地震発生以降帰宅までの空白の27時間、小規模ながらも確かな被害を被った被害記録

多少なりとも落ち着いてきたので、当時の状況などを。
発生する瞬間まで何もないように通常通り仕事をしていて、
ずっとC言語中心にやってきたからJavaとかStrutsとかよくわからねぇと
色々と頭を悩ませていました。
そうしたところで揺れが始まり、最初は何てことのないものだと思い、
逆に揺れが変に動いて気持ちが悪いとか、楽しむくらいの余裕がありました。
が、間もなく揺れが大きくなり洒落になってない状態に。
よく避難訓練で机の下に〜なんてありますが、
本気で身の危険を感じて本能的に潜り込んだのははじめてでした。
当初、言われていた関東直下型がついに来たのかと思ってはいたのだけれど、
その後の情報を見てみると震源三陸沖。
すぐさまお台場で火事とか近場の話は出てきていた中、
飛び込んできた仙台周辺の惨状・・・
何か色んなものが抜けて行く感じがしましたね。
すぐさま電話を手に取り家に連絡を取る自分がいました。
何度か不通の状態だったものの、連絡が取れて何とか家は大丈夫だとのこと。
とりあえず帰る家がないとか、身内に直接的な被害があった等はありませんでした。
が、一方で自室は積んである本と言う本がことごとく倒壊して壊滅的とも。
この時はまだ帰った後のことを考える程度の余裕があり、
さて片付けどうしようかなと考える状況。
仕事自体は地震間もなく停電となって完全に業務ストップ。
ただその場に待機するしかないと言う、職場が一転して避難所に。
後に電車も全線ストップしていることが判明し、この時点で職場に宿泊決定。
夕方に10km圏内の人は宿泊許可が出て、
続々帰って行くのを指を咥えて見ていることしかできませんでした。


ただじっとして続報が入ることと、復旧することを待つしかできない避難状態。
現地でも軽く炊き出しで食事は出たものの、
ビルのエリア自体広域で階層も多く、結局配給されたのは22時過ぎ。
自分たちのいるグループ内では買出し部隊が酒込みで買ってきていたので、
比較的和やかなムードの中で避難していたと言えますか。
そんなわけで現地で夜を明かすために一時就寝。
尤も、コートを丸めた枕代わりと、同じく支給されたブランケットだけで、
固い床の上でまともに寝られるわけがなく、深夜3時くらいに目が覚めてしまい。
この時点で電気は復旧していたので、何とかネットで情報は仕入れられるようになり、
惨状を目の当たりにして再び何かが抜けてゆく感触。
そのまま待機を続け、私鉄は復旧したとの報もあって6時に帰宅許可が発令。
JRが動かないことにはどうしようもないので、
しばし待機して自分も7時半に現地を後にしました。


帰宅路には就いたものの、最寄のJRが既に止まっているため、
品川⇒東京⇒上野ルートは使えず、
一旦東横線で渋谷に出てから銀座線で上野に向かうルートに変更。
確かにそれなりに混雑はしていたものの、割と普通に動いているだけあって、
現地を出てから1時間半、特に混乱もなく上野に到着。
・・・が、ここからが問題だった。
まず改札からして入れない。
中央改札に入ろうとするには、一旦不忍口の地下鉄入口の最後尾に並ぶと言う・・・
まぁそれでも仕方なしに並びましたさ、3時間ほど並びましたさ。
全然動きゃしねぇ。
10分に2〜3歩とか、そもそも最後の1時間くらいは一歩も動かなかったので、
さすがに埒が明かないと諦めました。
この状況の中、完全に面白半分で写メとか撮ってる連中は死んでしまえとも思ったけど。
並んでいる間に、電池が少なくなってきていて電源切りつつ騙し騙し使ってた携帯もついに電池切れ。
で、ならばここから3時間も歩けば四つ木の親戚の家があるからと行こうとするも連絡取れず。
完全に手詰まりみたいだから現実逃避して秋葉原行くのも悪くないなとも。
そうしたら中央口じゃなくてパンダ像がある入谷口からは普通に入れるじゃないか。
今まで並んでた3時間は何だったんだ・・・
馬鹿正直に並んでた自分が馬鹿みたいじゃないか・・・
そんなわけで何とか電車に乗り込み上野を脱出したのが14時20分。
実に銀座線で到着してから約5時間半後のことでした。


15時くらいに取手まで到着し、半分ダメ元で家に連絡して親父殿が迎えに来てくれることに。
ここらでようやく帰れる目途が立って一安心ってところですか。
最悪2週間ほど前のように、4時間あまりをかけて歩くことも考えてましたからね。
臨時の代行バスとかも出てたけど、列の長さと道路の混雑具合的に完全にご察し状態。
仮に並んでたとしたらいつ帰れたんだろうか。
そもそも『臨時』としかなくて、どこまで行くかもわからない不透明な代物だったけど。
このあたりの連絡が行き届いてないとか、職員にキレてる人もいたなぁ。
キレるのもわかるし、そっちまで手が回る状態じゃない方もわかるんだけど不毛だった。
で、軽く飲んで落ち着いたところで車が渋滞してるようなので自分からも移動を開始。
無事にキリンの工場前あたりで迎えの車と合流。
そして何とか帰宅できたのが18時。
実に地震発生から27時間、現場のビルを出て帰路に就いてから10時間半後のことでした。


帰宅してみたらいきなり断水してるとかで、やはり間接的には被害を受けている様子。
とりあえず一日半ぶりくらいにまともな食事をし、
どうしようもない惨状となってしまっていた部屋の片付けに着手。

一体どこから手を付けたものかもわからず、あまりに酷くて泣けてきたわ。
この際だからと蔵書整理も兼ねてるけど、現時点でもまだ終わってません。
一応帰宅はできたものの、これから先は色々と不透明なところが多いです。
さしあたっては週明け出勤できるのかと。
今のところ日曜まで常磐線は取手以降が完全に止まっている現状。
少なくとも土浦まで復旧しないことには身動きが取れないので、
必然的に出勤することが不可能だったりします。
行けたところで今度は帰れる保障もないし。
出勤できない=秋葉原にも行けないだったりするので、
色々と困ることも多そうだわ。

今の現状です、被災地の皆様に笑顔を・・・

意外と後半はスポーツものらしい熱さもあったり。

本当にたくましいと思う。

買っていってもよかったんだけど、既に頭の中には帰ることしかなく。
と言うかQBの笑みが凶悪すぎる。

こういう連中って客足が減るくらいにしか考えてなさそう・・・

さすがに前日から職場宿泊してたので寄ってく余裕もありませんでした。

どこに行ってもこの状態は変わりないですね。
帰れるまでまともに食事できなくて困った。

こういうときじゃなくても拡散希望とかは見ててウザい。

露骨に神経逆撫でするのはいかがなもんかと思うけど、
いつまでもお通夜ムードでいるわけにもいかないから
通常運転に戻れるなら戻っておくに越したことはないかと。

これから始まるであろう物価上昇も怖い。

確かに可愛い。

たまにキレて怒声を挙げるのがいても基本モラルは守ってますよね。

さすがにこれは悲惨すぎて泣けてくる。

まだ何かあるやもわからない・・・

世界中からの支援が来てるのはこういった実績があったからこそですね。

3時間停電と言うよりも、21時間通電って考えた方がいいかも。