七草粥と不老不死

 そも七草粥とは御伽草子によると老いた両親を救いたいというおっさん=大しん(両親が100を越しているのでオッサン所ではない?)が修行の末帝釈天から授かった長生きの知恵からくるというのだけど、その知恵も「8000才の鵞鳥によるとさ…(帝釈天・談)」という荒唐無稽というか鵞鳥に訊くのかよというか…あ、その話の主人公(大しん)や御両親は七草粥で見事に若返り長生きしましたとさ、です。8000年。
 現代では修行をしなくてもスーパーマーケットや商店街が「七草粥食べなきゃ!」とその前日から、それもセットで準備してくれます。
 また、その意味合いも精々無病息災実際は正月にご馳走食べ過ぎた胃に〜的な感じ、まぁ必死で修行して後、知恵を授かり七草を各方向から摘んでくるワケでもないので御伽草紙のよう壮大な話にはなりません。
 しかし8000年ってどうでしょう?唐の時代の話らしいけどじゃあその大しんサン&御両親は今でもピンピンしているのでしょうか?それもどうかと思う。

 だいたい不老不死願望的話は中国に多いような気がするのですが(仙人とか)..まぁ西欧の錬金術なんていうのも突き詰めれば似たような発想かと。そこに続く神秘主義思想何が目的?かというと"超越"ではないでしょうか。
 わたしが専門学校生の35年程前、国書刊行会が"黄金の暁"のシリーズを正しく刊行し、全巻持っていますがやはりよく理解出来ませんでした。ただ同時期C.G.ユング分析心理学でちょっと理解出来たような気が。
 不老不死を望む思想とは自分を知り尽くしたいということかも。ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』はそれを逆の方から説いてい(超名著!)哲学っていう分野の発展はその延長線上かと。

 わたしはあまり心や魂という問題に関心がないのですが、子供の頃からナマイキにも鬱持ちだったのでそういう方面の本から呼ばれたのかもとは思いますが今はもう兼好法師『徒然草』的「まぁ死ぬ時は死ぬんだからさぁ」で充分です。父が逝ったのが大きいかもしれません。
 でもジョルジュロルという愛猫ーズがいるので今朝は七草粥を。
 愛猫達より先には、ちょっと…