocteau (1922) -- Photography upside down / Tristan Tzara (1922) -- The work of Man Ray (1923) / Robert Desnos -- Deceiving appearances (1926) / Man Ray -- Preface to Metal, by Germaine Krull (1927) / Florent Fels -- Spectacles of the street - Eugene Atget (1928) / Robert Desnos -- Eugene Atget (1928) / Albert Valentin -- The first Salon Independant de la Photographie (1928) / Florent Fels -- The literary art of imagination and photography (1928) / Pierre Mac Orlan -- Elements of a social fantastic (1929) / Pierre Mac Orlan -- Photographic testimony / Salvador Dali -- On the snapshot (1930) / Carlo Rim -- Preface to Atget Photographe de Paris (1930) / Pierre Mac Orlan -- The present state of photography (1931) / Philippe Soupault -- The age of light (1934) / Man Ray -- When objects dream (1934) / Tristan Tzara -- On photographic realism (1935) / Man Ray -- John Heartfield and revolutionary beauty (1935) / Louis Aragon -- Untitled contribution to, The Quarrel over realism (1936) / Louis Aragon. ― Production-Reproduction (1922) / Laszlo Moholy-Nagy -- Unprecedented photography (1927) / Laszlo Moholy-Nagy -- Photography in advertising (1927) / Laszlo Moholy Nagy -- Painting and photography (1927) / Erno Kallai (responses by Baumeister, Behne, & Moholy-Nagy) -- Aims (1927) / Albert Renger-Patzsch -- Remarks on my exhibition at the Cologne Art Union (1927) / August Sander -- Joy before the object (1928) / Albert Renger-Patzsch -- Absolute realism: on the photographs of Albert Renger-Patzsch (1928) / Hugo Sieker -- Pictorial photography (1928) / Erno Kallai -- Photography and typography (1928) / Jan Tschichold -- Photomontage (1928) / Franz Hollering -- Sharp or unsharp?: A reply to Hans Windisch (1929) / Laszlo Moholy-Nagy -- Postscript to photo-inflation / boom times (1929) / Erno Kallai & Albert Renger-Patzsch -- Photography and art (1929) / Albert Renger-Patzsch -- On the question: Original or facsimile reproduction? (1929) / Kurt Karl Eberlein -- Original and facsimile (1930) / Alexander Dorner -- Photographic weltanschauung (1929) / Wolfgang Born -- The value of photography (1930) / Franz Roh -- The photograph (1930) / Paul Renner -- On the present state of photography (1930) / Walter Peterhans -- Seeing (1929) / Hans Windisch -- Photomontage (1931) / Raoul Hausmann -- Photomontage, photogram (1931) / Durus -- Excerpt from, Film as art (1932) / Rudolph Arnheim -- How does the photographer see? (1933) / Raoul Hausmann & Werner Graff -- Photomontage as a weapon in class struggle (1932) / Durus -- Photography and the second consciouness (1934) / Ernst Junger -- An excerpt from, On pain (1934) / Ernst Junger -- Photomontage (1924) / [Gustav Klucis?] -- The photograph versus the painting (1926) / Ossip Brik -- What the eye does not see (1926) / Ossip Brik -- The architect's eye - A review of Erich Mendelsohn's America (1926) / El Lissitzky -- From the painting to the photograph (1928) / Ossip Brik -- Photomontage (1928) / Varvara Stepanova -- Against the synthetic portrait, for the snapshot (1928) / Alexander Rodchenko -- An illustrated letter to the editor: At home and abroad (1928) / "A photographer" -- Downright ignorance or mean trick? (1928) / Alexander Rodchenko -- Open letter to Rodchenko (1928) / Boris Kushner -- Photo-notes (1928) / Segei Tretyakov -- The paths of modern photography (1928) / Alexander Rodchenko -- A caution (1928) / Alexander Rodchenko -- Fulfilling a request (1928) / Boris Kushner -- From the editor (1928) / [Sergei Tretyakov] -- Introduction to Moholy-Nagy's, Painting photography film (1929) / Alexander Fedorov-Davydov -- Program of the October photo section (1931) / Anonymous. ― Excerpts from, Futurist photodynamism (1913) / Anton Giulio Bragaglia -- Photomontage (1929) / Vinicio Paladini -- Futurist photography (1930) / F. T. Marinetti & Tato -- Futurist photography (1932) / Arturo Bragaglia -- Photomontage (1931) / Cesar Domela Nieuwenhuis -- The triumphant beauty of photography (1925) / Vilem Santholzer -- The tasks of modern photography (1931) / Karel Teige -- From the photogram to emotion (1940) / Jaromir Funke.

http://xco-demo.carli.illinois.edu/dtmilestone3/node/901289

資料:写真研究会 前川修(2003年5月17日)Lingering Rengering――レンガー=パッチュ(1897―1966)『世界は美しい』の力学――

1 はじめに―― 煙突とラジオ塔――

2 『世界は美しい』の構成原理―― 客観と抽象―― 

3 『世界は美しい』への反応―― 世界はただ美しいだけなのか、世界も美しいのか、この世界は美しいなのか――

4 ベンヤミンによる批判――現実であることと現実を語ること――

5 シムズの批判について――公正な写真と裁判官席をひっくり返す写真

6 煙突を見上げること/見下ろすこと

――バタイユ、ネイムス、モホイ=ナジ――


《参考文献》

Christpher Phillips ed., Photography in the Modern Era –European Documents and Critical Writings, 1913-1940, Metropolitan Museum

Albert Renger-Patzsch, Aims (1927), Photography in the Modern Era –European Documents and Critical Writings, 1913-1940, 104-105

Albert Renger-Patzsch , Joy before the Object (1928), Photography in the Modern Era –European Documents and Critical Writings, 1913-1940, 108-110

Albert Renger-Patzsch and Erno Kallai, Postscript to Photo-Inflation/Boom Times (1929), Photography in the Modern Era –European Documents and Critical Writings, 1913-1940, Metropolitan Museum, 140-141

Albert Renger-Patzsch, Photography and Art (1929), Photography in the Modern Era –European Documents and Critical Writings, 1913-1940, 142-144

Andreas Haus, Die Entwicklung der modernen Fotografie –Neues Sehen und Neue Sachlichkeit, Monika Wagner(Hg,), Moderne Kunst 2, s.351ff.

Virginia Heckert (Guest Editor), History of Photography, Volume 21 Number 3 (Autumn 1997)

Thomas Janzen, Albert Renger-Patzsch's Early Work: Object and Abstraction, 182

Claus Pfingsten Albert Renger-Patzsch: Early Industrial Photography, 187

Ulrich Ruetter, The Reception of Albert Renger-Patzsch's Die Welt ist schon, 192

Matthew Simms, Just Photography: Albert Renger-Patzsch's Die Welt ist schon, 197

Virginia Heckert, Albert Renger-Patzsch as Educator: 'Learn to see the World', 205

Thomas Jantzen, Photographing the ‘Essence of Things’, Ann and Juergen Wilde,Thomas Weski ed., Albert Renger-Paztsch, MIT Press, 1997.

Michael Jennings, Agriculture, Industry, and the Birth of the Photo-Essay in the Early Weimar Republic , October 93, Summer 2000, MIT Press

Donald Kuspit, Albert Renger-Patzsch A Critical BiographicalProfile, Albert Renger-Patzsch −Joy Before the Object-, Aperture and J. Paul Getty Museum 1993

David Mellor (ed.), Germany the New Photography 1927-33, Arts Council of Great Britain , 1978

Carl Georg Heise, Preface to A.Renger-Patzsch, Die Welt ist schoen (1928), Germany the New Photography 1927-33, p.9-14

Herbert Moldering, Urbanism and Technological Utopianism, Thoughts on the Photography of Neue Sachlichkeit and the Bauhaus (1978), Germany The New Photography 1927-33, 87-94

Brian Stokoe, Renger-Patzsch: New Realist Photographer (1978), Germany the New Photography 1927-33, 95-100

Ute Eskildsen, Photography and the Neue Sachlichkeit (1978), Germany the New Photography 1927-33, 101-112

Abigail Solomon-Godeau, The Armed Vision Disarmed: Radical Formalism from Weapon to Style, Photography at the Dock –Essays on Photographic History, Institutions , and Practices, Minnesota Press, 1991

Vierhuff, Die Neue Sachlichkeit- Malerei und Fotografie, Dumont , 1980

http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/study030517.htm


◇ 2003年7月に行われた写真研究会のレジメです - photographology

アラン・セクーラのアーカイヴ

――レンガー=パッチュとモホイ=ナジの間に――

1 はじめに――

「流行となっている写真において、2,3の例外を除き、独創性への憧れや見せ掛けが美的基準や技の欠如と結びついている。その歴然とした例。シュトットガルトの展覧会〔『映画と写真』展のこと〕、それはこれ見よがしの装いのここ最近の短期間に流行している写真を選んだものなのである。…〔中略〕…それはひとつの共通の分母をもつでたらめな写真の山だったのである。質に量がとって代わっている。成功のためのレシピ。上から撮ることあるいは下から撮ること、引伸ばすか縮小すること、屑が最も満足させるモチーフになりうる。出版社プリントを送れば、怪物である出版社は何でも食べてくれるのである」。(カライとレンガー=パッチュ、「写真のインフレーションへの追記」1929年)

ニュー・ヴィジョン 左派・革新的・前衛・非専門的・抽象・主体(人間学的)/

ノイエ・ザッハリッヒカイト 伝統的・保守的・職業的・リアリズムストレート写真・事物

参考文献

Andreas Haus, Die Entwicklung der modernen Fotografie –Neues Sehen und Neue Sachlichkeit, Monika Wagner(Hg,), Moderne Kunst 2, s.351ff.

Virginia Heckert (Guest Editor), History of Photography, Volume 21 Number 3 (Autumn 1997)

Claus Pfingsten Albert Renger-Patzsch: Early Industrial Photography, 187

Matthew Simms, Just Photography: Albert Renger-Patzsch's Die Welt ist schon,  197

Eleanor M.Hight, Picturing Modernism, Moholy-Nagy and Photography in Weimar Germany , MIT, 1995

Louis Kaplan, Laszlo Moholy-Nagy Biographical Writings,Duke University Press,1995

Albert Renger-Patzsch and Erno Kallai, Postscript to Photo-Inflation/Boom Times (1929), Photography in the Modern Era –European Documents and Critical Writings, 1913-1940, Metropolitan Museum, 140-141

Benjamin Buchloh, Warburg’s Paragon? The End of Photomontage and Collage in Postwar Europe in: Deep Storage -- Collecting, Storing and Archiving in Art, Prestel-Verlag,1998.

Allan Sekula, Traffic in Photography, in: B.H.D.Buchloh ed., Modernism and Modernity,,1983

Allan Sekula,The Body and the Archive, in: Contest of Meaning, 1986

Allan Sekula,Reading an Archive, in: B.Wallis, Blasted Allegories, MIT,1987

Rosalind Krauss, A Note on Photography and the Simulacral, The Critical Image―Essays on Contemporary Photography,Bay Press 1990

ロザリンド・クラウス、「写真のディスクール空間」『オリジナリティと反復』小西信之訳、リブロポート、1994年

http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/sekulaarchivetheory.htm


◇ Reading Photobooks: Narrative Montage and the Construction of Modern Visual ... - Andrea Jeannette Nelson - Google ブックス

http://j.mp/1raE6GX

"Albert Renger-Patzsch and Erno Kallai, Postscript to Photo-Inflation"


◇ 「である」写真「である」写真「… foto ist foto ist foto ist… - photographology

 1920年代のノイエ・ザッハリッヒカイトの写真家として多大な影響を以降のドイツ写真に及ぼした、いわゆるドイツの「ウェストン」的な存在としてよく知られているレンガー=パッチュ。

 彼について、これまたよく知られたベンヤミンの批判――「世界は美しい」というスローガンのもと、事物を変容させる反面で社会的文脈を何ら示すことがない技術のロマン主義化、自然化、物象化を推し進める写真――でその後史の命脈が尽きたかと思いきや――もちろん生前の写真集の途方もない量には及ばないが――定期的に展覧会や写真集は開催・出版されている。

 ベンヤミンのいささか粗い批判を引継ぎつつ面白い問題提起をしているのが、シムズ論文「公正な写真」であった。「事物そのものに語らせる」べく、鮮鋭なフォーカシング、極端なクロースアップ、大胆なクロッピングによって構成された放射状や同心円状の構図の画像は、あるスケールがひたすら無限に反復される連続的な幾何学模様になる。前後に圧縮され、その細部のすべてが明瞭なまま規則的に反復され、すんでのところで脱中心化を免れている画像。事物の本質を語らしめ、それを神秘的、非歴史的な存在の始原への経路=象徴になるという美術史家ハイゼと写真家レンガー=パッチュの共同作業。それが『世界は美しい』である。その試みは工業製品や工業施設ばかりでなくあらゆるカテゴリーに属す事物を「公正に評価する」企てであった。事物そのもの「である」ような写真、それがこうした写真の特徴である。客観的「であり」ながらも抽象的「である」写真。ザッハリッヒとは何か疑問でならなかったが、こういってもらうとある程度すんなり理解できる。

 レンガー=パッチュは「目的」という文章の中で「写真とは何であるか?」という問いに、事物を「公正に評価する」、つまり事物「である」ことに他ならないことに仕えるのが写真「である」と述べている。この存在論的=本体論的な問い方には、すでに予め用意され回復を希求されている真正なもの、本来的なものが地平線上に顔をのぞかせている。「何であるか」という問いは、いわば本来的なものから不純なものを区別し排除するための仕掛けになっているのである。何であるか――事物であることである、というわけである。

 ここで面白いのが「公正に評価する」という語も司法的な意味を含んでいるということである。ここにベンヤミンの有名なフレーズ――写真は芸術という裁判官席をひっくり返すはずが、よりによって芸術を裁判官席に座らせてしまった――をつき合わせてみることもできる。審判席をひっくりかえすということは、本来的なもの/非本来的なものという回復と排除の力学を掘り崩す。いわば「である」ことも「でない」こともご破算にしてしまうのが写真であるという定義。写真の本来性=複数性と反復性はそうしたものとしてしか定義できない。レンガー=パッチュの写真にはこうした反復性が二重に、いや三重に現れている。写真自体の反復と写真の内部で行われる反復である。いやそれどころか、彼は事物である像を複写していたのでもある。であるという無限の連鎖が起源の不在を明らかにしている。

http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/stereodiary52.htm


◇ Krauss,Rosalind 写真的なもの:隔たりの理論 - photographology

第4章-3  写真とシミュラークルについてのノート


◇「批評」に代えて−「隔たり」から隔たるには?

 前回報告のあったクラウスの写真論(「シュルレアリスムの写真的条件」(OctoberNo.19[1981])、「写真の言説空間」(College Art Journal 42[1982])に引き続き、彼女の写真論紹介ということになる。この論文は、『オクトーバー』誌31号[1985Winter]に掲載されたもので、後にフランス語でまとめられた写真論集(『写真的なもの 隔たりの理論』[1990])のなかでは最新のものである。  

この論文の議論の骨格は明快である、写真は芸術的対象としては批評不可能である、だから写真に相応しい言説は、美的言説ではありない、むしろ写真(についての言説)は、美的言説の諸概念の統一を掘り崩す、あるいはそれらの機制を脱構築する企図となるべきだと。その例としてシャーマンの試みが挙げられる。そこには、美的言説の脱構築、芸術批評という行為の「再構築」(!?)が写真において行われている。オリジナルや同一性を基にした世界から、すべてが現実効果をもつシミュラークルと記号の世界への移行、これがシャーマンの試みの背景には控えている。写真的シミュラークルによって芸術(批評の自閉性)を破砕する試み、これが一方の極である。他方で、ペンの写真の試みが挙げられる。ペンは商業写真から芸術写真への転向を試みたと一般には言われている。ところが、芸術写真のオリジナルな手法を支えてくれるはずの数々の手法が、実は商業写真の文法に酷似してしまう。ペンの芸術写真はシミュラークルに依拠している、いわば抑圧されたものが回帰しているのだ、と。

 前回も疑問が提起されたように、クラウス自身の写真へのスタンスは流動的である。一見すると「シュルレアリスムの写真的条件」と同様に、シャーマンに対する立場は、芸術的批評=言説を「脱構築」するといいながらも、その「再構築」という帰結に行きついてしまうし、他方で、アジェの写真の属していた空間が美的言説とは異質な言説空間であると指摘した(「写真の言説空間」)のと同様に、ペンの芸術写真は、実は美的世界とは異なるシミュラークルの世界に属していると主張する。この論文では、この2つの極の「隔たり」が彼女自身に意識されたものだと言える。もっとも、その隔たりの空間にブルデュー流の写真論が無造作に置かれただけなのだが。  クラウスの試みへの批判は、すでに報告したジェオフリー・バッチェンのもの(『Burning with Desire』)がある。もう一つ、最近目にしたクラウス批判を挙げておこう−プライスの批判(メアリープライス『写真−閉ざされた空間』)−。

しかし、クラウスは枚挙的記述が無用だと言っているのではない。上記の隔たりの空間に広がる社会的言説として、利用可能な間隙として、特徴的な枚挙的記述という素材を挙げているのである。ただし、それは、写真についてしばしば指摘されるような、−「統辞のない文」「名詞だけの文」としての写真という−記号論的見解の「反復」にすぎないのではないか。物足りなさが残る。

 クラウスの写真論をつねに閉ざしてしまうのは芸術という参照点−「隔たり」の参照点−ではないだろうか。それではそこから隔たるにはどうすればよいのか。例えば、写真の(非−)記号論的観点からの考察(もちろんクラウスはそれを試みてはいるのだが…)、写真と言語の関わりの問題の検討(ex.プライス)、あるいは写真が呈示される方法(印刷媒体や展覧会など)の考察(ex.クリンプ)、こういった分岐点を考えてみてはどうだろうか。

 それにしても、あれほどクラウスの批評を牽引していたはずのインデックスの力は感じられない。なぜ彼女は写真という「インデックス」にもっと引きずられていかないのだろうか? いずれにせよクラウスの写真論全体、『写真的なもの−隔たりの理論−』に向かわなければならないだろう。

http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/Krauss.htm

Germany: The New Photography 1927-1933.: David. ed. MELLOR - Amazon.com

http://www.amazon.com/Germany-The-New-Photography-1927-1933/dp/B005I6L9BU


◇ Germany - The New Photography 1927-1933 by David MELLOR, editor: Arts Council of Great Britain Soft cover, 1st Edition - William Gregory, Bookseller

Description:

London: Arts Council of Great Britain, 1978. (8 1/2 x 5 1/2 in, 21.4 x 14 cm). 136 pp. First edition. Uncommon. A terrific book containing "documents and essays selected and edited by David Mellor". Original photographically illustrated wrappers in near fine condition, tight and firmly bound (age toning to extremities, minimal shelf wear and creasing, overall an excellent copy). From the back cover: "By 1930 a new kind of photography had developed in Germany. It included the work of Bauhaus cameramen like Laszlo Moholy-Nagy and Werner Graff; the New Objectivity photographers, Albert Renger-Patzsch and Helmar Lerski; and finally, the photo-journalists who pictured society, like Erich Salomon, Felix Man" "Germany - The New Photography 1927-33 gathers together, for the first time, the lost history of this movement, through translations of key documents, several of which have been rediscovered and translated especially for this book. It contains prefaces and introductions from the influential photobooks, 'Köpfe des Alltags' and 'Die Welt ist Schön', as well as criticisms and commentaries by Franz Roh, Paul Nash and Walter Benjamin." Includes the preface by Karl Nierendorf to 'Urformen der Kunst' (1928) and a review of the same by Walter Benjamin and Alfred Döblin's introduction to August Sander's 'Antlitz der Zeit' (1928). Uncommon. Bookseller Inventory # 2011262

http://www.abebooks.com/Germany-New-Photography-1927-1933-David-MELLOR/4322596521/bd

EISEN UND STAHL / Albert Renger-Patzsch - Books & Things

EISEN UND STAHL / Albert Renger-Patzsch

1931, Berlin, 97 plates, 219 x 305 x 12

http://andthings.exblog.jp/18825382/

Helmar Lerski Köpfe des Alltags - Google 検索

https://www.google.co.jp/search?q=Helmar+Lerski+K%C3%B6pfe+des+Alltags&es_sm=91&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=sLdVU_mvItXl8AWGk4DoAQ&ved=0CCkQsAQ&biw=1440&bih=806


◇ Helmar Lerski Working Hands - Google 検索

https://www.google.co.jp/search?q=Helmar+Lerski+Working+Hands&es_sm=91&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=U7dVU6TBEs_68QWswYKYAw&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1440&bih=806


◇ Helmar Lerski - Wikipedia, the free encyclopedia

Helmar Lerski (18 February 1871, Strasbourg - 19 September 1956, Zürich) was a photographer who laid some of the important foundations of modern photography. His works are on display in the USA, Germany, Israel and Switzerland. He focused mainly on portraits and the technique of photography with mirrors.


His real name was Israel Schmuklerski. The family moved in 1876 to Zurich, Switzerland, where the family was naturalized. In 1888, Lerski emigrated to the United States, where he worked as an actor. Around 1910, he began to photograph. In 1915, he returned to Europe and worked as a cameraman and expert for special effects for many films, including Fritz Lang's Metropolis. At the end of the 1920s, he made a name as an avant-garde portrait photographer.


In 1932, he emigrated with his second wife to Palestine, where he continued to work as a photographer, cameraman, and film director. On 22 March 1948, they left Palestine and settled again in Zurich.

Photographic work

Series Köpfe des Alltags: 1928 - 1930, published 1931

Series Metamorphosen: 1936, published 1982


Selected filmography

The New Land (1924)

The Holy Mountain (1926)

Publications

Lerski, H.: Köpfe des Alltags, Berlin: Verlag Hermann Rockendorf, 1931.

Ebner, F.: Metamorphosen des Gesichts. Die "Verwandlungen durch Licht" von Helmar Lerski. Steidl Verlag, Göttingen 2002. ISBN 3-88243-808-8.

Eskildsen, U. (ed.); Lerski, H.: Verwandlungen durch Licht. Metamorphosis through Light,, Freren: Luca, 1982.

Eskildsen, U.; Horak, J.-C.: Helma Lerski, Lichtbildner. Fotografien und Filme 1910-1947, Folkwang Essen 1982.

http://en.wikipedia.org/wiki/Helmar_Lerski

The New Photography 1920s–1940s - Occassional Papers - DEPARTMENT OF INTERNATIONAL AND AUSTRALIAN PHOTOGRAPHY - National Gallery of Australia

The National Gallery of Australia began acquiring

photographic art in 1972, and in 2012 current

holdings are over 25000 works, of which over half

are Australian. This significant print collection is

complemented by the National Gallery of Australia

Research Library’s excellent and extensive catalogue

of photographic literature.

The story of the development of the Gallery’s

photography collection has been told in the Gallery’s

publication Building the collection, released in 2003.

Significant new directions began in 2006 with a

new focus on the representation of the history of

photography in the Asia-Pacific region, announced

in October 2005 by Director Ron Radford in his

A vision for the National Gallery of Australia.

(That document and further information can be

found on the Gallery’s website: nga.gov.au,

see tabs for ‘information’ and ‘collections’.)

Over the years many substantial talks have been

given by staff and guest speakers, and those papers

that were not published are now planned to be

progressively placed on the Gallery’s website.

A number of specific strengths exist in the Gallery’s

collection, including holdings of modernist

photography of the 1920s to 1930s. This paper

addresses background material to the modern

photography collection and has been contributed

by Robert Deane, former Assistant Director

(Administration), currently a volunteer and

Honorary Researcher.

Gael Newton

Senior Curator, Photography

June 2012

The New Photography 1920s–1940s

‘Photography is the art of the revolution

Robert Deane

Honorary Researcher

Photography, National Gallery of Australia

http://nga.gov.au/Photography/0706.12.Occassional%20paper.pdf

Collection Online - Works | Result - Department of Photography - Museum Folkwang

http://j.mp/1i9mZ0T

Out in the World: Still Life Photography between Art and Commerce - David Campany

The intertwining of art and commercial photography is nowhere more evident than in the genre of still life

Photography may have triumphed in art over the last couple of decades, but questions linger as to whether art gets the best out of it. Many artistically minded photographers admit to finding art an interesting place to visit but they wouldn’t want to live there. It can be airless, self-serving and very slow. (Photography permits rapid artistic development for those who want it, but curators and collectors rarely do.) Moreover, given that art photography triumphed by remaking, diverting or otherwise contemplating the medium’s ‘applied’ forms – such as the document, the film still, the advertisement and the archival image – there is always much in common between art photographs and those we see elsewhere.

This essay originally appeared in Frieze magazine, no. 143

http://davidcampany.com/out-in-the-world/

Production in View: Allan Sekula’s Fish Story and the Thawing of Postmodernism - Tate

By Bill Roberts

23 October 2012

Tate Papers Issue 18

Bill Roberts argues that Fish Story 1989–95 by the photographer and theorist Allan Sekula expresses a shift from a culture of postmodernism to one of globalism and reflects the artist’s effort to renew realist art in the wake of the postmodern culture of the 1980s.

http://www.tate.org.uk/research/publications/tate-papers/production-view-allan-sekulas-fish-story-and-thawing-postmodernism

Allan Sekula "The Body and the Archive" (1986)より

But first, what general connections can be charted between the honorific

and repressive poles of portrait practice? To the extent that bourgeois order de-

pends upon the systematic defense of social relations based on private property,

to the extent that the legal basis of the self lies in the model of property rights,

in what has been termed "possessive individualism," every proper portrait has

its lurking, objectifying inverse in the files of the police. In other words, a

covert Hobbesian logic links the terrain of the "National Gallery" with that of

the "Police Act."

コンテナシークエンス - はてなStereo Diary

コンテナシークエンス

 ついでに別のカタログでのインタヴューからも主だったポイントをあげておく(リスバーグによるインタヴュー)。ここに掲載のインタヴュー『Dismal Science: Photoworks 1972-1995』。


まずは『フィッシュストーリー』のコンセプト


「『フィッシュストーリー』の背景にある主題の動機は、時代錯誤という不当な評判を受けている現代の海の世界を調査することです。エリートたちのあいだで常識になっている、情報が重要な商品でありコンピューターが私たちの進歩の唯一のエンジンであるというこうした幻想に抗するにはどうしたらよいのでしょうか。海は忘却された空間かもしれません。しかしそれはとるにたらない空間でもないし、たんに資本主義の「中間物」であるだけではないのです。海の世界は後期近代にとって必要不可欠のものです。なぜなら、製造業の地球規模の体系を可能にしているのは、1950年代半ばのアメリカにおける技術革新コンテナ貨物輸送だからです。コンテナ船とオイルタンカーは、〔※メルヴィル『白鯨』の〕エイハブ船長のPequod号の最後の陰鬱な具現化なのです。


 アメリカの詩人チャールズ・オルソンは早くも1947年にこう述べています。メルヴィルはすでに一世紀前に、悪辣な工場としての太平洋を見出していた、と。海の世界が私にとって興味を惹くのは、それが巨大なオートメーションの世界であるばかりではなく、大いなる孤独と、国内からの隔たりや隔絶を特徴とした、絶えざる労働の、隔絶した、匿名の、隠された労働の世界であるからです。こうした理由から、メルヴィルがそうしたように、海に社会的なものを見出すことは興味深いことなのです。


 また『フィッシュストーリー』は美術史的な研究でもあり、海の経済の表象の血統を、17世紀のオランダ絵画から、ミニマリズムポップアートに見出されるコンテナ貨物の――それとは気づかれていない――「客観的相関項」にいたるまであとづけています(ウォーホルの『ブリロ・ボックス』であれドナルド・ジャッドの亜鉛メッキの立方体のシリーズであれ)。両者の決定的な差異は、芸術的対象の演劇的不活性さに対するコンテナの可動性にあります。「コンテナの一貫輸送」について語る船員にとって、箱は乗り物よりも重要なものです。だから包みが自らの生命を帯びはじめます。つまりそれはある種の幽霊的な生気を帯びているのです。


 ここで私たちはマルクスが述べた商品フェティシズムの寓話に立ち戻ることができるでしょう。…〔中略〕…私が語っているのは、「遠く隔たった労働力の棺」としてのコンテナです。なぜなら輸送される商品を生産する労働はつねに別のどこかにあり、いっそう低い賃金への容赦ない要求によって決定された、流動的で、割り当てなおされるさまざまな場所に位置づけられているからです。こうした労働はもはや、何らかの想像的な地理学的跳躍をする以外には、触れることも近づくこともできません。


 …〔中略〕…現在における政治的緊急性をようすることとは、現代のエリートたちが、自分たちがより安価な労働を世界中で探していながらも、労働者のいない富の世界を思い描いている事実にあります。貨物コンテナ資本主義による否認のまさに象徴になっています。」


というように先日の紹介と同様に、労働への照準が語られる。コンテナとブリロ・ボックスを対比させた記述は本書のテクスト後半にある。


また作品のインスタレーションに関する発言も抜き出しておこう。


昨日の映画と写真の関係にかんしても、少しだけ彼の考えが呈示されている。もちろん、先日ドキュメンタリー写真とドキュメンタリー映画に関する発言箇所も参照してもらいたい。


(上記も下記も、見やすくするために、途中に改行を入れておきます。)


「作品における間隙はきわめて重要です。イメージの間の間隙、イメージテクストのあいだの間隙のことです。これによって観者にある種の自由や責任を与えることができます。しかしあなたの質問〔※リスバーグによる、セクーラの作品のなかの互いに相容れない複数の声が衝突する様子、これが彼の作品における重要なプロセスであり、デモクラッティックな側面なのかという質問〕に答えるには、後期近代の諸芸術のシステムの内部での写真の位置をもう一度考えなければなりません。


 写真はつねに、文学、絵画、映画によって境界付けられた遊動的空間に位置づけられています。この間メディア的領域はモダニズム的な存在論的純粋性の状態に還元することはできません。…〔中略〕…絵画モデルという最も重要な引力が、あまりにも強力にひとつの方向へと市場を牽引し、諸力の間の均衡を崩しているとみなすことができます。私にとって、写真の持つ境界性や開放性や民主主義的可能性は、つねに、三つのタイプの空間の日常的な雑種性によって作業することを意味しています。つまりギャラリー、読書室、上映室の三つです。読書室は図書館の概念を喚起します。アメリカの文脈では、図書館は、ミュージアムのエリーティズムには欠落している直接的な民主主義的連想を帯びています。今私たちが公共の図書館の萎縮と、それと同時的な、私的なミュージアムの肥大を目にしていること、ここには危険なイロニーが存在します。過剰な視覚性は、識字能力の欠落の補完物なのです。


 読むことと見ることのための、展示での複数の部屋や、出版作品のもつ政治的、美的含意とはどのようなものでしょうか? イメージテクストに、テクストイメージに還元したいという二重の誘惑にどのように抵抗できるのでしょうか? 三つの空間の交差において、私の第一の解決法は写真をシークエンスで組織するということでした。写真のシークエンスは、再分類の可能なグループへと写真を組織するための主要な制度的モデルに対するオルタナティヴです。つまり、アーカイヴシリーズに関するキュレーションや官僚的なモデルへのオルタナティヴということです。もちろん実際にはシークエンスにはシリーズが含まれることもありますし、シークエンスシリーズの諸要素を織り合わせることから組織することさえもできますが、その逆はありません。


 シリーズは、写真の行進に単調な規則性を導入し、個々のイメージが意味の複雑さを喪失することに関する何の疚しさも感じないまま、それを売買することを可能にします。これが実際、シリーズのあたえるひとつの快楽です。シークエンス的組織化、そしてそれと並行したテクストの諸要素の構築、これによって、写真作品が、より高度で複雑な形式的統一のレベルをそなえた小説や映画のように作用することを可能にします。しかし、シークエンスアンサンブルの開放性は、映画との重大な差異をなしています。ここには、プロジェクタによる単線的な独裁は存在しません。だから、シークエンスシリーズと取り違えることはたやすいことなのです。たとえば、ひとつのシークエンスが組織されるなら始まりと終わりには特別な印が必要です。


 そして諸要素の言語的、視覚的異種混交性は、小説との差異を示しています。シークエンスはまた小説とは異なる、さまざまな持続の間隙にしたがって時間を記録することを可能にします。たとえばそれは、静態的なメディアによって、海と資本のもつ流動性に関わる作品という不条理な挑戦を促してくれるのです。スチル写真は事柄をスローダウンさせ、そうしてネモ船長の「動きの中の動き〔mobilis in mobili〕」というスローガンに中断を与えるのです」。

http://d.hatena.ne.jp/photographology/20090302


◇ 投錨、係留 - はてなStereo Diary

■投錨、係留

「私の第二の解決法は、言葉とイメージとの距離の尊重、読む経験と見る経験のあいだの身体的な差異の尊重にあります。これは『トリプティックでの瞑想』(1973/78)に当てはまります。そこには読書用の机と椅子がイメージと距離を置いておかれ、読者/観者は読むことと見ることとの間の中継を強く意識することになります。


 こうした分離のもっとドラマティックで転倒した舞台設定がスライドシークエンスの上映室のデザインに見出されます。照明された読書用の小空間――あなたがたの閉所恐怖症の程度により、電話ボックスにも懺悔室にも直立した棺にも似ることになる空間です――は、投影用スクリーンの脇にあります。その空間の位置は、スライドシークエンスの観者が目の端で、20分間に投影される80枚そこそこの写真のキャプションを含む作品のテクスト的構成要素を包含する小冊子が見えるようになっていますが、実際には投影されたイメージを見逃すことなくそれを手に取ることはできません。読むことが投影の前か後になります。私が意図した経験は、映画の上映館に行き、その薄暗い光のなかでプログラムを手渡される経験に似ています。


 このように、作品は距離ばかりでなく、言葉とイメージのつながりについてのフラストレーションにも依存しており、同様に、――写真が時代遅れのものにしたと言われている――像による記憶という古くからの問題を提起しています。


 同時にまた、投影されるイメージは、つかの間の輝く像の現前とスケールを有しています。それは、適切な上映条件では、ライトボックスによるもっと静態的な商業的誇張にたいする控えめなオルタナティヴを提起しているのです。


 現代の視覚芸術におけるテクスト的作品の、フレーズやリストの優位性のひとつの理由とは、こうしたものが、見る手助けになる身体的姿勢や空間のなかで読みやすく、覚えやすいものだからです。もっと長く、複雑なテクストのためには、快適で控えめな椅子がよいアイディアになりますし、私はしばらくインスタレーションでそれを用いていました。理想的には、テクストが立っているあいだに読まれるなら、読者を、謎めいた、あるいは不条理でさえある命題の展開へと、おそらく展開とともに惹きつけるにちがいないでしょう。だからそれは、明瞭で、注意の散らない読みの手助けになるグラフィックな形式で呈示されねばならないのです。これは、読者/観者の快適さや知性を尊重するひとつの方法です。


 また、全般的に私の戦略は、シクロフスキーが述べたように、きわめて直接的な現象的レベルで読むことと見ることの間の関係を「異化する」ことを意図しています。バルトが写真についての初期著作で導入した言葉を用いれば、目標は、テクストニュースキャプション的道具製による映像の非決定性の意味論的「投錨」ではなく、むしろ作品のより高度の複雑さの力へと高めるようなテクストイメージの係留です。今私は、彼の用語の選択について考える際、こうした想像上の鎖の作用が、海と陸地とのあいだの関係に似たテクストイメージとの関係なのではないか、あるいは、奴隷と主人のあいだの関係に似た両者の関係なのではないかと思っています」。


 この直後にリスバーグはセクーラのヘーゲル主義的思想の源のひとつ、マルクーゼについて質問を向ける。ただし、ここはあまり興味を惹かれないので(単純な議論、奴である写真こそが自由に向けて云々という発言)省略しておく。ジェンダーエスニシティなどのアイデンティティポリティクスにしばしば議論が収斂しがちな文化研究からの写真の議論との彼の距離、つまり、階級、資本、労働につねに照準するのみという彼の流行の議論とのずれが、セクーラのかえって興味深い実践、理論に寄与していることはたしかである。


なお、発言の中のライトボックス云々は、当然ウォールに向けられた批判だと思う。スライドによるシークエンスの問題の発言も興味深い。

http://d.hatena.ne.jp/photographology/20090303

Modern Art and America: The 291 Gallery - NGA

The 291 Gallery


Early Exhibitions, 1908-1912

Rodin, HellAfter a year of exhibiting American and European photographs at 291, Stieglitz and Steichen believed they needed an invigorating influx of new ideas. Steichen, at the time, was living in Paris and had befriended many artists. Acting as Stieglitz's European agent, he sent over exhibitions of such artists as Henri Matisse, Paul Cézanne, Pablo Picasso, and Auguste Rodin, whose drawing Hell was exhibited at 291 in 1910. Many of these early exhibitions, frequently the first presentations of these artists' works in this country, included innovative ways of portraying the human form that often shocked 291's audience with frank depictions of sensuality and challenges to conventional notions of beauty. Stieglitz's aim, however, was not to sensationalize, but to instruct artists and the American public about the fundamentals of the new art and to provoke serious discussion.


Responding to the Armory Show, 1913

In 1913, stimulated in part by the groundbreaking exhibitions held at 291 in the previous five years, the Association of American Painters and Sculptors hosted a large exhibition of modern European and American art at the Sixty-Ninth Regiment Armory in New York, including work by some of the most innovative artists of the period, many of whom Stieglitz had exhibited earlier. Before, during, and after the Armory Show, Stieglitz organized a series of tightly focused exhibitions at 291: first, he showed watercolors by the American artist John Marin, then his own photographs, followed by the work of the French modernist Francis Picabia. Each exhibition included studies of New York City, and thus over the course of three months visitors to 291 were able to contrast how European and American artists responded to the city. In what he called a "diabolical test," Stieglitz timed the exhibition of his photographs to coincide with the Armory Show to see if his own art withstood comparison to the latest developments of modern painting.


New Experiments, 1914-1917

Brancusi, Mmse. PoganyIn the wake of the Armory Show several other New York galleries began to exhibit modern European art. Unwilling to be one among many, Stieglitz altered 291's course and, aided by Steichen and the Mexican caricaturist Marius de Zayas, began to exhibit more experimental art, such as that of Constantin Brancusi in 1914. Later that year, with the help of de Zayas, Stieglitz mounted what he claimed to be the first exhibition anywhere to present African sculpture as fine art rather than ethnography. Inspired by their spiritual and expressive qualities, Stieglitz exhibited sculpture from central and west Africa. In 1915 he installed works by Picasso and Georges Braque together with a reliquary figure from the Kota people of Gabon and a wasp's nest. In this way, he sought to stimulate debate about the relationships between art and nature, Western and African art, and intellectual and supposedly naïve art.

During World War I, 291 became a haven for European artists. To express the new spirit they brought to the gallery, Stieglitz, de Zayas, and Picabia, along with Paul Haviland, a supporter of 291, and Agnes Ernst Meyer, a former critic, launched a new publication named for the gallery. Many articles in 291 applauded America as the most modern nation in the world, but writers also challenged readers to recognize and embrace the central role that the machine played in their life. In 1917 the French dada artist Marcel Duchamp carried this idea a step further when he declared that a machine-made object, a urinal he titled Fountain, was a work of art. Stieglitz concurred with Duchamp, and after Fountain was rejected from another exhibition, he showed it at 291.


Younger American Artists, 1916-1917

Although modern art received greater attention after the Armory Show, few New York galleries showed American works. Deeply committed to American artists, Stieglitz made them the focus of his activities after 1915. In 1916 and 1917 he presented a series of exhibitions of the painters Marsden Hartley and Georgia O'Keeffe, and the photographer Paul Strand, that summarized the dramatic changes that had occurred in American art in the past decade. Each artist had integrated the latest developments in modern European art with their own experience and constructed a powerful new vocabulary of form and color. Despite these innovative exhibitions, Stieglitz was forced to close 291 in June 1917. For more than twelve years he had supported the gallery with his own or his first wife's personal income, yet mounting financial difficulties, caused in large part by the United States' entry into World War I, made it impossible for him to continue to do so.

http://www.nga.gov/exhibitions/modart_2.shtm

シャーカフスキー再考/Rethinking Szarkowski - photographology

シャーカフスキーの著作

(編集のみ・序論・後書き・インタビュー・彼の写真の写真集を含む)


○The idea of Louis Sullivan: by John Szarkowski. -- University of Minnesota Press,1956

○The face of Minnesota: by John Szarkowski. -- University of Minnesota Press,1958

・The photographer and the American landscape :edited by John Szarkowski. -- MoMA、1963

・“August Sander: The Portrait as Prototype, ” Infinity 12(June 1963) 

・A Symposium on Photographic Style, Contemporary Photographer 4 (summer 1963), with Walter Rosenblum, Gordon Park and David Vestal

○The Photographer's Eye. MoMA, 1966

・Photography and the Mass Media, Aperture 13, no.3(1967):182-84

▽The animals / Garry Winogrand ; with an afterword by John Szarkowski, New York : Mo MA, 1969

○Bellocq : photographs from Storyville, the red-light district of New Orleans:reproduced from prints made by Lee Friedlander ; introduction by Susan Sontag ; interviews edited by John Szarkowski. -- Jonathan Cape,  London : Jonathan Cape, 1970

・Walker Evans: with an introduction by John Szarkowski. -- MoMA, 1971

・From the picture press:edited by John Szarkowski. -- MoMA, 1973

○Winogrand : figments from the real world: John Szarkowski : Distributed by New York Graphic Society ,MoMA, 1973

○Looking at Photographs. MoMA,1973

○New Japanese photography, edited by John Szarkowski and Shoji Yamagishi, New York : MoMA ; distributed by New York Graphic Society, Greenwich, Conn, 1974

・A Different Kind of Art, The New York Times Magazine, 13 April 1975

・One hundred years of photographic history : essays in honor of Beaumont Newhall :edited by Van Deren Coke. -- Facsimile ed. -- University Microfilms International, 1975

▽Callahan / edited with an introduction by John Szarkowski,  Aperture, 1976

William Eggleston's Guide. essay by John Szarkowski, MoMA, 1976

○Mirrors and Windows. MoMA, 1978

・American Photography and the Frontier Tradition、Symposium on Photography, edited by Manfred Willmann and Christine Fringhelli, 98-107, Graz: Fotogalerie im Forum Stadtpark, 1979

○The Work of Atget.Vol.1, Old France; John Szarkowski, Maria Morris Hambourg. -- Museum of Modern Art, 1981〔ウジェーヌ・アジェ写真集:ウジェーヌ・アジェ写真 ; ジョン・シャーカフスキー編著 ; 原信田実訳. -- 岩波書店

○American landscapes : photographs from the collection of the Museum of Modern Art :John Szarkowski. -- MoMA, distributed by New York Graphic Society, Boston, 1981

・20世紀の写真 : ニューヨーク近代美術館コレクション展:ジョン・シャーカフスキー [ほか] 編. -- 西武美術館、1982

○Irving Penn / John Szarkowski, New York : MoMA, Boston: Distributed by New York Graphic Society Books, c1984

・Ansel Adams : classic images / James Alinder, John Szarkowski. Boston : Little, Brown, c1986〔クラシックイメージ : アンセル・アダムス作品集:アンセル・アダムス写真 ; ジェームス・アリンダー, ジョン・シャーカフスキー著 ; 久保啓訳. -- 岩崎芸術社〕

○Photography Until Now. MOMA, 1989

○Dorothea Lange : American photographs / Therese Thau Heyman, Sandra S. Phillips, John Szarkowski,  San Francisco : San Francisco Museum of Modern Art : Chronicle Books, 1994

・The sports photography of Robert Riger / preface by John Szarkowski ; introduction by David Halberstam. -- 1st ed. -- New York : Random House, c1995

・The New West : Landschaften der Colorado Front Range:Robert Adams ; texte von Robert Adams, John Szarkowski, Heinz Liesbrock und Thomas Weski. -- W. König, 2000

・John Szarkowski, photographs: John Szarkowski ; essay by Sandra S. Phillips. -- Bulfinch Press, 2005

Interview

 Interview by Andy Grundberg. An Interview with John Szarkowski.

 Afterimage 12(October1984)p.12-13

 Interview by Nat Herz. Steichen's Succesor:John Szarkowki. Infinity11(September1962)

 Interview by Michael Kimmelman. Director Photography,John Szarkowski.

 Art News 83(May 1984)p.68-70

 Interview by Rob Powell.John Szarkowski.

 British Journal of Photography,20 December 1985

http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/szarkowskitexts.htm

2009-10-28アメリカ写真の風景を読む」フェア 続報 - 書店記録・nogata

今回、フェアのメイン書籍である「現代アメリカ写真を読む」(青弓社)著者の日高優さんに、何と参考文献一覧をあげて頂きました。

洋書は入手が難しいものもあり、入っていないものがありますが、和書はフェアにほぼ入荷しております。

●は日高さん特にお勧めの書籍。 品切れなどでフェア出品不可書籍にはタイトル前に△をつけています。

在庫僅少商品はフェア棚で売り切れ、通常の写真集コーナーや、写真評論棚に在庫がある場合もございますのでお探しの際はお声をおかけください。

青字は日高さんのコメントを転載させていただいています。お忙しい中素晴らしいリストを作っていただきました日高様、青弓社のみなさま、本当に濃い中身のある、良いフェアとなりました。深く御礼申し上げます。リストは以下です。

http://d.hatena.ne.jp/n-gata/20091028/p1

世界的映像アーティスト スティーヴ・マックィーンUSTREAMで生対談 | TABlog - Tokyo Art Beat

ルイ・ヴィトンのアートスペース「エスパス ルイ・ヴィトン東京」では、4月26日から開催される新エキシビションアーティスト スティーヴ・マックィーンと、キュレーターのオクウィ・エンウェゾーによるアート・トークを、22日火曜日15時からUSTREAMにてライブ中継する。


スティーヴ・マックィーンは、1969年イギリスロンドン生まれの映像アーティスト映画監督。これまでにターナー賞や大英帝国勲章(OBE)など、数々の栄誉を手にしている。最新作『それでも夜は明ける12 Years a Slave)』では、第86回アカデミー賞において作品賞を含む計3部門を受賞するなど、世界中で現在最も注目されるアーティストである。


オクウィ・エンウェゾーは、1963年ナイジェリア生まれのキュレーター・美術批評家。2002年には「ドクメンタ 11」(ドイツカッセル)、2008年には第7回光州ビエンナーレ(韓国)のアーティスティックディレクターを務めた。ライター編集者としても知られ、数々の展覧会カタログや専門誌へ寄稿している。


イベントでは、ミニマルな表現で鑑賞者に様々な感情を想起させるスティーヴ・マックィーンの手法や、世界初公開となる新作を通して作家が伝えたいメッセージなどを、オクウィ・エンウェゾーとの対談を通して明らかにしていく。この映像は後日アーカイヴとしても公開される予定とのことだ。

http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2014/04/steve-mcqueen-okwui-enwezor-art-talk.html

【新領域創造専攻】第1回 東京ジェインズ・ウォークへのお誘い - 明治大学

「ジェインズ・ウォーク」を知っていますか? 20世紀後半の都市思想においてもっとも影響力があった著作家・運動家のひとり、ジェイン・ジェイコブスの名を冠したこのイベントは、自分たちが暮らす都市をよく見直すため、グループで街を歩くというもの。彼女の誕生日である5月4日前後に、北アメリカおよび世界各地で開催されています。


 私たち、明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻では、本年5月4日、第1回「東京ジェインズ・ウォーク」を開催します。


 舞台は変貌をつづける街、中野。この二年ほどのあいだに、明治大学帝京平成大学早稲田大学キャンパス関連施設を構えるなど、新たな「大学の街」としても活気を呈していますが、かつてこの地に陸軍中野学校があり、江戸の昔には「生類憐みの令」によって保護された犬たち数万頭を収容した犬屋敷があったことなどを知る人は、今では少なくなっているかもしれません。


 ゴールデンウィークの一日、中野という土地の歴史を訪ねつつ、一緒に歩きませんか? 歩き疲れた夕方には、見慣れたはずの街の風景が、まったく違って見えることでしょう。


第1回 東京ジェインズ・ウォーク「中野再発見」

Jane’s Walk in Tokyo 2014 : Re-discovering Nakano


 【場所】JR中野駅周辺

 【日時】2014年5月4日(日) 10:00〜16:00

 【集合】明治大学中野キャンパス6階プレゼンスペース

 【形式】

   テーマ(例えば「建築物」、「人々」、「地面」など)ごとに講師が1名付き、

   10名以内の小グループで歩く。ウォーキング終了後、歩いて発見したことを、

   写真や映像を使って発表。


 【進行】

  10:00〜11:00 集合、予備レクチャー

  11:00〜14:00 ウォーキング

  14:00〜16:00 ワークショップと報告会


 【講師】

  石川初(ランドスケープ・アーキテクト)

  ダグ・スレイメイカー(比較文学ケンタッキー大学/明治大学

  倉石信乃(写真批評、明治大学

  管啓次郎(批評理論、明治大学

  鈴木俊治(都市計画明治大学

  福地健太郎(計算幾何学明治大学

  山本俊哉(都市計画明治大学


 【主催】

  明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻


 【参加費】無料(ただし、実費はすべて自己負担)


 【参加予約登録について】

  *参加には事前の登録が必要です。件名に「東京ジェインズ・ウォーク」と記し、

  以下のアドレスまでメールでお申し込みください。

  janeswalknakano@yahoo.co.jp(担当:中尾愛)


 【予約登録締め切り】

  2014年5月2日(金)正午

  *返信メールを受け取った時点で登録完了となります。

http://www.meiji.ac.jp/sst/grad/information/6t5h7p00000hd43c.html

2014-04-21 うやまだたろ

うやまだたろ


f:id:n-291:20140421040810j:image

Ende`s Last Will エンデの遺言

http://youtu.be/3YeagjqoDpk


◇ 続エンデの遺言 - YouTube

http://youtu.be/KUTBeTZ1ZcY


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◇ Ithaca Hours - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/Ithaca_Hours


◇ WIR Bank - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/WIR_Bank


◇ Qプロジェクトサイト - 地域通貨Qに関心を持つみなさんのオープンコミュニティです

http://www.q-project.org/

Qのサイトはまだあるようです。

Sigmar Polke "Alibis" 1963-2010 at the MUSEUM of MODERN ART - YouTube

(Part I)http://youtu.be/F_jEzpQJygw

(Part II)http://youtu.be/8F8Q0U00tGA


◇ Alibis: Sigmar Polke 1963-2010 - MoMA

http://www.moma.org/visit/calendar/exhibitions/1407

http://press.moma.org/2013/07/alibis-sigmar-polke-1963-2010/

Malarstwo Rysunek Obiekt | Bartosz Kokosiński

http://www.bartoszkokosinski.com/

Phaidon Atlas | Architecture for Architects

http://phaidonatlas.com/

「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」展 - 現代美術用語辞典ver.2.0

「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」展

“The Family of Man”

1955年にニューヨーク近代美術館の開館25周年を記念して、写真部門のディレクターであったエドワード・スタイケンが企画した展覧会。結婚、誕生、遊び、家族、死、戦争という人類に普遍的に共有される営みをテーマとして、68カ国、273人の写真から構成されたこの展覧会は、第二次世界大戦を経た世界へ向けて「全世界を通じて人間は本質的に単一である」というメッセージを表明するものであった。建築家のポール・ルドルフらの協力を得て、ニューヨーク近代美術館に大小503枚の写真パネルと文章を立体的に組み合わせた壮大なインスタレーションが実現、62年まで38カ国を巡回し、900万人という記録的観客動員を達成した。人類をひとつの家族に見立て、人種や階級を超えた融和を謳うこの20世紀最大の写真展が、形式においても内容においても戦中のプロパガンダを踏襲しており、冷戦体制下で経済的繁栄を謳歌するアメリカ民主主義ヒューマニズムをアピールする文化戦略であったという指摘もある。56年には日本橋高島屋へも巡回、昭和天皇(とアメリカ大使)が会場を訪れた際に被爆直後の長崎の写真(山端庸介撮影)が主催者によってカーテンで覆われたことから物議を呼んだ。出品作品はスタイケンの母国であるルクセンブルク公国へ寄贈され、ユネスコの「世界記録遺産」として永久展示されている。

著者: 小原真史

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8C%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%EF%BC%88%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%B6%E6%97%8F%EF%BC%89%E3%80%8D%E5%B1%95


◇ Clervaux_family_of_man.jpeg (1600×1044)

http://4.bp.blogspot.com/-as4h7bFWpIM/T5Tu1JcWeVI/AAAAAAAADEI/9gICSLQMS74/s1600/Clervaux_family_of_man.jpeg


デモクラシーの写真、写真のデモクラシー : 〈here is new york〉展と〈The Family of Man〉展を中心に (アメリカン・セルフ・イメージ) - JAIRO

デモクラシーの写真、写真のデモクラシー : 〈here is new york〉展と〈The Family of Man〉展を中心に (アメリカン・セルフ・イメージ)

Photographs of Democracy, Democracy of Photographs : Focusing on here is new york Exhibition and The Family of Man Exhibition (American Self Image)

日高 優 , ヒダカ ユウ , Yu Hidaka

立教アメリカンスタディーズ = Rikkyo American Studies

26pp.59 - 74 , 2004-03

NII書誌ID(NCID):AA11414871

http://jairo.nii.ac.jp/0243/00003453

http://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/IAS/ras/26/hidaka.pdf


◇ 展示の力 : 「勝利への道」展とヘルベルト・バイヤーの展示デザインを巡って - CiNii 論文

展示の力 : 「勝利への道」展とヘルベルト・バイヤーの展示デザインを巡って

The Power of Display : "Road to Victory" and the Display Design of Herbert Bayer

小林 美香

KOBAYASHI Mika

http://ci.nii.ac.jp/naid/110003714542

The Road to Victory, 1942 - PhotoEphemera: Poking through the dustbin of photographic history

The Road to Victory, 1942

In 1942, Beaumont Newhall was called up to duty with the Army Air Corp, eventually to serve as an analyst of photographic aerial reconnaissance. He had been curator of the Department of Photography at the Museum of Modern Art, New York, since it's inception in 1940.

It took a bitter fight, but Ansel Adams (vice-chair of the Department) and Newhall convinced the trustees that Nancy Newhall, Beaumont's wife, was the best choice as curator in his absence. Still, they wouldn't give her but an "Acting Curator" title and paid her half what her husband had earned.

Throughout the 3 years she served as curator, Nancy Newhall had to repeatedly defend against the closing of the department. Overall budget-cutting at the museum was one problem (alleviated for the Photography Department by several donations by David McAlpin) but the other problem was that Adams' and the Newhall's curatorial vision was at odds with the times. At the time, photography was seen as a democratic medium while as their philosophy argued for differentiating between photos on aesthetic grounds. This included important members of the museum's staff and Board of Trustees who saw the presentation of photography in more populist terms. Ironically, on account of the Newhall's attempts to define photography by the same criteria as the other arts, the museum was accused of snobbery.

The most outspoken critics outside the museum were Edward Steichen and Tom Maloney. (Maloney at the time was editor of Camera Craft magazine and the U.S. Camera books.) Steichen, who had a couple of powerful allies on the board, was asked to guest curate a couple of exhibitions of war-related photography which Nancy Newhall had no say in and wasn't consulted about. Steichen's view was that photography could be used for propagandistic purposes in the service of the war effort. As he has been quoted saying: "When I first became interested in photography...my idea was to have it recognized as one of the fine arts. Today I don't give a hoot in hell about that. The mission of photography is to explain man to man and each man to himself." (Sounds like a definition of art to me.)

The first of the shows was Road to Victory: A Procession of Photographs of the Nation at War which opened May 21, 1942 and closed after October 4, 1942. What follows is the June, 1942, issue of the Museum of Modern Art's Bulletin, describing the show. Note the credit for Steichen on the cover: "Directed by..." In Ansel Adams and the American Lanscape, Jonathan Spaulding notes that "Steichen, who had done frequent work for the studios, brought the visual impact of the big screen and the dream factory's penchant for sensationalism to the once staid gallery."

The text was written by Carl Sandburg, the poet (and Steichen's brother-in-law.) The show was designed by Herbert Bayer--former Bauhaus member who had become quite successful in the U.S. as a graphic designer--and was influenced, like the leading designers of Fascist Germany and Italy, by the design idiom El Lissitzky had created for Soviet exhibits. Steichen curated the photos. "Together," says Spaulding, "Bayer and Steichen devised a show of spectacular visual impact."

I'll let Spaulding describe the scene for us. (Sandburg's text is reproduced in the Bulletin.)

http://photemera.blogspot.jp/2009/03/road-to-victory-1942.html


◇ PhotoEphemera: Poking through the dustbin of photographic history

http://photemera.blogspot.jp/

Wisconsin Death Trip Photographs - a set on Flickr

https://www.flickr.com/photos/whsimages/sets/72157602476458793/


◇ Wisconsin Death Trip - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/Wisconsin_Death_Trip

『映画とは何か』アンドレ・バザン - 現代美術用語辞典ver.2.0

フランス映画批評家アンドレ・バザンの批評集。戦中に映画批評家としての活動を開始したバザンは、1951年に映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の創刊に関わり、58年に亡くなるまで同誌を率いた。ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家の「精神的父親」として知られる。本書には、15年の批評活動のなかで書かれた2,600に及ぶ記事のうち、加筆修正を経た64本が収められている(現在フランス語で入手可能な選集版はうち27本のみ)。その映画論は、映画の基盤である写真についての考察を出発点とする。バザンは「写真映像の存在論」(1945)で、写真の独自性は、人間の介入なしに自動的に生み出されることから来る「本質的な客観性」にあると主張(この論文は写真のインデックス性をめぐる議論でもしばしば取り上げられる)。映画はそうした写真の客観性を時間のなかで完成させたものであって、映画の美学は現実を明らかにするリアリズムであるべきだとした。それゆえバザンは、現実に意味を押しつけるモンタージュよりも、現実のもつ「曖昧さ」を尊重するワンシーン=ワンショットディープフォーカスにもとづくスタイルを評価した(O・ウェルズ、J・ルノワール)。R・ロッセリーニらによるイタリアのネオレアリズモの運動は、バザンにとって、そうした「現実の美学」を体現するものであった。こうして映画独自の美学を規定する一方で、バザンは偏狭な映画至上主義に陥ることなく、映画と他の諸芸術(文学、演劇、絵画)との「美学的共生」についても積極的に論じ、映画の「不純さ」を擁護した。『ピカソ 天才の秘密』などを論じた美術映画論は美術の文脈からも興味深いものであろう。70年代にはイデオロギー批判の標的となることもあったが、バザンの映画論はたえず映画作家、映画批評家を刺激し続け、没後50年を経たいまもなおその輝きを失っていない。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%80%8F%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%B3


◇ 『映画における意味作用に関する試論 映画記号学の基本問題』クリスチャン・メッツ - 現代美術用語辞典ver.2.0

『映画における意味作用に関する試論 映画記号学の基本問題』クリスチャン・メッツ

Essai sur la signification au cinéma(仏), Christian Metz

フランスの映画理論家クリスチャン・メッツの初期の代表的著作。1964年から68年に書かれた論文を収める。それらはR・バルトの試みを引き継ぎ、映画に構造言語学の概念を導入することで「映画記号学」を創始しようとするものであった。メッツ以前にも映画を言語活動とみなそうとする試みは存在していたが、その多くは映画を「言語(ラング)」と同一視して、映像を語に、その連なりを文に対応させようとする類いのものであった。これに対してメッツは64年の「映画 言語か言語活動か」で、映画は音素にも語にも分節できず「二重分節」を欠いているのであって、厳密な意味での「言語」ではなく、「言語なき言語活動(ラングなきランガージュ)」であるというテーゼを提出した。映像はそれ自体がすでにひとつないし複数の文なのであって、それらが集まってより大きな集合体が構成される。こうして映画の記号学は、映像の形態論ではなく連辞論を探求することになる。それは映像の配列を八つのカテゴリーに分類した、名高い「大連辞関係」へと結実し、ジャック・ロジェの『アデュー・フィリピーヌ』(1962)の分析に適用されている。こうした試みは『言語活動と映画』(1971)や『映画記号学の諸問題』(1972)へと引き継がれる。その後メッツは映画の精神分析や映画における言表行為の問題にも取り組んだ。G・ドゥルーズらによって批判されることもあったが、メッツの著作はフランス本国のみならず世界の映画研究に大きな影響を与え、その基礎となっている。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%84%8F%E5%91%B3%E4%BD%9C%E7%94%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A9%A6%E8%AB%96%E3%80%80%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%A8%98%E5%8F%B7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%8F%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%84


◇ 『シネマ』ジル・ドゥルーズ - 現代美術用語辞典ver.2.0

『シネマ』ジル・ドゥルーズ

Cinéma(仏), Gilles Deleuze

1983年と85年に出版された、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズによる二巻からなる映画論。ドゥルーズは、H・ベルクソンの『物質と記憶』やCh・S・パースの記号論を主な参照項とすることによって、Ch・メッツに代表されるような映画を言語や言語活動との類比においてとらえる言語学的な映画論から距離を取って、映画の独自性にもとづく「イメージと記号の分類」を試みた。映画のイメージはまず、不動の切断面の連続としてではなく、「持続の動的な切断面」すなわち「運動イメージ」としてとらえ直される。この運動イメージそのものは中心なき宇宙をなしているが、脳や身体という「不確定の中心」と結びつくことで、「知覚イメージ」、「感情イメージ」、「行動イメージ」という三つの主要な変種へと区別され、それらのイメージは行動と反応からなる「感覚運動図式」によって連鎖されることになる。しかし、ネオレアリズモやヌーヴェル・ヴァーグなどの戦後の現代映画とともに、そうした感覚運動図式では処理できない、異常な事態や凡庸な日常が現われ(「純粋に光学的・聴覚的な状況」)、人物たちは行動する者から「見る者」へと変貌する。こうして感覚運動的な延長を中断されたイメージは、過去の潜在的イメージと関係を結び、両者が識別不可能になる点において「結晶イメージ」を構成する。時間はもはや運動を介して間接的に提示されるのでなく、それ自体を直接的に提示するに至るのである。時間イメージはまた、世界の耐えがたさを前にした思考の不可能性から出発して、この世界への信頼を取り戻そうとする試みであるとされた。こうしてドゥルーズの議論は思考、身体、脳、政治の問題へと広がってゆく。それゆえ本書は映画論であるのみならず、後期ドゥルーズの哲学的主著でもある。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%80%8F%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA


◇ スタンリー・カヴェル『眼に映る世界 映画の存在論についての考察』 - 現代美術用語辞典ver.2.0

スタンリー・カヴェル『眼に映る世界 映画の存在論についての考察』

The World Viewed: Reflections on the Ontology of Film, Stanley Cavell

1971年に出版された、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルによる映画論。79年に新たな序文と補遺を付した増補版が出版された。ジル・ドゥルーズの『シネマ』と双璧をなす、哲学者による映画論の古典。カヴェルは、アンドレ・バザンやエルヴィン・パノフスキーから映画のメディウムは写真的なものであるという考えを引き継ぎつつ、そこにスクリーンへの投影という契機を付け加えた。映画では、作り手の介入なしに世界が自動的に複製され(第一の自動性)、そうして複製された世界がスクリーン上で観客の関与なしにみずからを展示してゆく(第二の自動性)。映画メディウムの物質的基盤はすなわち「自動的な世界の投影の連続」なのである。しかしカヴェルの議論は、メディウムの物質的基盤とその美学的可能性とを短絡させる物質還元主義的なメディウム論とは一線を画するものであった。メディウムの可能性は、物質的基盤によってアプリオリに規定されるものではなく(絵の具や写真について考えるだけではそれらの可能性を知ることはできない)、個々の芸術的発見(形式やジャンル、類型、テクニックなど)によって初めてその意義を与えられるのであって、芸術そのものだけがその芸術の可能性を見出し、新たなメディウムを発見することができる。メディウムとはそうしたジャンルや類型など、その芸術の慣習や伝統までをも含み込んだものであった。カヴェルはそうした慣習をも「自動性」と呼んだので、「自動性」の語は写真の自動的複製、世界の自律性、自動化された慣習など複数の意味を担わされることとなった。カヴェルはまた、映画が半世紀以上にわたって大衆的な伝統芸術にとどまってきたことを強調しつつも、いまやモダニズムへの移行期にあるとし、現代の芸術の使命は新たなメディウム、新たな自動性をつくりだすことだと規定した。カヴェルはその後、『幸福の追求』(1981年)や『涙への抗議』(1996年)において独自のジャンル論を展開してゆくことになる。こうした物質に還元されない慣習までを含んだカヴェルのメディウム観は、グリーンバーグ的なメディウム・スペシフィシティの議論を越える射程を秘めており、ロザリンド・E・クラウスなどのポスト・メディウム論の文脈においても取り上げられている。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%8E%E7%9C%BC%E3%81%AB%E6%98%A0%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%80%80%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%AB%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%80%8F

バザン「写真画像の存在論」を一言で言えば - Amehare's quotes

バザンの写真論的な意義は、基本的には「写真画像の存在論」に集約されていると言えるだろう。この短い論考は、写真のメディウム的な特性と写真の受容経験との密接な関係を論じるものであり、その意味で写真の根本的な問題を扱うものである。この論考は実際、直接的・間接的に、現代の多くの写真論の基礎となってきた。バザンの主張を一言で言えば、写真は人間の創造的干渉がない画像であり、その人間的なものを一切含まない機械的な再現画像であることに、またその機械的な形成過程を経ることで生じる客観性に、写真画像固有のリアリズムがある、ということになるだろう。

『青弓社「写真空間」No.3 第三章 「アンドレ・バザンからケンドール・ウォルトンへ 写真的リアリズムの系譜」内野博子』

http://amehare-quotes.blogspot.jp/2010/02/blog-post.html


◇ 映画映像の偶然的立ち現われ エリック・ロメール監督『モンソーのパン屋の女の子』における人と世界の関係を基に 小河原あや

http://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/213/213-06.pdf


◇ 映像のオントロギー(全40回) by 長谷正人 [4]聖遺物 - Internet Photo Magazine Japan

http://www.ipm.jp/ipmj/eizou/eizou18.html

映画にとって現実とは何か : バザンによるロッセリーニ(映画を信じた男−アンドレ・バサン論II) 歓 野崎, カン ノザキ, Kan Nozaki - ResearchGate

http://www.researchgate.net/publication/30781397___II


「映画史」をめぐって(野崎歓) - フランス映画社

http://www.bowjapan.com/histoire/introduction/review.html

ニューメディア時代の映画 | 堀潤之 ‹ Issue No.36 - 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース

http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1176/


◇ 堀潤之 ‹ PEOPLE - 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース

http://db.10plus1.jp/publish/identity/v/%E5%A0%80%E6%BD%A4%E4%B9%8B


◇ 『映画史』─映画的イマージュと歴史の痕跡 - HORI Junji's Site: Home

http://www003.upp.so-net.ne.jp/jhori/godard/histoire3.html

コラージュの長所と限界について ポール・アーサー - YIDFF: 刊行物: DocBox: #11 - YIDFF Official Site

すべては素材、私たちが手にする素材というものの謎のなかにある

―エスフィリ・シューブ(1927年)


映画(シネマ)が写真を後ろ楯にして、「西洋の絵画が写実への執念を決定的にぬぐい去り、その美学的な自立性を回復することを可能にした」 1 という考えを擁護した人物は、アンドレ・バザン以前にも存在したが、彼ほど強い影響力を及ぼした人間はいなかっただろう。バザンが映画(フィルム)の自立的な特質と見たものと、同時代人のクレメント・グリーンバーグが近代絵画における規範と定義したものとは、明らかに別 物である。1945年に独自の存在論を主張したバザンが、絵画と写真の境界がほとんどなくなってしまった現在の世界のアートシーンを見たらどう思うか、興味深いところだ。また、連続した時間を何物にもじゃまされることなく明瞭に記録するという映画の特性を、リアリズムの基本として持ち上げたことで有名になったバザンなら、ポスト60年代のノンフィクション映画においてパターン的に使われているファウンド・フッテージコラージュをどのように評価するだろうか。もちろんバザンにしても、1912年にキュビズムの絵画が外部の素材を取り入れ、さまざまなスタイルコラージュを生み出したことが、絵画の表層における美学上の「自立性」や、根本的な構成原理となる部分と全体をつなぐ関係性に対するきっぱりとした異議申し立てであったことは心得ていた。ソヴィエトモンタージュ効果 をはじめ、編集における分析的な手法一般に対するバザンの攻撃は、論文「禁じられたモンタージュ 『白い馬』『赤い風船』『特異な妖精』」 訳注1 などで詳しく展開されているが、これはコラージュを映画上の言説に分裂をもたらす「権威主義的な」モードとして拒否するための筋書きを示しているかのようだ。 2 しかし現時点から見た場合、バザンのアプローチは、歴史的な遺産としてのファウンド・フッテージや、現実を表象する上で重要となる素材自体の価値について理解するうえでは、あまり役に立たないのである。

http://www.yidff.jp/docbox/11/box11-1.html

Parkett Vol. 50/51

Photography as Tautegory

Author: Kiyoshi Okutsu

Artist: Thomas Struth

Section: Collaboration

http://www.parkettart.com/books/50n51-volume.html


◇ 『イメージの解釈学の成立』のための序説-1- - 奥津聖のホームページ

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~okutsu/Okutsu/writings/Hermeneutics%20of%20Images.html


◎ 奥津聖のホームページ

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~okutsu/Okutsu/WebMuseum.html


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◇ 父の10ケ条 - 奥津聖のホームページ

宮本常一『民俗学の旅』講談社学術文庫1104から(p.36-38)

小学校卒業後、1年間村で百姓をした後、常一の父は「世の中へ素手で出ていくには身体がもと手であるから、どんな苦労にも堪えられるようにしておかねばならぬが、一年間百姓させてみてもう大丈夫だと思う。何をさせてみても一人前のことはできるだろう」と言ってかれを大阪に行かせる(大正十二年四月)。

その出発の折に、父が常一に与えた 父の10ケ条。

(1)汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

(2)村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない

(3)金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

(4)時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

(5)金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

(6)私はおまえを思うように勉強させてやるごとができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。

(7)ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。

(8)これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

(9)自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

(10) 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~okutsu/Okutsu/funoke_tiao.html

エルンストカッシーラー - Wikipedia

シンボル形式の理論

イギリス滞在期に、ロンドン・ヴァールブルク研究所のザクスルらと交流し、シンボル研究をはじめ、研究の集大成『シンボル形式の哲学』(全四巻)を著した。また一般的な概観書で著した『人間』において、人文、社会科学を横断して独自の哲学的人間学を構築した。

カッシーラーは“シンボリック・アニマル(象徴を操る動物)”として人間をとらえ、動物が本能や直接的な感覚認識や知覚によって世界を受け取るのに対して人間は意味を持つシンボル体系を作り、世界に関わっていく。シンボル体系は、リアリティ(実在性)の知覚を構造づけまた形を与え、またそれゆえに、例えば世界に実在しないユートピアを構想することもできるし、共有された文化形式を変えて行くことができる、とみなした。こうした理論基盤には、カント哲学の超越論的観念論がある。カントは現実の世界(actual world)を人間は完全に認識することはできないが、人間が世界や現実を認識するその仕方(形式)を変えることはできるとした。カッシーラーは人間の世界を、思考のシンボル形式によって構築されていると考えた。ここでいう思考には、言語、学問、科学、芸術における思考のみならず、一般の社会におけるコミュニケーションや個人的な考えや発見、表現などを含めた意味あいがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

Hito Steyerl: In Defense of the Poor Image | #10 November 2009 | e-flux

http://www.e-flux.com/journal/in-defense-of-the-poor-image/

http://www.e-flux.com/issues/10-november-2009/

ヒト・スタヤルの論考。

ギャスタウン - Wikipedia

カナダ > ブリティッシュコロンビア州 > バンクーバー

ギャスタウン(英語:Gastown)は、ブリティッシュコロンビア州バンクーバーにある「バンクーバー発祥の地」とも呼ばれる地区であり、ダウンタウンの北東部でバラード入り江に面した位置にある。ガスタウンとも表記される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3


ブリティッシュコロンビア州経済における政府の成長 - あいゆうの日記

社会信用党の選挙では、ブリティッシュコロンビア州は、急速な経済発展の段階に着手した。ベネットと彼の党は、次の20年間、その間、政府は、エネルギー分野のインフラ開発の野心的なプログラムを、林業、鉱業の持続的な経済ブームが煽ら開始地域を支配した。これら2つの数十年の間に、政府がブリティッシュコロンビア州電気とブリティッシュコロンビア州電力会社だけでなく、小規模電力会社は、エンティティBCハイドロの名前を変更国有。 1960年代末、いくつかの主要なダムで開始されていたまたは-の間で、他-平和、コロンビア、ネチャコ川流域を完了した。主な伝送取引は、特にカナダと米国の間のコロンビア川条約を締結した。州の経済はまた、森林セクターにおける前例のない成長だけでなく、石油や州の北東部のガス開発後押しされた。 1950年代と1960は、州の交通インフラの開発でマークした。 1960年、政府はクラウン法人として、注文地方道路システムの海洋の拡張子を提供するためにBCフェリーを設立した。システムが改善され、新しい道路や橋の建設を拡大し、既存の高速道路や地方道路の舗装。バンクーバービクトリア、詩人、作家、芸術家、音楽家として文化の中心地だけでなく、ダンサー、俳優となり、高級料理のシェフ、美しい景色と気温に群がった。同様に、これらの都市のいずれか集めている、または自分の注目に値する学者、コメンテーターに上昇を与え、創造的な思想家。観光にも経済において重要な役割を果たすようになった。日本や他の太平洋経済の台頭は、ブリティッシュコロンビア州の経済に大きな後押しされた。政治的、社会的、1960年代は、重要な社会的混乱の時代をもたらした。政治左と右、州の大恐慌以来、労働運動の台頭勝っていた間格差、いわゆる自由企業パーティー事実上の連立で表される合体としてシャープ社会信用-に反対して社会民主主義新民主党、コーオペレーティブ連邦連邦の後継。州の経済は花開いたようなので、労使間の緊張をした。緊張が、また、1960年代後半のうちバンクーバー、ナナは、センターカウンターの動きから、浮上した。ヒッピーバンクーバー市長トムキャンベルの対立は、特に伝説的な、いわゆるギャスタウン暴動1971年に最高潮に達するした。 10年の最後に、社会的緊張と現状上昇して不満では、ベネット政府の成果は、その成長不人気を食い止めることができなかった。

http://aiyu777.blogspot.jp/2010/01/blog-post_23.html

おそらく自動翻訳かと思われますが一応。


バンクーバーの治安 [バンクーバー] - All About

http://allabout.co.jp/gm/gc/378494/


バンクーバーの危険 - バンクーバーの暮らし方

http://www.vankura.com/life_van/crisis.html


◇ 【0629】トロントバンクーバーの治安はどうでしょうか?

http://www.canada-travel.jp/qa/qa0629.html


イメージと違う!?知られざるカナダ・バンクーバーの闇 - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2137428573119565701


◇ [ バンクーバーの歩き方 ] GoToVan - カナダ バンクーバーの情報サイト

http://gotovan.com/manual/view.php?id=15


バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州) - Wikipedia

バンクーバーを中心とする都市圏人口は210万人とカナダ国内第3位の都市圏を形成している[4]。バンクーバー市のみの人口では同国内で第8位の約64万人[5]である。民族や言語が多様で、人口のおよそ52%は第一言語が同州の公用語にあたる英語ではない[6]。

1867年に製材所ができ、これらを中心とする入植地であったギャスタウンは発展を続け、グランビルとして町は拡大した。東カナダから続く鉄道の終着駅が町まで敷かれることになった1886年に町はバンクーバーとして改名され市政となる。

林業が同市最大の産業で、都市部ながら自然に囲まれた都市として知られていることから、観光業が発達しており、同市第2の産業となっている[7]。同市にあるメトロバンクーバー港は同国最大の港であり、北米においても積載量で第4位の規模を持つ[8]。同市および隣のバーナビー市には、主要な各映画製作会社が拠点を置いており、ロサンゼルスニューヨークに続く北米第3位の規模となる映画製作拠点となっている。このため、通称ハリウッドノースとも呼ばれる[9][10]。国際会議や国際競技が数多く開催されており、2010年には第21回冬季オリンピックバンクーバーオリンピック)が開催された。

http://j.mp/Qp53cP


◇ ノースバンクーバー (ブリティッシュコロンビア州) - Wikipedia

ノースバンクーバー市(英: City of North Vancouver)は、カナダ、ブリティッシュコロンビア州バラード入江北岸に位置する都市。バンクーバーの対岸にあり、一般にバンクーバーの郊外として知られる。また、地方行政区ではメトロバンクーバーに属し、バンクーバー大都市圏の一部を形成している。

地理

南はバラード入江を挟んでバンクーバーがあり、東西と北はノースバンクーバー地区に囲まれている。ロンズデール周辺には高層住宅街があり、市内の人口が集中している。

ノースバンクーバー地区やウェストバンクーバー地区と多くの共通点があり、3つの都市を合わせて1つのエリア(北岸地域)と見なすこともある。ノースバンクーバー地区とノースバンクーバー市は行政サービスに違いが見られるが、一般に区別せず総称して「ノースバンクーバー」と呼ぶことが多い。


歴史

バラード入江沿岸では最も早い入植が見られた場所で、19世紀後半、北岸地域全体を含む都市「ノースバンクーバー」が組織されていった。しかし、1890年代、ノースバンクーバーは財政破綻に合い、1907年、法的に破産する。この結果、都市はウェストバンクーバー地区とノースバンクーバー地区に分割され、ノースバンクーバー市はわずかなエリアだけを残し、現在の姿となる。


交通

対岸のバンクーバーとはライオンズゲートブリッジ、アイアンワーカーズメモリアル・セカンドナローズクロッシングの2つの道路橋で結ばれている。また、トランスリンクが運航しているシーバスと呼ばれるフェリーによっても行き来できる。市バスはこのトランスリンクとコーストマウンテンバスによって運営されており、そのハブ・ターミナルシーバスの北側ターミナルでもあるロンズデール・キーにある。

http://j.mp/Qp51BJ

ヴィンフリート・メニングハウス『敷居学―ベンヤミンの神話のパサージュ』(訳:伊藤秀一 現代思潮新社)

http://www.amazon.co.jp/dp/4329004143

序文/七つの対照規定/神話の空間、敷居学/神話と言語(象徴、アレゴリー)/神話、美、芸術、批評/社会と芸術における神話と自由の双極性――悲劇、メルヒェン、ゲーテの『親和力』/神話的なものの時間形式、永劫回帰/神話概念の置き換えとその意味論の限界/訳者あとがき

記憶、神話、歴史、そしてパサージュ

パサージュ論』のみならずベンヤミンの全著作の底流にある「敷居経験」とは何か? 敷居意識を先鋭化させることによって見えてくる神話的なものと、美、自由、歴史との関係は?

http://www.gendaishicho.co.jp/book/b285.html


◇ 第六〇回 - 哲学/倫理学セミナー

【第一部構想発表】

「どうすれば自分自身でいられるのか――タウテゴリーについて」

                        三河 隆之


 ほんとうに自分自身でいることは容易なことではない。これは

資本主義と欲望の網状空間にのみ特異なことではなく、自分という

境位からもはや決して脱却しえない人間の本来的アポリアですら

あるように思われる。とはいえ、実践的課題に対峙する以上、

主体のSにスラッシュを引いて事足れりとすることもまた難しい。

悟りがしばしば特権的な遠い境地であるのは、抗いがたい現実である。

 本発表は、このような困難に対峙する手がかりとなるかもしれ

ないものを垣間見る試みである。それを示す言葉のひとつが

「タウテゴリーTautegorie」である。後期のシェリングが若干の

箇所で用いたこの語は、後にカッシーラーが『シンボル形式の哲学』

第二巻で注目することになるが、当然ながら同時代のベンヤミン

想起されるところである。また、ジャンケレヴィッチもこの語を

独自に受容しさかんに用いている。主として神話論の文脈から引き

出されてきたと見られているこの概念は、いったいいかなる射程を

持っているのか。原テクストをやや慎重に見定める作業を通じて

考えてみたい。

http://peseminar.web.fc2.com/60.html


アレゴリー - pratiques théoriques

http://pratiquestheoriques.blogspot.jp/2012/03/blog-post_7524.html


プラトンのミュートス - Strings Of Life

http://strings-of-life.seesaa.net/article/37875590.html

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070330#p3

■「それは=かつて=あった」関連メモ

◇ 2007-03-21 - 計測日記

http://d.hatena.ne.jp/Sancho/20070321

◇ 2007-03-25 - http://d.hatena.ne.jp/hateno/

http://d.hatena.ne.jp/hateno/20070325


◇ 4_ フィールド/ノート(複製技術時代の人間-1) 上野修

http://www.pg-web.net/off_the_gallery/contemporary/4.html

◇ [塗り替えられた、世界・写真・自己の関係:鈴木清『デュラスの領土』/日本カメラ1998年5月号:133] 上野修

http://park7.wakwak.com/~ueno/arch/98/nc9805suzuki.html

◇ 色彩の再発見と色彩論の再構築序説−電子メディア時代の色彩におけるアウラ喪失とその復権− 山本龍彦

http://library.kwansei.ac.jp/profile/jc03_03.html

◇[8]まなざしなき視覚とヴァーチャル・リアリティ 長谷正人

http://www.ipm.jp/ipmj/eizou/eizou22.html

◇ 井桁研究室:卒業論文(1999年度) 黒石ともみ

http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/tk/05.html

◇『映像という神秘と快楽――〈世界〉と触れ合うためのレッスン』そして/あるいは長谷正人論 藤井仁子

http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN5/fujii.html

アンドレ・マルローとヴァルター・ベンヤミン関連

◇ 共同討議「本はどこで生まれるか」第ニ回 - 大西廣研究室

 複製技術を問題とするのに、ヴァルター・ベンヤミンを避けては通れない。しかしそのベンヤミンを、思想的には彼の敵対者だともいえる、アンドレ・マルローと比べてみようといえば驚かれるであろうか。複製技術のなかに、この二人がどういう可能性を見いだしていたか。考えてみたいのはその点である。

 ときに誤って受け取られてきたように、ベンヤミンは複製技術を否定したのではない。際どくもそこに胚胎する新たな可能性を探ろうとしたのだ。その彼が注目したのは映画であった。伝統的な美術の世界とは無縁な、この新興の大衆文化の持つダイナミズムが彼を引きつけていた。

 マルローはどうか。ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』を書いた一九三六年のちょうど一年まえだが、マルローはベンヤミンとは逆のある考えに達していた。伝統的な美術のむしろ積極的な理解のためにこそ、複製技術から新しい可能性が引き出せるのではないか。一九三五年の未発表原稿に最初の発想が認められる、彼のいわゆる「空想の美術館」論がそれだ。

 二〇世紀が振り返って見渡せる過去になったいま、興味深いのは、二人の眼差しがまさにこの世紀の最大の二つのメディアに向けられていたことではないだろうか。ベンヤミンのは映画芸術に、そしてマルローのは出版文化へと向けられていた。

 空想の美術館とは本のなかの美術館である。つまりまさに実物からだけでは得られない、「美術」という名の人類の共同幻想を、マルローは壁のない美術館、本の上の複製写真による美術館として可視化しようとしたのであった。彼のこの発想は、後に一九六〇年代において、その名も『フォルムの宇宙(L'Univers des Formes)』(日本版では『人類の美術』)と呼ぶ途方もない大美術全集になって結実する。それを見れば分かるが、根底には複製技術と出版文化の可能性に対する二つの着眼があった。

 一つは、後のスーザン・ソンタグの言葉を借りるなら、「写真のヒロイズム」とでもいうべきもの。――つまり、世界のどこへでも果敢に出かけていって、人類のイメージ文化のあらゆる遺産を参照可能なものにしてくれる力である。

 もう一つは、本のページのなかでの「ジャクスタポジション(juxtaposition、並置)」の仕掛け。――つまり、見開きの左右にページが分かれているという、書物ならではの物質的条件をフルに活用して、時空を越えた思いもかけない二つの作品を、比較を通して(ときには拡大写真によって)ドラマティックに映し出してみせようというところにポイントがあった。

「写真のヒロイズム」のもたらす自在さ、豊かさと、「ジャクスタポジション」による発見の驚き、これこそはまさに、オリジナルを閑却してまでも、私たちが「美術」という共同幻想のなかで享受しているものといえるのではないだろうか。ディレンマの核心がここにある。

 マルローのこの発想はどこから来たのか。その淵源が出版文化の歴史にあるというのが、ここで私が検討してみようと思っている一番の問題なのだが、しかしそれをいうまえに、ベンヤミンとマルローの微妙な接点に触れておく必要がある。映画と出版というジャンルの差はともかく、同じ時代にあって二人が共有していたもの、――あえていうなら、それは、一方が人間活動の断片記録でしかない映画フィルムの、そして他方は既成の美術作品の模造でしかない複製写真の、そのそれぞれを何物かに変容せしめる「編集機能」にあったといえるのではないだろうか。

 オリジナルの持つ力、そしてそれに対する社会的な信仰心のようなもの、それがつまりベンヤミンのいう「アウラ」である。複製技術における「アウラの喪失」ということばかりが、ロマンティックにあるいはペシミスティックに語られた、かつての誤ったベンヤミン理解についてはいまは問わない。「アウラ」をむしろ大胆に打ち壊し、加工する仕組みとしての、複製技術のもとでのみ発生しえた新たな力――ベンヤミン流にいうなら、どう転んでも後戻りはありえない、これまた二〇世紀こそが産み出したその「アクチュアルな」働きを、いまは単純化の謗りを恐れずに、あえて「編集機能」と呼んでおくことにする。


 歴史上、その「編集機能」の発想へと、マルローを突き動かしていたものとは何だったのだろうか。さきの「写真のヒロイズム」という言葉をもじっていうならば、マルローの時代へと迫り上がってくる、そのような、美術の歴史のなかでの大きな一つの衝動を、「カタログ化のヒロイズム」とでも呼んで捉えなおすことができるかもしれない。一九世紀以来、美術館別であれ、個人作家別であれ、ほとんど無数にといっていいほどに作成、刊行されたあのカタログである。

 いや、ことは、美術にかぎった話ではない。またヨーロッパにかぎらず、一九世紀だけの問題でもない。世界史上、ポスト中世のあらゆる局面を通して進行しつつあった、ある事態にそれは深く関わる。マルローへといたる決定的な流れとしては、むろん、一九世紀ヨーロッパの産業化社会の渦が最終的な結び目になることはいうまでもない。しかし、より普遍的な観点からいって、およそ出版文化の起こったところ、つねにかならず、「カタログ化」といまも呼んだこの種の衝動が、社会の根底にうごめいているのが見られるのは重要ではないだろうか。

 美術の歴史というよりも、「モノ」の歴史とでもいうべきだが、いったいに過去の遺産というか遺物を、何らかの絵画的イメージに表わして参照に供するといったことが、いくらかでも組織的になされるようになるのが、版画という初期的な複製メディアの出現以後であることは一般に認められているところであろう。

 その体系化がさらに加速度を増すのが、西洋では一六世紀後半、中国で一五世から一六世紀、日本では一七世紀後半あたりといってよかろうが、その背景にはいうまでもなく出版文化の興隆があった。じつにそれ以後の全過程を、「カタログ化」の時代とでも名づけて、新たな考察の対象ともなすべきだと思うのだが、管見のかぎりではまだそのような研究がなされた形跡はない。

http://www.musashi.jp/~onishi/honko2.html


フォーカス 04年5月 ネット上の美術館 四方幸子 - 美術館・アート情報 artscape

 しかし、空間を超えた情報による美術や美術館は、じつはインターネット以前にも存在していた。複製技術によってである。たとえば写真は一種のテレプレゼンスメディアであり、本人が実際に行かなくてもその場所を見ることができるだけでなく、世界のあらゆる空間を二次元的なイメージの断片としてだれもが任意に選び、「所有」することを可能にする。個人的なデータベースとして任意に組み合わされることで、つねに新たな意味の生成へと開かれている。アンドレ・マルローが1947年に提唱した「空想美術館」という概念は、美術作品だけでなく、世界のあらゆる事物を写真としてキャプチャーし等価に並べることにより、それまでの美術館というシステム、空間的な枠組みを破壊しその境界を問うものといえる。

 ではネット上における美術や美術館のあり方とは何なのだろうか? ネット上においては、情報は特定のモノとしての支持体に搭載されることなく流通する。それらデータは、すでにコピーとして各自の端末に届けられる。そのような「流出」(F.キットラー)的な特性に加えて重要なのが、リンク機能である。そこではネットワーク上にあるデータが潜在的なリソースと見なされ、リンクされることによって、膨大なデータへのリファレンスが可能となるだけでなく、だれもがリンクを行なうことによって、個人的な「美術館」「美術展」が可能になる。「空想美術館」は、いまやモノとしての映像の所有にとどまらず、さまざまな情報へのリンクという連結可能性へと拡張されたものといえるだろう。

http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/0405_02.html


データベースとしての美術館――ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」の射程 暮沢剛巳

http://10plus1.jp/hen_muse/text_5.html

松本健太郎『ロラン・バルトにとって写真とは何か』(ナカニシヤ出版

http://www.amazon.co.jp/dp/4779506832


◇ 著書紹介 - 二松学舎大学

ロラン・バルトにとって写真とは何か』

著者:松本 健太郎(二松学舎大学文学部)

出版社:ナカニシヤ出版

A5版 162頁 3800円+税

ISBN:978-4-7795-0683-3

発売日:2014年1月発行

 ロラン・バルトは20世紀後半のフランスを代表する記号学者として名を馳せた人物です。彼は文学作品のみならず、絵画・映画・ファッション等さまざまな作品を分析しましたが、なかでも写真をとくに重要な題材として意識していたようです。バルトは1980年に他界する直前、美しい文体でつづられた『明るい部屋』という写真論を執筆しています。今回上梓した拙著、『ロラン・バルトにとって写真とは何か』では、その晩年の写真論の意義を複数の視点から明らかにしようとしています。

 写真をひとつの表現形式として、あるいは、ひとつのメディウムとして捉えたときに、どのような特徴をそなえていると考えることができるでしょうか。まず写真による表現は、言語による表現とは明らかに異なります。たとえばレーモン・クノーが『文体練習』と題された著作のなかで試みたように、言語の場合ひとつの状況を99通りの文体で書き分けることだってできます。しかしこれとは対照的に、写真の場合には、その表現はそれが撮影された状況と分かちがたく結びついています。バルトは写真の本質を「それは=かつて=あった」という言辞でもって要約しましたが、写真に表象された被写体の姿とは、撮影の瞬間、カメラのレンズの前に実在したものでなくてはならないのです(つまり、その映像とは被写体の「過去の現実」の客観的な証明だといえるわけです)。そしてそのような観点から、バルトは「写真はそれを包んでいる透明な軽い外皮にすぎない」と語りました。たしかにわれわれは写真を眺めるとき、写真そのもの(の透明な被膜)をみるというよりは、写真にうつりこんだ人物や事物のカタチをみているのです。

 そのような写真観は、じつはバルトが『明るい部屋』を執筆した段階でとくに目新しいというわけではありませんでした(例えばアンドレ・バザンが1945年の論文「写真映像の存在論」のなかで提示している写真観は、バルトのそれと多くの認識を共有しながらも、それ以前に著されたものとして重要です)。では、この写真論の意義はどこにあるといえるのでしょうか。私見では、それはバルトによる写真というメディウムに関する思惟そのものにあるのではなく、そのメディウムに仮託して演出されたバルト思想の最終到達点にあると考えられるのです。

 『明るい部屋』という謎めいた著作は、写真のレクチュールを題材としながらも、言語活動の終極を語り、身体の情動的次元を語り、愛する人と自らの死をも語る複雑で重層的なテクストです。したがってそれを、映像論という狭隘な領野へと還元することは到底できない、と私は考えています。むしろ『明るい部屋』の意義は、バルトの思想全体に伏在する多元的な視座から内在的に分析される必要があり、拙著ではそれを4つの章――「第一章 バルトの映像論」「第二章 バルトの視覚関係論」「第三章 写真によって演出される『バルト』:その消失点への旅」「第四章 他者の眼差しへの遡行:『明るい部屋』における視覚モデル」――を経由することにより明らかにしようとしています。興味を持ってくださる方は、書店等で手にとっていただけると嬉しいです。

http://www.nishogakusha.jp/book/019.html

ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』 斎藤環(下) - たいせつな本 - BOOK - asahi.com朝日新聞社

 「読まれないために(!)」書かれたという『エクリ』に比べれば、語られた本書はずっとわかりやすい。私がもっともよく読み返すのは、「眼差(まなざ)し」について展開される、アクロバチックなまでに鮮やかな分析だ。

 ラカンはここで、昆虫などにみられる眼状斑の擬態、荘子の「胡蝶(こちょう)の夢」、ホルバインのだまし絵「使節たち」などを例にとりながら「眼と眼差しの分裂」を論じる。そこに去勢され、欠如を抱えた人間の主体を重ねようとする。

 このような知の形式は、ジジェクらによって一部受け継がれたものの、もはや主流になることはないだろう。しかしラカンが遺した言葉は、ソフトウエアとしての精神分析に、いまなお倫理的視座をもたらす。心をわかろうとするものは、まずラカンの「わからなさ」に打ちのめされておくべきなのだ。(精神科医)

http://book.asahi.com/mybook/TKY200806110186.html


◇ 建築が持つ同時不可視性の克服に向かって 86129 保田 千晶 東京大学大学院 建築学専攻 2009 年度 修士論文梗概集

http://katolab.net/theses/ma86129yasuda.pdf


メルロ=ポンティとラカン 小野康男

http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/8133/1/01ono.pdf


◇ 『クレーヴの奥方』 向き合うことと隣り合うこと : 『クレーヴの奥方』における切り返しの機能  御園生涼子 - boid.net

 しかし、視線を交えることによって、ほんとうに二人は「出会って」いると言えるのだろうか? 彼の視線の先にいるのが彼女だと確信できるだろうか。アップで切り取られた彼、もしくは彼女の顔は、その主観性が高まれば高まるほど、周囲の舞台装置からは切り離される。もはや二つのショットは、視線が作るイマジナリーラインによってしかつながれていない。しかし、これはいかにも弱々しい絆である。視線が対象を見ている、そのことによって対象を「捉えている」ということなど、不可能なのだから。ここでわたしたちは、ラカンの目と眼差しに関する有名なテーゼを思い出さなくてはならない。「最初から我われは、目と眼差しの弁証法にはいかなる一致もなく、本質的にルアーしかないということに気づいていました。愛において、私が眼差しを要求するとき本質的に満たされずつねに欠如しているもの、それは「あなたは決して私があなたを見るところに私を視ない」ということです注1。」

 眼差しには欲望が刻まれている。フロイトが『性に関する三つの論文』で示したように、そこには対象への愛、セクシュアルな欲望が含まれている。フロイトは子供の窃視症的行為を例に取りつつ、視覚快楽嗜好(スコポフォリア)がセクシュアリティ本能の一構成素を成すことを説明している。しかし、眼差しとはそもそも不均衡なものだ。私達は対象に眼差しを注ぐとき、対象からの見返しを期待する。メルロ=ポンティであればそこに、見ることによって対象を存在させ、また対象において見る主体が存在を定立するといった、知覚と存在をめぐる交叉関係を見出すだろう。しかし『精神分析の四基本概念』において、ラカンがメルロ=ポンティに言及しつつ提示するのは、これとは正反対の知覚モデルだ。すなわち眼差しの先にあるものは、対象の〈不在〉に他ならない、というテーゼである。

 「窃視症で起こっているのはどんなことでしょうか。窃視者の行為の際に主体はどこに、そして対象はどこにいるのでしょう。申し上げたとおり、見るということが問題になっているかぎり、というより欲動の水準において見るということが問題になっている限り、そこには主体はいないのです。(・・・)ここでは、視る欲動について語られるときにつきものの曖昧さがはっきりと捉えられます。眼差しこそ、あの失われた対象です。そしてこの失われた対象は、他者の導入によって、恥ずかしさによる動転という形で突然再発見されます。そこに至るまでの間、主体は何を見ようとしているのでしょうか。よくお聞きください、主体が見ようとしているのは不在としての対象です注2。」

 ここで言われている、「失われた対象としての眼差し」とは何を意味するのだろうか。ラカンのよれば、眼差しはそれ自身のなかに対象「a」を含み持っている注3。対象「a」とは、ラカンの定式において欠如の象徴を表す記号である。たとえば口唇期においてはそれは乳房となり、肛門期においては排泄の等価物となる。対象「a」は、欲望の中心にある欠如の代理作用をするが、その一方で欲望の対象が永遠に失われていること、その「不在」を常に指し示すのである。したがってラカンのいう「眼差し」と、身体的器官としての肉眼を同一視することはできない。ラカンは例として、動物における擬態、とりわけ昆虫などにみられる眼状斑を引き合いに出している。目の機能を思わせるこの模様は、しかしただのシミでしかない。それにも関わらず、このシミはそれを見る主体に「見られている」という感覚を呼び起こす。つまり、わたしたちは目の機能としての「知覚すること」ではなく、眼差しそのものを欲望し、また同時に掻き立てるのであるが、その交錯の基底には対象の不在が横たわっているのである。

http://boid.kir.jp/review/75.php


◇ アンドリュー・パーカー『眼の誕生』と対象aとしての眼差し - ish

http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/05/a.html


ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』(岩波書店) - 有沢翔治のlivedoorブログ

http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/50767690.html

What Is a Photograph? @ International Center of Photography

Organized by ICP Curator Carol Squiers, What Is a Photograph? explores the intense creative experimentation in photography that has occurred since the 1970s. Conceptual art introduced photography into contemporary art making, using the medium in ways that challenged it artistically, intellectually, and technically and broadened the notion of what a photograph could be in art. A new generation of artists began an equally rigorous but more aesthetically adventurous analysis, which probed photography itself―from the role of light, color, composition, to materiality and the subject. What Is a Photograph? brings together these artists, who reinvented photography.


Artists

Matthew Brandt

Marco Breuer

Liz Deschenes

Adam Fuss

Owen Kydd

Floris Neusüss

Marlo Pascual

Sigmar Polke

Eileen Quinlan

Jon Rafman

Gerhard Richter

Mariah Robertson

Alison Rossiter

Lucas Samaras

Travess Smalley

David Benjamin Sherry

Kate Steciw

Artie Vierkant

James Welling

Christopher Williams

Letha Wilson

http://www.icp.org/museum/exhibitions/what-is-a-photograph

V・P・G

◇ PHOTOGRAPHY 87 TAMPERE - Backlight | Photo Festival

The Tampere-born Metamorphosis of Documentary Photography


In June 1987 three photographers from Great Britain arrived in Tampere: Martin Parr, Paul Graham and Victor Burgin. New British photography filled the then Museum of Modern Art of Tampere with large photos that shone with colour and a critical attitude towards traditional documentary.


Victor Burgin, who was known as a photographer and a theoretician, surprised the audience of the opening lecture of the first international photographic event Photography 87 Tampere, by his conceptual and poster-like Office at Night -pictures and by his psychoanalysis-coloured pondering on the fundamental passion of photography: voyeurism. Merja Salo crystallised Burgin's thoughts in an interview in Valokuva (Finnish Photography) - magazine: "That which is not photographed is equally interesting as that which is photographed" (Salo, 1987).


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http://www.backlight.fi/archive/BL05/uk/87.htm







ウェブサイト更新

◇ 「photographs 59」

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http://www.nobuhiro-fukui.com/


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◇ in daylight >>> photographs 45 / 50

http://www.nobuhiro-fukui.com/thumb_45.html

http://www.nobuhiro-fukui.com/thumb_50.html


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◇ Researching Photography: record: RP 福居伸宏 (*Japanese text only)

(Part 1)http://researchingphotography.blogspot.jp/2011/07/rp-record-part-1.html

(Part 2)http://researchingphotography.blogspot.jp/2011/08/record-rp-part-2.html


◇ ウェブで閲覧可能なマテリアル(2014.04.05のトーク関連)

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20140407p2


◇ 福居伸宏 インタビュー 2010 | Tomio Koyama Gallery (*Japanese text only)

http://www.tomiokoyamagallery.com/interviews/nobuhiro-fukui-interview-2010/


◇ Nobuhiro Fukui interview 2008 | Tomio Koyama Gallery

http://www.tomiokoyamagallery.com/interviews_en/nobuhiro-fukui-interview-2008_en/

http://www.tomiokoyamagallery.com/index2/wp-content/themes/tkg2/archive_ex_site/exhibitions/p/KIYOSUMI/2008/0308NF/interview_e.html


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◇ Nobuhiro Fukui | Tomio Koyama Gallery

http://www.tomiokoyamagallery.com/artists_en/fukui-n_en/

http://www.tomiokoyamagallery.com/artists/fukui-n/


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Nobuhiro Fukui "PERFECTLY INVISIBLE" (2014, dimensions variable)

http://j.mp/PERFECTLY





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Nobuhiro Fukui "WHITEWHITEWHITE" (2014, dimensions variable)

http://j.mp/WHITEffffff

2014-04-20 <span class=”deco” style=”font-size:xx-large;”><spa

PERFECTLY INVISIBLE

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 



















WHITEWHITEWHITE



















2014-04-19 神速仏主義(KD)

神速仏主義(KD)


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Walker Evans: Alabama Cotton Tenant Farmer's Wife (Allie Mae Burroughs)

◇ Alabama Cotton Tenant Farmer Wife - The Metropolitan Museum of Art

http://metmuseum.org/collections/search-the-collections/286463


◇ [Allie Mae Burroughs, Hale County, Alabama] - The Metropolitan Museum of Art

http://www.metmuseum.org/collections/search-the-collections/275876


◇ [Allie Mae Burroughs, Hale County, Alabama] - The Metropolitan Museum of Art

http://www.metmuseum.org/Collections/search-the-collections/275447


◇ Search results - The Metropolitan Museum of Art

http://www.metmuseum.org/search-results?ft=Alabama+Cotton+Tenant+Farmer+Wife

http://www.metmuseum.org/search-results?ft=Allie+Mae+Burroughs


◇ After Walker Evans: 4 - The Metropolitan Museum of Art

http://www.metmuseum.org/collections/search-the-collections/267214


◇ Alabama Cotton Tenant Farmer's Wife - The Art Institute of Chicago

http://www.artic.edu/aic/collections/artwork/13720


◇ Tenant Farmer Wife (Allie Mae Burroughs) - Milwaukee Art Museum

http://collection.mam.org/details.php?id=20299


◇ Explore Modern Art | Our Collection | Walker Evans | Tenant Farmer's Wife, Alabama - SFMOMA

http://www.sfmoma.org/explore/collection/artwork/28151


◇ allie_mae_burroughs_print.jpg (2590×3367)

http://jonathanbarkphotography.files.wordpress.com/2014/01/allie_mae_burroughs_print.jpg


◇ File:Allie Mae Burroughs print.jpg - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Allie_Mae_Burroughs_print.jpg


◇ Tenant Farmer's Wife, Alabama, 1936 - The Exacting Eye of Walker Evans - Florence Griswold Museum

http://walkerevans.florencegriswoldmuseum.org/gallery/gallery.php5?id=18


◇ Compare / Tenant Farmer's Wife, Alabama, 1936 - The Exacting Eye of Walker Evans - Florence Griswold Museum

http://walkerevans.florencegriswoldmuseum.org/compare/compare.php5


◇ Walker Evans picture of Allie Mae Burroughs in 1936 - réflexions et les images de Mary

http://marypearson1.wordpress.com/2012/12/28/walker-evans-picture-of-allie-mae-burroughs-in-1936/


◇ Arts Book Review: The Story of a Photograph: Walker Evans, Ellie Mae Burroughs, and the Great Dep... - YouTube

http://www.ArtsBookMix.com

This is the summary of The Story of a Photograph: Walker Evans, Ellie Mae Burroughs, and the Great Depression (Kindle Singles) by Jerry L. Thompson.

http://youtu.be/-bH_qURhJrw


◇ Walker Evans’ Famous Picture of an Alabama Tenant Farmer’s Wife Is Celebrated and Explained - The Daily Beast

http://www.thedailybeast.com/articles/2012/07/11/walker-evans-famous-picture-of-an-alabama-tenant-farmer-s-wife-is-celebrated-and-explained.html

[Two Prints of Ticket Window, Kingston, Rhode Island, For Fortune Article: "The U.S. Depot"] - The Metropolitan Museum of Art

http://www.metmuseum.org/collections/search-the-collections/284851


◇ Walker Evans Dye transfer prints - Search the Collections - The Metropolitan Museum of Art

http://www.metmuseum.org/collections/search-the-collections?&who=Walker+Evans&what=Dye+transfer+prints&pg=1

The Collection | Walker Evans. Jack Heliker's Bedroom Wall, Cranberry Island, Maine. 1969 - MoMA

http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=45612


◇ Washstand in the dog run and kitchen of Floyd Burroughs' cabin. Hale County, Alabama - Library of Congress

http://www.loc.gov/pictures/resource/ppmsc.00242/

America, Seen Through Photographs, Darkly, Diane Arbus and a Gluten-Free Cake - What Liberty AteWhat Liberty Ate

In his 1971 catalogue retrospective at MOMA, Evans chose Whitman’s words as epigraph:

I do not doubt but the majesty and beauty of the world are latent in any iota of the world…I do not doubt there is far more in trivialities, insects, vulgar persons, slaves, dwarfs, weeds, rejected refuse, than I have supposed…I do not doubt interiors have their interiors, and exteriors have their exteriors―and that theeye-sight has another eye-sight, and the hearing another hearing, and the voice another voice.

http://whatlibertyate.com/2014/02/america-seen-through-photographs-darkly-and-diane-arbus/


◇ A PHOTOGRAPHIC HISTORY OF PHOTOGRAPHY (1992) - WALKER EVANS (1903-1975) The magnificence of plating - anthropogénie, anthropogeny

All in all, Evans was an archaeologist poet, just like Adams was a geologist poet. He does not worry about the poor and the utensils because they ask for pity, like (yet, are we sure?) in Dorothea Lange’s work, nor the social encouragement, as we sometimes find in Hine’s work. The famous 1936 reportage, whose text was written by Agee, bears the following psalm as a title: Let us now praise famous men. And the MOMA catalogue, which Evans supervised and inspired begins with an unambiguous text by Walt Whitman: ‘I do not doubt there is far more in trivialities, insects, vulgar persons, slaves, dwarfs, weeds, rejected refuse, than I have supposed...’. Which enlightens what precedes it: ‘I do not doubt but the majesty and beauty of de world are latent in any iota of the world...». We shall note the ‘beauty’, but particularly the ‘majesty’. And we shall remember that English ‘World’ is very different to the French ‘Monde’, which is derived from ‘woruld’, the environment as a horizon to every utensil graspable by man’s body and brain. Decidedly, throughout the work of Watkins, Stieglitz, Weston, Dorothea Lange, Ansel Adams and Walker Evans, we still do not manage – in American photography to date – to leave behind us the echoes of Ralph Waldo Emerson’s transcendentalism and Charles Sanders Peirce’s mystical pragmatism.

What must have been the change when Evans, consequently, switched from 8 x 10 or 8 x 5 plates – which were fascinating yet burdensome – to the very easy to transport 35 mm that allowed him to photograph travellers on the New York subway? ‘These are assuredly quite different photographic activities’, he tells Student 17, yet the vision-construction is fundamentally the same. As the 1940 Subway Portraits (**MO, 149) show very well, the walls of the subway cars offered his outlook the same referential as the Havana buildings and the walls of the interiors and exteriors of Let Us Now Praise Famous Men: a strict shot that is close, firm, square, solid, and also small enough for the relationship between the show and the image should remain frontal, with the very same bias in relation to the horizontal he had practiced for so long. No, there is a difference. The texture is now smoother with rapid films that detail less the material than the plates, which allows him to introduce the vectoriality of outlooks in the global fluidity. Whitman’s epigraph is then concluded: ‘interiors have their interiors, and exteriors have their exteriors’.

http://henrivanlier.com/anthropogeny/hpp_evans_an.htm

INTERVIEW: Walker Evans - "The Thing Itself is Such a Secret and so Unapproachable" (1974) - AMERICAN SUBURB X

“The Thing Itself is Such a Secret and so Unapproachable”


George Eastman House, Image Magazine, Vol. 17., No.4, December, 1974, Originally Published in Yale Alumni Magazine, February, 1974.

Yale: What do you tell your students?


W.E.: First of all, I tell them that art can’t be taught, but that it can be stimulated and a few barriers can be kicked down by a talented teacher, and an atmosphere can be created which is an opening into artistic action. But the thing itself is such a secret and so unapproachable. And you can’t put talent into anybody. I think you ought to say so right away and then try to do something else. And that’s what a university is for, what it should be ― a place for stimulation and an exchange of ideas and a chance to give people the privilege of beginning to take some of the richness of general life that’s in everybody and has to be unlocked.

http://www.americansuburbx.com/2011/10/interview-walker-evans-with-students.html

磯崎新建築論集 2 / 磯崎 新【著】/松田 達【編集協力】 - 紀伊國屋書店ウェブストア

内容説明

十九世紀以降の都市の変貌を独自の視点で整理し、脱近代の都市像を鮮やかに浮かび上がらせる卓抜な現代文明論。一見均質な近代都市空間が重層的なネットワークの形成で変容し、あたかも海に浮かぶ群島のごとく、相互に異質な集合体=虚体都市が次々に出現する現代社会の様相を明らかにする。二十一世紀世界への予見的洞察。


目次

1 虚体都市(都市破壊業KK;流言都市;廃墟論)

2 都市デザイン―方法と政治(都市デザインの方法;スコピエ計画の解剖;都市開発の政治;テーマ・パーク)

3 不可視の大都市(“島”的都市の発想と歩く空間;座標と薄明と幻覚;軽量で、可搬的なものたちの侵略;見えない都市)

4 不可侵の超都市(「都市」は姿を消す;“しま”の析出;都市の類型)


著者紹介

磯崎新[イソザキアラタ]

1931年生。東京大学大学院建築学博士課程修了。建築設計事務所磯崎新アトリエ主宰。世界各地で建築・都市の設計に携わり、展覧会を開催。国際的建築競技設計(コンペ)の審査委員を務める。英国王立芸術院米国芸術文学アカデミー名誉会員。建築家であると同時に、芸術家批評家思想家として横断的に活躍


松田達マツダタツ]

1975年生。建築家東京大学工学部都市工学科卒業、同大学大学院建築学専攻修士課程修了。隈研吾建築都市設計事務所を経て、パリ第12大学パリ都市計画研究所DEA課程修了。現在、東京大学先端科学技術研究センター助教、松田達建築設計事務所代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


出版社内容情報

19世紀以降の都市の変貌をw 虚体都市」w 不可侵の超都市」など独自の視点で整理し,脱近代の都市像を鮮やかに浮かび上がらせる卓抜な現代文明論.一見均質な近代都市空間が重層的なネットワークの形成で変容し,海に浮かぶ群島の如く,相互に異質な集合体=虚体都市が出現する現代社会の様相を明らかにする.21世紀世界への予見的洞察.

http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784000286022


◇ 『磯崎新建築論集 全8巻』

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028601+/top2.html

クロツシング・スピッツ カナダ現代美術展1980-94 - 京都国立近代美術館

 1867年の建国以来、カナダは世界各地から移民や文化亡命者たちを受け入れ続けてきたが、現在もアジアアメリカヨーロッパから多くの人々がカナダに流入し、この国を基点として世界中に移動している。統合的なイデオロギー宗教の助けを借りることなく、カナダは多様な文化背景を持つ人々が調和的で民主的な関係を保てる柔軟な社会を築いてきた。この穏やかな統一を維持するために、カナダ政府はその政策として1950年代からさまざまな分野での芸術家の活動を積極的に支援している。こうした支援によって、カナダ音楽映画1970年代初頭から多くの優れた人材を輩出している。また現代美術の分野でも、1980年以降のカナダ現代美術は注目すべき美術家たちを送り出してきた。冷戦構造という大きな枠組みが崩壊し、急進的な民族主義国家主義宗教的教条主義が危機的な形で再登場した1989年以降、人種間の文化的差異や国家の枠組み、階層や性の差異を超えた次元でのコミュニケーションの確立は、私たちの緊急の課題となっている。早くからこうした問題に自覚的であったカナダ作家たちの作品は現代世界が直面する危機を直視し、その問題に関与する美術家の実践として、ヨーロッパアメリカの美術動向の中で重要な地位を占めるようになっている。彼らの関心は国家民族の枠組みや文化的独自性、性差や少数者の権利を強調することではなく、現代に生さる一人の個人がどのように世界と関わり、その状況を直視し、外部世界や他者との関係を構築するかという点に向けられている。彼らは脆弱な一人の個人として、矛盾に満ちた私たちの世界に立ち向かい、戸惑い、発言し、そしてさまざまな文脈の間を移動していく。彼ら美術家たちはカナダ政府発行のパスポートを持つ異文化間の旅行者たち、一種の文化流民と言える。国家民族の枠組みを超えて活動するカナダ美術家たちの作品を紹介する本展は、アンデンティティーの確立と国際化、その止揚を模索する日本現代美術の活動に多大な刺激を与えることになるとともに、それ以上に、真の意味での国際化が求められている日本人すべてに、自己と外部世界との関係を省察する上できわめて豊かな示唆をもたらすだろう、との確信に基づいて企画された。(河本信治)


会期

4月11日(木)〜5月14日(火)


人場者数

15,186人(1日平均506人)


共催

財団法人堂本印象記念近代美術振興財団

http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/1995/258.html

詩学 - ウィキまとめ

ロシア・フォルマリズム発祥地ソ連ではスターリンの死後,構造言語学が発足し,ついでモスクワタルトゥ学派を中心に文化記号論が発足した。この文化記号論の核として構造詩学を展開したのはYu.M.ロートマンで(《構造詩学講義》《芸術テキストの構造》ほか),彼は構造言語学情報理論情報美学,一般記号論の諸概念によるロシア・フォルマリズムバフチンの諸成果の読み直しを行った。日常言語も世界のモデルだが,その上に築かれる芸術言語は,より全体的で濃密な世界のモデルをなす第2次モデル形成体系である。この第2次モデル形成体系こそ文化記号論研究対象たる文化テキストであり,彼は文化テキストとしての芸術テキストの構造の解明とともにさまざまな文化テキストのタイポロジー研究を行い,さらに文化テキストの総体としての文化の惰性化と活性化メカニズムを明らかにした。

http://wikimatome.com/wiki/%E8%A9%A9%E5%AD%A6

メモ

◇ TUESDAY, AUGUST 09, 2005 - think photo

1900ー1930


20世紀前半「機械時代(マシーンエイジ)」とも。機械化は人々のものの考え方や経験の仕方、感じ方に深い影響を及ぼした。


一方で迫り来る機械文明への一種の反動として、機械的で即物的なイメージを拒絶し、懐古的に印象派的な朦朧とした絵画イメージを追い求める「ピクトリアリズム」の写真が流行。


アメリカ写真のモダニズム


ピクトリアリズム(絵画主義)と称された写真芸術運動は、19C松から20C初頭にかけてロンドンを拠点にパリをはじめとした大陸諸都市、さらにはアメリカへと広がりを見せる。


アルフレッド・スティーグリッツ


特にアメリカではヨーロッパとは異なる独自の展開を見せる。中心人物はアルフレッド・スティーグリッツであった。スティーグリッツは1880年代にドイツに留学、1889年アメリカ帰国後ヨーロッパ芸術写真の息吹をアメリカに伝える戸とtも似時刻の芸術写真の進展に尽力。1902年にはフォトセセッション結成。次第に「純粋な写真」「ストレートな写真」に向かう。1917年の『カメラワーク』最終号は、スティーグリッツの写真美学の一つの大きな転換を示す。そこでは芸術写真が尊んだ絵画イメージを追放したポール・ストランドの特集が組まれた。スティーグリッツも1922年には雲をストレートにとらえた連作の政策を開始。彼の写真芸術上重要な概念である「等価物(イクィヴァレント)」に導く。すべての芸術芸術家の生の体験の「等価物」であるとして、写真の対象の意味を対象そのものにではなく写真家の内面性に置くと言うモダニスト的立場を明確にした。


ウェストンとアダム


ウェストンは、写真にとって最も重要なのは被写体ではなくどのようなイメージを最終的にプリントとして作り上げるかであると主張。写真制作における主体としての個人の優位を明確にする。


アダムズはスティーグリッツとアダムズが切り開いたモダニズムの写真美学継承しながら、風景写真の領域でストレートな写真の美学を開花させる。


ウェストンとアダムズは、「f.64」という写真か集団を結成し「ストレートな写真」を独自の写真のあり方として確立しようとした。


こうして20C初頭から1930年代アメリカ写真芸術では、世紀末的な絵画主義写真からストレートな写真へというダイナミックな展開が見られた。同様の傾向は、ヨーロッパモダニズム写真にも「新即物主義ノイエザハリヒカイト)」などとして現れる。


ヨーロッパの前衛芸術運動と写真】


未来派

フィリッポ・トマゾ・マリネッティ1909年パリの『フィガロ』紙に「未来派宣言」を発表。機械とスピードの美を称賛し、過去の伝統的な美的価値観の打破を叫ぶ。


ダダ

1914年第一次世界大戦によって機械の仮借なき暴力性が意識され進歩的歴史観を揺るがすことになった。伝統的な芸術のあり方を根底から否定するラディカルな芸術運動が見られた。既成の価値観を否定し嘲笑を浴びせることで大衆を挑発することである。とりわけベルリンダダでは「フォトモンタージュ」という表現形式によるラディカルな展開を見る。ここで伝統的な写真概念は崩壊したと言える。


シュルレアリスム

ダダの運動は「否定」の精神に貫かれていたため「創造」というポジティヴな力として持続しにくかった。1924年アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を行う。否定というダダの精神を受け継ぎながらも、「創造」していく技術運動へとシフトしてゆく。フロイト精神分析理論に影響を受け、無意識の領域を描き出すという動きが現れる。写真に置けるシュルレアリスムの重要な作家アメリカ人マン・レイであった。超現実的イメージの写真の創造者として注目される。また、フランスのドキュメンタリストであるウジェーヌ・アジェを世に出したことでも重要である。アジェは19C末から20C初頭にかけてのパリの街並みを記録したが、事物の本来の意味曖昧になり未知のイメージに添加するような写真も見いだされたことで注目を浴びる。1930年にはフランスドイツ写真集『アジェ』が同時に出版される。


構成主義

1917年ロシア革命により社会主義国が誕生したのを契機に1920年頃姿を現した芸術運動。1910年代ロシア・アヴァンギャルド画家たちによる抽象絵画運動が到達した徹底的な抽象化幾何学的な造形の原理を引き継ぎながら、20世紀の機械文明を芸術の新たな可能性として積極的に受け止め、グラフィック建築テキスタイルなど様々な造形領域で新社会にふさわしい革命的な芸術を追求し実験と実践を行う。伝統の否定という点ではダダシュルレアリスムに通じるtが、造形芸術を生産的活動の一環ととらえた点。したがって、構成主義では芸術家特権的な創造者と言うよりむしろ創造的な技術者として位置づけられる。アレクサンドル・ロトチェンコなど。


バウハウス

1919年ドイツワイマールバウハウスが設立される。その教育理念は、20Cの機械文明の重要性を明確に意識したもの。写真の領域においても注目すべき活動が生まれた。中心人物の一人は、モホイ=ナジである。新時代の写真は対象の描写という伝統的な役割から解放され、写真を他の芸術から区別する本質的な現象である「光」による造形活動であると主張。バウハウスは写真をフラフィックデザインの要素として用いる手法において、同時代の商業美術にも大きな影響を与えた。

http://aoi-june-photo.blogspot.jp/2005/08/19001930-20-19c20c-18801889t1902191719.html

どなたかのメモメモ。ただし要検証。













WW2WE/US2JP [DemosKratia]

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2014-04-18 ”victims of fashionable nonsense” and/or ”casualties of fashi

"victims of fashionable nonsense" and/or "casualties of fashionable nonsense"


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Sache とは - コトバンク

世界大百科事典内のSacheの言及

【こと(事)】より

…〈こと〉は〈もの〉と対立する優れて日本的な存在概念である英語のevent,matter,ドイツ語のSache,Sachverhalt,フランス語のchose,faitなどを時によっては〈事〉と訳す場合もあるが,元来の発想はそれらとは異質であるグラーツ学派のマイノングが,高次対象論において学術的概念として導入した〈objektiv〉をはじめ,後期新カント学派,初期現象学派,論理分析学派などの学術的概念のなかには〈こと〉に類するものがないわけではないが,それらとて〈こと〉とはかなりのへだたりがある。…

※「Sache」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

http://kotobank.jp/word/Sache

La révolution surréaliste N°7, juin 1926

http://inventin.lautre.net/livres/La-revolution-surrealiste-7.pdf

Eugène Atget*3


◇ La révolution surréaliste N°8, décembre 1926

http://inventin.lautre.net/livres/La-revolution-surrealiste-8.pdf

Eugène Atget*1


◇ La Révolution surréaliste - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/La_R%C3%A9volution_surr%C3%A9aliste

中井正一メディア論−深田康算,久野収,新村猛,武谷三男,三木清,戸坂潤,西田幾多郎,田辺元らとの関係における中井弁証法

著者紹介  

後藤嘉宏(ごとう・よしひろ)

筑波大学大学院図書館情報メディア研究科情報メディア社会分野)助教授

学群(学部)担当科目メディア論社会学、知識資源論

博士前期課程修士課程担当科目;専門情報・資料(社会

鎌倉市に生まれ、育ち、在住する傍ら、つくば市でも住み、働く

慶應義塾大学文学部文学科仏文専攻卒業

東京大学大学院社会学研究科社会学専攻(B新聞学)修士課程修了(社会学修士

東京大学大学院博士課程単位取得満期退学

九州大学より博士(比較社会文化)の学位を得る

日本社会学会、日本マス・コミュニケーション学会思想の科学研究会

メディア研究会日本社会情報学会情報メディア学会日本出版学会、各会員

日本の生んだ数少ない独創的思想家の一人といわれる中井正一(1900-52)のメディア論を、彼の京大時代の恩師深田康算の美学からの影響、及び中井の在学・在職当時京大で影響力のあった西田幾多郎田辺元弁証法理解への批判、あるいは三木清などの先輩や、新村猛、和田洋一久野収武谷三男などの友人とのかかわりから解き明かす。本書は、九州大学より博士の学位を受けた論文中井正一におけるメディウムとミッテルに関する一考察――中井の2つの媒介概念と、資料、官庁資料、本、図書館」を大幅に増補・改稿したものであり、中井研究において一定の意義あるものであると同時に、日本の現代のメディア状況を照らすものとなるべく努めた。

http://www.geocities.jp/yoshiclassic/aboutmybook


多目的ホールの楽屋裏−Yoshi`s website(2)

http://www.geocities.jp/yoshiclassic/

ル・コルビュジエブルータリス研究(21520142) - KAKEN

2009年度〜2012年

伊集院 敬行

研究者番号:90304245

島根大学・法文学部准教授

本年度は、ル・コルビュジエブルータリスムのシュルレアリスム性を説明する理論として、ル・コルビュジエの機械美学映画理論と接合した中井正一(1900-1952)の美学について考察した。これまで全く論じられていないが、中井映画ハイデガーに即して論じるために精神分析理論を応用している。そこでは映画精神分析が行われる場、すなわち無意識のエスが暴露される場として理解され、これが現存在の本来的在り方と重ね合わされた。一方、中井ル・コルビュジエの機能美学存在論的に論じたり、映画と結びつけて論じたりしている。

23年度は、主にこの点を強調したけ研究成果を、日本映像学会の第37回大会(於:北海道大学)、意匠学会大会(於:国立民族博物館)で口頭発表した。前者では主に中井の映像論の精神分析的側面について、後者では中井のそのような映像論とル・コルビュジエの機械美学との関連についての考察を発表した。また、現在、『映像学』に研究成果をまとめた論文を投稿し、審査を受けている。

さて、中井が「機械美の構造」で映画ル・コルビュジエの機能主義美学を結びつけていることから、このような中井映画精神分析的理解は、ル・コルビュジエの機能主義美学にも当てはまると考えられる。これを踏まえるなら、ル・コルビュジエの後期スタイルであるブルータリスムに見られるシュルレアリスム性について、映像論的、精神分析的、存在論的な考察が可能になる。そして、これにより、単純な機能主義的からはみ出るものとしてモダンデザインの再定義が可能になるだろう。

http://kaken.nii.ac.jp/d/p/21520142

モダンフォトグラフィ」受容の重層性──『フォトタイムス』誌に見る言説空間と写真実践── 高橋千晶

 こうした背景のもと、大正13[1924]年にオリエンタル写真工業宣伝部内フォトタイムス社は、月刊写真雑誌『フォトタイムス』を創刊する【図1】。編集主幹の木村専一(1900-1938)は、昭和5[1930]年に「新興写真研究会」を設立したことから、「新興写真」の名付け親と目されるが1、『フォトタイムス』編集においては、ラースロー・モホイ=ナジ(Laszlo Moholy-Nagy:1895-1946)や、マン・レイ(Man Ray:1890-1976)など新進気鋭の欧米作家の動向を、翻訳論文写真図版を通して多数紹介することによって新機軸を打ち出した。こうした事例から、『フォトタイムス』は、『アサヒカメラ』(朝日新聞社昭和2[1926]年創刊)、『光画』(聚楽社、昭和8[1933]年創刊)とともに、新興写真運動を語る上で不可欠の写真雑誌の一つと見なされている。たとえば飯沢耕太郎は、「新興写真研究会」と『フォトタイムス』における木村専一の活動が「自分たちの方法を模索していた日本写真家たちに、明確な指針を与えるものであった」と高く評価し、「『新興写真』の時代のはじまりを告げるもの」と本誌を位置づける2。同様に、西村智弘も「新興写真の誕生」を語る際に木村専一と『フォトタイムス』に言及し、「新興写真運動が生まれる上で木村とこの写真雑誌が果たした役割は大きかった」と指摘する3。

 しかしながら、1930年前後の『フォトタイムス』誌面を見ると、必ずしも本誌が「新興写真」という概念に首尾良く折り込まれるわけではないことに気づく。むしろ、口絵掲載の写真作品や投稿記事の中には、新興写真が繰り返し否定してきた「芸術写真」を彷彿させる事例も散見され、『フォトタイムス』という場が、相反する要素を貪欲に吸収・消化した複雑なメディア空間であったことが浮かび上がってくる。このことは、1930年代日本写真界を席巻した「新興写真」と呼び慣わされる思潮が、必ずしも明確に定義できるものではなく、複数の方向へと分岐する流動的な動きであったことと無縁ではない。

 問題はそれだけではない。『フォトタイムス』創刊の時代、つまり大正末から昭和初期の写真界は、明治から続く老舗の写真雑誌写真月報』や『写真新報』に加えて、福原信三の『写真芸術』(写真芸術社、大正10[1921]年創刊)、高桑勝雄主筆の『カメラ』(アルス大正10[1921]年創刊)、淵上白陽主幹の『白陽』(白陽社、大正11[1922]年創刊)、中島謙吉主幹の『芸術写真研究』(アルス大正11[1922]年創刊)など、主としてアマチュア写真家を読者層とした写真専門誌がしのぎを削った時代であった。大正後期の写真界は、「芸術写真」を標語とした写真雑誌創刊ブームの渦中にあったと言える。このブームにやや遅れて誕生した『フォトタイムス』は、創刊当初からアマチュア写真家のみならず、「プロ」の写真家も読者層に取り入れることを明確に意識し、従来の写真雑誌と異なる路線の開拓を目指していた4。本誌が先行する競合誌との差異化をはかるために、「モダンフォトグラフィ」というモード戦略的に取り入れたと考えることはそれほど難しくはないだろう。

 以上を踏まえて、本稿では、1930年代前後の『フォトタイムス』誌掲載のテクスト写真イメージに注目することによって、「モダンフォトグラフィ」受容の重層性を明らかにし、モードとしての「モダンフォトグラフィ」――国際的であること/同時代的であること/社会性があること(プロフェッショナルであること)――の戦略的利用の様相を浮き彫りにすることを課題とする。

第2章第3節 板垣鷹穗の「新しい視覚」

 新興写真においては、運動を牽引した論者が必ずしも写真家だけではなく、板垣鷹穂や村山知義など、同時代の批評家芸術家が中核に位置していたことも、それまでとは異なる側面であった26。板垣は自ら写真を撮影・発表したわけではないが、その理論を実践するために堀野正雄や渡邊義雄を協力者として、いわゆる「グラフモンタージュ」を共同制作する。「グラフモンタージュ」とは、主に雑誌誌面での写真の発表形式の一つであり、あるテーマを複数の写真の組合せによって、視覚的に報告する働きを持つ。『フォトタイムス』では、こうした写真の発表の仕方を「グラフ」と呼んで他の記事と区別しているが【資料参照】、明確な線引きはなされていないようである。いずれにしても、堀野正雄が連載した「新しきカメラへの途」は、後の「グラフモンタージュ」の萌芽とみなせる取り組みであり、板垣の指導によって堀野が自らの路線を開拓していく様がはっきりと読みとれる。

 ここでは、板垣が自らの機械美学写真によって実験した著作、『優秀船の芸術社会学的分析』(天人社、1930年)刊行に先立って、『フォトタイムス』に掲載した「機械的建造物の乾板撮影」と、板垣の指導によって堀野が撮影した瓦斯タンクシリーズを取り上げて、板垣の「新しい視覚」の内実を探ることにする。

26  村山知義昭和2[1926]年から『アサヒカメラ』誌上でマン・レイやエル・リシツキーの作例に言及しながらフォトグラムやフォトモンタージュを「写真の新しい機能」として紹介している。新興美術の立役者であった村山の関心は、美術作品と写真の共鳴にのみ向けられたわけではなく、正確な再現性に写真の使命があることを指摘し、新興写真が掲げた理念を共有していた。「写真は先づ第一に迅速正確な報導者であり、再現者でなければならない。此の使命と可能性を忘れて古い芸術手段である所の絵画の真似をしやうとしたのが、所謂「芸術写真」であって、これは誤った道である事は、最早言ふ迄も無い。」『アサヒカメラ昭和5[1930]年4月号、403頁。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/kiyo/pdf-data/no38/takahashi_chiaki.pdf


ドイツ工作連盟主催「Film und Foto」展(一九二九年)と「独逸国際移動写真展」(一九三一年) : 新しい「展示システム」をめぐって(第六十二回美学会全国大会発表要旨) 江口みなみ

http://ci.nii.ac.jp/naid/110009480057


◇ 独逸国際移動写真展 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E9%80%B8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A7%BB%E5%8B%95%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B1%95

日本芸術写真──写真史における位置をめぐって 特別講演録(2011年4月16日

では、写真における表現という観点で写真史をみた場合、ピクトリアリズムの時代においては、残念ながら表現を基準にした写真歴史、つまり「通史」は書かれてきておりません。それがはっきり書かれるのは、1920年代の終わりから1930年代にかけてです。近代的写真表現というものを追求していくなかで、写真歴史というものが書かれていくのです。図録にも書かせていただきましたが、『写真眼 Foto Auge』(1929年)という写真集のなかにフランツ・ローの「メカニズムと表現」という文章があります。そのなかで写真歴史を初期の時代、頽廃の時代、現在と三つの時代に分け、初期の時代はよかった、次のいわゆる芸術写真の時代はよくなかった、そしてそれを否定することによって今後の新しい表現が生み出されていくと書かれています。この歴史観によって、その後さまざまな写真歴史が書かれてきていますが、その基本的な枠組みはずっと崩れてきておりません。たとえば、ボーモント・ニューホールというアメリカ写真歴史家が書いた『写真歴史──1839年から現在までThe History of Photography from 1839 to the Present Day』(初版1949年)でも基本的にその枠組みは踏襲されておりますし、ほぼ同時期に写真歴史について興味を持ち書き始めたヘルムート・ゲルンシャイムの『世界の写真史A Concise History of Photography』(1965年)にも共通していると思います。日本でも、たとえば田中雅夫さん(『写真130年史』1970年)とか、伊奈信男さん(『写真昭和五十年史』1978年)なども、やはりその基本的な枠組みは踏襲されております。

https://syabi.com/contents/images/info/journal/kiyou_11/03.pdf

活動報告 - 東京都写真美術館紀要 - 東京都写真美術館

東京都写真美術館紀要 No.13

[1]表紙〜目次 [ pdf_212Kb ]

[2]図版資料 P5〜「シンポジウム日本写真の1968』全記録」、P8〜「ロマンチシズムからヒューマニズムへ―大束元の再評価をめぐって」、P10〜「視点としてのユートピア:ガイ・ティリムのドキュメンタリー写真『Jo’burg』シリーズ歴史の地層を読む」[ pdf_2.74Mb ]

[3]P13〜P51「シンポジウム日本写真の1968』全記録」倉石信乃、土屋誠一、冨山由紀子、小原真史、金子隆一 [ pdf_1.70Mb ]

[4]P53〜P59「新進作家から見るデジタル時代における身体とその思考〜表現の時代背景から〜」山峰潤也 [ pdf_376kb ]

[5]P61〜P67「展覧会『シュタイデルとの本の作り方』について」伊藤貴弘 [ pdf_468kb ]

[6]P69〜P77「ロマンチシズムからヒューマニズムへ――大束元の再評価をめぐって」山田裕理 [ pdf_736kb ]

[7]P79〜P85「東京都写真美術館ワークショップ 暗室での現像体験の意義」徳本宏子 [ pdf_464kb ]

[8]P87〜P101「視点としてのユートピア:ガイ・ティリムのドキュメンタリー写真『Jo’burg』シリーズ歴史の地層を読む」栗栖美樹 [ pdf_1.01Mb ]

[9]P103〜P117 “Utopia as a perspective: Reading historical strata in Guy Tillim’s documentary photo essay Jo’burg series” Miki Kurisu [ pdf_712kb ]

http://syabi.com/contents/info/kiyou_13.html

とりわけガイ・ティリムについての論文が気になります。

ブルームズベリー・グループ - Wikipedia

ブルームズベリー・グループは、1905年から第二次世界大戦期まで存在し続けたイギリス芸術家学者からなる組織である

もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルとヴァージニア・ウルフを含む4人のケンブリッジ大学生によって、結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。

1910年ドレッドノート舞台とした「偽エチオピア皇帝事件」にはメンバーの多くが参加したが非国民という悪名を負う羽目となり、また彼らのストレート平和主義・左派自由主義の信念は戦時中において非難を引き起こすことがあった。第一次世界大戦後その組織統一は弱まり、意見や信念もばらばらなものとなってしまった。

ブルームズベリー・グループの意見や信念は第二次世界大戦を通して話題を呼び、広く非難されたが、次第に主流となりそれは終戦まで続いた。ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となり、作家ヴァージニア・ウルフの作品は広く読まれ、そのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー画家ロジャーフライ作家のデイヴィッド・ガーネット、E・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリス哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある。

ブルームズベリー・グループは組織一丸となっての活動成果よりも個々人の芸術的な活動成果が主に評価されているが、20世紀の終わりが見えた頃から、組織内での複雑な人間関係が、学問的注目を集め研究対象となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

スーザン・ソンタグ遺言/『良心の領界』スーザン・ソンタグ - 古本屋の覚え書き

彼女はこの序文を書いた10ヶ月後に亡くなった──

 序

 若い読者へのアドバイス……

(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

 人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。

 検閲を警戒すること。しかし忘れないこと──社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、【自己】検閲です。

 本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。

 言語スラム街に沈み込まないよう気をつけること。

 言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。

 自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。

 動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。

 この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。

 暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。

 少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を【もたず】、冷蔵庫電話のある住居を【もたない】でこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことの【ない】、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。

 自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。

 恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。

 自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。

 他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません──女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。

 傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。

 傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしてください。

 良心の領界を守ってください……。

 2004年2月

  スーザン・ソンタグ

【『良心の領界』スーザン・ソンタグ/木幡和枝〈こばた・かずえ〉訳(NTT出版2004年)】

http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20100428/p5

2014-04-17 」◎「」◎「

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'Amerika' トークのお知らせ - art blog VOID CHICKEN DAYS オキュパイしてけろ!

【報告会&トーク】Talk event

Amerika: idea/ fantasy / dream / myth / image

What America means for non-Americans.


日時:4月18日(金)19:30-

場所:コリント/渋谷区神宮前3-38-11原宿ニューロイヤルマンション301

(ゴーライトリーのオフィスです)

 ゲスト:アレスデール・ダンカンアーティスト

     眞島竜男(アーティスト


'Amerika': idea/ fantasy / dream / myth / image

What America means for non-Americans.


date: 4.18(fri.)19:30-

place: #301 Harajuku New Royal Manshion, 3-38-11, Jungumae, Shibuya-ku

Guest: Alasdair Duncan (artist, co-organizer)

    Tatsuo Majima (artist)

http://voidchicke.exblog.jp/22448724/

トリン・T・ミンハ『ここのなかの何処かへ――移住・難民・境界的出来事』日本語版刊行記念 上映&トークイベント - UPLINK

1980年代以降、ヴェトナムアメリカ人女性としての自らの異質性を足場とし、領域横断的に思考しながら旅するなかで独自の文化批評空間を立ち上げてきたトリン・T・ミンハ。約20年ぶりに満を持して放たれた今回の評論集には、これまで明かされることのなかった故国ヴェトナムにおける出自の物語に加え、日本文化論、人種主義の亡霊が回帰するアメリカや3・11後の日本といった現実政治への直接的言及など、彼女の新たな一面が垣間見られるエッセイが数多く盛り込まれている。


イベントでは、トリンと長年にわたり対話を続けてきた訳者の小林富久子がホストとなり、文化人類学者の今福龍太、詩人の吉増剛造をゲストに迎え、今回の著作とも関係の深い映像3作品――出世作にして最高傑作と名高い『ルアッサンブラージュ』、ヴェトナムにおける女性史を綴った『姓はヴェト、名はナム』、日本を対象にした『四次元』――を改めて観直すことで、トリン・T・ミンハの足跡を辿り直すとともに、その魅力の真髄に迫る。


“elsewhere, within here”――ここのなかの、何処か別の場所へ。自己と他者、内と外、主観と客観、日常と非日常、西洋と非西洋、中心と周縁…。そのいずれにも属することなく二項対立の境界線上にとどまりながら、世界を翻訳し、揺さぶってみせる。トリン・T・ミンハの越境の詩学は、未だ強度を失うことなく私たちの世界を見る目を相対化し、思考を刺激してやまない。

http://www.uplink.co.jp/event/2014/26170

「ドイチュラントビルダー」展 - 現代美術用語辞典ver.2.0

「ドイチュラントビルダー」展

“Deutschlandbilder”(独)

1997年9月7日から翌年1月11日まで、ベルリンマルティン・グロピウス・バウにおいて開催された約500点からなる20世紀「ドイツ」美術の大展覧会。監修はエックハルト・ギレン、キュレーターはギレンおよびルドルフ・ツヴィルナーが務めた。展覧会の副題は「分断された国の芸術」であるが、東西ドイツ分断の始まりをナチスが政権を獲得した33年と定め、M・ベックマンの小さなブロンズ彫刻《暗闇の中の男》(1934)が展示会場の導入地点に置かれた。また、展覧会評に「常に既に見てきた作品を新たに見て学ぶ稀な展覧会」と書いた『ツァイト』誌に従えば、展示方法は芸術史的な区分にもとづいたものではなかった。代わりに導入されたのは、第一次世界大戦従軍者(O・ディクスら)、ヴァイマル時代(P・クレー、O・シュレンマーら)、強制収容所の犠牲者(F・ヌスバウム、O・フロイントリッヒら)、軍事および武装ナチ親衛隊世代(J・ボイスら)、戦争下に生まれた子供たち、戦後世代、分断された国の住民たち、という視座であった。出展作家は90組を越えたが、ボイス以降の世代では、A・キーファーやR・ムハなど西側ドイツに生まれた作家に加え、幼少時に家族とともにアメリカ合衆国に亡命したユダヤ系作家のE・ヘス、戦後西ドイツからアメリカ合衆国に渡り成功をおさめたH・ハーケ、東ドイツから西ドイツに移住して活躍していたS・ポルケ、G・リヒター、G・バゼリッツ、A・R・ペンクらが参加した。また、ボイスと同世代のB・ハイジグ、W・マットイヤーなど、東ドイツにおいて重要な絵画動向であったライプツィヒ派の作品も展示された。

著者: 長チノリ

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8C%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%80%8D%E5%B1%95


ライプツィヒ造形美術館 | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH - ライプツィヒ観光局 | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

ライプツィヒ造形美術館には500年にわたるヨーロッパ美術史が集約されています。2004年に完成した斬新な建物の内部には4階にわたって柔らかな日の光が差し込み、その贅沢な空間に様々な時代・芸術家テーマの作品が並びます。商業や学問の中心地として発展したライプツィヒでは芸術に造詣の深い実業家や知識人たちが様々な美術品を収集し、それらが市に寄贈され、現在のコレクションが形成されてゆきました。その所蔵品は中世から現代まで、絵画3,000点以上・彫刻約850点・グラフィックアート作品55,000点以上にのぼり、ドイツでも最古・最大級の市民コレクションとなっています。常設展に加え、多彩な特別展にも多くの美術ファンが集まります。


常設展ではルーカスクラーナハ(父)によるヴァルトブルク城閉居時代のルターの肖像『騎士イェルクに扮したマルティン・ルター』(1521)、フランス・ハルス『ムラート』(1627)、カスパー・ダヴィット・フリードリヒ『人生の諸段階』(1835)、ポール・ドラローシュ『フォンテーヌブローのナポレオン』(1845)、アルノルト・ベックリンの連作の一つ『死の島』(1886)、マックス・クリンガーの伝説的作品『ベートーヴェン像』(1885-1902)、オットーミュラー恋人たち』(1919)などといった名作を見ることができ、また東ドイツ時代に国民の苦しみを代弁する役割を担ってきた「ライプツィヒ派」の諸作品も充実しています。


ひときわ目を引くベートーヴェン像は、美術史上の音楽を題材とした作品の傑作に数えられます。ライプツィヒ出身の彫刻家マックス・クリンガー(1857〜1920)は楽聖ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを古代神になぞらえ、7年の歳月を費やしてその姿を完成させました。そして1902年にウィーン分離派会館にてグスタフ・クリムトの大作『ベートーヴェンフリーズ』と隣り合う形で初めて公開され、社会的反響を呼び起こします。その存在感ある造形は広く知られるようになり、1918年6月1日の徳島県・坂東俘虜収容所におけるベートーヴェン交響曲第9番(第九)』日本初演時のプログラムの表紙にも当像がデザインされたほどです。クリンガーベートーヴェン像は、日独交流の歴史にもその姿を残しています。

ライプツィヒ物知り事典11

ライプツィヒ派・新ライプツィヒ

Leipziger Schule - Neue Leipziger Schule


ライプツィヒ派(Leipziger Schule)」は東ドイツ美術界における絵画の一派。ライプツィヒの視覚装丁芸術大学(Hochschule für Grafik und Buchkunst)(*注)を中心に発展したためこの名がある。


(*注)「視覚芸術アカデミー」とする訳例もあるが、ドイツ語の「アカデミー(Akademie)」という呼称は(英語の"academy"とは異なり)学士院・学術団体としての意味合いが強い。同校は国立の専門大学として視覚芸術・装丁芸術の高等教育を行う機関であるため、ここでは「視覚装丁芸術大学」と表記する。


東ドイツことドイツ民主共和国(1949〜1990年)では芸術・文化さえも国家によって政治的に操られ、音楽でも文学でも絵画でも、労働者を賛美するような題材ばかりが奨励された。このようなプロパガンダ芸術は国民に受け入れられるはずもなく、政治主導の美術潮流は国民の嗜好から乖離するばかりだった。


そのような中で視覚装丁芸術大学教授のベルンハルト・ハイズィヒ(Bernhard Heisig)は、1964年にヴォルフガング・マットイヤー(Wolfgang Mattheuer)、ヴェルナー・テュプケ(Werner Tübke)らと共に絵画グループを結成した。この一派はプロパガンダ美術とは一線を画した作品を次々と発表し、次第に彼らは「ライプツィヒ派」として国民に人気となる。これらの画家たちは反政治色を直接的に表現するのではなく、陰鬱な、そして奇抜な色使いとテーマを用いた作品を描き、国民たちはこれを東ドイツ社会における人々の不自由を代弁するものと理解した。政治的規制によって国民の味わう苦しみが一切報道されない東ドイツにおいて、ライプツィヒ派の絵画は民衆の苦悩を表現する?代替メディア?として熱狂的に支持されるようになった。東ドイツにおいて絵画とは画家のためだけでなく、民衆にとっても重要な表現手段として機能してゆく。これは1989年にライプツィヒから始まった平和革命とも無関係ではない。政治批判の許されない東ドイツにおいて、国民とりわけライプツィヒ市民たちは、美術作品の中に社会主義体制の矛盾を感じ取り、これに立ち向かう意志を学び取ったのだった。


美術作品は東西ドイツ統一によってこのような役割は担わなくなったものの、視覚装丁芸術大学を中心とする美術の伝統は受け継がれ、現在ここでは「新ライプツィヒ派(Neue Leipziger Schule)」が新たな興隆を見せている。一派の旗手であるネオ・ラオホ(Neo Rauch)、マティアス・ヴァイシャー(Matthias Weischer)らの表現する超現実的な画風は、東ドイツライプツィヒ派の伝統を受け継いでいるからこそ、我々に多くを訴える。新ライプツィヒ派の多くは市街西部の旧紡績工場シュピネライにアトリエを構え、それゆえシュピネライはヨーロッパ有数の現代美術の発信地となり、さらなる成長を続けている。

http://www.leipzig.travel/jp/___1379.html


ライプツィヒ - Wikipedia

第二次大戦による惨禍の後、ライプツィヒのある中部ドイツはソ連占領区となり、1949年にそれがドイツ民主共和国東ドイツ)となった。社会主義化したこの時代にはドレスデンカール・マルクス・シュタット(現・ケムニッツ)と共に東ドイツの主要工業地域を形成した。メッセは社会主義政権下でも継続され、西側世界との貴重な窓口となった。東ドイツ時代末期の1989年にはニコライ教会での集会を発端とする「月曜デモ」と呼ばれる反体制運動が起き、これが東ドイツにおける民主化運動の出発点となった。当地の市民蜂起に始まり、ベルリンの壁崩壊、そして東西ドイツが犠牲者を出すことなく統一された一連の出来事は、現在東欧革命の一部として「東ドイツ平和革命(Friedliche Revolution)」と呼ばれる。

ドイツ再統一後には街並みの修復や再開発、芸術・文化面の再興などで再び急速な変遷を遂げ、現在のドイツ中部圏を代表する文化・経済都市となっている。ポルシェやBMWの開発を担う新工場の建設や、アマゾンヤマザキマザックによる拠点開設、そしてDHLのヨーロッパ・ハブのブリュッセルから当地への移転といった企業進出に加え、音楽に代表される文化的環境(後述)を生かした文化・創造産業も盛んである。

2015年には史料初出から1000年目を迎え、千年史記念祭の開催が予定されている。

美術

当地における印刷工芸の発達、そして商人たちによる美術品の収集・芸術活動の促進によって、市民による膨大な美術コレクションが形成されていった。これらは現在ライプツィヒ造形美術館やグラッシィ工芸美術館(Grassimuseum für Angewandte Kunst)に収められている。1764年には美術院も創設され、若きゲーテはライプツィヒ大学に通う傍ら、ここで美術の手ほどきを受けた。美術院の後身である視覚装丁芸術大学(Hochschule für Grafik und Buchkunst)は現在もドイツ有数の美術学校として美術界をリードしている。東ドイツ時代には社会主義政権を暗に批判する絵画の一派「ライプツィヒ派(Leipziger Schule)」が民衆に大きな影響を与え、ライプツィヒから反体制の市民蜂起が起きる一つの遠因となった。現在は画家ネオ・ラオホ(Neo Rauch, 1960〜)に代表されるこの伝統を受け継いだ「新ライプツィヒ派(Neue Leipziger Schule)」が隆盛を迎えている。市街西部には多くの現代芸術家たちが居を構える旧紡績工場シュピネライがある。書籍印刷の歴史と相まってグラフィック・アートも盛んである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%92

魔術的リアリズム - 現代美術用語辞典ver.2.0

魔術的リアリズム

Magic Realism(英), Magischer Realismus(独)

マジック・リアリズム、マギッシャー・リアリスムスとも言う。特定の潮流を指す名称ではなく、時代、地域、ジャンルを超えてさまざまな文脈で適用されてきた。文学の領域では現代イスパノアメリカ文学の一傾向を表わすが、美術においてはワイマール共和国時代のドイツにその発祥を見出すことができる。すなわち、1920年代の初頭、第一次世界大戦後の社会不安のなか、反表現主義的な立場から生まれた新しいリアリズムの潮流である。即物的、客観的な態度で対象の再現にのぞむ具象表現という観点から、G・F・ハルトラウプが提唱した新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)と混同して語られるか、もしくはその一部とみなされることが多い。ハルトラウプが「新即物主義表現主義以後のドイツ絵画」展をマンハイム美術館で開催した25年、美術史家・写真家のF・ローは『表現主義以後』と題された著書を刊行し、ここに初めて魔術的リアリズムの名称が登場する。同書でローは、表現主義表現主義以降の美術を「エクスタシー的対象/醒めた対象」「客体抑圧的/客体の明確化」「動力的/静力学的」などの二項対立で図式化し、さらにその後、表現主義以後の動向の代表格として、M・ベックマン、O・ディクス、A・カノルト、A・レーダーシャイト、G・シュリンプフらのほか、イタリアフランススペインの画家の名前をリストに挙げた。卑近な対象を冷たく無機質な描写で描き、事物の背後にひそむ謎めいた感覚を引き出すのが魔術的リアリズムの典型的なスタイルと言える。こうした作風は、ジョルジョ・デ・キリコの絵画がドイツの画家たちに与えた影響を物語るものである。魔術的リアリズムは、その後オランダアメリカスペインにも第二世代にあたる潮流を生み出した。また、50年代後半あたりから活動を開始した現代スペインの写実画家アントニオ・ロペスガルシアとその周辺に集う画家たちも、徹底した観察眼で対象に迫りながらどこか超現実的な雰囲気を醸し出す作風から、「魔術的リアリズム」あるいは「マドリードリアリズム」と称されるときがある。

著者: 中島水緒

http://artscape.jp/artword/index.php/%E9%AD%94%E8%A1%93%E7%9A%84%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0


マジックリアリズム - Wikipedia

魔術的リアリズム」とは元々、ドイツ人写真家、美術評論家であるフランツ・ローが1925年のマンハイム美術館で行われた『新即物主義展(ノイエ・ザッハリヒカイト)』で展示されていた「冷静に現実を表現することによって現れる魔術的な非現実」を感じる作品群の美術的表現であるが、次第に文学表現にも使われるようになった。ヴァイマール時代の魔術的リアリズムの最大の作家はエルンスト・ユンガーだろう。まさに「魔術的非現実」と「合理的現実」を同時に見るという複眼的視線に基づくユンガーの文学は、ドイツ魔術的リアリズムの代表とされ、また夢への強い志向や高度な幻想性を持つユンガーの立場は、ドイツ固有のシュルレアリスム、あるいはシュルレアリスムドイツ的代替として評価されている(Karl Heinz Bohrer:Die Aesthetik des Schreckens.)。またフランツ・カフカギュンター・グラス魔術的リアリズムカテゴライズされることがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0


◇ Magic realism - Wikipedia, the free encyclopedia

Etymology

While the term magical realism in its modern sense first appeared in 1955, the German art critic Franz Roh first used the phrase in 1925, to refer to a painterly style also known as Neue Sachlichkeit (the New Objectivity),[4] an alternative championed by fellow German museum director Gustav Hartlaub.[5] Roh believed magic realism is related to, but distinctive from, surrealism, due to magic realism's focus on the material object and the actual existence of things in the world, as opposed to the more cerebral, psychological and subconscious reality that the surrealists explored.[6] Magic realism was later used to describe the uncanny realism by American painters such as Ivan Albright, Paul Cadmus, George Tooker and other artists during the 1940s and 1950s. However, in contrast with its use in literature, magical realist art does not often include overtly fantastic or magical content, but rather looks at the mundane through a hyper-realistic and often mysterious lens.[7] The extent to which magical elements enter in visual art depends on the subcategory, discussed in detail below.

Determining who coined the term magical realism (as opposed to magic realism) is controversial among literary critics. Maggie Ann Bowers argues that it first emerged in the 1955 essay "Magical Realism in Spanish American Fiction" by critic Angel Flores. She notes that while Flores names Jorge Luis Borges as the first magical realist (some critics consider him a predecessor, not actually a magical realist), he fails to acknowledge either Alejo Carpentier or Arturo Uslar-Pietri for bringing Roh's magic realism to Latin America.[6] However, both Luis Leal and Irene Guenther, (referencing Pietri and Jean Weisgerber texts, respectively), attest that Pietri was one of the first, if not the first, to apply the term to Latin American literature.[8][9]

Surrealism

Surrealism is often confused with magical realism as they both explore illogical or non-realist aspects of humanity and existence. There is a strong historical connection between Franz Roh's concept of magic realism and surrealism, as well as the resulting influence on Carpentier's marvelous reality; however, important differences remain. Surrealism "is most distanced from magical realism [in that] the aspects that it explores are associated not with material reality but with the imagination and the mind, and in particular it attempts to express the 'inner life' and psychology of humans through art." It seeks to express the sub-conscious, unconscious, the repressed and inexpressible. Magical realism, on the other hand, rarely presents the extraordinary in the form of a dream or a psychological experience. "To do so," Bowers writes, "takes the magic of recognizable material reality and places it into the little understood world of the imagination. The ordinariness of magical realism's magic relies on its accepted and unquestioned position in tangible and material reality."[59]

Visual art

Historical development

The painterly style began evolving as early as the first decade of the 20th century,[68] but 1925 was when magischer realismus and neue sachlichkeit were officially recognized as major trends. This was the year that Franz Roh published his book on the subject, Nach Expressionismus: Magischer Realismus: Probleme der neuesten europäischen Malerei (translated as After Expressionism: Magical Realism: Problems of the Newest European Painting) and Gustav Hartlaub curated the seminal exhibition on the theme, entitled simply Neue Sachlichkeit (translated as New Objectivity), at the Kunsthalle Mannheim in Mannheim, Germany.[69] Irene Guenthe refers most frequently to the New Objectivity, rather than magical realism; which is attributed to that New objectivity is practical based, referential (to real practicing artists), while the magical realism is theoretical or critic's rhetoric. Eventually under Massimo Bontempelli guidance, the term magic realism was fully embraced by the German as well as in Italian practicing communities.[70]


New Objectivity saw an utter rejection of the preceding impressionist and expressionist movements, and Hartlaub curated his exhibition under the guideline: only those, "who have remained true or have returned to a positive, palpable reality,"[71] in order to reveal the truth of the times,"[72] would be included. The style was roughly divided into two subcategories: conservative, (neo-)classicist painting, and generally left-wing, politically motivated Verists.[72] The following quote by Hartlaub distinguishes the two, though mostly with reference to Germany; however, one might apply the logic to all relevant European countries. "In the new art, he saw"[72]


a right, a left wing. One, conservative towards Classicism, taking roots in timelessness, wanting to sanctify again the healthy, physically plastic in pure drawing after nature...after so much eccentricity and chaos [a reference to the repercussions of World War I]... The other, the left, glaringly contemporary, far less artistically faithful, rather born of the negation of art, seeking to expose the chaos, the true face of our time, with an addiction to primitive fact-finding and nervous baring of the self... There is nothing left but to affirm it [the new art], especially since it seems strong enough to raise new artistic willpower.[73]


Both sides were seen all over Europe during the 1920s and 1930s, ranging from the Netherlands to Austria, France to Russia, with Germany and Italy as centers of growth.[74] Indeed, Italian Giorgio de Chirico, producing works in the late 1910s under the style arte metafisica (translated as Metaphysical art), is seen as a precursor and as having an "influence...greater than any other painter on the artists of New Objectivity."[75][76]


Further afield, American painters were later (in the 1940s and 1950s, mostly) coined magical realists; a link between these artists and the Neue Sachlichkeit of the 1920s was explicitly made in the New York Museum of Modern Art exhibition, tellingly titled "American Realists and Magic Realists."[77] French magical realist Pierre Roy, who worked and showed successfully in the US, is cited as having "helped spread Franz Roh's formulations" to the United States.[78]

http://en.wikipedia.org/wiki/Magic_realism

アレホ・カルペンティエル - Wikipedia

アレホ・カルペンティエル(アレッホ・カルペンティエール、Alejo Carpentier y Valmont, 1904年12月26日 - 1980年4月24日)はキューバジャーナリスト小説家音楽評論家。20世紀のラテンアメリカ文学に大きな影響を与えた。

1904年、スイスのローザンヌに生まれる(長い間、彼の出生直後に転居したハバナ生まれと思われていたが、彼の死後に出生証明書がスイスで発見された)。母はロシア語の教授、父はフランスの建築家だった。12歳時にパリへ転居し、音楽理論に傾倒した。キューバ帰国後はハバナ大学で建築学を学んだ。やがて左翼ジャーナリストになり、独裁者ヘラルド・マチャードを非難し若干の刑期を過ごす。

1928年、フランス亡命後は、アンドレ・ブルトンポール・エリュアールルイ・アラゴンジャック・プレヴェール、アントナン・アルトーシュールレアリスムの作家たちと交友。1933年、処女作『エクエ・ヤンバ・オ』を刊行。フランス滞在時にスペインを何度か訪問し、バロックに対する興味を高めた。帰国後はジャーナリストとして活躍。ブードゥー教の儀式に出席し、アフロ・キューバン主義に関心を持った。パリ滞在中には画家の藤田嗣治と親交を結び、1931年に藤田夫妻をキューバに招待。その際、藤田は盗難に会うが、作品を描き、チャリティーを行なって旅費を稼いだといわれている。

1943年に演出家ルイ・ジューヴェとともにハイチを訪れ、19世紀の黒人王アンリ・クリストフの建てたシタデル・ラ・フェリエールの砦とサン=スーシ宮殿を見学。このときオスヴァルト・シュペングラーの著作を読み、その循環史観から『この世の王国』(1949年)の着想を得た。1945年からフルヘンシオ・バティスタ独裁政権の干渉を受けてベネズエラに在住。キューバ革命後の1959年に帰国し、フィデル・カストロ政権の元、文化活動のリーダーとして大御所的存在となる。1968年以降、文化担当官としてパリに在住。1978年にはスペイン語圏最高の文学賞であるセルバンテス賞を受賞。1980年4月24日にパリで逝去。2000年にキューバで彼の名を冠したカルペンティエル文学賞が創設された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%9B%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%AB


◇ アレホ・カルペンティエル (1904-1980) - キューバ研究室 Sala de Estudio sobre Cuba

 小説『光の世紀』、『この世の王国』などで知られる、キューバの代表的な作家、アレホ・カルペンティエルを紹介しよう。


 今世紀に入り、キューバは、90年代に苦しんだ国内の経済危機も回復する中、出版活動も回復のきざしを見せ始め、カルペンティエルの作品が、再び注目を集めている。2004年には、生誕100周年の記念シンポ、会議、再出版、テレビでの特集など行われ、カルペンティエルは、20世紀キューバ文学の独創的かつ普遍的で、「驚異的現実」(アメリカ大陸には驚異的なものと現実的なものが混在し、共存しているという理念)の創造者として評価された。同年11月には、キューバの芸術機関である「カサ・デ・アメリカス」により国際会議「アレホ・カルペンティエルの世紀」が開催された。


 カルペンティエルは、1904年12月26日ハバナフランス人の建築家の父とキューバ人の母の間に生まれた。1912年勉学のためフランスに渡り、9年後キューバに帰国、ハバナ大学で建築学を学んだ。しかし、その後ジャーナリズムに身を投じ、時事問題、文化問題に健筆を振るった。1943年から59年までキューバでの弾圧を避けてベネズエラに亡命。代表的な作品で日本語に翻訳されているものは下記の通りである。


 1978年にはスペイン語圏最高の文学賞であるセルバンテス文学賞を受賞し、1980年4月24日パリで死去した。彼は、「魔術的リアリズム」を駆使し、アルゼンチンホルヘ・ルイス・ボルヘスメキシコのフアン・ルルホと並んで20世紀のラテンアメリカ文学の刷新に貢献したもっとも著名な作家と見なされている。

http://estudio-cuba.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/1904-1980-3e0d.html

Franz Roh - Wikipedia, the free encyclopedia

Franz Roh (February 21, 1890 – December 30, 1965), was a German historian, photographer, and art critic. He is perhaps best known for his 1925 book Nach Expressionismus: Magischer Realismus: Probleme der neuesten europäischen Malerei ("After expressionism: Magical Realism: Problems of the newest European painting") he coined the term magic realism.

Roh was born in Apolda (in present-day Thuringia), Germany. He studied at universities in Leipzig, Berlin, and Basel. In 1920, he received his Ph. D. in Munich for a work on Dutch paintings of the 17th century. As a photographer and critic, he absolutely hated photographs that were to be like a painting, charcoal, or drawings. During the Nazi regime, he was isolated and briefly put in jail for his book Foto-Auge (Photo-Eye); he used his jail time he used to write the book Der Verkannte Künstler: Geschichte und Theorie des kulturellen Mißverstehens ("The unrecognized artist: history and theory of cultural misunderstanding"). After the war, in 1946, he married art historian Juliane Bartsch. He died in Munich.

Roh and magic realism

Roh is perhaps best remembered as the critic who coined the term magic realism―a translation of his Magischer Realismus―which he first used in 1925 in "Magic Realism: Post-Expressionism," an essay about the visual arts. But, though the lineage is direct, his magic realism has a very different meaning from the one used to describe the work of writers such as Gabriel Garcia Marquez and Isabel Allende that dominates our current understanding of the term. Roh, celebrating the post-expressionist return of the visual arts to figural representation, utilized the phenomenology of Edmund Husserl and Martin Heidegger to emphasize that "the autonomy of the objective world around us was once more to be enjoyed; the wonder of matter that could crystallize into objects was to be seen anew."[1] Roh was, then, emphasizing the "magic" of the normal world as it presents itself to us (i.e., how, when we really look at everyday objects, they can appear strange and fantastic) and not the world of magic (in which objects are literally transformed into something fantastic) that the literary school emphasizes. Roh himself, writing in the 1950s and perhaps already seeing the confusion his term had caused in this regard, emphasized that his use of the word magic was, "of course not in the religious-psychological sense of ethnology."[2]

Roh's magic realism, though not often written about in recent years, is nonetheless an important contribution to a phenomenological or existential theory of aesthetics. This link is emphasized by the fact that it was the Spanish phenomenologist José Ortega y Gasset's disciple Fernando Vela who translated Roh's essay into Spanish, thereby setting the stage for its appropriation by the literary movement.

http://en.wikipedia.org/wiki/Franz_Roh


◇ Franz Roh: Photography & Collage from the 1930's | Ubu Gallery

http://www.ubugallery.com/franz-roh-photography-collage-from-the-1930s/#.U0_TR-afYlh


◇ 作家略歴 - 本の構成者 エル・リシツキー

フランツ・ロー

Roh, Franz

ドイツ 1890-1965

写真家評論家、美術史家

『Cicerone』、『Kunstblatt』等芸術関係の雑誌の出版に携わる

1925年ナジの勧めによって魔術的レアリスムマジック・リアリズム)を提起する。

1929年チヒョルトタイポグラフィを担当して共同編集で出版した『写真の眼』を刊行し、その中でフォトグラムやフォトモンタージュ等の当時の新しい写真の表現法を擁護し発展させた。それをもとに同年シュトゥットガルトドイツ工作連盟主催の「映画と写真」展を開催。モホイ=ナジ、リシツキー、ハートフィールド等が参加した。1930年モホイ=ナジの写真集『六十枚の写真』を編集した。フォトグラムに関する著述も残している。

1946年ミュンヘンの大学で教授職に就く。1951年AICA(美術評論家連盟)の代表に就任。

精神の機械化という視点から写真が重要で効果的な武器である主張した。

http://www.musabi.ac.jp/library/muse/tenrankai/kikaku/2002/lissitzky/eachbio/eachbio06_r.html#Roh, Franz


◇Lissitzky, El ; Roh, Franz + Tschichold, Jan [ed.](エル・リシツキー他) / foto-auge | 古本買取 - SO BOOKS

20年代前衛美術の到来とともに表れてきた、フォトグラムモンタージュなどの新しい写真の表現を紹介した、フランツ・ローとヤン・チヒョルトによる編集による『写真の眼』。本書はその1929年初版オリジナルの後年の復刻版。収録作家は、エル・リシツキーの他、アジェ、マン・レイゲオルゲ・グロッス、ラスロ・モホリ=ナギ、マックス・エルンスト、ヘルベルト・バイヤー、モーリス・タバール、レンガー・パッチェ、ハートフィールド、ピート・ツワルトなど、他無名作家をも含め多数。ヤン・チヒョルトによるブック・デザイン(タイポグラフィー)。フランツ・ローによるテキスト『Mechanismus und ausdruck』。表紙写真はエル・リシツキーのセルフ・ポートレイトモンタージュ。表紙や小口に黄シミ。刊行年からすると状態は並上。

独仏英併記 / 29x21cm / 写真図版点数76点 / モノクロ

http://www.book-oga.com/yimages/foto_auge.html


◇ 本の詳細『foto-auge oeil et photo photo-eye』(フランツ・ロー ヤン・チヒョルト) - 古本・古書の買取・販売 小宮山書店

http://www.book-komiyama.co.jp/booklist_detail.php?item_id=45418


◇ あたらしい写真表現 - Words from Flying Books

フランツ・ローとヤン・チヒョルト編集による、『Foto-Auge― Oeil et Photo―Photo-Eye』。

http://www.flying-books.com/blog/?p=3723%22


◇ 『光画』 - 現代美術用語辞典ver.2.0

誌面では、東西のさまざまな写真家たちによるスナップショットフォトグラム、フォトモンタージュなどを用いた新興写真の作品を多く紹介したほか、伊奈、柳宗悦、中井正一、原弘、長谷川如是閑らの論考や、モホイ=ナジ、フランツ・ロー、ベレニス・アボットなどによる論考の日本語訳も積極的に掲載。

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E5%85%89%E7%94%BB%E3%80%8F


◇ 光画 - Webcat Plus

メカニズムと表現--寫眞の本質と價値 / フランツ・ロー

・「メカニズムと表現」といふテーマに對するテーゼとアンチテーゼ / フランツ・ロー

http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/24479918.html

ノイエ・フォトグラフィー | 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 | 展覧会・イベントの検索 | 美術館・博物館・イベント・展覧会 - インターネットミュージアム

ノイエ・フォトグラフィー

1920-30年代のドイツ写真

2008年4月6日(日)〜2008年6月22日(日)

http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=48680

カール・グロスベルクとフランツ・ラジヴィル

◇ "Carl Grossberg" - Google 検索

http://j.mp/1eW5mSb


◇ Category:Carl Grossberg – Wikimedia Commons

http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Carl_Grossberg


◇ "Franz Radziwill" - Google 検索

http://j.mp/1eW4NI4


◇ Franz Radziwill Haus

http://www.radziwill.de/radziwill/home.html

Eds. Zoya Kocur, Simon Leung『Theory in Contemporary Art since 1985』

http://www.amazon.co.jp/Theory-Contemporary-Art-since-1985/dp/1444338579

齋木克裕「フェリックス・ゴンザレス=トレス作品を鑑賞形態の変容として見る問題点、ミニマル・アート×パーソナルな物語として見る問題点」 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/316289

Turner Prize - Wikipedia, the free encyclopedia

1986

The controversial art duo Gilbert & George were awarded after a previous nomination in 1984. Other nominees included Art & Language (collaborative group composed of Michael Baldwin and Mel Ramsden), sculpture/printing artist Victor Burgin, painter Derek Jarman, painter Stephen McKenna and sculptor Bill Woodrow.

http://en.wikipedia.org/wiki/Turner_Prize

トランセンデンタリズム とは - コトバンク

トランセンデンタリズム【Transcendentalism】

アメリカ思想家R.W.エマソンとその周囲の文人,宗教家たちのロマン主義思想をいう。超越主義,超絶主義と訳す。エマソンの《自然》(1836)出版後,彼の周囲に集まったユニテリアン派の牧師たち(ヘッジFrederic H.Hedge,T.パーカーリプリーGeorge Ripley,W.E.チャニングら),随筆家H.D.ソロー,教育家A.B.オールコット,批評家S.M.フラー,詩人チャニングWilliam E.Channing,ベリーJones Veryなどがその代表者である。

http://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

【あったら要注意】玄関にある記号(マーキング)一覧【騙しやすいカモの住人】 - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2131079664111259501

【男ってシンプルw】画像でわかる男と女の違い【10選】 - BuZZNews(バズニュース) 世界の話題をあなたに!

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