Übungsplatz〔練習場〕 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-08-24 この夏またひとつ黒歴史が加わった。

この夏またひとつ黒歴史が加わった。


f:id:n-291:20080824005943j:image

Circulation  |  | >>>

菊池寛実記念 智美術館

http://www.musee-tomo.or.jp/

limArt artbooks & interior /リムアート

http://www.limart.net/

老舗画廊が集まる銀座でアートをたのしむ! ガイド:橋本誠(キュレーター) - [アート・美術展]All About

http://allabout.co.jp/interest/art/closeup/CU20080815A/

高木浩光さんのブログより3題

◇ 日本のインターネットが終了する日 - 高木浩光@自宅の日記

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080710.html#p01


◇ 「日本のインターネットが終了する日」あとがき - 高木浩光@自宅の日記

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080722.html#p01


◇ 「LOCATION VIEW」のプライバシーへの配慮状況 - 高木浩光@自宅の日記

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080822.html#p01

Googleストリートビュー関連。

インターネット先進ユーザーの会(MIAU)主宰の公開シンポジウム「Google ストリートビュー"問題"を考える」が開催されます。

◇ 公開シンポジウム「Google ストリートビュー"問題"を考える」開催のお知らせ - MIAU

8月5日、Googleは同社が運営する地図サービスの「Googleマップ」上に地上から見た道路の風景を表示する「ストリートビュー」機能を追加しました。便利で革新的なサービスであると評価する向きがある反面、肖像権やプライバシーといった人権的観点から、セキュリティ・防犯といった社会的な市民のリスクを憂慮する声まで、幅広い懸念が指摘されています。

意図せず写り込んでしまった人物や、個人の邸宅の内部、車のナンバープレートなど、グーグル社でも一定の対応はしているものの、ネットに一旦掲載されてしまった後で指摘を受け削除されたものも少なからずあります。日本に先駆けてサービスを開始した米国でも訴訟が提起されたり、またカナダではプライバシー保護法に抵触するのではないかと指摘されるなど、各国で議論を巻き起こしている状況です。

私どもMIAUは、ユーザー視点でこうした新しいウェブサービスについて考えていくべきとの立場から、まず「プライバシー」とは何なのか、そして「ストリートビュー」がその「プライバシー」に与える影響は如何なるものなのか、負の影響があるとしたらグーグル社が取るべき対策とはどういうものか——といった論点を整理していくことが肝要だと考えています。おそらく、「プライバシー」のみならず技術・法律・社会の意識などを視野に入れなければならず、ストリートビューが是か非かという単純な問いでは収まらない問題でしょう。

そこで、各方面の専門家の方々のご意見を伺い、「ストリートビュー」を議論していく上で前提となる共通理解を築いていくことを目的として、今回のシンポジウムを開催させていただきます。

●日時

2008年08月27日(水)午後6時30分〜8時30分(午後6時10分開場)

●場所

杉並区 産業商工会館(杉並区阿佐谷南3-2-19)

※JR中央本線 阿佐ヶ谷駅より徒歩5分

 東京メトロ丸ノ内線 南阿佐ヶ谷駅より徒歩3分

●参加費

1000円(学生の方は学生証提示で無料)

●登壇者(50音順、敬称略)

河村真紀子(主婦連合会常任委員)

壇俊光(弁護士)

山田健太(専修大学准教授)

※上記登壇者以外の方も現在調整中です。

コーディネーター:中川譲(インターネット先進ユーザーの会・多摩大学情報社会学研究所研究員)

●参加申し込み

不要(会場に直接いらしてください)

●主催

インターネット先進ユーザーの会(MIAU)http://miau.jp/

●次第

1. Googleストリートビューサービス概要と問題点整理(10分)

2. パネリストより一言(15分)

3. パネルディスカッション(80分)

4. 会場及びネットからの質疑応答(15分)


●お問い合わせ先

MIAU事務局 info _at_ miau.jp (@に置き換えてください)

http://miau.jp/1219397839.phtml


◇ 8月27日(水)夜に、Googleストリートビュー問題を考えるシンポを開催します - 音楽配信メモ

MIAUでGoogleストリートビュー問題に関するシンポジウムを開催することになりました。個人的に今ホットな話題でいろいろ聞きたいところもあり、楽しみです。僕自身はパネル討論には参加しないですが、サービスの概要と問題点の解説で出演する予定です。

http://xtc.bz/index.php?ID=502

津田大介さんも出演されるとのこと。

TSUTAYA、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、CCCコミュニケーションズ、、、など

ティーポイント - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88


切込隊長BLOG(ブログ) 〜検事の視点キングダム: はてなの個人情報ゲットはTSUTAYA、楽天とのポイント交換ビジネスに参入するための布石だったらしい件について(2004年11月12日

http://kiri.jblog.org/archives/001154.html


◇ Within seconds, all stand naked. - タスカプレミアム

拡大化する事業【サクセスストーリー】TSUTAYA(3/5)

日本アニメのビデオをレンタルした大阪府在住の30〜36歳の女性、サスペンス映画をレンタルした全国の18〜22歳の男性というようなカテゴリ分けを行い、延べ200社にもおよぶ提携企業のサンプル商品の提供、ダイレクトメール(DM)の発送、アンケートの分析などを行っている。

 アンパンマンのビデオを借りた会員へ自動車ディーラー主催のアンパンマンショーの案内がとどいて新聞ダネになり、個人情報を横流ししているのではないかという疑いをCCC自身が持たれた。しかし、ADMSは、DM不要の会員は入会時に手渡されるその旨を記したハガキの郵送を行えばリストから除外すること、封筒にTSUTAYA CLUBと明記すること、個人情報をそのまま企業に渡さないこと、アダルト関連、宗教・政治団体とは取り引きしないこと、など個人情報の保護には気をつけていることを強調する。

 確かに、ADMSの手法は、顧客名簿を流さず自社の管理下で他社のDMに顧客名簿を利用するという「ブラインドレンタル」と呼ばれる方法で、出版社の日経BP社などが70年代後半から行っている。事業としてではないが、このような手法を使った外車ディーラー航空会社、信託会社と不動産会社などの提携はしょっちゅうある。とはいえ、会員規約にDM送付もあり得るということは記してあるが文字が小さく分かりづらい、DM不要ハガキはCCCチェーン店では受け付けられず必ず郵送しなければならないなどと、手軽にDMを断れないという指摘もあり、業務を拡大することによる、個人情報の取り扱いにはより厳しい目が注がれることになるだろう。

http://d.hatena.ne.jp/hoven/20041114#tsutaya


個人情報を転売するCCCビジネスについて - 【B面】犬にかぶらせろ!

例えば、20代の女性にDMを出そうと思った会社が「20代の独身女性の住所が欲しい」というオーダーを出し、それに答えて住所のリストを提供するっていうのは世間ではごく当たり前の話。でもTSUTAYAの場合、「20代後半で『ブリジット・ジョーンズの日記』を借りてる女性のリストが欲しい」っていうリクエストにまで対応できます*1。というか、TSUTAYAの運営母体カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)っていうのはそれを主体にいろんなマーケティングをからめた企画を行っている会社*2。

「巨乳ビデオを月に3本以上借りてる男性」とかで、相当ターゲットは絞れるからね。つまりTSUTAYAに預けた個人情報、自分の過去のレンタルのデータはダダ漏れ*3で、マーケティングやDM送付のためのリストとしてばっちり活用されてますよということ。

http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20041114/tsutaya


>>>ブックオフとツタヤ(CCC)の提携についてというか鈴木蘭々問題 - 【B面】犬にかぶらせろ!

"一企業が、誰がレンタルで何を借りているのかという情報に加えて、誰が

どんな本やCDを売り買いしているかという情報まで握っている状況っての

は恐い。それに比べりゃ国民総背番号制なんてかわいいもんだ。"

http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20061118/tsutaya

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061118#p5

「監視社会」の光と陰 - NTT西日本法人営業本部

http://www.ntt-west.co.jp/solution/hint/story/0509/index.html

神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授・田畑暁生さんのレクチャー

テクノロジーは幸福をもたらすか(Tony Long 2005年12月06日)- WIRED VISION

 テクノロジーによって従来の10倍速く仕事ができるからといって、そうすべきだということにはならない。身体はそのストレスに――一時的に――耐えられるかもしれないが、精神は商業主義社会の回し車のなかでじたばたと走り続けるようにはできていない。こんな話をすると、企業側の人間には嫌われそうだ。あなたから吸いとれば吸いとるほど、経費は下がり利幅は大きくなるのだから。なんといっても、利益こそ神だ(しかたがない、ひざまずきなさい)。

 しかし、企業にとっては善でも、あなたにとって善だとは限らない――たとえどれだけ不浄の金があなたの行く手にもたらされたとしても。

 芸術家や思想家の犠牲のもとに商人が大きな勢力を持ったとき、文明は間違いなく急激に衰退した。このとき、「自由、平等、友愛」というフランス革命の標語は、「自分の分はとったぞ、あとは知ったことか」に道を譲った(こんな姿勢は、18世紀の啓蒙思想家、ボルテールの時代にさえすでに存在していた。そのあげくが、貴族階級の不幸な末路なのだ)。大局的に見ると、今は亡き思想家たち――ジャン=ジャック・ルソー、H・D・ソロー、ジェームズ・ミル――は、米マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏、米アップルコンピュータ社のスティーブ・ジョブズ氏、米オラクル社のラリー・エリソン氏といった今を生きる経営者たちよりずっと、人々の幸福を考えていた。

 だが、株式市場中心の資本主義が今日の法定貨幣になり、これを大量消費主義が支え、テクノロジーが大いなる担い手になっている。テクノロジーは仕事を楽にするのだから恩恵をもたらしてくれると、あなたは思うだろうか? たわごとだ。テクノロジーがもたらす安楽というのは幻想にすぎない。あなたはテクノロジーの罠にはまっているテクノロジーのせいで、以前は必要ですらなかったものに支配され、いつの間にかそれなしでは生きられなくなってしまっている。そういったものを手に入れる金を稼ごうとして、あなたは狭い仕切りのなかで朽ちてゆく――本来なら、緑の野を散策したり、愛しい人を口説いたり、歌を作ったりすべきはずの時間に。

 夢想家のたわごとだと、冷笑するだろうか。そうして、あなたはこつこつ働いて、命をすり減らしながら、蓄えてゆく……何を?

 周りを見よう。社会から人間性が毎日少しずつ失われている。街なか――公共の場、と言い換えてもいい――での人の営みが、テクノロジーによって消されてゆく。チャットルーム、電子メールインスタントメッセージ(IM)といったものはどれも、技術的には、コミュニケーションの一種だ。しかし、これらのコミュニケーション技術が、隣人どうしのおしゃべり、バーでの雑談、友人とのちょっとした散歩などに取って代わるならば――こうした事態は「先進的な」社会に属する人々の間でますます広まっている――、人間どうしの有意義な触れ合いは失われてしまう。簡便さでは埋め合わせがきかない。

http://wiredvision.jp/archives/200512/2005120607.html

ひさしぶりに再読。

倉石信乃「監視の現在+ウォーカー・エヴァンズの超越」より+α

すなわち、都市には誰一人として「撮影する」者がおらず、代わりに万人が防犯カメラによって「撮影される」こと。そして写された自分の画像を誰も見たことがないということ。(中略)かくしてストリートから写真家が消える。都市から真の写真家が消え、無数の機械と「演出」家が浮上する。都市は語の正確な意味で劇場とみなされ、そこは現実ではなくなり、現実は監視される対象の別称となる。

http://www.amazon.co.jp/dp/4336046565

http://www.bk1.co.jp/Sakuhin.asp?ProductID=2531799

国書刊行会『写真との対話』所収。




株式会社エーディエス、動画配信のパイオニア|監視システム|動画配信サービス|ADS|柏市

(独)産業技術総合研究所の技術を導入して開発しました。従来のモーションセンサーとは異なり、監視カメラ映像から異常な動作を画像解析で自動検知、異常動作が起こると”警報を出す” ”警備員に通報する” ”そのときだけ高画質で録画する”など様々な対応が可能です。

正常動作の特徴を学習、統計処理で正常でない動作を異常と定義

一定の時間”正常な動作”を学習します。動作の特徴は(独)産業技術総合研究所が開発した特殊な画像解析手法で数値化することができます。正常動作の数値の分布を解析、統計処理で分布から外れたものを異常と定義します。画像解析でよくある異常動作の学習ではないので、異常動作の対象に制限がありません。

また追加学習も簡単に行えます。従って当初予期しない動きが正常であっても、追加学習で対応可能です。

http://www.adscorp.jp/kanshi/index03.html


◇ 監視社会における「正常」とは - 【海難記】 Wrecked on the Sea

追記:鈴木謙介の『〈反転〉するグローバリゼーションasin:4757141564にも、公共空間の私事化=民営化(プライバタイゼーション)をめぐる議論が出てくる。この本は社会学者としてのチャーリーの「魂」の在処がわかる快著だと思う。実際、この本で言われていることは、私がここしばらく考えていたことと、かなり重なるところがある。

以下、「公共空間の私事化」について触れている一節を引用しておく。

市場化されたセキュリティは、それが社会の中に浸透していくことで、公的領域を私的なセキュリティ空間へと読み替えていく作用をもっている。このことが問題なのは、治安活動が担っていた、社会的なものと反社会的なものを区別するという権力が、民間の手に委ねられることになるからだ。ゲイテッド・コミュニティの場合、その区別は、犯罪者(とその予備軍)の外側への排除(逆向きに見れば内向きの閉鎖)という形でなされていたが、むしろわが国のように国土が狭いという条件の下では、「問題あり」と見なされた存在は、社会のあらゆるところから排除されていくーーすなわちその存在を認められなくなるのである。

それにしても、このエントリーにこんなに反応があるとは思わなかった。

http://d.hatena.ne.jp/solar/20070501#p1


◇ 離れても安心見守りサービス(WBS 特集 20070617) - 高感度ビジネスマン?のWBSウォッチ

http://noysn08.tvblog.jp/001/2007/06/wbs_20070617_ccd7.html


◇ 車載カメラ - 監視社会WATCHER’S BLOG

これって、事故の記録じゃなくて、ドライバーの監視に目的がすりかわっていってしまっているように読めるのだけれど・・・。私が、トラックタクシードライバーだったら、この機能は勘弁である。

しかも、どうも以下を読むと、こうしたおそれって、単なる杞憂じゃないようなのである。

http://d.hatena.ne.jp/eyes_ubiquitous/20070615/1181988246


◇ 広告から見られる日 - 監視社会WATCHER’S BLOG

 街中に設置されたカメラというと、犯罪抑止あるいは記録のための監視/防犯カメラが真っ先に思い浮かぶが、どうも世の中それだけではすまないご時世のようだ。cnetのニュースから。

>>「顔認識をマーケティング活用 広告にカメラ取り付け性別・年齢をデータ化」

 体の一部の特徴から個人を特定する生体認証のひとつである「顔認識技術」をマーケティングや広告宣伝に活用する動きが広がっている。本来はセキュリティシステムに使われる技術だが、商業施設内などの広告に取り付けたカメラで、前で立ち止まって広告を見た人の性別や年齢を識別しデータ化。効果的な売り場のレイアウトや広告宣伝に生かす仕組み。IT(情報技術)各社が相次いでシステムを開発し、売り込んでいる。

 NECは昨年、広告に取り付けたカメラで顔認識技術で性別や年齢を識別しデータ化するシステムの販売を始めた。

 システムを導入した商業施設は「何歳くらいの男性あるいは女性がいつどこの広告をどれくらいの時間見たか」などを把握。このデータを基に、ターゲットの客層が多い場所に商品を配置するなど売り場をレイアウトできる。

 さらに同社は客層データと電子広告モニターを連動させるシステムを今年度中に開発し商品化する予定だ。

http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20372839,00.htm

広告は見るものと思っていたが、広告から見られる日が来ようとは・・・。

http://d.hatena.ne.jp/eyes_ubiquitous/20080512/1210598867

!!!

◇ YouTube - 【監視カメラ】夜中にウェイトレスがこんな事になるなんて・・・

http://jp.youtube.com/watch?v=9jOO95KgOJQ

監視社会を拒否する会

http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/

まだストリートビュー関連の記事はアップされていないようです。

監視カメラと表現

メディア・アートとしての映像 -自作に関わるノート - 飯村隆彦のメディア・アート

 ちなみに私は2006年マドリッドの国立ライナ・ソフィア美術館での「最初の世代:芸術と動く映像 1963-1986」展というビデオ・アートの初期20年あまりを特集する大規模な国際展に日本から唯一招待され、『FACE / INGS』(1974年)というビデオ・インスタレーションを展示した。この展覧会は主にビデオ・インスタレーションとテープ作品の歴史的な作品を回顧・特集するもので、ナム・ジュン・パイクやヴォルフ・フォステルの最初のビデオ・アート(1963年)から、またたく間に国際的に広がったビデオ・アートの重要な作品を網羅している。私の作品『FACE/INGS』は、1974年のパリ・国立近代美術館でのビデオ展に出品したもので、二台のカメラが距離を置いて向き合い、床面には双方向の矢印が描かれ、観客はその間に立ち、カメラを見るが、自らは後ろ姿しか見えない。言い換えれば、自分は後ろの頭のみ見えて、顔は他者によってのみ、見える。私はそこにビデオにおける「見る/見られる」関係のひとつの典型を見出した。今回はそれを壁に直接設置する監視カメラを使用することで、監視カメラが相互に監視し/される関係を結ぶことで、両者がともにキャンセルされることを明示した。いわば通常「隠された」監視カメラが現実に観客の眼前に「見える」ことで、それ自身ひとつの対象となった。 その間に介入する観客は、向かい合う2台の監視カメラの一方を自らの身体で「塞ぐ/隠す」ことで自己を明示する。--それも他者によって明示される。ここには2台のカメラの間の視覚的な弁証法がある。この関係を読みとることで、観客は監視カメラに「参加する」。記録されたインスタレーションのテープを見ると、不審そうな顔から、興味深い顔まで、多様な顔(と頭)が収録されている。この記録用のモニターも作品の一部として、2台のカメラがひとつのモニターの分割スクリーンに対面する形で配置され、観客が参照できた。

http://www.takaiimura.com/review/mediaart.html

http://www.takaiimura.com/homej.html


◇ 伊奈英次「WATCH」

http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/files/7p.html

http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/files/misima.html


◇ 五感でドイツ/アート/VISION2003 - Berlin Bau

MICHAL ROTHSCHILD。イスラエルで生まれ、NYで制作していた彼女は、そこでたまたま私の大学の助手と出会い、ベルリンでの展覧会に招待された。一緒に展示をやることとなった私達は彼女の作品を自己紹介代わりにみることになった。 

『Vision 2003』と題された作品。ビデオインスタレーションだ。 画面に、一瞬モニタ画面がずらりと並ぶコントロールルームが映る。その画面の一つに、吸い込まれる。エルサレム市旧市街の夜が写し出される。

奇妙な暗さ。ひとけが全くない。そこを、カメラが走って行く。これは車のスピードだと彼女は言うが、なんだか見ているうちに、体の中を焦燥感がぞぞぞと走る。頭のてっぺんから、映像に吸い込まれそうになる。走っている映像なのに、なんだか追われているような、追われている自分をまた遠くから傍観しているような奇妙な感覚。ビデオ画面がまるで透明な膜で、その内側と外側に私がいるようだ。

変。吸い込まれる。

そしてもうひとつのビデオ映像。巨大なコントロールルームの映像が横長の画面に2つ写し出される。機械音。

画面が切り替わる。画面の左側にはコントロールルーム、もう一つは監視員のひとりのバストショット。監視員が話す。

エルサレム市はデリケートな街なんだ。』

『道にいる全ての人達は見られている』

見られている?見張られている?

しかし彼はこれは安全のためのコントロールで見守られていると言わんばかりだ。

『これらによって彼等は身の安全を与えられているんだ。』

みえない見張り。みえない視線。

http://www.berlinbau.net/art/Michal.html


監視カメラの映像を傍受して公開するアート - WIRED VISION

 これは、街を車で走り回って脆弱な無線ネットワークを探すウォードライビング(日本語版記事)のビデオ版と考えるといい。カメラが撮影した映像をワイヤレスでテレビやコンピューターに送信する最近の監視技術は非公開のものと思い込んでいる人が多いが、それが思い込みにすぎないことを知らせるのがテラン氏の使命だ。

 店舗内のCCTV(閉回路テレビ)カメラ、個人用のインターネット監視システム、さらには乳児のベッドをモニターするカメラ、テレビ信号用のトランスミッターなどに組み込まれた装置が、2.4GHzの周波数帯で信号を送信している。2.4GHz帯は許可なしで利用できる周波数帯域で、確固とした公有財産だ。カメラが正しく設定されていない場合、適切な機器を持った人が無線が届く範囲に入ると、カメラの映像を容易に受信できる。

 監視を逆手にとったこのパフォーマンス・アートのために、テラン氏は厚手の黒いコートの下にスキャナーとマイクを潜ませて、見えないはずの映像の断片を求めて街中を黙々と進む――そして、集まった人たちにそうした映像を見せるのだ。

 「誰も自分で使っている技術のことをきちんと理解していない。機械を設置して、(そうとは知らずに)あたりに映像をたれ流す張本人になっている」と、テラン氏は語る。

 「このように、技術が境界を作り出すという状況がある。一方には人々が決めた境界があり、もう一方には無線信号の届く範囲によって定まる境界がある。つまり、電波の広がりによって都市の地理的区分が再編されているのだ」

 2.4GHzの周波数帯はゲーム機コントローラーコードレス電話、ブルートゥース対応機器など、各種機器の通信や電子レンジに利用されているが、とくに増えているのが、カメラで撮影したセキュリティー画像を家庭用パソコンに無線で送信し、インターネット経由で遠隔地から見られるようにするシステムだ。メーカーによると、こうした機器の通信範囲は約30メートルに及ぶことも多いという。

http://wiredvision.jp/archives/200511/2005110802.html


◇ SHIFT | PLACE | DIA アート・センター

もうひとつのギャラリーではブルース・ナウマンのビデオ作品が展示されている。彼はおそらく、今日のアメリカ人アーティストの中で最も有名なアーティストであろう。彼のスタジオに夜用の監視カメラを設置し、夜の間に発生する出来事を録画する、というこの作品。「MAPPING THE STUDIO」という題名がついており、7本のビデオ映写から成りギャラリーの壁に映し出されている。この映写からは、例えばねずみがチョロチョロする、といった様な彼のスタジオ内で発生する微妙な動きさえも見つけることはできない。そしてこれこそがまさに、5時間以上にも及ぶ時間の中で発生したことなのだ。ナウマンは、このビデオを瞑想の術として見続けたという。

http://www.shift.jp.org/ja/archives/2002/04/dia_center_for_the_arts.html


◇ Kunstfabrik am Flutgraben (クンストファブリーク・アム・フルートグラーベン) - PEELER/ベルリンアート便り 第4回

2007年3月に展覧会を行ったアーティストのゲオルク・クライン氏に話を伺った。彼は、監視塔がEU周辺国境警備団体(もちろん架空の団体)の本部という設定で、入り口では監視団体の加入を呼びかけるチラシを撒き、二階では監視カメラとセンサーを設置し、空気の振動を利用したサウンド・インスタレーションを、三階ではEUの国境付近を撮影した映像からなるインスタレーションを行った。

http://www.peeler.jp/column/berlin/0708/index02.html


◇ YouTube - *OFFICIAL* CCTV MUSIC VIDEO - The Get Out Clause - Paper

http://jp.youtube.com/watch?v=98u1HuqS7Nk

以前話題になった例のPV。


◇ 貧乏バンド、監視カメラでPV制作(BARKS) - Yahoo!ニュース

「俺たち、金をかけずにかっこいいものを作りたいって考えてたんだ。それで、監視カメラの前でプレイして、後で“情報公開の権利”を主張して映像を返してもらえばいいじゃんって思いついたんだ」

彼らは、マンチェスター市内にある何十もの監視カメラの前にマイク・スタンドや楽器(ドラム・キットまで)を持ち込みパフォーマンスロケーションは路上や川べりから建物の中、果てはバスの中にまでおよんでいる。

彼らはその後、カメラを所有する会社に手紙を書き、撮影された映像(全体の1/4)をゲットできたそうだ。それをつなぎ合わせ、立派なPVを完成した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080509-00000910-bark-musi


◇ Graffiti artist Banksy pulls off most audacious stunt to date - despite being watched by CCTV | Mail Online

http://www.dailymail.co.uk/news/article-559547/Graffiti-artist-Banksy-pulls-audacious-stunt-date--despite-watched-CCTV.html

バンクシーの作品@ロンドン


◇ Pictures: Banksy's latest graffiti art... and his greatest hits - mirror.co.uk

http://www.mirror.co.uk/news/top-stories/2008/04/17/pictures-banksy-s-latest-graffiti-art-and-his-greatest-hits-89520-20386122/

同じくバンクシーの作品。

CCTVとは、レム・コールハース(OMA)の建築で話題の中国中央テレビ局ではなく監視カメラのことです。


ドミニク・レイマン 《Yo Lo Vi》 2006年@液晶絵画 Still/Motion

http://www.nmao.go.jp/japanese/still_motion/works/win06.html


◇ ARTISTS Dominik Lejman - DiVA Fair Miami 06 - Exhibitors

http://www.divafair.com/gallerymiami06.php?fid=201&aid=208&id=133

同じくドミニク・レイマン。ŻAK(ベルリン)の作家です。


◇ Dominik Lejman - time based painting

http://www.lejman.pl/lejman_movie1.html

http://www.lejman.pl/

ドミニク・レイマンの「time based painting」。

監視カメラの前で全裸で挑発する囚人に警官隊が突撃 - 小太郎ぶろぐ

http://www.kotaro269.com/archives/50400658.html

寺沢武一『ゴクウ』(MIDNIGHT EYE ゴクウ)

http://www.buichi.com/works/goku/index_goku.html

1987年からスコラの漫画雑誌コミックバーガーにて連載された。 87年当時からみた「すべてのものがコンピュータにリンクされた近未来」を描いた作品だが、連載当時はまだソ連が国家として存在していたため、劇中にも国名で出てくるなど、現在の社会情勢とは若干食い違う部分もある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%AF%E3%82%A6

実家にスコラコミックスDELUXE版があります。

コブラも読み直したいです。

トランズ・アム『ザ・サヴェイランス』より「アームド・レスポンス

◇ YouTube - trans am-armed response

http://jp.youtube.com/watch?v=n3PT1llIU-k


◇ Trans Am - The Surveillance

http://www.amazon.co.jp/dp/B000007WKQ

http://www.amazon.co.jp/dp/B000006A99

メディア・空間・時間・痕跡 - new century new cinema

撮られた当時には見えなかったものを指摘することによって今我々が何ものかを見過ごしつつあることに気づくこと、それはビトムスキーとともにかつて共同作業をしたことのあるハルーン・ファロッキとの共通の主題でもある。ファロッキの代表作『この世界を覗く-戦争の資料から』は終戦前にアウシュヴィッツを撮った米軍機の航空写真から、強制収容所を認知することができなかったエピソードを中心に、メディアがとらえた映像について当時の人々が読み取れなかった兆候から視線の不在を批判している。そしてこの視線の不在は『囚人を見ているのかと思った』の監視装置と『遠い戦争』のミサイルにとりつけられたキャメラのとらえた映像に至って、システムからの人間の駆逐が完成する。そこでは見ること、認識は機械に委ねられ、我々と機械の立場は逆転する。つまり今では機械=メディアが人間の視線を限界づけコントロールしているわけだ。ゴダールの『パート2』にアイディアを得た『アイ・マシーン』シリーズの併置されたふたつの画面とズラされた編集は、使われている素材とは反対に、我々の視線が限界づけられた機械の視線を超えてふたたび疑念や批評的視線や歴史的意識といった自立性を回復できるのかどうかを緊急に問うている。視線の欠如こそ我々の破滅へと直接的につながるものだからだ。

http://www.ncncine.com/index.html

赤坂大輔さんのウェブサイトより。

2006-05-02 解読格子を解読しようとした」より ※アマゾンのリンクを修正

■最も微細なものから巨大なものに至る

まで、全てが自動撮影機の走査視線に晒され、それどころか過

度に露出され、瞬間転送され、たった一つの表面になってしま

うのだ! こうした「表面」、いや正確に言えば「界面」は、

ビデオ視覚機が探査し、ハードウェア機器が記録し、生中継す

る時以外にはもはや客観的に存在するものではない。そしてこ

の「リアルタイム」が生み出すテレレアリテ・プレザント(遠

隔存在が構成する現在)は、物や場所の現実空間での存在のリ

アリティーを押しのけ、電磁波の軌跡が現実の物や場所よりも

優位になっていく。

ポール・ヴィリリオ『瞬間の君臨』より

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060225#p7

http://www.amazon.co.jp/dp/4794805985


■例えば写真の作り手であれ受容者であれ、

情報拡散的な仮想空間においてサーチ・エンジンを効率的に運

用しうるオペレーターが権力基盤を強化するだろう、などと知

れたことを再度予測と称して記してもよいし、そこに注入され

る風俗的・意匠的刺激には不感症的にも過敏にも反応できよう、

http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/focus/0101/focus_3.html

FOCUS=[アンケート]アート・シーン2001  倉石信乃


■ナイジェル・スリフトはこう論じる。十九世紀

以来、速度・光・動力が近代の感情構造の重要な側面となってきたが、今や、それらはお

互いの中に畳み込まれつつある、と。移動の迅速さは、旅行に、それ自体価値のあるもの

という新たな意味を与え、グリーティングカードのような物品の流通も可能にした。人工

的な光は夜に新たな意味を与えたが、空間内で身体の位置を特定・配列することによって

新たなレヴェルの監視も可能にした。動力は、とりわけ電灯のスウィッチを入れるという

一瞬の動作の中に、ここ以外のどこかにある存在の証拠を示し、日々の生活を新たなメタ

ファーに変え、そうして、社会が巨大な電力ネットワークに依存していることを見せつけ

た。二十世紀後半になると、スリフトの見るところ、この三者は『流動性』として癒着・

融合した。電子テクノロジーは直接/間接の通信量を大きく増加させ、新型の輸送手段は

観光旅行・ビジネス旅行・移民を大幅に増大させた。知覚そのものが自動化され、そうし

て、光の『機械的複合体』が、観察する人間主体なき視覚をもたらした。

デイヴィッド・ライアン『監視社会』より

※某所のキャッシュから重引

http://www.amazon.co.jp/dp/4791760085

http://www.bk1.co.jp/product/2251039

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060502

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070619#p2)+α

■監視映像論8 - はてなStereo Diary

 議論の流れは、監視の現在による撮影(ストリートスナップ)の困難さから、ウォーカー・エヴァンズによる地下鉄での「盗撮」プロジェクトへと遡る。そこに見いだされるのは、次のような問題である。少しだけ引用しておく。

 決して暴力的であることを免れない、他者を凝視する視線の権利行使が同時に、自己への倫理的審問を責務として要求するという厳粛な互換の場は、写真の撮影という局面を一類型として想定されうる。このモデルの具体性が失効し、「見つめ、覗き、耳をそばだて、盗み聴くのだ」という「自己への指令」を含まずになされる他者了解は、倫理的深度と陰翳を欠いた、実に白々しい抽象性を帯びざるを得ない。

 都市から撮影者が消え、ストリートスナップが消え、その代わり、都市には不在の監視カメラによって撮影される者のみが存在するようになり、その画像を誰も確認することもない、そうしたグロテスクな世界。それは、かつての機械の眼とは対照的なありかたである。

 カメラという機械の眼によって撮影者が自らの主体性を解体すると同時に、(非)倫理的な凝視によって事物の裸形の表面性を捉え、そうすることで芸術という超越とも記録という超越とも異なる写真的外部へ逸脱することができた。

 先に紹介したPGPでの論に出てくる諸例を補って読むと、よりいっそう分かりやすくなる論考だと思う。

…現在の白々としたパノラマのなかで点として明滅するだけの風景のなかのどこに梃子を見いだすべきなのだろうか。それがこちらが引き受けて考えなければならない問題となるのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/photographology/20070618


(関連1)

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060430#p5

http://d.hatena.ne.jp/n-291/comment?date=20060503#c

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060430#p8


(関連2)

森山大道荒木経惟「森山・新宿・荒木」

http://www.operacity.jp/ag/exh58/index.html

当時、「森山や荒木なら美術館でストリートスナップの展示が許されるのか?」という声がありました。


森山大道「凶区 EROTICA」

http://www.moriyamadaido.com/top.html#06

http://ohtoretore.exblog.jp/5751445/

*1


◇ 石元泰博 「シブヤ、シブヤ」

http://www.pgi.ac/content/view/182/75/

http://www.pgi.ac/content/view/181/76/lang,ja/

http://lenon.cocolog-tcom.com/photo/2007/06/pgi_d04d.html

賛否両論というか、私の周辺では否ばかり。*2




◎ 前川修さんの「はてなStereo Diary」より「監視映像論1〜9」

http://d.hatena.ne.jp/photographology/searchdiary?word=%b4%c6%bb%eb%b1%c7%c1%fc%cf%c0

パノプティコンは収監者に対する効率的監視のシステムであると同時に、パノプティコン自体を外部からの監視に晒すことでパノプティコンにおける統治者・監視者を規律するところにその要点がある。”

◇ 統治と功利 - akehyon-diary

ベンタム研究者の多くはパノプティコンに監視=統治の技法を読み込むことを避けたがる。この背景にはフーコーパノプティコン批判があるが、フーコーがベンタムの意図を正しく理解していない(或いはそもそもそのつもりがない)という事情がある。パノプティコンは収監者に対する効率的監視のシステムであると同時に、パノプティコン自体を外部からの監視に晒すことでパノプティコンにおける統治者・監視者を規律するところにその要点がある。それは、収監者が死亡した場合に看守に多額の罰金を科すことで看守の自己利益と収監者の厚生を一致させようという計画なのだ(しかも公的負担の最小化のためにパノプティコンは民営なのである)。だが、それも含めて「監視」がベンタムにおける統治のキーワードであることは揺るがない。

フーコーの尻馬に乗って「監視社会批判」を行った人々の多くは、ベンサムの原典を読んでいないのだろう。いや、ひとごとではない。私も一度はベンサムの原典を読んでみなくてはならない。

http://d.hatena.ne.jp/akehyon/20071129#p1

パノプティコンにまつわる誤解。

ジェレミ・ベンサムミシェル・フーコー

田畑暁生さんのはてなダイアリーより。


◇ 安藤馨『統治と功利―功利主義リベラリズムの擁護』(勁草書房

http://www.arsvi.com/b2000/0705ak.htm

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%88%C0%93%A1%8A%5D/list.html


◇ ベンタム(ベンサム)研究 Jeremy Bentham - SATOSHI KODAMA'S OFFICIAL WEBSITE

http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/bentham/

児玉聡さんのウェブサイトコンテンツ

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080521#p3

■清水穣『白と黒で──写真と……』(現代思潮新社)より その1

[略] 美術界で氾濫する「イノセント」に先だって九〇年代の写真界を席巻した通称「女の子写真」は、右で述べたような疑問を湧き上がらせ、そして諸手をあげた全面肯定のうちに抑圧した。写真を撮る裸の王様が出るのも当然であろう。

 批評の不在、わかりすぎるのでわからない写真の過剰、それは、同じ様な問題を携えつつアメリカの一九六〇年代に生じ、日本では一九七〇年代に反復されたことである。マイ・フォトグラフィー、マイ・ライフ、すなわち「私」の写真、「生きている」私の「リアリティ」の問題。端的に言って「女の子写真」とは、一九九〇年代の「コンポラ」写真なのだ。つまり、九〇年代後半の写真をめぐる状況は、七〇年代に日本で生じた反復の、子供世代による反復である。批評不在のスナップ写真の隆盛に、「リアリティ」と「私」の問題が絡む構図。実際、すでに七〇年代初頭にも癒し系で日常派の「私」写真は数多く存在したし、引きこもりならぬ「内向の世代」が論じられた時代でもあった。しかし四半世紀を経て、当然ながら新しい外的状況が加わっている。

[P152-153]

[略] それは、荒木経惟の頃から「下手ウマ」として多様化し、全ての差異を吸収できるようになった広告写真なのだ。だから「私の撮った写真とどこが違うのか」という冒頭の問いは、そこでは「広告写真とどこが違うのか」とずらされ、スナップ写真と広告写真の差異が問題化される。もっとも、この問いが我々を導く先は写真の本質というよりも、現在写真を撮る苛酷な条件にほかならない。「世界は写真だ」は二五年を経て「世界は広告だ」になった。つまりすでに広告写真にならない写真は存在しない。スナップ写真は広告写真よりもノイジーな夾雑物が多く不純なのであり、真空度が充分でない、というふうに差異をつけてみる、とたんに、ノイジーなスナップ写真が広告にされるだろう。後に述べるティルマンス(彼もまた変容した広告雑誌でデビューした)の「戦争」がどれほど困難であり、広告に吸収されてしまわないために厳密な戦略を必要とするかが窺い知れるはずである。

 ところが、若手作家の多くの写真には、明るい午後の叙情というか京王線沿線の日曜日というか、希薄な叙情が満ちている。木漏れ日をまぶしそうに見あげ、春霞のように露出オーバーで、美しく輝く今ここでの生の瞬間を切り取って残したい……人々のなんと多いことか。写真を撮ることで「今このとき」を直ちに「過去」にして「思い出」として所有したがる強迫的な欲望は、「今」を充満させる自己が空っぽであるという事実に由来する。九〇年代以降の世代、それは自己と身体の隅々まで広告にほかならない世代であり、それ以外の自己や身体を知らない。「人間だったらよかったのに」、むしろ内面という商品をあてがわれ続けた昆虫的存在であって、全面的な「おいしい生活」のなかで生まれ、養殖されてきた世代なのである。叙情とはうつろな容器に溜まっていく液体であるから、広告はかならず叙情的であり、叙情的広告こそは若い世代の「私」を充たし養ってきた。自分に正直であるとは、うつろな「私」に「叙情」が溜まるがままに任せるということなのだ。アラーキーの子供たちはアラーキーが戦略的に選択したことを、生来の状態として体現してしまっていると言えるかも知れない。

[P157-158]

http://www.gendaishicho.co.jp/mokuroku/sirokuro.htm

http://www.amazon.co.jp/dp/432900433X


▽初出は『美術手帖』2002年4月号。「批評の不在、写真の過剰──1990年以降の現代写真とティルマンス」。

▽「コンポラ」という用語の曖昧さと概念の広さ。この用語が使われるとき、いつもそこが気になります。

 1970年代の日本の「コンポラ」がすべてダメかというと、そうではなかったように、

 1990年代の写真も再検証することで見過ごされている可能性の芽を発見することができそうです。

荒木経惟さんが、「下手ウマ」とされたのは、おそらく先行する世代である

 VIVO(川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明奈良原一高細江英公)との比較による?

▽しかし、湯村輝彦さん以前に「下手ウマ」(ヘタウマ)という言葉はあったんでしょうか。

 それとも荒木さんが、そう呼ばれた(自称した?)のは80年代以降?

ティルマンスの戦い=勝ち取るべきヨーロッパ的「私」「個」の問題。

杉本博司さんは自分の写真が広告に使用されることを完全に拒否してきた。

▽「僕は描きたいものしか描かないよ」by 奈良美智さん

▽目指すところ次第では、年中5月の春霞→絞り開放、逆光、ハレーション露出オーバー、タンスグテンという方法もアリでは?

 いや、やっぱ今となっては厳しそうです。

▽「おいしい生活」=西武セゾングループ広告コピー。糸井重里さん作。

 糸井さんの代表作には、「不思議、大好き」「くう ねる あそぶ」「ロマンチックが、したいなあ」

 「じぶん、新発見。」 「ほしいものが、ほしいわ。」 「本当の主役は、あなたです。」

 「おとなもこどもも、おねーさんも」「いまのキミはピカピカに光って」 「僕の君は世界一」

 「いいにおいがします。」 「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」 「私はワタシと旅にでる。」などがある。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E4%BA%95%E9%87%8D%E9%87%8C

▽ある搾取構造の存在? それはどこにでもある?


>>>東浩紀 北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』より

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070512#p5


>>>とりあえず解題

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060706#p2


>>>鈴木謙介カーニヴァル化する社会

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060527#p6

カーニヴァル - la fente

本書の核は、「反省的自己」と「再帰的自己」にわけて、90年代以降の世代を後者に位置づけること、そしてそこにデータベースが関与していることだろう。僕が本書を手に取って興味を覚えたのが、監視社会に対する視点。監視社会というと、決まってフーコーのようなパノプティコン、つまり権力者としての体制側が登場するのだが、本書はそれを通過してすでに監視が産業化していること、おそらく産業化のきっかけはオウム事件以降、つまり1995年から変化しているとしている。すでに「監視国家」ではなく「社会の監視化」が進み、監視する者はほかでもない自分自身であるという事態となっている。そこに登場するのがデータベースフーコー的な規律社会は、細分化できないひとつの主体(身体)が服従の対象だったが、ドゥルーズ的な「管理社会」では分割不可能だった個人をデータとして細分化できる「可分性(dividuels)」を有し、それを蓄積して管理するのがデータベースというわけだ。問題はその監視する側がデータ化される側である当の本人であり、データベースアルゴリズムによって蓋然的な自己像を提供してくれることにある。そこでの自己分析を再帰的に取り込み、「客我」のみで形成された自己を主体(自我)であると錯覚する。このループ構造こそ自己満足や一瞬の享楽に溺れさせるカーニヴァルを誘発し、かつ客観的にそれらを眺めたときに絶望することで躁鬱状態が生起する。

http://d.hatena.ne.jp/Sais/20060522


>>>それらは飽くまで人畜無害エンジョイアビリティを超えません(宮台真司

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060606#p6


>>>「対談 杉田敦 ・ 伊奈英次」

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070212#p5


>>>小林のりおさんの「special」より

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061227#p5


>>>「作家」の矛盾

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060302#p2

*1:『凶区』というタイトルは、天沢退二郎吉増剛造鈴木志郎康らが参加していた現代詩の同人誌『凶区』からインスパイヤ

*2:奥村雄樹さんの「Countdown in NYC」
  http://www.misakoandrosen.com/artists/yukiokumura/countdown-in-NYC/#image
  http://www.mori.art.museum/contents/laughter/exhibition/main.html