n-kasumiの日記

2018-08-13

[] 22:32

 おせち料理のこと、以前に少しは書いたことあっただろうか。私はおせち料理が割と好きだ。幼い頃は苦手だった。全部甘辛く感じてしかも濃い味付けなのですぐに飽きてしまう。学生の頃もそんなに食べる物がないのに、親せきや皆がいるから座っていなくちゃいけなくて、話にも加われずに何となく手持無沙汰な思いをするし、すごく苦手な場であった。でも大人になってからおせち料理が好きになった。今はむしろ食べ過ぎて困るくらい。

 結婚して初めてのお正月、私たちはアメリカにいたので、目いっぱいおせち料理を楽しむムードではなかった。まず材料が思ったように揃わない。車で30分ほどの所に日系スーパーがあったけど、とても高くてあれもこれもとは作れない。少しだけ買ったのだが、そこで自分の好みを知る。だて巻きと黒豆が外せなかった。その時にどうしたかあまり覚えていないのだが、その時かその次だかのお正月で、私はだて巻きと黒豆を作った。おせち料理の雑誌を買って、鶏肉でいんげんやにんじんを巻いた鶏肉のいこみだの、なますだのも作った。割と思い通りにいった。手作りのだて巻きなんて、めちゃめちゃ美味しかった。でも手間が相当なもので、もう疲れるから作らない。と思った。

 そんな中、好きな栗きんとんを作った時のことだ。

 その時は、初めてだったか二回目だったか。

 料理は初めてでもそんなに失敗しない方で、そりゃ失敗することもあるから100%うまくいくわけではないのだが、ほぼ成功する。成功というのは、おそらく雑誌や本や今ではネットに書いてあるようにできるというわけで、出来上がってからの味の好みはまた別の話。それで栗きんとんにも挑戦した。

 夫の上司にあたる人の家で、お正月パーティーをすることがあった時。既婚者、未婚者、夫婦連れ、子供連れなど大勢が集まるとのこと。お正月に何を手土産に持っていけば良いのかわからず、当時はまだ結婚したてだし若造だしアメリカの習慣も残っていたしで、何か手作りの物を二品くらい、と思い込んだんですね。私はもはやもう一つの品を何か忘れてしまったくらい、哀しい栗きんとんを作ったのだ。そう、二つの料理を大量に作り、持って行ったのだが、栗きんとんが黄色というか金色にならなかったのだ。何に失敗したかも思い出せない。ただ大量に作ったし、味は美味しいし、乗りかかった舟でタッパーに詰めて持っていった。そこの奥様は満面の笑みで感じ良く、「あらまあ出しましょうね!」と喜んで下さったが、作った時よりそれは色が悪くなっていた。味は美味しいはずなのだけど。

 そして皆の前に出した時、それはさらに色の濃さを増し、なんだか緑色に近い茶色になっていた。なかなかの衝撃カラーだ。もうこれが栗きんとんなのかどうかすらわからない。量は充分にあり、近くにいて話題に上った人たちは食べてくれたけど、知らなかった人たちはその色に、なんとなく手をつける気がしなかったようである。何で無理して手作りの品を持っていったのか私! おやつ的なものを買って行けば良かったではないか。

 後にも先にも、あんな色の栗きんとんを作ったことは一度しかなく、もうこれも「わーーーーーー!!」と叫んで頭を抱えたい思い出の一つである。

2018-08-12

[] 21:39

 夫は「ガーディアンズは2で終わったんだと思うことにしようかな」と言う。「2」は素晴らしい出来栄えだったと思うので、私も「2」で終わったと納得しようと思った。そして、次回(来年)のアベンジャーズ4で、ガーディアンズのメンバーと一旦お別れしよう。もし再来年、ジェームズガン監督ではないガーディアンズ3を観に行くことになれば、別の映画を観に行く感覚で観よう。それでもジェームズガンならこうは撮らなかっただろうとか、いやテイストが似ているとかいちいち思うかと思うと、全然集中できない。もっと笑えたかなとか音楽のセンスはどうだろうとか考えてしまうだろう。出演者らも色々な気持ちを乗り越えて頑張っていると思うと、胸が締め付けられる思いがするだろう。弟のショーンガンは「ガーディアンズオブギャラクシーは、僕たちを成長させてくれた映画だ。誰が監督になっても観に行ってほしい」といった内容のことを書いていて、その時になったら決めれば良いと思うようになっていたが、俳優陣の一人が、監督や脚本がジェームズガンでなければ出演を取りやめさせてほしいと訴えていて、気持ちが揺れる。

 とにかく私は週明けを境に日常を取り戻した。取り戻さないと日常が過ごせない。家事をいつも通りやりましょう。忙しさや体の弱さに振り回される日常に忙殺されましょう。仕方がない。何かの感覚に似ていると思ったら、失恋であった。友人には「ジェームズガンの撮ったガーディアンズに恋していたんですね」と言われた。そうなのかもなあ。だけど、今の私には家族がいる。夫と息子と、そうやって映画のことで支えてくれる友人もいる。気持ちを共有できるツイッター仲間もいる。ただ読んでいるだけでも、若い人たちがこの理不尽な決定に怒り、悲しみ、こらえて、冷静なコメントを書き、日常をやり過ごしているのがわかり、もっと大人の私はしっかりしなくちゃと思う。基本的には日常を過ごしつつ、時々悲しんだり怒ったりを表現している彼ら彼女らの態度は、本当に励まされる。

 一番気持ちに区切りがついた最初のきっかけは、ガーディアンズオブギャラクシーの主要俳優陣9人が、共同で声明文を出したことだった。30万人以上の署名に感謝し、皆に向けてのものだった。ジェームズガンの過去の発言を擁護するつもりはないが、その後の彼の態度や仕事ぶりが素晴らしいものであることや、決して自分たちの気持ちは変わらないこと、今後もこのようなことは起きるかもしれないことなどを自分たちの言葉で心のこもった長文を書いていた。9人のサインは本当に胸がいっぱいになった。皆の思いを感じ、ファンの皆ができることはした。感情もある程度出し切った。もうできることはない。

 ジェームズガン監督のことは、今後、他の映画を撮ることだろう。もちろん観に行きたい。ただガーディアンズ3に関しては、アベンジャーズとのつじつまもある。どうするのだろうか。

 近いうちに、マーベル作品の一つ「アントマン&ワスプ」が上映される。来年には「キャプテンマーベル」「アベンジャーズ4」が待ち受けている。今は楽しみなことも心にあるから、それも励みにしようと思う。そして今後のマーベルの様子を見守っていこう。どうかいつまでも私たちを純粋に楽しませてくれますように。監督や俳優たちも政治に翻弄されませんように。それは「映画」というもの全体に関して言えることだ。

2018-08-11

[] 16:03

 当日も、翌日も、ショックが強過ぎて、喜怒哀楽の「哀」がすっぽり抜け落ちた。なるべくその感情を刺激しないようにした。クビだという情報に怒ったり、落語を観に行ってとても楽しく笑えて気が晴れたりはした。でも悲しいとかそういった感情をなるべく動かさないように気を付けていた。怒りや悲しみの感情が過ぎると、それを抑え込もうとするのは、人の心理として当然であり仕方のないことである。

 でも2日後、いよいよこのままだと日常生活を取り戻せないと思い、勇気を出して、ジェームズガン監督をがっつり思い起こさせるガーディアンズ2のサントラを聴いてみることにした。ヨンドゥを思い出させるグッとくる歌詞であることは、一度映画を観終わったらよくわかる。その曲がかかるシーンは、可愛いグルートが本当に楽しそうに踊っているのだが、このグルートが踊っているモーションキャプチャーを、ガン監督が自らしている。映画の一番最初ではないが、オープニングシーンであることは間違いなく、こんなにも素敵なオープニングシーンは、後にも先にもなかなかない。そんなわけで、この曲を聴くと、もれなくヨンドゥと他の出演者、グルートの踊りとジェームズガン監督が踊っているシーンが思い浮かぶ。この曲を聴いても平気でいられるわけがないと思っていたが、大好きな曲だから聴きたいと思った。

 やはり感情が噴出し、マーベル作品のことを知っている友人の一人に、思いの丈をメールで書いた。でもそうすることでやっと落ち着いてきた。自分の感情を文字として表現できた。こんなにも私は、アベンジャーズたちの活躍を楽しみにしており、ガーディアンズ3を楽しみにしていたのかと自分で驚いた。ガーディアンズ3は、アベンジャーズ4の後であり、どの程度登場人物が残っているかわからない。しかも2がとても良かっただけに、3は難しいだろうと思っていたし、ジェームズガン監督自身、3で、ガーディアンズは一段落すると公言していた。とにかく脚本は出来上がり、秋には撮影に入るところだった。

 今年、47歳になる私は、正直、ここまでもワクワクすることがまだあるのかと驚いていた。マーベル作品は、私を年甲斐もなく子供のように純粋にただただワクワクさせ、日常に張りをもたらしていた。どのくらい楽しく感じていたかは、これもまた「アベンジャーズ インフィニティーウォー」の感想で長々と書いている。今の楽しみ、これからの楽しみの一つを、突然奪われてしまったような気分だ。しかもいきさつが納得いかない。

 今は再雇用のための署名運動が始まっていて、世界から37万人の人が参加している。ディズニーが再雇用したところで、ジェームズガンは、自分の思うような映画を撮れるのか、甚だ疑問である。再雇用に関しては、私は希望をもっていないし、再雇用されたところで、彼が本当に自分の好きなように自由に映画が撮れるのだろうかと疑問だ。しかし、ディズニーのその姿勢が残念であるという意識はある。残念過ぎる。まだどうなるか、どうやら希望はないようだが、最終決定はなされていない。マーベル側は相当怒っているらしく、又、他の会社が彼を採りたいと争っている噂もある。ディズニーのトップは、ジェームズガンの価値を低く見積もり過ぎていることをもっと自覚するべきだ。

2018-08-10

[] 22:08

 ジェームズガンをクビに仕向けたのは、トランプに傾倒している人だった。

 ジェームズガンは、反トランプの考えが強くて、ツイッターでも口悪く書いていたらしい。だけど。監督陣はもちろん、俳優たちでも反トランプは少なくないし、おおっぴらに批判している。そんなに問題のあることなのか。表現者として認められている彼が、どのように発言しようとも自由である。気に入らなければ読まないようにすれば良い。ああいう人たちの理解できないところは、気に入らない人のことにとても詳しいというところだ。その執着心を手放せよ!と私は常々思う。自分も嫌いな人のことを執着してしまって、よく考えてしまうので「それを好きな人のことを考える時間にあてようよ」と言い聞かせている。もちろん時々思い出してムムっとなることは少なくない。しかし、その人のことを物理的に遠ざける知恵くらいは持っている。恐らく彼らはそうすることによって相手が自分の視界から消えてほしく、さらに不幸になってほしいのかなとは想像はしてみる。自分が離れれば良いだけなのに。そうやって彼はジェームズガンのそういった発言に腹を立てて執着し、10年ほど前のツイートを持ち出してきた。ディズニー、お前はこんなことを言うヤツを監督として認めているのか?と。そしてディズニー側が半日くらいで「You’re fired!」となった流れです。

 どうですか。

 いや、どうもこうもない。

 いきさつを知ったところで、全然納得できない。

 10年も前のツイートである。ディズニー側はそのような内容のことを書いていたのを知っていたはずだ。でないと、当時の彼が具体的にどのツイートと示さなくとも公に言葉にして謝罪し、反省しているという内容の意味がわからないではないか。その上で、ガーディアンズ1、2と撮らせた。ガーディアンズは、マーベル作品の中でもマイナーなものだったが、ヒットによって世に出てきた。世に出たのはガーディアンズの作品だけでなく、俳優陣たちもそうだ。彼らがスターになり、人気を得たのはガーディアンズあってのことである。当人たちも自覚している。今さらむし返してきた人がいたところで、ディズニー側が「あれはひどかった。随分前のことだから、その後の彼を観察していると、心を改めているようではないか。もう一度彼に確認してみよう。そして彼の作品やその後の言動を注意深く見ていこう」で良いではないか。怖いのは、政治的な思惑が降りかかってきたとたん、思考停止のように「ハイ、クビ」とすぐに至ったことだ。

 映画というものは、そもそもあらゆることを批判するためにも存在する。それが強烈だったり好みじゃなかったり、色々だろう。それは観る側が判断するものだ。だから作る側も自由だし、観る側も自由であって然るべきだ。瞬時に、そのどうにもならない政治的なものとディズニーのトップたちの無神経さ、考えなさを感じた私は、救いがないのかとツイッターとにらめっこの時間が始まってしまった。

 ツイッター上では、やはり政治と絡めたことやディズニー側の判断の安易さを口々に語っていた。中には違う意見もあったが、「今さらなんだ」という気持ちを、おおかた冷静で客観的に書いているものが多かった。

2018-08-09

[] 22:33

 「ガーディアンズオブギャラクシー」を撮ったジェームズガン監督がディズニー側にクビを言い渡されたというニュースを、7月21日に知った。

 その日は息子の授業があり、土曜だったけど早起きして送り出した後、一段落した私はスマートフォンツイッターをのぞいた。アベンジャーズの公式ツイッターを登録していて、最近は「アントマン&ワスプ」の情報がちょこちょこ入ってくるので、楽しみにしているのだ。でもあまりスマートフォンにのめり込み過ぎないようにしたいため、ツイッタートレンドに関しては、サッと流す程度にしていた。ところがその時は「ジェームズガン監督」という文字が目に入ったので、クリックした。

 そこで「クビ」を知った。

 彼が監督として表に出てきたのは、「ガーディアンズオブギャラクシー」がヒットしたことによる。その前の彼は、色々映画を撮ってはいたものの、本人の心はとんがってクサっていたそうだ。ツイッターで、小児性愛レイプに関する悪質なジョークをツイッターに載せていた。本気ではないにしても、かなり不愉快な発言と内容だ。彼にもそんな時期はあったのかと驚く。しかし彼は、ガーディアンズオブギャラクシー(以下「ガーディアンズ」に略します)を撮る頃に、それに関しての謝罪を行っている。同じくガーディアンズの登場人物となっている弟のショーンガンは、「彼の問題だった悪い部分がどんどん良くなっていく様子を目の当たりにした」というような内容を後に書いている。一度謝罪して反省したところで本当に良くなるの? と疑わしく思うところを、彼はガーディアンズのスタッフや、その映画の内容や出来栄え、さらにはインタビューでの態度、様子、来日した時の言動諸々によって、その反省がホンモノであることを証明したと言えよう。

 ちょっと問題になるところがあると振り返るならば、普段から彼が少々乱暴ツイートをするところだった。人によっては引っかかるかもしれない。そのために目をつけられたこともあるだろう。同じ批判でも、少々乱暴であるなら、そちらの方が気になる人がいなくはないのも確かだ。

 ただ。私なら表現の一つ程度にしか思わない。そういう言い方を気に入らないのなら、読まなければ良い。と思うのが私の考え方である。私自身、どんなに気に入っている有名人でも、ツイートの発言に何かしら引っかかるものがあれば、すぐフォローするのをやめる。心が乱されるのがいやだからだ。ストレスなんて、日常生活で降りかかってくるものだから、ツイッターなどでイライラしたりイヤな思いを少しでもするのはとても無駄な労力だという気がしている。だから、些細なことでもフォローは外す。でもその人のことを嫌いになったわけではない。私が気になり過ぎるというだけで、それは気になる私の問題(良い意味でも悪い意味でも単に「問題」)であることを私は認識している。