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2014-03-01 ”maa” is not ”meh”

"maa" is not "meh"


f:id:n-291:20140301052049j:image

R.I.P. Jan Hoet

◇ Jan Hoet (1936-2014) - S.M.A.K

Jan Hoet, the founding director of our museum, died on Thursday 27 February 2014. We, the whole team at S.M.A.K., would like to express our sincere condolences at the loss of this strong, warm and energetic man, with whom many among us have worked for long periods and without whom Ghent would probably never have had a museum of contemporary art.

http://tools.emailgarage.com/Pub/oi2yNgAAAAA~/bCbsw_IMs0KuWFBvwHydFg~~/XapMllNtTEuvkEs8r4eE2A~~/ViewEmail.ashx


◇ Flemish art expert Jan Hoet (77) has passed away - flandersnews.be

http://www.deredactie.be/cm/vrtnieuws.english/Culture/140227_Jan_Hoet_rip_English


◇ ヤン・フート死去(1936-2014) - ART iT

http://www.art-it.asia/u/admin_ed_news/0v2H5N46gUOcdnKSQMPz

r:ead

レジデンス・東アジアダイアローグ東アジアにおける芸術社会に対する問題意識を共有し発達させることを目的とした、中国韓国台湾日本に在住しているアーティスト及び、彼らと組む評論家ドラマトゥルク・キュレーターのためのコミュニケーションプラットフォームを目指します。

http://r-ead.asia/

さてさて、、、

◇ the struffkys - Google 検索

https://www.google.co.jp/search?q=the+struffkys


◇ n291: あれ?2件しかひっかからないんだけど、、、「シュトルフスキー ... - Twitter

https://twitter.com/n291/status/381436223832616961

汚染水漏れも「事象」 規制委事務局事故」と呼ばず - 東京新聞 2014年2月28日 朝刊

 東京電力福島第一原発の地上タンクから処理水百トンがあふれた問題で、原子力規制委員会の委員はこの件を明確に「事故」と呼んでいるのに、事務局は単なる出来事を指す「事象」と呼んでいる。事務局への取材によると、同委には事故と事象を使い分ける基準はないという。

 三年前の事故発生当初、国も東電も会見などで「事象」を連発。福島第一で水素爆発が起きても、「何らかの爆発的事象が起きた」といった具合だった。国民に「事態を小さく見せようとしているのではないか」との疑念を抱かせた。

 今回の水漏れは超高濃度の放射性ストロンチウムを含む大量の処理水が敷地にあふれ、コントロールできない状態になった明らかな事故だ。田中俊一委員長は「今回の漏えいは明らかに事故。事象という言葉でごまかして何かということなら、それは間違いだ」と断言。同委は今回、原因究明にとどまらず、東電の安全管理体制にまで踏み込んで調査する方針だが、事務局事故の経過をまとめた報告書の中でも、定例会合でも「事象」を繰り返した。

 各委員が「事故」と呼んでいるのに、事務局が「事象」と呼び替える是非について、事務局に取材すると、担当者は「広い意味の言葉で、使い慣れているから」。どう呼ぶか基準はないことを明らかにした上で、「事故と言い換えるのもやぶさかではない。処理水漏れ過小評価するつもりは毛頭ない」と強調した。 (大野孝志)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014022802000145.html

日本年金=ポンジ・スキーム

◇ ポンジ・スキーム - Wikipedia

名称は詐欺師チャールズ・ポンジ(Charles Ponzi)の名に由来する。「あなた(御社)のお金を運用して増やし、増えた分を(「配当」などとして)あなたに支払う」などと謳って、お金出資金)を集めるのだが、そのお金は(全くあるいはほとんど)運用されず、以前からの出資者に「配当」として渡すことで、さもまともな資金運用をしているかのように装う。しばらくの期間は出資者の人数がある割合で増え続けさせられる場合も多く、(詐欺師が巧みであると)出資者らを欺ける場合があるのだが、システム全体では実はどこでも利益を生んでおらず負債が増え続ける仕組みになっており、やがて最後には必ず配当金が工面できなくなり、必ず破綻する。より後から参加した出資者にとって損害が大きくなる傾向があり、最後のころの(そして出資者全体として見ると割合が多い)出資者にとっては出資金はほとんど還ってこなくなり、最後の出資者にとっては配当金は一回も受け取れず出資金がまるまる消えて戻ってこなくなる損害となる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%A0

メモ

哲学講義19 - プラトン(7) 美のイデアエロス - : 古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ(松浦明宏)

この美のイデアは、

(1)常に存在し、生成消滅せず、増大も減少もしない。

(2)ある面では美しいが他の面では醜いということがない。

(3)ある時には美しいが他の時には醜いといういうことがない。

(4)あるものとの関係では美しいが別のあるものとの関係では美しくないということがない。

(5)ある人々にとっては美しいが別のある人々にとっては醜いということがない。

(6)身体に属するいかなる部分の形をとっても現れるということがない。

(7)言論や知識の形で現れることがない。

(8)動物、大地、天空などの中にあるものとして現れることがない。

(9)それ自身だけで、それ自身とともに、単一な形相を持つものとして、永遠にある。


と言われています(『饗宴』(210e以下))。

http://matsuura05.exblog.jp/298560/


デュシャンの「泉」は芸術作品なのか(京都産業大学文化学部 国際文化学科 中奥久美) - 河野勝彦のページ(Kono Katsuhiko's Page)

プラトンの「美」

 「生物の内に、または地上や天上に、またはその他の物の―内に在るものとしてでもなく、むしろ全然独立自存しつつ永久に独特無二の姿を保てる美そのものとして彼の前に現れるでありましょう (中略)それはすなわち地上の個々の美しきものから出発して、かの最高美を目指して絶えずいよいよ高く昇りに行くこと、ちょうど梯子の階段を登るようにし、一つの美しき肉体から二つのへ、二つのからあらゆる美しき肉体へ、美しき肉体から美しき職業活動へ、次には美しき職業活動から美しき学問へと進み、さらにそれらの学問から出発してついには かの美そのもの学問に到達して、結局美の本質を認識するまでになることを意味する」(『饗宴』久保勉訳、岩波書店)より

http://j.mp/1hJq9ue

修辞技法 - Wikipedia

比喩(譬喩、ひゆ)とは、字・語句・文・文章・出来事・作品全体などの物事を、それと共通項のある別の物事に置き換えて表現する手法である。読み手に対し、例えられる物事を生き生きと実感させる効果を持つ。比喩を用いた修辞法を比喩法といい、佐藤信夫他著の『レトリック事典』では直喩、隠喩、換喩、提喩を指している。


直喩法

詳細は「直喩」を参照

直喩(明喩、シミリー)とは「(まるで・あたかも)〜のようだ(ごとし、みたいだ)」のように、比喩であることを読者に対し明示している比喩である。直喩を用いた修辞法を直喩法という。『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…』で知られる『平家物語』の序段は、この直喩の典型例である。日本では現代でも頻繁に用いられてはいるが、近現代の西洋ではあまり洗練された技法とはみなされておらず(ある意味でヤボな技法だと見なされており)、文筆家・作家詩人知識人などの文章では、直喩よりも(後述の)隠喩のほうが頻繁に用いられる。

用例

赤ん坊の肌はまるで綿飴のようにふわふわだ。

鳥みたいに羽が生えたら自由に空を飛べるのに。

息子は二宮金次郎のごとく、勉学に励んだ。

あいつのいない夏休みなんて真夏スキー場みたいなものだ。


隠喩法

詳細は「メタファー」を参照

隠喩(暗喩、メタファー)に分けられるものは、比喩であることが明示されていない比喩である。隠喩を用いた修辞法を隠喩法という。

用例

夜の帷が静かに幕を下ろす。

この思い出を忘れまいと、心の宝石箱に仕舞い込んだ。

満天の星空が二人の間に降り注ぐ。

などで、いずれも「まるで」「ごとし」「ようだ」などといった比喩を明示するための語が用いられていない。直喩に比べて、より洗練された比喩だとされる。

「すし詰め状態」「団子レース」「マシンガントーク」などのように定型句となった表現も見られる。


換喩法

詳細は「換喩」を参照

換喩(かんゆ、メトニミー)とは表現する事柄をそれと関係の深い付属物などで代用して表現する比喩である。換喩を用いた修辞法を換喩法という。また「永田町」と言って国会を、「葵の御紋」と言って徳川家を指すのも換喩の一種とされ、『象徴喩』と訳されている。

用例

バッハが大好きだ。」

バッハ」がバッハの作品を指している。

そのワインを開けてくれ。

実際開けるのはワインではなく、ワインが入っているボトルの栓である。

象徴喩の用例。

ボルドーの赤、ブルゴーニュの白。

ここでの「赤」と「白」はワインの種類を指している。

ペンは剣より強し。

ここでのペンは弁舌や学問を指し、剣は武力、暴力戦争などを指している。


提喩法

詳細は「提喩」を参照

提喩(ていゆ、シネクドキ《Synekdoce》)とは上位概念下位概念を表したり、逆に下位概念上位概念に置き換えたりする比喩をいう。換喩との違いは、包含する関係にあるか否かである。提喩を用いた修辞法を提喩法という。

用例

全く、情けない男だ。

ある人物が相手にこう告げた時、情けないのはその相手(下位概念)だけであって、男全般(上位概念)を指しているわけではない。

豚肉も悪くないけど、どちらかといえば鶏の方が好きだな。

まず鳥という上位概念で鶏という下位概念を指している。さらに、鶏という上位概念からさらに下位概念の鶏肉、あるいは鶏肉料理を指している。このように提喩は上位、下位の概念が階層化することもある。

紙もすっかり値上がりしたので、本当に困る。

会話の状況によって、この紙がトイレットペーパーを指してるのか、それとも何らかの用箋を指しているのかわからないが、紙という上位概念で、下位概念を想起させるものとなっている。


諷喩法

詳細は「たとえ話」を参照

諷喩(ふうゆ、英: Parable)とは、寓意に使われるようなたとえのみを提示することで,本当の意味を間接的に推察させる比喩を言う[1][2]。寓言法。寓喩法。

用例

「燕雀(えんじゃく)安(いずくん)ぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」

小人物に大人物の心はわからない、ということを鳥の話のみをして推察させている。燕雀は小物、鴻鵠は大物という共通認識の上に成立する諷喩。

猿も木から落ちる

木登りを得意とする猿でも木から落ちることのみを示し、得意な人でも失敗することがあるという意味を推察させる諷喩。


比喩表現の複合

これらの比喩が複合することもある。たとえば「右のエース」という表現は、エースで一番手を指す暗喩、右で右手で投げる投手を表す換喩を兼ねている。更に、「右のエース」という言葉は、野球のみでしか通用しないので、野球という上位概念の中の下位概念に値することから、この表現そのものが提喩となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E8%BE%9E%E6%8A%80%E6%B3%95


◇ 転義法 - Wikipedia

*「メタファー」の項目参照 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E7%BE%A9%E6%B3%95


◇ 被喩辞 - 楠見 孝 (Prof. Takashi KUSUMI) のホームページ

http://kyoumu.educ.kyoto-u.ac.jp/cogpsy/personal/Kusumi/keyword/jisho4.htm


日本語の美しさ - 日本語教師養成の千駄ヶ谷日本語教育研究所

http://www.jp-sji.org/jp/contents/beauty/list_12.php

心の哲学まとめWiki - デイヴィッド・ヒューム

デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランドエディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリー観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。

ヒューム懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。

http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/82.html


◇ デイヴィッド・ヒューム - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A0

ハイパーテキスト論理哲学論考 (Tractatus Logico-Philosophicus)

Ludwig Wittgenstein

Tractatus Logico-Philosophicus

Yet another Hypertext of the Ogden bilingual edition.


ウィトゲンシュタインヴィトゲンシュタイン)の論理哲学論考を始めて読んだときから、ハイパーテキストにすれば(少しは)理解しやすくなるのではと思っていたのですが、同じ事を考えた人がいて ここ にドイツ語英語のhtmlが公開されています。C.K. Ogdenと言う方の独・英対訳を、Jonathan Laventholと言う人がhtml化し公開しています。

アクセスして見ると、最初の画面に1から7までの命題が表示され、1を選択すると、1.1と1.2の命題だけの画面に遷移します。

私のイメージしていたハイパーテキストは、こういう動きではなく、1を選択すると1.1と1.2が追加される(2−7も表示されている)、アウトラインプロセッサー的なテキストだったようです。と言うことで、アウトラインプロセッサー版を作成・公開しています。

http://tractatus-online.appspot.com/


◇ 「論理哲学論考」 Tractatus Logico-Philosophicus

http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus/jp/index.html

表象 - Wikipedia

翻訳語としての表象

表象」は翻訳語であり、その原語は希:phantasia、羅: idea, perceptio, repraesentatio、英: idea, perception, representation、仏: idée, perception, représentation、独: Vorstellungなど様々であるが、近年は英語フランス語などでのrepresentation、またドイツ語の Vorstellung の訳語として認知されている[3]。

研究者によっては、用法は異なることもあり、一意的に確定しているわけではない。例えば、現在symbolは「象徴」と訳されるが、かつて「表象」と翻訳されたこともある。アーサー・シモンズの「The Symbolist Movement in Literature」は、現在では山形和美訳など複数の訳書で、「象徴主義文学運動」と訳されるが、大正2年の岩野泡鳴訳では「表象派の文學運動」として表題は翻訳されていた。このような混乱は他の哲学用語系統の翻訳語と同様に、問題としてある。なお現在でも、国語事典には、symbolismは象徴主義表象主義の2つを並記している[4]。


術語としての表象

哲学心理学認知科学政治学人類学、美術理論などそれぞれの研究領域で使用される術語である。


哲学用語としての表象

クリスチャンヴォルフは、ラテン語のperceptioのドイツ語訳としてVorstellungを当てた。日本における哲学用語としての表象は、一般に、ドイツ語の Vorstellung、 フランス語のreprésentationの訳語として認知されている[5]。この意味での表象は、外界にある対象を知覚することによって得る内的な対象をいう(「知覚表象」)。外界の対象が現に存在せず、知覚対象を記憶に保ち、再び心のうちに表れた内的な対象を知覚対象と区別する意味で「記憶表象」といい、同じく人の思考作用によって心の内に現れた内的な対象を「想像表象」という。

表象によって得られた内的対象は、外界の対象が現に存在するか否かにかかわりなく、人の意識のうちに現れ出でるものであり、外界の対象を象徴する記号的な意味をもつ観念でもある。ルネ・デカルトはこの内的対象を示す語としてidéeの語を充てていたが、カントデカルトを厳しく批判し、Vorstellungを自己の哲学大系の中心に置いた[6]。フランスでも、idéeの語に代えてreprésentationの語が広く用いられるようになった。知覚表象の場合と異なり、記憶表象および想像表象の場合は、外的対象が現に存在せず、心の内に「再びー現れる」(reーprésentation)ので、記憶表象と想像表象のみを「表象」ということもある。


ドイツ思想におけるVorstellung

哲学上の用語としては、ドイツ語の Vorstellung の訳語として使われる。現職と訳されたこともある。感情・思惟を除く意識上の対象を指す。

ショーペンハウアーは、その著書『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)において、世界はわたしの表象であり、世界の本質は生きんとする盲目の意志であるとした。


フランス思想におけるreprésentation

戦後フランス哲学などでのreprésentationは、「再現前」「代理体制(システム)」などとも翻訳される(例:ジル・ドゥルーズ差異と反復河出書房新社ジャック・デリダエクリチュールと差異』法政大学出版局)。


英米思想におけるRepresentation

英米思想においては、ジョン・ロックバークリ以来の経験論以来、議論が蓄積されている。パースモリスなどのアメリカ記号論なども経由し、現在では、分析哲学認知科学などでも、表象(Representation)は重要な問題のひとつとみなされている。


表象主義と反表象主義

認知科学では、認知過程が外界を内的に表象することとする「表象主義」と、ジェームズ・ギブソンアフォーダンス理論のように、知覚情報は構造化されたかたちで環境内に実在し、知覚者は環境内を動き回ながらその情報を獲得するのであり、そこに内的表象や構成の過程を想定する必要はないとする「反表象主義」とがあり、現在も研究が展開している[7]。

同様に、リチャード・ローティドナルド・デイヴィッドソンらも、「表象主義」的な説明をしりぞけ、「反表象主義」として括られることもある[8]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E8%B1%A1