Übungsplatz〔練習場〕 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2009-06-28 ほくろとほくろを線で結んでいるうちにまた夜が来る。

ほくろとほくろを線で結んでいるうちにまた夜が来る。

アクロバット前夜90°』刊行記念トークイベント 福永信x栗原裕一郎x円城塔『臍で茶のみ話』@オリオン書房 ノルテ店

【日時】

2009.6.28(日)

16:00〜(開場15:30)

【入場料】

500円(オマケ付、当日会場にて清算)

【会場】

オリオン書房 ノルテ店 ラウンジ

http://www.orionshobo.com/topix/story.php?page=3&id=497

http://www.orionshobo.com/

本日開催。


◇ 《福永信フェア》 - 阪根タイガース

http://d.hatena.ne.jp/m-sakane/20090603/p1


>>>goningumi.com

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080304#p3


>>>三人組?(sanningumi?)

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080728#p6


>>>気になる2冊

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070615#p10

第25回<東京の夏>音楽祭2009 日本電子音楽 - 財団法人アリオン音楽財団

■ 日時 : 7月11日(土)

Aプロ14:30

Bプロ16:45

Cプロ19:00

13:30よりプログラムごとの入場整理券を配布します。

■ 会場 : 草月ホール (→地図)

チケット : 全席自由

プログラムA ¥1,500

プログラムB ¥1,500

プログラムC ¥3,000

日通し券(各回入替有り) ¥5,000


1950〜60年代電子音黎明期から大阪万博までの傑作を一挙上演。選曲は坂本龍一

夜の部は、佐藤聰明の豊饒な音霊(おとだま)の世界

 1950〜60年代電子音という新しい素材を手に、驚くべき壮大な音響世界を作り出していった日本作曲家たち  柴田南雄黛敏郎湯浅譲二武満徹一柳慧…。電子音黎明期の、いまなお斬新な作品の数々を、ライヴ空間で体感する。

 1950年代日本音楽界に、「電子音」という全く新しい技術がもたらされた。当時、欧米日本も大きな時差なく同じスタートラインに立つ技術だっただけに、欧米に追随することなく日本独自の発展を遂げることができたのだった。日本を代表する作曲家たちがこぞって試みた未知の音響創造は、現在エレクトロニック・ミュージック・シーンから、クラブカルチャー、そしてJ−popにまで、広く影響を与えている。そのあくなき探究心と底知れぬ実験精神に、現代の聴衆も圧倒されるに違いない。

http://www.arion-edo.org/tsf/2009/program/m02/


◇ 今年は日本電子音楽がアツい! - やぶいぬ日記

http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20090506/p1

[]マンガ批評界の「派閥争い」が一読明瞭 - Economics Lovers Live

 関東に住んでて、特にマンガ批評界にコミットしていないけれども、間接的には近いところにある僕のようなアマチュアには、夏目房之介氏らを中心とするグループの発言や行動は遠くから拝見していると、かなり「政治的」あるいは「ドメスティック」なものにみえる。僕は「なるべくこの人たちとは関わらないでおこう」とマンガ研究会マンガ学会も誘われても入ることはなかった。これからもないだろう。


 マンガ批評家たちへの具体的な批判は今度出るという『マンガ論争勃発2』でも喋った。ただできれば当事者からもっと明瞭な「政治」的な発言や傍証がほしかった。しかし今回、竹内オサム氏の『本流!マンガ学』を読むと、事情を知らない外部の人間が読めば一読瞭然に、夏目房之介氏やそして伊藤剛氏らを含む「グループ」とでもいうべきものが純然たるマンガ批評以外の思惑で動いているんじゃないか、ということが示唆されている(49、51、第2章の3丸ごと、96頁以降の多くのページ、特に105頁、109頁、さらにユリイカ関連以下ほか)。これは本書を虚心坦懐で読んでもわかることだ。つまり竹内氏のこの本はそういう「グループ」存在の資料として使えるということだ。僕は「ああ、やっぱりそうなんだ」と納得してしまった。

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090406#p2

田中秀臣さんのはてなダイアリーより。


◇ 『ユリイカ 2009年7月号 特集*メビウス日本マンガ』(青土社

http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%E1%A5%D3%A5%A6%A5%B9%A4%C8%C6%FC%CB%DC%A5%DE%A5%F3%A5%AC


f:id:n-291:20090628073001j:image

Circulation    |  | 

Tシャツを2秒でたたむワザを伝授!

YouTube - How To Fold a T-shirt in 2 seconds

http://www.youtube.com/watch?v=An0mFZ3enhM

世界最高速の撮影を実現:UCLAの合田圭介氏ら(動画) - WIRED VISION

http://wiredvision.jp/news/200905/2009050123.html

MGS3とGTA4は何故駄作なのか - the deconstruKction of right

   若干それとはずれる話で、フィルムデジタルの違いについて、バルトを読みながら少し考えていた。これはそのときに書いたメモをそのまま載せます。

   ひょっとするとこれは「幽霊」の問題と関連付けられるのかもしれない。デジタルの時代に入る前には、映像音楽には「ノイズ」という形で「外部」が入り込むものだった。アナログ時代の写真から、デジタル化によって心霊写真の報告は消えたが、それはテレビの画面や写真に穿たれていたたくさんの穴=ノイズ=プンクトゥムが消失したことにより、「幽霊」が消えてしまったことを意味しないだろうか。デジタル化により、死の恐怖でもある幽霊と、触覚的な官能性であったノイズの穴が消去されたことにより、人間が自らの手でデジタル世界に穴を穿とうとして〈祭り〉を行なっているという解釈も可能かもしれない。ブラウン管は後ろに向けて一点に収束しているように見えたが、液晶モニタフラットであることも想起してもいいかもしれない。バルトが「鈍い意味」と呼ぶ画面上の意味ではないノイズのような戯れの細部は「言語活動の無限性へと開かれて」いて「言葉の遊び、滑稽なこと、無益な消費」に属し「カーニヴァルの側にある」(『ロランバルト映画論集p17-18』)という指摘もまた重要ではないだろうか。


   デジタル化によって失われたフィルムノイズとか、実写映画において存在する「意味の分からない戯れのような動き」(それは自然のシーンで後ろで動いている葉の数などで典型的に現れる)と、それを極小まで抑え、リミテッド性を極限化した『らき☆すた』と、リミテッドでありながらカメラアイに向いた滑らかな動きを志向する大友や、その齟齬を利用する押井など、fpsや「鈍い意味」みたいなものの「魔」のようなものが存在し、それが官能性や快楽を生み出しているのを、さまざまな領域で実験しているように思われる。ひょっとするとこういうものこそ、まさに「感性工学」で発見されるべきものなのかもしれないが、実際にそういう部分が、物語メッセージを超えて、作品の評価に繋がってしまっているということは事実なのである。クリエイターも鑑賞者も、もはや識域の下まで考えなければいけない時代が映像では訪れているのかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20090420/1240216350

藤田直哉さんのはてなダイアリーより。


----


YouTube - ゼロアカ道場第五回関門 藤田直哉プレゼン

http://www.youtube.com/watch?v=8ABpzStkHqU


>>>“残り四本。東浩紀、かく語りき。40分連続インタビュー批評とは何か。文学とはどう あるべきか。ゼロアカの意義は。”

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080826#p6


>>>「ライトノベル的 VS ケータイ小説的」―ファスト風土文学想像力―@ジュンク堂新宿店 打ち上げ映像

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080910#p2


>>>ラルク・筑井・藤田 カラオケ大会 - ゼロアカ道場第四関門 藤田-井上ペア公式ブログ

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080923#p6


>>>早稲田文学時間連続公開シンポジウム ニコニコ動画まとめ

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081024#p2


>>>黒瀬陽平さんと東浩紀さんの対談@GEISAIゼロアカブース

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090314#p2

あれとそれ(http://itness.tumblr.com/)より2題

丘を下り、雑踏のなかへ

” 特定の形態テーマ、特定のアーティストや時代への集中をさけるという意図は、理解できないものではない。しかし、この類の試みはかつてうまくいったことがあるだろうか。無形式性というコンセプトは、形式という枠組みの外部を指し示しながら、具体化に際して種々のアイデアで補強しない限り、それそのものとしては形式の枠内に留まろうとするものでもある。この悪しきトートロジーは、歴史の死、アートの死、あるいはリアリティの死という浅薄コピーとともに、繰り返し経験されてきた。種々の死を口にしてみたくなる事情は理解できないわけではない。けれども、どれだけそれらの死を唱えてみたところで、結局その翌日から、当の死に絶えたはずのものと顔を突き合わせる事になる。こうした出口のなさこそを、私たちは経験してきたはずだ。ただの一度でさえ歴史記述された事がない国々を黙殺しようとする歴史の死、人間の行為・実践の幅をいたずらに狭めようとするアートの死、喪失感を口にする事で、自分自身が世界現実に関与しているというアリバイ証明を手にしようとするリアリティの死。これらの言表の愚は、目をつぶって、大きく深呼吸してみるだけで容易に了解できる。私たちは、それらのどれひとつとして死に絶えていない世界に生きている。これらの表現には、発言者の欲望だけが関係している。発言者は、発言するだけで満足なのだ。何ひとつ変わることのない日常が、自身が発した言葉のすぐ背後から延々と続いていたとしても関係ないのだ。だが、発言者以外の人間は、こうした愚かな言語ゲームうんざりとしている。このような経験から学ぶことがあるとすれば、死を迎えつつある対象を新たに捏造するようなことからは遠ざかるべきだということだろう。適度な快感をもたらしてくれるそれらの語句は、結局は束の間のあいだ、向き合わざるを得ない問題を忘れさせてくれるにすぎない。いやひょっとすると、それらの問題と真摯に向き合おうとする機会を奪うことこそが目的だとさえ警戒してみるべきなのかもしれない。もしそうだとするならば、死の誘惑に抗うことにこそエネルギーは費やされるべきだ。”

_nano thousht 現代美学…あるいは現代美術で考察するということ p293-p294

http://itness.tumblr.com/post/83494256


_あの狂人たちは__花崗岩に、微塵に、無生物の渇望に応じている。彼らは造化を助けようとしている。

 その理由は、俺にはわかる気がする。彼らは歴史犠牲者ではなく、歴史の手先になりたいのだ。彼らは自分の力を神の力になぞらえ、自分たちを神に似た存在と考えている。それが彼らの根本的な狂気だ。彼らはあるアーキタイプにからめとられている。彼らの自我は病的に肥大し、どこでそれが始まって神性が終わったか、自分で見分けがつかない。それは思い上がりではない、傲慢ではない。自我の極限までの膨張だ__崇拝するものと崇拝されるものとの混合。人間が神を食いつくしたのではなく、神が人間を食いつくしたのだ。

高い城の男、フィリップ K.ディック

http://itness.tumblr.com/post/96007081

chim↑pom - きみはこんなけいけんはあるだろうか

被爆長崎出身ということで、いろんな活動をやってきたけど、この「ピカッ」には、実は共感するものがあった。私は常々、(私を含む)平和ぼけの日本人には、原爆を「ネタ」にした表現でアプローチしないと、その風化した過去に興味を持ってもらうことは難しいのでははないかと考えていた。

しかしながら実際のところ、私が被爆三世でありながら、彼らの行動に共感してしまったのは、「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」で椹木さんが言っていたように、私たちは敗戦国でありながらも、アメリカに守られながら高度経済成長を経て、戦勝国メンタリティでもって平和を謳歌しているからなんだと気づかされた。

あまりに想像を絶していて、真面目に想像することを拒否してしまうほどの恐怖を、そしてそれを受けたがために一生背負っていかなくてはならなくなった苦しみを、共感できるものに落とし込むことはわたしたちには不可能。それは原爆資料館に行き、その資料に目を通し、被爆者の方の話を聞くのが一番だと思った。

http://d.hatena.ne.jp/toriss/20090502#p4

鳥巣智行さん(http://ttppp.com/)のはてなダイアリーより。


◇ 鳥巣さんが「反戦」の願い込め写真展 米で撮影の110枚 - 原爆平和関連記事2003/04/02 - 長崎新聞

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2003/kiji/04/0201.html

http://www.nagasaki-np.co.jp/


被爆地の思い抱いて =高校生1万人署名から= - 長崎新聞

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/omoi/01.html

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/omoi/02.html

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/omoi/03.html

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/omoi/04.html

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/omoi/05.html

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/omoi/06.html


2001年 原爆平和連載企画 - NAGASAKI PEACE SITE2001 - 長崎新聞

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/index.html


長崎新聞:NAGASAKI PEACE SITE

http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/index.html