2005年4月の初個展ステートメント*5
Trans A.M.(トランス・エー・エム)
いまさら言挙げすることでもありませんが、人間の視覚は網膜
的ではありません。つねに脳髄的な認識です。網膜的であるこ
とを否定し、脳髄的であれなどと念押しする必要もありません。
人間的現実とは、つねに脳髄によって再構成されたものです。
しかし、生(き)のままの現実=外界世界は、人間的現実の有
無にかかわりなく存在しています。それは、人間の情緒などに
奉仕するものではありません。風景は観念の挿絵ではないので
す。網膜から脳髄へと接続する神経回路の秩序を、カメラとい
う人工網膜がアウトプットする写真によって、カオスに導くこ
と。そして、神経回路を流れるパルスを短絡させてしまうこと。
そうした人間的現実の切断によって、個の意識と知覚的対象物
との関係を見つめ直すために、写真に取り組んでいます。
〔付記〕
trans-
「越えて」「横切って」「貫いて」「通り抜けて」
「他の側へ」「別の状態[場所]へ」「超越して」
「…の向こう側の」「【化】 トランス形の 」
「【化】 周期表で…より後ろに位置する」
「完全に変形[移転, 転位]するように[な]」
「【天】 太陽からみて…より遠い」の意.
『リーダーズ英和辞典第2版』より
金村修 第19回土門拳賞受賞作品展「BLACK PARACHUTE EARS, 1999」銀座ニコンサロン - artscape -- 村田 真(2000年)
写真で撮れるような風景を絵に描くヤツはアホだが、絵で描ける風景を写真に撮るヤツはもっとアホだ。金村の撮る風景はだれも絵に描かないし、描けない。写真による写真のための写真ならではの写真なのだ。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artscape/0005/murata/0424.html
大谷能生『貧しい音楽』関連
◇ 音の夢をなぜみないか。或いは、ジョン・ケージだから関係ない:大谷能生『貧しい音楽』を読みながら - みみのまばたき
http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20071103/1194097158
◇ 大谷能生『貧しい音楽』 - pasearse
http://d.hatena.ne.jp/accidia/20071102
◎ 大谷能生の新・朝顔観察日記
http://www.ootany.com/
John Cage - 4'33" by David Tudor
http://www.youtube.com/watch?v=HypmW4Yd7SY
◇ 4’32”に起こったこと - Beach Diary (よりぬき)
http://d.hatena.ne.jp/kaerusan/20080205
連載 美術の基礎問題 バックナンバー
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/archives/serial.html
美術ジャーナリスト・村田真さんのartscape連載記事バックナンバー
ウェブサイト更新(昨日)http://www.nobuhiro-fukui.com/
◇「photographs 29」に1点追加
http://www.nobuhiro-fukui.com/frame_thumb_01.html