京都アニメーションとニコニコ動画とパロディと.

らき☆すたニコニコ動画の関係性.京都アニメーションニコニコ動画をどうみているのか?そんなことについて今回は考えてゆこうと思う.


っと云うのも,遅ればせながら,http://d.hatena.ne.jp/luxaky/20070723/p1の記事を読んでいろいろと思うところがあったからである.この記事で私が注目したいのは

これで確信しました。
らき☆すた』の2クール目の暴走はニコニコ動画とMADへのあてつけです。
(中略)
そして、その状況に加えて、今回のハルヒ達の登場。

これはオフィシャルによるMADです。既にMADと完成されている形なので、MADを作る人たちは手も足も出ません。
(中略)
つまり、今回の『らき☆すた』の暴走は、痛い上にあからさまな素材提供によって観た者を萎えさせ、そこにトドメの一撃となる完成されたMADを見せることで、MAD製作の意欲を失わせる効果があったのだと思います。

といった見解についてである.
確かに私も,id:luxaky氏やらき☆すた13話はむしろ誠実である - 最果て系×××れたセカイの記事で感じてらっしゃるように,京都アニメーションらき☆すたの中にニコニコ動画を意識しているであろうMAD的なるものを持ち込んでいるようには感じるが,それを,これだけネガティブに受け取るのはちょっと解らない.
白石稔の歌”に関しては,スベッた感じがするけれど,16話でのハルヒキョン長門の登場まで悲観する必要があるのだろうか?(「面白くなかった」という感想は十分に理解できるのだが)


少なくとも,MAD製作者たちは悲観する必要はないだろう.むしろ喜ぶべき状況になったと考えるべきだ.
何故なら,MAD製作者たちやニコニコ動画の住民たちが洗練させてきた手法やネタ,アイディアが本編に影響を及ぼすほどの力を持ったとみることができるからだ.


今回話題になっているMAD的なるもののアイディアやギャグのレベルは,ニコニコ動画のMAD製作者たちと同程度でしかない*1.”白石稔の歌”や実写エンディングも,ハルヒのエンディングを本当に踊ってしまった中学生*2とアイディアとしては変わらないし,こなたにハルヒの格好をさせるアイディアも,こなたに水銀灯の格好をさせたあのMAD*3と発想は同じだし,らき☆すた本編にキョン長門をそのまま登場させたのも,MADでよく使われるカットバックで別のアニメ同士をつなぎ合わせる手法が使われたと思って間違いではないからだ.*4


京都アニメーションは,らき☆すた2クール目で,(プロとして)新しいアイディアを作り出したりしたわけではなく,(これらの手法がニコニコ動画によって生み出されたアイディア・手法であるとは云わないが)ニコニコ動画によって洗練されてきたネタであり,人気のある手法を踏襲し,より完成した形で発表したに過ぎない.
つまり,ニコニコ動画のMAD製作者たちが,いいアイディア・手法・ギャグを見つけて(発明して・発見して),らき☆すたをより面白くすることができて,人気が出るようなことがあれば,また京都アニメーションが踏襲してくれるかもしれない…そういった期待を持つことができる事件だったと思う.


また,この理解はニコニコ動画で行われているオープンソース現象 組曲『ニコニコ動画』 - WebLab.otaなんかとも繋がる話になり,ニコニコ動画で行われているオープンソース現象を見守って行きたいと思っている人間にとっては非常に興味深い.
らき☆すた本編が放送されることにより,ニコニコ動画中の知的リソースが自発的に結びつき,「如何に面白くMADにするか?」といった試行錯誤を重ね,そうやって生まれた無数のアイディアの中から,Web2.0的な抽出方法によって抽出されたアイディアを,らき☆すた本編が使用したと…そういった理解もできるからである.
ニコニコ動画の中だけで閉じているオープンソース的な概念を取り入れた創作活動(組曲『ニコニコ動画』)ではなく,企業(京都アニメーション)も巻き込んだ形の創作活動の一例として挙げることができるのではなかろうか?そんなことを考えている.



参考
二次元空間(旧) らき☆すた 第16話 「リング」