Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

対談:ゼロ年代の建築的状況をふりかえり、現在とこれからを考える(極私的に。) - 10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト

http://tenplusone.inax.co.jp/monthly/2009/12/issue1.php
塚本由晴さん(建築家)×中谷礼仁さん(歴史工学家)。


ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート - 10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト

assistant(有山宙+松原慈)/天内大樹/池田剛介伊藤亜紗/大山エンリコイサム/荻上チキ/木内俊克/小林恵吾/志岐豊/平昌子/勝矢武之/戸田穣/中川純/中村竜治/永山祐子南後由和濱野智史/林憲吾/平瀬有人/福住廉藤村龍至/保坂健二朗/光岡寿郎/村上祐資/柳原照弘/鷲田めるろ/アシュレイ・ローリングス 

http://tenplusone.inax.co.jp/monthly/2009/12/issue2.php

『狼よさらば』(Death Wish)シリーズのポール・カージー的なビジランティズムでは……

Twitter / 大谷佳: 中平をベタに反復する無戦略は「ロマンチスト」のそしり ...

中平をベタに反復する無戦略は「ロマンチスト」のそしりを受けてしかるべしであるが、中平を回避した先で「写真家」を名乗る輩どもは憐笑に付す、だとか、「写真界のダニどもは俺が全員ぶっ殺す!」的な鼻息の荒さだけでやっていける時代ではもうないのだから、うまくやらないといけない。いろいろと。
2:45 AM Dec 23rd webで

http://twitter.com/otanikei/status/6960966207
大谷くんがTwitterを始めていたようです。


◎ 計測ノート
http://otanikei.blogspot.com/

      • -


>>>Dystopia Photographersのブログより
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090819#p13

再聴(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070424#p7 http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090422#p2)

■オープニング・シンポジウム「ネットワーク社会の文化と創造」
第一回「ネットワーク社会の文化と創造─開かれたコミュニケーションのために」
http://hive.ntticc.or.jp/contents/symposia/20060610/
宮台真司 斎藤環 藤幡正樹 浅田彰
(※2006年6月10日(土)ICC 5F ギャラリーA)


高橋悠治茂木健一郎:公開トーク『他者の痛みを感じられるか』2005年12月17日(土)
D

D

D

D
http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20051217/


去年の夏ごろまでは、高橋さんを批判(非難)するコメントばかりでしたが、
現在はむしろ高橋さんを支持するコメントのほうが多くなっています(1/1と1/2はそうでもないようですが)。
いくつかのマスコミ(月刊誌、週刊誌、日刊紙など)でドクター批判が記事になったことが、
じわじわ効いてきているのかもしれません。


たとえば、随分まえに大森荘蔵さんと対談している坂本龍一さんなんかは(http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480090546/)、
この対談をどんな呆れ顔で(どういうふうに苦笑いしながら)聴いたんでしょうか? 気になるところです。
そういえば、文字通り高橋悠治さんと坂本龍一さんの長電話を収録したふたりの共著、
『長電話』(http://www.seisoken.jp/gendai/kanaderu.htm)という本もありました。


◇ 『高橋悠治/1970年代コレクション』(平凡社ライブラリー
http://www.suigyu.com/yuji/ja-books.html
この本を読めば、高橋さんの話していることの多くが理解できるはずです。
そして、ドクター茂木がこの本を読んだと言いながらも、全然読めていないということも。


>>>「そんなのはただの戦略でしょ」(高橋悠治さん談)
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080426#p9


※過去の高橋悠治さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%b9%e2%b6%b6%cd%aa%bc%a3

      • -


>>>058│都市の病理、心理学化する社会 5 脳は空より広く、言葉より狭い  斎藤環
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071031#p11


>>>最近の「ドクター茂木健一郎」関連ほか
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090421#p5

      • -


茂木健一郎の"文学性” - Liber Studiorum

InterCommunication」No.64。佐々木敦渋谷慶一郎の対談。

佐々木−(略)ちょっと話は逸れるけれど、さっき名前が出てきた茂木健一郎氏の最近の言説には、僕は納得がゆかないんです。彼のロジックは「ずいぶんと脳科学が進化した結果、いろいろなことがわかるようになりました。脳の動きも、こういうメカニズムやブログラミングで動いていることが”かなり”わかってきました」というものですが ところがその先に「クオリアというものが立ちはだかる」という話になっている。クオリアは難問というより擬似問題だと供は思っている。クオリアの正体や機能まで完全に明らかにしてくれるのなら、話はわかる。でも、そこのところは結局エニグマ(謎)になってしまっている。それによって一気にすべてが神秘主義化していると思うわけです。つまり、「人類の科学はこんなに進歩した」という言説と「その科学にもわからないことが人類にはある」という言説が挟み撃ちになって 一種の人類賛歌みたいになる。まあ、だからこそ茂木氏は人気があるんだと思うけれど、僕にとっては、それは最悪の意味での文学性でしかない。例えば旧来の作曲においては、作曲家の頭の中でイマジナティヴに生起している音の響きなり並びがあって、それをいかにして外側に出して他者にもオーディブルなものにするかということが、音楽の営みだった。いくら頭の中で鳴っていたって、頭の中にあるかぎりは、他者には絶対に聞こえない以上、それは存在していないのと同じだから、それを存在させるためにこそ、いろいろなことが生みだされてくるという経緯があった。それをすごくラディカルに示したのが、電子音楽だったのだと思う。電子音楽は、もともと頭の中になかった音さえも作ってしまう。機械によってアクシデンタルに発された音があって、それを聴いてしまい その音が頭の中にインストールされて、その反射で音楽を作る、みたいなことが起こりうるし、現実に起こってきた。それがそれ以前とはまったく違う、電子音楽以後の作曲であって、そこでは人間性はひとたび切断されているし、そこにこそ可能性の中心があったのだと思う。ところがそれでもなかなか「人間」というものは消えてくれない。だって何だかんだ言ってもわれわれは人間だからな。だから最終的には「人間の想像力には解析できないものがある」というのは事実かもしれないけれど、そこを出発点にして考えるのは、僕は嫌なんだよな。だったらいっそ「人間の脳ってコンピュータとまったく同じです」みたいなことを証明してくれたほうがいい。茂木氏はダニエル・デネットを批判しているけれど、その論議としての当否はともかく、僕には「人間」を掬い取るような考え方よりも、そこをこそ徹底的に解析し批判しようとするほうがリアリティがある。

渋谷−大文字の美というものがあってその創造性の秘密はわからない、だから「こんなにわからないことがあるなんて、世界ってスゴイよね」みたいな話は作る側にとってはあまり意味がないですよね 当然。で、それだけならまだしも、そういう大文字の美に平伏しないのは間違っている、みたいになるとちょっとまずいんじゃないかと思いますね。実際、茂木さんのその傾向は2005年にATAKA@ICCでやった高橋悠治さんとの対談のあとから加速したと思うのですが、最近もワタリウムの「南方熊楠」展で池上さんと対談していて、そのときは完全に神秘主義だったので僕は途中で退出して 地下のオン・サンデーズに寄って中平卓馬の写真集を何気なく見たらその真摯さというかコントラストにうたれて帰ってきたという、嘘のような本当の話があるのですが(実)、つまり現在何が可能なのか、何を選択するのかということを徹底的に突き詰めることが重要で、わからないことがあるのがすごいなんて言ってる暇はないわけですね。だから届かないものをありがたがっていても何も作れないし、それは謙虚さとかとは別の次元てしよう。僕はこの数年、けっこういろいろなことをやってきたけれど、すごく大雑把に言って、自分が生きているうちに結果が出ないことにはタッチする時間はないなという実感があります。脳科学、特に創造性とクオリアの問題などはその辺をクリアにしてから話したほうがいいのではないかと思うのですが。

佐々木―自分が生きているあいだだけのこと、というのは、人生論的にも(笑)まったく共感じますが それはともかく、僕にだっておそらく、いわゆる「神秘」というものはあるんだろうと思うけれど 神秘主義は嫌なんですよ。素朴な話、例えば「言葉にできない感動」というような妄言を、人は割に簡単に受け入れてしまう傾向がある。それは思考停止の別名でしかない。そういうものはクリアカットしたい。(略)


 茂木に対して「神秘主義」という言葉が適切かどうかはちょっと疑問に思うのだが、内容については概ね同意。とくに、茂木の言説がその”文学性”ゆえに人気がある、という分析には、諸手をあげて賛成。茂木のそういう傾向が最近になって加速した、という指摘に関しては、茂木ってもともとそういう人でしょ、という感じ。世間で持て囃されて無防備になって”地金”が出てきたのだと思う。

http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/inte_1e84.html
http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/cat14888603/index.html


◇ 季刊InterCommunication No. 64 2008 Winter 特集:音楽/メディア
http://www.ntticc.or.jp/About/Publication/Icm/no64_j.html


>>>[くおりあ]『熊楠の頭の中』茂木健一郎脳科学者)X 池上高志(東京大学大学院総合文化研究科准教授)@ワタリウム美術館

ATAK diary-2007-10

あーあと、28日にワタリウムでやっていた茂木さんと池上さんの対談を少し覗いたんだけどこれは非常につまらなかった。
__
端的にくだらなかったのは南方熊楠の展覧会でやっている展覧会の関連トークイベントに金払って来ている客に対して茂木さんが「熊楠の人生とあなた達の人生のどっちが上とか下とか違いなんて無いです」とか言っていたことで、こんなおしゃべりに2800円だが通し券だかを買ってありがたく来ている客と南方熊楠のどっちが上か下かなんて言っていても仕方が無い、というか確実に熊楠の人生のほうが上ですね^^:で、別に上でいいと思うんだけど。
__
これは客層に合わせているのか何なのか分からないけど、茂木さんの言説があまりにも神秘主義化していたので驚きました。もちろんクオリア神秘主義に傾斜する危険性というのは当たり前のように語られてきたことなのですが、脳科学のような根拠にならないようなものに根拠を求めて訳の分からない質問をしてくるようなおばさん連中を相手に「あなた達の人生は価値がある」とか「僕のやろうとしているのもまさしくそこで」、みたいな話をしているのはマズイんじゃないでしょうか。自分の人生とミミズ(だっけな?)の人生の違いが無いとかね。
__
上下関係もそうなんだけど、あなたとわたしの差異や距離に対する嫌悪/拒否感というか畏怖のようなものはICCで悠治さんと対談したときにも強烈にあったと思うんだけど、アノマリーと変異、半生命などのタームを挙げて言わば逆の意見を言っている池上さんに対して「おれとお前の言ってることはそんなに違わないと思うんだよ」とか言っているので、これは重傷だなと思って帰ってきました。
__
違う、というのは重要なんですけどね。なぜ、相手と自分を同化させないと対話ができないのか、というのは不思議です。君も僕も大きな視点で見たら違わない、みたいな素朴な超越性というか超越的視点なんていうものは宗教法人でも設立しない限り有り得ない。というか思考停滞を生むばかりではなく少なくとも作るという立場からは何の役にも立たないわけで、非常に残念でした。

http://www.atak.jp/diary/2007/10/31.html

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071112#p3