Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

[資料 2016-11-19]深刻な「写真の記憶喪失」と“写真版ゾンビ・フォーマリズム(ゾンビ・コンセプチュアリズム)

◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2015年03月25日 - Twilog

再囀:ある光学的な配置を記録したものをどうマッピングして定着するかによって、さまざまな図像が立ち現れてくる。それが、ある人にとって、面白かったり面白くなかったりする。それは、ごくごく当たり前のことですね。http://j.mp/17B31sF

再度:[#291WS 第1期・最終回・補足]単にマッピングの問題です。例:“@nakajima_ramo: 蚊の目玉、クモの目玉などを考えると、彼らの頭の中では”http://j.mp/Hi3SQd ※あと、視覚ではありませんが、コウモリの脳内に何が現象しているかとか。

2005年あたりから話していることですが、「リモートセンシング」は私が写真を扱ううえでの基本方針のひとつです。[1行ネタ]日々是リモートセンシング http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071010

最近は後藤繁雄さんなんかも「センシング」をキーワードにしているそうなので、さてどういうことなのかな、また星野太さんなんかも関わっているのかな、港千尋さんの立ち位置と今後が密かに話題だけれど……ということで、今まさに東雲に向かっています。http://gptokyo.jp/archives/1964

東雲のhyper-materiality on photoは展示もきれいにまとまっていて、その点ついては良かったです(バジェットのない方の直貼り作品も、あまりみっともなくならないようにケアされていたように思います)。しかし、内容については個別にいろいろと考えることがありました。

↑についてはチェックすべきポイントがたくさんあったので、ワークショップ参加者・関係者の方や知人・友人などと再訪して、現地で展示を見ながらいろいろと議論するのもよいかもしれません。ライティングなのか印画紙のせいなのか、三田健志さんは疑存島で見たときの感覚がありませんでした。しかし、

あの登山の表象は、現在のある世代の作家たちが置かれている状況を表しているというふうにも恣意的には読めるのが個人的には面白いと思ったりもしました。滝沢広さんはあの手法の表裏でなるほどの展開。しかし、加納俊輔さんと同じ問題があると思っていて、加納さんは引き出しも多そうですし、意匠的な

バリエーションに陥ってしまったときに、また次の何かに移行できそうですが、滝沢さんはフェティッシュ由来(以前直接伺った話では)なので、どうなるのかが気になるところ(写真のリプリゼンテーションを批評的に扱うかに見える2D≒3D作品、騙し絵的作品が必ずケアしなければいけない点ということ

で、仮に加納さん的な作品を面白いと思って真似したいと考えたとしても、そこは熟考しないと、とワークショップでは必ず釘を刺す問題。マニエリスムに陥って終了のパターン)。小山泰介さんの作品はどこかで一度展示したのか、プリントが若干ヨレていたのが、もったいないと思いました。内容は意味で

読んでいった場合には個人的にはフィットします。山崎雄策さんの3点組は見る者が試されているという感じ。顔をレタッチして入れ替える作家だというのがわからないと、そもそも手がかりがないかもしれませんが、モノクロームとあの雰囲気に惹かれる人もいるかもしれません。グラスに入った液体がミルク

なのかどうかも、そもそもわからないということ。額=フレームを扱っているというのも、個人的には気になった点。長くなるのでとりあえず、このへんで(1980年代の作る写真のマニエリスティックな流行を知らない人には新鮮に見える展覧会なのかもしれません。ランカイティスとかも昔は日本で…)。

あと一つだけ。川島崇志さんと横田大輔さんは、展示位置のアタリをとったときのテープを剥がし忘れていました。エンピツ跡の消し忘れとか、けっこうやってしまいがちなミスなんですが、プロはきちんと見ているので要注意だと思いました。で、Liyu+Liuboの映像が個人的には今日の一番でした。

↑Liyu+Liuboの映像は完成度が高いということではなく、個人的にも気になっている問題がそこにあったので、かなり考えるべきヒントをいただけたという点で。

http://twilog.org/n291/date-150325/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2015年03月26日 - Twilog

昨日、目にしたものの多くはゾンビ・フォーマリズムの写真版だったのかどうか。Yossi Miloの最近の傾向も大丈夫?という話をしたりもしますが。。【Flipping and the Rise of Zombie Formalism】http://j.mp/1GYZPsB

“昨今隆盛の抽象画は、死してなお蘇る過去の遺物、いわば「ゾンビ・フォーマリズム」と揶揄されても不思議はない。隆盛の背景には、アートフェアやオークションが先導する市場価値優先の絵画制作への、消費者側(コレクターや画廊)の思惑もあるだろう”http://j.mp/1GZ0Elb

Art in America @ArtinAmerica
Forever young? new zombies? @MuseumModernArt's Laura Hoptman on "atemporal" painting: http://bit.ly/1vJ2C1f https://pic.twitter.com/SacubNeUnY

齋木克裕 @ka2saiki
Zombies on the Walls: Why Does So Much New Abstraction Look the Same? / Jerry Saltz http://j.mp/1i9b62g

昨日のスーザン・ランカイティス Susan Rankaitis https://twitter.com/n291/status/580662658564689920 の補足。http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%22Susan%20Rankaitis%22 http://j.mp/1GYUxgP 彼女に限らず、ベテランも若手も含め、こうした作家はたくさんいます。

もちろんいくらでもいるから「細かい勝負になる」ということです。Mariah Robertson http://twilog.org/n291/search?word=Mariah%20Robertson%20&ao=a Michael Flomen http://j.mp/19TLumX Ryan Foerster http://j.mp/19TLGCW

“写真のリプリゼンテーションを批評的に扱うかに見える2D≒3D作品、騙し絵的作品”https://twitter.com/n291/status/580659809856331776 https://twitter.com/n291/status/580660961146621952 の件、ワークショップでは個人講座のMさんが某コンペでグランプリを競っていたときのことを思い起こします。

展示前にいろいろ話をしたなかで浮上して来たのが、同じく最終選考に残っていた福田晋也さんの作品。http://j.mp/19TNtb5 Mel Bochnerのある試みなどもふまえているのかどうか?とか1960年代作家の話題なども出ましたが、展示さえきれいに決まっていれば、

審査の流れ次第では強敵かもという話の流れになりました(しかし、コンクリート・ブロックをやや安易に使うなど、インスタレーションの微妙さも影響してかそうはならず)。しかし、このときに話したのは、もっと重要なことで、こうした3次元を2次元化する写真のイリュージョンを批判的に扱った場合

(現在ウェブにアップされている作品は選びも変わって、18 / 19のテキストも適切なものにはなっていると思いますが)、写真を中心に作家活動を続けていったときに苦しい状況に置かれてしまうかもしれないということでした。「写真はイメージです」「写真は厚みを持たない影にすぎない」といった

ことは小学生でも理解していて、そのうえで写真を“社会的”に運用していますよね、みたいな言わずもがなの前提はさておき、それを批判するような作品を一度つくってしまうと、もし作家としての一貫性を貫くのであれば、今後、写真(平面)のリプリゼンテーションをノーマルに使うような試みはできなく

なってしまうのではないか?という。それは地味なことなのかもしれませんが、他のどのようなメディウムよりも短時間で精緻な似姿を得られるということ、これを利用できなくなってしまうと(ある時期、安易に流行に乗ってしまったがために)、実は結局のところ、写真でできることの幅を狭めてしまいます

阿部和重 中原昌也『シネマの記憶喪失』という本があるようです。その書名の意図とはズレてしまうのかもしれませんが、言い換えれば、昨今の“写真の記憶喪失”といった状況はかなり深刻なことのように思われます。もちろんそれもまた、相も変わらずの、「悪い場所」の変奏なのかもしれませんが。。

A:いやあ、写真を使って造形行為を行っているんです。B:えっ、それって世の中のモードが変わったら、たとえば京都系の総合的な美術教育を受けている人ならともかく、やり続けていくことのできる場所ってあるの?A:そのときはそのときのはやりに乗ります。B:なるほどねー。そうかー。うんうん。

http://twilog.org/n291/date-150326/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2015年03月29日 - Twilog

中森康文さん関連だと、WSでも何度か使ったこちらも。http://twilog.org/n291/search?word=Utopia%2FDystopia&ao=a しかし振り返って考えてみると2000年代の抽象写真の再考があり、その後のブームを経た、“写真版ゾンビ・フォーマリズム”って、一体いつまでやってるんだろう?という。これも応仁の乱問題?

http://twilog.org/n291/date-150329/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2015年04月05日 - Twilog

【「対話 菅木志雄+藁科英也」(1997)より】http://j.mp/19UypJd ※他方、東雲の写真版ゾンビ・フォーマリズム、ゾンビ・コンセプチュアリズムのことを反芻したりとか。http://j.mp/19UzlNM http://j.mp/19Uzf8T

http://twilog.org/n291/date-150405/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2015年04月14日 - Twilog

メイキング・フォトにもテイキング・フォトにも取り組むという話なら東松照明。しかし、内容のない、あるいは内容らしきものをどこかから借りてきたような前者になってしまうと意味がないわけで。しかし、方法から内容まで徹頭徹尾、借りものの表現も少なくなかったり、とか。。カルチャー系問題?

写真版ゾンビ・フォーマリズム的なものも猖獗を極めているようですが(日本でいえば宮城生まれの某氏などソースをすべて指摘可能)、やはり芸術の田舎問題(provincial unfine art problems?)。そういえばこんなことも。http://j.mp/1crdjEf

http://twilog.org/n291/date-150414/allasc