どんな世界をつくりたいですか

メディアの存在意義って何だろう、って、ずっと思ってた。
いまでもまだずっと、考えてる。



「記者の仕事はドブさらい。声なき声の人を拾い上げ、世の中に伝えるんだ」――昔どこかで読んだジャーナリストの本に、そんなことが書いてあった。


それは、確かにそうなんだけど、私たち記者が記事を何本書いたことよりも、例えば使いやすいブログシステムを作った人のほうが、はるかにそれまで「声」を出せなかった人の声を、世の中に届けているんじゃないか。そんな気がする。*1

それは、自分の上司がCGMの会社を立ち上げたときからずっと、自分の中で刺さっている棘の1つ。





情報を伝えたい人と、情報を得たい人がダイレクトにつながれる現在、「媒体(メディア)」の存在意義って何だろう?





存在させてもらうために、価値を感じてもらうために、自分がいま心がけていること。


・個人では気づかないような、俯瞰的視点を提供すること
(歴史的経緯、世界的位置づけなど)
・受け手が受け取りやすいような形に、整えて提供すること
(分かりやすく噛み砕いたり、説明を加えたり)
・利害関係のない第三者だからこそ言える批判や疑問を提示すること
(「おかしくない?」とか、「ここ何で?」とか)



このうち3番目が、一番難しい。


ただ文句を言えばいいわけじゃない。誰にだって、それをした(その人にとっての)正当な理由があって、その理由が深ければ深いほど、簡単に非難なんて出来ようもない。


そこで必要なのは、きっと「大義」なんじゃないかと、今は思ってる。
誰かを傷つけても、誰かが傷ついても、やるべきこと。言うべきこと。変えるべきこと。実現すべきこと。
それはその犠牲の先に、できるだけ多くの人の幸せが待っているということ。
そしてそれを自分は実現するんだと、コミットする決意。




批判をするために、誰かを傷つけるために、私は勇気を持たないといけない。
そしてそれを支えるだけの、理由を持たなくてはいけない。
ましてメディアとして、他人に影響力を持つ存在なら、なおさら。





どんな世界を、つくりたいと思いますか。
どんな世界なら、「みんな」が幸せになりますか。
そのために自分は、何ができますか。何をする必要がありますか。




そんなことを今は探してる。
「こういう世界にしたいよ、だからみんながんばろうよ」
そんなことを、言いたいから。*2





 

*1:もちろん、それでも「声」を出せない人はたくさんいて、そこに第三者が介在する意義はとても大きい。

*2:とりあえず、未来の自分の子どもに手渡して恥ずかしくない世界ならいいかなぁ、とは思っているところ。