夫の本や漫画がどっさりある本棚の中からふと目についた「うちの火星人」(平岡禎之著 光文社)。帯に「発達障害」との文字がある。だいたい内容が想像できたが、何となく手に取ってみた。
 やっぱり家族に発達障害の人がいて、そのことをエッセーとしてまとめている。わかってるわかってる、知ってる知ってると思いつつ、止まらなくなった。
 作者はここの家族のお父さん。面白いのは、奥さんも四人の子供たちも皆、発達障害として、日常生活に苦しんでいるということである。苦しんでいることが面白いのではなくて。家族みんなが発達障害だということだ。
 と言っても、いわゆる「グレーゾーン」てやつで、学校でも普通学級で何とかやっていける程度。でも子供たちによっては濃淡あり、又、それぞれに症状が違って、ただの個性じゃないかと言われればそんな気もしてくる。ただ問題は、彼ら彼女らが生きづらさを抱えていることなのだ。集団生活で暮らしにくいと感じていたら、それは問題となってくる。
 そうやって周りを見れば、私の祖父母や親や兄弟や親戚、夫や息子、みんな色々抱えているもので、もちろん濃淡あるし、どこが強く出るかによって、それが個性となってくる。どこが強く出るかというのは意外と厄介で、几帳面で生真面目な部分が強く出ている人にとって、忘れやすく片づけられない部分が強く出ている人は、ただのだらしのない人と見えてしまう。
 グレーなんかじゃなく、真っ白な人がいるのかと言えば、多分ほとんどいないと思うのだと思うが、限りなく淡い人は割とたくさんいる。私の印象では、何かに強く秀でた人ほど、日常生活で何かしら苦労するところはあるといったところだ。
 今までたくさんの似た類の本を読んできてわかっているはずなのに、何故今回この本のことをわざわざ取り上げたのかと言えば、今回の本で改めて「私も結構グレーなのだ」と気づいたからである。
 前からその要素は感じていた。ほとんど黒に近い親戚と幼い頃の私が似ていると言われたこともあって、多分そういう傾向はあるのだろうと思っていた。でも私はそういう面に関して生きづらさを感じていなかったのだ。多分、帰国子女のせいもあったと思う。帰国子女であるから自分がこうなのだと思ったり、帰国子女であることの苦しみに紛れたりして、幸か不幸かわからなかったのだろう。あと両親ものんびり屋なので、私のそういう部分をまったく責めずにいてくれた。これは大きかった。私は自分で「大丈夫」と思い込んでいたのだ。ただ「大丈夫」と思っていたけど「何でこんなことができないのかな」という思いは自分の中でよく葛藤としてあったことを覚えている。