断片_20130319

久々の更新。

一年まえが、とても昔に感じるのは、なぜなのかな。

いろいろなことがあるけど、一つ一つを学びにしていかなければ。
ってか、それはものは考えよう、ということにすぎない、処世術にすぎない、
とは思うけど。

真実はひとつなんだろうか、
それとも、考えようによって真実は変わるのか。
私は、頑固に頑迷に、前者の考えにとりつかれてるけど、
でもそういう考えは、しんどいものかもしれない。
もっと自由になりたい。

そう、もっと自由気ままになりたいな。

そう書くと、真面目人間のようだけれど、
自分のわからないところで、不真面目なところもあるんだろうな。
人からはそういうのが見えるだろう。

【小説】あかるいみらい(5)「手紙が届く」

「手紙が届く」
母親と下馬へ出かけてから、二週間ほど経った。桜が咲き始めていた。ある日、アパートへ帰ってきてポストを開けると、桜の花びらが一枚落ちた。そして、手紙が一通届いていた。封筒の裏には、下馬の住所と、長谷川亜紀、という名前が記されてある。実の父親の姉にあたる人からだった。母親と下馬の家の前にいたときに、聴こえてきた三味線を弾いていた人だ。
未来の祖父にあたる人が、一ヶ月ほど前に亡くなったので、相続の件もあり、一度会いたい、という内容だった。
不思議だと思った。一ヶ月前といえば、未来が父親について知りたい、と思い始めた頃だった。そのころに、その父親の父親、未来には祖父にあたる人が丁度、亡くなっていた。そして、叔母にあたる人は、未来が生まれた家を探していた頃に、未来の行方を知ろうとしていたのだった。先日、未来の母方の祖母に、未来の住所を聞いた、とのことだった。
未来はアパートの窓を開けた。千葉の、松戸の先の郊外にある馬橋という土地に未来は住んでいる。空気はまだひんやりとしていたが、どことなく春のなまあたたかさを含む薄闇が広がっていた。三階の窓からは、低い家並みと、葱畑が広がり、その向こうには、森が横たわっている。その森は、もともと産廃処理場を埋め立てて作った森だった。だが、産廃処理場が出来る前は、やはり深い大きな森が、そこには広がっていたとのことだった。
薄闇の中に、その森が黒々と広がっているのを、未来は見つめていた。

『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)

海炭市叙景』という映画をDVDで観た。海炭市という架空の都市を舞台に、何組かの家族の風景が描かれる。すべて、救いがない。寒い地方の冬のように、凍えるような風景ばかりだ。夢とか希望がいっさいない。でも、そこにはひとつの美しさがあると思った。
この映画は、佐藤泰志という作家の小説が原作になっている。この作家は、若くして自殺している。たしかに、見ているのがこんな世界だとしたら、死ぬのかもしれない、と思う。
ただ、私は原作を読んでいない。そして、ある映画監督が、その人の作品を映画にした。それを私が偶然みた。そしてその暗い風景の中に、ある意味の美しさを感じた。
作家でも画家でも、表現する人は、自分の世界観を、人と共有したい、共感したい、という欲望があるのだとしたら、この作品は、それに成功したんじゃないのか。と思った。
実際のところは、作家が映画をみたら、こんなの自分の世界じゃない、と思うかもしれないけども。
映画 「海炭市叙景」 公式サイト

希望が何もないと言ったけど、もしも、猫が子供を生むことや、星を見る事や、苦しみから解放される死が、何の比喩でもなく含みでもなく、ただそれだけのこと、それが希望であるのだとしたら、希望がない映画とは言えないけれども。