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2012-01-24 幻伊太利亜匂

第1稿(2011年09月14日)

コラム連載 第1回 映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』】

バンクシーの介入(ルビ:インターベンション)

棘と機智に満ちたアンビバレント爆弾


 都市空間に忽然として現われるグラフィティ。その多くは夜の闇に乗じて描かれ、いずれは消去されることを運命づけられています。テンポラリーアートとして独自のカルチャーを築いてきたグラフィティ世界にあって、単なる過激さを競い合うローカルゲームからいち早く脱し、現代社会に対する批評的なヴァンダリズム(破壊行為)を続けてきたグラフィティー・ライターバンクシーです。この一般的にも著名なアーティストによる話題作、映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』が日本でも劇場公開されました。

 その大まかな概要はというと、ロサンゼルス古着商を営んでいたビデオ撮影マニアのティエリー・グエッタという男が、あるきっかからグラフィティ世界にのめりこんでいき、その内幕を撮影→やがて覆面作家バンクシーと接触し、彼のドキュメンタリー撮影するようになるが作品はボツに→バンクシー存在感に触発されたティエリーは「ミスター・ブレインウォッシュ」(MBW)を名乗り、自らもグラフィティを描くようになる→わず半年後、ティエリー大勢アシスタントを雇って工房を開き、アンダーグラウンドではなくアートマーケット意識した大々的な個展を開催。彼が考える“ホンモノのアーティスト”になろうとするのだが……といった内容。すでに多くの映画評が執筆され、また雑誌でも特集が組まれるなど、たくさんの論議を呼んでいる作品です。

 バンクシーという本物のグラフィティアーティストに対する、哀れな偽物のアーティストMBWといった両者の対比、そしてメディアを使った表層的な仕掛けにあっけなく釣られるアート・ファン=鑑賞者(消費者)の姿によって、現在アート業界コンテンポラリーアートアートマーケットシステムを痛烈に皮肉っているのだ、といった意見劇場に足を運んだ方々の平均的な感想でしょうか。「笑える」という声も案外多いようです。しかし、この映画が「笑える」というのは、劇中描かれる世界の外、映画館の明滅する光の中で自分脳内に生起した筋道ストーリー安心して享受できる、つまり、信じて疑う事がないという構図があってこそです。あるいは、自分にはよくわからないハイアート権威的な世界に何らかのリベンジが果たされた……かのように錯覚すればこそです。むしろ本作は、映画を観る鑑賞者自身を映し出す鏡であり、そこで調達されたカタルシスこそが今日メディアによっていかに自分洗脳(ルビ:ブレイン・ウォッシュされているのかを計る指標となるでしょう。

 注意したいのは、日本語版のチラシやウェブサイトバンクシー監督作品」と書かれているものの、劇中や英語ウェブサイトにそんな文言はないということです。では、フェイク・ドキュメンタリーなのか? というと、そうとも断定できません。事実、ティエリー・グエッタ=MBWは実在し(’09年にはマドンナアルバムアートワーク担当)、個展Life is Beautiful」もCBSテレビの旧施設を使って実際に開催されています。また、今作は世界のさまざまなドキュメンタリー映画部門アワードを獲得しているものの、公式にはドキュメンタリーだとは謳われていません。もちろん、映像編集の質を見ればドキュメンタリーのそれなのですが、演出あるいはヤラセ、事後に再撮しているのでは? といった疑念がわき起こるような綻びもあえてそのまま残されています。ストリートアートマーケットを行き来する特異な存在たりえているバンクシー自身の行動原理は、安全からではなくグレーな領域に自ら身を置いて物事を問う姿勢、疑問を投げかける態度です。コンセプチュアルアートにおけるインターベンション(介入)のようにこの映画自体戦略的機能させ、バンクシー作法を鑑賞者にも感染させることが彼のねらいなのでしょう。

 そもそも、本作の元々のタイトル案は「クソのような作品をバカに売りつける方法」でした。ドキュメンタリー風の映像であればドキュメンタリー映画だと受け取り、流行ヒップアート風の作品であれば本物のアートだと受け取ってしまう。人々のそういった思考停止価値判断自動化こそをバンクシーは撃つ(ある部分では彼自身も撃たれる)、とともに、それだけでは終わらせず、この映画安易面白がっている者に対しても、「本当にオマエもメディアが流布する売り文句や消費社会のさまざまなシステムに飼い慣らされていないと言えるのか?」と問うているように思えます(この映画を観終わった後、劇場の売店=ギフトショップスルーすることができず、パンフレットを買い求めた人がどれだけいたことか? そして、そもそもパンフレットなど作られていなかったことの意味に撃たれた人がどれだけいたことか?)。

 ただし、バンクシーは元のタイトル案を採用しませんでした。それは、洗脳に対する反洗脳といった単純なメッセージでは意味がなく、逆洗脳思想改造することにも疑問を投げかけ、人々が自立的な脱洗脳を目指すよう道筋をつけていく、といった企図なのでしょう(これはまさに今日日本に求められていることでは?)。メタフォリカルなシンボル意味を巧妙に配置することで鑑賞者の精神へと介入し、問いと疑問を持続させること。私自身、一人の作家として、バンクシーストリートで培った闘い方から学ぶ事も多いように思います。



コンテンポラリーアートマガジンファウンテン創刊号に掲載

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