ホームレス歌人の夏

nae586252017-08-16

お盆休みもようやく今日で終わり。東京は雨続きで秋のように涼しいと
ニュースが言うが、神戸はどんよりした曇りで蒸し暑い。
朝いちに母親から電話で、お盆なのに家の仏壇に手を合わせないのか的
に言われ(ヒマだったらしい)はいはいと実家に行くが、その前に近く
の喫茶店でコーヒーとトーストのモーニングを食べて同じビル内にある
ブック1で本をぶらぶら見る。ここも人が少ないなぁ、50円の文庫が
ある。懲りもせず三冊買う。お昼近くになって、実家へ。父親も居間に
座っていた。和室の仏壇にチーンと手を合わせるが、ろうそくが電気だ。
弟が来るハズだったのが仕事が終わらず、明日になったと長男溺愛の母
親が言う。まあね、幾つになっても子どもは子どもなんだろねー
お昼にまた同じ喫茶店へ行って、ピラフを二人とも食べて話す。帰る前
に家人にとビール缶を貰った。母親は暑さで少しバテて顔に出ている。
家に帰ると、居ないと思っていた家人がいてリビングのテーブルに新聞
を広げてその上で本を読んで熱いお茶を飲んで、クーラーも入れず座って
いるが、暑苦しい以外の何物でもなくビールを親からと出して冷蔵庫に
入れ、すぐ自分の部屋でクーラーを入れていた。
ブックオフで買った「ホームレス歌人の冬」三山喬を一気に読んでしまう
が、このホームレス歌人は実在の人で朝日新聞の朝日歌壇に2008年
ハガキの短歌を投稿して住所がホームレスとだけあり当時かなり話題に
なった人だ。メディアが横浜のドヤ街まで捜し回ったが見つけられなかった
のを二年後に作者が最後の仕事と半年間通いつめて捜したのをルポ的文に
した本。私も、この朝日歌壇の当時の読者ですごく気になったし河合記者
の朝日の呼びかけの文も覚えている。
それでも公田さんは見つけられずに、姿をひっそりと隠したままで短歌も
投稿しなくなった。時にリーマンショックの嵐が巷に吹き荒れていた年
私は見つけられなくて良かったと思ったし、取材名目で身を隠している人
を暴力的に見つけだして晒そうとした記者に怒りも感じた。
作者の三山は東大出の朝日新聞社に就職したが、中途退職し南米へ行った
後フリーで日本に戻り仕事をするが、次第に仕事が無く実家に住んで親が
施設に入り、健康保険料を払う金も無くと文中で告白しているし、他の
企画を持ち込んで没になった最後に、このホームレス歌人のが採用され
たが、これが無ければ食うために別の仕事をすることに決めていたのだと
おそらく最後に見つけて本人の写真付きでどうしてホームレスになったのか
聞き出して終わりの契約だったのだろう。三山氏がいま、どうなっているの
か知らない。もしかしたら食うためにビルの夜警でもされてるかも
私の友人に50過ぎまで、定職につかずしたい事をしていた人が両親が亡く
なって初めてビルの夜警の社員の仕事をした人がいる。本人は言わなかった
が親の年金で生活していた。全く無収入になってやっと仕事をしたのが51
今も同じ仕事をしている。元旦に友人と毎年会ってたのが、仕事で来れなく
なったな。いつ誰が、ホームレスにならない保証なんて無い。私にも無い。
リーマンショックの年、ウチも家人の収入が激減し私は失業して娘は大学
に行ってた。あの数年は、本当によく乗り超えられたと思う。一日千円で
家計をしてる感じだったな。あの時に、追い詰められて自分の甘さを思い
知ったと思う。助けてくれた人、そっぽを向いた人のことは鮮明に覚えてる。
この本は色んな意味で深く考えさせるんだなー