Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

鈴木心個展「サテライト」で作品を購入しました

第24回 『ひとつぼ展』グランプリ受賞者個展  鈴木心「サテライト」 
3月6日(月)〜3月16日(木)
http://www.recruit.co.jp/GG/exhibition/2006/gg_0603.html
http://www.recruit.co.jp/GG/Interview/23_suzuki.html
http://www.recruit.co.jp/GG/compe/3.3/PDF/tubo_kokai_24s.pdf
http://shinsuzuki.com/
http://d.hatena.ne.jp/uncox/

『STUDIO VOICE』2006年4月号より その1

「1980年にロンドンでラッセル・ミルズの絵を買ったの。彼の個展会場だった。
11万ぐらいだったんだけど、悩みに悩んで。だけどものすごい、いい経験だった
ね、身銭を切るってのは。だって自分は人にそういうことさせてるんだから。こ
んなにドキドキして大変なことなのかと思ったね。お金ができてからじゃなくて、
若くて金がない時期に絵を買うっていうのが大事だよ。」
「世の中でこれがいくらの価値があるとかっていうのは、当然興味ない。
自分の感性を揺さぶられたってことの、印を置いておきたかったのね。
そのときの気持ちを忘れたくなかった。」
大竹伸朗
http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/newest.html

『STUDIO VOICE』2006年4月号より その2

「いま、うちに偽物のウォーホルの油絵がかかってるのね、みんなの反応がほん
とおもしろい。「昔買ったんですか?」「いや去年です」「えーっ、億でしょ」
みたいな。「いや、3500円」って言ったとたんに態度が変わる、見事に。」
「作った人のエネルギーのカケラをもらうのに、これじゃなきゃダメっていうのはないし。」
「でも身銭切るのは大事だよね。コレクションしてない評論家って信じないもん。」
都築響一
http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/newest.html

『STUDIO VOICE』2006年1月号より

「そして、その利用の一つに“作品を買う”という行為があるのが理想でしょうね。ヴィンテージ家具には何万も出すけれど、5000円の作品は買わないというのははやりどこか間違っている。よく日本にはアートのマーケットがないと言われますが、それは自分達がアートを買っていないから。“買う/所有する”という行為も、ただ“眺める”のとは違って、アートにふれるための非常に面白い行為の一つなので、是非試してもらいたいと思います。そうやって新たなマーケットを築くことができれば、作家が特別なギャラリーに擦り寄っていく必要もなくなり、より自由な表現が生まれる可能性が広がっていくはずです。まずは、作品を買うなり、意見を持つなりして、作品を通じたコミュニケーションの中に足を踏み入れること。これが良い作品に出会うために、一番大切なことだと思います。」
(批評家・杉田敦
http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/back_issues/2006/sv-contents0602.html

クリティーク杉田敦氏インタビュー

http://www.lares.dti.ne.jp/~umi/mrsugita.htm
「社会彫刻というのは、ボイスの考え方がシュタイナーの思想に近いこともあり、誤解されることもあるのだけれど、ある意味では極めて真実であると思う。看護婦さんは看護婦という自分の職業を通して社会を彫刻している、工員さんは工員という自分の職業を通して社会を彫刻している。絵を描く人も絵を描くことで社会を彫刻している。絵を描く人だけがアーティストなのではなくて、すべての科学者も工員さんもアーティストになるんだということをボイスは言うわけなんです。その考え方は西洋の美術の中に、非常に深く根を降ろしていくわけです。ひとつには美術館のあり方が壊れて、美術館は外に開いていく。美術展の在り方もどんどん組織を巻き込み、地域社会に根を下ろしていくという、社会との密接な関係を作り上げていきます。」※上記リンクより


(関連リンク)
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-3038-7.html
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-3079-4.html
http://blogs.dion.ne.jp/ameharelog/archives/1353874.html
http://blogs.dion.ne.jp/ameharelog/archives/1157730.html
http://www.parco-art.com/web/archives/logos/past_logos/2002/sugita.html

「地下意識としての写真」「ざわめく視覚 画像論のエスペランザ」ほか(杉田敦)

http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/files/sugita.html
http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/files/sugita_2.html
http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/files/sugita_3.html
※写真家・伊奈英二さんのウェブサイト「Criticism」より
 http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/


村上春樹に対する集合的憎悪?と集合的愛情?

面白く読んだ作品ももちろん多いのですが、
私自身は村上春樹の小説に耽溺するような人々の態度と心性を
あまり好ましいものだとは思っていません。
それにしても、安原顯さんは最期の最後に乱心したのでしょうか。
それがどういう事態を招くのか、わかっていてあえてそうしたのでしょうか。
ちょっと調べてみて気になったサイトのリンクを。


安原顯『乱読すれど乱心せず』(春風社website)より
「表現行為とは時に、それに触れるや発狂するやもしれぬ猛毒であり、人生、生存とは他者を犠牲にし、時には他者を殺すことでもある」
「表層的な癒しや安っぽい感傷に満ちた小説などいらぬ!」
「馬鹿国民、馬鹿マスコミは怒りもせず、ワイドショウを垂れ流し、馬鹿国民はそれを見てへらへらと日々を送っている。」
「ここまで白痴化させた父兄と学校の責任は重いが、この白痴化、今後促進されることはあっても改善されることはあり得ないと思うと、実に末恐ろしい気がする。」
http://shumpu.com/pub/books/4921146675.html


◇「内田樹の研究室」より
「どうして村上春樹はある種の批評家たちからこれほど深い憎しみを向けられるのか?
この日記にも何度も記したトピックだが、私にはいまだにその理由がわからない
けれどもこの憎しみが「日本の文学」のある種の生理現象であるということまではわかる。
ここに日本文学の深層に至る深い斜坑が走っていることが私には直感できる。」
http://blog.tatsuru.com/archives/001595.php


◇「Sound and Fury.」より
「私は、ここを読んで逆に、村上春樹が「ある種の批評家(現代作家)たちからこれほど深い愛情を向けられるのか?」という疑問が浮かんでしまった。」
http://d.hatena.ne.jp/merubook/20060312/p2


◇「Living, Loving, Thinking」より
安原顯という人が編集者として凄い人だったのは今更いうまでもないだろう。彼がいなければ、蓮實重彦鷲田清一といった人々の存在が仏蘭西文学や哲学という専門的なサークルを越えて一般に知られるようになったかどうかは怪しい。フーコーにしてもそうである。文章家としての安原顯については、死の直前に幻冬舎のPR雑誌に連載されていた日本の短編小説を読むというような企画が好きだった。事実、これを読むことによって、私は〈私小説〉というものに対するスタンスを変えた。」
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060313


◇「goo版「小説家」のできるまで」より
「「自筆原稿流出」が始まって今ほど時間が経過していなかった時点で、こうして事実がすでに公にされていたのである。上記のように、村上春樹が指摘してはじめて発覚した、というわけではないのだ。だから、上記の毎日新聞の記事中にあるような「〜が(初めて)明らかになった」といったニュアンスの表現は、なんとなくアホみたいである。中央公論新社の「今回の問題は村上氏のご指摘で把握」というのも、いかにもマヌケだ。
要するに。坪内祐三がとっくの昔に指摘しているのに、誰もことの重大性について考えずに3年も放置されてきたのである。むろん、私自身も。こうして村上春樹が思い余ったように「文藝春秋」に書くまでは、深くは考えてこなかった。」
http://blog.goo.ne.jp/arakiorihiko/e/8f84a50007221af27df94aa49f71e20f


◇「いやしのつえ」
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20060310


◇「Jose Machos:hey vato!」
http://d.hatena.ne.jp/vato/20060311


◇「キッチンに入るな」
http://outofthekitchen.blog47.fc2.com/blog-entry-254.html


◇「かわうそ亭の時事雑感 インターネット書評は読むに耐えないか――bk1をめぐって」
http://homepage1.nifty.com/~easy/web_bookreview.htm


◇「ヤスケン・ラストインタビュー!」
http://www.bk1.co.jp/contents/columns/backnumber/00000000_0082_0000000006.asp?partnerid=p-ken200606


◇「ブックサイト ヤスケン
http://alkali.gooside.com/yasuken_index.html
http://www.bk1.co.jp/contents/columns/backnumber/00000000_0075_0000000001.asp

しかし、そうなると、芸術という観念を拡大して、あらゆる想像力を含みこまなければならない。そうすれば当然、生きとし生けるもの、すべてが芸術家――自らの可能性を展開できるという意味で――だ、ということになる。(ヨーゼフ・ボイス)

http://www.b-sou.com/palw-Beuys.htm


「そして私達全員、習練されるのに値する「創造性」を内に秘めており、その「創造性」は、世界のあらゆるところにおいて発揮されるべきで、私達のすべてがそのことに気付く能力と、権利を持っているのだ。少数の天才とよばれた「芸術家」達だけのためのものであった古い芸術の栄光と歴史は行き場をなくして硬直しており、今こそ私達人間全員の無意識の内に抑圧された「創造性」は、私達の生命、魂、精神のうちにおいて呼び起こされ、広い世界、宇宙へと解き放たれ、いきいきと躍動する新たな「芸術」へと変容を遂げなくてはならない。これこそ、ボイスが最高の芸術作品と呼ぶ『拡張された芸術概念』なのである。」(岡原正幸ゼミ「ボイス」より)
http://oka.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/pukiwiki.php?%A5%DC%A5%A4%A5%B9