Übungsplatz〔練習場〕 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-02-28 図書館でKindle

“お誕生日おめでとう!”

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Sheila Jordan - Willow Weep For Me - YouTube

http://youtu.be/cIlPAMdKV4E


◇ First TV Show from Manitas de Plata in the world - Part 1... (VERY RARE) - YouTube

http://youtu.be/TtRPIdfLlTA


◇ Manitas de Plata-Soirée Flamenco[With Brigitte Bardot] - YouTube

http://youtu.be/mR0niexyRSU


◇ Manitas de plata Belle Gitana - YouTube

http://youtu.be/1M_WvZcIvRM


◇ Câu chuyện đầu năm - Như Quỳnh - Hoài An by dinhtam107 - YouTube

http://youtu.be/tAGzSQzWsKc


◇ Nhu Quynh - Vung La Me Bay (lyrics) - YouTube

http://youtu.be/wY9VaefzVMY


◇ Huế Buồn Như Quỳnh - YouTube

http://youtu.be/xUQNFcEMNAk


◇ [Audio] Huế Buồn - Ngọc Hội - YouTube

http://youtu.be/Bk3tmGQLgC8


◇ Huế buồn - Lê Dinh - Hoàng Oanh - YouTube

http://youtu.be/a-4Fb_kbSZE


◇ Huế buồn - Hoàng Ái My - YouTube

http://youtu.be/joTC5NUmzP4


◇ Clip Huế buồn với nhng Hoa khôi xứ Huế rất xinh - YouTube

http://youtu.be/O9T2yz1g8hc

Ossos conversation between Pedro Costa e Jean-Pierre Gorin - YouTube

http://youtu.be/nDvPO9tqKSk


◇ Centro histórico - trailer - YouTube

A layered omnibus film on the historic town of Guimarães in Northern Portugal, with contributions from maestros Costa, Erice and (local resident) Kaurismäki, and a final part from Manoel de Oliveira (104 years old).

http://youtu.be/s6YE7RtbmiY


◇ COLOSSAL YOUTH Trailer (2006) - The Criterion Collection - YouTube

http://youtu.be/KlHBq86OIPg

En Construcción (2001) José Luis Guerín - YouTube

http://youtu.be/qS0PGJ98IwA

Jesper Just and Dorit Chrysler: This nameless spectacle (live) @ Louisiana Museum of Modern Art - YouTube

http://youtu.be/yNcugYRdQ88


◎ Louisiana Museum of Modern Art forside - Louisiana Museum of Modern Art

http://www.louisiana.dk/

スーザン・ソンタグ」の検索結果 - Hello, How Low?

五回にわたってスーザン・ソンタグキャンプについてのノート」(Susan Sontag, "Notes On 'Camp'")を訳してきました。

(1)http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100115/1263570906

(2)http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100117/1263677368

(3)http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100121/1264090020

(4)http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100201/1265035421

(5)http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100206/1265486183


 思っていたよりも難渋したのは、固有名詞のオン・パレードだったのもありますが、僕自身の翻訳能力不手際によるところも大きいでしょう。ほんの短いテキストで、割りにわかりやすい英語のはずが、日本語に直すのに四苦八苦しました。こなれた訳語を目指したつもりですが、事実ソンタグをまともに読んだことがないので、言い回しなどにも自信がありません。必ずしも逐語訳ではないということも付け加えておきます。

 僕がこのキャンプについて解説するということなどできるわけもありませんが、ソンタグに逆らってこう問うことはできるでしょう。

 かつてのマス・カルチャーが、もはやハイカルチャーになってしまった今日において、キャンプは何をその対象とするのか。キャンプ果たして可能なのか。

http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/searchdiary?word=%A5%B9%A1%BC%A5%B6%A5%F3%A1%A6%A5%BD%A5%F3%A5%BF%A5%B0

大江健三郎 暴力に逆らって書く - コギト工房

ギュンター・グラス       ドイツ作家 1999年ノーベル文学賞受賞

・ナディン・ボーディマ      南アフリカ作家 1991年ノーベル文学賞受賞

アモス・オズ           イスラエル作家

マリオ・バルガス=リョサ   ペルー作家

スーザン・ソンタグ       アメリカ小説家

テツオ・ナジタ          アメリカ日本研究者

鄭義(チョン・イー)       中国人亡命作家 アメリカ在住

アマルティア・セン       インド経済学者 1998年ノーベル経済学賞受賞

ノーム・チョムスキー     アメリカの言語学者

エドワード・W/サイード    アメリカ人思想家

ジョナサンシェル       アメリカの反核運動家

http://www.cogito-kobo.net/OshaberiHondana/OeKenzaburo/OeKenzaburoBoryokuniSakaratteKaku.html

フアン・ゴイティソーロサラエヴォ・ノート』(みすず書房

http://www.amazon.co.jp/dp/4622033690


フアン・ゴイティソーロ - Wikipedia

フアン・ゴイティソーロJuan Goytisolo,1931年1月6日 - )はスペイン小説家1956年フランスパリ亡命している。代表作として『天国の悲しみ』、『禁猟区』、『サラエヴォ・ノート』などがある。また、2004年フランス映画アワーミュージック』に本人役として出演している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AD


サラエヴォ包囲 - Wikipedia

サラエヴォ包囲(サラエヴォほうい、ボスニア語:Opsada Sarajeva、セルビア語:Опсада Сарајева、クロアチア語:Opsada Sarajeva、サラエボ包囲、サライェヴォ包囲)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内に、セルビア人勢力によって一方的に設立された事実上国家であるスルプスカ共和国と、ユーゴスラビア人民軍(VRS)によって、ボスニア・ヘルツェゴビナ首都であるサラエヴォが包囲されたものであり、1992年4月5日から1996年2月29日まで続いた。

サラエヴォ包囲はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争内の一戦闘である。ユーゴスラビアから独立後間もない、装備の十分ではないボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍(ARBiH)と、独立に反対するセルビア人を支えるユーゴスラビア人民軍(JNA)およびスルプスカ共和国軍(VRS)が戦った。包囲中、ユーゴスラビア人民軍およびスルプスカ共和国軍は、サラエヴォを取り巻く丘陵地に陣取ったが、独立したばかりのボスニア・ヘルツェゴビナを阻害し、同国の領内にセルビア人の国家であるスルプスカ共和国を打ち立てるのが目的であった。

サラエヴォ包囲では、12,000人が死亡し、50,000人が負傷したものと推定されている。うち85%は市民であった。殺害強制移住によって、戦時中である1995年人口334,663人にまで減ったとされ、これは紛争前の市民の数の64%に過ぎない[1]

2003年1月旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)の法廷では、サラエヴォロマニヤ軍団司令官スタニスラヴ・ガリッチ(Stanislav Galić)に対して、第一次マルカ虐殺を含むサラエヴォの包囲と恐怖狙撃によって[2]、ガリッチ人道に対する罪にて有罪とされ、終身刑を言い渡された[3]。2007年、スタニスラヴ・ガリッチの後任として1994年8月から1995年末にかけてサラエヴォロマニヤ軍団将軍であったセルビア人のドラゴミル・ミロシェヴィッチ(Dragomir Milošević)に対して、第2次マルカ虐殺を含むサラエヴォとその市民に対する犯罪によって懲役33年を言い渡された。法廷では、マルカ市場に対して1995年8月28日サラエヴォロマニヤ軍団の方角から120ミリメートル迫撃砲弾で砲撃されたものと認定された[4]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A9%E5%8C%85%E5%9B%B2

Spritz

http://www.spritzinc.com/


単語が目に飛び込んできてすごい速度で文章を読めるようになる「Spritz」 - GIGAZINE

http://gigazine.net/news/20140228-spritz/

2014-02-27 I, &c.

Unguided Tour AKA Letter from Venice (1983) - YouTube

http://youtu.be/6jFfnL9Y5xA

Styles of Radical Will - Wikipedia, the free encyclopedia

  1. The Aesthetics of Silence
  2. The Pornographic Imagination
  3. "Thinking Against Oneself": Reflections on Cioran
  4. Theatre and Film
  5. Bergman's Persona
  6. Godard
  7. What's Happening in America (1966)
  8. Trip to Hanoi

http://en.wikipedia.org/wiki/Styles_of_Radical_Will

ここには見るべきものなどなにもない:モノクロームを消す(上) by アメリアグルーム - INSTALLATIONIA

http://installationia.tumblr.com/post/32315930702/by

ウォーカーアートセンター - Wikipedia

1879年、製材業で名をなしミネアポリス公立図書館寄付した名士トーマス・バーロウ・ウォーカー(Thomas Barlow Walker)により自邸の一部を使用し「ウォーカーギャラリー」が創立された。これは、近代ヨーロッパ絵画中国陶磁など自身の美術コレクション無料市民に公開することで、共同体芸術家に富を還元するための場所であった。美術館1927年現在地移転した。

1938年大恐慌の影響により美術館も苦境に陥り、ウォーカー家の個人経営から新設されたミネソタアーツカウンシル(Minnesota Arts Council)の経営に移り、アッパー・ミッドウェスト中西部北部)初の公立美術館となった。アーツカウンシルは、当時失業芸術家支援していた公共事業促進局(WPA)に、ウォーカーギャラリーを「市民への教育機能を持った公立のアートセンター」へと再編する提案を行い、WPAの支援によりウォーカーアートセンターが成立した。

1940年代に入り、ギルバート・ウォーカー夫人の寄付により同時代重要作家であるパブロ・ピカソヘンリームーアアルベルトジャコメッティらの作品を購入したことから現代美術へ焦点を当てた収蔵・展示を行うようになった。[1]1960年代以降、意欲的な内容の展覧会を多く企画するようになり、アンディ・ウォーホルロイリキテンスタインオノ・ヨーコナムジュン・パイクマシュー・バーニーなどの作品の収蔵を続け、アメリカ世界美術界の最前線リードする美術館ひとつとして評価されている。

創立当時や再編当時の精神に基づき、展覧会コレクションをもとに、多様な住民を対象にした美術講座や教育プログラムなどを開催しており、芸術を通して共同体文化・個人のあり方を問いその形成に寄与することを目的に掲げている。年間の来客数は全米でもトップクラスである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC


◎ Walker Art Center

http://www.walkerart.org/

2014-02-26 化システム汎

1. Introduction: Doing Science & Making Documentary Film - YouTube

http://youtu.be/hRlOTPnJmqM


◇ 2. Documentary and Ways of Seeing - YouTube

http://youtu.be/xMohaACn0yY


◇ 3. Science and Seeing - YouTube

http://youtu.be/7FzD5EH7_q8


MIT 21A.550J/STS.064J DV Lab: Documenting Science Through Video and New Media, Spring 2011 - YouTube

http://www.youtube.com/playlist?list=PLUl4u3cNGP61EXhUSGCUWD5mEwdRWaTrq

Conversations | Asia Focus | Why Japanese Post-War Art Matters Now - YouTube

Published on Jan 10, 2013

Doryun Chong, Associate Curator, Department of Painting and Sculpture, The Museum of Modern Art, New York

Allan Schwartzman, Chief Curator, Inhotim, Minas Gerais; Director, Rachofsky Collection, Dallas

Mika Yoshitake, Assistant Curator, Hirshhorn Museum and Sculpture Garden, Washington, D.C.

Moderator | Alexandra Munroe, Samsung Senior Curator of Asian Art, Solomon R. Guggenheim Museum, New York

http://youtu.be/u-uzllNP4O8


◇ From Postwar to Postmodern, Art in Japan 1945-1989: Primary Documents - 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉

ニューヨーク近代美術館は、主に非欧米諸国美術の動向や歴史に関する資料を英語提供するアンソロジー「一次資料集」(Primary Documents)のシリーズを刊行している。中東欧(2002年)、アルゼンチン2004年)、ベネズエラ2008年)、スウェーデン2008年)、中国2010年)に続いて刊行されたのが、戦後日本美術に関する本書である。


編者は、ドリュン・チョン(ニューヨーク近代美術館絵画彫刻部門ソシエート・キュレーター)、林道郎上智大学国際教養学部学部長)、加治屋健司(広島市立大学芸術学部准教授)、住友文彦(キュレーターアーツ前橋新館長)の4名。1945年から1989年までの戦後昭和時代を5つの章に区分し、美術の動向を中心としつつ、それと関連するデザイン、建築写真の各分野にも触れながら、主要な美術批評芸術家の文章、座談会などを計85本収録する。各章の題名は、1章「1945–57年 戦後復興 占領から冷戦まで」、2章「1957–64年 戦後から国際復帰まで」、3章「1964–70年 前衛以後 拡張する場」、4章「1970–80年 ポストモダンに向けた再構築」、5章「1980–89年 ポストモダニズムグローバルな交渉」で、章ごとにイントロダクションを付す。重要なトピックに関しては、日米の研究者執筆したコラム23本収録されている。冒頭には、チョンによる本書の概要に加えて、ハリーハルトゥーニアンによる戦後日本史の概説があり、巻末には1989年以後の展開に関するあとがき中島理壽作成の年表が掲載されている。


戦後日本美術の論集は、『美術手帖』や『FRAME』等の雑誌の企画として作成されたことはあったが、単行本として刊行されたのは、国内外を通して本書が初めてである。北米を中心に、戦後日本芸術文化に対する関心が高まりつつある今日戦後日本美術の主要な議論が英語で紹介されることの意義は計り知れない。戦後日本美術に関する日本国内での議論にも、大きな一石を投じるだろう。(加治屋健司)

http://repre.org/repre/vol18/books/02/04.php

Konuşma / Talk: Doryun Chong & Cosmin Costinas - YouTube

http://youtu.be/69If3zuGgCA


◇ Ralph Lemon in Conversation with Doryun Chong - YouTube

http://youtu.be/LUoCc_v0C-M


Salon | Artist Talk | 'Movement Studies' - YouTube

http://youtu.be/bSpuJk4v4Uw


◇ Opening-Day Artist Talk: Haegue Yang - YouTube

http://youtu.be/uX6QO7a6l3s


◇ Brave New Art: Artists and Political Consciousness - YouTube

http://youtu.be/_OqcuSz41eI


◇ Doryun Chong - Independent Curators International

http://curatorsintl.org/collaborators/doryun_chong

Guide to Smithsonian Institution Archives, Libraries & Special Collections

http://sirismm.si.edu/siris/SIASC/index.htm

Salon | Artist Talk | Noritoshi Hirakawa: Today Is The Day -- The Next 10,000 Years Of Creation - YouTube

公開日: 2013/05/26

Salon | Artist Talk | Noritoshi Hirakawa: Today Is The Day -- The Next 10,000 Years Of Creation

Filmed on May 24 2013 at Art Basel Hong Kong


Noritoshi Hirakawa, Artist, New York, in conversation with

Tobias Berger, Curator, M+, Hong Kong

http://youtu.be/5x29M8By0hI


◇ TodayIsTheDay - YouTube

"TodayIsTheDay Originator Noritoshi Hirakawa Interview"

HD, 12 min 46 sec, in English


TODAY IS THE DAY is a visionary foundation based in Hiroshima Japan. It's goal will be to reveal consciousness as the starting point of every person's awareness. Through its activities using the forms of art, music, dance, performance, lecture, video, film, and workshop, the foundation will pursue its purpose: to inspire an art of free will and autonomy.


It will channel awareness into asking questions and building visions. Those visions will reveal a new system of personal and collective thoughts and actions, which will gradually counteract phenomena currently damaging the quality of life on earth. The foundation works from a belief that it is the artist's calling to inspire a revival of the life-enhancing dynamisim of consciousnes.


The Foundation's purpose, in addition, is to create and put into practice an ontological vision that transcends the structures and workings of existing systems. This follows from a belief that it is in art's nature to explore the function of free will and to transcend contrivance in order to construct a social model that allows human existence to stand on its own.


more information http://todayistheday-foundation.com


Filmed & Edited by East River Films, Inc

@ Hotel Americano, NYC

http://youtu.be/KBzVJZewvAs

草月アートセンターと『印刷された問題』── モヤシを貼りつけた案内状 By Uesaki Sen Posted on February 15, 2013 - post at MoMA

http://post.at.moma.org/content_items/173


◇ 「記載の場所」を巡って ──アーカイヴ横尾忠則 By Uesaki Sen Posted on May 6, 2013 - post at MoMA

http://post.at.moma.org/content_items/68

【まんが】初対面のサブカルの互いの知識の探り合い(サレンダー橋本) - オモコロ特集

http://picup.omocoro.jp/?eid=1876

2014-02-24 ()の()

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視点・論点写真は残る有難し」 | 視点・論点 | 解説委員室 - NHK

IZU PHOTO MUSEUM研究員 小原真史

 

 もし生まれ育った故郷を失うことになったとしたら、みなさんはどうするでしょうか?今日はそんな問題に直面した増山たづ子さんという女性についてお話したいと思います。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/181374.html


増山たづ子「すべて写真になる日まで」@ IZU PHOTO MUSEUM

2013年10月6日(日) – 2014年7月27日(日)

※ご好評につき会期を7月27日(日)までに延長いたします。

http://www.izuphoto-museum.jp/exhibition/118680489.html

Eija-Liisa Ahtila - Moderna Museet 2012 - YouTube

http://youtu.be/bg9IEa9uNGU


◇ Artivi - Eija-Liisa Ahtila @ Marian Goodman Gallery - YouTube

http://youtu.be/Y-XVdQgeeEs


◇ Eija-Liisa Ahtila. If 6 Was 9 (1995) - YouTube

http://youtu.be/nSUQcjNvYh8


◇ Film & Video: Eija-Liisa Ahtila - UBUWEB

http://www.ubu.com/film/ahtila.html


◇ Panel Discussion: The Work of Eija-Liisa Ahtila - YouTube

As part of the 19th Annual Massachusetts Multicultural Film Festival, Intersections: Fiction/Non-Fiction, a special screening of Eija-Liisa Ahtila's The Annunciation with be followed by an interdisciplinary panel discussion with Nicola Courtright (Professor, Department of Art and the History of Art, Amherst College); Catherine Portuges (Director, Interdepartmental Program in Film Studies; Curator, Massachusetts Multicultural Film Festival); and Daniel Sack (Five College Mellon Postdoctoral Fellow in Performance Studies; English, Amherst College; English, UMass Amherst).

http://youtu.be/btZodtaXHdE


◇ In Conversation: The Work of Eija-Liisa Ahtila - YouTube

n Conversation between 5 college professors Fraser Stables and Jay Garfield from Smith College, Monique Roelofs from Hampshire College.

http://youtu.be/xALLLwz2fy4


過去のEija-Liisa Ahtila関連

http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=Eija-Liisa%20Ahtila

Bryce Dallas Howard in Alex Prager's short film "Despair" - YouTube

Watch model and actress Bryce Dallas Howard, daughter of director Ron Howard, in LA-based photographer Alex Prager turned director's 50s chiller "Despair".

http://www.nowness.com/day/2010/6/10/683/bryce-dallas-howard-in-despair

http://youtu.be/fVBgx_0-iUE


◇ Lara Stone in "Untitled" by Alex Prager for Mercedes-Benz - YouTube

The young photographer and filmmaker sweeps Dutch model Lara Stone away in this stormy new short. The film is part of the German luxury automaker's fall/winter 2012 'Icons of Style' campaign.

http://www.nowness.com/day/2012/1/13/1820/lara-stone-american-fairytale

http://youtu.be/4ApMv7rfwT4


Sunday by Alex Prager - YouTube

Artist Alex Prager directs an exclusive film for W magazine based on the surreal world of her November fashion story.

http://youtu.be/89zl1chsipM


◇ The New York Times Magazine // A Touch of Evil with Ryan Gosling on Vimeo

http://vimeo.com/67225455


◇ Touch of Evil: Cinematic Villainy From the Year’s Best Performers - Video Feature - NYTimes.com

http://www.nytimes.com/interactive/2011/12/06/magazine/13villains.html


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◇ Alex Prager for Fourth & Main - YouTube

http://youtu.be/ocgrjdVcb4M


◇ THIS Visits: Alex Prager - YouTube

http://youtu.be/I8jSr1Zw3IE


◇ Alex Prager by Jeff Vespa - YouTube

http://youtu.be/aaAL2PjEx1c


Bottega Veneta AOC SS'11 with Alex Prager on Vimeo

http://vimeo.com/20258250


◇ Alex Prager: This Picture Is On on Vimeo

http://vimeo.com/24849216


◇ Alex Prager: Face in the Crowd on Vimeo

http://vimeo.com/82137061


◇ Alex Prager in conversation with Yancey Richardson on Vimeo

http://vimeo.com/18533513


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◎ Alex Prager – Photography & Films

http://www.alexprager.com/

ユートピア (本) - Wikipedia

ユートピア』(正式名: Libellus vere aureus, nec minus salutaris quam festivus, de optimo rei publicae statu deque nova insula Utopia )は、イングランドトマス・モアによる1516年の著作[1]。

タイトルは直訳すれば「共和国の最高の州の、そしてユートピア新島の、楽しいのと同様に有益な、真実の金の小著」となるが、伝統的には『社会の最善政体とユートピア新島についての楽しく有益な小著』と訳される[2](タイトルを参照)。『ユートピア』はラテン語で書かれており、その内容は主に、虚構の島の社会宗教社会的政治的習慣について述べた枠物語である。

現代人が「ユートピア」という言葉の響きから受けるイメージにもかかわらず、トマス・モアがこの本で語った社会とは、実際には決して「完全な社会」ではないと、広く受け止められている。むしろ、想像上の土地の通常とは違った政治的考えと、現実世界での混沌とした政策とを対比して、ヨーロッパ社会問題について議論するための、政策要綱とすることをモアは望んでいた。

http://j.mp/Mnk2Bi


トマス・モア - Wikipedia

ユートピア

痴愚神礼讃』や旅行記『新世界』に触発され、1515-1516年にラテン語で『ユートピア』を執筆した(1516年刊行)。ユートピア(Utopia)は、どこにも無いという意味言葉で、古くは「理想郷」あるいは「無何有郷(むかうのさと)」などとも訳されている。ヒュトロダエウスなる人物の見聞を聞く、という設定で、第1巻でイングランドの現状を批判し、第2巻で赤道の南にあるというユートピア国の制度・習慣を描いている。

アメリゴ・ヴェスプッチがカナリア諸島からアメリカ大陸までを旅行した記録『新世界』を深い関心を持って読んだモアは、自然に従って生き、私有財産を持たない共同社会が実在しうる事を確信した。自然法自然状態が善である証明として書かれたその主著は、ユートピアという架空の国を舞台に、自由、平等で戦争のない共産主義的な理想社会を描いたものである。

また、イングランドでは地主長老フランドルとの羊毛取引のために農場を囲い込んで羊を飼い、村落共同体破壊し、農民たちを放逐する現状を深く慨嘆し、「羊はおとなしい動物だが(イングランドでは)人間を食べつくしてしまう」(『ユートピア』第1巻)という意味言葉を残している(カール・マルクスは『資本論』にモアを引用し、本源的蓄積について論じているが、かなり誇張された表現だという指摘もある。囲い込みの項を参照)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%A2


ユートピア - Wikipedia

ユートピア(英: utopia, 英語発音: /juːˈtoʊpiə/ ユートピア)は、イギリス思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作『ユートピア』に登場する架空の国家の名前。「理想郷」(『荘子』応帝王篇より)とも。

ユートピア現実には決して存在しない理想的社会として描かれ、その意図現実社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであった。

ギリシア語の οὐ (ou, 無い), τόπος (topos, 場所) を組み合わせ「どこにも無い場所」を意図とした地名と説明されることが多いが、記述の中では Eutopia としている部分もあることから、eu- (良い)と言う接頭語もかけて「素晴らしく良い場所であるがどこにもない場所」を意味するものであったとみられている。

ただし、「ユートピア」という言葉を用いるときには時に注意が必要である。現代人が素朴に「理想郷」としてイメージするユートピアとは違い、トマス・モアらによる「ユートピア」には非人間的な管理社会の色彩が強く、決して自由主義的・牧歌的理想郷アルカディア)ではないためである(第3節、第4節参照)[1]。

モアの著作の正式名称は、Libellus vere aureus, nec minus salutaris quam festivus, de optimo rei publicae statu deque nova insula Utopia (『社会の最善政体とユートピア新島についての楽しく有益な小著』)という。

その内容は、

第1巻

第2巻、

「手紙」

の3部で構成され、「第1巻」はユートピアに行った男の話、「第2巻」は作者によるユートピアの様子のまとめ、そして「手紙」は作者がある友人に送った私信という体裁を取る。「手紙」では、ユートピアについて作者がこれまでまとめたことへの違和感と共に、友人に対しユートピアへ行った男に連絡して真意を問いただして欲しいと依頼して終わっている(これは、岩波文庫版(ISBN 4003220218)の解説によれば、この話がフィクションであることの強調と共に現実社会の批判を和らげる意図があったという)。

ユートピアは500マイル×200マイルの巨大な三日月型の島にある。元は大陸につながっていたが、建国者ユートパス1世によって切断され、孤島となった。島の中の川はすべて改造されまっすぐな水路とされ島を一周しており、その中にさらに島がある。この、海と川で二重に外界から守られた島がユートピア本土である。ユートピアには54の都市があり、各都市は1日で行き着ける距離に建設されている。都市には6千戸が所属し、計画的に町と田舎の住民の入れ替えが行われる。首都はアーモロートという。

ユートピアでの生活は、モアより数世紀後の概念である共産主義思想が提示した理想像を想起させる。住民はみな白くて美しい清潔な衣装を着け、財産を私有せず(貴金属、特に金は軽蔑され、後述する奴隷の足輪に使用されている)、必要なものがあるときには共同の倉庫のものを使う。人々は勤労の義務を有し、日頃は農業にいそしみ(労働時間は6時間)、空いた時間芸術科学研究をおこなうとしている。

ートピアという語はその後一般的となり、理想郷意味する一般名詞にもなった。そこから、架空の社会を題材とした文学作品ユートピア文学と呼ばれる。マルクス主義からは「空想的」と批判されたユートピア思想であるが、理想社会を描くことで現実世界欠点を照らす鏡としての意義を持っている[1]。

トマス・モア以降、イタリアのトンマーゾ・カンパネッラは『太陽の都』(1602年)という、ルネサンス期のユートピア文学として『ユートピア』に匹敵する重要な作品を書いている。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726年)もさまざまな空想都市を描いたユートピア小説ともとれる(たとえば、音楽数学を愛好する空中都市ラピュータなど)。

18世紀、フランス啓蒙主義の時代にはルイ・セバスティアン・メルシエの未来パリを描く『二四四〇年』ほか、ヴォルテールなどさまざまな作家思想家ユートピア文学執筆した。『ソドムの百二十日間』のマルキ・ド・サドや、『愛の新世界』のシャルル・フーリエなどユートピアとは異質と思われる作家も、ユートピア世界観ユートピア文学の手法を使い、閉ざされた世界の中の地獄絵図や、行き着くところまで行き着いた理想社会を描いた[1]。

19世紀は資本主義の勃興の時代であり、その修正のための社会改良案や社会主義共産主義が生まれるなど、現実社会が加速的に繁栄をはじめ、その社会現実に改造するための各種の思想に力が注がれたためか、ユートピア文学は非常に多く書かれたがあまり収穫がない[1]。その中で、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』(1890年)は19世紀の優れたユートピア小説で、ほかとは異なった中世的で牧歌的理想郷を構想している。他に今日まで記憶されている作品としてはサミュエルバトラーの『エレホン』(1872年)、エドワードベラミーの『顧みれば』(1880年)などが挙げられる。

20世紀に入ると、「理想郷」と宣伝されていた共産主義国家全体主義国家現実の存在となったが、その理想と実態の落差を批判する逆ユートピア小説が描かれた。これもユートピア文学の紛れもない一種である。たとえばH・G・ウェルズの『モダンユートピア』(1905年)、エヴゲーニイ・ザミャーチンの『われら』(1924年)、オルダス・ハックスレーの『すばらしい新世界』(1932年)、ジョージ・オーウェルの『1984年』(1949年)や、エルンスト・ユンガーの『ヘリオーポリス』、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』、星新一の『白い服の男』などの小説によって管理社会全体主義体制の恐怖が描かれた。これらに描かれた国家は、一見すると平穏で秩序正しい理想的社会であるが、徹底的な管理により人間の自由が奪われた逆向きのユートピアディストピア)とされた。当時の共産主義社会今日の管理社会に対する予見であり、痛烈な批判である。またそれを生み出した過去ユートピア思想や、その背景となった文明自体も攻撃対象である[1]。

ディストピアを描いた小説が登場する前に書かれたユートピア小説も、現在の目から見るとディストピアではないかと思われるものが多いという説もある。これらの理想郷は、決して「自然の中の夢幻郷」ではない。それは人工的で、規則正しく、滞ることがなく、徹頭徹尾合理的』な場所である。西ヨーロッパにおいてはこの模範はギリシャ社会を厳格に解釈したものに求められる。こうして生まれた「ユートピア」自体にディストピアの種が内包されていたのであるという説もある[1]。

以下に、過去ユートピア文学で表現されてきた「理想郷」にしばしば共通する特徴を挙げる。

周囲の大陸と隔絶した孤島である。

科学土木によってその自然は無害かつ幾何学的に改造され、幾何学的に建設された城塞都市が中心となる。

生活は理性により厳格に律せられ、質素で規則的で一糸乱れぬ画一的社会である。ふしだらで豪奢な要素は徹底的にそぎ落とされている。住民の一日のスケジュール労働・食事・睡眠の時刻などが厳密に決められている。長時間労働はせず、余った時間科学芸術のために使う。

人間は機能・職能で分類される。個々人の立場は男女も含め完全に平等だが、同時に個性はない。なお、一般市民の下に奴隷囚人を想定し、困難で危険仕事をさせている場合がある。

物理的にも社会的にも衛生的な場所である。黴菌などは駆除され、社会のあらゆるところに監視の目がいきわたり犯罪の起こる余地はない。

変更すべきところがもはやない理想社会が完成したので、歴史は止まってしまっている(ユートピアは、ユークロニア時間のない国)でもある)。

以上のような、時計のように正確で、蜜蜂の巣のように規則的な社会像は、古代ギリシア哲学者プラトンの『国家』[2]、『ティマイオス』[3]以来、ルネサンス期・啓蒙主義期に流行した『ユートピア』などの理想都市案から20世紀ディストピア小説現実共産主義国家のあり方までに共通するものがある[1]。

このような社会の理想としてあげられるのは、西ヨーロッパにおいては彼らによって再解釈された『古代ギリシャ』である。一説によればプラトンの時代はペルシアなどの脅威によりギリシア諸国が揺らいだ時期だったが、おそらく彼は理性を『ギリシャ的』なものと決めつけ理想化し、それに対立する非理性的で欲望に満ちあふれたもう一つの世界アトランティスを思い描いたのであろうとしている。

こうした理性を中心としたユートピア的理想社会に対し、バロックマニエリスムシュルレアリスムなど反発する思想的動きが相次いだ。現在先進国では、ともすれば資本効率的利用や社会の安全・健康増進・効率化を名目に、事実上の管理社会が実現されてしまうこともあるが、一方ではたとえば『ユートピア』的な都市国土計画よりは、いいかげんでヒューマンスケール迷路的な旧市街や、曲線的な街路を持った商業地住宅地の混在が見直されてもいる。またフィクション世界でも『ブレードランナー』的な一見悪夢のような混沌とした未来が、逆に人間的な世界として評価されることがある。

ユートピアとは、結局のところ、唯一の価値観、唯一の基準、唯一の思想による全体の知と富の共有は、たしかに反するものが存在しないという意味平和で理想であるだろうが、その実現には人間的なものや自由をすべて完全に圧殺しなければ実現しえないことを明確に表したものであり、理性以外のすべてをそぎ落とした果てにあるものの機械的な冷酷さを表したものである。

それは外面的には牧歌的平和主義であろうと、人間を抑殺する実態をそなえている[4]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2







2014-02-23 ↓として↑

↓として↑


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2014-02-22 ←に←

[][] [読書会ソンタグバルトベンヤミンを読む〔作家視点から

2014年3月中旬より読書会TAP Gallery(http://tapgallery.jp/)で開催します。実際に制作に取り組んでいる方を主な対象にした勉強会です。全15回(各120分)・会費は1500×15で22500円です*1。とりあえず参加者が6人集まった時点でスタートしたいと思います。細かいカリキュラムや開催日(現在、月・火・木・金・日の夜が候補です)については受講者の方と対話しながら決定*2していきたいと思います(参考図書や文献・写真集資料なども毎回用意。必要であればレジュメ等も使用)。また、この読書会の延長線上で「“写真論”から写真理論へ〜ソンタグバルトベンヤミンを読む〜」という勉強会も構想中。


読書会への参加希望、お問い合わせの方は、

fknb291(at)gmail.com

上記アドレスの「(at)」を「@」に変更して、

下記のメールをお送りください。

メール件名》

291 workshop「ソンタグバルトベンヤミンを読む」参加希望*3

メール本文》

1.お名前

2.メールアドレス

3.生年月日

4.ご職業 *4

3.略歴等 *5


Susan Sontag (January 16, 1933 – December 28, 2004)

スーザン・ソンタグ『反解釈

 http://www.amazon.co.jp/dp/4480082522

 原著『Against Interpretation』(1966年


スーザン・ソンタグ写真論』

 http://www.amazon.co.jp/dp/4794958668

 原著On Photography』(1977年


スーザン・ソンタグ他者苦痛へのまなざし

 http://www.amazon.co.jp/dp/4622070472

 原著『Regarding the Pain of Others』(2003年



Roland Barthes (November 12, 1915 – March 26, 1980)

ロラン・バルト表徴の帝国

 http://www.amazon.co.jp/dp/4480083073

 原著『L’empire des signes (Empire of Signs)』(1970年


ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』

 http://www.amazon.co.jp/dp/4622049058

 原著La Chambre Claire (Camera Lucida)』(1980年


ロラン・バルト『第三の意味 映像演劇音楽と』

 http://www.amazon.co.jp/dp/4622004844

 邦訳 1984年1998年


ロラン・バルト映像の修辞学』

 http://www.amazon.co.jp/dp/4480089365

 邦訳 2005年



Walter Benjamin (July 15, 1892 – September 26, 1940)

ヴァルター・ベンヤミン『図説 写真小史』

 http://www.amazon.co.jp/dp/4480084193

 原著『Kleine Geschichte der Fotografie (A Short History of Photography)』(1931年


ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代芸術

 http://www.amazon.co.jp/dp/4794912668

 原著『Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit (The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction)』(1935-1939年


ヴァルター・ベンヤミンベンヤミンコレクション〈1〉近代意味

 http://www.amazon.co.jp/dp/4480082166

 邦訳 1995年


ヴァルター・ベンヤミンベンヤミンアンソロジー

 http://www.amazon.co.jp/dp/4309463487

 邦訳 2011年


※今回の読書会では以上の図書より■■■色でマークしたものを読んでいく予定。




読書会目的・ねらい

1:実作者のために必要な最低限の知識を共有すること

2:作家として自分なりに写真映像についての考えを築いていくための土台を手に入れること

3:これらの言説をそれらしくちりばめた無内容でもったいぶった評言への対抗手段もつこと

4:これらの言説の歴史的意味を考え今日的な可能性を探ること

5:対象メディウム自己・観者の関係考察すること

6:言説の抑圧から解放され次の時代方法理論を構築すること

7:実作者なりの理解と消化を促進する

8:とにかく簡便に

9:参加者に応じて臨機応変




※以上とりあえずのメモデータは要再確認




*1学生の方は応相談。通常のワークショップへの参加者は各回への個別参加可能

*2:まず第0回として全体の進め方についてのディスカッションも行いたいと考えています。

*3:お問い合わせの方は「291 workshop「ソンタグバルトベンヤミンを読む」問い合わせ」としてください。

*4:必ずしも記入する必要はありません。学生の方は学校名をご記入ください。

*5:必ずしも記入する必要はありません。

2014-02-21 →を→

TateShots: Peter Fraser - YouTube

http://youtu.be/F8glmAtCnnU


◇ 2009 Peter Fraser Lecture University of Wales Newport The Photographers' Gallery Retrospective to Oxford Artists Residency on Vimeo

(1)http://vimeo.com/15524343

(2)http://vimeo.com/15524810

(3)http://vimeo.com/15525088

(4)http://vimeo.com/15525489

(5)http://vimeo.com/15525989


◇ Peter Fraser in Conversation with Paul Wombell at Brancolini Grimaldi 27th June 2012 on Vimeo

http://vimeo.com/45361843


◇ Peter Fraser and Paul Wombell Question and Answer Brancolini Grimaldi 27th June 2012 on Vimeo

http://vimeo.com/45361842


◇ BPB 2010: New Directions- Part 3 (Peter Fraser) - YouTube

http://youtu.be/kRiow2WYdYc

http://youtu.be/Anam5LKsAfw

http://youtu.be/V2--9ArEsJ0

http://youtu.be/Yh5p2CGYrrE

http://youtu.be/oHfxL5CpDzQ


◇ 01/12/2011 16:07 Peter Fraser talk on his work and workshop assignment on Vimeo

http://vimeo.com/18749279

ニコラ・ブリオー「Alter Modern」について - YouTube

http://youtu.be/gGETOusI64w


◇ ニコラ・ブリオー@グルベンキアン(CAM/リスボン)-ラディカント - YouTube

http://youtu.be/iT8IpqlXm-k

パレート効率性 - Wikipedia

パレート効率性パレートこうりつせい、英: Pareto efficiency)は、近代経済学ミクロ経済学)の中でも資源配分に関する概念ひとつパレート最適ともいう。イタリア経済学者であり社会学者のヴィルフレド・パレート(Vilfredo Federico Damaso Pareto、1848-1923)がこれを提唱した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E5%8A%B9%E7%8E%87%E6%80%A7


パレートの法則 - Wikipedia

パレートの法則パレートのほうそく)とは、経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説。

80:20法則、ばらつきの法則などと呼ばれることもあるが、本来は別のものである。

イタリア経済学者ヴィルフレド・パレート(Vilfredo Federico Damaso Pareto)が発見した冪乗則である。経済以外にも自然現象社会現象等様々な事例に当て嵌められることが多い。

ただし現代で言われるパレートの法則の多くは、法則と言うよりもいわゆる経験則のたぐいである。自然現象社会現象は決して平均的ではなく、ばらつきや偏りが存在し、それを集約すると一部が全体に大きな影響を持っていることが多い、というごく当たり前の現象をパレートの法則の名を借りて補強している場合が少なくない。

また主要な一部(80:20法則で言う20%の部分)だけが重要で、残りは重要ではないという説明がまれに見られるが、それも本来のパレートの論旨とは無関係である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

広まるビットコイン貨幣になる日は来るか - 週刊東洋経済 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

http://toyokeizai.net/articles/-/30614


ビットコイン - Wikipedia

ビットコイン英語: Bitcoin)とは、公共トランザクションログを利用しているオープンソースプロトコルに基づくPeer to Peer型の決済網及び暗号通貨である。

ビットコインは極めて低いコストでの決済(およびマイクロペイメント)を権力機関発行者無しで平均10分程度の待機によって可能にする。ノードから別のノードへの貨幣の移動は電子署名された取引で行われ、P2Pネットワーク内の全てのノードブロードキャストされる。初期の通貨流通や、二重支払いの検知のためプルーフ・オブ・ワーク(英語版システムが用いられている。

ビットコイン中本哲史[7] (Satoshi Nakamoto, サトシ・ナカモト)[8]を名乗る人物によって投稿された論文[9]に基づき、2009年運用が開始された[10]。 支払いの際に売買間の電子的な記録や履歴は存在しない代わりに、 買い手は公式トランザクションログ、blockchainの更新要求する。[11] 全トランザクションリストには所有履歴が記載されており、分散ネットワークにより検証されている。 ネットワーク運営者達は採掘者として知られ、取引手数料や造幣収益を得ている。[12]


実在する硬貨の購入も可能であり、(電子通貨と異なり)硬貨を分解することで秘密鍵を明らかにできる。 [13]

同様の仕組みを利用した通貨2014年現在多く発行されており、特にen:Litecoinがビットコインに次ぐ第2の暗号通貨としてよく知られている。

違法活動との関連性から監視対象とされている。 2013年連邦捜査局FBI)はオンライン闇市シルクロード (サイト)を閉鎖し、2850万米ドル相当を押収した。[14] 中国では取引の使用が禁じられ[15]、欧州銀行監督局は利用者保護に欠けると警告している。[16] ビットコイン盗難は可能であり実例があるものの[17]、オフラインでの防止策でこうした危険性は減らせる。[18]

現在全般的商業流通量は、価格変動を煽る投機目的に比べて小規模であるものの、実際に製品サービスの支払いに使用されている。[19] 一般的クレジットカード手数料2−3%に比べ費用が抑えられる点に魅力があり[20]、著名な営利法人での採用例としてはOkCupid、RedditWordPress、ヴァージン・ギャラクティックが、[21]特定非営利活動法人アドボカシー団体ではフリーソフトウェア財団[22]、WordPress[23]、Tor[24]、電子フロンティア財団[25](EFF)などが挙げられる。

頭文字の大小による意味の違いがあり、大文字表記プロトコルと取引ネットワークを、小文字は通貨自体を指す。[26]

http://ja.wikipedia.org/wiki/Bitcoin

マル激500回放送記念イベント『ただ今、一合目通過』 - YouTube

ップロード日: 2010/11/03

http://www.videonews.com/

無料放送】マル激トーク・オン・ディマンド

第498回(2010年10月30日

http://youtu.be/2Dr4doyZKVY

再度。

2014-02-20 」も「

メモ

・Hans-Ulrich Obrist『Ways of Curating』http://j.mp/1gXcMr2

・Carolee Thea『On Curating: Interviews With Ten International Curators』http://j.mp/1gXd1Ta

・Paul O'Neill『The Culture of Curating and the Curating of Culture(s)』http://j.mp/1gXdfJP

Independent Curators International - Independent Curators International

http://curatorsintl.org/

2014年2月15日の関連メモざっと

加治屋健司「大浦信行の《遠近を抱えて》はいかにして90年代的言説を準備したか」http://j.mp/MXYFHr

大浦信行 遠近を抱えて - Google 検索 http://j.mp/MXYKee

石田圭子『美学から政治へ―モダニズム詩人ファシズムhttp://j.mp/MXZ7pf

前田良三『可視性をめぐる闘争―戦間期ドイツ美的文化批判とメディアhttp://j.mp/MXZjoj

・蔭山宏『崩壊経験:現代ドイツ政治思想講義http://j.mp/MXZNLc

香川檀『想起のかたち―記憶アート歴史意識http://j.mp/MY0y6V

田中純政治美学権力表象http://j.mp/MY0NPA

ジャックランシエール無知な教師』『感性的なもののパルタージュ―美学政治』『解放された観客』 ※リンク

・Rirkrit Tiravanija@ Gallery Side 2のサンマ http://j.mp/MY2f4p  http://j.mp/MY33pT

・名作落語 五代圓楽目黒秋刀魚http://youtu.be/J_DHBw7lFA8

・僕が同じ展示(フェア)で日を改めて3回食べたリクリットのカレー。Rirkrit Tiravanija Cooking and Drawing Event at Art Basel 2011 http://youtu.be/4CQsZ0AAheY ※http://j.mp/MY4btP

・リクリット・ティラヴァーニャとマルセル・デュシャン。Rirkrit Tiravanija Duchamp - Google 検索 http://j.mp/MY7RLV  ※料理の指示書(レシピ画像あり http://j.mp/MY88yv

・『表象05』http://twilog.org/n291/search?word=表象05&ao=a

・『Participation (Whitechapel: Documents of Contemporary Art)』http://j.mp/MY6fSm

ハルフォスターチャットルーム』(2004年) - journal http://j.mp/MY8UeX

・Guerrilla Girls http://j.mp/MYaihw ACT UP http://j.mp/MYaoWw

・Documenta 11. Kassel, Germany, 2002. Director: Okwui Enwezor http://j.mp/MYb3aD  http://j.mp/MYbp0O documenta 11 Impressions, 2002 http://youtu.be/muolWfuVfAI

・Okwui Enwezor『Archive Fever: Uses of the Document in Contemporary Arthttp://j.mp/MYbvp8 Okwui Enwezor『Mirror's Edgehttp://j.mp/MYdcmF

・『Double Agent』(Institute of Contemporary Arts (ICA))http://j.mp/MYcsxN Double Agent | e-flux. February 4, 2008 http://j.mp/MYcBkQ


◇ studies / 本を読む #3 / EOS ArtBooks Series 001『コンテンポラリーアートセオリー』 - CAMP

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studies / 本を読む #3 / EOS ArtBooks Series 001『コンテンポラリーアートセオリー

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ゲスト

チェ・キョンファキュレーター

良知暁(アーティスト


今回の「studies / 本を読む」は、EOS ArtBooks Series 001 『コンテンポラリーアートセオリー』について話し合います(「3|Relational Aesthetics and After|ブリオー・ランシエール論争を読む|星野太」と「4|Document|生政治他者倫理アート証言石田圭子」が中心になります)。当日までに一度は読んで参加するのをおすすめします。ひとりで読んだときとは違った何かに気付くかもしれません。

EOS ArtBooks Series 001 『Contemporary Art Theory / コンテンポラリーアートセオリー

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現代アートにおいて、いま何が議論されているのか。「キュレーション」「制度批判」「関係性の美学とその後」「ドキュメント」「ポストメディウム」「パフォーマンスパフォーマティヴィティ」の6つのキーワードから2000年以降の現代アート理論を重層的に読み解く。

編=筒井宏樹 著=石田圭子/エレナフィリポヴィッチ/奥村雄樹/河田亜也子/沢山遼星野

コンテンツ

0|introduction|2000年以降のアートセオリー日本筒井宏樹

1|curation|〈態度が形になるとき〉展によせて|ハラルド・ゼーマン翻訳河田亜也子]|ハラルド・ゼーマン展覧会紹介[構成:河田亜也子]

2|Institutional Critique|作家たちによる制度批判:〈ドクメンタ5〉をめぐる抗議文|河田亜也子

3|Relational Aesthetics and After|ブリオー・ランシエール論争を読む|星野

4|Document|生政治他者倫理アート証言石田圭子

5|Post-Mediumポストメディウム・コンディションとは何か?|沢山遼

6|Performance/Performativity|もうひとつ伝統(The Other Tradition)|エレナフィリポヴィッチ[翻訳奥村雄樹]

身勝手な付け足し(もうひとつの結び)|奥村雄樹

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http://ca-mp.blogspot.jp/2014/01/studies-3-eos-artbooks-series-001.html

2014-02-19 キーワーグリッチドを入力

[]

◇ n291: 向量≒矢量 http://t.co/RPKPj7nebE h ... - Twitter

向量≒矢量 http://j.mp/19CiriK  http://j.mp/19Ciz1K  日本語漢字表記だったほうが喚起的だったのに、、、と思ったりとか。

https://twitter.com/n291/status/393577326383874049


◇ n291: 身振りの事後性と指標の事後性の違いから。〔運動痕跡表象〕 ... - Twitter

身振りの事後性と指標の事後性の違いから。〔運動痕跡表象〕/〔運動痕跡→身振り〕/〔運動*→痕跡→指標(影)〕 *面に対する水平方向のベクトルなし(痕跡の無時間性、あるいはベクトルを認めることが難しいほどの微小時間性?極小時間性?)

https://twitter.com/n291/status/393581656818196480

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090203#p7

■ナイジェル・スリフト関連メモ

◇ 「空間時間における社会的行為の決定について」ナイジェル・スリフト(遠城明雄 訳)

http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/geo/pdf/neokoten/neo-koten08.pdf


◇ 「感情の強度 ―情動空間政治学にむけて―」ナイジェル・スリフト(森正人 訳)

http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/geo/pdf/space11/11_05_shrift.pdf


◇ 「サービス経済における生産的な消費者という新しい表象松川誠一

https://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/65577/2/18804322-58-09.pdf


◇ 「近年のイギリス人文地理におけるトピックと思想的背景―マテリアリティ,ポストヒューマン,異種混淆性,情動―」森正人三重大)

http://www.lit.kobe-u.ac.jp/~oshiro/shisobukai/morix.html

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081222#p3

Flickr: Christine_Lee3's Photostream

http://flickr.com/photos/24405137@N08/

フランク・ティールの監視カメラシリーズを調べているときに見つけたFlickrです。


>>>Frank Thiel 'City TV (Berlin)'@Galerie Haas und Fuchs, Berlin, 1999

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081029#p2

Hans Ulrich Obrist and Anri Sala on Vimeo

http://vimeo.com/9578992

Meet The Artist: Douglas Gordon - YouTube

The exhibition begins with 24 Hour Psycho (1993), a slowed-down version of Alfred Hitchcock's 1960 film Psycho. A different take on a familiar classic, it introduces many of the important themes in Gordon's work: recognition and repetition, time and memory, complicity and duplicity, authorship and authenticity, darkness and light.

(1)http://youtu.be/DXY99WS-Byo

(2)http://youtu.be/SjYb6EN0v8w


◇ Designing Video Installations with Douglas Gordon - YouTube

Turner Prize-winning artist Douglas Gordon is one of our favorite artists. He was born in Glasgow, lives and works in Berlin now with odd stints as juror at the Venice Film Festival. We found him sitting at his piano that was crowned by a stuffed, howling wolf. We talked about his work and how he used the Prado as storyboard for his film about Zinédine Zidane.


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http://youtu.be/n3mm-LNkmXU

ED RUSCHA - The New York Public Library

Ed Ruscha's work has profoundly influenced countless modern artists, but his artist books - such as Twentysix Gasoline Stations, Every Building on the Sunset Strip, Thirtyfour Parking Lots in Los Angeles, and A Few Palm Trees - offer a unique opportunity to trace that influence directly to the near and far corners of the modern art world. For decades, a broad spectrum of artists have produced their own small books revisiting, rebelling against, and responding to the American painter and photographer's idiosyncratic collections.

Now, Ruscha's artist books and the fascinatingly kindred works they inspired are the focus of a new exhibition at the Gagosian Gallery and book - Various Small Books: Referencing Various Small Books by Ed Ruscha from MIT Press - both of which showcase Ruscha's materials alongside the numerous books they influenced. To coincide with the exhibit opening and book release, Ruscha joins Paul Holdengräber onstage to reflect on his career and enduring influence.

http://www.nypl.org/audiovideo/ed-ruscha


Ed Ruscha: Artist’s Talk. The University of Wolverhampton. - Video Dailymotion

http://www.dailymotion.com/video/xnzp6q_ed-ruscha-artist-s-talk-the-university-of-wolverhampton_creation


◇ John Baldessari & Ed Ruscha - YouTube

Los Angeles-based art luminaries John Baldessari and Ed Ruscha discuss the work of Richard Artschwager. Baldessari is known for his conceptual work that often intersects artistic genres and media. His work has been featured in more than 200 solo exhibitions and more than 1,000 group exhibitions in the United States and Europe. Ruscha's work encompasses painting, drawing, photography, and artist's books. He has been the subject of numerous international museum retrospectives. This discussion is moderated by Bob Monk, director of Gagosian Gallery's Uptown Gallery, New York.


http://hammer.ucla.edu/watchlisten/watchlisten/show_id/1786296

http://youtu.be/CqDXqEqVeXs


◇ Conversations: Ed Ruscha with Dave Hickey - YouTube

A dialogue between artist Ed Ruscha and critic Dave Hickey at Tamarind Institute's Fabulous at 50 Symposium and Birthday Bash.

http://youtu.be/k9WE7csaT3o

Contacts vol 3: John Baldessari - YouTube

http://youtu.be/oF9ZpHsdNjQ

Contacts vol 3: Christioan Boltanski - YouTube

http://youtu.be/CZiY5yeEmjo

Contacts vol 3: Georges Rousse - YouTube

http://youtu.be/7aBDT3DOpcQ

Contacts Volume 3: Conceptual Photography - YouTube

http://www.youtube.com/playlist?list=PL54CB8369F9C0FB63


◇ Contacts Volume 2: The Renewal of Contemporary Photography - YouTube

http://www.youtube.com/playlist?list=PL60993B674EA626A0


◇ Contacts Volume 1: The great tradition of photojournalism - YouTube

http://www.youtube.com/playlist?list=PL75F5062EEE9A7D70

In Conversation: Simon Critchley and Liam Gillick - YouTube

Internationally renowned philosopher Simon Critchley and acclaimed conceptual artist Liam Gillick discuss the intersection of their work around the topic of utopianism. By responding to a series of crowd-sourced prompts, the conversationalists will explore topics such as their collaborative projects, including Critchley's The Faith of the Faithless (2012).

This event took place at the Brooklyn Museum Thursday, May 10th, 2012

http://youtu.be/13I-TP10AWc


◇ Michael Craig-Martin + Liam Gillick, "Pictures and Places" - YouTube

School: GSAPP

Date:02.11.10

Speakers: Liam Gillick, Michael Craig-Martin

Pictures and Places, Michael Craig-Martin + Liam Gillick

AVERY HALL, WOOD AUDITORIUM

Artists in Conversation

Michael Craig-Martin, Artist, Emeritus Professor of Fine Art, Goldsmiths College, University of London and Liam Gillick, Artist + Faculty, Columbia University School of the Arts/ Bard College Centre for Curatorial Studies

Organized in collaboration with Columbia University School of the Arts

http://youtu.be/NWtLKyILtWs


◇ Liam Gilick Interview - YouTube

Liam Gillick (born 1964, Aylesbury, Buckinghamshire) is a British artist living in London and New York. He is often associated with the artists included in art critic and curator Nicolas Bourriaud's 1996 exhibit Traffic,[1] which first introduced the term Relational Art. These artists include Rirkrit Tiravanija, as Claire Bishop states, "Bourriaud deems them both to be paradigmatic of "relational aesthetics." [2] He was also in Bourriaud's 2002 exhibition ""Touch: Relational Art from the 1990s to Now"" at the San Francisco Art Institute.[3]. In 2009, Gillick represented Germany in the Giardini Pavilions of the Venice Biennale.[4] Together with Damien Hirst, Sarah Lucas, Angela Bulloch and Henry Bond he was, "the earliest of the YBAs"[5]―the Young British Artists who dominated British art during the 1990s.

http://youtu.be/oLRmNy6mZn4

Pierre Huyghe - The Retreat dOCUMENTA (13) - YouTube

The Association of Freed Time, a public talk held on August 10th, 2012 as part of The Retreat - dOCUMENTA (13) at The Banff Centre. http://www.banffcentre.ca/va/

http://youtu.be/aRC5iFlxfnU

Artist Talk: Philippe Parreno - YouTube

Hans-Ulrich Obrist in conversation with Philippe Parreno at Fondation Beyeler.

http://youtu.be/xqSVlYv1QfA

On the Politics of Disaggregation: Okwui Enwezor | Parsons The New School for Design - YouTube

http://youtu.be/pPhg6bxD0kU


◇ "The Vexations and Pleasures of Color" by Okwui Enwezor at Dartmouth - YouTube

http://youtu.be/8kPfwQTAACs


◇ Okwui Enwezor: Civitas, Citizenship, Civility - Art and the Civic Imagination - YouTube

http://youtu.be/MSZ6OzIUDYA


◇ Haus der Kunst: Thomas Ruff im Gespräch mit Okwui Enwezor - YouTube

http://youtu.be/ad1HfkL2KYA

John Berger / Ways of Seeing - YouTube

(1)http://youtu.be/0pDE4VX_9Kk

(2)http://youtu.be/m1GI8mNU5Sg

(3)http://youtu.be/Z7wi8jd7aC4

(4)http://youtu.be/5jTUebm73IY


◇ John Berger "Ways of Seeing" all - YouTube

http://youtu.be/utEoRdSL1jo

2014-02-18 ”para y con”

Taille de l'image: 774 × 1368, Aucune autre taille d'image trouvée / Bildgröße: 774 × 1368, Keine anderen Größen für dieses Bild gefunden http://j.mp/1eL8IFR













Nobuhiro Fukui: MD et / und GR [MD_et_und_GR], 2014, dimensions variable http://j.mp/MD_et_und_GR













2014-02-17 フレーミング・イン(フェルノ)revisited

フレーミング・イン(フェルノ)revisited


f:id:n-291:20140217175723j:image

近藤 幸夫 - 研究者 - ReaD & Researchmap

http://researchmap.jp/read0164457/

慶應の近藤幸夫さんが逝去されたそうです。

ご冥福をお祈りいたします。


◇ ソフィ・カル講演記録の読み方 ――あるいは、ソフィ・カル作品における写真 近藤幸夫

http://j.mp/1gq5vk4

次の講演会の記録とともにお読みください。


◇ ソフィのリアルストーリー 朝木由香 村井丈美 田中淳一

http://j.mp/N0yLD9


◇ ソフィ・カル――歩行と芸術 - 慶應義塾大学 アートセンター(2002)

http://j.mp/1gq5f4o


◇ 鎌倉近代美術館鎌倉本館閉館問題を考える(5)「鎌倉の建築を残すべき」 | ピックアップ記事 - 新かながわ

(HP掲載日:2013.11.13)

連載第5回目は、以前、東京国立近代美術館に勤め、現在は慶應義塾大学准教授で美術批評家でもある近藤幸夫准教授(62歳)に話を聞きました。(聞き手 宮田徹也)

http://www.shinkana.jp/archives/1161

The Collection | El Lissitzky, Jan Tschichold. Foto-Auge. 1929 - MoMA

El Lissitzky (Russian, 1890–1941), Jan Tschichold (Swiss, born Germany. 1902–1974)


Foto-Auge


Date:1929

Medium:Book with photomechanical reproductions

Dimensions:page: 11 9/16 x 7 5/8" (29.3 x 19.4 cm); book: 11 5/8 x 8 1/16 x 1/2" (29.5 x 20.5 x 1.2 cm)

Credit Line:Gift of The Judith Rothschild Foundation

MoMA Number:321.2001

Copyright:© 2014 Artists Rights Society (ARS), New York / VG Bild-Kunst, Bonn

http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=15567

政治の美学 権力と表象 :田中純 - 高橋教授の書評空間

私が田中の仕事に注目してきた大きな理由の一つは、田中が表象の問題をつねに「表象されたもの」と「表象されえなかったもの」のあいだの裂け目・亀裂を意識しながら扱っている点であった。「表象されえなかったもの」とは、ある実定性を伴なって表象が成立する瞬間に消し去られてしまう表象の根源であり起源を意味している。この表象の根源=起源は「表象されたもの」が成立した瞬間消去されてしまうがゆえに、「表象されたもの」の世界においては――それは私たちが通常受容している日常世界とほぼ重なりあう――つねに痕跡として事後的にしか認識されえないものである。だがそれは同時に、ある表象の水位が形づくられる際に必ず働いているいわば表象生産の原動力というべきものなのだ。つまり「表象さえなかったもの」とは表象の成立準位から消えている表象生産の「力」に他ならないのだ。したがって表象産出の過程にはつねに産出された表象体とこの「力」のあいだ関係が、しかもそのうちに矛盾や相克を孕む屈曲した関係が存在することになる。表象体はこの「力」を否定し消し去ろうとし、「力」はそうした表象体の抑圧を押し破って噴出しようとするからである。そしてこの矛盾・相克が「表象されたもの」と「表象されなかったもの」のあいだに裂け目・亀裂をもたらすのである。それはおそらく別な角度からいうと次のように言い換えることが出来るだろう。すなわち表象体とは表象を産出する「力」が表象の産出過程のなかで別な何ものか、より正確に言えば、表象体の産出に相応しい別な「力」の形に置き換えられることによってはじめて成立可能となるのだ、というようにである。それは表象の持つ実定的な具体性、あるいはそれを支える秩序や意味上の文脈を可能にする「力」に他ならない。そして私たちはこの「力」をこそ「権力」とよぶのである。


このとき「権力」はおそらく二重の役割を担うことになる。一つはすでに触れた「表象されたもの」と「表象されなかったもの」のあいだの亀裂を充填しつつなめらかな表象空間の表層を形づくるという役割であり、もう一つは、そうした表象空間を社会/歴史空間へと連続的につなげてゆく役割である。表象空間のなめらかな表層が形づくられる過程は、そのまま社会/歴史空間の実定性が形づくられる過程と重なりあうからである。だが、というべきか、だからこそというべきか、権力の作用によって秩序化され可視化される表象と社会/歴史空間の複合体としての実定性の水位のうちには、つねにその実定性を突き破ろうとする「力」の蠢動が隠されているのを忘れてはならない。

 こうした「力」の準位は、実定性が揺らぎ始めると、いわば亀裂を覆い隠していた綴じ目を押し開くようにして表層へとせり出してくる。それは具体的には社会/歴史空間が「危機」と呼ばれる状況に陥ったときである。そしてそうした「危機」の瞬間、消し去られた「力」が突然「権力」へと回帰してくるのである。本書で田中が問題にしようとしているのは、まさにそうした「危機」の瞬間に回帰してくる「力」の様相であり、「力」の回帰によってもたらされる表象空間のねじれ・屈曲の様相に他ならない。

http://prof-takahashi.blogspot.jp/2011/06/blog-post_2905.html

ARTILLERY PRESENTS: RIRKRIT TIRAVANIJA - YouTube

http://youtu.be/I8QVjTCnJCc


◇ Rirkrit Tiravanija | Brisbane interview - YouTube

http://youtu.be/lx2i9Vqw6vA

ジャネットクレイニャック『リクリット・ティラバーニャの義務』 - journal

Janet Kraynak, “Rirkrit Tiravanija’s Liability,” Anna Dezeuse ed., The ‘Do-it-Yourself’ Artwork: Participation from Fluxus to New Media, Manchester University Press, 2010. pp.165-184

初出はDocuments, 13(autumn 1998), pp.26-40

クレアビショップの「敵対と関係性の美学」でちょっとだけ言及されていた論文。内容としては、ハル・フォスターの「民族誌家としてのアーティスト」の一部の議論(「他者」という幻想を原理にして動くアイデンティティポリティクス批判)を、モースの『贈与論』の話やブルデューの「象徴資本」を参照点に、ティラヴァーニャの作品に接続するような感じか。

中心となるのは、返礼の義務を伴わない完全な贈与は存在しない、という「贈与のアポリア」(デリダ)。にも関わらず、「完全な贈与」は幻想というかたちで蔓延っており、ティラヴァーニャの作品の受容はまさにそうした幻想によって支えられている。実のところ、贈与は、送り手の社会的地位や威信といったもの(クレイニャクはそれを「象徴資本」(ブルデュー)に結びつける)を循環させる、別種の経済活動であり、後期資本主義社会を駆動しているのはまさしくこの贈与型の象徴資本の経済である。その例としてクレイニャックが挙げるのは、企業による美術館等への寄付だとか、もっと卑近な例では注釈中でネーミング・ライツを挙げている。

だとすれば、ティラヴァーニャの作品を「完全な贈与」として素朴に受け止めてしまうことは、後期資本主義社会の原理そのものを肯定してしまうことになりかねない。むしろ、ティラヴァーニャの作品は、こうした「贈与のアポリア」をあからさまにする装置として批判的な機能を持っていると考えられるとも主張するのだが、果たしてそれが本当に批判であるのか、あるいは贈与という幻想を無批判に受け入れてしまっているのか、判断することは極めて困難であると閉じられる。

『関係性の美学』はまさしく、この論文で批判されているような論理によって駆動しているように思える。展覧会の場を「社会的な間隙」と見なして、資本主義社会の内部に穿たれた穴として芸術を特権視する点において。ただ、芸術もまた資本主義の論理の内部でしか働きえず、そこに身を晒し続けなければならないというブリオーの主張は、そう単純なものでもない気がする。

この章は当初1997年から1998年にかけて執筆され、「ドキュメンツ」誌の1998年の秋号に掲載された。この少部数の雑誌は、私の学部での同僚や友人たちのグループで立ち上げたもので、参加していたのは、クリスフーヴァー、ミウォン・クウォンジェームスマルコヴィッツ、ヘレン・モールズワース、そしてマーガレットサンデルだった。執筆した当時、参加型の実践は、現代美術業界レーダー上にちょうど現れ始めていた。「ドキュメンツ」は、非アカデミックかつ学際的な文脈のなかで、真剣な批評を行うためのフォーラムを提供するという目的を持った雑誌で、こうした新しい実践の受容が大部分批評的でなかったように見えていた私が、それについて探求するのに完璧な場所だった。元の文章のアイデアが浮かんだのは、リクリット・ティラヴァーニャの、いまでは有名となった、ニューヨークの303ギャラリーで開かれた1992年展覧会、《無題(自由)》が発表されたのと同じ時期だった。私の目には、ティラヴァーニャの作品がもっぱら祝福のような、非歴史的な言葉によって語られていたように見えた。過去の社会参画型芸術に関する言及も、〔ティラヴァーニャの〕作品の受容がつくりだした批評的な主張へ影響を当然与えていたはずの、1990年代において変容した資本主義の情況についての言及もなかった。

「ドキュメンツ」はながいあいだ絶版になっており、発表からの数年で、私がこの文章で主張しようとした問題については、他の書き手が生産的に発展させ、改めて理論化してきた(たとえば、この本に再録されている、ミウォン・クウォンの「Exchange rate: on obligation and reviprocity in some art of the 1960s and after」とクレアビショップの「敵対と関係性の美学」がその例だ)。それらは、こうした関心が高まっている最中であること、これらの重要な諸問題について、より多くの調査が必要とされていることを示している。私は、自分の研究のなかで、この文章でまとめた主題のいくつかについての探求を引き継いできた。新しい読者や解釈者とこれらのアイデアを共有する機会を与えてくれたアンナ・ドゥズーズに、感謝したい。

(前半)http://ryoheiito.tumblr.com/post/71118118526

(後半)http://ryoheiito.tumblr.com/post/71118125195

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20131026#p12

ボリス・グロイス『デュシャンによるマルクス、あるいは芸術家の2つの身体』 - journal

ボリス・グロイス『デュシャンによるマルクス、あるいは芸術家の2つの身体』2010年 試訳

Boris GROYS, Marx After Duchamp, or The Artist’s Two Bodies, e-flux journal #19 october 2010.

http://ryoheiito.tumblr.com/post/61935438413


◇ ハル・フォスターチャット・ルーム』(2004年) - journal

ハル・フォスターによるリレーショナル・アート批判。ブリオーとオブリストの著作についての書評ではあるのだけれども、具体的な主張について指摘するというよりも、リレーショナル・アートの需要と受容について概観を述べたような文章。ロシア構成主義をはじめとしたアヴァンギャルドとの類似を指摘しつつも、リレーショナル・アートには、アヴァンギャルドが持っていたような反省や批評性が欠如しており、現状肯定的であることを批判している。むしろ、日常性や共同体出会いといった要素がアートでこれほど特権化されている状況は、いまの社会が抱える諸問題に対する徴候なのではないか、と。

タイトルの「チャット・ルーム」という意味が実はあんまりよくわかってない。人と人の出会いという、リレーショナル・アートが最重要視する要素は、インターネット時代の賜物であるのだけれども、最後の方で述べているように、目的を欠いた出会いそのものをそのように称揚することは、単にフラッシュ・モブImprove Everywhereとか、2chのマトリックス・オフみたいな奴)みたいに、集まって面白かったらいいや、という刹那的な運動しかもたらさないんでは? というような指摘に繋がっているのかな、とは思う。

http://ryoheiito.tumblr.com/post/30976657854


クレメント・グリーンバーグ 彫刻の近況("Recentness of Sculpture," 1967年) - journal

 ミニマルアートに関するグリーンバーグによる分析。なぜミニマルアート三次元オブジェに特化したのか? という問いに、平面的なものはあらかた絵画になってしまうため、既存のアートの枠からはみ出るようなものを作ろうとすると、三次元に頼るしかなくなるからであろう、という指摘は、ジャッドのスペシフィック・オブジェクトで実際そういう趣旨のことが言われているので、的を射ているんだろなーと思った。また、ミニマルアートの作品が持つ意味は、オブジェそのもののなかにあるのではなく、むしろそれを通して発される作家側の観念や、観者のなかに誘発される問いの側にある(それゆえミニマルアートオブジェを見ても、絵画を観るような感動は得られない)とゆーまとめに、改めてミニマルアートからコンセプチュアル・アートへの地続き感を味わうなどした。そんだけ〜…

http://ryoheiito.tumblr.com/post/29817928833


クレアビショップ イントロダクション――生産者としての観者 - journal

Whitechapel GalleryとMIT Pressが出版している美術に関するテクストアンソロジーがあるんですが、そのうちビショップが編集したParticipation(参加)についての一冊に付せられたイントロダクションです。観客の参加が特権化されていることに対する批判が、ランシエールを援用しつつ行われているのが面白いと思いました。ランシエールの文章も読んでみないと、なんかほんとにそれでええんかって気もしますが。

要するに、シチュアシオニストによるスペクタクル批判(やその先駆としてのブレヒトアルトー)は、さまざまな方法を通して、スペクタクルに対して受動的な存在である観客に、能動的な主体となることを求める実践だったわけですが、しかし、ランシエールは、観客のあり方を能動的/受動的という二分法で捉えることはよろしくないんでないかと言っている。一見受動的に見えても、解釈(ランシエールは翻訳と言ってるみたいだけど)を行ったりしている時点で、完全に受動的で無力な存在ではありえない。むしろ、そうした状態こそが人間本来の姿なのであって、能動的な主体ばかりを特権的に扱う根拠などない。という話らしい。

その話は面白いし、個人的な関心に合っている(能動性の特権化が孕んでいる問題はほんとに大きいと思うし、現在のコミュニケーション環境からしてやっぱマジで単純に正当化できないと思う)。ので、ランシエールを読んでみようと思った。が、でもその先って、結局「焦るな、待ってろ、あとで効くから」になっちゃうだけだと、説得力あるんか? とも思ってしまう。収められているテクストもちゃんと読んでみよう。ハル・フォスターのやつと、ランシエールと。

http://ryoheiito.tumblr.com/post/29185444201


◇ 敵対性と関係性の美学 - journal

 を読んだ(Claire Bishop “Antagonism and Relational Aesthetics,” OCTOBER 110, Fall 2004 pp.51-79)。これだけ読むと、リレーショナル・アートは所詮アートワールドのなかでのごっこ遊びであって、ブリオーが目指す政治的な実践と結びつけるためには、もっと積極的アートワールドの外と関わっていくべきである。というわりとふつうの、社会的アート最高〜みたいな話に思えてしまう。

 けれども、テート・モダンのティノ・セーガルについての記事や、「誰もがアーティストなのか?」と題された講演などを参考にすると、ビショップが問題としているのは、単に「もっとアートは社会とかかわるべきだ」ということでなく、むしろ新自由主義経済に支配された世界のなかで、アートの自律性を問い直そうとしているようにも思える。セーガルの作品に対するコメントというていをとったガーディアン紙の記事は、実際のところ、特にイギリスにおける参加型のアート作品の政府と結んでいる関係についての概観でもある。

 そういうわけで、たまたま買っていたビショップの編集による”Participation,” MIT Press and Whitechapel Gallery, 2006を改めて紐解こうと思った(っていうか、2ヶ月前もこんなこと言ってたな…)。

 アートと政治の関係性というのは歴史を紐解けばいくらでも出てくることではあるにせよ、主にフルクサスから始まって、全世界的な現象として制度批判的な作品が花開いたのが60年代であり、それ以降のアートに関する言説は、どんどんスペクタクル化する作品に対して60年代的なものの影を背負いつづけていた、というふうな前提にたって、ブリオーの関係性の美学は、それを総括しつつ、新しい政治性をアートに託すものだったとビショップはまとめている。

 60年代における実践と90年代以降の実践とのもっとも大きな違いとしては、制度批判の根底にはユートピア的な世界への憧憬があったことが挙げられている。ブリオーはそうした理想を否定し、むしろ「いま、ここ」にいる私たちが、よりよく生きるための方法を模索する方向へと転換した(より幸せな明日を信じるよりも、いま目の前にいる隣人たちとのあり得る関係を開発することが求められている、とブリオーは述べている)。リレーショナル・アートの作品においては、いつもあたたかなコミュニティが、ささやかではかないものであるにせよ、構築される。仲間ができて、いろんな人となかよくなれる。互いに互いを許容する、まさに民主主義的な場であるというのが、ブリオーの主張(これほど単純ではないが)である。

 というのだけれども、こうした関係性の美学の主張に対してビショップは、ほんとうに民主的な場っていうのは、衝突や軋轢もすべて含みこんでこそ成立するはずだと反論している。その論拠となるのが敵対性という概念で、それは不安定な主体が、異質なもの(私ではないもの)との衝突を通して自己同一性を更新していく、というもの。リレーショナル・アートが、私と同じ物を持っている、ということによってコミュニティが形づくられ、対話が生じていく… という図式にのっとっているのに対して、敵対性を含みこんだアート作品は、異質な者同士が緊張関係を保ちつつ、自分や社会を更新していくこととなる。

 対立概念としての関係性の美学と敵対性については、上のような議論が展開されていく。ここで面白いのは、敵対性を含みこむ作品は、観客の参加を必ずしも必要としないという主張だと思う。観客の参加というのは、アートの持つ作者/観者というヒエラルキーを打ち崩すために戦略的に用いられてきた。ボイスが代表されるように、誰もがアーティストでありうる、そのようなアートのあり方こそが民主主義的な世界における理想であり、参加型アートは、それゆえ特権的立ち位置歴史の中で得ていた。ビショップはそうした図式に対する批判をしているわけだ。

 すでに作品に対する観者の参加や、作品と観者のインタラクションというのは、それだけで即特権的に良いものとみなされるものではない。作品と観者、あるいは作者と観者、もしくは観者同士のあいだに作りだされている関係性の質をこそ、検討していくべきだという主張は、アートの政治化・社会化によって、かえって全体主義的なイデオロギーに与してしまう危険性に対しての指摘として、考えられるはず。

 リレーショナル・アートを先鋭化させるという話かと思っていたので、むしろその相対化という側面は意外だったな。

http://ryoheiito.tumblr.com/post/28623344056


リアルジャパネスク−世界の中の日本現代美術 - journal

http://ryoheiito.tumblr.com/post/28018497037


◇ T・J・クラーク vs. M・フリード論争について - journal

(1)http://ryoheiito.tumblr.com/post/25685889259

(2)http://ryoheiito.tumblr.com/post/25686335974

(3)http://ryoheiito.tumblr.com/post/25747369134

(4)http://ryoheiito.tumblr.com/post/25747573112


プロジェクトからプロトタイプへ(あるいはいかにして作品をつくらずにすますか) - journal

(1)http://ryoheiito.tumblr.com/post/25927844571

(1.5)http://ryoheiito.tumblr.com/post/26060923504

(2)http://ryoheiito.tumblr.com/post/26063986080

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20131026#p16

Claire Bishop's "Participation and Spectacle: Where Are We Now?," Presented as part of Living as Form on Vimeo

Claire Bishop is an Associate Professor in the Ph.D. Program in Art History at The Graduate Center, The City University of New York, and an internationally recognized scholar and curator of contemporary art. Her critical work focuses on socially engaged art and theories of spectatorship.

"Participation and Spectacle: Where Are We Now" is the first in a series of talks leading up Creative Time's Living as Form exhibition, opening September 23, 2011.

http://vimeo.com/24193060


CLAIRE BISHOP on Vimeo

http://vimeo.com/64908051


◇ Clair Bishop. Directed Reality: From Live Installation to Constructed Situation. Lecture on Vimeo

http://vimeo.com/2572410


◇ IS EVERYONE AN ARTIST? | Claire Bishop | 13 March 2010 - FORMER WEST

http://www.formerwest.org/ResearchSeminars/RussianAvantgardeRevisited/Video/IsEveryoneAnArtist


◇ LECTURE | Claire Bishop | 30 April 2010 - FORMER WEST

http://www.formerwest.org/ResearchSeminars/ArtAndTheSocial/Video/ClaireBishopLecture


◇ A Conversation with Paul Ramírez Jonas and Claire Bishop - YouTube

http://youtu.be/Un0G_1F1Eu4

徳島でみれない映画をみる会

http://kmdesign.sakura.ne.jp/awacinema/index.html

高2・高3のころ、観に行っていました。

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090801#p18

■再々録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070108#p3)+1

松本俊夫のことば

 いつだったか本紙で、佐野美津男が、映画批評家がだめなのは商業主義と妥協しているからだと書いていたが、私にいわせれば、妥協するもなにも、彼らにははじめから批評力などないのではないかと思うのだ。佐野のもちあげていた斎藤龍鳳も、他のジャンルではとうてい通用しないくらいひどいものである。

 私はことあるごとに、芸術は表現(この場合映像)・意識・現実の、この三つの緊張関係を、どれひとつ欠いても成り立たないといいい、意識と存在条件が深くクロスする部分を、表現(映像)の模索にどれだけ批評的に対象化しえたかということにのみ、芸術の思想はあるのだということをいってきた。

 芸術音痴といってしまえばそれまでだが、要するに「感覚世界の変革」ということの意味を、人間の人間的変革の歴史のなかに正しく位置づけてとらえることができず、したがってまた感覚世界の変革ということを大きくふくむ表現の変革ということを、現実意識の変革の問題としてとらえることもできないのである。とかく政治家くずれの批評家にはイメージ意味を思想的に追求する表現論がないが、彼らはしょせん映画芸術」などどうでもいいのであって、映画批評ということも、けっきょく彼らの政治的アジテーションの道具でしかないのだ。

「政治主義復活批判」(「読書新聞1963年12月)より

『表現の世界──芸術前衛たちとその思想』所収

http://www.amazon.co.jp/dp/4860291824


松本俊夫 インタビュー

http://www.mokohan.com/matsumoto.html

http://www.bunka-kaigi.com/002special/003/

http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/matsumoto/


松本俊夫実験映像集 DVD-BOX

http://www.amazon.co.jp/dp/B0009JCW44

http://www.uplink.co.jp/webshop/log/000523.php

http://www.caina.jp/commodity_detail/20374290/


松本俊夫全劇映画 DVD-BOX

http://www.amazon.co.jp/dp/B000185CUE


※過去の松本俊夫さん関連

http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%be%be%cb%dc%bd%d3%c9%d7

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070108#p5

■2005年11月のメモ(mixi)より

 人生は飾り窓の外を流れてゆく。ぼくは明るい電光に照らされたハムのように横たわり、斧のふりおろされるのを待っている。実際のところ、何も恐れることはなかった、すべてが薄く切られ、セロファンに包まれていたからだ。とつぜん全市の明かりがいっせいに消え、警報が鳴りひびく。全市は毒ガスに包まれ、爆弾が炸裂し、ばらばらになった人体が飛び散る。

講談社文芸文庫『南回帰線ヘンリー・ミラー河野一郎訳)


 僕らには待つことだけしか許されないのだろうか。

 待ちたくないと叫びつつも、ほんとうはどこかで

 待つことを望んでいるのではないだろうか。



……──じゃあ言うが、ほんとに、いくら引っぱろうが、揺さぶろうがだめなんだな……どうしようもない……なにも伝わってこない。どんな電流も。こんなものはできるだけ早く厄介払いすべきだ。犬にでも投げてやって──ああ、犬にでも……しかし、ほんの少しだけ眺めさせてほしい、ここの、ほら、この線、うねりくねるこのセンテンス、すーっと落ちるその結び……ぼくはこれをほんとに大事に育てたんだ、手塩にかけたんだ……

白水社刊『生と死の間』ナタリー・サロート平岡篤頼訳)


 いくら強弁しても、どうにもならないことはあるでしょう。

 もういちど、そこに至る過程を辿り直してみる

 そんな時間をつくるのも無駄にはならないでしょう。



(10)浴槽の縁に腰掛けて、エドモンドソンに、二十七にもなって、そのうち二十九にもなろうというのに、浴槽の中に閉じこもりがちの暮らしだなんて、あんまり健康とは言えないな、と話した。目を伏せて浴槽のエナメルを撫でながら言った、危険を冒さなきゃだめなんだ、この抽象的な暮らしの平穏さを危険に晒して、その代わりに。そこまで言って言葉に詰まってしまった。

集英社文庫『浴室』ジャン=フィリップ・トゥーサン野崎歓訳)


 一昨日の夜、撮影に出て帰ったきり、引きこもり状態。

 明日は予定があるので、あちこち外出します。

 さて、風呂に入るとしますか。

Camera falls from airplane and lands in pig pen--MUST WATCH END!! - YouTube

Camera falls from a sky diving airplane and lands on my property in my pig pen.

I found the camera 8 months later and viewed this video. For licensing/usage please contact: licensing@jukinmedia.com

http://youtu.be/QrxPuk0JefA

conchucame: 内容に関してはもう何も言わんけど、ひとつだけ。 「サルトルが ... - Twitter

内容に関してはもう何も言わんけど、ひとつだけ。

サルトルが言ったように、現代大衆社会において、一般人は自由を呪われている。」

サルトルこんなこと言ってません。


アーティストワナビーという病い http://www.insightnow.jp/article/8039

https://twitter.com/conchucame/status/433480181634711552







2014-02-16 してぅ

An Interview with Thomas Hirschhorn - YouTube

Thomas Hirschhorn talks about Abstract Resistance (2006), his walk-in sculpture with a complex composition of found images from the worlds of art and of human destruction. This conversation with curator Peter Eleey took place on the occasion of the 2010 Walker exhibition Abstract Resistance, which borrowed its title from the artist's featured work.

http://youtu.be/LI1RLhhLeDQ

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20130331#p2

■The Tape-beatles interview from Sonic Outlaws (1995) - YouTube

http://youtu.be/mEtdE7NsOpA


◇ The Tape-beatles - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Tape-beatles


◇ The Tape-Beatles - Grave Implications - YouTube

http://youtu.be/0RoiJGs89GE


◇ The Tape-beatles - Music With Sound - YouTube

http://youtu.be/BgKajW79uXU


◇ is the night Blue (Tape-beatles) - YouTube

http://youtu.be/CfiXSCSp98U

The Tape-beatles aka Public Works Productionsの映像作品なんでしょうか?ドラびでおっぽくもあります。


Tape-beatles / Public Works / Collaborations - UbuWeb Sound

http://www.ubu.com/sound/tape_beatles.html

「全日展、架空の人物に知事賞」って、一体何のメリットがあるんだろう? - 北海道美術ネット別館

http://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/ad89bc308e6bd5f195c4509aeecc43c1

2014-02-15 SPEAK WHAT A KITCHEN CAT MEANS TO DO

SPEAK WHAT A KITCHEN CAT MEANS TO DO


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2014-02-14 幼児ははいはいするし醒めた大人もはいはいする。

幼児はいはいするし醒めた大人もはいはいする。


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2014-02-13 3・1・2

3・1・2


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ドビュッシー 《牧神の午後への前奏曲》 - YouTube

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カールハインツ・ツェラー(Fl)

http://youtu.be/PivptEk6IxU


Debussy - Claudio Arrau (1978) - Estampes, Préludes I,II, Images I,II - YouTube

http://youtu.be/qrBwWSuZaEg


Debussy, Suite Bergamasque. Claudio Arrau, piano - YouTube

http://youtu.be/bGcEYALnk8s


Claude Debussy: La Mer; Philharmonia Orchestra, Herbert von Karajan - YouTube

http://youtu.be/RLAIJjWdJRQ

Noriko Ogawa & K.Stott "Quotation of Dream" by Takemitsu.wmv - YouTube

http://youtu.be/vsaFEJloXqs

Yūji Takahashi: Iki to Ishi (1990) - YouTube

Yūji Takahashi (*1938): Iki to Ishi, for voice and computer performance system (1990).

Yūji Takahashi, voice and electronics.

http://youtu.be/8iY9YUbIB-4


◇ Takahashi- Yubi Tomyo - YouTube

(1/2) http://youtu.be/rLXKmZ3QjOc

(2/2) http://youtu.be/T0yIcExgcjw

500 Years of Female Portraits in Western Art - YouTube

Music: Bach's Sarabande from Suite for Solo Cello No. 1 in G Major, BWV 1007 performed by Yo-Yo Ma


Nominated as Most Creative Video

2nd Annual YouTube Awards


For a complete list of artists and paintings visit http://www.maysstuff.com/womenid.htm


Created using Abrosoft Fantamorph


High resolution version:

http://www.vimeo.com/1456037

http://youtu.be/nUDIoN-_Hxs

久々にたどりついて再見

2014-02-12 寓機

富士栄 厚「ロバート・スミッソンの《スパイラルジェティ》をめぐる問題 : バベルの塔の倒置」(1998) - CiNii 論文

http://j.mp/1cTuIB0


http://j.mp/1cTvspN

※※http://j.mp/1cTuYzT


◇ 富士栄 厚「マイケル・ハイザーのランドアート」(2004) - CiNii 論文

http://j.mp/1m2bHhG


http://j.mp/1m2bKKo

※※http://j.mp/1m2bQBT

Marion Boulton Stroud (ed.)『Arthur C. Danto: Remarks on Art and Philosophy』

http://www.amazon.co.jp/Arthur-C-Danto-Remarks-Philosophy/dp/0979764270

Weston Naef, Getty's top photography curator, to retire - latimes.com

http://latimesblogs.latimes.com/culturemonster/2008/12/gettys-top-phot.html


◇ Weston Naef Leaves the Getty - TIME.com

http://entertainment.time.com/2008/12/08/weston-naef-leaves-the-getty/


◇ Weston J. Naef - Information from Answers.com

http://www.answers.com/topic/weston-j-naef


◇ Weston Naef - Beinecke Rare Book & Manuscript Library

http://beinecke.library.yale.edu/programs-events/visiting-fellow/weston-naef


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http://d.hatena.ne.jp/n-291/20130824#p11



◇ コンストラクティッド・フォトグラフィ(構成的写真) - 現代美術用語辞典ver.2.0

コンストラクティッド・フォトグラフィ(構成的写真)

Directorial Photography

ストレートフォトグラフィ」とは反対の作り込まれた写真。「ステージド・フォトグラフィ(演じられた写真)」とも呼ばれ、1980年代の写真表現の大きな流れになった。ポール・ゲティ美術館ディレクターウェストン・ネフによれば、「撮る」写真から「作る」写真への移行である。あらかじめ想定した画面を作るために撮影者は演出家となり、撮影の前段階においてほぼすべての準備が終えられていることが多い。また、美術大学出身の作家が多いことも特徴的である。コンストラクティッド・フォトグラフィの作家が数多く輩出されたのは写真の客観的な記録性への信頼が崩壊していった時期にあたり、彼らは現実と虚構のはざまにおける遊戯性をベースとしながら、現実には存在しないイメージを人工的に作り上げた。例えばシンディ・シャーマンのように演じられた自己像を主題にするものや、ベルナール・フォコンのように人間のモデルマネキンジオラマのように配置して人工的に場面を演出するもの、サンディ・スコグランドのように精巧なセットや俳優を配するものなど、作家たちは虚構を現実化するために大掛かりな舞台装置を作り、自らのイメージバンクからさまざまな演出を引き出している。

著者: 小原真史

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%EF%BC%88%E6%A7%8B%E6%88%90%E7%9A%84%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%89


◇ 写真のポリフォニー:texte I:POLYPHONY - texture : ueno osamu

[写真のポリフォニー:texte I:POLYPHONY/BT・美術手帖1990年4月号:53-57]

写真のポリフォニー、それは、写真の歴史化・伝統化からの脱却のためのダイヤグラム。写真そのものを差異化させる運動。複数の体系(言語・写真)の対話の不可能性からのみ生じるポリフォニックな対話。つまり、語ることの不可能性の内から語ることを可能にしてしまうような、そんなはざまの漂流に立ち会うこと。

http://park7.wakwak.com/~ueno/archive/90/bt9004polyphony1.html


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◇ RE-RECORDING(1) - 写真専攻領域

バーバラ・キャステン 「構築される『ニューウェーブ』の欲望」 柳本尚規

日本ではあまり関心を持たれなかったが、ニューウェーブの流れはアメリカにあって60年代以来、「コンテンポラリーフォトグラフィー」の「撮る」写真と「作る」写真の両輪の片方として連綿と続いてき、コンストラクテッド・フォトグラフイーもその流れの中のこんにち目下最先端にある傾向の一つだ。

バーバラ・キャステンは、「ニューウェーブ」といわれる傾向のなかでも、さらに「コンストラクテッド・フォトグラフィー」の代表的写真家として知られている。

「コンストラクテッド・フォトグラフィー」では他にも、S・スコグラントやC・シャーマンといった、いずれも女流の写真家が知られているが、現実を写すことから離れて虚構の世界を撮るという共通点はあるものの、キャステンの作品はこの二人にくらぺても、きわだって抽象的である。

キャステンはまたアティチュードな写真家だという言われ方もする。写真家が写真の歴史に十分に通じた最初の世代になったのが60年代で、この歴史に通じた最初の世代が、「アティチュード」と呼ばれる新しい表現様式をもたらした。「アティチュード」というのは、俗な意味として、頭の切れるとか博学であるとか、しかしそんなことをひけらかさないという感じを込めた言葉なのだそうだが、それはまた過去の表現様式や作品を観察する能力をもさす。キャステンのロシア構成主義バウハウスの思潮へ寄せた作品の質が、そんなふうに呼ばれることになっているのだ。

ところで、キャステンは1936年シカゴに生まれた。そして1959年アリゾナ大学を卒業、テキスタイルの仕事についたが、1970年オークランドにあるカリフォルニア工芸美術大学に入り、美術一般さらにバウハウスの方法を学んだ。71年に最初の個展を開いたが、このときの作品がモホリ=ナギによって生み出された「フォトグラム」(印画紙の上に直接物を置いたりして、物の影を写し取る方法)だった。

モホリ=ナギは1919年、ドイツで開校した建築・美術・写真・エ芸など造形全般にわたった学校「バウハウス」のイデオローグの一人だった。後年ナギはアメリカに渡って、シカゴにニューバウハウスを開。

キャステンはとりわけこのナギの、三次元オブジェの影を映し出すフォトグラムにも象徴される、光に対するコンセプトに共感した。そしてまた、「空間モデュレーター」と命名された構成作品に共感した。そしてフォトグラム作品を手掛けるうちに、「しかしそれはいつも抽象的になり、幾何学的になり、そして絵画的になることが不満だった。もっと立体的で現実の形を欲しくなって」ゆくのである。

幾何学的構成作品の記録のために使い始めたのが4×5インチサイズのポラロイドフィルムだった。しかし間もなく、写真はキャステンの作品作りの発想源としてなくてはならないものとなった。キャステンが大型の20×24インチサイズのポラロイドカメラや8×10のビューカメラを使うようになるのは1979年のことだった。そしてこの大型カメラによる作品が、脚光を浴びるのが、1982年ニューヨークで開いた個展である。

キャステンはブラスティッタや石膏などさまざまな素材を使って形あるものを作るが、中でも特に重要なのが鏡である。鏡は冷たい空間を作り出すが、一方で迷宮へとイメージを誘う入口であって、キャステンの作品にそこはかとない甘さをたたえることとなるキー・ワードである。

さまぎまなフィルターを通過した照明光は石膏や鏡の無彩色の立体を彩り、モホリ=ナギの空間モデュレーターの世界を再現する。

興味深いのは時代を隔てて再現されるコンセプトの内容である。ナギのには、機械時代への賛歌と合理性を求める精神がみなぎり、しかし一方で時代がもたらすペシミステイックな心情が反映している。しかしキャステンのにはそれがない。遊びの感覚が濃密である。

1986年に東京で開かれた個展で、私はいっそうこのことを印象づけられたことだ。そして、こうした過去の表現様式や作品を、機知やパロディの感覚で観察し、過去の表現への郷愁の身振りとともに表すこと、これこそがアティチュードな感覚の典型であるといえるのだろうと思ったものだ。

しかしそれにしてもキャステンのこだわりはますますエスカレートしているように見える。例えば、ホイットニー・ミュージアムを舞台にした制作において、彼女は8人のスタッフと10時間余の時間をかけて一つのイメージを撮りおさめた。巨大な三角の鏡が天井の光を映し出し、フィルターをまとった光がそれにまつわりつき、その関係を決定するまでにおよそ5時間。この情熱には、過去の表現を自己流に再演することが一義的となった、ということはつまり表現様式そのものを写真の内容の要素と見なす「ニューウェーブ」の確信がうかがえる。

キャステンの欲望はさらにひろがる。彼女はいま、より大きなスケールオプティカルファンタジーの演出がしたい、という。

(「すばる1989年9月号所収)

http://photograph.zokei.ac.jp/speaks/91.html

内容については改めて要検証。


◇ RE-RECORDING(4) - 写真専攻領域

サンディ・スコグランド−『複製』解釈を超えて実物大との『関係』へ」 柳本尚規

sandy

「私の作品は、感情に訴えかけてくる目に見えぬ存在を具現化したものだ。ふだんの習慣化した平凡な日常生活は、とりわけ私にとっては魅惑的な素材である。イラストレーター映画監督のように、じっさいに目に見えることとそれが触発するイメージを同じ水準で操作するのはじつに楽しい。私はひとつ一つの日常生活のシーンを、触発されたイメージ(感情に訴えかけてくる存在)を形にした手作りのモノを加えて再現することによって、もうひとつの解釈を表そうと思っている」、とこれはスコグランドの言葉。

先だっては渋谷のパルコギャラリーでスコグランドの展覧会があった。ここ10年来の代表作とともに、インスタレーションといわれる原寸の「装置」も一つセットされ、この写真家の全体がまとめて見られるといういい機会だった。

その展覧会で、私はちょっと変わった感覚を実感した。展示された作品の大きさのせいだとも思うけれども、それは「実物大の写真」を見ているという感覚だ。これは、写真のことを世界を縮小して見る技術だと思う習慣的感覚にとって、ちょっとした体験である。

この縮小の技術というのは、ベンヤミンがいった複製技術の形成とともにつくられてきた現代人の芸術感覚、つまり人が複製技術作品を使いこなすのに必要な作品支配力をもたせてくれる技術という意味である。

だから「実物大の写真」を見ている感覚というのは、複製技術形成以前の作品と鑑賞者の関係に引き戻されたような感覚をもってということになる。これは要するに鑑賞者にしてみれば、「解釈」より「関係」において作品との間を成り立たせるということになる。「解釈」は自由にさせてくれないが、「関係」は自由なのだ。縮小という、ある一つの視点の固定から、自由に見られる関係への転換。

スコグランドはそうした関係をつくるために、「縮小の」とは見られるおそれのない作品の大きさを設定しているのではないか・・・・。

「実物大の写真」ではスコグランドの意思の形跡を細かくたどることができる。だから本人同様に楽しい。なにしろ全体が緻密なのだ。(ということからすれば、スコグランドの写真は小さな画面では「解釈」の方に引き込まれやすくなるかもしれない)。そして同時に、スコグランドのイメージが、いかにも日常の小さな感覚から派生しているのだと教えられて引き込まれてゆくのである。

サンディ・スコグランドは、1980年代に台頭したアメリカのニュー・ウエーブを代表する写真家である。

彼女が知られるようになったのは、1981年の個展での「金魚の復讐」と「放射性の猫」という二つの作品によってだ。その徹底した虚構と遊戯性は、あとに多くの後継者や亜流を生み出したから、シンディ・シャーマンバーバラ・カステンとともに、80年代ニュー・ウエーブの先駆者といわれるようになった。

彼女は1946年ボストンの生まれ。他のニュー・ウエーブの作家たちと同様、大学では美術を学んだ。時代からしても、必要最小限の表現によった、ミニマルアートや、言語的な内容に作品を従わせるコンセプチュアル・アートの影響を色濃く受けた世代だ。じっさい彼女は学生時代ミニマルアートの彫刻も制作した。しかし次に彼女はドキュメンタリーフィルムの制作に手を染めるのである。

そういう前歴をもつスコグランドの作品はミニマルアートの彫刻の形式と、ドキュメンタリーフィルムの形式をミックスして生み出されたものだといわれる。その意味では、自己の体験をつみ重ねるじつに着実な作家ではある。

ところで「メイビー・ベイビース」は、先の二つの作品のあとの個展(1983年)でただ一点だけ発表された作品だ。

そこには、撮影のための装置、つまり原寸大のインスタレーションも表わされた。赤ん坊だけは「原寸」の約二倍の大きさで配置されていたそうだ。

しかしその作品は、前二作とは少し違って辛い批評も浴びることになったという。なぜかというと、前作の徹底した遊戯性から、寓意が強くなりすぎたせいである。それはいかにも重い寓意だと、前二作と異なった作風にブーイングがあったというものだろう。しかしその後ほまた元に戻った・・・・。

スコグランドには、こうした「インスタレーションシリーズ」と、もうひとつ「トゥルー・フィクション」のシリーズがある。これはシリアスモノクロ写真を組み合わせて着色した構成写真で、ダダイストたちのフォトモンタージュ作品を思わせるシリーズだ。

それはあたかも、「実物大写真」シリーズによって、自由な感情の気持ちの往来を図り、もう一つのシリーズによっては作家個人のコンセプトを明確に理解させようとしているかのように、つまり、アメとムチの両具をもって自己表現を広めようとしているかのようだけれども、だとしても、その広めよう、すなわち伝えようという率直な意思が、スコグランドの写真から「難解さ」を遠ざけている。私たちはいつも作品にあらわれる作家の意思の流れを通して、作品の意味を理解しようとするものだからである。

(「すばる1990年11月号所収)

http://photograph.zokei.ac.jp/speaks/2305.html

内容については改めて要検証。


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◇ Directorial photography | Reinier van Houten – Photography

http://www.reiniervanhouten.com/?p=1391


◇ Photography: A Cultural History - Mary Warner Marien - Google ブックス

http://books.google.co.jp/books?id=NsolmLbz8igC&pg=SA7-PA120&lpg=SA7-PA120&dq=%22Directorial+Photography%22&source=bl&ots=eYPrDMGVuI&sig=A45jCulaK0iI9DDyqakfAbu9NTA&hl=ja&sa=X&ei=RzX5UtyuBsiXkwWa-oGgDA&ved=0CEYQ6AEwBg#v=onepage&q=%22Directorial%20Photography%22&f=false


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◇ 写真における「ニューカラー」「コンストラクテッド・フォト」という言葉 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/240039


http://togetter.com/li/403942

Cindy Sherman - Nobody's Here But Me (1994) - YouTube

New York based artist, Cindy Sherman, is famous for her photographs of women in which she is not only the photographer, but also the subject. She has contributed her own footage to the programme by recording her studio and herself at work with her Hi-8 video camera. It reveals a range of unexpected sources from visceral horror to medical catalogues and exploitation movies, and explores her real interests and enthusiasms. She shows an intuitive and often humorous approach to her work, and reflects on the themes of her work since the late 1970s. She talks about her pivotal series known as the `Sex Pictures' in which she addresses the theme of sexuality in the light of AIDS and the arts censorship debate in the United States.

Broadcasted on BBC Arena, 24th April 1994.

http://youtu.be/UXKNuWtXZ_U


◇ Opening-Day Panel Discussion: Cindy Sherman from Four Sides - YouTube

Artists from a wide array of disciplines continue to find layers of meaning and complexity in the work of Cindy Sherman. A panel comprised of artists with backgrounds in fiction writing, film, performance, and contemporary art, moderated by Walker chief curator Darsie Alexander, explores the multifaceted impact of Sherman's 30-year career.

Join the discussion with writer/curator Malik Gaines, a performer in My Barbarian; filmmaker/writer/producer/activist Tom Kalin, a prominent figure in the New Queer Cinema; Guggenheim Fellow and author Lynne Tillman, author of five novels, short stories, nonfiction, and cultural criticism; and Cindy Sherman exhibition curator Eva Respini, from The Museum of Modern Art, New York.

http://youtu.be/kQ-Ye4VQL5U


◇ Cindy Sherman Doll Clothes (1975) - YouTube

http://ubu.com/film/sherman_doll.html

Super-8 black and white film transferred to video, silent

2min, 22sec

installation

One of the First Cindy Sherman's super-8 film,"Doll Clothes" has not been viewed since 1975, the year it was made. It comically crosses Duchamp's Nude Descending a Staircase with animated paper dolls in a sly, funny and clever precursor to the concerns that became signature elements in Sherman's remarkable body of photographic work.

Purchased with assistance from the American Patrons of Tate, using funds raised by a group of private collectors including Kathy and Richard S Fuld Jr, Monica Kalpakian, and Steve and Lisa Tananbaum 2008

"Sherman's 1975 animated short Doll Clothes, is among the pieces that bring Sherman's early exploration of gender and identity into focus." -- Paul Ha and Catherine Morris

http://youtu.be/HUJlYsvdV7I


※過去のCindy Sherman関連

http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=Cindy%20Sherman

X - Los Angeles [Full Album] - YouTube

http://youtu.be/odMmWZlcx78


◇ X - Under the big black sun (full album) - YouTube

http://youtu.be/RKtIDB-w0Kw


◇ X - More Fun In The New World [Full Album] - YouTube

http://youtu.be/dUsA76rGzYk


Dead Kennedys-Fresh Fruit For Rotting Vegetables (Full Album)1980 - YouTube

http://youtu.be/otd3OX-vIAA


Dead Kennedys - Plastic Surgery Disasters / In God We Trust, Inc. (Full Album) - YouTube

http://youtu.be/Z0nFtchU6Iw


Dead Kennedys - Frankenchrist (teljes/full album) - YouTube

http://youtu.be/P2jnVnj5-zg


◇ The Avengers (1978) FULL ALBUM - YouTube

http://youtu.be/O8IYGQgRoU0

坂口安吾日本文化私観」 - 青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42625_21289.html


日本文化私観 - 図書カード

分類:NDC 914

初出:「現代文学 第五巻第三号」1942(昭和17)年2月28日

文字遣い種別:新字新仮名

備考:この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html

戸坂潤 - Wikipedia

戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945年8月9日)は、日本の哲学者

東京市生まれ。青南小学校、東京開成中学校第一高等学校(現東京大学教養学部)理科を経て、1924年京都帝国大学文学部哲学科卒業、同大学院進学。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)講師、同志社女子専門学校(現同志社女子大学)講師、神戸商科大学講師、大日本帝国陸軍少尉等を経て、1929年大谷大学教授就任も、翌年検挙。1931年から1934年まで法政大学講師。後に同大教授となる。

もともとは物理学専攻であったが、後に西田幾多郎の下で哲学を学ぶ。西田に師事する一方で、軍部のイデオロギーに観念論的に影響を与えたとして西田や田辺元らを批判した。

また、彼は1932年に設立された唯物論研究会の創始者の一人であり、研究組織部長から機関誌『唯物論研究』の二代目の編集部長、事務長等を務めたが、治安維持法によって特別高等警察に捕らえられ、敗戦の直前(8月9日)に長野刑務所で獄死した。死因は疥癬と伝えられている。東京開成中学校で同級であった町村金五町村信孝の父)は、エリ−トコ−スを歩み、1945年4-8月には警視総監であった。

戸坂は始め新カント主義の立場にあったが、空間論の研究を進めるなかで唯物論の立場に移り、日本の代表的な唯物論哲学者となった。唯物論研究会の事実上のリーダーといってよい。観念論哲学に対する批判を旺盛に行ったが、その死は観念論哲学者(田辺元など)からも惜しまれた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%9D%82%E6%BD%A4

中井正一 - Wikipedia

中井 正一(なかい まさかず、1900年2月14日 - 1952年5月18日)は、日本の美学者、評論家社会運動家広島県出身

中井は大学院進学後、恩師深田康算の依頼によって京都哲学会の学会誌『哲学研究』の編集にかかわり、この頃よりカントからマルクスの研究へと関心を深めていった。

深田の没後、『深田康算全集』(岩波書店)の編集の中心となる(名目上の責任者は植田寿蔵)。この時のメンバーを中心として1930年に『美・批評』を創刊。同誌は美術史研究を中心としながら、現象学、記号論、新カント派やフランクフルト学派などの思潮、新即物主義などの芸術実践を含めた幅広い視野を持っていた。中井自身も貴志康一らと実験的な色彩映画の製作を行うなど、著述にとどまらない活動を展開した。

1933年、滝川事件に際して京大院生グループの中心人物として活動。以後、社会情勢のファシズム化に抗して左翼文化活動への関与を深める。1935年、滝川事件後、一時停滞していた『美・批評』は久野収、新村猛、和田洋一真下信一武谷三男らを迎えて『世界文化』と改題、再創刊され国際的な反ファシズム文化運動の紹介などを端緒に左翼文化誌としての性格を先鋭化させていく。

1937年、能勢克男、斎藤雷太郎ら(隔)週刊新聞『土曜日』を創刊。同誌は左翼運動の大衆啓蒙を目的としており、記述平明なタブロイド紙として多くの読者を獲得した。同年11月、治安維持法違反の容疑で新村、真下らと共に検挙。以後、終戦まで活動の場を実質的に失う。

1945年、郷里にほど近い疎開先、尾道市の市立図書館長に就任。民衆文化の地方からの再生を掲げて社会教育活動を推進した。

1948年参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎の推薦で国立国会図書館副館長に就任。日本図書館協会理事長にも選出され、図書館を通じた文化復興に尽力した。羽仁の腹案では中井を館長として招聘する予定であったが、中井の左翼活動の経歴が問題視され、保守層からの強い反対が起こった。そのため、参議院議長松平恒雄らは金森徳次郎を館長に据え中井を副館長とする妥協案を示した。また、京都大学図書館元館長の新村出の推薦状を中井は提出し、さらにGHQ最高幹部らに羽仁は金森と中井を紹介することでようやく松平案は実を結んだという。[1]。就任後もこの問題が後をひき、幾多の妨害に悩まされた。また設立早々の国会図書館には課題が山積し、それにあたる激務から体調を崩し病状を悪化させた。

1951年に『美学入門』、1952年に『日本の美』を刊行するなど活動意欲は最後まで衰えなかったが、1952年5月18日、胃癌により逝去した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E6%AD%A3%E4%B8%80

辻潤 - Wikipedia

辻 潤(つじ じゅん、1884年10月4日 - 1944年11月24日?)は、日本の翻訳家思想家である。日本におけるダダイズムの中心的人物の一人とされる。画家、詩人の辻まことは長男である。

1884年(明治17年)、東京市浅草区向柳原町(現在の台東区浅草橋)に市の下級官吏の長男として生まれる。はじめ裕福だった家は彼が東京府開成中学に入学した12歳の頃には没落を始め、同中学を退学、給仕などをこなしつつ国民英学会の夜学に通い、1904年に東京市小学校代用教員となる。この頃から幸徳秋水の「平民新聞」を購読し、やがて多くのアナキストとの親交をもつに至る。

1909年には上野高等女学校(現在の上野学園中学校高等学校)の英語教師となるかたわらロンブローゾの著作を『天才論』と題して訳し始めるなどしたが、1912年、生徒であった伊藤野枝との恋愛問題で同校を退職させられ、以後定職に就くことはなかった。野枝との間に1913年生まれた長男が辻一(辻まこと)である。翌1914年には『天才論』は出版され20数版を重ね、妻野枝は雑誌「青鞜」の主力として活躍する。また同じ頃、アナキスト大杉栄が辻夫妻と出会っている。

「青鞜」は1916年には廃刊、野枝は大杉を追って出奔する。辻潤ははじめ浅草で「英語、尺八、ヴァイオリンの教授」の看板を掲げ、後には放浪生活同然の境遇となる。この間、1922年ダダイズムの運動を知り、自らをダダイストと名乗るようになった。また1923年には関東大震災大杉栄伊藤野枝らは憲兵大尉甘粕正彦らによって虐殺されるが、これに対して潤のコメントはない。

1928年読売新聞社の第1回文芸特派員という名目でパリに約1年滞在するも、殆どの時間を中里介山著『大菩薩峠』を読みふけって過ごす。帰国後もマックス・スティルネル著『唯一者とその所有』など著訳書の出版、詩文の雑誌掲載は相次いだものの、1932年頃から、2階から「俺は天狗だぞ」と叫びながら飛び降りたりパーティー会場で「クワッ、クワッ」と言いながらテーブルの上を駆け回るなど精神異常の兆候が現れ、やがて精神病院への入院・虚無僧姿での放浪・警察による保護の繰り返しの日々となる。

1933年、「変な頭」という文章に、 「自分も幾度か「歎異抄」という書をくりかえして読んで、親鸞の説に傾倒しているのだが、いかんせん未だに親鸞のような絶大な信仰を獲得することが出来ないから、自分ではなさけないことだと考えているばかりで、どうかしてそのような「安心立命」を得たいものだとひそかに念じてはいるのである。」などと書き、仏教に救いを求めていることがうかがわれる。

1944年ようやく放浪を終え東京都淀橋区上落合のアパートの一室に落着くが、11月24日室内で死亡しているのを発見された。死因は餓死であるとみられる。

墓は染井・西福寺。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%BD%A4

そり オイゲン・チリコフ - 明かりの本

http://center.akarinohon.com/?p=1862


◇ Evgeny Chirikov - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/Evgeny_Chirikov

ローワン ジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』(訳:中里京子 解説:福岡伸一 文春文庫

http://www.amazon.co.jp/dp/4167651750

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163710303


◇ [書評]ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン)- 極東ブログ

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/01/post-4f14.html


◇ 実りなき秋 - 書評 - ハチはなぜ大量死したのか - 404 Blog Not Found

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51172029.html


蜂群崩壊症候群 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E7%BE%A4%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

Spartacus Educational

http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/


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◇ Paul Strand : Biography - Spartacus Educational

http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/USAPstrand.htm

学術書や論文に出てくる略号をまとめてみた - 読書猿Classic: between / beyond readers

http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-359.html


◇ 授業関係のお知らせ: 文献目録に英語の文献を記載するときの書き方 その1 - 授業関係のお知らせ

http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/aoyama/2009/07/post_135.html


◇ 授業関係のお知らせ: 文献目録に英語の文献を記載するときの書き方 その2 - 授業関係のお知らせ

http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/aoyama/2009/07/_2.html


◇ 授業関係のお知らせ: 文献目録に英語の文献を記載するときの書き方 その3 - 授業関係のお知らせ

http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/aoyama/2009/07/_3.html

2014-02-11 茶っ茶っ、茶っ茶っ茶っ茶っ茶っ、茶茶茶っ、茶っ茶っ、茶茶っ、茶っ

茶っ茶っ、茶っ茶っ茶っ茶っ茶っ、茶茶茶っ、茶っ茶っ、茶茶っ、茶っ茶っ茶っ、


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f:id:n-291:20140211153944j:image

Tobias Madison トビアス・マディソン

http://j.mp/1jqzpI0


◇ Biography, Tobias Madison, Artists, Galerie Francesca Pia

http://www.francescapia.com/artists/tobias-madison/biography

Neil Beloufa

http://www.neilbeloufa.com/


◇ Neil Beloufa - Google 検索

http://j.mp/1jqE9xp


◇ Neïl Beloufa - François Ghebaly Gallery

http://ghebaly.com/artists/neil-beloufa


◇ Neïl Beloufa at François Ghebaly - Contemporary Art Daily

http://www.contemporaryartdaily.com/2013/11/neil-beloufa-at-francois-ghebaly/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20130629#p5

■Architecture + Art : Edi Rama & Anri Sala on Vimeo

When former artist Edi Rama became mayor of Tirana in 2000 he immediately set upon a controversial project to enliven the troubled Albanian capital by re-painting the city’s decaying buildings in a riotous array of colour and pattern. An aesthetic and political act, which prompted social transformation, and much debate, through its visualization of signs of change. Three years later Rama and the project became the subject of artist (and friend) Anri Sala’s film, Dammi I Colori. The next year, Rama was voted World Mayor 2004.

The success of Rama’s actions prompted an international contemporary art biennale in the city, which in its 2003 edition saw Anri Sala and Hans Ulrich Obrist adopt and adapt the mayor’s façades project as a curatorial endeavor – inviting artists such as Olafur Eliasson, Liam Gillick and Dominique Gonzalez-Foerster to contribute designs and turn residential blocks into unique works of art. The project continues, and in the biennale’s 2009 edition features contributions from Tomma Abts, Franz Ackermann and more. A discussion of artistic urbanism, the city as canvas and exhibition, and public art in its most direct form.


Chaired by Jessica Morgan, Curator, Tate Modern

Part of: Architecture + Art: Crossover and Collaboration

http://vimeo.com/8254763


◇ Architecture + Art : Crossover and Collaboration - Architecture Foundation

  • Steven Holl and Vito Acconci
  • Teddy Cruz and Pedro Reyes
  • Elmgreen & Dragset and Jamie Fobert
  • Edi Rama and Anri Sala
  • Adam Caruso and Thomas Demand

http://www.architecturefoundation.org.uk/programme/2009/architecture-art-crossover-and-collaboration

字幕対訳フレデリック・バック『木を植えた男』 - YouTube

(1)http://youtu.be/Qy-TOIl5a7w

(2)http://youtu.be/M9GPtsoXF8w

(3)http://youtu.be/pBsDvvWPVno


◇ 木を植えた男 - Wikipedia

『木を植えた男』(きをうえたおとこフランス語:L'Homme qui plantait des arbres)は、フランス作家ジャン・ジオノの短編小説である。1953年発表。

主人公である「私」が、人知れず荒野で植樹を続ける男エルゼアール・ブフィエ(Elzéard Bouffier)と出会い、男の活動により森が再生していく様子を回想として記すという形式をとる。しばしばノンフィクションであると誤解されるが、完全なフィクションである。

1987年には同作を原作として、フレデリック・バック監督脚本で同名の短編アニメが公開された。1987年アカデミー短編アニメ賞受賞、ほかいくつかの賞を受賞。このほか、1989年にはバックが描き下ろしたイラストを用いた絵本が発表されている。

邦題はほかに『木を植えた人』など。男の名前が「ブッフィエ」などとされているものもある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E3%82%92%E6%A4%8D%E3%81%88%E3%81%9F%E7%94%B7

解放された観客 « 法政大学出版局

スペクタクルの支配する今日資本主義民主主義社会で、主体としての「観客(スペクタトゥール)」はいかにして可能か? 知や権力による分断を越えて、誰もが平等かつ能動的な解放者であるために、イメージへの批判的思考がもちうる可能性を問う。『無知な教師』の主題をさらに深化させた、芸術政治現実フィクションをめぐる最も先鋭な思考。E.シャレフ=ゲルツ論「イメージの作業」特別増補版。

目次

解放された観客

批判的思想の災難

政治的芸術パラドックス

許しがたいイメージ

物思いにふけるイメージ

補遺 イメージの作業

エステル・シャレフ=ゲルツ作品解説

訳者あとがき

http://www.h-up.com/bd/ISBN978-4-588-00999-0.html


ジャックランシエール解放された観客』(訳:梶田裕 叢書・ウニベルシタス)

http://www.amazon.co.jp/dp/4588009990


映画に(反)対してから(逸)脱して/イルコモンズ資料1[テキスト篇] - イノレコモンズのふた。

 「ポストシチュアシオニストとは、シチュアシオニスト継続であるとともに、その批判でもある。近年のシチュアシオニスト批判として注目されるのは、ジャックランシエールの「解放された観客」(2008年)だろう。従来のスペクタクル批判において「観客」はイメージにとらわれた無知存在であり、それは積極的行為に踏み切ることのできない愚かな消費者とみなされてきた。だが、ランシエールデモラティックな主体として肯定するのはまさにその「観客」であり、デモクラシーイメージにとらわれたまま行動する「ボヴァリー夫人」たちによって体現される。イメージの氾濫は、既成の社会秩序をゆるがす悪しき模倣をうながし、身分立場をわけまえない愚かな言動を生み出す。だが、そうした模倣や分をわけまえない言動こそデモラティックな力能であり、(...) 「観客」であることと行動すること対立しない。デモクラシーは万人が役者であることではなく、万人が観客のまま表現することを意味する。(谷口清彦「ポストシチュアシオニスト」「VOL レキシコン」 2009年


▼VOLコレクティヴ

http://conflictive.info/contents/volzine.htm

http://illcomm.exblog.jp/10346177/


◇ tanaka_hitoshi: ランシエール解放された観客』の独訳を読み始める。最初の章「 ... - Twitter

ランシエール解放された観客』の独訳を読み始める。最初の章「解放された観客」は短いが示唆に富む観客論。プラトン以来の演劇論に「ただ見ること」への蔑視が通底することを批判的に指摘し、教育論(ジャコトーの「無知な教師」)を参照して、作品を介した演者と観客との平等関係を構想している。

https://twitter.com/tanaka_hitoshi/status/22691665711


◇ tanaka_hitoshi: ランシエール解放された観客」のつづき。「受動的」な観客を「 ... - Twitter

ランシエール解放された観客」のつづき。「受動的」な観客を「能動的」な行為者(演者)に転換しようとする演劇論は、観客は無知であり作者が伝える知を学ばねばならないという序列関係を実は前提としている。これをランシエールは批判して、観客は「観客として」各人固有の仕方で学んでいると言う。

https://twitter.com/tanaka_hitoshi/status/22886370639


◇ tanaka_hitoshi: ランシエール無知な教師』の邦訳、来月刊行か! http:/ ... - Twitter

ランシエール無知な教師』の邦訳、来月刊行か! http://bit.ly/p7nHQ6 表題オランダ語を知らずにオランダ人生徒にフランス語を教えたジョゼフ・ジャコトのことだが、『解放された観客』と併せて読むと、参加型芸術や鑑賞者教育の問題を考える上でも示唆的な本であると分かる。

https://twitter.com/tanaka_hitoshi/status/89757656771866624


◇ reskiniharden: ランシエールが『解放された観客』で標的としているのは「スペク ... - Twitter

ランシエールが『解放された観客』で標的としているのは「スペクタクル受動的に享受する観客ではなく主体的振る舞うアクターたれ」という「教育的」な身振りであり、だからこそそれは一種の教育論にもなっている(さらには「党」の問題にもつながってくるだろう)。

https://twitter.com/reskiniharden/status/22924077292


◇ nosnino: ランシエールの『解放された観客』の紹介を含む拙論ブリオー× ... - Twitter

ランシエールの『解放された観客』の紹介を含む拙論ブリオー×ランシエール論争を読む」(『コンテンポラリーアートセオリー』所収)の刊行は12月に延期となりました。遅きに失した感はありますが、刊行までもう少々お待ちください。 http://www.eosartbooks.com/news/201311.html

https://twitter.com/nosnino/status/399532684394774528


◇ nosnino: 拙論ではランシエールの『解放された観客』に加え、現時点では未 ... - Twitter

拙論ではランシエールの『解放された観客』に加え、現時点では未訳の『美学における居心地の悪さ』などにも紙幅を割いて論じています。ただし2011年の『アイステーシス』は脱稿後の刊行だったため、今回の拙論では触れることができませんでした。 http://www.editions-galilee.fr/f/index.php?sp=liv&livre_id=3358

https://twitter.com/nosnino/status/380908489452699648


>>>過去の『イメージ運命』関連

http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%A5%A4%A5%E1%A1%BC%A5%B8%A4%CE%B1%BF%CC%BF

ROBERT FRANK: "Unpleasant Connections" (1991) - Since 2008, AMERICAN SUBURB X | Art, Photography and Culture that matters.

http://www.americansuburbx.com/2013/10/robert-frank-unpleasant-connections.html

写真家鬼海弘雄さんスペシャルインタビュー 第1回 ハミ出す覚悟があれば、誰でも表現できる。 – salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草WEBマガジン

http://salitote.jp/people/interview017-1.html

2014-02-09 これが逆ねじだ

これが逆ねじだ


f:id:n-291:20140209163827j:image

*1

みづェたんぶら

清水穣『永遠に女性的なる現代美術』(淡交社、2002)p18-20

http://ymyh.tumblr.com/post/7227601373


>>>人間性のにじみ出るようなざっくりと優しい風合いのなかにも何処か凛とした厳しさが〔中略〕よってつくり出される則天去私の芸術2005年9月メモより)

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060205#p5

新感覚派機械仕掛けの夢――稲垣足穂と活動写真メディア論」 - イナガキ・タルホ・スタディーズ

(本稿は、『千葉大学日本文化論叢』第6号(千葉大学文学部日本文化学会,27〜44頁,2005.6)に発表した、高橋孝次「新感覚派の夢――稲垣足穂と活動写真メディア論」に一部加筆修正し、改題したものです。閲覧はもちろん自由ですが、このサイトから引用は、許諾できません。引用に際してはお手数ですが、紙媒体である原典からお願いいたします。原典表記が異なり、また、ネット上のデータは常時改変可能ですが、紙媒体は容易には改変が加えられない分、引用される文献としての公共性がより高いためです。本文中の引用に際しては、引用文内の「/\」は、繰り返しを表す「踊り字のくの字点」を代用したもので、またネット版では、本文・引用文を含めて傍点・圏点・強調点は省略してあります。ふりがなについては、その言葉のすぐあとに、括弧内で示しフォントを小さくして表しました。なお、本稿においては旧字体は適宜、新字体に改めて表記してあります。)

http://taroupho.icurus.jp/paprer/paper_03.html


◎ イナガキ・タルホ・スタディーズ

http://taroupho.icurus.jp/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20130226#p2

小説方法伊藤整 - 備忘録

P96〜97

ロシア文学者日本文学者の違い

ロシア文学者は知識階級者の社会に席を持っていた

キリスト教によって倫理観を形成していた

・守るべき個我の権威があり、捨て去ることのできない現世があった

日本文学者は小さな商業ジャーナリズムに支えられていただけ

・逃亡奴隷の自由生活実践

・俗世と対立せず、俗世における自分の席を放棄(P168)

・限定された文壇という環境の条件とのみ格闘(P168)

http://d.hatena.ne.jp/biyoko/20120131/1328029074


伊藤整小説方法小説認識」 - 二草庵摘録

<我々は神の代わりに無を考えることによって安定しているのである。考える力がないのではない。考える必要を感じないでバランスを保っているに過ぎない。無の絶対は神の絶対と同じように強いものである。>(「近代日本人の発想の諸形式」)

これはわれわれが、小説の何に対して感動し、共感を覚えているかを問うたものあった。自分だけの、固有のものと考えている「感動と共感」も、歴史的文化的な所産以外のなにものでもない、と。実例をあげての論証が十分に展開されているとはいえず、ところによっては説得力が乏しい憾みはあるが、わたしが読み得たかぎりでは、伊藤理論は全体としてすばらしい成果をあげていると思われる。

 また島崎藤村文体日本固有の挨拶のことばであるとし、その本質を見抜いている。たとえどのような知識人であろうと、日常のなかで、社会から浮き上がらず他人と折りあいをつけながら生活をしようと考えたら、島崎藤村が用いたような、遠まわしな、非論理的因習環境を受け入れざるをえない、と。これは一面からは、よくいわれる「社会」と「世間」の落差といってもよかろう。


「内なる声と仮装」「「物語の発想」「芸による認識」「日本人格美学」といったタイトルを眺めただけで、伊藤アイデアが秀抜であったことがわかる。またのち「求道者認識者」を書いている。

ここには収められてはいないが、伊藤には有名な「仮面紳士と逃亡奴隷」というエッセイもあり、このキーワードから解き明かされる西欧日本比較文学論は、いうまでもなく、その後のわが国の文芸批評に決定的な影響をあたえている。

そこで彼は、つぎのような設問をみずからに向かって発している。


 1.小説とは何か。

 2.日本人小説のどういう所に感動するか。

 3.小説の実質は思想にあるか、散文の造型にあるか。

 4.小説と他の芸術とは本質的に違うか。

 5.違うとすれば、どこが違うか。

 6.ヨオロッパ小説日本小説との違いはどこにあるか。

 7.小説進化するか。

 8.進化するとすれば、どんな方向にであるか。

 9.倫理的現実処理と小説とは違うか。

10.日本やヨオロッパ小説は作者の生活環境とどういう関係を持つか。

11.スタイル探求と倫理の探求とは小説にどのように関係するか。

 (「仮面紳士と逃亡奴隷」より)

http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/c3cbf6749b5876206a10d7b801e8665c


伊藤整近代日本人の発想の諸形式」MEMO - 言いたいだけ - Yahoo!ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/auntapple22/33414034.html

*1:2006年1月

2014-02-08 ハイエンドな科学技術が「まじない」につながってしまうという理路を

ハイエンド科学技術が「まじない」につながってしまうという理路を


f:id:n-291:20140208151735j:image

*1

只石博紀『Future tense』(2013年

http://hironoritadaisi.tumblr.com/post/75697783457/future-tense

短編作品がYouTubeにアップされています。

*1:2006年1月

2014-02-07 夏至神経

Against Nature: Japanese Art in the Eighties: Kathy Halbreich: 洋書 - Amazon.co.jp

ペーパーバック

出版社: Massachusetts Inst Technology (1989/06)

言語: 英語, 英語, 英語

ISBN-10: 0938437240

ISBN-13: 978-0938437246

発売日: 1989/06

http://www.amazon.co.jp/Against-Nature-Japanese-Art-Eighties/dp/0938437240


◇ Against Nature: Japanese Art in the Eighties - List Visual Arts Center

ARTISTS:

Dumb Type Artists’ Collective

Katsura Funakoshi

Kaoru Hirabayashi

Shoko Maemoto

Tatsuo Miyajima

Yasumasa Morimura

Shinro Ohtake

Yusei Ogino

Noburu Tsubaki

Tomiaki Yamamoto


This exhibition constructs a view of the tensions informing Japanese art today. After World War II, Japanese economic and social values changes radically; so did aesthetic concerns. As conventional social structures collapsed, design became democratized. Today, one block of downtown Tokyo jams together the kitsch aesthetic, the microchip, and the Shinto shrine. The traditional nature worship of Japanese aesthetics and philosophy has given way to modern-day developers who pay $43,000 for a piece of Tokyo the size of a newspaper.


The current generation of young artists has confronted the Japanese craft tradition while adapting the strategies of contemporary Western art to the imperatives of their own inspirational sources. They are equally willing to reject the style of Western art and to subvert the traditions which constrained its elders. Although some of the installations formally approximate those made in the West, these works reflect a particularly Japanese sense of space and its meaning. A group of aesthetic urges that define paradoxical pairings inherent in Japanese culture are at the core of their argument: small vs. large; Japanese-Isolationist vs. Asian-global; clean and pure vs. ugly and vulgar; time stopped vs. time progressive; and bucolic vs. urban.


These polarities evoke issues of nature and culture, national identity and private individuality, which confront us in our present-day culture as well. The time is ripe to question a concept of nature that is both outmoded and unnecessarily superficial. The artists included in Against Nature attack outdated views, both foreign and domestic, of Japan and its artistic heritage as rooted in the soil of an agrarian land. As the exhibition title suggests, present-day Japanese reality is considerably more complex.


Against Nature was organized jointly by the MIT List Visual Arts Center, the Grey Art Gallery at New York University, and The Japan Foundation, Tokyo. The four curators were Kathy Halbreich, Curator of Contemporary Art at the Museum of Fine Arts, Boston and former director of the MIT List Visual Arts Center; Thomas Sokolowski, director of the Grey Art Gallery at NYU; Shinji Kohmoto, curator at the National Museum of Modern Art, Kyoto; and Fumio Nanjo, director of the Institute of Contemporary Art, Nagoya.


Against Nature premiered in the United States at the San Francisco Museum of Modern Art from June 15 – August 6, 1989. Its national tour then takes it to:


Akron Art Museum, Akron, Ohio

September 9 – November 5, 1989


MIT List Visual Arts Center, Cambridge, Massachusetts

Bank of Boston Art Gallery

December 8 – February 11, 1990


Seattle Art Museum, Seattle, Washington

March 22 – May 13, 1990


The Contemporary Arts Center, Cincinnati, Ohio

June 8 – July 27, 1990


Grey Art Gallery, New York University

September 11 – October 18, 1990


Contemporary Arts Museum Houston, Texas

November 16, 1990 – February 12, 1991


The national tour of Against Nature is sponsored by a grant from the AT&T Foundation. Generous financial assistance was also provided by The Japan Foundation; the National Endowment for the Arts; The Massachusetts Council on the Arts and Humanities; The Japan-United States Friendship Commission; The Asian Cultural Council; Bank of Boston; and Heineken, Japan.


Public Events:

Preview on Friday, December 8, 1989, 5 to 7pm

Gallery talk by exhibition curators Kathy Halbreich and Thomas Sokolowski, Saturday, December 9, 1989, 2pm.


Publication available. Accompanying the exhibition is a 90-page, bilingual, full color catalogue with essays by two Japanese scholars of popular culture and a lively and wide-ranging roundtable discussion among the four curators on binational art and cultural topics and preconceptions.

http://listart.mit.edu/node/794#.UvE5vkJ_vCF


◇ Against Nature: Japanese Art in the Eighties - Asia Art Archive

Title:

Against Nature: Japanese Art in the Eighties


Author/s:

Kathy HALBREICH, Thomas W. SOKOLOWSKI, Shinji KOHMOTO(河本信治), Fumio NANJO(南條史生), Shuhei HOSOKAWA(細川周平), Eikou IKUI(生井英考)


Description:

Catalogue of travelling exhibition of Japanese contemporary art in the United States, on view from June 1989 to February 1991, to facilitate a better understanding of art and culture between Japanese and American audience. Includes transcript of a roundtable discussion, essays and biographical information.


Access Level:

On-site


Location Code:

EX.USA.JAE


Language/s:

English, Japanese


Chapter Heading/s:

Foreword - Thomas W. SOKOLOWSKI, Kathy HALBREICH

Foreword - Fumio NANJO(南條史生), Shinji KOHMOTO(河本信治)

Against Nature: A Roundtable Discussion - Fumio NANJO(南條史生), Shinji KOHMOTO(河本信治), Thomas W. SOKOLOWSKI

On Tokyo-go: Pidgin Japanese - Shuhei HOSOKAWA(細川周平)

"Natures" of Tokyo - Eikou IKUI(生井英考)


Artist/s:

(Group) Dumb Type(ダムタイプ), Katsura FUNAKOSHI(舟越桂), Kaoru HIRABAYASHI(平林), Shoko MAEMOTO(前本彰子), Tatsuo MIYAJIMA(宮島達男), Yasumasa MORIMURA(森村泰昌), Yusei OGINO(荻野優政), Shinro OHTAKE(大竹伸朗), Noboru TSUBAKI(椿昇), Tomiaki YAMAMOTO(山本富章)


Organiser/s:

Grey Art Gallery and Study Centre - New York University (New York - USA), MIT List Visual Arts Center (Massachusetts - USA), The Japan Foundation


Venue/s:

San Francisco Museum of Modern Art (San Francisco - USA), Akron Art Museum (Ohio - USA), MIT List Visual Arts Center - Bank of Boston Art Gallery (Massachusetts - USA), The Contemporary Arts Center (Cincinnati - USA), Grey Art Gallery - New York University (New York - USA), Contemporary Arts Museum (Houston - USA)


Country of Publication:

United States


Published by:

Grey Art Gallery and Study Centre (New York - USA), MIT List Visual Arts Center (Massachusetts - USA), The Japan Foundation


Year of Publication:

1989


No. of Pages:

90


ISBN / ISSN:

0938347240

http://www.aaa.org.hk/Collection/Details/10075


◇ 「アゲインスト・ネイチャー 80年代日本美術」展 - 現代美術用語辞典ver.2.0

「アゲインスト・ネイチャー 80年代日本美術」展

“Against Nature: Japanese Art in the Eighties”


「アゲインスト・ネイチャー」展は1989年6月15日サンフランシスコ近代美術館を皮切りに、アメリカ都市およびICA名古屋に巡回した展覧会である。キュレーターキャシーハルブライヒ、トーマス・ソコロフスキ、河本信治、南條史生。展示作家椿昇大竹伸朗ダムタイプ舟越桂宮島達男、森村泰昌平林薫などで、当時、日本現代美術の主流がもの派と見られていたアメリカにおいて、色彩豊かな具象作品やテクノロジー主体にしたもの派の系譜ではない作家が選定された。ユイスマンスの『さかしま』の英訳でもある本展覧会名は、文字通り自然に相反する芸術標榜するもので、「自然と一体化して生きている日本人」というステレオタイプに反発するところから企画がスタートした。翌年原美術館を皮切りにロサンゼルスカウンティミュージアムなどに巡回した「A Primal Spirit(10人の現代彫刻作家)」展の日本古来の自然に即した造形精神テーマにした展示と対照的であった。前年のヴェネツィアビエンナーレの有望な若手作家を紹介する「アペルト」展に宮島達男と森村泰昌が選出され、国際舞台において評価を得たアーティストが含まれていたこともあり、この展覧会が目指した新しい日本現代美術像は広く観衆の目に焼き付いた。折しも同年1月には昭和天皇崩御日本バブル経済絶頂期でありパラダイムシフトにふさわしい展覧会であったと言える。94年にアメリカを巡回した「戦後日本前衛美術」展において、ダムタイプ森村泰昌をはじめとする80-90年代現代美術が展示されたのは、「アゲインスト・ネイチャー」展の布石があったからであろう。


著者: 栗栖智美


参考文献

Against Nature: Japanese Art in the Eighties, Grey Art Gallery & Study Center, 1989

『海を渡る日本現代美術』, 光山清子, 勁草書房, 2009

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%80%8080%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E3%80%8D%E5%B1%95

2014-02-06 カメラ・脳×鉄・構造

2014-02-05 親和と抵抗

親和と抵抗


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2014-02-04 御三家を読む(作家の視点から)

アートジャーナリズムについてのラウンドテーブル - CAMP

ゲスト

岡澤 浩太郎(編集者

奥村 昂子(アーティスト

影山 裕樹(編集者

冠 那菜奈(なないろチャンネル)

毛原 大樹(ラジオアーティスト

桜井 薫(テンプル大学ジャパンキャンパンス教員アーティスト

佐々 瞬(アーティスト

作本 潤哉(ディレクター

椎木 静寧(アーティスト

杉田 敦(美術批評

杉山 豪介(コーディネーター/アーカスプロジェクト

竹久 侑(水戸芸術館現代美術センター 学芸員

中山 真由美(ギャラリスト

成相 肇(府中市美術館 学芸員

及位 友美(フェスティバル/トーキョー 制作

野田 智子(アートマネージャー/ナデガタ・インスタントパーティー

堀内 奈穂子(キュレーター/AIT[Arts Initiative Tokyo])

松井 茂(詩人


<企画者>

粟田 大輔(美術批評

井上 文雄(CAMP)

小泉 明郎(アーティスト/ARTISTS' GUILD共同代表)

作田 知樹(Arts and Law共同ディレクター

清水 チナツ(企画・制作

須田 真実(ARTISTS' GUILD共同代表)

樋口 貞幸(アートアドミニストレーター

藤井 光(アーティスト

水田 紗弥子(インディペンデントキュレーター

森 弘治(アーティスト/ARTISTS' GUILD共同代表)

http://ca-mp.blogspot.jp/2011/02/blog-post.html

2011年2月18日(金)に開催。

ユーザー kineattic: CINEPOSIUM #01 〜「以後」の震災フィクションアート〜, 出演:渡邉大輔、佐々木敦 KINEATTICと映画批評家・渡邉大輔の共同主催によるUSTREAMトーク番組 "CINEPOSIUM"。 毎回、映画映像分野を中心に多方 - Ustream.tv

http://www.ustream.tv/recorded/43256276


◇ 渡邉大輔氏と佐々木敦氏のトークセッション 第1回 - 紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー - オンライン書店e-hon : 本 コミック 雑誌 通販

http://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun_2013_syohyou_0403_1-1.html

走行スピードを注意する衝撃的な動画世界中で話題に - UPLOAD

http://uploadmag.com/archives/4546

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◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月24日 - Twilog

西澤諭志さんの作品も刺激的でしたが(今日の2回上映で都合3回見たことになりますが、まだまだ見切れない感じ)、只石博紀さんの作品がキレてました。音楽に例えるならば、鬼才ジョン・ゾーンゲームピースコブラCOBRA)」を映像作品で試みてみたという感じ(もちろん異なるのですが)。

「12時がきた」「12時になった」は異なる。これは昨日から考えている問題ともつながる事柄。

個人的には“映画的”という言葉はかなり危険バズワードだと思っています。人それぞれいろんな“映画的な”があるでしょうし。また、共通する“映画的な”で頷き合っているタコツボもたくさんありそうですね。どのジャンルでも同じですが。。<@sasakiyusuke どれだけ挑発的な仕草を、

http://twilog.org/n291/date-130924/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月25日 - Twilog

noirseさんのお話が単なるデジタル紙芝居(ある時代以降の多くのゲームがそうだと思っています)との比較でもなさそうなのが興味深いところです。それで思ったのは、例えば、只石博紀さんの新作を観て想起する作品としてソクーロフエルミタージュ幻想』や大作映画では『トゥモロー・ワールド

などが挙げられると思いますが、その比較として『スターブレード』(ナムコ 1991年)を逆に“映画”として鑑賞するという思考実験を行ってみてはどうだろうということです。照準と鑑賞者の眼の動きでも何か考えられそうです。しかし、プレイヤー(鑑賞者)が、身動きできる、身動きできない問題は

どこまでもつきまとうので、映画インタラクティブ性のなさが逆に際立ったりするのかもしれません。※参考:天重誠二さんのコメントhttps://twitter.com/tenjuu99/statu/382506854506430464 https://twitter.com/tenjuu99/statu/382507081988706304 https://twitter.com/tenjuu99/statu/382507180877807616

スターブレード』と長回し映像の話ですが、もちろんプレイヤーのレベルによって見えるもの/見えないものが変わってくるのですが。並の人(PS2版)→http://youtu.be/sAtP0DZilh8 Zn-T(アーケード版)→http://youtu.be/d4i7WB5m9H0

只石博紀さんの『Edogawa River, Ichikawa-shi, Chiba-ken, September 1, 2013』はどちらかというと動体視力や反射神経や全体視が必要な作品で、西澤諭志さんの映画『百光』は“眼のバッファ容量”が試される作品だと感じました。

映像的負圧 http://j.mp/15so6coアテンション・デザインのことなどを考えながら、何となくこんな時間に。。。それはともかく、自分のことももっともっと頑張らねば。。

そういえば、只石博紀さんの『Edogawa River(略)』について、良知暁さんが「やっていること(方法と形式)がわかった時点であとはそれほど観なくてもいいのかも思ってしまった」(大意)と話していたことは重要な事柄なのかなと。それをコンセプチュアルな映像作品として捉えた場合

http://twilog.org/n291/date-130925/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月26日 - Twilog

ジョン・ケージの「4'33"」初演で4分33秒前後に鑑賞者の身体や神経系脳内に生起していたことを考えることは、ものづくりをする人にとって相変わらず重要。その後の再演によってどうなっていったのかを考えることも重要ですが。あとフルクサス予定調和の問題も。参加型アートも同様ですが

アートはそもそも省略の技法だと思いますし(だから加減乗除の減除が重要)、あの日話したようにコンセプチュアルな美術家であればエッセンスのみを抽出してそのアイデアについては止めを刺してバリエーション展開(同じこと)はしません(他の可能性があれば別)。<@blepharismatter

もちろん良知さんクラスの人がそれをわかっていないわけはないでしょう。すべて理解したうえでの話です。自然とか現実リッチなのは当たり前。それをどう分節するのかということと、“写真の眼”を手に入れているかどうか問題になってきますね。またしても。<@blepharismatter

.@blepharismatter “写真の眼”問題は根深いです。眼の速さと正確さとバッファ、それを多くの人に求めるのは無理があります。スチルカメラ動画機能によって、写真作家映像作品を制作することが増えてきていると思いますが、写真美術の素養がある人にとっても

.@blepharismatter それがつまらない、ただの撮りっぱなしだと思われてしまう問題もそこにあると思っています。全然異なることをやっているのに、60年代的なもの、ビデオアート初期に逆戻りか?などとジャッジされてしまったりします。逆にそのことによって、ああこの人はそれほど

.@blepharismatter 眼がよくないのだな、とわかってしまったりもしますが。だから、鑑賞者のマインドセットを変える工夫をしたりとか(これはかなり重要)、もっと噛み砕いて、場合によっては離乳食から始められるように、映像を、写真を提供していく必要もあるかもしれませんね。

ある時期以降のライアン・ガンダーにほとんど興味を抱けないのは、端的に言うと「海賊行為か大喜利か」ということです。ティノ・セーガルについての懐疑を、かなり端折って、煎じ詰めて言えば、「小林秀雄モーツァルト問題」ということになります。http://j.mp/16qUf4Z

視覚に寄り添うタイプの)写真映像の話に戻ると(括弧の意味論?)、杉本拓さんの「大友良英論「音響即興を巡る言説」」http://j.mp/16qWvsZ や『Live in Australia』の件 http://j.mp/1aoT9nB はどこまでも重要だなと。

括弧の話で言えば、西澤諭志さんの映画『百光』の魅力にも弱点にもなっていると僕には思えてしまう部分のことについても考えてしまいます。映画というフレーム、上映という形式の強固さ。この硬さが“劇映画意味論”を起動せずにはおかないので、鑑賞者(あるいは作品をジャッジする者)が、この監督

は括弧の内側の要素を劇映画としてどのように上手く扱えているか?というふうな態度で作品を観てしまいがちになるため、例えばコンペティションなどでとても不利なのではないかと感じたりしました。しかし、映画デビュー作としてふさわしい西澤さんらしいエッセンスがギュッと詰まった作品だと思います

映っている事物、放たれる言葉映画という括弧の中では、それらすべてがふだんの現実以上に特別な意味を担ってしまいます(鑑賞者に特別な意味を期待されてしまいます)。

って、当たり前すぎました(^^; ……だからどうするのかの部分が大切なんでしょうけども。そこで「異なる質」「他の基準」を追い求めるのであれば。

@blepharismatter あと、杉本拓さんの http://j.mp/19H8gqrhttp://j.mp/16qWvsZ を読んでみてください。参考になると思います。

写真時間芸術空間芸術?ということで、平面の“(半)一挙性”について再度:“平面は「みること」に能動性を要するがゆえに、だからこそ、必ずしも「一挙的」ではない場合があります。つまり、平面にも時間の中での展開がありえるということ”http://j.mp/19H9a66

http://twilog.org/n291/date-130926/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月27日 - Twilog

写真の人はほぼ何も考えていない人が多いので僕とは異なる認識だと思います(美術の人なら考えているとは思いますが)。その話は何がアートなのかということとも関係する話です。<@noirse 福居伸宏さんの、「自然とか現実リッチなのは当たり前」ていう言い回しがすごくいいなあと。写真の人

何がアートなのかという話は置くとして、例えば映画場合、いかにアーティフィシャルな“スゴイもの”を作ったところで、それが実際の現実世界との紐帯をどこかで保っていないと(インデクシカルな関係を保っていないと)別に面白くはないと感じる人も一定数いることは確かでしょう。<@noirse

思い出したフレーズ。【それらは飽くまで人畜無害なエンジョイアビリティを超えません(宮台真司)】http://j.mp/1bgtWQW

http://twilog.org/n291/date-130927/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年11月10日 - Twilog

墨田区のfloatで西澤諭志さんの映画『百光』を観る。都合4度目。今回は音響設備が良かったので、これまでの上映では聴き漏らしていた音に気づいたりとか。感想については2013年09月26日 http://j.mp/18gkLJw の[03:41:47]以降のツイートを。

映像的負圧、アテンション・デザインほか http://j.mp/15so6co

12月の「只石博紀・西澤諭志 新作映像作品 上映会」http://j.mp/1blWNSO の打ち合わせと会場点検のために三ノ輪へ。

http://twilog.org/n291/date-131110/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年11月11日 - Twilog

話題にのぼった密室映画はこちらです。「Go Go Second Time Virgin」http://youtu.be/9cAH_J8JQw4 【「どこか」を探して 若松孝二監督を悼む - 宮台真司社会学者) - BOOK asahi com】http://j.mp/1ewSeGR

【Claude Lelouch "C'était un Rendez vous"】http://j.mp/1cM634h 【SPECIAL STAGE: 巨匠クロード・ルルーシュの異作 ' Rendezvousランデブー)'】http://j.mp/1cM6cVs

西澤諭志さんの映画『百光』は、彼の過去作品「ドキュメンタリーハードコア」(2011年http://j.mp/FQdQrZ はもちろんのこと、「星座地図」(2008年http://j.mp/XLYHpP も予め見ておくと、より作品に入っていきやすいと思います

映画『百光』参考。インタビュアーは良知暁さん。【Interview: 西澤諭志 – ドキュメンタリーハードコア - Researching Photography】http://j.mp/zNA79Z

映画『百光』参考。「台所」のパートにみられる「万物理論」の作家たち http://j.mp/WsCOFj との同時代性(映像は見られませんが、ステートメントは読めます)。そういった映像映画の中に置くということ。ただし西澤さんは彼の好むタイプの映画作品の側からのアプローチ

小林耕平さん http://j.mp/1cMb4Ki http://j.mp/1cMcLYa http://youtu.be/mT60sWfvjhM?t=m35s 田中功起さん http://youtu.be/ym0LaSAn5n8 http://youtu.be/eVxPf0eTtc0

田中功起さんの「Each and Every」(2003年http://j.mp/19b7qBN と「A Project, Seven Boxes and Movements at the Museum」(2012年http://j.mp/19b7uRY

http://twilog.org/n291/date-131111/allasc

2014-02-03 ラテン語「厄払いの儀式(の月)」の意

初校戻し(2013年08月13日)+α

コラム連載 第4回 只石博紀とトヨダヒトシ】


只石博紀の『様々な速度、或いは様々な遅延』と

トヨダヒトシの「映像日記スライドショー


――目の前に手をかざされると視界は遮られ限定される。目の前に自分の手をかざしても同じことが起こる。手前しか見えないということ。他者に手をかざされているのであれば、体を動かして移動すればよい。しかし、自分で手をかざしている場合は体を動かしたところで状況は変わらない。手はついてくる。(2012年11月3日のメモより)


 これは、ヴォルフガング・ティルマンスアーティスツ・ブック『FESPA Digital / FRUIT LOGISTICA』(Walther Konig 2012年)におけるフレーム(広義の枠組み)の形式的な構造について、私が思うところを書き留めたものです。ティルマンスがこの写真集で扱っているであろうテーマは多層化されていて、非常にクリティカルなものですが、それについて詳述するのはまた別の機会に譲るとして、今回は、既定の映像表現とは異なるスタイルで「フレームの外部、あるいは向こう側の領域」を扱う、2人の興味深い作家を紹介したいと思います。両者ともに、独特のピュアネスの持ち主であり、単なるイノセンスとは距離を置く、という意味では、ティルマンスとも共通する部分があると言えるのではないでしょうか。


只石博紀『様々な速度、或いは様々な遅延』

 1982年北海道生まれの映画監督・只石博紀による長編『様々な速度、或いは様々な遅延』を初めて観たのは、2012年の5月。オルタナティブ映画上映のあり方を模索し、多様な試みを続けているKINEATTICでウェブ上映された只石監督の最新長編『CRASS』に関するやりとりが縁で、『様々な速度、或いは様々な遅延』を拝見することになりました。

 筋立てはシンプルで、2組のカップルを中心にその日常と倦怠を描くというもの。切り返しショットや細かいカット割りを使わず、長回しを基本にした撮影スタイルによって、観客がその場に居合わせいるかのような距離感のもと映画は進行しますが、しかし中盤に差し掛かるあたりから、通常の劇映画の枠組み、約束事を逸脱するような場面が次々と現れます。テイクの始まりの声が掛かる前の素の役者たちの身振り、監督らしき人物の演出の声、現場で働くスタッフたちの姿、録音ボタンを押す音、仕込みによる映画的な嘘の種明かし、音声と画像の非同期、不可解なピローショットの挿入、伏線らしき含みを感じさせるシーンの放置――。

 一般的な劇映画では、“中の世界”を保持し、プロットをなめらかに進行させるために、時間的空間的なフレームから排除されるであろう多くの要素がダダ漏れになっています。こうした型破りの手法を列挙すると、やや頭でっかち難解なメタ映画想像されるかもしれませんが、そうではありませんし、“前衛”や“実験”が自己目的化したものでもありません。劇映画における安定的な虚構を担保する、いわゆるフィクションラインを軽々と跨ぎ超えながらも、只石監督のねらいは、あくまでも映像動画)における事故のようなもの、アクシデントを呼び込むことにフォーカスしているように思われます。それは、できあい理性的な演出・構成、みえみえのウェルメイドに対する、野蛮さによる応答だといえるかもしれません。

 通常の映画的な収まりの良さを手放し、絶妙な、しかしある意味では常軌を逸したバランス感覚で、かなり際どいタイトロープを渡っていく只石監督。しかも、乱暴なんだか、繊細なんだか、一見よくわからない奇妙な足取りで……。一方、観客はその傍らで、物語の結末はもちろん作品の落ち着く先さえ予期できないがゆえに、「これは映画なのか?」という不安とともに宙吊り状態を強いられ、一般的映画体験よりも少し引いた位置から、いわば認識フレームを転換された状態で、その道行きを静かに見守るほかない状況に置かれます。

 そうした奇妙な緊張感のなか、“役者の芝居=フィクション”と“撮影の裏側=ドキュメンタリー”の往還によって生起する、一本の映画の中での“偶発的な不協和アクシデント”は、観客の目の前で遮蔽幕として機能していたスクリーンを引き裂き、その破れ目の向こう側から何か生々しいものを露出させ、映画の外の世界へと滲み出させます。


トヨダヒトシの映像日記スライドショー

 一方、1963年ニューヨーク生まれ東京育ちのトヨダヒトシもまた、他に類を見ないスタンス作家活動を続けています。写真家としてキャリアをスタートしたトヨダは、その後、ナン・ゴールディンのワークショップに参加して以降、スライドプロジェクターを使った上映会を各地で開催することで作品を発表してきました。ギャラリー美術館プリントを展示するといった、写真というジャンルにとって一般的な作品の見せ方は一切行わず、スライドショーけが彼にとっての唯一の発表手段です。

 しかも上映会では、トヨダ自身が必ずその場で映写機を操作し、一枚ずつスライドの送りとピント合わせを行います。上映会場や観客の雰囲気、その時々のトヨダのコンディションによって、そこには毎回必ずゆらぎが生じるため、彼のスライドショーは一回性の強いライヴパフォーマンスに近い趣を帯びています。

 そして、「映像日記」と銘打たれているように、スライドの内容はトヨダの日々の写真によって構成されており、上映作品ごとにタイトルが付され、40分なり90分なりの時間のなかで、ある「物語」が紡がれます。ただ、そこで注意したいのは、それは通常の意味での物語ではなく、“ある時間的経験の再演”、あるいは“記憶の呼び戻し”とでもいうべきものなのではないか、ということです。

 写真表現映画的・映像的なシークエンスを導入したものであれば、鈴木理策写真集『KUMANO』『Piles of Time』など、スチル・イメージによって映画を構成したものであれば、クリス・マルケルラ・ジュテ』、松本俊夫『石の詩』、大島渚ユンボギの日記』など、いわゆる日記映画であれば、ジョナス・メカスかわなかのぶひろ鈴木志郎康らの諸作品が挙げられますが、トヨダ作品はそのどれとも異なる佇まいを持っているように思われます。また、非常にパーソナルな日々の経験やうつろいを撮った写真の連なりではあっても、私写真のようなものとは異なります。

 実をいうと、私自身、トヨダの上映会を初めて体験したときは、正直よくのみこめない部分もありました。しかしそれは、今から振り返ると、日本の伝統的な写真における私性の扱われ方やストーリー仕立ての形式、あるいは大手資本の入った商業映画における最大公約数的な映像手法や語り口などに、知らず知らずのうちに絡めとられ、馴致させられていたからだといえるでしょう。つまり、日常写真シークエンススライド上映といった表面的なファクターによって、私写真映画のような枠組み=フレームで受容するものだと勝手に決めつけ、作品をよく見ようとせず、おきまりの受容スタイルで作品の端々を気ままにつまみながら鑑賞して、わかった気になっていたからです。

日常を描いている」とされる世の多くの作品よりも、はるか現実的な“生の時間”に近い、良い意味でのリダンダンシー(冗長性)を保持しているのがトヨダ作品の持ち味だと思います。それは“小さきもの”“周縁的なるもの”といったモチーフへのまなざしからもわかるように、彼独特の倫理観に貫かれたものでしょう。

 スライドを一枚一枚たどり直しては再び消えていく、“それは・かつて・あった”時間の中に、記憶経験を重ね合わせるかのような映像体験――。トヨダ作品のなかにも、只石作品と同じく、主観的アプローチに基づくタイプの作品の新たな可能性の芽を感じている自分がいます。しばらくは、この2人の作品をフォローしていきたいと思います。



コンテンポラリーアートマガジンファウンテン』第4号に掲載

https://www.facebook.com/fountain.mag

http://fountain.6.ql.bz/



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>>>第1稿(2011年09月14日)

コラム連載 第1回 映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』】

バンクシーの介入(ルビ:インターベンション)

棘と機智に満ちたアンビバレント爆弾

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20120124#p2


>>>初校2012年03月03日)

コラム連載 第2回 エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』】

平明な言葉が織り成す不可知迷宮

──エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20120502#p3


>>>初校戻し(2012年07月11日)

コラム連載 第3回 オヴァルOval)=マーカス・ポップ(Markus Popp)】

矛盾とアンビヴァレンスを焦点とする奇妙な楕円(ルビ:オヴァル

――オヴァル=マーカス・ポップについての覚書

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20121008#p6







2014-02-02 インストールの残り時間:約58時間41分