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2007-08-05

京都アニメーションとニコニコ動画とパロディと.

| 14:58 | 京都アニメーションとニコニコ動画とパロディと.を含むブックマーク 京都アニメーションとニコニコ動画とパロディと.のブックマークコメント

らき☆すたニコニコ動画の関係性.京都アニメーションニコニコ動画をどうみているのか?そんなことについて今回は考えてゆこうと思う.


っと云うのも,遅ればせながら,どらみそら。の記事を読んでいろいろと思うところがあったからである.この記事で私が注目したいのは

これで確信しました。

らき☆すた』の2クール目の暴走はニコニコ動画とMADへのあてつけです。

(中略)

そして、その状況に加えて、今回のハルヒ達の登場。

これはオフィシャルによるMADです。既にMADと完成されている形なので、MADを作る人たちは手も足も出ません。

(中略)

つまり、今回の『らき☆すた』の暴走は、痛い上にあからさまな素材提供によって観た者を萎えさせ、そこにトドメの一撃となる完成されたMADを見せることで、MAD製作の意欲を失わせる効果があったのだと思います。

といった見解についてである.

確かに私も,id:luxaky氏やらき☆すた13話はむしろ誠実である - 最果て系×××れたセカイの記事で感じてらっしゃるように,京都アニメーションらき☆すたの中にニコニコ動画を意識しているであろうMAD的なるものを持ち込んでいるようには感じるが,それを,これだけネガティブに受け取るのはちょっと解らない.

白石稔の歌”に関しては,スベッた感じがするけれど,16話でのハルヒキョン長門の登場まで悲観する必要があるのだろうか?(「面白くなかった」という感想は十分に理解できるのだが)


少なくとも,MAD製作者たちは悲観する必要はないだろう.むしろ喜ぶべき状況になったと考えるべきだ.

何故なら,MAD製作者たちやニコニコ動画の住民たちが洗練させてきた手法やネタアイディアが本編に影響を及ぼすほどの力を持ったとみることができるからだ.


今回話題になっているMAD的なるもののアイディアギャグのレベルは,ニコニコ動画MAD製作者たちと同程度でしかない*1.”白石稔の歌”や実写エンディングも,ハルヒエンディングを本当に踊ってしまった中学生*2アイディアとしては変わらないし,こなたにハルヒの格好をさせるアイディアも,こなたに水銀灯の格好をさせたあのMAD*3と発想は同じだし,らき☆すた本編にキョン長門をそのまま登場させたのも,MADでよく使われるカットバックで別のアニメ同士をつなぎ合わせる手法が使われたと思って間違いではないからだ.*4


京都アニメーションは,らき☆すたクール目で,(プロとして)新しいアイディアを作り出したりしたわけではなく,(これらの手法がニコニコ動画によって生み出されたアイディア・手法であるとは云わないが)ニコニコ動画によって洗練されてきたネタであり,人気のある手法を踏襲し,より完成した形で発表したに過ぎない.

つまり,ニコニコ動画MAD製作者たちが,いいアイディア・手法・ギャグを見つけて(発明して・発見して),らき☆すたをより面白くすることができて,人気が出るようなことがあれば,また京都アニメーションが踏襲してくれるかもしれない…そういった期待を持つことができる事件だったと思う.


また,この理解はニコニコ動画で行われているオープンソース現象 組曲『ニコニコ動画』 - WebLab.otaなんかとも繋がる話になり,ニコニコ動画で行われているオープンソース現象を見守って行きたいと思っている人間にとっては非常に興味深い.

らき☆すた本編が放送されることにより,ニコニコ動画中の知的リソースが自発的に結びつき,「如何に面白くMADにするか?」といった試行錯誤を重ね,そうやって生まれた無数のアイディアの中から,Web2.0的な抽出方法によって抽出されたアイディアを,らき☆すた本編が使用したと…そういった理解もできるからである.

ニコニコ動画の中だけで閉じているオープンソース的な概念を取り入れた創作活動(組曲ニコニコ動画』)ではなく,企業京都アニメーション)も巻き込んだ形の創作活動の一例として挙げることができるのではなかろうか?そんなことを考えている.


参考

二次元空間(旧) らき☆すた 第16話 「リング」

SuzuTamakiSuzuTamaki 2007/08/05 18:07 ニコニコ・クリエーターズと常に同じ視点に立っているんだと捉えると、京都アニメーターズの姿勢は実に対等で親しみやすいものですよね。
もはや単体の作品としての面白さでは決してない。
いわばコンテンツ志向メディアじゃなくてってことで。
あとはそれを楽しんだもの勝ちかな。一方的に与えられたものをMADとして改変するか、あるいは組曲みたいな形で一緒にクリエイトしていくか。

ひふみーひふみー 2007/08/06 13:14 >コンテンツ志向メディアじゃなくてってことで

自分もUuzuTamakiさんのこの意見に同意です。
ユーザ参加(巻き込み?)型、“お祭”型作品というスタイルは「ハルヒ」の段階で
既に試されていた手法ですし、
元より原作の「らき☆すた」という“オタク系雑誌数誌にまたがって掲載された”ユーザ共感型
4コママンガ自体が、元々「濃いオタク少女とそれを取り巻く人たちの日常」を描くという意味で
そういった手法との親和性の高い作品でもあるのではないでしょうか。

自分にとって「らき☆すた」は、一種の「現代的オタク(とそうでない人達)ライフ」という
状況そのもの全体を、“2+3次元的に”まとめて表現した、一種の「場」のように捉えています。
だから、コンプ祭があったりアニメイトへ行くと(2次元における公式宣伝キャラである)
アニメ店長がいたり、好きな作品のコスプレをしたりMADを作ったり、あまつさえ人間が
踊ってしまったりするのも全然アリ・・・・というか。その辺はスタッフも一緒になって
「らき☆すた」というアニメ企画“で”遊んでしまってるように思います。
そんな“遊び”に一緒になって“乗って”楽しむか、逆に白けてしまって萎えるか。
こういう方向性を親身に感じられて好感を持つか、はたまた「作品性をないがしろにしている」と
腹を立てるかは人によってそれぞれでしょうが・・・・
(評論行為を好むような熱心なアニメファンほど、後者である割合は高くなるような気もします)

n_euler666n_euler666 2007/08/07 13:39 >SuzuTamaki氏『京都アニメーターズの姿勢は実に対等で親しみやすいものですよね。』
>ひふみー 氏
以前私は京都アニメーションはAIRなどを作っていたころはアマチュアの心を持っていたが,ハルヒ・らき☆すたではプロになってしまったと思っていたのだけれど,こう考えると,京アニは今でも十分アマチュアの心というかそういったものを忘れてない.
「らき☆すた(京アニ)は同世代に受けている」といった意見も多く見られるのも,ファンと同じレベルで一緒に遊んでいる感じがするからなんだろうな〜そんなことを考えています.

『(評論行為を好むような熱心なアニメファンほど、後者である割合は高くなるような気もします)』
私は完全に評論好きですけれど,あまり「作品性が〜」とか言わないですね.らき☆すたみたいな作品には怒りを感じるタイプの人間だけれど…



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