「隠せば言葉が濁る」

我が家は母親が朝日新聞、私が日経新聞、父親がサンケイスポーツを取っている。
多分日本でも上位数パーセントに入るんじゃないかと思うくらい、
新聞業界に貢献している家である。


よって毎週末に新聞整理をするのは私の仕事だったりする。


んでもって今日も新聞を片付けているときに、3/1の朝日新聞夕刊の連載
「声が聞こえる」が目に入った。
朝日新聞は正直、社説とか天声人語とかは目も当てられない感じだが、
人にフォーカスしたこういう連載は良いものが多い。


この日の記事は、歌人永田和宏さんと、その奥様の故・河野裕子さんを取り上げていた。
河野さんは2000年に乳がんが見つかる。その際に、病気を詠むべきか悩んだけれども、それも含めて歌を詠むべきであると決断する。そのときの言葉が、表題の言葉だ。


「隠せば言葉が濁る」、と。




言葉に仕えようとすればするほど、自分の「現在」が浮き彫りになる。
そして隠しておきたい心の機微こそが、人の心を打つ。


芸術なんてものはある種自分の人生と引き替えで、
つらい経験こそが「美味しく」なるから、本当に悪魔的だ。


でもきっと、言えないことが一つ一つ澱のように貯まって、
それが心を埋め尽くして、
がんじがらめになって、自分のことが見えなくなって、
他人の価値観で生きていくくらいなら、


すべてを失う気概で、自分の「現在」に素直になってもいいのかもしれない。