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2014-04-21 うやまだたろ

うやまだたろ


f:id:n-291:20140421040810j:image

Ende`s Last Will エンデの遺言

http://youtu.be/3YeagjqoDpk


◇ 続エンデの遺言 - YouTube

http://youtu.be/KUTBeTZ1ZcY


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◇ Ithaca Hours - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/Ithaca_Hours


◇ WIR Bank - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/WIR_Bank


◇ Qプロジェクトサイト - 地域通貨Qに関心を持つみなさんのオープンコミュニティです

http://www.q-project.org/

Qのサイトはまだあるようです。

Sigmar Polke "Alibis" 1963-2010 at the MUSEUM of MODERN ART - YouTube

(Part I)http://youtu.be/F_jEzpQJygw

(Part II)http://youtu.be/8F8Q0U00tGA


◇ Alibis: Sigmar Polke 1963-2010 - MoMA

http://www.moma.org/visit/calendar/exhibitions/1407

http://press.moma.org/2013/07/alibis-sigmar-polke-1963-2010/

Malarstwo Rysunek Obiekt | Bartosz Kokosiński

http://www.bartoszkokosinski.com/

Phaidon Atlas | Architecture for Architects

http://phaidonatlas.com/

「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」展 - 現代美術用語辞典ver.2.0

「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」展

“The Family of Man”

1955年にニューヨーク近代美術館の開館25周年を記念して、写真部門のディレクターであったエドワード・スタイケンが企画した展覧会。結婚、誕生、遊び、家族、死、戦争という人類に普遍的に共有される営みをテーマとして、68カ国、273人の写真から構成されたこの展覧会は、第二次世界大戦を経た世界へ向けて「全世界を通じて人間は本質的に単一である」というメッセージを表明するものであった。建築家のポール・ルドルフらの協力を得て、ニューヨーク近代美術館に大小503枚の写真パネルと文章を立体的に組み合わせた壮大なインスタレーションが実現、62年まで38カ国を巡回し、900万人という記録的観客動員を達成した。人類をひとつの家族に見立て、人種や階級を超えた融和を謳うこの20世紀最大の写真展が、形式においても内容においても戦中のプロパガンダを踏襲しており、冷戦体制下で経済的繁栄を謳歌するアメリカ民主主義ヒューマニズムをアピールする文化戦略であったという指摘もある。56年には日本橋高島屋へも巡回、昭和天皇(とアメリカ大使)が会場を訪れた際に被爆直後の長崎の写真(山端庸介撮影)が主催者によってカーテンで覆われたことから物議を呼んだ。出品作品はスタイケンの母国であるルクセンブルク公国へ寄贈され、ユネスコの「世界記録遺産」として永久展示されている。

著者: 小原真史

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8C%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%EF%BC%88%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%B6%E6%97%8F%EF%BC%89%E3%80%8D%E5%B1%95


◇ Clervaux_family_of_man.jpeg (1600×1044)

http://4.bp.blogspot.com/-as4h7bFWpIM/T5Tu1JcWeVI/AAAAAAAADEI/9gICSLQMS74/s1600/Clervaux_family_of_man.jpeg


デモクラシーの写真、写真のデモクラシー : 〈here is new york〉展と〈The Family of Man〉展を中心に (アメリカン・セルフ・イメージ) - JAIRO

デモクラシーの写真、写真のデモクラシー : 〈here is new york〉展と〈The Family of Man〉展を中心に (アメリカン・セルフ・イメージ)

Photographs of Democracy, Democracy of Photographs : Focusing on here is new york Exhibition and The Family of Man Exhibition (American Self Image)

日高 優 , ヒダカ ユウ , Yu Hidaka

立教アメリカンスタディーズ = Rikkyo American Studies

26pp.59 - 74 , 2004-03

NII書誌ID(NCID):AA11414871

http://jairo.nii.ac.jp/0243/00003453

http://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/IAS/ras/26/hidaka.pdf


◇ 展示の力 : 「勝利への道」展とヘルベルト・バイヤーの展示デザインを巡って - CiNii 論文

展示の力 : 「勝利への道」展とヘルベルト・バイヤーの展示デザインを巡って

The Power of Display : "Road to Victory" and the Display Design of Herbert Bayer

小林 美香

KOBAYASHI Mika

http://ci.nii.ac.jp/naid/110003714542

The Road to Victory, 1942 - PhotoEphemera: Poking through the dustbin of photographic history

The Road to Victory, 1942

In 1942, Beaumont Newhall was called up to duty with the Army Air Corp, eventually to serve as an analyst of photographic aerial reconnaissance. He had been curator of the Department of Photography at the Museum of Modern Art, New York, since it's inception in 1940.

It took a bitter fight, but Ansel Adams (vice-chair of the Department) and Newhall convinced the trustees that Nancy Newhall, Beaumont's wife, was the best choice as curator in his absence. Still, they wouldn't give her but an "Acting Curator" title and paid her half what her husband had earned.

Throughout the 3 years she served as curator, Nancy Newhall had to repeatedly defend against the closing of the department. Overall budget-cutting at the museum was one problem (alleviated for the Photography Department by several donations by David McAlpin) but the other problem was that Adams' and the Newhall's curatorial vision was at odds with the times. At the time, photography was seen as a democratic medium while as their philosophy argued for differentiating between photos on aesthetic grounds. This included important members of the museum's staff and Board of Trustees who saw the presentation of photography in more populist terms. Ironically, on account of the Newhall's attempts to define photography by the same criteria as the other arts, the museum was accused of snobbery.

The most outspoken critics outside the museum were Edward Steichen and Tom Maloney. (Maloney at the time was editor of Camera Craft magazine and the U.S. Camera books.) Steichen, who had a couple of powerful allies on the board, was asked to guest curate a couple of exhibitions of war-related photography which Nancy Newhall had no say in and wasn't consulted about. Steichen's view was that photography could be used for propagandistic purposes in the service of the war effort. As he has been quoted saying: "When I first became interested in photography...my idea was to have it recognized as one of the fine arts. Today I don't give a hoot in hell about that. The mission of photography is to explain man to man and each man to himself." (Sounds like a definition of art to me.)

The first of the shows was Road to Victory: A Procession of Photographs of the Nation at War which opened May 21, 1942 and closed after October 4, 1942. What follows is the June, 1942, issue of the Museum of Modern Art's Bulletin, describing the show. Note the credit for Steichen on the cover: "Directed by..." In Ansel Adams and the American Lanscape, Jonathan Spaulding notes that "Steichen, who had done frequent work for the studios, brought the visual impact of the big screen and the dream factory's penchant for sensationalism to the once staid gallery."

The text was written by Carl Sandburg, the poet (and Steichen's brother-in-law.) The show was designed by Herbert Bayer--former Bauhaus member who had become quite successful in the U.S. as a graphic designer--and was influenced, like the leading designers of Fascist Germany and Italy, by the design idiom El Lissitzky had created for Soviet exhibits. Steichen curated the photos. "Together," says Spaulding, "Bayer and Steichen devised a show of spectacular visual impact."

I'll let Spaulding describe the scene for us. (Sandburg's text is reproduced in the Bulletin.)

http://photemera.blogspot.jp/2009/03/road-to-victory-1942.html


◇ PhotoEphemera: Poking through the dustbin of photographic history

http://photemera.blogspot.jp/

Wisconsin Death Trip Photographs - a set on Flickr

https://www.flickr.com/photos/whsimages/sets/72157602476458793/


◇ Wisconsin Death Trip - Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/Wisconsin_Death_Trip

『映画とは何か』アンドレ・バザン - 現代美術用語辞典ver.2.0

フランス映画批評家アンドレ・バザンの批評集。戦中に映画批評家としての活動を開始したバザンは、1951年に映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の創刊に関わり、58年に亡くなるまで同誌を率いた。ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家の「精神的父親」として知られる。本書には、15年の批評活動のなかで書かれた2,600に及ぶ記事のうち、加筆修正を経た64本が収められている(現在フランス語で入手可能な選集版はうち27本のみ)。その映画論は、映画の基盤である写真についての考察を出発点とする。バザンは「写真映像の存在論」(1945)で、写真の独自性は、人間の介入なしに自動的に生み出されることから来る「本質的な客観性」にあると主張(この論文は写真のインデックス性をめぐる議論でもしばしば取り上げられる)。映画はそうした写真の客観性を時間のなかで完成させたものであって、映画の美学は現実を明らかにするリアリズムであるべきだとした。それゆえバザンは、現実に意味を押しつけるモンタージュよりも、現実のもつ「曖昧さ」を尊重するワンシーン=ワンショットディープフォーカスにもとづくスタイルを評価した(O・ウェルズ、J・ルノワール)。R・ロッセリーニらによるイタリアのネオレアリズモの運動は、バザンにとって、そうした「現実の美学」を体現するものであった。こうして映画独自の美学を規定する一方で、バザンは偏狭な映画至上主義に陥ることなく、映画と他の諸芸術(文学、演劇、絵画)との「美学的共生」についても積極的に論じ、映画の「不純さ」を擁護した。『ピカソ 天才の秘密』などを論じた美術映画論は美術の文脈からも興味深いものであろう。70年代にはイデオロギー批判の標的となることもあったが、バザンの映画論はたえず映画作家、映画批評家を刺激し続け、没後50年を経たいまもなおその輝きを失っていない。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%80%8F%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%B3


◇ 『映画における意味作用に関する試論 映画記号学の基本問題』クリスチャン・メッツ - 現代美術用語辞典ver.2.0

『映画における意味作用に関する試論 映画記号学の基本問題』クリスチャン・メッツ

Essai sur la signification au cinéma(仏), Christian Metz

フランスの映画理論家クリスチャン・メッツの初期の代表的著作。1964年から68年に書かれた論文を収める。それらはR・バルトの試みを引き継ぎ、映画に構造言語学の概念を導入することで「映画記号学」を創始しようとするものであった。メッツ以前にも映画を言語活動とみなそうとする試みは存在していたが、その多くは映画を「言語(ラング)」と同一視して、映像を語に、その連なりを文に対応させようとする類いのものであった。これに対してメッツは64年の「映画 言語か言語活動か」で、映画は音素にも語にも分節できず「二重分節」を欠いているのであって、厳密な意味での「言語」ではなく、「言語なき言語活動(ラングなきランガージュ)」であるというテーゼを提出した。映像はそれ自体がすでにひとつないし複数の文なのであって、それらが集まってより大きな集合体が構成される。こうして映画の記号学は、映像の形態論ではなく連辞論を探求することになる。それは映像の配列を八つのカテゴリーに分類した、名高い「大連辞関係」へと結実し、ジャック・ロジェの『アデュー・フィリピーヌ』(1962)の分析に適用されている。こうした試みは『言語活動と映画』(1971)や『映画記号学の諸問題』(1972)へと引き継がれる。その後メッツは映画の精神分析や映画における言表行為の問題にも取り組んだ。G・ドゥルーズらによって批判されることもあったが、メッツの著作はフランス本国のみならず世界の映画研究に大きな影響を与え、その基礎となっている。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%84%8F%E5%91%B3%E4%BD%9C%E7%94%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A9%A6%E8%AB%96%E3%80%80%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%A8%98%E5%8F%B7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%8F%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%84


◇ 『シネマ』ジル・ドゥルーズ - 現代美術用語辞典ver.2.0

『シネマ』ジル・ドゥルーズ

Cinéma(仏), Gilles Deleuze

1983年と85年に出版された、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズによる二巻からなる映画論。ドゥルーズは、H・ベルクソンの『物質と記憶』やCh・S・パースの記号論を主な参照項とすることによって、Ch・メッツに代表されるような映画を言語や言語活動との類比においてとらえる言語学的な映画論から距離を取って、映画の独自性にもとづく「イメージと記号の分類」を試みた。映画のイメージはまず、不動の切断面の連続としてではなく、「持続の動的な切断面」すなわち「運動イメージ」としてとらえ直される。この運動イメージそのものは中心なき宇宙をなしているが、脳や身体という「不確定の中心」と結びつくことで、「知覚イメージ」、「感情イメージ」、「行動イメージ」という三つの主要な変種へと区別され、それらのイメージは行動と反応からなる「感覚運動図式」によって連鎖されることになる。しかし、ネオレアリズモやヌーヴェル・ヴァーグなどの戦後の現代映画とともに、そうした感覚運動図式では処理できない、異常な事態や凡庸な日常が現われ(「純粋に光学的・聴覚的な状況」)、人物たちは行動する者から「見る者」へと変貌する。こうして感覚運動的な延長を中断されたイメージは、過去の潜在的イメージと関係を結び、両者が識別不可能になる点において「結晶イメージ」を構成する。時間はもはや運動を介して間接的に提示されるのでなく、それ自体を直接的に提示するに至るのである。時間イメージはまた、世界の耐えがたさを前にした思考の不可能性から出発して、この世界への信頼を取り戻そうとする試みであるとされた。こうしてドゥルーズの議論は思考、身体、脳、政治の問題へと広がってゆく。それゆえ本書は映画論であるのみならず、後期ドゥルーズの哲学的主著でもある。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%80%8F%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA


◇ スタンリー・カヴェル『眼に映る世界 映画の存在論についての考察』 - 現代美術用語辞典ver.2.0

スタンリー・カヴェル『眼に映る世界 映画の存在論についての考察』

The World Viewed: Reflections on the Ontology of Film, Stanley Cavell

1971年に出版された、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルによる映画論。79年に新たな序文と補遺を付した増補版が出版された。ジル・ドゥルーズの『シネマ』と双璧をなす、哲学者による映画論の古典。カヴェルは、アンドレ・バザンやエルヴィン・パノフスキーから映画のメディウムは写真的なものであるという考えを引き継ぎつつ、そこにスクリーンへの投影という契機を付け加えた。映画では、作り手の介入なしに世界が自動的に複製され(第一の自動性)、そうして複製された世界がスクリーン上で観客の関与なしにみずからを展示してゆく(第二の自動性)。映画メディウムの物質的基盤はすなわち「自動的な世界の投影の連続」なのである。しかしカヴェルの議論は、メディウムの物質的基盤とその美学的可能性とを短絡させる物質還元主義的なメディウム論とは一線を画するものであった。メディウムの可能性は、物質的基盤によってアプリオリに規定されるものではなく(絵の具や写真について考えるだけではそれらの可能性を知ることはできない)、個々の芸術的発見(形式やジャンル、類型、テクニックなど)によって初めてその意義を与えられるのであって、芸術そのものだけがその芸術の可能性を見出し、新たなメディウムを発見することができる。メディウムとはそうしたジャンルや類型など、その芸術の慣習や伝統までをも含み込んだものであった。カヴェルはそうした慣習をも「自動性」と呼んだので、「自動性」の語は写真の自動的複製、世界の自律性、自動化された慣習など複数の意味を担わされることとなった。カヴェルはまた、映画が半世紀以上にわたって大衆的な伝統芸術にとどまってきたことを強調しつつも、いまやモダニズムへの移行期にあるとし、現代の芸術の使命は新たなメディウム、新たな自動性をつくりだすことだと規定した。カヴェルはその後、『幸福の追求』(1981年)や『涙への抗議』(1996年)において独自のジャンル論を展開してゆくことになる。こうした物質に還元されない慣習までを含んだカヴェルのメディウム観は、グリーンバーグ的なメディウム・スペシフィシティの議論を越える射程を秘めており、ロザリンド・E・クラウスなどのポスト・メディウム論の文脈においても取り上げられている。

著者: 角井誠

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%8E%E7%9C%BC%E3%81%AB%E6%98%A0%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%80%80%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%AB%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%80%8F

バザン「写真画像の存在論」を一言で言えば - Amehare's quotes

バザンの写真論的な意義は、基本的には「写真画像の存在論」に集約されていると言えるだろう。この短い論考は、写真のメディウム的な特性と写真の受容経験との密接な関係を論じるものであり、その意味で写真の根本的な問題を扱うものである。この論考は実際、直接的・間接的に、現代の多くの写真論の基礎となってきた。バザンの主張を一言で言えば、写真は人間の創造的干渉がない画像であり、その人間的なものを一切含まない機械的な再現画像であることに、またその機械的な形成過程を経ることで生じる客観性に、写真画像固有のリアリズムがある、ということになるだろう。

『青弓社「写真空間」No.3 第三章 「アンドレ・バザンからケンドール・ウォルトンへ 写真的リアリズムの系譜」内野博子』

http://amehare-quotes.blogspot.jp/2010/02/blog-post.html


◇ 映画映像の偶然的立ち現われ エリック・ロメール監督『モンソーのパン屋の女の子』における人と世界の関係を基に 小河原あや

http://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/213/213-06.pdf


◇ 映像のオントロギー(全40回) by 長谷正人 [4]聖遺物 - Internet Photo Magazine Japan

http://www.ipm.jp/ipmj/eizou/eizou18.html

映画にとって現実とは何か : バザンによるロッセリーニ(映画を信じた男−アンドレ・バサン論II) 歓 野崎, カン ノザキ, Kan Nozaki - ResearchGate

http://www.researchgate.net/publication/30781397___II


「映画史」をめぐって(野崎歓) - フランス映画社

http://www.bowjapan.com/histoire/introduction/review.html

ニューメディア時代の映画 | 堀潤之 ‹ Issue No.36 - 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース

http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1176/


◇ 堀潤之 ‹ PEOPLE - 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース

http://db.10plus1.jp/publish/identity/v/%E5%A0%80%E6%BD%A4%E4%B9%8B


◇ 『映画史』─映画的イマージュと歴史の痕跡 - HORI Junji's Site: Home

http://www003.upp.so-net.ne.jp/jhori/godard/histoire3.html

コラージュの長所と限界について ポール・アーサー - YIDFF: 刊行物: DocBox: #11 - YIDFF Official Site

すべては素材、私たちが手にする素材というものの謎のなかにある

―エスフィリ・シューブ(1927年)


映画(シネマ)が写真を後ろ楯にして、「西洋の絵画が写実への執念を決定的にぬぐい去り、その美学的な自立性を回復することを可能にした」 1 という考えを擁護した人物は、アンドレ・バザン以前にも存在したが、彼ほど強い影響力を及ぼした人間はいなかっただろう。バザンが映画(フィルム)の自立的な特質と見たものと、同時代人のクレメント・グリーンバーグが近代絵画における規範と定義したものとは、明らかに別 物である。1945年に独自の存在論を主張したバザンが、絵画と写真の境界がほとんどなくなってしまった現在の世界のアートシーンを見たらどう思うか、興味深いところだ。また、連続した時間を何物にもじゃまされることなく明瞭に記録するという映画の特性を、リアリズムの基本として持ち上げたことで有名になったバザンなら、ポスト60年代のノンフィクション映画においてパターン的に使われているファウンド・フッテージコラージュをどのように評価するだろうか。もちろんバザンにしても、1912年にキュビズムの絵画が外部の素材を取り入れ、さまざまなスタイルコラージュを生み出したことが、絵画の表層における美学上の「自立性」や、根本的な構成原理となる部分と全体をつなぐ関係性に対するきっぱりとした異議申し立てであったことは心得ていた。ソヴィエトモンタージュ効果 をはじめ、編集における分析的な手法一般に対するバザンの攻撃は、論文「禁じられたモンタージュ 『白い馬』『赤い風船』『特異な妖精』」 訳注1 などで詳しく展開されているが、これはコラージュを映画上の言説に分裂をもたらす「権威主義的な」モードとして拒否するための筋書きを示しているかのようだ。 2 しかし現時点から見た場合、バザンのアプローチは、歴史的な遺産としてのファウンド・フッテージや、現実を表象する上で重要となる素材自体の価値について理解するうえでは、あまり役に立たないのである。

http://www.yidff.jp/docbox/11/box11-1.html

Parkett Vol. 50/51

Photography as Tautegory

Author: Kiyoshi Okutsu

Artist: Thomas Struth

Section: Collaboration

http://www.parkettart.com/books/50n51-volume.html


◇ 『イメージの解釈学の成立』のための序説-1- - 奥津聖のホームページ

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~okutsu/Okutsu/writings/Hermeneutics%20of%20Images.html


◎ 奥津聖のホームページ

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~okutsu/Okutsu/WebMuseum.html


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◇ 父の10ケ条 - 奥津聖のホームページ

宮本常一『民俗学の旅』講談社学術文庫1104から(p.36-38)

小学校卒業後、1年間村で百姓をした後、常一の父は「世の中へ素手で出ていくには身体がもと手であるから、どんな苦労にも堪えられるようにしておかねばならぬが、一年間百姓させてみてもう大丈夫だと思う。何をさせてみても一人前のことはできるだろう」と言ってかれを大阪に行かせる(大正十二年四月)。

その出発の折に、父が常一に与えた 父の10ケ条。

(1)汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

(2)村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない

(3)金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

(4)時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

(5)金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

(6)私はおまえを思うように勉強させてやるごとができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。

(7)ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。

(8)これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

(9)自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

(10) 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~okutsu/Okutsu/funoke_tiao.html

エルンストカッシーラー - Wikipedia

シンボル形式の理論

イギリス滞在期に、ロンドン・ヴァールブルク研究所のザクスルらと交流し、シンボル研究をはじめ、研究の集大成『シンボル形式の哲学』(全四巻)を著した。また一般的な概観書で著した『人間』において、人文、社会科学を横断して独自の哲学的人間学を構築した。

カッシーラーは“シンボリック・アニマル(象徴を操る動物)”として人間をとらえ、動物が本能や直接的な感覚認識や知覚によって世界を受け取るのに対して人間は意味を持つシンボル体系を作り、世界に関わっていく。シンボル体系は、リアリティ(実在性)の知覚を構造づけまた形を与え、またそれゆえに、例えば世界に実在しないユートピアを構想することもできるし、共有された文化形式を変えて行くことができる、とみなした。こうした理論基盤には、カント哲学の超越論的観念論がある。カントは現実の世界(actual world)を人間は完全に認識することはできないが、人間が世界や現実を認識するその仕方(形式)を変えることはできるとした。カッシーラーは人間の世界を、思考のシンボル形式によって構築されていると考えた。ここでいう思考には、言語、学問、科学、芸術における思考のみならず、一般の社会におけるコミュニケーションや個人的な考えや発見、表現などを含めた意味あいがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

Hito Steyerl: In Defense of the Poor Image | #10 November 2009 | e-flux

http://www.e-flux.com/journal/in-defense-of-the-poor-image/

http://www.e-flux.com/issues/10-november-2009/

ヒト・スタヤルの論考。

ギャスタウン - Wikipedia

カナダ > ブリティッシュコロンビア州 > バンクーバー

ギャスタウン(英語:Gastown)は、ブリティッシュコロンビア州バンクーバーにある「バンクーバー発祥の地」とも呼ばれる地区であり、ダウンタウンの北東部でバラード入り江に面した位置にある。ガスタウンとも表記される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3


ブリティッシュコロンビア州経済における政府の成長 - あいゆうの日記

社会信用党の選挙では、ブリティッシュコロンビア州は、急速な経済発展の段階に着手した。ベネットと彼の党は、次の20年間、その間、政府は、エネルギー分野のインフラ開発の野心的なプログラムを、林業、鉱業の持続的な経済ブームが煽ら開始地域を支配した。これら2つの数十年の間に、政府がブリティッシュコロンビア州電気とブリティッシュコロンビア州電力会社だけでなく、小規模電力会社は、エンティティBCハイドロの名前を変更国有。 1960年代末、いくつかの主要なダムで開始されていたまたは-の間で、他-平和、コロンビア、ネチャコ川流域を完了した。主な伝送取引は、特にカナダと米国の間のコロンビア川条約を締結した。州の経済はまた、森林セクターにおける前例のない成長だけでなく、石油や州の北東部のガス開発後押しされた。 1950年代と1960は、州の交通インフラの開発でマークした。 1960年、政府はクラウン法人として、注文地方道路システムの海洋の拡張子を提供するためにBCフェリーを設立した。システムが改善され、新しい道路や橋の建設を拡大し、既存の高速道路や地方道路の舗装。バンクーバービクトリア、詩人、作家、芸術家、音楽家として文化の中心地だけでなく、ダンサー、俳優となり、高級料理のシェフ、美しい景色と気温に群がった。同様に、これらの都市のいずれか集めている、または自分の注目に値する学者、コメンテーターに上昇を与え、創造的な思想家。観光にも経済において重要な役割を果たすようになった。日本や他の太平洋経済の台頭は、ブリティッシュコロンビア州の経済に大きな後押しされた。政治的、社会的、1960年代は、重要な社会的混乱の時代をもたらした。政治左と右、州の大恐慌以来、労働運動の台頭勝っていた間格差、いわゆる自由企業パーティー事実上の連立で表される合体としてシャープ社会信用-に反対して社会民主主義新民主党、コーオペレーティブ連邦連邦の後継。州の経済は花開いたようなので、労使間の緊張をした。緊張が、また、1960年代後半のうちバンクーバー、ナナは、センターカウンターの動きから、浮上した。ヒッピーバンクーバー市長トムキャンベルの対立は、特に伝説的な、いわゆるギャスタウン暴動1971年に最高潮に達するした。 10年の最後に、社会的緊張と現状上昇して不満では、ベネット政府の成果は、その成長不人気を食い止めることができなかった。

http://aiyu777.blogspot.jp/2010/01/blog-post_23.html

おそらく自動翻訳かと思われますが一応。


バンクーバーの治安 [バンクーバー] - All About

http://allabout.co.jp/gm/gc/378494/


バンクーバーの危険 - バンクーバーの暮らし方

http://www.vankura.com/life_van/crisis.html


◇ 【0629】トロントバンクーバーの治安はどうでしょうか?

http://www.canada-travel.jp/qa/qa0629.html


イメージと違う!?知られざるカナダ・バンクーバーの闇 - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2137428573119565701


◇ [ バンクーバーの歩き方 ] GoToVan - カナダ バンクーバーの情報サイト

http://gotovan.com/manual/view.php?id=15


バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州) - Wikipedia

バンクーバーを中心とする都市圏人口は210万人とカナダ国内第3位の都市圏を形成している[4]。バンクーバー市のみの人口では同国内で第8位の約64万人[5]である。民族や言語が多様で、人口のおよそ52%は第一言語が同州の公用語にあたる英語ではない[6]。

1867年に製材所ができ、これらを中心とする入植地であったギャスタウンは発展を続け、グランビルとして町は拡大した。東カナダから続く鉄道の終着駅が町まで敷かれることになった1886年に町はバンクーバーとして改名され市政となる。

林業が同市最大の産業で、都市部ながら自然に囲まれた都市として知られていることから、観光業が発達しており、同市第2の産業となっている[7]。同市にあるメトロバンクーバー港は同国最大の港であり、北米においても積載量で第4位の規模を持つ[8]。同市および隣のバーナビー市には、主要な各映画製作会社が拠点を置いており、ロサンゼルスニューヨークに続く北米第3位の規模となる映画製作拠点となっている。このため、通称ハリウッドノースとも呼ばれる[9][10]。国際会議や国際競技が数多く開催されており、2010年には第21回冬季オリンピックバンクーバーオリンピック)が開催された。

http://j.mp/Qp53cP


◇ ノースバンクーバー (ブリティッシュコロンビア州) - Wikipedia

ノースバンクーバー市(英: City of North Vancouver)は、カナダ、ブリティッシュコロンビア州バラード入江北岸に位置する都市。バンクーバーの対岸にあり、一般にバンクーバーの郊外として知られる。また、地方行政区ではメトロバンクーバーに属し、バンクーバー大都市圏の一部を形成している。

地理

南はバラード入江を挟んでバンクーバーがあり、東西と北はノースバンクーバー地区に囲まれている。ロンズデール周辺には高層住宅街があり、市内の人口が集中している。

ノースバンクーバー地区やウェストバンクーバー地区と多くの共通点があり、3つの都市を合わせて1つのエリア(北岸地域)と見なすこともある。ノースバンクーバー地区とノースバンクーバー市は行政サービスに違いが見られるが、一般に区別せず総称して「ノースバンクーバー」と呼ぶことが多い。


歴史

バラード入江沿岸では最も早い入植が見られた場所で、19世紀後半、北岸地域全体を含む都市「ノースバンクーバー」が組織されていった。しかし、1890年代、ノースバンクーバーは財政破綻に合い、1907年、法的に破産する。この結果、都市はウェストバンクーバー地区とノースバンクーバー地区に分割され、ノースバンクーバー市はわずかなエリアだけを残し、現在の姿となる。


交通

対岸のバンクーバーとはライオンズゲートブリッジ、アイアンワーカーズメモリアル・セカンドナローズクロッシングの2つの道路橋で結ばれている。また、トランスリンクが運航しているシーバスと呼ばれるフェリーによっても行き来できる。市バスはこのトランスリンクとコーストマウンテンバスによって運営されており、そのハブ・ターミナルシーバスの北側ターミナルでもあるロンズデール・キーにある。

http://j.mp/Qp51BJ

ヴィンフリート・メニングハウス『敷居学―ベンヤミンの神話のパサージュ』(訳:伊藤秀一 現代思潮新社)

http://www.amazon.co.jp/dp/4329004143

序文/七つの対照規定/神話の空間、敷居学/神話と言語(象徴、アレゴリー)/神話、美、芸術、批評/社会と芸術における神話と自由の双極性――悲劇、メルヒェン、ゲーテの『親和力』/神話的なものの時間形式、永劫回帰/神話概念の置き換えとその意味論の限界/訳者あとがき

記憶、神話、歴史、そしてパサージュ

パサージュ論』のみならずベンヤミンの全著作の底流にある「敷居経験」とは何か? 敷居意識を先鋭化させることによって見えてくる神話的なものと、美、自由、歴史との関係は?

http://www.gendaishicho.co.jp/book/b285.html


◇ 第六〇回 - 哲学/倫理学セミナー

【第一部構想発表】

「どうすれば自分自身でいられるのか――タウテゴリーについて」

                        三河 隆之


 ほんとうに自分自身でいることは容易なことではない。これは

資本主義と欲望の網状空間にのみ特異なことではなく、自分という

境位からもはや決して脱却しえない人間の本来的アポリアですら

あるように思われる。とはいえ、実践的課題に対峙する以上、

主体のSにスラッシュを引いて事足れりとすることもまた難しい。

悟りがしばしば特権的な遠い境地であるのは、抗いがたい現実である。

 本発表は、このような困難に対峙する手がかりとなるかもしれ

ないものを垣間見る試みである。それを示す言葉のひとつが

「タウテゴリーTautegorie」である。後期のシェリングが若干の

箇所で用いたこの語は、後にカッシーラーが『シンボル形式の哲学』

第二巻で注目することになるが、当然ながら同時代のベンヤミン

想起されるところである。また、ジャンケレヴィッチもこの語を

独自に受容しさかんに用いている。主として神話論の文脈から引き

出されてきたと見られているこの概念は、いったいいかなる射程を

持っているのか。原テクストをやや慎重に見定める作業を通じて

考えてみたい。

http://peseminar.web.fc2.com/60.html


アレゴリー - pratiques théoriques

http://pratiquestheoriques.blogspot.jp/2012/03/blog-post_7524.html


プラトンのミュートス - Strings Of Life

http://strings-of-life.seesaa.net/article/37875590.html

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070330#p3

■「それは=かつて=あった」関連メモ

◇ 2007-03-21 - 計測日記

http://d.hatena.ne.jp/Sancho/20070321

◇ 2007-03-25 - http://d.hatena.ne.jp/hateno/

http://d.hatena.ne.jp/hateno/20070325


◇ 4_ フィールド/ノート(複製技術時代の人間-1) 上野修

http://www.pg-web.net/off_the_gallery/contemporary/4.html

◇ [塗り替えられた、世界・写真・自己の関係:鈴木清『デュラスの領土』/日本カメラ1998年5月号:133] 上野修

http://park7.wakwak.com/~ueno/arch/98/nc9805suzuki.html

◇ 色彩の再発見と色彩論の再構築序説−電子メディア時代の色彩におけるアウラ喪失とその復権− 山本龍彦

http://library.kwansei.ac.jp/profile/jc03_03.html

◇[8]まなざしなき視覚とヴァーチャル・リアリティ 長谷正人

http://www.ipm.jp/ipmj/eizou/eizou22.html

◇ 井桁研究室:卒業論文(1999年度) 黒石ともみ

http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/tk/05.html

◇『映像という神秘と快楽――〈世界〉と触れ合うためのレッスン』そして/あるいは長谷正人論 藤井仁子

http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN5/fujii.html

アンドレ・マルローとヴァルター・ベンヤミン関連

◇ 共同討議「本はどこで生まれるか」第ニ回 - 大西廣研究室

 複製技術を問題とするのに、ヴァルター・ベンヤミンを避けては通れない。しかしそのベンヤミンを、思想的には彼の敵対者だともいえる、アンドレ・マルローと比べてみようといえば驚かれるであろうか。複製技術のなかに、この二人がどういう可能性を見いだしていたか。考えてみたいのはその点である。

 ときに誤って受け取られてきたように、ベンヤミンは複製技術を否定したのではない。際どくもそこに胚胎する新たな可能性を探ろうとしたのだ。その彼が注目したのは映画であった。伝統的な美術の世界とは無縁な、この新興の大衆文化の持つダイナミズムが彼を引きつけていた。

 マルローはどうか。ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』を書いた一九三六年のちょうど一年まえだが、マルローはベンヤミンとは逆のある考えに達していた。伝統的な美術のむしろ積極的な理解のためにこそ、複製技術から新しい可能性が引き出せるのではないか。一九三五年の未発表原稿に最初の発想が認められる、彼のいわゆる「空想の美術館」論がそれだ。

 二〇世紀が振り返って見渡せる過去になったいま、興味深いのは、二人の眼差しがまさにこの世紀の最大の二つのメディアに向けられていたことではないだろうか。ベンヤミンのは映画芸術に、そしてマルローのは出版文化へと向けられていた。

 空想の美術館とは本のなかの美術館である。つまりまさに実物からだけでは得られない、「美術」という名の人類の共同幻想を、マルローは壁のない美術館、本の上の複製写真による美術館として可視化しようとしたのであった。彼のこの発想は、後に一九六〇年代において、その名も『フォルムの宇宙(L'Univers des Formes)』(日本版では『人類の美術』)と呼ぶ途方もない大美術全集になって結実する。それを見れば分かるが、根底には複製技術と出版文化の可能性に対する二つの着眼があった。

 一つは、後のスーザン・ソンタグの言葉を借りるなら、「写真のヒロイズム」とでもいうべきもの。――つまり、世界のどこへでも果敢に出かけていって、人類のイメージ文化のあらゆる遺産を参照可能なものにしてくれる力である。

 もう一つは、本のページのなかでの「ジャクスタポジション(juxtaposition、並置)」の仕掛け。――つまり、見開きの左右にページが分かれているという、書物ならではの物質的条件をフルに活用して、時空を越えた思いもかけない二つの作品を、比較を通して(ときには拡大写真によって)ドラマティックに映し出してみせようというところにポイントがあった。

「写真のヒロイズム」のもたらす自在さ、豊かさと、「ジャクスタポジション」による発見の驚き、これこそはまさに、オリジナルを閑却してまでも、私たちが「美術」という共同幻想のなかで享受しているものといえるのではないだろうか。ディレンマの核心がここにある。

 マルローのこの発想はどこから来たのか。その淵源が出版文化の歴史にあるというのが、ここで私が検討してみようと思っている一番の問題なのだが、しかしそれをいうまえに、ベンヤミンとマルローの微妙な接点に触れておく必要がある。映画と出版というジャンルの差はともかく、同じ時代にあって二人が共有していたもの、――あえていうなら、それは、一方が人間活動の断片記録でしかない映画フィルムの、そして他方は既成の美術作品の模造でしかない複製写真の、そのそれぞれを何物かに変容せしめる「編集機能」にあったといえるのではないだろうか。

 オリジナルの持つ力、そしてそれに対する社会的な信仰心のようなもの、それがつまりベンヤミンのいう「アウラ」である。複製技術における「アウラの喪失」ということばかりが、ロマンティックにあるいはペシミスティックに語られた、かつての誤ったベンヤミン理解についてはいまは問わない。「アウラ」をむしろ大胆に打ち壊し、加工する仕組みとしての、複製技術のもとでのみ発生しえた新たな力――ベンヤミン流にいうなら、どう転んでも後戻りはありえない、これまた二〇世紀こそが産み出したその「アクチュアルな」働きを、いまは単純化の謗りを恐れずに、あえて「編集機能」と呼んでおくことにする。


 歴史上、その「編集機能」の発想へと、マルローを突き動かしていたものとは何だったのだろうか。さきの「写真のヒロイズム」という言葉をもじっていうならば、マルローの時代へと迫り上がってくる、そのような、美術の歴史のなかでの大きな一つの衝動を、「カタログ化のヒロイズム」とでも呼んで捉えなおすことができるかもしれない。一九世紀以来、美術館別であれ、個人作家別であれ、ほとんど無数にといっていいほどに作成、刊行されたあのカタログである。

 いや、ことは、美術にかぎった話ではない。またヨーロッパにかぎらず、一九世紀だけの問題でもない。世界史上、ポスト中世のあらゆる局面を通して進行しつつあった、ある事態にそれは深く関わる。マルローへといたる決定的な流れとしては、むろん、一九世紀ヨーロッパの産業化社会の渦が最終的な結び目になることはいうまでもない。しかし、より普遍的な観点からいって、およそ出版文化の起こったところ、つねにかならず、「カタログ化」といまも呼んだこの種の衝動が、社会の根底にうごめいているのが見られるのは重要ではないだろうか。

 美術の歴史というよりも、「モノ」の歴史とでもいうべきだが、いったいに過去の遺産というか遺物を、何らかの絵画的イメージに表わして参照に供するといったことが、いくらかでも組織的になされるようになるのが、版画という初期的な複製メディアの出現以後であることは一般に認められているところであろう。

 その体系化がさらに加速度を増すのが、西洋では一六世紀後半、中国で一五世から一六世紀、日本では一七世紀後半あたりといってよかろうが、その背景にはいうまでもなく出版文化の興隆があった。じつにそれ以後の全過程を、「カタログ化」の時代とでも名づけて、新たな考察の対象ともなすべきだと思うのだが、管見のかぎりではまだそのような研究がなされた形跡はない。

http://www.musashi.jp/~onishi/honko2.html


フォーカス 04年5月 ネット上の美術館 四方幸子 - 美術館・アート情報 artscape

 しかし、空間を超えた情報による美術や美術館は、じつはインターネット以前にも存在していた。複製技術によってである。たとえば写真は一種のテレプレゼンスメディアであり、本人が実際に行かなくてもその場所を見ることができるだけでなく、世界のあらゆる空間を二次元的なイメージの断片としてだれもが任意に選び、「所有」することを可能にする。個人的なデータベースとして任意に組み合わされることで、つねに新たな意味の生成へと開かれている。アンドレ・マルローが1947年に提唱した「空想美術館」という概念は、美術作品だけでなく、世界のあらゆる事物を写真としてキャプチャーし等価に並べることにより、それまでの美術館というシステム、空間的な枠組みを破壊しその境界を問うものといえる。

 ではネット上における美術や美術館のあり方とは何なのだろうか? ネット上においては、情報は特定のモノとしての支持体に搭載されることなく流通する。それらデータは、すでにコピーとして各自の端末に届けられる。そのような「流出」(F.キットラー)的な特性に加えて重要なのが、リンク機能である。そこではネットワーク上にあるデータが潜在的なリソースと見なされ、リンクされることによって、膨大なデータへのリファレンスが可能となるだけでなく、だれもがリンクを行なうことによって、個人的な「美術館」「美術展」が可能になる。「空想美術館」は、いまやモノとしての映像の所有にとどまらず、さまざまな情報へのリンクという連結可能性へと拡張されたものといえるだろう。

http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/0405_02.html


データベースとしての美術館――ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」の射程 暮沢剛巳

http://10plus1.jp/hen_muse/text_5.html

松本健太郎『ロラン・バルトにとって写真とは何か』(ナカニシヤ出版

http://www.amazon.co.jp/dp/4779506832


◇ 著書紹介 - 二松学舎大学

ロラン・バルトにとって写真とは何か』

著者:松本 健太郎(二松学舎大学文学部)

出版社:ナカニシヤ出版

A5版 162頁 3800円+税

ISBN:978-4-7795-0683-3

発売日:2014年1月発行

 ロラン・バルトは20世紀後半のフランスを代表する記号学者として名を馳せた人物です。彼は文学作品のみならず、絵画・映画・ファッション等さまざまな作品を分析しましたが、なかでも写真をとくに重要な題材として意識していたようです。バルトは1980年に他界する直前、美しい文体でつづられた『明るい部屋』という写真論を執筆しています。今回上梓した拙著、『ロラン・バルトにとって写真とは何か』では、その晩年の写真論の意義を複数の視点から明らかにしようとしています。

 写真をひとつの表現形式として、あるいは、ひとつのメディウムとして捉えたときに、どのような特徴をそなえていると考えることができるでしょうか。まず写真による表現は、言語による表現とは明らかに異なります。たとえばレーモン・クノーが『文体練習』と題された著作のなかで試みたように、言語の場合ひとつの状況を99通りの文体で書き分けることだってできます。しかしこれとは対照的に、写真の場合には、その表現はそれが撮影された状況と分かちがたく結びついています。バルトは写真の本質を「それは=かつて=あった」という言辞でもって要約しましたが、写真に表象された被写体の姿とは、撮影の瞬間、カメラのレンズの前に実在したものでなくてはならないのです(つまり、その映像とは被写体の「過去の現実」の客観的な証明だといえるわけです)。そしてそのような観点から、バルトは「写真はそれを包んでいる透明な軽い外皮にすぎない」と語りました。たしかにわれわれは写真を眺めるとき、写真そのもの(の透明な被膜)をみるというよりは、写真にうつりこんだ人物や事物のカタチをみているのです。

 そのような写真観は、じつはバルトが『明るい部屋』を執筆した段階でとくに目新しいというわけではありませんでした(例えばアンドレ・バザンが1945年の論文「写真映像の存在論」のなかで提示している写真観は、バルトのそれと多くの認識を共有しながらも、それ以前に著されたものとして重要です)。では、この写真論の意義はどこにあるといえるのでしょうか。私見では、それはバルトによる写真というメディウムに関する思惟そのものにあるのではなく、そのメディウムに仮託して演出されたバルト思想の最終到達点にあると考えられるのです。

 『明るい部屋』という謎めいた著作は、写真のレクチュールを題材としながらも、言語活動の終極を語り、身体の情動的次元を語り、愛する人と自らの死をも語る複雑で重層的なテクストです。したがってそれを、映像論という狭隘な領野へと還元することは到底できない、と私は考えています。むしろ『明るい部屋』の意義は、バルトの思想全体に伏在する多元的な視座から内在的に分析される必要があり、拙著ではそれを4つの章――「第一章 バルトの映像論」「第二章 バルトの視覚関係論」「第三章 写真によって演出される『バルト』:その消失点への旅」「第四章 他者の眼差しへの遡行:『明るい部屋』における視覚モデル」――を経由することにより明らかにしようとしています。興味を持ってくださる方は、書店等で手にとっていただけると嬉しいです。

http://www.nishogakusha.jp/book/019.html

ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』 斎藤環(下) - たいせつな本 - BOOK - asahi.com朝日新聞社

 「読まれないために(!)」書かれたという『エクリ』に比べれば、語られた本書はずっとわかりやすい。私がもっともよく読み返すのは、「眼差(まなざ)し」について展開される、アクロバチックなまでに鮮やかな分析だ。

 ラカンはここで、昆虫などにみられる眼状斑の擬態、荘子の「胡蝶(こちょう)の夢」、ホルバインのだまし絵「使節たち」などを例にとりながら「眼と眼差しの分裂」を論じる。そこに去勢され、欠如を抱えた人間の主体を重ねようとする。

 このような知の形式は、ジジェクらによって一部受け継がれたものの、もはや主流になることはないだろう。しかしラカンが遺した言葉は、ソフトウエアとしての精神分析に、いまなお倫理的視座をもたらす。心をわかろうとするものは、まずラカンの「わからなさ」に打ちのめされておくべきなのだ。(精神科医)

http://book.asahi.com/mybook/TKY200806110186.html


◇ 建築が持つ同時不可視性の克服に向かって 86129 保田 千晶 東京大学大学院 建築学専攻 2009 年度 修士論文梗概集

http://katolab.net/theses/ma86129yasuda.pdf


メルロ=ポンティとラカン 小野康男

http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/8133/1/01ono.pdf


◇ 『クレーヴの奥方』 向き合うことと隣り合うこと : 『クレーヴの奥方』における切り返しの機能  御園生涼子 - boid.net

 しかし、視線を交えることによって、ほんとうに二人は「出会って」いると言えるのだろうか? 彼の視線の先にいるのが彼女だと確信できるだろうか。アップで切り取られた彼、もしくは彼女の顔は、その主観性が高まれば高まるほど、周囲の舞台装置からは切り離される。もはや二つのショットは、視線が作るイマジナリーラインによってしかつながれていない。しかし、これはいかにも弱々しい絆である。視線が対象を見ている、そのことによって対象を「捉えている」ということなど、不可能なのだから。ここでわたしたちは、ラカンの目と眼差しに関する有名なテーゼを思い出さなくてはならない。「最初から我われは、目と眼差しの弁証法にはいかなる一致もなく、本質的にルアーしかないということに気づいていました。愛において、私が眼差しを要求するとき本質的に満たされずつねに欠如しているもの、それは「あなたは決して私があなたを見るところに私を視ない」ということです注1。」

 眼差しには欲望が刻まれている。フロイトが『性に関する三つの論文』で示したように、そこには対象への愛、セクシュアルな欲望が含まれている。フロイトは子供の窃視症的行為を例に取りつつ、視覚快楽嗜好(スコポフォリア)がセクシュアリティ本能の一構成素を成すことを説明している。しかし、眼差しとはそもそも不均衡なものだ。私達は対象に眼差しを注ぐとき、対象からの見返しを期待する。メルロ=ポンティであればそこに、見ることによって対象を存在させ、また対象において見る主体が存在を定立するといった、知覚と存在をめぐる交叉関係を見出すだろう。しかし『精神分析の四基本概念』において、ラカンがメルロ=ポンティに言及しつつ提示するのは、これとは正反対の知覚モデルだ。すなわち眼差しの先にあるものは、対象の〈不在〉に他ならない、というテーゼである。

 「窃視症で起こっているのはどんなことでしょうか。窃視者の行為の際に主体はどこに、そして対象はどこにいるのでしょう。申し上げたとおり、見るということが問題になっているかぎり、というより欲動の水準において見るということが問題になっている限り、そこには主体はいないのです。(・・・)ここでは、視る欲動について語られるときにつきものの曖昧さがはっきりと捉えられます。眼差しこそ、あの失われた対象です。そしてこの失われた対象は、他者の導入によって、恥ずかしさによる動転という形で突然再発見されます。そこに至るまでの間、主体は何を見ようとしているのでしょうか。よくお聞きください、主体が見ようとしているのは不在としての対象です注2。」

 ここで言われている、「失われた対象としての眼差し」とは何を意味するのだろうか。ラカンのよれば、眼差しはそれ自身のなかに対象「a」を含み持っている注3。対象「a」とは、ラカンの定式において欠如の象徴を表す記号である。たとえば口唇期においてはそれは乳房となり、肛門期においては排泄の等価物となる。対象「a」は、欲望の中心にある欠如の代理作用をするが、その一方で欲望の対象が永遠に失われていること、その「不在」を常に指し示すのである。したがってラカンのいう「眼差し」と、身体的器官としての肉眼を同一視することはできない。ラカンは例として、動物における擬態、とりわけ昆虫などにみられる眼状斑を引き合いに出している。目の機能を思わせるこの模様は、しかしただのシミでしかない。それにも関わらず、このシミはそれを見る主体に「見られている」という感覚を呼び起こす。つまり、わたしたちは目の機能としての「知覚すること」ではなく、眼差しそのものを欲望し、また同時に掻き立てるのであるが、その交錯の基底には対象の不在が横たわっているのである。

http://boid.kir.jp/review/75.php


◇ アンドリュー・パーカー『眼の誕生』と対象aとしての眼差し - ish

http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/05/a.html


ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』(岩波書店) - 有沢翔治のlivedoorブログ

http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/50767690.html

What Is a Photograph? @ International Center of Photography

Organized by ICP Curator Carol Squiers, What Is a Photograph? explores the intense creative experimentation in photography that has occurred since the 1970s. Conceptual art introduced photography into contemporary art making, using the medium in ways that challenged it artistically, intellectually, and technically and broadened the notion of what a photograph could be in art. A new generation of artists began an equally rigorous but more aesthetically adventurous analysis, which probed photography itself―from the role of light, color, composition, to materiality and the subject. What Is a Photograph? brings together these artists, who reinvented photography.


Artists

Matthew Brandt

Marco Breuer

Liz Deschenes

Adam Fuss

Owen Kydd

Floris Neusüss

Marlo Pascual

Sigmar Polke

Eileen Quinlan

Jon Rafman

Gerhard Richter

Mariah Robertson

Alison Rossiter

Lucas Samaras

Travess Smalley

David Benjamin Sherry

Kate Steciw

Artie Vierkant

James Welling

Christopher Williams

Letha Wilson

http://www.icp.org/museum/exhibitions/what-is-a-photograph

V・P・G

◇ PHOTOGRAPHY 87 TAMPERE - Backlight | Photo Festival

The Tampere-born Metamorphosis of Documentary Photography


In June 1987 three photographers from Great Britain arrived in Tampere: Martin Parr, Paul Graham and Victor Burgin. New British photography filled the then Museum of Modern Art of Tampere with large photos that shone with colour and a critical attitude towards traditional documentary.


Victor Burgin, who was known as a photographer and a theoretician, surprised the audience of the opening lecture of the first international photographic event Photography 87 Tampere, by his conceptual and poster-like Office at Night -pictures and by his psychoanalysis-coloured pondering on the fundamental passion of photography: voyeurism. Merja Salo crystallised Burgin's thoughts in an interview in Valokuva (Finnish Photography) - magazine: "That which is not photographed is equally interesting as that which is photographed" (Salo, 1987).


f:id:n-291:20140421032912j:image

http://www.backlight.fi/archive/BL05/uk/87.htm







ウェブサイト更新

◇ 「photographs 59」

f:id:n-291:20140421034805j:image

http://www.nobuhiro-fukui.com/


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◇ in daylight >>> photographs 45 / 50

http://www.nobuhiro-fukui.com/thumb_45.html

http://www.nobuhiro-fukui.com/thumb_50.html


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◇ Researching Photography: record: RP 福居伸宏 (*Japanese text only)

(Part 1)http://researchingphotography.blogspot.jp/2011/07/rp-record-part-1.html

(Part 2)http://researchingphotography.blogspot.jp/2011/08/record-rp-part-2.html


◇ ウェブで閲覧可能なマテリアル(2014.04.05のトーク関連)

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20140407p2


◇ 福居伸宏 インタビュー 2010 | Tomio Koyama Gallery (*Japanese text only)

http://www.tomiokoyamagallery.com/interviews/nobuhiro-fukui-interview-2010/


◇ Nobuhiro Fukui interview 2008 | Tomio Koyama Gallery

http://www.tomiokoyamagallery.com/interviews_en/nobuhiro-fukui-interview-2008_en/

http://www.tomiokoyamagallery.com/index2/wp-content/themes/tkg2/archive_ex_site/exhibitions/p/KIYOSUMI/2008/0308NF/interview_e.html


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◇ Nobuhiro Fukui | Tomio Koyama Gallery

http://www.tomiokoyamagallery.com/artists_en/fukui-n_en/

http://www.tomiokoyamagallery.com/artists/fukui-n/


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f:id:n-291:20140421062858j:image

Nobuhiro Fukui "PERFECTLY INVISIBLE" (2014, dimensions variable)

http://j.mp/PERFECTLY





f:id:n-291:20140421063002j:image

Nobuhiro Fukui "WHITEWHITEWHITE" (2014, dimensions variable)

http://j.mp/WHITEffffff